自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

スミレ

2020年08月31日 | 標本
キキョウ、アズマギクと完成度の高い山田作品を紹介しましたが、これもその一つ、スミレです。タチツボスミレのようにどこにでもはなく、明るい草原などにあります。花の濃い紫が印象的で、その割に萼の緑が明るくて、その色の配合が他のスミレ類にはないものです。

スミレ

 葉の細長いのも印象的ですが、若い葉は内巻きです。それが見事に描かれています。その他の葉も軽く内巻きになっていることが緑の濃淡で表現されています。色も形も見事という他ありません。
 さて、この図には隙間に雄しべと雌しべの拡大図が添えられています。隙間についてはヒヨドリジョウゴのところで書きました(こちら)。この図とアズマギクを見比べてもらいましょう。


 私には、アズマギクの「何もない背景」が語るものが好きです。スミレでも、
もし添えられた蘂の図がなければさらに素晴らしいと思います。
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アズマギク

2020年08月30日 | 標本

アズマギク


 この作品はキキョウに比べると「仕上げ」が甘いかもしれません。というのは下のほうの葉に見られるように、色を塗りきっていないところや、根が丁寧に描いてないからです。
 そうではありますが、実に美しい作品です。自分で描いてみればすぐにわかることですが、キクの花びら(舌状花)を描くと一枚でも大きさが違ったり、向きが違ったりすると不自然さが目立つのです。しかしこの作品はそれが全くありません。花びらの重なりも難しいものですが、そこも巧みに描いてあります。それと中央の小さい丸(頭上花)も小さい丸がたくさん描いてあるのではなく、中央のものは小さく、外側ほど大きく、描き分けてあります。白い紙に白い花を描くのはどうしようかと思うのですが、ここでは台紙が薄茶色なので、花びらを白く彩色してあります。そして中央部のくぼみを、微妙に濃くして立体感を表現しています。


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キキョウ 2

2020年08月29日 | 標本
キキョウを続けます。そのため再掲します。



 キキョウの作品で触れないわけにいかないのが色です。植物を描くに当たって大問題なのが色です。それも紫と緑です。子供の頃に教わったのは、色には赤、青、黄色の三原色があって、全ての色はその組み合わせなのだということでした。それでいうと、紫は赤と青、緑は青と黄色を混ぜたものです。その組み合わせには無限の割合があるわけです。実際の作業としては絵の具の色を混ぜるわけです。しかもキキョウの花の薄紫色は実に微妙で、薄く、青みが強い紫です。作品はそのキキョウの紫色を実によく再現しています。
 緑は全ての植物に共通で、一口に緑といっても文字通り無限の異なる緑があります。そう思えば「緑」という絵の具が1本しかないのは理不尽なことです。キキョウの葉の緑は花の色に合わせたように、少し青みが入っているように思います。そして葉裏は白味がかっています。それらが正しく表現されています。ただ(というのもおかしいが)、キキョウの葉は小さめで、形もあまり複雑ではありません。だから、一見特別の印象を受けませんが、そうではありません。鋸歯がのこぎりの刃のように直線がギザギザしているのではなく、先端でチョンととがりますが、それが正しく描かれています。
 ことほどさように何気なく見ている花や葉ですが -- そして写真であればよく見もしないで一瞬で「とった」つもりになるものではありますが -- 一人の植物画家がずっと昔に実によく観て正しく表現していたことに、ただただ驚かずにはいられません。
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キキョウ

