【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

ストライキの思い出

2018-09-30 08:26:00 | Weblog

 私が子供時代に、父親が「今日はストライキだ」と言いながらネクタイを結んでいたことがあります。「ストライキだったら、休みじゃないの?」と聞くと、「近くの喫茶店で待機していて、組合が『スト中止』と言った瞬間に出勤するんだ」と。そのときはそんなものかと思いましたが、「中止」が折り込み済みのストライキって、何だったんでしょうねえ。
 そういえば当時の国鉄では「スト権スト」なんて言語的に変なこともやってましたっけ。

【ただいま読書中】『オフサイドの自由主義 ──ドイツ労働組合の初めての闘い』太田和宏 著、 ミネルヴァ書房、2001年、3200円(税別)

 1868年ドイツで全国的な労働運動が始まりました。労働者の要求は、待遇改善や労働組合結成を認めること。そしてその「最初の沸騰」として、69年12月〜70年1月、ヴァルデンブルク(現ポーランド)の炭鉱で炭坑夫8000人中7000人が参加した大ストライキがおこなわれました。本書はその「事件」についての研究です。
 ドイツの労働運動は「社会主義系」と「リベラル系」の二系統がありました。「戦闘的に社会改革を志向」と「穏健で自助重視」の両者は相容れず、ドイツの労働運動は最初から対立を内包して発展することになります。1845年のプロイセン法では「労使ともに団結行為は禁止」とされていました。この法律は69年に廃止されますが、労働組合は政治団体とみなされ「結社法」で規制されることになりました。ともかく労働組合が法的に許可されると、ドイツ全体で、各職種・各地域に組合が続々と結成されました。その全国組織も作られましたが、最初の一年ではリベラル系の方が社会主義系の組織力を圧倒していました。
 労働者は高揚します。これまでは個々に分断されて蔑まれていたのが、集団になることによって初めて「声」を上げることができるようになったのですから。さらに「ストライキ」という武器があることも彼らは初めて知ります。知ったら使いたくなります。さらに、経営者側は強硬な態度を崩さず、それに対する怒りから労働者側はますます「武器」を使いたくなります。
 ちなみに当時のフランスには労働組合は存在しませんでしたが、それでもストライキが頻発していました。個人主義や革命の“伝統"が機能していたのかもしれません。イギリスのストライキは「リベラル派のやり方」でした。国によって「ストライキ」もさまざまです。
 炭鉱の雇用主は「スト通告」を一蹴します。政府と軍と警察が自分たちのバックにいるのだ、ストができるものならやってみろ、容赦しないぞ、と。さらに「スト参加者だけではなくて、その家族も、共済組合の無料診療は受けられなくなる」と“外堀"を埋めます。
 政府は口では中立を唱えますが、行動は露骨に雇用主側です。さらに「政府はストに関して何の権限もない」とまで言い逃れます。官僚の言動は、時代を超えて共通のようです。
 社会主義陣営にとって労働組合は「政治目的のための方便」でした。ヴァルデンブルクの鉱夫運動にオルグを送り込んではいましたが、影響力を発揮するのには失敗。そこで安全なところからよそよそしくこのストライキを見守ることになります。政治的に利用できることがあったらすぐに利用する気満々で。
 だらだらとストライキが続き、石炭が入手できなくなった工場は困ります。労働組合は、資金が枯渇してきて困ります。ついに組合は音を上げ、ストライキは終息(消滅)します。
 凱歌を上げたのは雇用主側ですが、同時に「リベラル系の組合でヴァルデンブルクとは違う派閥」と「社会主義系の人たち」も勝ち誇りました。「自分の手柄」ではないのに「他人の不幸は蜜の味」だったようです。ともかく「ドイツで最初の大ストライキ」は「失敗」に記録され、それ以降の労働運動に影響を与え続けることになります。また、同時期に勃発した普仏戦争も、労働運動の足を引っ張ることになりました。
 歴史に「もし」はありませんが、もしもこのストライキが「成功」していたら、リベラルが力を持つことで社会主義の高まりは押さえられ、もしかしたら結果としてヒトラーの台頭はなかったかもしれません。いやあ、歴史は複雑です。


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優勝者への質問

2018-09-29 06:51:34 | Weblog

 たとえばプロテニスの錦織選手が全英とか全米とかのグランドスラムのどれかの大会に優勝したとして、そのときの優勝インタビューでマスコミの人たちは相手を子供扱いしたような「日本に帰ったら何が食べたいですか?」とか聞いて全世界に配信するのでしょうか?
 するとしたら、その質問の目的は?
 しないとしたら、大坂選手にして錦織選手にしない理由は?

