【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

1勝1敗1分け

2018-06-30 06:58:05 | Weblog

 サッカーワールドカップロシア大会で、日本チームは「1勝1敗1分け」で決勝トーナメントに進出しました。負けてもこれだけ褒められるチームは珍しいとは思いますが、ともかく決勝トーナメントですから、めでたい。
 「ワールドカップグループリーグ」「1勝1敗1分け」で私が思い出すのは、日本代表が初めてアジア予選を突破してワールドカップに参加できた1998年フランス大会です。日本が入ったグループHの組み合わせをみてテレビなどでの「予想」の多くが「アルゼンチンにはぼろ負けは仕方ない。だけどクロアチア戦をなんとか引き分けに持ち込めたらジャマイカには勝てるだろうから、1勝1敗1分けで決勝トーナメントにいける」というものだったのに、私はあきれました。だって「勝つ根拠」も「負ける根拠」も示されない、単なる願望だけだったのですから(しかも「1勝1敗1分けなら決勝トーナメント、という根拠も示されていませんでした)。これが「相手のエースの特徴」「相手の監督の得意戦術」「それに対する日本の対策」「他国同士の対戦の結果予想」などを述べた上での「予想」だったらある程度納得できたんですけどね。
 今回「まさかのコロンビア戦勝利」の直後に示された「予想」がちゃんとそういった根拠を示しつつの願望だったのを見ると、日本チームだけではなくて、日本のスポーツマスコミも少しずつですが進歩していることがわかります。善き哉。

【ただいま読書中】『リンドバーグ第二次大戦日記(上)』チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ 著、 新庄哲夫 訳、 新潮社、1974年、1900円

