自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

12月を振り返る

2018年12月31日 | ごあいさつ Greetings
大晦日になりました。今月は先月後半にムササビとモモンガの標本が手に入ったので標本作りをしました(こちら)。食性分析したのは、鳥取のシカ、丹沢のシカ、津田塾大のタヌキ、明治神宮のタヌキです。

12.1 プロナトゥーラ・ファンド成果報告会で講評
12.5 東大でシカの標本整理
12.6 小平市民奨励学級で講演(こちら
12.7 明治神宮でタヌキの調査、丹沢のシカの糞分析完了
12.9 小平霊園で観察会
12.10 アファンの森で調査
12.11 小平市学校訪問
12.12 東大でシカの標本整理、丹沢のシカの糞分析を終えてまとめる(こちら
12.13 助成金審査会
12.14 モモンガの骨格標本完成
12.15 麻布大学いのちの博物館でフクロウのワークショップ(こちら
12.16 東北大学にいた時インドネシアから留学していたスティクノさんが来日したので会う。東大でシカの標本整理
12.17 小平市教育総合会議。東大でシカの標本撮影。裏高尾のタヌキの糞分析を終えてまとめる(こちら
12.18 鳥取のシカの糞分析を終えてまとめる(こちら
12.20 津田塾大学でタヌキの調査、モンゴルの家畜の食性論文原稿完成
12.21 花マップの集まり(シンポジウムの打ち合わせ)
12.24 家族でクリスマス会
12.22 麻布大学いのちの博物館でフクロウのワークショップ(こちら
12.28 タヌキの体重季節変化の論文完成。アファン の森のタヌキの分析を終えてまとめる(こちら
12.30 玉川上水でタヌキの調査、家族で餅つき会

 振り返ったのは、とりあえず今月だけで、今年を振り返るのは少し先になります。

 みなさま、この一年、老人の戯言にお付き合い下さりありがとうございました。良い年をお迎えください。
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年末に想う 歌の祭典

2018年12月30日 | がんこおやじ
以前、バルト三国の特集で森の中で国民が大合唱をする番組を見て感動したことがありました。私の中で、それはリトアニアと記憶されていたのですが、どうやら違っていたようです。
 先日見ていた番組でそれはラトビアであったようです。以下の記述には私の記憶間違いはあると思うので、その点ご容赦ください。

 森の中で人々が民族衣装を着て、女性は頭に植物で作った冠を被って歌っていました。




その指揮者は50歳の女性でしたが、番組のストーリーは彼女が学生だった1991年の時の話になりました。ソ連の支配下にあったラトビアで学生集会があり、そのとき「事件」が起きました。学生がソ連に歌うことを禁じられた歌を歌い出したそうです。彼女は言いました。「大変なことになったと思ったが、あそこでは歌うしかなかった」。ソ連側の10人ほどの監視が睨みをきかしていましたが、ある反骨の指揮者の名前が連呼され、それが大合唱になりました。その時、その指揮者は現れなかったのですが、大合唱が続く中、見張りの男たちに動揺がおきました。「これは止めないといけないが、止められる雰囲気でない」ということでしょうか、キョロキョロする者もいます。ところが、幾人かは学生と一緒にその歌を歌い始めました。ソ連側の仕事をしてはいるが、ラトビア人なのでしょう。そこで指揮者が大きな拍手で迎えられたのでした。その歌詞は「風よ、吹くなら吹け、枝を折るなら折れ、だが、私たちの愛を壊すことは決してできない」というような内容でした。メロデイーは賛美歌のようで、初めて聞くにも関わらず心に自然に入ってきました。
 その翌日、そのことを知った市民が20万人、手を繋いで連帯を表明したのでした。長い道路を延々と人垣ができていました。

 画面は今年の歌の祭典に戻ります。その同じ歌が歌われましたが、当時の記録とは違い、映像はカラーで、民族衣装が実に綺麗でした。赤や青の花模様には鮮やかな色が使われているのですが、どれも派手さはなく、赤はオレンジなどと組み合わされ、その背景は白ですから、異質な原色がぶつかることがない配慮がされています。あるいは赤い服に冠の緑の中に赤い花というように、統一感も配慮されていました。別の民族は青系、さらに別の民族は茶色系という具合で、多様であり、それぞれが自分たちの伝統を誇りに感じているようでした。若い女性が美しいのは当然かもしれませんが、おばあさんが馴染みのよい民族衣装を着ているのが実にかわいらしく見えました。現在の映像技術が遺憾なく発揮されていました。というより、1991年はラトビア人にとっては文字通り灰色だったのであり、色彩の違いは技術の違いではなく、リアリティがあったのかもしれません。
 そういえば、野外での合唱なのに、音がきれいで、雑音がなく、パーツに分かれた合唱がきれいにバランスがとれていました。相当に高度な録音技術を駆使したものと思われます。