【ただいま読書中】『応天の門(8)』灰原薬 作、新潮社、2017年、580円(税別)

 貴族同士の暗闘だの命のやり取りだの、最近はちょっと重くて暗い話題が続いていましたが、本巻では初心に返ったように「謎解き」となります。都に頻発する盗人の手口についてとか、大学寮での不審火とか。謎解きは明快です。
 ただし、どちらも菅原道真少年の「本性」に迫るエピソードでもあり、道真自身にとっては貴族の権力闘争よりももっと重くて暗い話になっているかもしれません。「自分がいかなる人間か」について「自認」と「他者からの認識」に大きなギャップがあることを道真は続けて突きつけられ、さらに「自分がなぜ学問をするのか」についてもきちんと向き合うことを道真は強いられることになるのです。
 これは重い。
 以前の道真だったら「こんなときには、馬鹿の方が気楽に生きられる」とでも言うでしょう。ただ、少年は成長をしています。「それ」が幸せかどうかわからなくなっています。「馬鹿の幸せ」もまた多くのものを犠牲にした上に成り立っているのですから。



美味い鰻

2018-09-28 07:32:40 | Weblog

 私は鰻が好きです。最近は絶滅が心配なので食べないようにしていますが、それでもあの味は時々思い出します。
 ただ、鰻って本当に「美味い魚」でしたっけ? 本当にそれ自体が美味しいのなら、蒲焼きや白焼き以外の料理法(刺身、湯引き、焼、煮など)ももっと盛んにおこなわれて良いのでは?
 世間で「美味い美味い」と喜んで鰻を食べている人たちって、「鰻」を味わっています? それとも蒲焼きの美味さを? それともまさか、蒲焼きのたれの味を?

【ただいま読書中】『刀の明治維新 ──「帯刀」は武士の特権か?』尾脇秀和 著、 吉川弘文館、2018年、1800円(税別)

 「「帯刀」は武士の特権か?」とタイトルにありますが、もちろんその答えは「ノー」です。「刀狩り」「苗字帯刀が許される」「新撰組」などを思い出すだけで、武士以外が帯刀していたことは明らかですから。私が知っているだけで、江戸時代に旅をするときに町人が脇差しを差す慣習がありますし、伊勢の御師(おんし)は百姓だけど両刀を帯びていました。私たちは「帯刀」=「侍」とつい思ってしまいがちですが、江戸時代の人は、丁髷や仕草や歩き方、言葉などの違いから、武士と町人(百姓)の区別は「帯刀」とは無関係にほぼ自動的にできていたはずです。
 なんてことを思いながら本を開くと、初っ端で「旅姿」や「伊勢の御師」が登場して、私は自分の確信を強めます。
 平安時代末期の「刀」は、帯に差すものではなくて、「佩く」(刃を地面に向けてぶら下げる)ものでした。腰刀(短い直刀)は帯に差します。合戦の時にはこの両刀を装備しますが、当時の武士のシンボルは「弓」でした(だから「弓取り」が武士の尊称になります)。平時の直垂姿では太刀は太刀持ちに持たせ、武士は腰刀だけを装備していました。鎌倉時代末期頃から、合戦では集団戦が重視されるようになり、そこで「打物(=刀)」の重要性が増します。そこで登場したのが「打刀」。それまでの太刀より短く反りが浅く、佩くのではなくて腰刀のかわりに差して装備しました。戦国時代には「佩く刀」と「差す刀」が混在していました。
 戦国時代には、村人も刀を普通に所持していました(「武器」としての意味と「成人の証」の意味があったそうです)。豊臣政権の刀狩りによって村では一時刀・脇差しが姿を消します。しかし徳川政権は刀狩りをおこないませんでした。当然のように農村では刀が復活していました。
