私は江夏を好きでなかった。ふてぶてしいし、あのお腹はちゃんと練習していたとは思えないし、実際、ドラッグの不祥事もあった。「江夏の21球」はすごいと認めるが、しかしそれでも、あるいはそれだから余計に、スポーツマンの持つ爽やかさとは程遠い存在と感じていた。
その点、衣笠は好きだった。デッドボールを投げた投手にクレームをいうこともなく、骨折してもなお次の試合に出る。独特の風貌や、筋肉質の体型、身のこなしも魅力的だと感じてきた。
衣笠がいた広島は長いあいだ弱いチームだった。赤ヘル軍団と呼ばれる以前は常に下位だった。そういうチームには当然いつかない選手がいるものだ。私が子供の頃、田舎ではテレビは巨人戦しか放映しなかったので、田舎育ちの私は巨人以外のチームのことは「巨人の相手」でしか見なかった。たまに出てきて負けることの多い広島は魅力ないチームに思えた。衣笠はその弱小チームにずっといて、よそに移ることなく貫き、そして強くし、優勝までした。
私は衣笠のそういう現役時代にも好感を持ったが、解説者になってからの、柔らかく、決してケチをつけない語りにも魅力を感じた。語ることにはいわゆる精神論もあり、それを批判することは簡単だが、衣笠の場合は体験に裏付けられていたから、言葉に重みがあった。
風貌から分かるように衣笠の父親はアフリカ系アメリカ人である。私より少し上だから、時代を考えれば、差別がなかったはずはない。そういうことに負けなかったことも素晴らしいと感じていた。そうした苦労、人生への深い思慮が、あの語り口を生んだのだろうと、衣笠を「ただならぬ人だ」と思ってきた。
4月29日、その衣笠の訃報を聞いた。そしてNHKの番組で追悼をしていた。そこに他ならぬあの江夏が出てきたのだ。これまで聞いてきた江夏のふてぶてしい言葉とは違うので「おや?」と思った。スポーツ選手の言葉は上滑りすることがあり、江夏にもそういう印象を持っていた。ところが衣笠のことを語る江夏は違っていた。問いかけにすぐには答えず、心に沸く思いが、正しく表現できる言葉を選んでいるようだった。
江夏は冒頭で、訃報を聞いて「思い切り泣いた」と言った。素直すぎる言葉に「これが江夏の言葉か」と虚をつかれた思いだった。「プロ野球界にとって衣笠の存在とは」という問いかけには、やはり熟考しながら、「記録ではなく、存在そのもの」と言った。そして、自分たちは「やられたらやり返せ、威嚇せよと教えられ、そうしてきた。しかし衣笠は全くそういうことはなかった。あんな男はこれからも出てくるかどうか」と語った。思いをそれ以上でも、それ以下でもない表現で言葉にしていることに感心した。それは私にとって驚きだった。
だが、この時の江夏が私を驚かせたのはそれにとどまらなかった。あの「江夏の21球」の時、ベンチがリリーフの練習をさせたので、江夏が心穏やかでなかった。その時、衣笠が「お前は自分を信じて前を見て投げろ」と言ってくれた、というエピソードは何度か聞いていた。だが、江夏はそれとは全く違うことを言ったのだ。
「そう言って衣笠はポジションに戻るときにニコッと笑ったんだけど、その時あいつの歯がきれいだと思った。なんであそこでそんなことを感じたのかわからない」
これはどういう言葉だ。「あの言葉で自分は冷静になれた」とか「そのおかげで勝てた」という言葉が、期待され、納得もされるものであろう。だが、江夏はそうではなく、チームメートの歯のきれいさを語ったのだ。それは訳がわからず、全く脈絡もない言葉だ。あの、球場全体が固唾を吞み、最高度の緊張を要する時に、人はそういうことを思うものなのだろうか。その意外さに心にズシンと残った。
余計なことだが、衣笠が呑んべえで江夏が下戸で、酔った衣笠を宿まで連れ帰ったというのも全く意外だった。
