自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

読書1

2014年09月29日 | モンゴル生活
 毎年、夏にはモンゴルにいくことにしている。調査のあいだはデータとりに集中する。その集中をずっと持続するので、けっこう疲れるが、充実した楽しい時間が。ただ、調査地に行くまでは長い車中の時間となる。すばらしい景色なのだが、単純といえば単純、同じ草原が何時間も続くのだから、飽きてしまって眠くなる。ほんとうはそれこそがモンゴルらしい景色だし、別の目的で撮った写真をみると、その背景の草原がモンゴルらしくて、なんでもっと写してこなかったのだろうと思う。
 今回もそう思って写真をみなおしたのだが、ただの草原を写したものはみつからなかった。それで数年前のものをとりだした。だいたいこういう景色がずっと続く。



 さて、ぜいたいくな話だが、モンゴルでのそういう「退屈な」時間のために、本をもってゆく。定番は司馬遼太郎で、草原でお茶をのみながら司馬の本を拡げるのはまさに至福の時間だ。だが、今年は別の本をもっていった。出発前に山藤章二の「自分史ときどき昭和史」(岩波書店)を手にしていたので、それをもっていった。
 私は絵が好きで、安野光雅や山藤の作品は楽しんでいるが、ご両人とも、もちろん絵だけでなく文章も達人だ。それに力まないところ、謙虚なようで強烈なプライドを秘めたところも共通しており、そこが私の気に入っているところだ。要するにまじめでパターン化されたサラリーマンタイプの人間の真っ向に立つ、少し不真面目で、斜に構えた生き方をしている。
 厚さが3センチくらいもある分厚いその本は、真っ白なカバーに臙脂色の単色で著者名と書名が書いてあるだけの、これ以上ないほどのシンプルなものだ。「なんだ、イラストレータの本なのにイラストがないじゃないか」と思わせ、はなから読者の期待を裏切ってニヤニヤしている山藤の面目躍如といったところ。私は山藤のそういうへそ曲がりが好きだ。
 山藤の自叙伝をモンゴル草原を走る車の中で読むというのもオツなものだ。期待通り、肩に力のはいらない、よみやすい文章が続く。おもしろいのは、少し続くと<余談>というのが入って横道にそれたり、お得意の落語(山藤は相当ツウなようだ)を紹介したりして退屈させない。そう、この本は退屈な時間をすごそうと持ってきたのだから、ぴったりだ。そういえば、司馬遼太郎も、「余談ながら」という部分が一番おもしろい。
 ひっかるところがなくて、どんどん読めた。引きつけられ、引き込まれた。半分くらい読み進んで、若い山藤が鬱々とした浪人的な生活をしながら、自分の画風を見いだそうとし、作品が受賞しデビューするあたりから、少し感じが違ってきた。とくに、結婚するあたりで、あのへそ曲がりのはずの山藤が、まるで素直になってしまうのだ。ふつうの人とはまったく違う生き方をする山藤が、「あれ、こんなに素直に書いていいの?」そのへそまがりを期待する読者を、二重に裏切るように感じた。

 
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草原の少女

2014年09月28日 | モンゴル生活
おいしいお昼を頂いた話を書きました。その麺類ができるまで、ゆったりとした時間が流れていました。雲一つない空のもとの昼下がり。草原の日差しは強いものの、空気が乾いているので、爽快です。小学1年生くらい、あるいはもう少し小さいかもしれません、かわいい女の子が遊んでいました。独り言をいいながら、首を上下に動かしています。何をしているのかなと思いましたが、聞くと馬のまねをしているということでした。確かに馬はよく首を上下に動かしています。首にたかる虫をよけるためだと聞いたことがあります。この子にとって、馬は日常的に見る景色のひとつなのだなあと思いました。
 彼女にとってはこの広々とした草原が生まれてから毎日眺めてきた空間なわけです。日本で育った私たちは「広いなあ」と思いますが、それは日本で空間の「常識」をもったためで、この子にとってはこれがふつうの景色なわけです。
 心がすなおで、逞しいお父さんと、どっしりと構えたやさしいお母さんに育てられ、こういう広々とした環境で育つこの子もまちがいなくまっすぐ育ってくれるに違いありません。そしてお母さんのように、素敵な男の子に出会うかもしれません。その未来に幸あれと祈りたいような気持ちになりました。


