自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

今月を振り返る

2018年08月31日 | ごあいさつ Greetings
8月は猛烈に厚い1ヶ月でした。振り返ると10日まではモンゴルでたくさんデータを取りました。ナーダムに遭遇し、モンゴルを楽しみました。このブログはいまもその報告が続いています。

19日は乙女高原で訪花昆虫の調査をしました。花が咲き乱れており、幸せな調査でした。地元の植原先生と井上さんにおせわになりました。この報告は追ってします。

21日には秦野の関野さんという小学3年生がシカのツノを拾って興味を持ったと言うことで博物館に質問に来てくれました。こちら
その日は午前中に明治神宮でタヌキの糞を探しましたが、見つからずがっかりでした。

24日は22日に立川にシカが出たことについて朝日テレビの種愛を受けました。

25日に「玉川上水にはフン虫がいるよ2018」と言う子供観察会をしました。こちら

26日は定例の玉川上水観察会をしました。こちら

その後は玉川上水花マップの秋の号の原稿執筆に忙殺されました。今回描いたスケッチを紹介します。

アキカラマツ


カラスウリ


ナンテンハギ


キツネノカミソリ

29日に麻布大学いのちの博物館で行う次回の展示の冊子ができました。


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モンゴル19 競馬

2018年08月30日 | モンゴル
 そうしていたらジャガさんが「先生、競馬が始まるみたいです」というので、スタート地点に行くことにしました。競馬というのは小学低学年くらいの小さな子が2歳馬で競走するもので、大草原を走ります。その少年たちを大人が誘導して行きます。みると「こんな小さい子が」と思うほど小さな子がいますが、馬の扱いは大したものです。
 ゴールに近づくと一応3mほどの紐がはってありましたが、たくさんの馬がいるので、あまり意味がなさそうでした。スタートの機運が高まると、子供達もウマも緊張し、準備している大人も興奮するようでした。大きな声でなにやら叫んでします。そうしたらいきなり馬が走り始めました。日本のように一線に並んで「セーノ」で不公平がないように、などということはありません。おおらかなものです。それもそのはず、これだけの大草原ではそんなことは気になりません。長い距離を走るのだから、強い馬は最後には勝つ、うまい子は最終的には先頭に行くということです。
 スタートと同時に少年たちが馬を元気付けるために裏声を立てます。それだけで私はもう「ダメ」です。涙が溢れてしまいます。この大草原を幼いと言える少年たちが、馬を操って疾走している、その眼前の光景そのものが美しく感動的です。少年たちの目は真剣です。このナーダムのずっと前から毎日自分の馬と練習をします。私は別の場所で7月にその練習を見たことがあります。少年は日本の追分にそっくりな歌を空に向かって歌います。
 そのとき、私は確信を持ちました。「日本の歌は狭い室内のものだ」と。三味線で大人がこねくり回したような喉から先の声で歌う湿った歌です。それに比べて、これはどうだ。腹の底から全身の筋肉を総動員して空に向かって歌う。それを歌うことで、馬が走る気持ちになるのだそうです。竹馬の友と言いますが、モンゴルでは文字通り「馬の友」で、仲の良い友達と一緒にゆっくり走っていました。そうすることをお父さんやお兄さんから教えてもらうのでしょう。
 この競馬も、ソ連時代も、その前もずっと続けられてきました。「モンゴルの牧民であれば、馬に乗り、大きくなれば競馬をする」そのことが当たり前で、生きることはそういうことを引き継ぎながら大人になることなのです。
 そういうことを思い、馬に乗る少年(女の子もいました)の後ろにある景色も大昔から変わらず存在していることが、私にはとても貴重なことに思えました。

 そういうことが私の心にめぐり、涙が溢れます。はじめはそのことをジャガさんに知られるのが恥ずかしいような気持ちがありましたが、そんなことを考えること自体がばかなかしくなって、「泣きたければ泣けばいいんだ」と思い、泣くのをこらえるでもなく、涙をふくでもなく、感涙を流していました。



