ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

隠れファン?その2

2016-09-17 07:26:22 | 日記
甲斐バンド初の日比谷野音ライブの時に
甲斐さんが「海の向こうでストーンズもライブをやってるから」と歌われた

ストーンズの【ホンキートンク・ウィメン】は
浦沢さんが「音楽への道」を諦めた原因になった曲みたいです(苦笑)

大学の軽音楽部の1年上に、後のストリート・スライダーズの
ハリーさんやジェームスさんがおられ
この曲をカバーなさったのをお聴きになって

「うわ〜っ!これ本物じゃん!」と浦沢さん
「僕らのバンドに、このポテンシャルがあるか?
彼ら以上にカッコいい音楽は作れない」と思われ、バンドは解散…

ちなみに…浦沢さんが部室の近くでギターを弾いておられた時に
ハリーさんから「良いボーカルがいないんだよね」と
話しかけられたことがおありだったらしく

浦沢さんは「誘われてるのか?」と思われたようですが(笑)
その後しばらく経って「ボーカリストを探してたんだけど
良いギタリストが見つかったから、ボーカルは俺がやるわ」との報告が…(笑)

そのギタリスト・土屋公平さんは、ご自身の音楽ルーツについて…
「昭和40年代、卓袱台しかないお茶の間で
小学校の同級生のお兄ちゃんとドーナツ盤を聴いた

[クリーム]の音が出て来た時の衝撃
世界はトンでもないことになってると思った
昭和の畳の茶の間の景色と、そこに流れて来た
サイケデリックな音のギャップ…忘れないよ」

確かに、サザエさん家のお茶の間に
[クリーム]が流れてるって違和感ハンパないです(笑)

「あの時代に、ああいう形で音楽を聴いた経験が永遠に残ってる
あの頃のサウンドが、ずっと消えずに残ってる
この感覚は(同世代の)僕らにしか判らない
だから、俺たちはギターを置かない」とおっしゃってます…くぅ〜っ!(笑)

それはさておき…その【ホンキートンク…】体験後、浦沢さんは
「彼らの音楽のように、明らかに突き抜けたものを何か持っているか?」と
自問なさったら「やっぱり漫画」だったそうだけど

漫画家になろうというのではなく
「大学卒業までに一本完成させて、就職しよう」と考えられたらしい

実際、すでに内定を貰っておられたのに
小学館でたまたま見せた(卒業記念の)漫画「Return」が
新人賞を獲得して「どうしよう」と…(笑)

そもそも、プロになろうとなさらなかったのは
「自分の好きなものは売れないだろう」と考えていらしたからみたいで
思わぬ形でデビューされたものの

「僕が面白いと思うものが売れるのは良いけど
世の中が面白いと思うだろうと思って描くのはイヤだ
商業的なものに迎合したくない」という気持ちで描いておられたんだとか…

でも、デビューの2年後に結婚なさって、奥様が家計をやりくりされ
アシスタントの方々の食事の買い物に出かけられる姿をご覧になって
「売れなきゃダメだな」と考えるようになられたという

「チャートに入るロック」を目指された甲斐さんも
「シングルは売れるために切るけど、売るためには作らない

よく[売れ線]なんて言うけど、何が売れ線なのか判らないよ
もし、魂なしに売れ線だと思って作ってコケたら
本当に自分が駄目になるよ」とおっしゃっていて

「マイ・ジェネレーション」を作られた後には
「辛辣な歌詞をチャンと言ってる、このアルバムが売れる
ホント、やって来て良かったと思うよ
今までひたむきにやって来たことが
この中に出てると思うから」と話されてます

こうした「芸術」と「セールス」の「せめぎあい」は
「好きなこと」を職業にされた方が皆さん経験なさっているんでしょうね?

ともあれ「売れるものを描かなければいけないのか?」と悩んでおられた時
担当の方から「僕たちは上品だし趣味が良い

ただ、このままやっていたら、良質のものをごく少数の人に届けて
誰にも知られずに終わって行く可能性がある
ここはひとつ、意識的に下品になろう」と言われたと浦沢さん

「性根まで下品にするんじゃなくて
下品なフリをしろって感覚が面白くて(笑)」
そうして生まれた「パイナップルARMY」は
「ベタなことは可笑しい、カッコ悪いって笑いながら描いてた」そうだし

「入口を広くしながら、でも絶対に魂は売らない」という
「哲学」のもと誕生した「YAWARA」は
「フツーの女の子になりたい」少女が、やがて柔道を極めて行くという
「昔ながらのものかな?という入口」を持ちながら

「スポ根モノ」に有りがちな「血を吐くような訓練」には無縁の
「天才少女」を主人公にすることで
「こんなの見たことない」という「常識はずれ」の物語になったんだとか…

原作もアニメも大ヒットし、華やかな成功の日々の中で
かつて浦沢少年が、強烈な衝撃を受けた
ディランの【ライク・ア・ローリング・ストーン】を聴かれて
「2度目の衝撃を受けた」と浦沢さん

中学時代に「吉田拓郎さんに憧れて
彼に近づくためには、ディランを理解することだと毎日聴いてました
何が良いのか判らなくて(笑)でも、ある夜【ライク…】を聴いていたら
稲妻が天から落ちて来るみたいに[判ったー!]って」

ただ「当時[判ったー!]と思ったけど
実は、何が判ったのか判らなかった(笑)
[ざまあねぇな、今どんな気分だ?]とか
ディランはナンであんなに罵声を浴びせてるのか?

それが[自分自身]に向けて浴びせていたんだ!って判ったんです
あの感性でやらなきゃダメだと思いましたね」と
「次も売れる漫画を描かなきゃいけないプレッシャー」から解放され
「MONSTER」をお描きになったそうです

ちなみに「MONSTER」というタイトルになさったのは
「この名前に見合う作品が作れるか?」という
ご自身への挑戦が込められている「第2のデビュー作」だと話されてました

余談ですが…甲斐さんが、アマチュア時代に作られた
【No.1のバラード】の歌詞は
【ライク・ア・ローリング・ストーン】によく似た(笑)内容だけど
やはり、ご自身への「罵声」なんでしょうか?

以前に甲斐さんは、甲斐バンド初期の曲を
「公平に弾いてくれとは言えない(笑)
【バス通り】なんてムリ!(笑)【裏切りの街角】だったら
ナンとかお願い出来るかも知れないけど…」と話され
選ばれたのが【No.1のバラード】だったんですよね?
コメント
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