 1938年3月11日、子供たちを英国に残したまま一時アメリカに帰国中だったリンドバーグ夫妻は、ドイツがオーストリアに侵入したことを船内新聞で知ります。イギリスで会ったメルケル氏(ルフトハンザ航空の幹部)は、ドイツが極秘に開発中のフォッケ・ウルフ・ヘリコプターについてもあけすけに語ります。
 フランコはスペインで勝利が間近、ヨーロッパでは戦争が近づく足音が高くなっています。フランスは政情が不安定で革命の気配さえあります。イギリスでは「大英帝国の没落」を著者は肌身に感じます。航空機の軍事利用に著者は強い興味を持ち、その可能性を信じ、スペインと中国での爆撃の成果が小さいことに失望を隠しません。
 リンドバーグ夫妻にとっては「新聞記者」が常に配慮するべき問題です。客船に乗っても、記者がずかずかと船室に押しかけてこないように出港まで船員室に隠れます。別荘地として島を買う場合も、わざわざダミーの会社を経由します(これも記者が島に押しかけてこないようにするためでしょう)。パリのホテルでも誰がいるかわからないから食堂には降りず部屋に籠もります。うっかり見つかったらもみくちゃになり目の前でフラッシュを焚かれるのです。
 ソ連の視察旅行で訪問した女子飛行士学校で、著者は「女性は飛行士ではなくて他の分野で活躍するべき」と感想を書いています。ご夫人は女性飛行士だったのでは?
 ドイツによるチェコ侵攻が迫り、ロンドンは緊迫します。ガスマスクの配布が始まりますが、数が足りません。しかし著者は、爆撃の脅威を誰も本気で心配していないことの方を心配します。私は、イギリスに「親独派」が非常に多いことに驚きます。「ヒトラーはまともな政治家だ」と“信頼"を語る人がリンドバーグの回りにはけっこう多いのです。
 フランスやイギリスの空軍戦力があまりに脆弱なため、アメリカの中立法を犯さずに航空機を英仏に供給するため「国境を少し越えたカナダ領に工場を作ってそこから供給する」というトリッキーな案が真剣に検討され、リンドバーグもそれに参加することになります。難点はいくつも見えますが、一番現実的な方法ではありそうなのです。
 そんな時期なのに、リンドバーグはソ連に続いてドイツに航空事情の視察に出かけ、この冬は一家でベルリンで過ごそう、なんて計画を立てています。ドイツ側も平気で最新鋭のJu88型機(第二次世界大戦でドイツ空軍の主力爆撃機となった機体)をリンドバーグに見せ、操縦までさせています。最高軍事機密ですよねえ。まだ「空」には「牧歌的」な雰囲気が残っていたのでしょうか。フランスも最新鋭のアミオ爆撃機を見せてくれ、著者はその機体に感心しています。だけど航空博覧会には各国は最新鋭機を出展せず手の内を隠しています。全然隠れていないんですけどねえ(実際リンドバーグは各国の最新鋭機のデータを全部掴んでいます)。 
 リンドバーグ一家はまるで「流浪の民」のようです。どこでも新聞に居場所を嗅ぎつけられると大きくあることないことを書き立てられるので「安住の地」がありません。一家はアメリカには「自宅」が構えられなくなっています。「セレブ」の生活は大変です。
 1939年3月16日の日記にヒトラーがチェコのプラハに入城したと記されます。リンドバーグは妻と子供たちを戦争中はどこで過ごさせるかを考えます。平和なアメリカで新聞や犯罪に脅かされるのと、戦時下のヨーロッパで過ごすのと、どちらが「安全」か、の選択です。英仏は「次」のポーランドに注目しています。ここに火がついたら「戦争」だ、と。さらに、イタリアのエチオピア侵略に対する国際社会の経済制裁の行方もリンドバーグは心配しています。腹を立てたイタリアがフランスに無理難題を要求していて、これも戦争の火種なのです。新聞は嘘を書き立てます。その中から一片の真実を得ようとリンドバーグは目をこらしながら、アメリカに“帰国"します。マイホームはなく家族も不在の“母国"へ。マスコミだけではなくて、政治家や軍人もリンドバーグを不愉快にすることに熱心ですが、親しい友人や家族が彼の救いとなっています。また、サン=テグジュペリとの歓談も実に楽しそうに記述されています。サン=テグジュペリは英語が話せず、リンドバーグはフランス語が上手くなく(夫人のアンが通訳をしてくれてはいるのですが)、言葉以外の部分での密な交流があったのではないか、とこちらは感じます。
 9月1日、新聞はでかでかと「ドイツ軍、ポーランドに侵入す」と大見出し。これまで何年も「戦争が起きるぞ、起きるぞ」と煽り続けていた新聞は、やっと「予言」が本当になってまるで喜んでいるかのようです。そしてリンドバーグは「自分にできることは何か」を考え、行動を始めます。戦争そのものが無益な行為だとリンドバーグは信じていて、ヨーロッパで起きたのは仕方ないにしてもそれによって祖国が大損害をこうむることは避けたい、と考えています。しかし、リンドバーグが自分の意見を引っ込める(演説して回るのをやめる)のなら、空軍省を創設してその初代長官にしても良い、という提案を、本当にローズヴェルト大統領はしたのでしょうか? もし本当なら、ローズヴェルトは参戦したくて仕方なかった、ということなのですが。
 ラジオでの演説に対して、脅迫状が舞い込み始めます。ことは「戦争」だからでしょう、単なる個人攻撃ではなくて、「お前の意見が気に入らないから、お前の子供を殺してやる」という脅迫です。なるほど、ネットでの過激な荒しの御先祖様がこのあたりにいます。
 アン・モロウ・リンドバーグもまた、第一に戦争反対、第二にアメリカが戦争に巻き込まれることに反対、で「平和への祈り」という小論を書き上げリーダーズ・ダイジェストに投稿します。
 リンドバーグが妻の文才を高く評価していることが、日記のあちこちに現れます。また、リンドバーグが二本指でしかタイプライターが打てない、なんて小さな事実もわかって、この二人の「文筆生活」はどんなものだったのだろう、と私は微笑ましい思いを持ちます。ただ、二人とも「将来自分の日記を出版すること」を前提に日記を書いていて、そういった意識を持って生きるというのはどういうものだろう、と、こちらは私にはよくわかりません。



よしあし

2018-06-29 06:55:05 | Weblog

 「蘆」を私は「あし」と読みますが、「よし」でもこの漢字は変換候補に出てきます。昨日のNHKの「にほんじんのおなまえっ!」では「あし」だと「悪し」に通じるから「よし」と読み替えた、と説明していました。「なるほど」とは思いましたが、それならなぜ最初からあの植物をわざわざ「あし」と呼んだのでしょうねえ。日本人が「蘆」を命名した頃には「あし」には「悪し」の意味はまだなかったのかな? あるいは「悪し」に「(今で言うところの)ワルイ」という意味がなかった?

