自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

わらべな

2017年07月28日 | ことば
NHKのテレビの「日本人のおなまえ」を見ていました。これまでもなかなかおもしろかったのですが、だいたいは苗字の起源、珍しい名前などでした。今回のものは沖縄の名前でしたが、それにとどまらず、もっと深い部分にまで言及していました。私は方言が好きなので興味ふかく見ました。
 とくに印象的だったのは童名(わらべな)というものがあるということで、聞くと日本語とは思えないトゥなどの音もあり、まったく人の名前とは思えない感じでした。かつての沖縄には広くあったらしいですが、今はお年寄りか与論島だけになったということです。それとは別に氏名があり、登録はしているが、普通は童名のほうでよぶのだそうです。名前は区別するための符号といえばいえるのですが、沖縄の童名は男子なら祖父の女子なら祖母の名前をもらい、ひきつぐのがふつうだそうです。そしてそれはただの符号ではなく、女の子であれば「あの心やさしいおばあさんと同じ名前なのだから、自分もやさしい人になるのだ」と思わせるのだそうです。そこにはたっぷりとした長い時間を祖父母と孫が密接なつながりをもつ生活があることを確信させます。この子のすべてを知っているおばあちゃんと、私のすべてを知っていて、守ってくれるおばあちゃんがいると思える孫がいるという関係がゆるがないものとしてあるのです。
 血縁を大切にし、同じ家系であれば、親子、兄弟とみなす。その家に誇りをもち、だからそれに恥じない生き方をする。自分はこの家系に育てられているのだという確信。だからこの家系に恩返しをしたいと思える。そしてそれは地縁でもあり、同じ島のものはみな家族だという感覚で生きている。
 実際に番組に出てきたおばあさんたちの喜びと自信に満ちた顔は、自分はお天道様に恥ずかしくない生き方をしてきたと、体全体が発しているようでした。

 というわけで、この番組は名前から始めて、ことば、人間関係、社会のありかた、つまり人生そのものが童名というものに集約されていることを示していました。
 この童名はその人そのものであり、役場に提出するのは近代社会というただ合理性を優先させるような約束事とはまったく違うものであり、そんなものはなくても人は生きていけること、おそらくは権力者が作った戸籍名や、そういうものを作る意図の底にあるものが、本来の人、そして人と人との関係を破壊するものでさえあることを暗示しているように思えました。
 そのすばらしさがあまりにも明るいために、ヤマトの都会人たる自分に当たった光が作る自分の影が暗黒のように暗いものではないかと恥じ入るような気持ちがありました。
 当然、辺野古のことも連想しましたが、表層的な「まつりごと」にふれる気がしません。そうすると童名の余韻が汚れるような気がするからです。


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夏休み子供教室 4

2017年07月28日 | 研究など research
「夏休み子供教室」のスケッチ作品をながめました。何れ劣らぬ傑作ですが、正確さという点でいえばやはり6年生に軍配があがります。中には大学生並みのものもありました。


サル 6年女子
 
タヌキ 6年女子


タヌキ 3年男子

 しかしスケッチの魅力はそれだけではありません。むしろ3年生くらいのほうがユニークな味わいのある絵を描いていました。

サル 5年女子

サル 3年女子 

サル(学年未確認)

タヌキの頭骨を下から見たところと下顎 5年女子


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