 江戸時代には「刀」は「武器」から「ファッション」になります。その例が「金銀こしらえの刀」や「棒のやうなる刀」の流行です。わざわざ刀の反りを真っ直ぐに改造したものが流行ったというのですが、これは抜きにくいし致命傷も与えにくいのではないかなあ。だから「ファッション」なのですが。この「棒のやうなる刀」は庶民も差していました。幕府は「町人は江戸市中での帯刀は禁止、ただし旅立ち・火事は例外とする」という町触を寛文八年(1668)に出しています。ついでに「(江戸の三大祭りの一つ)山王権現の祭礼に町人は帯刀で参加するべし」という町触も。逆に言えば、江戸以外では町人の帯刀は自由、ということです。しかし天和三年(1683)に「町人の帯刀は一切禁止」令が出されます。それも江戸だけではなくて諸大名にも同じ規制が課せられました。ここで「刀」は「ファッション」ではなくて「武器」として扱われています。ただし百姓はお構いなしでした。また町人たちは、「刀ではなくて脇差し」を差すことで幕府の規制に対応しました。「刀」と「脇差し」は江戸時代の人たちには「完全に別物」だったのです(私から見たら、製造法も構造も形も同じだし、サイズも脇差しの方が短いとは言っても「長脇差し」は「刀」と同じにしか見えないんですけどね)。ただ「使わない武器」を常に携行することは少しずつ嫌われ、羽織袴などとセットとなった「礼装」として特別なときだけ脇差しを差す風潮が18世紀半ばから見られるようになります。道中差しも、竹光だったり(「東海道中膝栗毛」の喜多八の脇差しがこれでした)脇差しの形をした隠し財布だったりが登場します。
 享保期に「帯刀は、武士と特別に許可された人間だけの特権」という「身分標識」が働き始めます。幕府は、百姓・町人を表彰するときにこの「特権」を活かすことにしました。現在の勲章みたいなものでしょうか。親孝行や正直に対して「帯刀」という“褒賞"です。
 山伏・医師・神職も江戸時代には慣習として帯刀していました。しかし、「帯刀」が「武士(と特別な人間)の身分標識」になるにつれ、彼らの帯刀意識も変化していきます。自分たちも「武士に準じる存在」と思うようになる人がいたのです。
 しかし、いつまで経っても「帯刀は武士の特権」となる時代になりません。常に「武士と○○」が帯刀をしているのです。特に町人が力をつけた江戸時代後期、幕府からのお役目や賄賂などで帯刀を許可された町人が増加し、江戸市中に帯刀した町人が闊歩するようになります。さらに勝手な帯刀も増え、形態としての身分制度は少しずつなし崩しになっていきます。
 武士にとって「帯刀」は「特権」というよりは「義務」でした。私用の外出でも「身分標識」を外して無腰で出たら罰せられます。盗賊を捕まえるときにも、切り捨てよりも捕縛優先です(そういう規定でした)。ただ、幕末期に治安が悪化すると、「狼藉者」に対しては切り捨てが奨励されるようになりました。幕末期に「刀」が「武器」に戻ったのです。それも「血まみれの武器」に。
 明治になり、平民の苗字自由化が布告され「苗字」は「賞」ではなくなります。ついで「帯刀」もまた「賞」から外されました。それどころか明治政府は帯刀を少しずつ制限していきます。調査をしたところあまりに平民帯刀が多かったため、一挙にではなくて徐々に制限することにしたのでしょうか。各藩(県)に布告を徹底させて、明治四年末までにまず平民帯刀を禁止します。これによって「帯刀ハ官員・華士族ノ本分」(東京日日新聞)となる……ということはここで初めて「帯刀」がある身分の「特権」となったということでしょう。
 ところが官員から「洋服に帯刀していたら不都合がある」と「脱刀願い」が続々と。さらに庶民からは、幕末期の「血まみれの武器」への反感からの「刀は凶器」という意識の高まりが(支配者への反感を「刀」に集中させただけかもしれませんが)。明治六年ころから「切り捨て御免」という不思議な言葉が流行します。江戸時代にはなかったこの言葉は「刀に対する庶民の反感」をストレートに表現したものでした。そして、明治九年「廃刀令」が出されます。これは「(江戸時代の)侍の特権」の廃止、ではなくて「明治になって変質した『帯刀』」の廃止でした。
 「帯刀」と言っても、武装だったりファッションだったり身分標識だったり複雑でした。身分制度もけっこう複雑です。それを整理した明治政府には、大変な苦労があったことでしょう。今のアメリカで銃規制が大問題になっているのも、わかるような気がします。あれが「ファッション」になって「使用しないもの」になれば、それはそれで一つの解決法ではないか、なんてことも思うんですけどね。



