自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

乙女高原での春の訪花昆虫調査 2

2022年05月31日 | 乙女高原
  尾根が近づくと林を抜けて草原的な環境になり、下の景色がよくみえ、薄緑色の新緑がきれいでした。
新緑

 もう一度来るのは賢明でないと判断して、10 メートルごとの花の写真を撮影したので、皆さんを待たせたまま遅くなり、お腹がぺこぺこになりました。

 「お待たせしました!」
とロッジの前に行くと、皆さんテーブルでお待ちかねで、早速お弁当にしました。植原さんがワラビのおひたしを出してくれて、皆さんアク抜きの話に盛り上がっていました。野鳥の話や、オニグルミの花の赤がかわいいとか、「あれが黄色いのが高尾山にあるのよ」と岡崎さん、と次々に話題が広がりました。
 芳賀さんの近所に90歳になるおじいさんがいて、働き者でいつも動いていて「回遊魚みたい」というので笑いました。植原さんが
「俺もそういうところがあるかも」。
あのマメさからすればさもありなんです。でも弁当を食べてまっとりしたので
「いや、やっぱ回遊魚じゃないな」
と植原さん。
「回遊魚じゃなく、底生魚だな」
「ヒラメとか」(笑)

 「これも食べて」
と芳賀さんが漬物などを出してくれましたが、つけた梅がおいしかったです。
「トマトもどうぞ」
と言われたのですが、私はトマトとがダメなので
「ごめんなさい、私はどうもトマトは苦手なもんで」
というと皆さん笑いました。それで好き嫌いの話になって岡崎さんが納豆はダメだというような話になりました。
「好き嫌いがないということは、ものの違いがわからないということなんですよ」
と負けず嫌いを言ったら
「ものはいいようだね」
「なーるほど」
「それ、使わせてもらう」
など反応がいろいろでした。

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乙女高原での春の訪花昆虫調査 1

2022年05月30日 | 乙女高原
訪花昆虫調査(2022年5月28日)の報告

高槻成紀

 去年(2021年)の夏に乙女高原で訪花昆虫の調査をして、柵ができる前の10倍もの記録がとれて、柵が設置されたことで、花が戻ってきたと同時に昆虫も戻ってきたことを大いに喜びました。まとめた後で「来年はシーズンの初めから続けて調べたいね」という話になり、5月下旬に予定しました。当日(5月28日)は幸い、快晴の気持ち良い天気になりました。
 私が塩山の駅に10時についたので、皆さんお待ちかねで申し訳なく思いました。早速説明をして、11時半くらいから各々が持ち場について調査を始めることにしました。


「いざ出発」

 5月下旬とはいえ、乙女高原ではまだ草が伸び始めといった感じで、主な花はミツバツチグリとキジムシロでした。所々でフデリンドウを見つけて喜びました。私は芳賀さんと一緒に作業をすることになり、西側の林の登山道沿いの場所を調べることになりました。

コース(A, B, C・・・)と境界の番号

 100メートルの巻尺を張りながらの上りは思ったより大変でした。始めてすぐにサクラスミレがあり、しかもそれがたくさんあって感激しました。こんなにたくさんのサクラスミレを見たのは初めてです。

サクラスミレ

 肝心の昆虫は探すとなかなかいません。しばらくしてようやくキジムシロに小さな甲虫が来ていました。そうすると巻尺で今、何メートルのところにいるかを記録し、それから花の名前と昆虫を記録しました。

キジムシロに甲虫

 100 メートルの巻尺いっぱいになりましたが、まだラインAは続きます。ここでUターンして記録を取り、巻尺を巻き直して100 メートルの続きを始めました。ミツバツチグリとキジムシロにはいくつか記録が取れましたが、サクラスミレには昆虫が見つからないのにはちょっとがっかりしました。
 こうして山道を登って行きましたが、高くなるとマイヅルソウが出てきました。ただ、まだツボミでした。その辺りで「あれ?」と思いました。白いスミレです。「もしや?」と思いました。その「もしや」は「やっぱり」でした。エゾノタチツボスミレです。

エゾノタチツボスミレ

 これはアファンの森で初めて見て、感激したもので、その後他の場所では見ていませんでした。スラリと背が高く、花が純白で格別な印象です。しかも昆虫が来ているのも確認できて大満足でした。
 ただし、まだまだ上りがつづくので、二人ともペースダウンです。年代が同じことがわかって「長嶋が大好きだった」とか「昔70歳といえばヨボヨボの爺さんと思っていたのに、自分がなるとなんだかね」などととりとめもない話を楽しみました。
 昭和30年代の山陰では、男の子が花が好きというのは「男のくせに花が好きだなんて」と言われるのが恥ずかしくて秘密にしていたものです。芳賀さんは「わかる、わかる。私が山を歩き始めた時、山なんか行ってどうするの、と言われたの」と二人で時代の違いに納得しました。


