3月下旬の花を紹介してきました。多くの人がそうだと思いますが、今年の春はいつもと違う思いがありました。私は72歳ですが、そのことも関係しているように思います。
アフガン戦争やイラク戦争、そしてクリミア半島のことだって私たちの生きている時代に起きたことではありますが、どこか遠い世界のことでした。何がどう違うかうまく整理できません。そこには無知、無関心でないとは言えない自分がいます。特にクリミアとウクライナは同質のようです。しかしクリミアのことは、いわば事後報告のように報じられ、ロシアが不法に占拠したとは聞いたが、一挙に勝負がついたという印象であまり悲惨さを知りませんでした。
今回のウクライナは国境近くにロシア軍が以上に多く集まっているという時点から報じられ、あれよあれよという間に侵略が始まりました。これは一体どうなるのだろうかとハラハラしながら見ていると、男性は戦うという法律があって市民が戦うというのを聞いて驚きました。そして市民が犠牲になり、病院まで爆破されるという恐ろしいことが連日報じられました。
人道回路ができたということで市民が行けばそこが攻撃されるとか、市民が死んだことを認めざるを得なくなると、それはウクライナ軍が殺したとか、思いもしない嘘を公然とつきます。軍人は命令に従うものだとしても、人としてしてはいけないことがあります。その人としてしてはいけないことの、私たちの想像を遥かに超える、してはいけないことが次々になされました。拉致してシベリア送りとか、人身売買とかなんのことだかよくわからないことが、今現実のこととして起きている報じられ、胸塞がる思いです。
春が来て木々が芽吹き、野草が花を咲かせるのを見て胸におとのうのは、この平和も保証はどこにもないということ、来年ものどかな春を迎えられるだろうかという思いです。ウクライナは春が遅いようですが、しかし季節は確実にめぐります。しかしこの春は去年の春とはまるで変わり果てたものになったはずです。何も悪いことをしない普通の市民が、子供や年寄りが侵入者に殺されるとはどういうことか。長い時間をかけて築かれた教会などの文化的な建造物がミサイルで破壊されるとはどういうことか。そしてそのような非人道的な行為が押し留めることができない社会とは何か。
心が乱れる毎日です。その心とは裏腹に何事もなかったように花を咲かせる野草に、余計に心がただならぬような気もします。