【ただいま読書中】『悪党召し捕りの中世 ──鎌倉幕府の治安維持』西田友広 著、 吉川弘文館、2017年、2800円(税別)

 中世までの日本では「治安維持」は権力者の「独占」でも「義務」でもなくて、「権利」または「利権」でした。それが変わり始めたのが鎌倉時代からなのだそうです。
 鎌倉時代に「悪党」が各地で活動します。これは、旧来の支配者側の荘園領主と敵対する新興武士勢力のことですが、ややこしいのは、荘園領主側も悪党と同様の自警組織を持って対抗していたことです。つまり簡単に「悪党=悪者」とは定義できない。
 ともかく、支配体制に反逆する人たちは「悪党」で追捕(ついぶ)の対象とされました。荘園領主などは、自警をすると同時に、朝廷や幕府に「悪党をなんとかしてくれ」の訴訟を多く起こしています。当時治安維持の行為(犯罪者の逮捕・処罰など)は「検断」と呼ばれ、公的な地位にある役人だけではなくて、一般人も検断を行っていました。朝廷による検断は「追捕官符(ついぶかんぷ)」と呼ばれるシステムで、朝廷は国司に対して犯人の追討・追捕を命じる官符(勅符や宣旨を含む)を発給します。平将門の乱や藤原純友の乱でこのシステムが発動されました。しかし国司の力が落ちてくると、朝廷は武家の棟梁に直接追捕官符を下し、京から直接派遣するようになります。その例が、後白河院の意向を受けて六条天皇が平重盛に発した「東山道などの山賊追討の宣旨」です。源頼朝ははじめは「反政府軍」で追討の対象でしたが、やがて「政府軍」になるとこんどは追討使として平氏を滅ぼすことになります。奥州合戦では、後白河院は追捕官符の発給を拒否しましたが、頼朝はかまわず出兵、奥州平泉氏が滅亡した後、出兵の日に遡って追捕官符が発給されて体裁を整えることになりました(つまり奥州合戦は、幕府と朝廷の政治的な戦争だった、と言えます)。朝廷(=旧体制)とは一線を画した形で治安維持を行うつもりの頼朝は、「守護」と「地頭」によってそのシステムを構築しました。ただ、内乱の中で力をつけた武士たちには頼朝とは違った思惑もあったようで、「国家」ではなくて自分の領地支配の一つの方法として「検断」を行いました。
 承久の乱によって朝廷は自前の武力を失い、幕府の治安維持機能の重要性は高まります。大宰府に来訪したモンゴルの使節を追い返し、戦争が必至となったのを受けて、鎌倉幕府は国内の治安引き締めのため悪党対策を強化します。御家人だけではなくて、本所一円地(寺社領や公家領)にも動員をかけ、寺社には祈祷を命じたことから、幕府は「日本全体」に責任を持たなければならなくなります。逆に、東大寺や醍醐寺など「本所」の内紛で、対立する勢力それぞれが悪党などの外部勢力を引き込むことで紛争が拡大し、本所の方が幕府の介入を望むようにもなりました(本来幕府は「本所には不介入」の基本方針だったのですが)。そのため本所は、直接六波羅に悪党召し捕りを訴えるのではなくて、朝廷に対して「朝廷から幕府に悪党召し捕りを命じるように」という訴訟を起こすようになります。なんだか権力がねじれています。
 本書では、史料に広く詳しくあたって、実際に起きた事件についていろいろ具体的に紹介しています。著者の苦労が忍ばれますが、おかげで歴史について立体的なイメージを掴むことができます。悪党を召し捕るためには悪党と同等あるいはそれ以上の「力」が必要です。また、訴訟でお互いのことを「お前が悪党だ」と呼んでいる例もあります。「悪党」を単純な「盗賊の群れ」などと見るのは間違いのようです。「都鄙名誉の悪党(都でも地方でも名高い悪党)」が何人か紹介されていますが、その実態は様々です(この中にはもちろん有名な楠木正成も含まれています)。
 幕府は「日本全体」に責任を持つべき立場になっていましたが、建前上その支配権は「御家人」に限定されていました。そのため治安維持に動員される御家人には過重な負担に対する不満がたまり、きちんと治安維持がもたらされない(御家人と本所から成立する)社会全体には不満が渦巻くことになり、それが幕府滅亡へとつながっていった、と著者は推測しています。つまり、極論するなら「悪党が鎌倉幕府を滅ぼした」ということにもなりそうです。
 「治安維持」は建武政権でも重要なテーマで、全領主動員体制が採られました。室町幕府では守護の権限を鎌倉よりも拡大し、敵方所領の没収・配分もできるようにしました。これはやがて、戦国時代へとつながっていくのでしょう。
 「悪党(またはそれに対する「検断」)」という切り口から見ると、日本史には新しい側面がありました。こういったことは学校では習えないのが、残念です。