 
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いちい橋

2022年05月29日 | 玉川上水
5月に入ると緑が急に濃くなって、場所によっては薄暗いくらいになりました。

いちい橋 東 左岸

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マルバウツギ

2022年05月28日 | 玉川上水
5月12日の玉川上水

玉川上水にはあちこちでみられます。



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ハナイバナ

2022年05月27日 | 玉川上水
5月12日の玉川上水


キュウリグサくらいのミニミニの花です。



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関ヶ原

2022年05月26日 | がんこおやじ
よい戦争などあるはずがないが、今回のウクライナ戦争ではひどすぎると思うことがよくある。それについては多くの論評があるので控えるが、最近の報道で本当に「これはいけない」と思うことがあった。それは農業地帯が戦場になって小麦の輸出ができず、農家が今年収入が激減して来年継続できなくなるということであった。影響はロシアとウクライナを超えて世界全体に波及することになる。

 それで思ったのは日本の「いくさ」は農地を避けたのではないかということだ。もちろん応仁の乱のような都市を戦場としたものもあったであろうが、ドラマなどでよく見るのは草原のような場所で戦うシーンであるし、そのような絵巻物も見る。この戦いはいわば武力の戦いであり、武士同士が戦う。思えば、農地を戦場にしたら、戦後の生活が打撃を受けることになり、敗者はもとより、勝者でさえ生活に困ることになる。そのため、いくさは武士同士のものを基本としたのではないか。
 そう思うと「関ヶ原」という地名はもしかしたら国と国の境界(せき)にある草原で、農地ではなく、かといって森林でもない場所であり、いくさのために管理されていたのかもしれないなどと夢想する。

 司馬遼太郎を読んでいたら、戊辰戦争であったか、農民にいくさのことを聞いたら、自分たちのくにでの戦いであるにもかかわらず「それはお侍のされることだから」と人ごとのように語ったという意味の記述があった。これは農民にとっていくさは農地を荒らさないという意味で自分たちに直接関わるものではないと思えたのかもしれない。
 以上は、もしかしたら日本では武士は農地を避けていくさをしたのではないかと思ったということである。

 その意味で、戦争はよくないことであるという前提ながら、ロシア軍とウクライナ軍が戦うのは構わないが、市民を殺害したり、農地を破壊したりは、「してはいけない」ことだと思う。そう書いて、いや生きるか死ぬかになれば日本の武士でも同じことをしたのかもしれない、とも思う。
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ノイバラ

2022年05月25日 | 玉川上水
5月12日の玉川上水

ノイバラもピークのようでした。



ハムシが来ていました。
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エゴノキ

2022年05月24日 | 玉川上水
5月12日の玉川上水

エゴノキがいよいよピークを迎えた感じです






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ウクライナにも緑

2022年05月23日 | がんこおやじ
連日ウクライナの報道が続く。心が塞ぐことが多い。
4月に伝えられるところでは灰色と褐色の景色ばかりで、緯度が高いことを知らされたが、5月に入ると緑が出てきた。しかしウクライナの人々は1年前の緑を喜んだ時とまるで違う気持ちで遅い春を迎えたに違いない。
 ロシアはひどいことをすると思うし、報道は中立であると思いたいが、しかし納得のいかないことが多い。ウクライナ軍は西側の武器援助により防戦し、ロシア軍を追い返す場所も多いと聞くが、そうであればなぜマリウポリが陥ちてロシア化が進むとうことがありえるのか。報道は相当ウクライナ偏向があると考える方が客観性があるのではないか。そうでないと思いたい心理はあるが、しかし現実は必ずしも報道が伝えるようにはいかないのではないかという不安がある。正しかろうがなかろうが、強いものが奪い、その後歴史を正当化するというのが現実に起きた歴史なのではないか。
 「多数を一時的に騙したり、一部を長期に騙すことはできても、多数を長期に騙し続けることはできない」「最後に正義が勝つ」などは美しい、感動的なことばで、それがどこかで一時的に「真理」であったことはないとは言わないが、「強いものが多数を長期に支配した」事例や「正しくなくても強いものが勝った」事例は枚挙にいとまがない。私たちが知る戦後の日本の方が特異な事例であったのかもしれない。
 それにしても、この悲劇がこの同じ時間に起きているということが、どうにもスッとは入ってこない。だが、4月までの無彩色な映像は過去の録画にも繋がるところがあったが、今の映像が映す新緑は否定しがたいリアルを伝えてしまう。

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フタリシズカ

2022年05月22日 | 標本
5月10日の玉川上水

フタリシズカ

私は仙台が長いので、4月下旬から5月の初めにかけて春の花が一気に咲くという印象があり、二人しずかもその中に入っています。ところが東京では春の花はいな時ですが、二人しずかはその中にはなく、少し遅れてから咲くのでちょっと変な感じがします。

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