【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

敬老の日に思うこと

2022-09-19 17:06:11 | Weblog

 高齢者の就労率がどんどん上がっているそうです。その記事を読んでいると、「人手不足だから」とか「日本人は勤労意欲が高いから」などの理由が挙げられていますが、これ、根拠はなんでしょう? ちゃんと「高齢者自身」に聞いたのかな? もしかしたら「年金では食っていけない」がトップの理由ではないか、と思いますが、これも私の想像でしかありません。だから実際にアンケートしたらわかるんじゃないかしら?

【ただいま読書中】『嫌われた監督 ──落合博満は中日をどう変えたのか』鈴木忠平 著、 文藝春秋、2021年、1900円(税別)

 現役時代に3度の三冠王を獲得したとんでもない選手だった落合博満は、2004年から7年間中日ドラゴンズの監督を務めました。本書は「落合が監督になるらしい」という噂が囁かれるようになったところから始まります。
 日刊スポーツで中日の担当記者(一番の下っ端で落ちこぼれ気味)をしていた著者は、スポーツ記者たちが「落合のすごさ」ではなくて「おれは落合が嫌いだ」と熱心に語ることに違和感を感じます。
 担当記者として落合につきまとうことになった著者は、落合がそういった「個人的感情」から敢えて距離を置くことで「野球に没入している(だからすごい成績が上げられる)」ことと、感情を排するからこそ他人の共感も理解も得られず嫌われることになる(だけど落合はそのことを気にしていないので、他人は「自分がこんなに嫌っているのに、無視された」とさらに嫌うことになる)ことに気づきます。
 では、落合自身は、実際にはどう感じているのか? 興味を持った著者は、他人の評価を無批判に受け入れるのではなくて、まず落合の言葉に耳を傾け、彼の行動を観察し、自分の頭で考えることから始めます。
 本書を読んでいて思うのは「すれ違い」です。人々は落合に「自分が慣れ親しんでいる予定調和」を求めます。しかし落合は「守破離の『守』を否定し『破』と『離』によって野球選手としての“自分"を確立した」という思い(自負)があります。つまり最初から話はすれ違っている。そこで人々は落合を否定します。ところが落合は実績によってその否定を否定してしまう。そこではじめて人は落合に質問をします。ところがその質問は「予定調和」の世界に立脚しているから、落合には答えようがない。ほとんど外国語で質問された気分でしょう。言葉自体が違うし、その言葉が拠って立つ文化も違うのです。だから落合は、答えるにしてもシンプルな単語を返すことができるだけです。あるいは「単純な行動(たとえば観察)」を求める。ところがそれを聞いた人は相変わらず「予定調和」で理解するものだから、結局落合の真意は伝わりません。
 つまり、壮大な「すれ違いの世界」が構築されているのです。
 ここで人々は、落合をやはり否定するか、あるいは落合に「変わる(こちらの世界にやって来る)」ことを要求します。「自分の常識は正しい(正義である)」と自信を持つ人々は、自分と話が合わない人に問題がある、と思うものです。
 でも、「すれ違い」を解消するためには、もう一つ手があります。落合に変わることを求めるのではなくて、自分が変わる。実際に、(「落合が嫌い」という感情は脇に置いておいて)落合の言葉を実践した(そしてそれで成長した)選手がいることが本書では紹介されています。
 落合監督は「チームの勝利」を最優先にします。序列や上下関係とか一か八かの勝負とか男のロマンとか偉業とか、そういったものはすべて二の次。それは毎試合表現されていたのですが、極端にわかりやすく表現されたのが2007年の日本シリーズでしょう。日本ハムに対して3勝1敗で迎えた第5戦、これに勝てば日本一!という大切な試合。山井投手がパーフェクトピッチングで8回を投げきったのに、9回頭で投手交代、絶対的なリリーフエースの岩瀬を投入した采配に対して、賛否両論、というか、ほとんどが否定と落合に対する非難でした。しかし、著者が落合から直接聞き出した「投手交代の根拠」は、なんと4年も過去に遡るものだったのです。さらにその回答に著者は「落合はマシンではなくて人間だ。しかし、この勝利で“空っぽ"になっている」と感じます。
 落合は監督として、勝ち続けました。最悪の年でもAクラスを確保しています。ところが人々はそれが気に入りません。「勝ち方が面白くない」と悪口を言い続け、「中日の人気が上がらないのは落合が勝つせいだ」とまで言います。そして球団は「勝ち続けて人件費が高騰したこと」を理由に落合の首を斬ります(というのは正確ではありませんね。契約の更新を拒否した、です)。
 どうしてここまで落合が嫌われるのか。おそらく「日本野球の常識」を落合が平気で否定するからでしょう。でも、勝負の世界で生きる人間が「常識」や「お約束」を守ってばかりいたら、なみ以上の成績は上げられないのでは? ルールの範囲内で相手の意表を突いたら勝つ確率は上がります。
 おそらく「負けたときの言い訳」として「常識」が使われているのでしょうね。「こんな時には○○でしょう? それで負けたのだから仕方ない」と。
 だけど落合は「常識」を無視します。だから負けたときには「自分の決断」が敗因となる。で、勝ったときにはその決断を無視した(評価しなかった)人が負けたときには問題視する。
 いかにも「日本的」といえば言えそうです。
 そういえば「落合が真意を詳しく説明しない」ことを問題視する人も多数いますが、たとえば「落合解任記者会見」のときに球団は「解任の真意」についてまるで説明しませんでした。どっちもどっちでは?
 なお、本書は「落合監督」についての本ですが、同時に「日本プロ野球」の問題点についての本でもあります。また、サイドストーリーとして、著者の変容(成長?)の本でもあります。最初は落合の言葉にどぎまぎするだけだった著者が、最後の頃には(正解かどうかは別として)自分の頭で考え言葉を発するようになっています。それは「どぎまぎするだけ(言葉を発しない)」ことによって無責任の領域に逃げていた著者が、自分の言葉を発することで自分の責任を明確にする態度を示せるようになったことを意味します。ことばって、重いんですよね。
 そういえば落合監督が最重要視したのは「契約書」でしたが、契約書もまた「ことば」で書かれているんでしたね。

 



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