努力をさせる努力

2018-06-28 07:25:04 | Weblog

 「努力とは、それができる才能だ」と言ったのは誰でしたっけ? ともかく「努力が20できる人」もいれば「努力が80できる人」もいるわけで、その差が能力差とも言えるでしょう。ただ、「20できる人が20努力している」のと「80できる人が80努力している」のには「どちらも全力で必死で(自分の能力の)100%努力している」という共通点があります。
 もう一つ共通点がありました。「余裕がない」。「100%の努力をしている」わけですから、他のことをする能力的な余裕がないのです。
 ということは、他人に向かって「なんでもっと努力をしないんだ」とか言ってさらに努力させようとしている人は、「他人のことに口を挟む余裕」がある、つまり「自分では100%の努力をしていない」ことになります。自分で努力しないで他人には努力させようと努力する、って、なんだか、変。
 ちなみにたとえば「客観的には20しか努力していない人」の「能力」が「10」だった場合、その人は「200%の努力」をしているわけですから「20しかしていない、○○君は80もやってるぞ」とか非難や叱咤激励をするのではなくて「そこまで無理をするな」と言うべきでしょうね。

【ただいま読書中】『二流の愉しみ』山本夏彦 著、 講談社、1978年、980円

 辛口のエッセイが並んでいます。内容は読んでもらうのが一番。
 たとえば「ごてる」の章では「相手が誠心誠意謝る」場合には「賠償金はいらない」になるのではないか、と著者は言います。かつての日本では「誠心誠意謝る」相手には「どうぞ手をお上げください」などと言って許す(当然そのときは無料)、だったのが、いつの間にか「金で解決」の方を選択することになって、そのため「衷心から悔いたり詫びたりする心」を日本人は失ったのだ、だから「謝る」のかわりに「お金」しか私たちはすでに選べない、だから賠償金をもらった上に「土下座しろ」などと要求するのは間違いだ(そもそも土下座させても相手は誠心誠意謝ってはいない)、と著者は述べます。
 正義についても著者はけっこうシニカルに述べています。私もかつて「お茶の間の正義」について考察をしたことがありますが、何十年も前に著者に先を越されていました。残念。でもまあ、自分の思考の方向性が著者と似ていたのは、ちょっと嬉しく感じます。
 空気を読まず大勢に流されず、著者は敢えて少数派の道を意図的にえらびます。それを象徴するのが「以前日の丸は賛美された。今は呪詛される。だから私は、その両方を信じないのである」ということば。ここでは「賛美した人」と「呪詛する人」が実は「同一」であることが指摘されています。そういえば私自身も「『政権交代』の前には自民党を支持して『政権交代』で民主党を支持した人」について似たことを感じます。こんなことを広言したら、私もまた「嫌われ者」になっちゃうかな?というか、すでにそうですかね。



同一労働同一賃金

2018-06-27 06:40:52 | Weblog

 一見もっともらしい言葉ですが、この「同一労働」とは「労働時間」を示しています? それとも「労働の成果」? もしも「同一成果同一賃金」だったら、「高プロ」だけではなくて「すべての労働者」が「(残業の有無ではなくて)常に成果だけを評価される」ことになりそうですが。

【ただいま読書中】『復権 ──池永正明、35年間の沈黙の真相』笹倉明 著、 文藝春秋、2005年、1143円(税別)