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無料の罠

2018-09-27 07:05:43 | Weblog

 「無料で読める」を前面に出している漫画サイトの「無料」が本当かどうか試そうとスマホをタップしたら、リストのトップが「君の膵臓を食べたい」でした。ただし読めるのは1日1話だけ。辛抱強く読みましたよ。ただ、不覚にも途中で一回だけ抜けてしまいましたが。
 仕方ないから、小説の方を最初からきっちり読むことにしました。

【ただいま読書中】『君の膵臓をたべたい』住野よる 著、 双葉社、2015年、1400円(税別)

 衝撃的なタイトルですが、もちろんカニバリズムの話ではありません。
 「難病ものプラス純愛もの」と言えば「世界の中心で、愛を叫ぶ」「ある愛の詩」「巨人の星」「愛と死をみつめて」などいくらでも私は思い出せます。
 著者もそれは先刻ご承知で、ちゃんとスカしてくれます。そもそも、「純愛もの」ではありません。「ボーイミーツガール」だけど……二人は恋には落ちないのです。いや、待てよ、二人の関係は本当に純粋な「純愛」と言っても良いかな? たとえ二人がはずみで肉体関係を持ったとしても、魂のあり方は究極の「純愛」のような気がします。(アラベールとエロイーズでしたっけ、二人の間に子供ができても「純愛」を貫こうとしたカップルもいたのを私は連想します)
 ところで2人は高1も高2も同じクラスで、高2になってから突然の「ミーツ」です。二人は「正反対」の存在で、接点はなかったのです。
 まず「彼女」。クラスの人気者(常に「人間関係」の中心に位置)、けっこうな可愛さ(クラスで3番目)、表情はくるくる変わるが基本は笑顔、豪快な笑い声「うわははっ」、全力で進む砕氷船、口は悪い、常にポジティブに考える、望んで「当事者」であろうとする……
 そして「僕」。クラスでは目立たない、教室では常に文庫本を読んでいる、友人はいない(クラスメイトは彼の存在さえほとんど意識していない、本人もクラスメイトのことはほとんどきちんと記憶していない)、人の「熱さ」が苦手、漂う草舟、常に「傍観者」であろうとする……
 こんな「正反対」の二人が「出会い」、そしてそこから物語が始まります。
 そうそう「純愛」関係ですが、彼女は中学校から今まで「彼氏」は3人。最新の彼とはつい最近別れたばかりです。「僕」の方は、友人さえいないのですから、当然恋愛経験はありません。片思いさえまだ未経験。はい、ここも「正反対」です。
 彼女は「膵臓の難病」でした。余命は1年。病名は作中で明らかにされませんが(というか、本書では「固有名詞」はみごとに排除されてます。人名でさえ必要最小限)、焼肉やスイーツの食べ放題を平気で腹一杯ぺろぺろ食べていることから、糖尿病や膵炎や膵癌などではないのでしょう。ただ「病名」は実は問題ではありません。「彼女の余命(命が明確に限られていること)」が問題です。彼女は言います。医者は「真実」は与えてくれるが、それだけ。家族は彼女の死を受け入れ「日常」を取り繕うのに必死。友人たちに「真実」を告げたら「日常」が失われる。だけど【仲のいいクラスメイト】くんは(人間関係に独特のポジションを取っているから)「真実と日常」の両方を与えてくれそうだ、と。(あ、「僕」の本名は最後に明かされますが、それまでは【地味なクラスメイト】【目立たないクラスメイト】【仲のいいクラスメイト】【根暗そうなクラスメイト】【仲良し】などと【××】で表記されます)
 まだ17歳。彼女が自分の死を受け入れることなど簡単にできるわけがありません(71歳ならできるか、と言えばそれも簡単にできるわけはないでしょうけれど、ね)。そして、いくら希薄な人間関係が得意な「僕」であっても、「人の死」をそう簡単に直視することはできません。だけど、戸惑いながら「僕」は彼女の人生に寄り添うことにします。というか、騒々しく巻き込まれた、と言った方が正解かもしれません。ほら、「全力で進む砕氷船」vs「漂う草舟」ですから。
 二人の会話は、傍目には時に容赦なくしかし非常にコミカルなものですが、「本当には相手を傷つけない」ための努力と技巧が込められています。
 そして、少しずつ「僕」は変容していきます。それはまず読者に示され、それから「僕」が気づいていきます。その過程が丁寧に描写されますが、そのとき示される「僕」が感じる戸惑い、がなかなかリアルです。ただその時の彼女の心の動きはなかなか明かされません。語り手の「僕」はそういった人の心の機微には初心ですから、手がかりが明示されていてもそれを解析する知識と経験が圧倒的に足りないのです。読者はその「僕」をフィルターとして彼女を推測するしかありません。
 私は突然、自分の青春時代を思い出します。私も「僕」と同様本の虫で同じく図書委員をやっていて、「僕」ほどではないにしてもクラスの人間関係の外れに位置する人間でした。で、戸惑うのが、自分に向けられる敵意。「ぼくのことをほとんど知らないのに、どうしてそんなに熱心に嫌えるんだろう?」と不思議でなりませんでした。さらに戸惑うのが自分に向けられる好意。「こんな変な人間を、どうして好きになれるんだろう?」。思えば私も自分に自信が無く自分自身が好きではなかったのかもしれません。
 普通の形での愛でもなく友情でもない二人の関係は、意外な形で終わりを迎えます。そしてそこで、「僕」は自分の名前を取り戻し、彼女がなぜ自分に接近してきたのか、真の理由を知ります。これは私にも衝撃でした。青春時代に私が本書を読んでいたら、人の見方が変わり、そして自分の未来(今の私の現在)が変わったかもしれません。


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見えてます?

2018-09-26 06:40:09 | Weblog

 「虹は七色」とよく言いますが、みなさん、肉眼で本当にそう見えてます? 拡大写真をじっくり見つめたら「7色」に分けることは可能ですが、実際に空にあるものを見たとき、私には4色、せいぜい5色にしか見えないのですが。