 ソ連時代の苦難も紹介されました。ソ連によって抑圧され、自由がなかった時代にも歌を歌うことは忘れなかった。ある女性は愚かな書類ミスで同名の他人と間違えられてシベリア送りをされ、地獄のような生活を強いられたそうです。

 その歌の祭典の練習をしている様子も描かれました。80歳をすぎた老人が、祭典の練習でもたつく若者を厳しく叱責しました。私は歌の祭典と書きましたが、正しくは歌と踊りの祭典で、この老人はその踊りを考案した人だということでした。厳しいおじいさんのようでした。その人が熱く語りました。
「ラトビア人には歌が命と同じく大切なものだ。歌の民族と言ってもよい。その歌が武力に勝ったのだ」

 1991年に学生集会で恐る恐る歌った女性はいま、いま指揮者として国民の前にたち、全身で指揮をしていました。ソ連時代に身の危険を感じて難民として海外に避難した人が5年に一度のこの歌の祭典には戻って来て合唱に加わるそうです。そして国を愛する心を保ち、自由と愛の素晴らしさを讃える歌を声の限りに歌っていました。歌詞は続きます。「私はこの国を離れない。私を生み、育てたこの国を離れない」と。その表情は文字通り歓喜に満ち、輝いていました。

 私はチェコのシカの研究者と交流があります。日本で国際学会があったとき、東京の飲み屋で一緒に話をしました。その時、私がスメタナの「モルダウ」が好きだと言ったら、「え、あの曲を知っているのか?」というので、「日本人には人気がある曲だよ」と応えたら驚いていました。それで、「プラハでも自由化を勝ち取ったときに指揮者クーベリックが帰国して広場でモルダウの演奏がされたそうではないか」と言ったら、目を丸くして、「それも知っているのか。あの時は自分もあそこにいたんだ。あの時はみんなが赤ん坊のように声をあげて泣いたんだ」と言っていました。ラトビアと同じことが起きていたのです。

 番組を見終わった私の胸に去来するものがありました。情報によれば、確か日本はバルト三国よりはるかに豊かな国だったはずです。だが、私たちにこのように自分の生まれた国を誇らしく思う心があるだろうか。自分たちの伝統を大切に思えるだろうか。自由や愛を賛美することが必要であると感じさせる空気があるだろうか。人間としてそういう大切なものを思うことなく、何を忙しげに生きているのだろう。「豊かであるため」を標榜して、間違いなく大変なエネルギーが投資されているが、それは一体、何を求めてのことなのだろう。そう思って、頑固おやじは少し悲しくなりました。
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年末に想う 手応え3

2018年12月29日 | ごあいさつ Greetings
(承前)

 現在、大学人が研究するということは論文を書くということとほとんど同義的です。大げさでなく、「論文を書かないということは研究をしていないと同じだ」とされます。大学で給料をもらう以上、そういうことなのでしょう。
私は(質は別として)割合論文を書いてきました。その動機に「立場上書かないとまずい」というものがないとは言えませんが、それよりは「調べてわかったことは表現したい」という気持ちの方が強かったと思います。その証拠に -- というのも変ですが -- 大学を辞めても論文は書き続けています。そこに「研究者は論文で評価されるもの」という気持ちがないかと言えば、「ある」と認めざるを得ませんが、今はその気持ちはほとんど透明に近いほど薄まっています。そういうことよりも、「自分の目で見て見つけたものを記録しておきたい」という方が圧倒的に強い。他人による評価などよりも、自分自身にとって手応えのあることをしたいという気持ちを大事にしたいと思っています。

 無数の人が生まれて、無心に遊ぶ子供時代を過ごし、自分にとってどう生きるのが良いかを考え、その世界に入って習得し、経験を積み、その共同体で働いて貢献し、後輩を育て、引き継ぐ - そういう人生が無数にある。私もそのうちの無限に微さな一つの人生を過ごして、あぶくのように消えてゆく。でも、その微さな人生は、私にとっては自然を直視するということではブレないで貫くものにするんだ、そういう思いで毎日、顕微鏡に向かっています。少し強引な解釈ではありますが、私の中では、それはプロテスタントが神と直結しようとしたこと、明治人が私よりも公を重んじ、自分にとって本質的なものだけを信じて生きようとしたことと同質であるという思いがあります。それは手応えのあることであり、山の流れの水を飲んだときのような爽やかさがあります。
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年末に想う 手応え2