 日本プロ野球の「黒い霧事件」(1970年)はもうずいぶん前のことになります。当時としては大スキャンダルで、Wikipediaにも詳しく書かれていますが、本書ではそれをさらに突っ込んで事件屠蘇の背景を紹介します。当時の暴力団がいかに野球界に食い込んでいたか、球団によってマスコミ対応が上手いところと下手なところで以後の選手の運命がずいぶん変わったことも、本書ではよくわかります。
 野球選手が、野球賭博だけではなくてオートレースの八百長にも関係していたことを読むと、最近の大相撲での野球賭博の話を連想して、時代が変わってもやっていることは同じなんだなあ、という感想も私は持ちます。
 1996年たまたま福岡に行った著者は、復権運動が盛り上がっている池永正明のことをこれまたたまたま思い出し、彼がやっているバーに入ってみます。その出遭いで、著者は言葉では説明しがたい「衝撃」を受けます。そしてその衝撃は「この男のことを書きたい」という欲望に転化します。しかし、著者は「何を書くのか」がわかりません。だからそのことを軽々しく池永に言い出すことができませんでした。そして池永はそういった著者を警戒します。その場限りで「売れる記事」を書き散らし、その後の検証など一切しない無責任な「マスコミ人」に対する不審と警戒を隠しません。
 「池永正明復権運動」は永久追放の直後から始まっていました、96年の下関市(池永の出身地)では18万人の署名を集め、池永本人の嘆願書も添えてコミッショナーに提出されました。結果は「却下」。ただその理由に書かれている文章が、なんとも貧しい日本語です。実際に読んでもらったら「貧しい」の意味はわかるでしょう。それに対しての「反論」は実に真っ当な日本語となっています。
 「黒い霧」事件を裁定した当時のコミッショナー委員会の裁定書には「奇妙な日本語」が並んでいます(いろんな冤罪事件で、最初に無理やり「有罪」とした判決文のトリッキーさに通じるものを私は感じます)。「ブラックソックス事件」でも明らかに「敗退行為」に加担していないことが明らかな「シューレス・ジョー」を無理やり「有罪」にしたのと同じ奇妙な論理がここでも機能しているようです。一番目立つ有力選手(それも、在京の有力球団ではなくて地方の弱小球団のエース)を無理やりにでも「有罪」にしたら「一罰百戒」で他の「本当にブラックな選手」が萎縮してそれ以降八百長をしなくなることを期待して、ということだったのでしょうか。でもその「一罰百戒」の対象が「無罪の選手」で、倫理的に良いんです?
 著者はここから本気で動き始めます。「お願い」ではらちが明かない、「闘い」しかない、と。そのため、絶望して解散を考えていた復権委員会のメンバーに著者は連絡を取ります。「お願い」ではなくて「法廷闘争」の路線で行こう、と。その準備の段階で、作家の赤瀬川隼は印象的な手紙を著者に返しています。そこには「この問題は池永や我われから“嘆願"するものではなく、むしろプロ野球機構から池永に謝罪すべき性質の事件だと思ってきました(当時の杜撰な調査と不当な処分、それにその後の無責任な放置)」と書かれています。
 新しい「池永復権会」の代表は著者、相談役として著者の人的ネットワークを生かして野球好きの文壇人が多数参加します。ただ著者はプロ野球関係者は相談役としては入れないことにしました。最終的にはプロ野球機構を相手に訴訟を起こす覚悟ですから、その業界で飯を食っている人に迷惑をかけてはいけないだろう、という判断です。ちょっと異色に見えるのが、大橋巨泉、武田鉄矢、美樹克彦、尾崎将司……だけど彼らにもそれぞれに熱い思いがありました。
 多くの人がそこまで池永に肩入れをするのは、彼が「200勝300勝はできたはずの大投手」だったからだけではないでしょう。多くの人の証言から、彼が真面目で「侠気」に溢れた人物であることがわかります。そんな人物だからこそ、後ろ指を指さずに支えようとする人が続々出現するのでしょう。
 復権反対派は陰険な手を使って運動の足を引っ張ります。しかし運動はさらに大きくなり、とうとう話は国会にまで。しかしコミッショナーは、国会議員懇談会からの招致を拒絶。再度の請願もあっさり拒否。
 あまりに頑なな態度に、著者は「何か特殊な事情があるのではないか」といぶかります。もちろんそれは明らかにはされませんが、著者の推測は「いかにもありそうなもの」です。で、その推測が当たっているとしたら「野球界の暗部」は相当問題が根深い(現在でも残っている)、ということになります。それは、困ったものですねえ。