【ただいま読書中】『星界の報告』ガリレオ・ガリレイ 著、 伊藤和行 訳、 講談社(講談社学術文庫)、2017年、600円(税別)
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 「オランダで『覗き眼鏡』が製作された」という噂を聞き、著者は自分でも作ってみることにしました。レンズは職人に磨かせただけではなくて、自分でも磨き、数箇月で「9倍」ついで「20倍」という、当時の世界では驚異的な倍率の「覗き眼鏡(望遠鏡)」を作り出してしまいます。そしてそれで空を眺めたら何が見えたかという「報告」が本書です。本書で「見えたもの」は4つ。
 1)月
 天動説の世界では「空」は「天使や神の領域」でした。当然そこに「傷もの」は存在するわけがありません。ところが著者が見た月には明らかな「クレーター」などが存在していました。
 2)恒星
 肉眼的に当時の夜空は1等星〜6等星で占められていて、それが結ばれて「星図」を作っていました。ところが著者は「もっとたくさんの星」を山ほど発見してしまいます。暗くて肉眼では見えにくかっただけで、望遠鏡で拡大したら空は星で満ちていたのです。
 3)天の川や星雲
 英語で天の川は「Milky Way」と呼ばれていましたが、つまりは濁った液体か雲が天球に貼りついているものと認識されていました。星雲も名前のとおり「雲」です。ところが著者はそれらが「非常に小さな恒星」が多数密集しているものであることを発見しました。
 4)木星
 木星を観測しているとき、著者は木星の近傍にも「小さな恒星」を4つ見つけたと思いました。ところが観測を続けると、その「小さな恒星」が木星から離れず、規則的にその位置を変えていることに気づきます。1610年1月7日〜3月2日までの観測で著者は「4つの星」は「木星の周囲を回転している(地球に対する月のような)衛星である」ことを確信します。さらに木星に近いものほど速く回転していることもつきとめます。これは、太陽に対する惑星群と同じ力学法則でそれらの星が木星に対して動いていることを示しています。

 本書はここで終わります。
 私たちにとって、銀河が星の集合であることは「常識」です。「木星の衛星」は4つではなくて数十個あることも知っています。ただそういった「常識」や「知識」は、ガリレオ・ガリレイが「出発点」なのです。もしも私がそういった知識を奪われ、その代わりに「20倍の望遠鏡」を与えられたら、はたしてガリレオ・ガリレイと同じ「発見」ができるかどうか、自信はありません、というか、発見できないだろうことに自信があります。だってひょいと夜空を見上げて「あれが木星」と言えませんもの。



三すくみ?

2018-09-25 06:59:14 | Weblog

 世間ではふつう「失敗」より「成功」の方が高く評価されます。しかし「努力無しの成功」は「単にラッキーだっただけ」とむしろ否定的に扱われます。しかし「努力」は「失敗」するから必要になるものです。すると「努力の末の成功(失敗だらけの人生)」を「努力無しの成功(失敗の無い人生)」の下に置くべきなのでしょうか?

【ただいま読書中】『地球がもし100cmの球だったら』永井智哉 著、 木野鳥乎 絵、日本科学未来館 協力、世界文化社、2002年、900円(税別)

 タイトル通り「地球がもし直径100cmの球だったら」という仮定で「地球」を眺めてみましょう。そうしたら……
 「地球」は両手で持てる大きさです。表面は意外なほど滑らかです。富士山の高さはわずか0.3mm、エベレストでも0.7mm。大気の厚みはわずか1mmです。国際宇宙ステーションは地表から3cmの所をぶんぶん周回しています。海の深さは平均で0.3mm。海水の量は660ml、淡水は17mlですが、そのうち12mlは氷の形で保存されています。
 空気の厚みが恐ろしいほど薄いことに私は驚きます。大気汚染や地球温暖化ガスの放出が地球環境に深刻な影響を来しやすい意味が「目に見え」ます。
 熱帯雨林の面積は30cm×30cm。そこから1年間で大体3cm×3cmの面積(日本全体の40%に相当)が、開発や破壊で失われています。
 私たちは「自分の感覚」で捉えられないものは、ついつい「無限にあるもの」と勘違いしがちです。しかし、地球を「自分の感覚で捉えられる大きさ」に縮小することで、「地球で何が問題なのか」がわかりやすくなりました。わかったら、次は何をすれば良いのでしょう?



墓地の片付け

2018-09-24 09:00:34 | Weblog

 地震や土砂崩れで、墓地が大きな被害を受けることがあります。その片付けもまた大変でしょうが、「自分がここに入ることにならなくてよかった」と思えばその辛さも少しは楽にはならないでしょうか。

【ただいま読書中】『アルカイダから古文書を守った図書館員』ジョシュア・ハマー 著、 梶山あゆみ 訳、 紀伊國屋書店、2017年、2100円(税別)