2018年12月28日 | ごあいさつ Greetings
(承前)

 私はこの一年の相当の時間をシカ、タヌキなどの糞を分析することに費やしました。そのために糞を集め、水洗して保管し、毎日のように顕微鏡を覗いています。今年だけで分析ノートの2冊にデータがたまり、分析した糞の数は500ほどになりました。当然、飽きてしまって出てきたデータをまとめたり、別のことをしたりしますが、同時にそのうんざりするような退屈な作業に喜びを見出す気持ちもあります。その意義を生物学的な文脈で説明することはできますが、そういうこととは違うものがあります。
それは素朴に「シカやタヌキが何を食べているかを知りたい」という好奇心が一つ。もう一つはその分析という行為が、約束事ではないという手応えです。そしてその両方が、自分の目が自然そのものを見ているという確かな喜びにつながっているという確信です。

 少し飛躍しますが、司馬遼太郎が、明治人の精神が欧米のプロテスタンティズムと酷似していたことを論じています。武士は主君への忠義を旨とし、「名こそ惜しけれ」を生きる価値としていた。それは自己犠牲と公の尊重ということであった。一方、ヨーロッパでは、カソリックが教会、あるいは牧師を経由して神に繋がると信じる「気やすさ」があったのに対して、プロテスタントでは個人が神と直接繋がっていたから、個人が神が望むように生きなければならず、それだけに自己に厳しくならざるを得なかった。そのことが社会のシステムを尊重するという精神に繋がった。そして武士精神とプロテスタンティズムの両者には自己に厳しく、本質を直視するという意味で核心部分で共通点があったから、江戸の精神を持つ明治人が新しい国のために自己犠牲的に生き、近代化が可能であったと解釈しています。私はこれは強い説得力を持つと思います。

(続く)
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年末に想う 手応え1

2018年12月27日 | ごあいさつ Greetings
アマゾンで本が注文できると知り、欲しい本を注文してすぐに届いたとき
「これはサンタクロースだ」
と思いました。こういう買い物をすると私の財布からお金が出て本屋に支払うという私の中にある実感のある行為が約束事になります。ちょっと変な感じがしました。
 私の世代は職業人になったとき、サラリーは銀行振込になっていましたが、はじめの頃(昭和の終わり)には現金でもらいたい人はそうできるシステムでした。
「なんだかもらった実感がなくてね」
という人がいました。

 そう考えると、時代はどんどん実感を持てない約束事の比率が大きくなってきている気がします。
ただ、世の中がどんなに変化しても食べ物を食べて、消化して、排泄するという生物学的性質は変わりようがありません。ただ食べ物を自分がとったり、作ったり、食材を調理したりすることは人に任せるようになりました。調理も薪を拾い、火をつけて、という作業は省かれるようになりました。食材は流通ルートを経由してスーパーに集められ、消費者である我々はそこで食物確保を換金することで代行させるようになりました。食堂で食べたり、コンビニで弁当を買うことは、調理や片付けも換金することです。
 それが「便利ということ」で、便利になることが「発展」で、戦後の日本社会はそれが極端に進みました。そして気がつけば、生活のほとんどが約束事でできている社会システムになってしまいました。

(続く)