組織で働く心理職

2018-06-26 06:42:54 | Weblog

 市中で開業する場合を除くと、心理職は組織に属して働くことになります。その組織は日本では「一般企業」「学校」「病院」に大別されます。ところで、授業で「心理学」そのものについては詳しく学ぶでしょうが、「社会人としてのマナー」「それぞれの組織に固有のローカルルール」については学校の授業にあるのかな? というか、そういった知識が必要なのは心理職に限定ではありませんね。

【ただいま読書中】『病院で働く心理職 ──現場から伝えたいこと』野村れいか 編著、 国立病院機構全国心理療法士協議会 監修、日本評論社、2017年、2200円(税別)

 「心理カウンセリング」と言えば「1対1の個別カウンセリング」をイメージする人が多いでしょう、というか、私自身がそうです。しかし、病院で仕事する場合に、臨床心理士は「がっちり組み上がった組織」に最初から放り込まれることになります。
 国立病院機構では2017年から新人心理職に対して研修が開始されました。「多職種との協働」「医学の知識」「社会人のマナー」「記録の書き方」「組織の仕組み」「法律や制度」「臨床研究」など研修内容は多岐にわたりますが、どれも重要なことばかりです。というか、これまではそういったことをきちんと体系的に教えずに「現場で見て覚えろ」だった、ということに私は驚きます。
 「総合病院」「精神病院」「児童精神科」「ガン病棟」「高齢者」「周産期」「災害支援」など、具体的な話が次々登場します。本書の“ターゲット"である「病院勤務を考えている新人臨床心理士」以外でも、「病院の組織の動き方」に興味がある人には、いろいろな示唆が得られるのではないか、と思える本です。「病院」は一種の「ブラックボックス」ですから。



本田の不評

2018-06-25 06:14:52 | Weblog

 ワールドカップでの報道を見ていると、同じトップ下の香川選手に比較してどうも本田選手の評判が悪いのですが、私が見る限りプレイの質に関してそこまで差があるようには思えません。運動量では本田の方がまさっているのではないかな。
 もしかして、本田選手の口が悪いのと、人相が悪いのが影響をしているんですか? だけどスポーツ選手の価値や評価は、言葉や人相によるものではありませんよね? で、ゴールを決めたらころっと手のひら返しをする人がいますが、ミッドフィルダーの価値は「ゴール」だけです? 守備での貢献はどうでも良い?

【ただいま読書中】『あしたは戦争 ──巨匠たちの想像力〔戦時体制〕』日本SF作家クラブ 企画協力、筑摩書房(ちくま文庫)、2016年、1000円(税別)

目次:「召集令状」小松左京、「戦場からの電話」山野皓一、「東海道戦争」筒井康隆、「悪魔の開幕」手塚治虫、「地球要塞」海野十三、「芋虫」江戸川乱歩、「最終戦争」今日泊亜蘭、「名古屋城が燃えた日」辻真先、「ポンラップ群島の平和」荒巻義雄、「ああ祖国よ」星新一

 「戦争の記憶」を持った人がまだ現役世代だった日本では、文学の世界でも「戦争の影」はしょっちゅう作品の中に登場していました。それはSFの世界でも同様でした。本書ではその「戦争の影」が濃厚に漂う作品を集めています。基調は「厭戦気分」ですが、星新一の「千人針自動機械」や「千羽鶴量産機械」には苦笑するしかありません。ただ「ああ祖国よ」はただのドタバタではなくて、巧妙な日本批判であると同時に現代に通じる不気味な予言にもなっています。
 今の時代の「巨匠たち」は「戦争」について後世に残る作品を書いているのかな?



お袋の味

2018-06-24 07:31:08 | Weblog

 「お袋をばらして食べたときの味」の意味、ではないですよね?