 西アフリカのマリ共和国の北部は「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」に占領されていました。そこに含まれるトンブクトゥには「秘宝」が隠されていました。AQIMが口では「大切にする」と言いながら実は破壊したがっている、過去数百年にわたる古文書です。かつて「暗黒大陸の住人はみな文盲で野蛮」がヨーロッパの通説でした。しかしそれに対する具体的な反証がこれらの古文書です。17歳で父を失ったアブデル・カデル・ハイダラは、父の遺品である数万冊の古文書の管理者に指名されました。
 砂漠の往来と河の往来が交叉する交通の要所であるトンブクトゥは、学問の都でもありました。16世紀初め、後に偉大な旅行者になるレオ・アフリカヌスはトンブクトゥを訪問して、10万人の人口の1/4が各地から集まった学生で学問が隆盛をきわめていること、市場で写本が盛んに取り引きされていることなどに強い印象を受けました。本の内容は豊かです。ファトワ(イスラム法の判断)からはトンブクトゥ社会が進歩的であったことがわかります。また、天文学、医学、倫理、占星術、魔術、性生活などの豊富な文献から、豊かな文化が栄えていたことも。写本自体も「文化」でした。複雑な飾り文字が駆使され、顔料や金箔によって色鮮やかな装飾が施されました。
 ただ、交通の要所は「寛容で開かれたイスラム」と「頑なで暴力的なイスラム」の交差点でもありました。そしてトンブクトゥの支配者は、モロッコ、トゥアレグ族、フラニ族、フランスなど次々変わります。支配者が変わるたびに図書館は略奪され、愛書家は用心深くなり、蔵書を秘蔵するようになりました。
 アブデル・カデル・ハイダラはそういった「家宝として秘蔵されている古文書を分けてもらって整理記録保存すること」を「仕事」とします。しかし「闇商人」「フランスの手先」などと疑われてなかなか収集ができません。「ユネスコに後援された古書保存計画」という言葉は、人々の心に響かなかったのです。アブデル・カデルは、傲慢な前任者たちとは違う路線(正直、公正、根気強さ、相手の言葉を使う、など)によって、前任者8人が10年かけて集めたのと同じ数の本を1年で入手します。9年間で1万6500冊の古文書を集めますが、そこで困ったのが、父親から相続した数万冊の本です。家族の誓いで「手放さない」としていたため寄付ができません。そこでハイダラは私設図書館を作ることにします。リビアのカダフィが「言い値で買う」と提案してきたのも即座に断ります。しかしマリで前例がない個人図書館を、どうやって建設したら?
 そこで登場するのが「アフリカは未開で野蛮で歴史を欠き文盲が支配する地」という「真実」に疑念を持ったアメリカ人ゲイツ。ゲイツとハイダラのやり取りは、一幕もの(あるいは二幕もの)の笑劇ですが、ともかく「マンマ・ハイダラ記念図書館」がオープンします。
 トゥアレグ族はマリ政府軍に武装蜂起を繰り返していました。そのためトンブクトゥは外界から孤立しがちとなります。やっと停戦協定が結ばれ、トンブクトゥで平和の果実が実り始めた頃、マリ北部ではイスラム過激派が活動を活発にしていました。アフガニスタンを追われたアルカイダは、イエメンとサハラ砂漠西部に逃げ込んでいたのです。マリ北部には貧困と怒りが満ちていましたがマリ政府は「崩壊国家」となっていて、テロリストには「よい場所」でした。2011年に「ジャスミン革命」。独裁者たちが倒されましたが、大きな混乱ももたらされました。その混沌の中で、マリでは、宗教色のない独立国樹立を目指すトゥアレグ族の反乱軍の中から、イスラム原理主義者に接近する兵士が多数でます。彼らには宗教よりも勝利の方が重要だったのです。政府軍は崩壊、AQIMは破竹の勢いで進軍し、トンブクトゥも占領し、略奪と破壊の限りを尽くします。ハイダラは絶望します。きっと奴らは図書館(ハイダラの尽力などにより、トンブクトゥには45もの図書館ができていました)にも侵入し、すべてを破壊するに違いない。では、どうすれば?
 占領者が好きなのは、侮辱と禁止と鞭打ち刑でした。イスラム社会では尊敬の対象である年長の導師でさえ、例外とはされません。戦前の日本で「天皇」を口実に好き放題やっていた人たちのお仲間のようです。実際、やっていることは特高と差がないな。しかし、祈りの時に、ライフルを持ったままモスクに入り土足で絨毯に上がるとは……非イスラムの私でも、それが間違った行動であることはわかりまっせ。それは野蛮人の行為で、しかも彼らはトンブクトゥの慣習や文化をせっせと破壊しています。だったら古文書も平気で破壊するでしょう。それは「美」と「知性」と「理性」が結晶したものでありその内容は「科学と宗教が共存する多面的で寛容な社会」を示していました。もちろんどれも野蛮なテロリストにとっては「敵」です。
 ハイダラと同志は「分散と隠匿」を企図します。図書館に集まる前の本はそれぞれあちこちに分散して隠匿されていました。それを(もう少し秩序だった形で)再現しようというのです。しかし、そんな行為が発見されたら、明白な「反逆」ですから、下手したら命にかかわります。しかしやる人たちはやるのです。トンブクトゥの占領が解けてから著者は入市し、話を聞きますが、砂漠にまだテロリストが潜伏している状況では、人々の口はとても固かったそうです。それでも話してくれた人たちの話の内容は、本当に戦慄すべきものです。テロリストに占領された町で、テロリストにたてつく人たちの勇気と行動は、一体どこから湧き上がってきたものなのでしょうか? 文化を暴力的に破壊する行為は、時に圧倒的です。しかしそれでも「文化を守りたいという意志」を破壊することはとても難しいものだったようです。
 暗黒大陸と言われたアフリカにも文化と歴史があること(暗黒大陸と言いたい人たちは、奴隷貿易を正当化したかっただけかもしれません)、イスラム教徒にもいろいろな人がいること(それは他の宗教でも同じことでしょう)、他文化が共存することは可能であること、など、さまざまなことが本書に描かれています。それと、テロリストがどうして成長できるのか、についても貴重なヒントが本書にあるように私には思えました。もしかしたら、テロリストを詳しく知らずに全否定する態度は、かつてアフリカを「暗黒大陸」と決めつけていた人の態度と、とても似ているのかもしれません。