奇声をあげながら走り出す


中には女の子もいる
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モンゴル18 弓

2018年08月29日 | モンゴル
モンゴルの記事に戻ります。

ナーダム本部で民謡が歌われて賑やかだったが、長唄の後の歌い手は技術はあったが、日本の演歌みたいな歌い方でいい感じを受けなかった。ふと脇を見ると、なんと弓をしていた。ナーダムといえば相撲と競馬で、弓があることは聞いていたが、これまで見たことはなかった。
 30メトールほどであろうか、日本のような的はなく、場所を示す白い幕のようなものの前に地面に厚い横板のブロックのようなものが幅2m、高さ30cmくらいに積んであった。両側に人がいて、弓が当たって崩れたら直したり、弓が右に偏ったとか、高すぎたとかジェスチャーでアピールしていた。


弓のまと


 そてに向かって射手が弓を放つ。数回射つと、的の方に移動してレフェリーの役割をするようだった。何度か見ていたが、上手い下手はあるようで、うまい人は型が安定していて、ピタッと決まる。
 相撲のようにみんなが注目すると言う感じではなく、自分たちで楽しんでいるようだった。


射手
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一色一生

2018年08月28日 | 自然 nature
私は大学を去る時の最終講義で次のように語りました。

 私にとって論文を書くのは、大学人として業績をあげるという面はありますが、それは私の思いからすると大した問題ではありません。シカのことを調べてわかった時、それを論文にしようとする時、
「シカくん、こういうデータが取れて、こういうことが起きていると考えたんだけど、間違っていないかなあ?」
という気持ちです。森林のことを調べるとなると、それよりはるかに複雑ですから、
「林さん(会場から笑い)、こういう風に読み取ったんですけど、間違ってないですか?」
という気持ちです。
 論文を書こうと思うと神様に話すと、神様は答えます。
「論文を書くとは何か、爺さんが孫にお話を聞かせるようなことか?」
「はい、それとはちょっと違いますが、まあそんなようなことです」
「そうか、まあしっかりやれ」
「はい」
そういう気持ちです。


 最近、志村ふくみさんについての連載が新聞にのっていました。書いたものではなく、語ったことを記事にしたものです。志村さんといえば、私は若い頃に読んだ「一色一生」に衝撃を受けました。選び抜かれた言葉、緊張感のある文体、スキのない文の作りの巧みさに圧倒されました。白い表紙の本でしたが、いつしか黄ばんでしまいました。それでも、大切にしています。その志村さんの新聞記事に次のような言葉がありました。

 色は、植物からの語りかけなんですね。宇宙の言葉、宇宙の表現。それを私たちはいただいて、自然に対してお返しをするわけです。「こんなものができました」と。

 私は科学者で、志村さんは染織家という芸術家あるいは職人です。全く違う職種なのに、ほとんど同じ心境にあるのに驚き、嬉しく思いました。
「私も少しわかるところまで来ました」という気持ちです。
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玉川上水にはフン虫がいるよ

2018年08月27日 | 玉川上水
モンゴルのことを続けていますが、25日に「玉川上水にはフン虫がいるよ」という子供相手の観察会をし、26日は定例の観察会をしたので、このブログは小休止しました。こちら 


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モンゴル17 ナーダム

2018年08月26日 | モンゴル
海外調査は短期決戦ですから集中してデータを取ります。そうではありますが、調査、調査というのはよくありません。地元の人や子供との交流も楽しみなものです。7月はウランバートルで大きな祭り(ナーダム)があり、それを見に日本からも観光客がまります。モンゴルでもたくさんの人が首都に集まります。でも、小規模なナーダムは各地で行われていて、今回は私たちがいるときにありました。その日は調査を予定していたのですが、雨の日などを想定して、予備日をとっていいたので、予定を変更してナーダムを見に行くことにしました。
 バイヤンウンジュルの南に急峻な岩山があり、遠くからもすぐにわかる特徴的な形をしています。そこに集まってナーダムをするということで、私たちも出かけました。ところが行くと少し車は集まっていましたが、何も始まっていません。モンゴルではよくあることなので、私はそこで調査を始めました。ウォーミングアップのつもりで、どんな植物が生えているか探りを入れましたが、種数は少なく、全てこれまで見たことのあるものだとわかり、割合良いデータが取れました。
 2時間ほどたったでしょうか、ドライバーのジャガさんが「そろそろ行って見ましょうか」というので、行くことにしました。そうしたら、調査地からは死角になるところに結構車が集まっていました。そして本部になるテントの前で歌が始まっていました。「長い歌」と呼ばれる伝統的な民謡で、馬頭琴で伴奏をしていました。非常にうまい歌い手で、モンゴル独特にひっくり返る裏声が見事なものでした。