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捕鯨はよくない

2018年12月26日 | がんこおやじ

 日本がIWCを脱退し、商業捕鯨を再開することを決めた。これはよくない。そのことを考えたい。
 まず、食料がなくてクジラ肉が重要であったというあの時代といまでは全く状況が違う。一体、どれだけの日本人がクジラ肉を食べたいと欲しているのか。
 私は平均的現代人よりは相当強く古い日本の伝統を重んじる方で、食文化もその一つだとは思う。だが、それを理由に世界がやめるようになっている捕鯨を強行する必要があるとは思えない。資源を有効利用するという「文化」があるとするなら、膨大な量のシカ肉を野山に捨てている現状をどう説明するのか。大量の残飯投棄をどう説明するのか。飽食している現代日本が食文化をそのような形で「誇る」というアナクロニズムはやめた方がよい。
 捕鯨関係者がいて、その生活保障という事情はあるだろう。だが時代は動く。養蚕業は終息したし、下駄や草履や蚊帳は実質消えた。良し悪しは別としてそれは時代の流れなのだ。捕鯨はその一つであると捉えるべきだ。
 クジラをとって動物タンパク質を確保するということの意味を考えるべきだ。戦後の日本は人口が爆発し、栄養失調者が溢れていた。捕鯨にはその苦境を救う必然があった。だが、今の日本は全く違う。世界中から高い食材を買い漁っている。フランスのワインの解禁日にフランスまで出かけるというはしたない行いをして嬉々とする者がいる。絶滅危惧種のクロマグロをとらせろという国である。その意味で実質的に今の日本がクジラ肉を「どうしても」と求めてはいない。
 必要性が弱くても、どこの国が何を食べてもさほどの問題はない。しかしクジラはそうではないのだ。一部のクジラは数が減っているし、哺乳類であるから知能が高い。今の反捕鯨国はそのことを理由に捕鯨をすべきでないという。私自身は知能が高いから殺すのはかわいそうだということには必ずしも賛成しない。ブタでもウシでも知能は高いし、逆に植物には知能はないが、殺す(枯らす)のはかわいそうだ。だからそのことは殺してはならない理由にならない。その客観的意義ではなく、世界の多くの人がクジラを殺すのはやめようと言っていること自体に意味があり、そのことに棹差すことのマイナスを考えた方がよいと言っているのだ。
 日本が経済的に豊かなことは世界に知られている。そして全面的ではないにしても、贅沢をし、飽食をしていることも知られている。勤勉で、正直で、頑張る国民であることは世界が認め、一目おかれているが、そのことは半面で、わき目もふらずに仕事に精出し、家庭を顧みないほど働き蜂で、出世のためにいじめをするというイメージにも繋がっている。その国が世界の反対を押し切ってクジラ肉を食べたくて国際機関を脱退することを世界がどう受け止めるかを考えた方がよい。
 菅官房長官は例によって「丁寧に説明してゆく」というが、そのセリフは国内で通じても国際的には全く通用しない。国内でも「それは相手の主張を聞かないで自分だけが正しいという主張を頑固に続けるだけだろう」と思われている。それは沖縄で民意を無視して海を土砂で破壊している現実を見ればわかる。現政権は、「反対するにはそれなりの理由があり、議論とは双方の意見を聞いて、相手が正しければ潔く自分の考えを修正して合意点を求める」ということを全くしない。それを世界に対して強行するとは愚の骨頂と言わざるを得ない。
 別の意味もある。気に入らないから国際機関を抜けるということの持つマイナス効果である。日本政権が繰り返し主張してきたのは隣の大国の国際ルール無視への批判であったはずだ。小国であっても世界のルールを守ることが重要であることは堂々と主張するという態度を戦後の70年間続けてきたのは、私たちが誇ってよいことだと思う。それは日華事変・太平洋戦争を体験した我々の親世代の痛切な反省によるものによるはずだ。IWC脱退はその貴重な70年の努力を自ら足蹴にすることである。それはしてはならないことだと思う。
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ここにもクリスマス

2018年12月25日 | その他 others
12月22日くらいのこと、自転車に乗った私の前を、やはり自転車に乗った少年二人がいました。小学校の3、4年生といったところと見ました。会話からどうやらサッカー仲間のようでした。
「オレ、思うんだけどサ、あのダッシュって、意味なくね?」
「オレ」は「オ」が高くて「レ」が低くなる言い方、「なくね』は「ね」が高くなる今風の言い方です。
「あれ、めっちゃキツイよな」
ともう一人。
「あのコーチ、ぜってエ、わかってねえって」
と、ちょっと生意気な口のききかたです。もう低学年とは違う、大人だって間違っていたら意見をいうんだ、という気分のようです。もう大きくなって、中学生と同等なんだというつもりのようでした。
 うちの孫にも3年生がいるけど、こういう感じではないなと思いながら聞いていたら、もう一人の方がいいました。
「こんど25日、練習だろ?」
「そう、サンタさんが来るから、プレゼント見てから、行く!」

そうなんだ。思わず笑ってしまいました。
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12月という月

2018年12月24日 | ごあいさつ Greetings
私は誕生日が12月12日で、その後クリスマスとお正月が続くので、子供の頃は12月は一年で一番嬉しい月でした。クリスマスはケーキを食べてサンタさんからプレゼントをもらう日ですが、アメリカで1年ほど過ごしたとき、あれは日本で商売人が消費を促すために考えたキャンペーンの産物だったとわかりました。
 アメリカでも浮かれた感じはあるし、もちろんある意味では日本以上に消費しますが、でも肝心なのは家族が集まって楽しい時間を過ごすということのようでした。それに、慌ただしい、あるいは下世話な一年を過ごしたが年末だけは心を清くして新年を迎えようという感じでした。北アメリカ全体で「クリスマス・バード・センサス」というのがあって、みんなで鳥の数を数えて科学的なデータを取るという活動もありますが、これなどもクリスマスだから神様が喜ぶような良いことをしようという感じがあります。