2020年08月28日 | 標本


 多数の山田壽雄の作品の中でも、これはとりわけすばらしいものだと思います。この作品の場合、なんといっても花のすばらしさでしょう。左向きの花は中心部が暗くなっていて奥行きが表現されています。そして外側は明るくしてありますが、山田の目は一番明るいのは花びらが外側に開くあたりで、先端では再び少し暗くなることを正しく捉えています。そしてくっきりした正中部分のくぼみの影の部分との関係も実に巧みに表現しています。花はのっぺらぼうではなく、葉脈のように細い脈が複雑にありますが、これも正しく描いてあります。これが強すぎると花の印象を変えてしまうので、「描いてないように描く」という高度な表現に成功しています。この一つの花の中で光が複雑に動きまわっているようです。その微妙な膨らみが明暗で表現されています。
 キキョウの蕾は風船のようですが、花弁の切れ込みになる部分がふわりと盛り上がっていますが、それが色の濃淡で巧みに描いてあります。
 そう考えると山田壽雄はデッサン力以上に光の扱いにすぐれていたのかもしれません。このことは線画にした時に影をどうつけるかに関係するので、また改めて取り上げるかもしれません。

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重なり

2020年08月27日 | 標本

ヒヨドリジョウゴの山田の原図のことを書きました。もう少し書きたいことがあるので、あえて再登場させます。


茎と葉や、手前の葉と奥の葉が重なったまま描かれています。これはとても重要なことのように思えます。手前に葉があって奥に茎があれば、重ならないように葉の前後で茎を切らないといけないはずです。しかし、そうすると必ず茎に不連続感が生じます。図の中央左で葉がかさなっています。実際に見ているものは前後関係はわかっているのだから、手前を先に描いて、奥のものは後で重ならないように描けばよいはずです。それをあえてしないのは、「勢い」だと思います。
 茎にしても、奥の葉にしても、それはそれで存在しており、それを見ている描き手にはその輪郭は途切れさせないで描くべきものなのです。私はかなりの確信を持って、山田の筆の速度は速かったと思います。そうでないと(もたもたしていると)植物が生きている時の凜とした感じを線で表せません。ただ、速く線を引くと、細い茎の2本目を一定の幅で引くのはきわめて難しいことです。私はそれをこともなげに実現している山田の筆力に天才性を感じないではいられません。

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ヒヨドリジョウゴ

2020年08月26日 | 標本

山田の図が牧野図鑑になる過程が見れるというのは実に興味ふかいことです。これはヒヨドリジョウゴで、特徴が的確に表現されています。


牧野図鑑の葉の形の正確さと、葉脈の微妙さはタチツボスミレでも言いました。この
図を例に2つのことを書いておきます。
 一つは線画になっていわば「決定版」となるのですが、そのことでやや様式化するというか本物以上に本物らしくなるような感じがします。
 もう一つは植物画を描くときはある段階のものを見て描くのだから、この例で言えば花の段階のものを描いています。左上には果実が追加されています。これは花とは別の時期に描いて追加しています。図鑑にするために情報を充実させているわけです。牧野は隙間があるのを嫌って、出来るだけ多くの情報を書いて隙間を埋めたそうです。情報が多いのはいいことですが、この本の解説者は「余白が少なくなって充実感がある」「このことが読者に安心感を与えるように思う」と書いています。
 私はちょっと違う感じを持ちます。私は隙間を余白ということも、実際に隙間を埋めることも好きではありません。私は博物館の展示をしてきましたが、ほとんどの人は壁に隙間があると「何か飾った方がいいですよね」と言います。
しかし、私は隙間があれば残します。私は「広告じゃあ、あるまいし」と思います。限られた紙面に可能な限りの情報を詰め込む広告は貧乏くさい(cheepだ)。展示は豊かな心で行うもので、その心と「隙間は埋めよう」という精神は相いれないと考えます。だから必要な情報を絞り込んであれば、隙間はあった方が良い。それは余白ではなく「マ」です。ないことが意味を持つからです。
 次の図はヒヨドリジョウゴの山田の原図です。これは間違いなく生きた植物を見ながら描いています。的確に線画を描き、淡彩を塗っています。メモのように花の拡大図などを添えていますが、植物の姿を自然に描いており、マがあり、それが実に素晴らしい。牧野の図では茎の上の方の長卵形の葉だけを描いて、アサガオの葉のように切れ込んだ葉は切り取って右下に添えられています。それによって図鑑の正確さと情報追加に成功していますが、その時に植物の自然体の魅力が失われたと思います。そのことが原図を見るとよくわかります。


