自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

竹内まりや 6

2019年11月29日 | うた
 「竹内まりやが紅白?」という気持ちがないではない。長い間聞き続けた者のわがままとしては、何も知らないチャラチャラしたガキに「いいなあ」などとわかりもしないで言われたくないような気持ちがあることはあります。でも彼女のしゃべりを聞いていると、そういうことも卒業して、聞いてくれる人がいるなら歌いたい、自分は歌手として無理なく生きてきて、それが多くの人に評価されるというなら、それはそれで受けようという境地に達したのだと思います。

 「いのちの歌」の歌詞を聞きながら、実は私は最終講義の時に準備した原稿と通じるものがあることに気づきました。その講義で私は、自分が戦後の平和な時代に生まれ、育ったおかげで好きな生物学を学ぶという人生を送ることができたこと、貧しい引揚者であった両親が私を大学院まで進ませてくれたこと、私を支えてくれた家族や友人に恵まれたこと、その全てに感謝したいと語りました。こちら と こちら

 そう振り返れば、竹内まりやは若い時のティーンエイジ・ラブの歌、大人になってからの落ち着いた歌、そして人生を振り返る歌と、人生のそれぞれのときに心を満たしてくれました。その意味で、私の人生において彼女の歌はかなり大きな存在であったように思います。まさに「ありがとう」です。



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竹内まりや 5

2019年11月28日 | うた
そして、最近、「いのちの歌」を聞きました。今度は人生を振り返る境地に達しています。

故郷の夕焼けの優しいあの温もり
本当に大事なものは隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中に
かけがえのない喜びがある

いつかは誰でもこの星にさよならをする時が来るけれど
命は継がれてゆく
生まれてきたこと
育ててもらえたこと
その全てにありがとう


 ごく普通の言葉で、誰でも思う内容だけれど、このように言葉に表現することはできません。こねくり回すこともなく、難しい言葉を使うこともない言葉のつながりですが、これがメロディーにぴったりです。
 「人生の扉」の歌詞にもあったように、この歳になると「あと何回春を見ることができるだろう」などと思いますが、そんな気持ちを感じる者として聞く「誰でもこの星にさよならをする」という歌詞には胸が詰まるような思いがします。

 ある番組でご主人の山下達郎が、「竹内まりやの歌には普遍性があるから色褪せない」と言っていましたが、本当にそうだと思います。初めて聞いても懐かしいように自然な音の動きがあり、昔に聞いた歌なのに今聞いても色あせることがありません。

 それから忘れたくないのは、彼女のしゃべる時の言葉の魅力です。時々ラジオ番組に出ますが、敬語が的確で、(ユーミンと違って)控えめです。その控えめは、自分を低くするのではなく、相手や話題にする人を敬意を持って語ると言う意味で・・・。
 低めの声で、考えながら発せられる言葉が語彙の豊富さにより的確で、言葉が多すぎず、含みを持たせて終わります。そういう言葉使いをできる人だから、つまりいつでも言葉のことを考えているから、歌詞にするときも自然に収まるのだろうと想像します。



つづく
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竹内まりや 4

2019年11月27日 | うた
 さて、竹内まりやを聞くのに、またしばらく間がありました。10年ほど前でしょうか、「人生の扉」を聞きました。彼女に限らず、日本の歌の主要テーマは「恋」でしたが、それを脱して人生そのものを歌う年代になっていたことに気づかされるような歌でした。その歌詞から

春がまたくるたび 一つ歳を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでいた幼い日は遠く
気がつけば五十路を超えた私がいる
信じられない速さで時が過ぎ去ると知ってしまったら
どんな小さなことも覚えていたいと心が言ったよ

I say it’s fun to be 20
You say it’s great to be 30
And they say it’s lovely to be 40
But I feel it’s nice to be 50

満開の桜や色づく山の紅葉を
この先いったい何度見ることになるだろう
ひとつひとつ人生の扉を開けては感じるその重さ
ひとりひとり愛する人たちのために生きて行きたいよ

I say it’s fine to be 60
You say it’s alright to be 70
And they say still good to be 80
But I’ll maybe live over 90

君のデニムの青が褪せてゆくほど味わい増すように
長い旅路の果てに輝く何かが誰にでもあるさ

I say it’s sad to get weak
You say it’s hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it’s worth living


 私は数年前から「ああ、あと何度この春を見れるかなあ」と思うようになりました。ちょうどその頃、この歌を聞いたので、心にしみました。カッコよさを追求し、見事に実現してきた竹内まりやは、そういう意味での評価を卒業し、自分の心に素直な歌を作るようになったと感じました。

