【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

ストライキの思い出

2018-09-30 08:26:00 | Weblog

 私が子供時代に、父親が「今日はストライキだ」と言いながらネクタイを結んでいたことがあります。「ストライキだったら、休みじゃないの?」と聞くと、「近くの喫茶店で待機していて、組合が『スト中止』と言った瞬間に出勤するんだ」と。そのときはそんなものかと思いましたが、「中止」が折り込み済みのストライキって、何だったんでしょうねえ。
 そういえば当時の国鉄では「スト権スト」なんて言語的に変なこともやってましたっけ。

【ただいま読書中】『オフサイドの自由主義 ──ドイツ労働組合の初めての闘い』太田和宏 著、 ミネルヴァ書房、2001年、3200円(税別)

 1868年ドイツで全国的な労働運動が始まりました。労働者の要求は、待遇改善や労働組合結成を認めること。そしてその「最初の沸騰」として、69年12月〜70年1月、ヴァルデンブルク(現ポーランド)の炭鉱で炭坑夫8000人中7000人が参加した大ストライキがおこなわれました。本書はその「事件」についての研究です。
 ドイツの労働運動は「社会主義系」と「リベラル系」の二系統がありました。「戦闘的に社会改革を志向」と「穏健で自助重視」の両者は相容れず、ドイツの労働運動は最初から対立を内包して発展することになります。1845年のプロイセン法では「労使ともに団結行為は禁止」とされていました。この法律は69年に廃止されますが、労働組合は政治団体とみなされ「結社法」で規制されることになりました。ともかく労働組合が法的に許可されると、ドイツ全体で、各職種・各地域に組合が続々と結成されました。その全国組織も作られましたが、最初の一年ではリベラル系の方が社会主義系の組織力を圧倒していました。
 労働者は高揚します。これまでは個々に分断されて蔑まれていたのが、集団になることによって初めて「声」を上げることができるようになったのですから。さらに「ストライキ」という武器があることも彼らは初めて知ります。知ったら使いたくなります。さらに、経営者側は強硬な態度を崩さず、それに対する怒りから労働者側はますます「武器」を使いたくなります。
 ちなみに当時のフランスには労働組合は存在しませんでしたが、それでもストライキが頻発していました。個人主義や革命の“伝統"が機能していたのかもしれません。イギリスのストライキは「リベラル派のやり方」でした。国によって「ストライキ」もさまざまです。
 炭鉱の雇用主は「スト通告」を一蹴します。政府と軍と警察が自分たちのバックにいるのだ、ストができるものならやってみろ、容赦しないぞ、と。さらに「スト参加者だけではなくて、その家族も、共済組合の無料診療は受けられなくなる」と“外堀"を埋めます。
 政府は口では中立を唱えますが、行動は露骨に雇用主側です。さらに「政府はストに関して何の権限もない」とまで言い逃れます。官僚の言動は、時代を超えて共通のようです。
 社会主義陣営にとって労働組合は「政治目的のための方便」でした。ヴァルデンブルクの鉱夫運動にオルグを送り込んではいましたが、影響力を発揮するのには失敗。そこで安全なところからよそよそしくこのストライキを見守ることになります。政治的に利用できることがあったらすぐに利用する気満々で。
 だらだらとストライキが続き、石炭が入手できなくなった工場は困ります。労働組合は、資金が枯渇してきて困ります。ついに組合は音を上げ、ストライキは終息(消滅)します。
 凱歌を上げたのは雇用主側ですが、同時に「リベラル系の組合でヴァルデンブルクとは違う派閥」と「社会主義系の人たち」も勝ち誇りました。「自分の手柄」ではないのに「他人の不幸は蜜の味」だったようです。ともかく「ドイツで最初の大ストライキ」は「失敗」に記録され、それ以降の労働運動に影響を与え続けることになります。また、同時期に勃発した普仏戦争も、労働運動の足を引っ張ることになりました。
 歴史に「もし」はありませんが、もしもこのストライキが「成功」していたら、リベラルが力を持つことで社会主義の高まりは押さえられ、もしかしたら結果としてヒトラーの台頭はなかったかもしれません。いやあ、歴史は複雑です。


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