ヒヨドリジョウゴ 山田図
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タチツボスミレ

2020年08月25日 | 標本
山田壽雄の植物画はまことにすばらしい。第一に形を正しく捉えて正確に表現できるデッサン力。スミレの仲間には似たものがたくさんあるので、いい加減な絵だとどのスミレかわかりませんが、山田のこの絵はパッと見てタチツボスミレだとすぐわかります。全体のバランスが的確に捉えられているからです。細かく見ても、托葉の深い切れ込み、葉のハート形、縁の鋸歯の形も極めて正確です。さらに花の微妙な薄紫と、葉の深い緑の色の選。そして光の当たり方による立体的な表現、すべて見事です。実際に描いてみるとわかるのですが、葉の巻き込んだようすや重なりあいは難しく、不自然になるものですが、それが全くありません。

タチツボスミレ

 それだけでも十分に眺めがいがあるのですが、この本のすばらしさはこの山田の図をもとに植物図鑑にするための修正がなされた過程がわかるところにあります。


 牧野図鑑が出来た頃は印刷技術も未発達ですから、カラー図は高価すぎて作れません。そのため線画に直さないといけません。そう書けばなんということはないみたいですが、彩色の図を線画に直すのはそう簡単なことではありません。タチツボスミレの托葉はいわば櫛の歯のようなものです。これを線で表現しようとすれば櫛の歯と歯の間と歯とがどちらも背後の白になるので、どちらだか分からなくなるということがおきます。それから面で表現していた葉の縁の線と葉脈どちらもが線になります。そのため、縁と葉脈がわかりにくくなるはずです。しかしこの図を見ると、そういう不自然さがあまりありません。それは線の太さで描き分けているからです。葉の縁は太め、葉脈は細くしてあります。この線は確かペンではなくて筆によるものだと聞いた気がしますが、本当だろうかと信じられない思いです。
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植物画

2020年08月24日 | 標本
私は絵を描くことが好きで、最近も植物のスケッチを紹介しました(こちら)。その素人っぽさを思い知ることになったという話です。
 私は以前東京大学総合研究博物館で働いていました。それで時々情報が届きますが、その中に牧野富太郎と共同作業で植物画を描いていた山田壽雄という画家の原図の展示をしているという案内をもらいました。山田の図の束が博物館のバックヤードから2017年に発見されたというから驚きます。展示を行きたいなと思っていました。
 本日、若い頃に集めたまま未整理なシカの標本の整理に博物館に行って作業をして、終わって階段を歩いていたら「発見者」の池田さんにばったり会いました。彼とは若い頃一緒にヒマラヤの調査に何度か行きました。やあやあと
 立ち話をして、その話題になったら、「ちょっと待ってて」と行って研究室に行って、「重いけど」と行って2冊の分厚い本を持ってきて、差し出します。それは件の山田の図に関するもので、たくさんの図が載っていました。重い?それがどうした。喜んで頂戴し、帰りの電車の中でずっと眺めていましたが、実に素晴らしく、ため息のつきっぱなしでした。
 私は大体運のいい男ですが、こんな幸運も珍しいです。
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メヒシバ

2020年08月23日 | 標本

イネ科についてはススキは描いたあことがありますが、これが2つ目です。描くのが少なくなるのは、なんといっても花が地味で、小さく、葉も細長いだけで、表現が難しいからです。要するに画面に色を塗る面積が極端に少ないのです。私は絵の一部に拡大図を挿入するという描き方をしないので、その意味でも花が小さいものは表現が難しくなります。

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ダイコンソウ

2020年08月22日 | 標本
ダイコンソウにも挑戦してみました。


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