一強のおごり

2018-09-23 21:35:29 | Weblog

 自民党総裁選挙や政治のあり方について、朝日新聞が安倍さんを批判していました。だけど、この批判って、なんのため? 「おごる人間」には批判は届きません(届かないからこそおごりが生じます)。「おごらない人間」には批判は届きますが「おごらない人間」に「おごってはならない」は真っ当な批判ではありません。さらに、マスコミは「第4の権力」なのですから「政治家がおごってしまった」は「マスコミの罪」でもあります。もしかして、マスコミもおごってしまっているのかな? マスコミを批判してそれで態度を改めさせる存在って、ありましたっけ?

【ただいま読書中】『死体は嘘をつかない ──全米トップ検死医が語る死と真実』ヴィンセント・ディ・マイオ、ロン・フランセル 著、 満園真木 訳、 東京創元社、2018年、2500円(税別)

 法医学はパズルだ、と序文で高らかな宣言が為されてから本書は始まります。短くたたみかけるような文章のキレの良さが快感です。たったったと早足で進んだかと思うと急転回、そこで瞬時も立ち止まらず著者はまた早足直進を続けます。
 日本の法医学者にも本書と同様の「パズルを解く」本がいくつもあります。ただ本書の特徴は、著者の意志の強さ、「正義」(公正な真実に基づいて行動すること)についての意識が常に見えること、それと、日本の本ではお目にかかったことがない「死体の写真(それも解剖台の上に乗せられた“きれいな死体"ではなくて、殺害現場での生々しいもの)」が掲載されていることです。
 アメリカでは地域によって「検死官制度」か「検死医制度」のどちらかが採用されています。検死官は選挙で選ばれた素人で専門訓練は受けていません。だから著者はそちらには否定的な態度です。「選挙に勝つ」ことと「死体から科学的に情報を得る」とはまったく別の話ですから。
 著者が解剖をして死因を特定したことから、全米に大きな波紋が広がった事件が次々紹介されます。非常に大きな「パズル」です。ちょっとユニークなのが「リー・ハーヴェイ・オズワルド」。彼がソ連に亡命中にそっくりさんとすり替えられていたのではないか、という疑惑を解明するために、1981年に墓を掘って遺体を再解剖することになりました。その担当に著者が指名されたのです。
 日本まで名前が届いていない人(の死体)にも、重要な意味があります。そして著者は次々と「パズル」を解いていきます。ただ「パズル」として提示されるから解くことができますが、「自然死」とか「明らかな自殺」として片付けられていて「パズル」にされない事件も多いはず。そのことに著者は苛立ちを隠しません。アメリカでは死因に疑念がある人が5人に1人なのに、それがそのまま事件ではなかったことにされている、と。著者はただ真実を告げようとします。ただその真実が「満足のいくもの」とは限らないことが、困ったものではあるのですが。
 テレビドラマの「CSI」や「NCIS」では、法医学者の仕事はけっこうすっきりしています。ちゃちゃっと解剖して、あるいは現場を見ただけで「死亡推定時刻は6時30分、死因は○○に見えるが本当は××」と断言できます。だけどそれはドラマだから。現実はなかなかすっきりしません。さらに、すっきりとスジをつけた説明ができたとしても、それを聞いた事件の関係者やマスコミや裁判官や陪審員が、すっきりと受け取るとは限りません。特に対立する側の弁護士は、あらゆる手を使って著者を攻撃してきます。とっても不愉快だろうな、と私には思えます。真実(のかけら)を見た人が、そんなものを見ようともしない人間に「お前はものを知らない」と攻撃されるのですから。
 凄惨な事件が次々登場しますが、最後の章は「フィンセント・ファン・ゴッホ」です。彼の自殺の真相を巡って、なぜ著者に電話がかかってくることになったのか、そしてその結果がどうなったか、「歴史ミステリー」もどうかお楽しみください。



人類はどこに向かっているのか?

