【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

墓地の片付け

2018-09-24 09:00:34 | Weblog

 地震や土砂崩れで、墓地が大きな被害を受けることがあります。その片付けもまた大変でしょうが、「自分がここに入ることにならなくてよかった」と思えばその辛さも少しは楽にはならないでしょうか。

【ただいま読書中】『アルカイダから古文書を守った図書館員』ジョシュア・ハマー 著、 梶山あゆみ 訳、 紀伊國屋書店、2017年、2100円(税別)

 西アフリカのマリ共和国の北部は「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」に占領されていました。そこに含まれるトンブクトゥには「秘宝」が隠されていました。AQIMが口では「大切にする」と言いながら実は破壊したがっている、過去数百年にわたる古文書です。かつて「暗黒大陸の住人はみな文盲で野蛮」がヨーロッパの通説でした。しかしそれに対する具体的な反証がこれらの古文書です。17歳で父を失ったアブデル・カデル・ハイダラは、父の遺品である数万冊の古文書の管理者に指名されました。
 砂漠の往来と河の往来が交叉する交通の要所であるトンブクトゥは、学問の都でもありました。16世紀初め、後に偉大な旅行者になるレオ・アフリカヌスはトンブクトゥを訪問して、10万人の人口の1/4が各地から集まった学生で学問が隆盛をきわめていること、市場で写本が盛んに取り引きされていることなどに強い印象を受けました。本の内容は豊かです。ファトワ(イスラム法の判断)からはトンブクトゥ社会が進歩的であったことがわかります。また、天文学、医学、倫理、占星術、魔術、性生活などの豊富な文献から、豊かな文化が栄えていたことも。写本自体も「文化」でした。複雑な飾り文字が駆使され、顔料や金箔によって色鮮やかな装飾が施されました。
 ただ、交通の要所は「寛容で開かれたイスラム」と「頑なで暴力的なイスラム」の交差点でもありました。そしてトンブクトゥの支配者は、モロッコ、トゥアレグ族、フラニ族、フランスなど次々変わります。支配者が変わるたびに図書館は略奪され、愛書家は用心深くなり、蔵書を秘蔵するようになりました。
 アブデル・カデル・ハイダラはそういった「家宝として秘蔵されている古文書を分けてもらって整理記録保存すること」を「仕事」とします。しかし「闇商人」「フランスの手先」などと疑われてなかなか収集ができません。「ユネスコに後援された古書保存計画」という言葉は、人々の心に響かなかったのです。アブデル・カデルは、傲慢な前任者たちとは違う路線(正直、公正、根気強さ、相手の言葉を使う、など)によって、前任者8人が10年かけて集めたのと同じ数の本を1年で入手します。9年間で1万6500冊の古文書を集めますが、そこで困ったのが、父親から相続した数万冊の本です。家族の誓いで「手放さない」としていたため寄付ができません。そこでハイダラは私設図書館を作ることにします。リビアのカダフィが「言い値で買う」と提案してきたのも即座に断ります。しかしマリで前例がない個人図書館を、どうやって建設したら?
 そこで登場するのが「アフリカは未開で野蛮で歴史を欠き文盲が支配する地」という「真実」に疑念を持ったアメリカ人ゲイツ。ゲイツとハイダラのやり取りは、一幕もの(あるいは二幕もの)の笑劇ですが、ともかく「マンマ・ハイダラ記念図書館」がオープンします。
 トゥアレグ族はマリ政府軍に武装蜂起を繰り返していました。そのためトンブクトゥは外界から孤立しがちとなります。やっと停戦協定が結ばれ、トンブクトゥで平和の果実が実り始めた頃、マリ北部ではイスラム過激派が活動を活発にしていました。アフガニスタンを追われたアルカイダは、イエメンとサハラ砂漠西部に逃げ込んでいたのです。マリ北部には貧困と怒りが満ちていましたがマリ政府は「崩壊国家」となっていて、テロリストには「よい場所」でした。2011年に「ジャスミン革命」。独裁者たちが倒されましたが、大きな混乱ももたらされました。その混沌の中で、マリでは、宗教色のない独立国樹立を目指すトゥアレグ族の反乱軍の中から、イスラム原理主義者に接近する兵士が多数でます。彼らには宗教よりも勝利の方が重要だったのです。政府軍は崩壊、AQIMは破竹の勢いで進軍し、トンブクトゥも占領し、略奪と破壊の限りを尽くします。ハイダラは絶望します。きっと奴らは図書館(ハイダラの尽力などにより、トンブクトゥには45もの図書館ができていました)にも侵入し、すべてを破壊するに違いない。では、どうすれば?
 占領者が好きなのは、侮辱と禁止と鞭打ち刑でした。イスラム社会では尊敬の対象である年長の導師でさえ、例外とはされません。戦前の日本で「天皇」を口実に好き放題やっていた人たちのお仲間のようです。実際、やっていることは特高と差がないな。しかし、祈りの時に、ライフルを持ったままモスクに入り土足で絨毯に上がるとは……非イスラムの私でも、それが間違った行動であることはわかりまっせ。それは野蛮人の行為で、しかも彼らはトンブクトゥの慣習や文化をせっせと破壊しています。だったら古文書も平気で破壊するでしょう。それは「美」と「知性」と「理性」が結晶したものでありその内容は「科学と宗教が共存する多面的で寛容な社会」を示していました。もちろんどれも野蛮なテロリストにとっては「敵」です。
 ハイダラと同志は「分散と隠匿」を企図します。図書館に集まる前の本はそれぞれあちこちに分散して隠匿されていました。それを(もう少し秩序だった形で)再現しようというのです。しかし、そんな行為が発見されたら、明白な「反逆」ですから、下手したら命にかかわります。しかしやる人たちはやるのです。トンブクトゥの占領が解けてから著者は入市し、話を聞きますが、砂漠にまだテロリストが潜伏している状況では、人々の口はとても固かったそうです。それでも話してくれた人たちの話の内容は、本当に戦慄すべきものです。テロリストに占領された町で、テロリストにたてつく人たちの勇気と行動は、一体どこから湧き上がってきたものなのでしょうか? 文化を暴力的に破壊する行為は、時に圧倒的です。しかしそれでも「文化を守りたいという意志」を破壊することはとても難しいものだったようです。
 暗黒大陸と言われたアフリカにも文化と歴史があること(暗黒大陸と言いたい人たちは、奴隷貿易を正当化したかっただけかもしれません)、イスラム教徒にもいろいろな人がいること(それは他の宗教でも同じことでしょう)、他文化が共存することは可能であること、など、さまざまなことが本書に描かれています。それと、テロリストがどうして成長できるのか、についても貴重なヒントが本書にあるように私には思えました。もしかしたら、テロリストを詳しく知らずに全否定する態度は、かつてアフリカを「暗黒大陸」と決めつけていた人の態度と、とても似ているのかもしれません。