長唄を唄う


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モンゴル16 少年2

2018年08月25日 | モンゴル
お世話になったゲルに小学1年生の男の子がよくきました。素直な子で、モンゴル語で何か言いますが、私がわからないものだから、ジェスチャーでなんとか伝えようとします。それでもわからないので、もしかしてと思ってお菓子をあげたら「バイララー(ありがとう)」といって微笑みました。お菓子が欲しいと言ったのかどうかはわかりませんが、それではじめに聞いていたことは帳消しにしたのかもしれません。甘みのない、むしろちょっとしょっぱいクッキーをあげて、「ジャムをつけると美味しいんだよ」と日本語で言ったら意味がわかって(当たり前か)、丁寧にジャムをつけて嬉しそうに食べていました。
 この子が、水瓶を運ぶ遊びをしていた、またヒツジの解体を見ていた子です。そうしているうちに、なんだか仲良くなって、夕方に草原で写真を撮りました。名前を聞いたら「オウゴンバット」というので、聞きましが絵かと思いましたが、確かにそうでした。「バット」はもしかしたら「バータル」かもしれません。ウランバートルもそうですが、英雄ということで、男の子の名前にありがちです。

 調査は対象と向き合う勝負ですが、生活の中でこういう出会いもあり、それもまた調査の楽しみの一つです。


ゲルによく遊びにきたオウゴンバット君
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モンゴル15 少年1

2018年08月24日 | モンゴル
モンゴルでは基本的に調査中に人に会いません。静かな空間でひたすら植物に向かい合い、記録が終わると次の調査区まで移動し、また続けるということの繰り返しで、移動中に周りの景色を眺めたりします。
 ある時、足音がして見上げると少年が馬に乗って現れました。こちらをみながらそのままさりました。今、思うとあれは現実だったのかなと、不思議な気持ちになります。帰国して、写真を眺めても、「あれは夢だったのではないか」という気持ちが残ります。


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モンゴル14 休憩

2018年08月23日 | モンゴル
根気強い私ではありますが、同じことをずーっと繰り返しているとさすがに辛くなってきます。データを取るときは植物を識別し、それが地面を覆う面積を推定し、高さを測定するので、集中力を要します。特にイネ科は似たり寄ったりなのでぐっと集中しないといけません。そういうわけで1時間ほど続けると一息入れたくなります。地面に腰を下ろすと私が「コナズナ」と名付けているアブラナ科の小さな白い花(Dontostemon integrifolius)が地面を覆うように咲いていました。


「コナズナ」の中で休む


至福の時間です。ぼんやりしていたら、車で眠っていたジャガさんが起きて

「先生、これどうっすか?」
と折りたたみの椅子を出してくれました。
「ああ、こりゃあいいなあ」と座ると
「今、コーヒー入れます」
ときた。ちょっと贅沢すぎる気分です。


椅子に座ってコーヒーを飲む贅沢
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モンゴル13 調査

2018年08月22日 | モンゴル
日本に帰ってからある人と話をしていたら
「毎年モンゴルなんて羨ましいですね」
と言われたので
「ええ、向こうはカラッとしているし、広いし、いいですよ」
などと話しました。その人が
「で、向こうで何してるんですか?」
というので、
「ええ、植物の調査と、家畜の食べ物を調べるんです」
と答えたら
「あ、調査をするんですか」
と驚いたように答えた。どうやら観光旅行にでも行っているとおもたようだ。
そうです、楽しんではいますが、観光に行くわけではありません。

 群落の調査は、「折り尺」という2mの長さで折りたためるメジャーを2本使って1m四方の枠を作り、その中の植物を記録します。調査内容によっては物々しい道具を運んだ大掛かりなものもありますが、私は2本の折り尺と野帳があれば十分のフットワークの良い調査です。出てくる植物も大体はわかります。出てくる種が少ないので、日本での調査よりはずっと楽です。ただ、一つの調査区は楽なのですが、問題は景色が大きいために、例えば尾根から沢に1本のラインをとると行っても、何十もの調査区をとることになります。だから、根気がないと大変です。
 幸い、私は子供の頃から根気強いと言われて育ちました。あれこれ手を出すのは苦手で、少しのことをずっと続けるのが性にあっています。ついでに言えば、この服装もどこに行くときも同じです。


草原で調査をする
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