【ただいま読書中】『大衆めし激動の戦後史 ──「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』遠藤哲夫 著、 筑摩書房(ちくま新書)、2013年、760円(税別)

 まず登場するのが「クックレス食品」。インスタントや冷凍食品など、調理をせずに(あるいはほとんど調理をせずに)食べることができる「製品」としての食品が1960年代から日本に普及し始めました。食品加工技術、添加物、容器などの技術革新によって様々な「製品」が工場で作られるようになります。家庭には「ダイニングキッチン」という「洋風の台所」が普及。社会には外食産業が。「新しいライフスタイル」としてファーストフード店やファミリーレストランがどんどん増えますが、それとは違った形で、大衆食堂も増えていました。理由は、地方から働きに出てきた独身者の食事提供。
 「米余り」と「食糧自給率低下」が同時進行し、「米食低脳論」と「米食礼賛」とが“議論"をするようになります。著者はここで「日本の伝統食って、何?」とぽつりと言います。だって「白米の飯」を日本の庶民が腹一杯食べられるようになったのは、高度成長期以後のことなのですから。
 「一億総中流」という言葉がありましたが、著者は「中流気分」と見ています。実態も明確な意識も欠いた「なんとなく中流」。「中流の食事」は70年代にはクリームコロッケ、海老フライ、外食のハンバーグ、ハンバーガー、ポテトフライ。それが80年代には、ワインやナチュラルチーズ。そういえばグルメブームも80年代でしたね。
 「フランス料理」というのは日本人にとっては「レストランで出る料理」ですが、フランス人がふつう家庭で食べているのは別のものではないだろうか、という疑いを私は持ったことがあります。で、「日本料理」は「料理屋料理」に過ぎない、と本書では主張されています。たまに料理屋で食べる「ごちそう」は確かに家庭料理とはまったく別物です。で、この「二重構造」によって、「日本料理」は「西洋料理」「中華料理」「グルメ」などに簡単に屈服してしまった、というのが著者の見解です。
 カレーがあっという間に日本中に普及したのに、野菜炒めの普及が遅れたのはなぜか、の考察もなかなか面白い。ハード(台所では薪や炭を使用)とソフト(「汁かけ飯」「炒め煮」「水煮」の伝統)の両方が相まっている、と著者は考えています。私自身は子供時代から台所の「火」はガス(か電気)しか知りませんが、お袋は薪で育っていてその話を聞かされていたから、著者の主張にはあっさり納得してしまいます。それにしても「きんぴらごぼうと野菜炒めの、料理技法の類似と、体系の断絶」に関するくそ真面目な議論には、私は頭がくらくらします。また、食糧自給率の低下だけではなくて、台所の「火(=ガスや石油)」もまた輸入に頼っていることの指摘を「野菜炒めを巡る議論」の中でさりげなくされると、私は「野菜炒めについてももっと真面目に考えるべきか」などとつい思ってしまいます。著者の術中にはまってしまったかな?
 著者は「料亭の一流の料理人の『日本料理』」ではなくて「普通人がありふれたものを美味しく食べる」ことの重要性を力説します。それこそが「豊かな食生活」だ、と。
 本書のキーワードは「日本料理」ではなくて「生活料理」です。真面目に考えたらとんでもないことになりそうな難解なテーマですが、美味いものでも食いながら、ぼちぼちと生活をしていくのが肝腎、ということかな。



長野県産マグロはアリか?

2018-06-23 11:46:35 | Weblog

 水産物の産地表示は「水域名又は地域名(主たる養殖場が属する都道府県名をいう。)を記載。水域名の記載が困難な場合は水揚港名又は水揚港が属する都道府県名を記載することができる。」とJAS法で定められています。ということは、「直送」で、船から直接ヘリコプターやドローンで料理店に運んだら、その料理店がある都道府県(たとえばそこが長野県なら長野県)が「産地」となることに?

【ただいま読書中】『柔らかい時計』荒巻義雄 著、 徳間書店、1978年、980円

目次:「白壁の文字は夕日に映える」「緑の太陽」「大いなる正午」「柔らかい時計」「トロピカル」「大いなる失墜」

 精神医学を拡張して経済学にまで適用、ニーチェの思想を援用して高次元の視点からこの四次元宇宙を眺める、火星に実在化されたダリの絵画の世界……などなど、ちょっと背伸びをしたいSFファンにはけっこうウケそうな題材の思弁小説っぽいSF作品が並んでいます。
 私は残念なことに、ある程度思想的な基盤ができてしまってから本書を初めて読んだので、楽しみはするがすごくウケるところまではいきませんでした。もっと無邪気なときに読みたかったなあ。