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ある昼食

2014年09月27日 | モンゴル生活
 この夏のことだったのに、本当にあったのだろうかと思うようななんとも不思議なことだった。
 私たちはモンゴル中央部のモゴッド県というところで調査を終えて、その中心地であるモゴットの町に着いた。小さな町で、お昼時だったので、食堂に入ることにした。ところがひとつしかない食堂があいていないということだった。それでは、草原にいってインスタントラーメンでも作ろうかということになり、移動をしようとしていたら、モンゴルの運転手さんがなにやら説明を始めた。それによると、この人が昼ご飯を用意するからよかったらうちに来ないかといっているという。いかにもモンゴルの牧民という感じの、がっちりした人のよさそうな人だった。少しためらいはあったが、ここはおことばに甘えてごちそうになろうということになった。恥ずかしいことだが、私の中には「これはある程度食事代を請求されるかもしれない」という気持ちが少しあったが、いろいろな話を聞けるチャンスだから、それもいいだろうという考えがあった。
 すぐそこだということだったが、行けども行けども着きそうもない。草原の両側に丘があり、そのあいだを進むのだが、「あの丘を越えたらゲルがあるのだろう」と思いながら前を行くその人の車はどんどん進むばかりだ。30分ほど経って、私はこれ以上進むのだったら、断って自分たちで作ったほうがよいだろうと思った。私の運転手にそれを伝えると、クラクションをならした。しかし前の車はそのまま走る。運転手はスピードをあげて、追いつく。そしてあとどのくらいかと聞いたら「もう少しだ」とおなじ返事だ。「もういいや、ここはモンゴルなのだ、今日は仕事ができなくてもしかたないな」と思っていたら、ようやく車が左に曲がった。やっと着いたのかと思ったが、そこから枝谷に入ってまた10分ほど走ったところにようやくその人のゲルがあった。
 私たちはゲルに案内された。十代の少年二人と、奥さん、少女が二人いた。まず薄いミルクのお茶をふるまわれ、硬い乳菓を出された。これはモンゴルで必ずおこなわれることだ。主人は「嗅ぎタバコ」の瓶を出し、ふるまう。客人はそれを嗅ぎ、主人に戻す。これもモンゴルの伝統的習慣だ。私も嗅いだが、心の落ち着くよい匂いだった。
 彼は戸外で大きな鍋にお湯をわかし、ヒツジの肉を入れて煮始めた。一時間くらいかけただろうか。その間、少年たちは若い馬を馴らすためだろう、二人で馬ででかけた。お兄ちゃんが弟に教えているようだった。小学5年生くらいのお姉ちゃんは料理を手伝う。小学1年生くらいの妹は一人で遊んでいた。
 主人は額に汗をかきながら、鍋をかき混ぜる。ときどき味見をし、首をかしげえながら、塩を追加したりする。同行の日本の研究者はモンゴル語ができるので、いろいろ話をしていた。明日から近くの町にでかけるというので、馬のことはどうするのと聞いたら、彼は空を見上げて、にこりと笑いながら言った。

「お天道様が見てくれるよ」

この土地に生きて、自然を全面的に信じて生きているという自信と迷いのなさがあった。
 そこに奥さんが現れた。ゲルの中でトントンとよいリズムの音がしていたが、麺を切っていたらしい。それを鍋に入れるのを見ながら、主人が言った。ことばはわからなかったが、身振りや表情で何を言っているか、私にもわかった。
 俺たちはこんな小さなときからの幼な友達で、大きくなって俺がこの人を好きになって結婚したんだ、と。奥さんは健康そのものという感じで真っ赤な頬をした美人さんだった。この人のよさそうなおじさんが恋に落ちて求婚したようすが想像できた。奥さんは穏やかに微笑んでいた。
 やがてうどんができた。そのおいしかったこと。ダシはたっぷりだが、あっさりしていて実においしい。思わずお代わりをしてしまった。別の研究者でいろいろなことに気の廻る人が代金を訊いたところ、とんでもないと断られたそうだ。私たちは各自の荷物からせめてもと日本のお菓子とかお茶とかを探し出してお礼にした。私は、見ず知らずの人が、「うちで昼食を」とさそってくれたことに、それがただの善意から出たものだと思わなかった自分を恥じた。



 日本に帰り日常的な生活に戻った。
「あれは本当に数日前にあったことなのだろうか」
「あれは夢だったのではないか」
というような気持ちがある。
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どこのウマの・・・

2014年09月26日 | モンゴル生活
 無意識に使う言葉を改めて考えるとよくわからないものがあります。「しおどき」などといいますが、あれは海を眺めながら暮らした我々の祖先が作業をするのによいタイミングを体験的に知っていたから生まれたことなのでしょうが、今の私たちにはもとの意味は忘れられ、意味も考えずに「シオドキ」と言っています。
 「どこの馬の骨かもわからぬ」もそうです。素性のわからないことをいいますが、現在では、こういう言葉をいう状況もあまりありません。でも、なぜ馬の骨なのでしょうか。犬でもネコでもいいのに。むしろ馬の骨なら立派だし、珍しいように思いますが。あるいは大きいだけに、「大きいが、人ではない」ということでしょうか。いずれにしてもよくわかりません。
 ある場所でゴミを捨てているところがあり、どういうわけかそこに馬の頭の骨がまとめてありました。これは道祖神のような遺跡の脇で、ここにも馬の頭骨がありました。これはゴミ捨て場ではなさそうで、何か意味がありそうでした。