あの江夏がいつの間にか、謙虚で、素直で、練れた老人になっていた。人はわからない。
その点、衣笠は好きだった。デッドボールを投げた投手にクレームをいうこともなく、骨折してもなお次の試合に出る。独特の風貌や、筋肉質の体型、身のこなしも魅力的だと感じてきた。
衣笠がいた広島は長いあいだ弱いチームだった。赤ヘル軍団と呼ばれる以前は常に下位だった。そういうチームには当然いつかない選手がいるものだ。私が子供の頃、田舎ではテレビは巨人戦しか放映しなかったので、田舎育ちの私は巨人以外のチームのことは「巨人の相手」でしか見なかった。たまに出てきて負けることの多い広島は魅力ないチームに思えた。衣笠はその弱小チームにずっといて、よそに移ることなく貫き、そして強くし、優勝までした。
私は衣笠のそういう現役時代にも好感を持ったが、解説者になってからの、柔らかく、決してケチをつけない語りにも魅力を感じた。語ることにはいわゆる精神論もあり、それを批判することは簡単だが、衣笠の場合は体験に裏付けられていたから、言葉に重みがあった。
風貌から分かるように衣笠の父親はアフリカ系アメリカ人である。私より少し上だから、時代を考えれば、差別がなかったはずはない。そういうことに負けなかったことも素晴らしいと感じていた。そうした苦労、人生への深い思慮が、あの語り口を生んだのだろうと、衣笠を「ただならぬ人だ」と思ってきた。
4月29日、その衣笠の訃報を聞いた。そしてNHKの番組で追悼をしていた。そこに他ならぬあの江夏が出てきたのだ。これまで聞いてきた江夏のふてぶてしい言葉とは違うので「おや?」と思った。スポーツ選手の言葉は上滑りすることがあり、江夏にもそういう印象を持っていた。ところが衣笠のことを語る江夏は違っていた。問いかけにすぐには答えず、心に沸く思いが、正しく表現できる言葉を選んでいるようだった。
江夏は冒頭で、訃報を聞いて「思い切り泣いた」と言った。素直すぎる言葉に「これが江夏の言葉か」と虚をつかれた思いだった。「プロ野球界にとって衣笠の存在とは」という問いかけには、やはり熟考しながら、「記録ではなく、存在そのもの」と言った。そして、自分たちは「やられたらやり返せ、威嚇せよと教えられ、そうしてきた。しかし衣笠は全くそういうことはなかった。あんな男はこれからも出てくるかどうか」と語った。思いをそれ以上でも、それ以下でもない表現で言葉にしていることに感心した。それは私にとって驚きだった。
だが、この時の江夏が私を驚かせたのはそれにとどまらなかった。あの「江夏の21球」の時、ベンチがリリーフの練習をさせたので、江夏が心穏やかでなかった。その時、衣笠が「お前は自分を信じて前を見て投げろ」と言ってくれた、というエピソードは何度か聞いていた。だが、江夏はそれとは全く違うことを言ったのだ。
「そう言って衣笠はポジションに戻るときにニコッと笑ったんだけど、その時あいつの歯がきれいだと思った。なんであそこでそんなことを感じたのかわからない」
これはどういう言葉だ。「あの言葉で自分は冷静になれた」とか「そのおかげで勝てた」という言葉が、期待され、納得もされるものであろう。だが、江夏はそうではなく、チームメートの歯のきれいさを語ったのだ。それは訳がわからず、全く脈絡もない言葉だ。あの、球場全体が固唾を吞み、最高度の緊張を要する時に、人はそういうことを思うものなのだろうか。その意外さに心にズシンと残った。
余計なことだが、衣笠が呑んべえで江夏が下戸で、酔った衣笠を宿まで連れ帰ったというのも全く意外だった。
あの江夏がいつの間にか、謙虚で、素直で、練れた老人になっていた。人はわからない。