2018-09-22 07:04:14 | Weblog

 「不動の大地」と言いますが、地球は自転しているから動いています。その速度は赤道付近が一番速くて時速1674km。地球は太陽の周りを公転していますが、その速度は時速10万8千km(秒速30km)。太陽系自体は銀河の中を移動していますが、その速度は時速86万4千km。
 これらを全部足し合わせると、私たちはとんでもない速度で移動しつづけていることになります。もっとも光速は秒速30万kmだし宇宙は広大だから、“誤差の範囲内"とも言えるのですが。

【ただいま読書中】『銀河Ⅱ』祖父江義明・有本信雄・家正則 編、日本評論社、2007年(18年2版)、2800円(税別)

 2006年から「最新の研究成果を伝えよう」と「シリーズ現代の天文学」が始まりました。本書はそのシリーズの第5巻『銀河Ⅱ』として出版されましたが、それ以後も天文学の進歩は止まらず、現時点での「最新の知見」を紹介するために第2版が出版されました。
 『星界の報告』(1610年)でガリレオ・ガリレイは「天の川に望遠鏡を向けると、無数の星が見えた」と報告しました。紀元前5世紀にデモクリトスが述べた推論が、望遠鏡によって確認されたのです。カントは思考の世界で「天の川はある中心の回りに回転する恒星の集団(島宇宙)で、その外側にはまた別の島宇宙がある」と着想します。その後詳しい光学観測によって銀河の形・大きさ・星の分布や運動についてわかってきます。そこに電波観測が新しい知見をもたらします。
 「銀河の中心」については「巨大ブラックホールがある」とよくSFで描かれますが、実際に数千万kmのブラックホールや、数百光年の大きさの中心核円盤や宇宙ジェットなどで、“沸騰"しているそうです。「pc(パーセク=3.26光年)」や「kpc」の単位が平然と使われているのですが、なんだかでかすぎてイメージが全然浮かびません。こういった姿は赤外線・X線・ガンマ線などで“見る"ことでわかってきたそうです。となると、将来ニュートリノや重力波が観測に使えるようになったら、さらに別の姿が見えるようになるのかもしれません。
 それぞれの星の固有の運動速度や方向を決定することで、銀河がどのように形成されたのかの論争がおこなわれています。なんでも「急激な収縮」と「ゆっくりした収縮」の二つの説が争っているのだそうです。地球から一歩も出ずにどうしてそこまでわかるのか(わかったと思えるのか)、私には不思議でなりません。人間の知性の働きは、謎です。
 恒星は生命が尽きるとその内部で生成した重金属を宇宙に放出します。銀河は進歩していますが、その過程を重金属の分布によって知ることが可能です。これを「銀河の化学的進化」と呼ぶそうです。そして、一つ一つの銀河に天文学者は「運動」と「化学組成」でそれぞれの「タグ」をつけて分類しています。生物学の分類と同じような発想です。
 こうしてみると、私たちの太陽系が銀河の中心からずいぶん外れたところに位置していたのは、観測のためには幸いでした。もし中心に近かったら視野が相当妨害されていたでしょうから。僻地には僻地の利点があるようです。



新しい靴古い靴

2018-09-21 07:04:18 | Weblog

 一見ビジネスシューズに見えて実はウォーキングシューズ、というものを私は愛用しています。2足を一日交替で履いて週末はどちらも休ませる、というスケジュールで7年以上履いたら、さすがに修理がきかないくらいくたびれてきたのでこの前買い換えました。そうしたら、新しくて革がかっちりしているものを履くと靴の方が「こうやって歩け」と私の足に指示をしてくれます。これまで慣れている靴は足に寄り添ってくれてどんな歩き方でも受け入れてくれる、という感じなのに、たぶんこの靴も新しいときには私にいろいろ指示をしていたのでしょうね。なんだか「歩く」が毎日新鮮な気分です。

【ただいま読書中】『究極の靴磨き』Begin & Men's Ex 特別編集、世界文化社、2018年、1300円(税別)

 プロの靴磨きの人のテクニックはすごい、と思いますが、日々の手入れをずっとプロに任せるわけにもいきません。だから自分でもできることをしなさい、という本です。
 靴の種類(革の種類、製造法)によって手入れは違う、と言われた瞬間、私はくじけそうになります。先は長いぞ、と。
 ブラシは4種類。硬い豚毛はクリームを使うときに、毛先が柔らかい馬毛は埃を払うため。山羊毛は柔らかいので鏡面磨きをしたあとのデイリーケアに。スエードにはスエード専用ブラシ。あああ、知識が頭からこぼれおちる
 「1分で光らせる」「5分でツヤを出す」あたりはなんとかできそうですが「30分で鏡面磨きを完成させる」はプロに任せたくなります。ところがこの上に「上級者向けの磨きを極める」なんてものが待っています。
 毎日使えば靴にはトラブルが生じます。「キズ」「カビ」「塩吹き」「クレーター(濡れたあとに革の表面がぼこぼこになった状態)」「シミ」など、さまざまなツールを駆使して靴を救うことができるそうです。
 「足許を見る」なんてことばがありますが、私は肝腎の「自分の足許」を見ていなかったかもしれません。これからはちょっと意識するようにします。


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