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ラクダ

2014年09月25日 | モンゴル生活
モンゴル人の生活は家畜との生活です。ヒツジが最も多く、生活の基本になっています。ヒツジとヤギはいっしょにして群れ生活をしています。南部は乾燥するので、ウシはくらせなくなります。ウマはどちらかというと豊かさの象徴のようなところがあるらしく、もちろん移動に使いますが、それ以外にも豊かな人はウマがもてるという意味合いがあるらしいです。北部では馬乳酒を作るのにも使われます。
 まれにラクダをみます。とても大きく、「砂漠の王様」とされるようです。写真のように、ウマとくらべても相当大きいです。もちろん乾燥に強い動物の代表で、ウシのいない南にもいます。ただし、乗り心地は最悪だそうで、荷物を運ぶのに使われるようです。




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遺跡

2014年09月24日 | モンゴル生活
広い草原を車で移動していると、ついついうとうとしてしまいます。運転手のジャガさんが「先生、みますか」と言って起こしてくれました。見ると遺跡がありました。石に人のレリーフが彫られていました。



 安曇野に行くと、道祖神と呼ばれる石像がありますが、通じるものがあります。この写真は群馬で写したものです。モンゴルのも日本のも、庶民の平和な生活を描いたもののように思います。

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ヒツジの解体

2014年09月23日 | モンゴル生活
ある日、ヒツジの解体をするというので、見せてもらいました。仰向けにして保定し、腹の中央にナイフをいれますが、ヒツジは「メエ」ともいわず、まったく抵抗しません。15cmほどの切れ込みを入れると、手をつっこんで、動脈を切ります。死亡を確認してから、首のつけねあたりから左右に皮を切り、前肢の先でセータの袖のように丸く切れ込みをいれ、皮を開いていき、開くと足先をはずします。骨の間接部をよく知っていて、一発で切り離します。慣れないとナイフが骨に当たってうまくいきません。それから腹を下に切って、胴体の皮も背中側に開いていきます。後肢も同様にし、全体の皮と胴体を話します。ごらんのように、皮には筋肉がまったくるいていないし、切開部を除けば、血の一滴もこぼしていません。




それから内臓をだし、体腔内の血はお椀でくみ出します。内臓は奥さんが受け取って、部位ごとに切り離し、腸はやかんで水を入れて中身を出し、そこに血をつめて腸詰めにします。胃内容物もとりだして、胃の内壁を水洗します。
 全部の作業を終えるのに30分ほどしかかかりませんでした。お見事でした。



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お店

2014年09月22日 | モンゴル生活
調査生活はまあ気楽なものです。モゴッドでボロさんのところにお世話になっていたときは、私たちの料理をしてくれる人を雇ってもらいました。だから、朝食をいただくと、調査にでかけ、お昼にゲルにもどってくるか、遠出をするときは、パン等の軽食ですますとか、ガスコンロをもっていってインスタントラーメンくらいを作るなどして、また調査、夕方に帰ってきて夕食を食べると、標本の整理やデータの整理、写真の整理などをするという毎日です。出発前にウランバートルで食材などを買い出ししていくので、ほとんど買い物はしませんが、ときどき、水やお菓子などを買いにいくことがあります。店は決まって薄暗く、ケースがあって、客が物を手にすることはありません。店の人に「あれを見せてくれ」というと、とってくれるのです。要するに客の性悪説です。その点、日本のコンビニなど、大陸に人からすれば「どうぞ盗んでください」といわんばかりに見えるでしょう。こういう店をなんとなくなつかしく感じるのは、日本でも昔はいなかにこういう店があったからだと思います。私の記憶では、農協の店というのがあって、農具や食べ物を売っていましたが、新鮮なものはなかったよいに思います。いつからおいてあるかわからないような乾パンとか、そういうものが埃をかぶっておいてありました。
 ある店で分銅をみつけました。なかなか味があります。


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刈り取り

2014年09月21日 | モンゴル
少し遡ります。植物の調査のうちのひとつで、刈り取りをしているところです。群落の調査は出て来る植物をリストアップして、その植物が被っている面積と高さを記述します。それによっておよその植物量を推定できますが、一番直接的なのは刈り取って重さを測定することです。これがなかなかたいへんで、種類ごとに別の袋に入れるのですが、地面ぎわに生えている小さい植物などは時間がかかります。

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2014年09月20日 | モンゴル自然
私の目はこれまで紹介してきたように、動植物に強く偏っているようです。でもモンゴルに行くと地形にも、空にも、水にも興味が広がります。雲はそのひとつで、日本で雲をじっくりながめるようなこともあまりありませんが、モンゴルでは思わず雲を眺めていることがあります。とくにわき上がるような雲にはエネルギーが感じられます。



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