 この歌の場合、英語が実にいい。これまでも英語を入れることでカッコよさを演出していましたが、これはそう言うのとは違います。日本語でこれを言うと説明っぽくなりますが、英語ではさらりとした感じです。それぞれの年代を一つの形容詞で言い切る。fun, great, lovely, niceそしてfine, alright, still goodこれで20代から80代までを表現しています。見事と言うしかありません。
 最後のところで「弱くなるのは悲しい」「老いるのはつらい」「人生は無意味だ」と私が、あなたが、みんなが言うと言った後、「でも私は生きるのは価値があると信じる」と明るく言い切ります。

 日本語もいいです。特に最後の「デニムの青が色あせるように味わいが増す」と言う表現。人生をうたう歌にこんな表現をするかと心から感心します。
 「あの竹内まりやが人生を歌うようになったか」と感慨がありました。



つづく
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竹内まりや 3

2019年11月26日 | うた
 竹内まりやの作る、そしてうたう歌は - 語彙の貧困さが嘆かわしいが - 「カッコいい」。声が低めで暖かく、ナチュラルなひっくり返りがある。コブシというのとは違う。昔ヘレン・シャピロという歌手がいて繰り返し聞いたものだが、ああいう声に通じるものがある。70年代というより60年代のアメリカン・ポップスの香りがある(もちろん本人が言うようにビートルズの影響も強くはあるが・・・)。フォークブームで伴奏がシンプルになる前のパットブーンとか、ブラザーズフォーとかにつながる時代の厚みのある伴奏がふさわしい曲が多い。それが「カッコいい」のだが、そういう戦後の日本の若者が憧れたアメリカの良さを感じさせる。

 と同時にロックンロールの心があることも忘れたくない。ロックといえばシャウトだ。大音量で激しい。でもそれは浅い。犯罪で言えば粗暴犯といったところ。だがロックンロールの心はそうではない(と私は思う)。
「アンフィシアターの夜」という楽曲がある。前奏が「ゆっくり」なのだが、来るべきボーカルをじらすようで、胸がドキドキしてくる。そして「今夜もお客は満パイ」と始まる。その場にいたら叫び出すのが自然だと思う。この「満パイ」の「ま」のところが半音の半分くらいフラットする。ギターを弾く時、フレットの間の弦を思い切り脇に引っ張るところだ。思わずギターを揺するし、目を閉じたくなる。これはセクシーだ。これこそがロックンロールだ。犯罪で言えば、知的で証拠を残さないといったところ。その「ちょいワルさ」がカッコいい。

 白いワンピースで軽やかに草原を走りそうな竹内まりやと、黒い革ジャンの首にタイを巻いてロックンロールを歌う竹内まりやは、どちらも本物で、これには参る。




つづく
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竹内まりや 2

2019年11月25日 | うた
竹内まりやについてちょっと触れておきたいことがあります。一つは英語のうまさです。若い頃の歌では、洒落た雰囲気を出すためのアクセサリーのように英語を散りばめるものが多いです。でもその英語が完璧なので、似たような効果を狙う同類の歌のカタカナ英語とは全然違う。彼女は高校生の頃にアメリカで暮らしたことがあるのですが、同じような体験しても、発音はうまくできない人が圧倒的に多いのだから、耳がいいのだと思います。だからマスターできたし、それは音楽的耳の良さと通じるのは間違いないと思います。
 もう一つは、彼女が島根県の出雲出身だということの不思議さです。私は鳥取県の倉吉という小さな町に生まれて、米子で育ち、一時松江(島根県の県庁所在地)にも暮らしました。松江は落ち着いたいい町でしたが、非常に保守的でした。でもその松江に住む大人が、出雲に比べればうちは伝統が浅いと感じるほど、出雲は伝統的、大和の大和らしさを持つ土地です。何しろ11月は日本中で「神無月」ですが、それは神様が出雲に集まるので、出雲では11月は「神在月」なのですから。その出雲からこれだけ才能に溢れた「非日本的」な人材が生まれたことの不思議。この人が江戸時代に生まれていたら、どういう人生を生きたのだろうと想像してみます。