 2004年の12月26日にスマトラ沖で起きた大地震はおびただしい被害をもたらしましたが、その津波はスリランカにも到達し、大きな犠牲が出ました。その頃、私は東京大学大学院で研究していましたが、スリランカから2人の留学生がきていました。またスペインの留学生がスリランカでゾウの研究をしていました。その時、彼らが中心になって津波で孤児になった子供達の教育支援をしたいということで「ゾウさん基金」を立ち上げ、知人から募金しました。こちら
 私はそのお金を持って現地を訪れ、その後の支援を約束しました。あれから14年、すでに大学生になった子もいます。2011年に東日本大震災があったとき、その子供達から心のこもった手紙が届きました。


破壊された家


津波の翌日人々は親族の安否情報を求めに集まった


救援物資センターでは物資を得ようとする人々の表情は真剣だった


 あれ以来、私にとって12月は少し違う意味を持つようになりました。この活動の所期の目的はほぼ果たしたと思います。それに私も来年で70歳になりますから、いつ何があってもおかしくありません。そういうことから、残りのお金を有効に使うことでこの活動を締めくくろうと思います。おそらく田舎の小学校に図書室を作ることになると思います。



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2018年12月23日 | その他 others
天皇のお言葉を聞いた。終戦のとき、当時の皇太子という立場として、その将来にいかばかりの不安があったろうかと思うことがある。あるいは、戦後史の文脈で戦後の陛下の位置付けを想うこともある。だが、私にとっての陛下は煎じ詰めれば、次の二つになる。

 一つは皇居のタヌキの糞分析を5年間も続けてすばらしい論文をお書きになったことと、その論文の行間に読み取ったこと(こちら)である。私がそこに読み取ったのは、事実を記載するに対するこの上ない誠実さである。その論文では5年間調べたが皇居のタヌキの食性は「違わなかった」ということであり、糞の採集を「しなかった」ことを記述してあった。私はその意味を考えた。

 もう一つは皇后様(というより美智子さまという方がぴったり来る)との睦まじさである。映像で見るお二人はまさにお二人で一つのように、お一人でおられることがあり得ないように感じる。

 もどり来し 宮居の庭は春めきて 我妹と出でて ふきのたう摘む

 赤き萼の反りつつ咲ける白き花のあんず愛でつつ妹と歩みぬ

 君とゆく道の果たての遠白く 夕暮れてなほ光あるらし

最後の一首は美智子さまのお歌だが、どのお歌からも、お二人がいたわりあい、思いやり、二人でいることの心地よさ、ありがたさが溢れている。

 そのように、私が想像する陛下は誠実さと美智子さまへの愛に集約されるのだが、一生をかけて表出されたのが平和への尊さであったことを忘れているわけではない。だが、私はどちらかというと天皇陛下というお立場での陛下の存在以上に、ひとりの人としての陛下に心を動かされてきた。

 今回のお言葉を聞くと、感極まって声が高くなり、それを冷静に抑えて元のトーンに戻るが、読み続けていてまた感きわまるというふうであった。そのようなことはこれまでなかったのではないか。陛下がそのようになられたのは、沖縄のことに触れたときと、美智子さまのことを思われてのときなどであった。そのことは、私にはやはり陛下の誠実で純粋なお人柄に由来するものと思われた。立場上、これまで常に、言わば一人の人としての感情を抑えなければならなかったに違いない。しかし外から固めざるを得ないその像の内側には、少年のような柔らかで熱い心があり、それが最後のお言葉ということから、図らずも表出されてしまったのではないかと思った。
 
 私は心を揺さぶられた。「進歩的知識人」よ、笑わば笑え。
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台風24号

2018年12月22日 | 自然 nature
9月30日の深夜から10月1日の未明にかけて台風24号が襲いました。2日に津田塾大学に行ったら、かなりの被害が出ていました。サクラも見事に折れていました。


津田塾大のグランド脇のサクラ

 玉川上水に行ってみたらかなりのコナラが根返りしていました。

玉川上水沿いのコナラ

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