つづく
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竹内まりや 1

2019年11月24日 | うた
新聞に竹内まりやが紅白歌合戦に出るとありました。
 私が20代の頃に鮮烈にデビューし、60年代のアメリカンポップスを思わせる歌で私たちの心を捉えました。まあ、見た目も可愛くてアイドルというところでしたが、私自身は歌と声に魅力を感じていました。
 その後、「リンダ」とか「けんかをやめて」とか、作曲家としても実にいいなと思いました。特に「元気を出して」は数ある作品の中でも最も好きな歌といってもいいくらい好きです。どうしてああいうメロデイーを思いつくのか、という感じです。歌詞にも無理がなくピタリと収まり、言葉の達人でもあると思います。
 しばらく活動を休止していたので静かでしたが、「Variety」を出しました。一曲づつが、懐かしい感じの、デビュー当時とは違う少し落ち着いた歌を作っており、またも心を捉えられました。この頃か、もう少し後だったか「駅」など、オーケストラをバックにしたような厚みのある曲で、しっとりした大人の歌も発表して、すごいなあと思いました。もう「元気のいい可愛い娘」ではなくなり、普通はそれで色褪せるのですが、彼女の場合は新しい境地を開いたという感じでした。

 私は作品を全部集めて徹底的に聞くというファンではありません。そうなると何か遠のくものがあるような畏れがあって、「普通のファン」をキープしたいような心理があります。
 そんなあるとき、何気なくテレビを見ていたらライブが放映されました。「セプテンバー」とか初期のものから「元気を出して」などいい歌が紹介されていましたが、私はそのコンサートにも惹かれました。あんなに可愛いのだからビジュアル的にも(ユーミンのように)「派手に」してもいいはずです。でも竹内まりやはいたって地味でした。色も白、焦げ茶色、黒など渋めで、豪華さはなく普段着風で、それだけにとても好感が持てて、かえって注視してしまいます。多分それはクレバーに計算し尽くされたものに違いありません。それに、もちろん(ユーミンと違い)音程がよく、といって「CDそのまま」ではなく、例えば歌いながら、フロアに知り合いがいるのを見つけて「やあ」と言わんばかりに笑顔で手を振るなど、ライブならではの魅力に溢れていました。



つづく
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11月のアファンの森 8

2019年11月23日 | アファンの森




もう一つはカメラのデータ回収です。今回はあまり写っていませんでしたが、キツネとタヌキが写っていました。

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11月のアファンの森7

2019年11月22日 | アファンの森


アファンで何をしたかというとタヌキの糞の回収です。夏は糞虫にすぐに分解されてしまうので、集めるのに往生しましたが、10月からは集めやすくなりました。
 これまで7年間続けてきました。毎年秋の果実が入れ替わるので面白いです。今年はサルナシとケンポナシが多いようです。それにコメが多く出たサンプルもありました。
 タヌキの食性研究でこれまで最も長いのは上皇様が論文に書かれた皇居のタヌキの食性で、5年も続けられました。まあ長さだけはそれを上回りました。多分サンプル数も上回ったと思います。まだ分析は終わっていませんが、それでも少しずつ「やっつけて」います。
 糞分析というのは単純な作業で根気がいりますが、私は根気だけは自信があります。退屈な作業なので音楽などを聞きながらおこないますが、おもしろいものが出てくると退屈が紛れます。
 今回はソバが出てきたので、「そうか、ここは長野だから<信州長野のソバよりも、わたしゃあなたのソバがいい>なんてね」と笑いました。


タヌキの糞から検出されたソバの種子。格子間隔は5mm


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11月のアファンの森 6

2019年11月21日 | アファンの森


アファンの森に入るとすぐに「松木小屋」があります。今はやめられましたが、松木さんというご老人が使っていたので、こう呼ばれています。頑固で毒舌なので「お前はそんなことも知らねえのか」といつもやり込められていました。ただ、別の人に聞いたら、松木さんは大学の研究者は大嫌いで、口も聞かなかったそうで、私が唯一の例外だったのだそうです。若い頃は相当無茶なこともしたみたいで、昔話を聞くのが楽しみでした。今時珍しいほどの頑固親父だったので、あるシンポジウムの時、私が松木さんの写真を出して、その下にOjisantropus matsukinensis, endangered(オジサントロプス・マツキネンシス、絶滅危惧種)と書いたら、ニコルさんが大笑いしたことがありました。
 今はあとを継いだ石井さんが使っていますが、まだ「石井小屋」とは呼ばれず、相変わらず「松木小屋」です。
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11月のアファンの森 5

2019年11月20日 | アファンの森





いつも撮影する沢です。下は10月のものですから、季節の移ろいが一気に進んだことがわかります。
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