計算ではなく暗記

2018-06-22 06:59:04 | Weblog

 日本人は計算が速い、と自賛しますが、これは「九九」を「暗記」しているから計算が速いように見えるだけではないです? だって「九九」を一々きちんと「計算」してはいませんもの。すると小学校で「計算問題」をあんなに大量に繰り返していたのは、たとえば「7+5」は「12」である、と暗記するためだったのかもしれません。あれだって私は一々きちんと計算していません。「記憶」からその答はすっと出てきます。
 もし「本当に自分は計算が速い」と主張する人がいたら、その主張が正しいかどうかはたとえば「8913の因数はいくつ?」といった問題を暗算で何秒で解けるかをみたら検証できるでしょう。(ちなみに、8913=3×2971でどちらも素数だから正解は「2」です)

【ただいま読書中】『海賊の文化史』海野弘 著、 朝日新聞出版、2018年、1700円(税別)

 先日カリブ海のハイチについての本を読んだので、今日はそこから連想した「パイレーツ・オブ・カリビアン」で「海賊」につなぎます。
 私が海賊で思うのは「宝島」「中世の地中海のイスラム海賊」「日本の瀬戸内海」「イギリスの私掠船」です。「海賊」と言ってもけっこう幅が広いですね。
 古代ローマ時代の海賊、ヴァイキング、地中海のサラセン(イスラム)海賊……様々な「海賊」が登場します。14世紀末に沈静化したサラセン海賊に変わって15世紀に勃興したバルバリア海賊は、「ヨーロッパ側からの対オスマン・トルコ帝国の『アフリカ戦争』」の一部として見る必要があるそうです。レコンキスタによってスペインから追放されたムーア人(と異教徒や改宗者たち)は北アフリカに流れ、バルバリア海賊が増えました。それに対して、アフリカのキリスト教化とオスマン・トルコをたたくため、十字軍運動が繰り返されます。そして「バルバリア海賊の王バルバロッサ(赤ひげ)」が登場。バルバロッサ兄弟はアルジェリアのほぼ全域を支配、そこにオスマン・トルコが支援を申し出ます。トルコによってロードス島から追放された聖ヨハネ騎士団はマルタに移って、スペイン海軍とともにバルバロッサを盛んに攻撃します。“二代目"赤ひげのハイルッディンはトルコの海軍大提督に任命され、アドリア海で活動することになりました。スペインと対立していたフランスはトルコに接近します。そして「アフリカ戦争」の最終幕「マルタ島攻防戦」。トルコの大軍が島を攻め、砦はやっと持ちこたえ、そこにスペインの援軍が到着してトルコは撤退。しかし海賊は衰えませんでした。ネーデルランドの叛乱にも気を取られたスペインのフェリペ二世は1580年にトルコとの和平条約にサインします。
 17世紀には、バルバリア海賊はガレー船(オールと帆の併用)から帆船に移行します。さらに鉄製の大砲が普及し、海賊(と海軍)の戦い方は、かつてのガレー船での体当たりと乗り込み攻撃から大きく変わっていきました。
 大航海時代には、海賊も外洋に進出します。また、奴隷貿易は「貿易」と「海賊」の境界を曖昧にしました。ネーデルランドがスペインからの独立をしようとした「オランダ独立戦争(1568〜1648年のなんと80年も継続)」ではイギリスの港に潜んだ独立派はスペインの船を襲う「海賊」となりました。コロンブス、ガマ、マゼランの「冒険の旅」もまた「海賊」と紙一重、というか、海賊行為そのものをおこなう航海でした。
 現在の「海賊」のイメージは基本的に「イギリス海賊」で、それは16世紀のヘンリー八世の治世で、イギリス海軍が増強されると同時に海賊が強力になったことでイメージが作られていきました。当時イギリス周囲の海域には各国の海賊が溢れていて、それに手を焼いたヘンリー八世はそういった海賊に対する「略奪許可」を出すことにします。「私掠船」の誕生ですが、これはつまり「民活」で海賊退治です。16世紀後半のエリザベス女王は「海の女王」として海洋帝国を強固にします。「戦争」「貿易」「海賊」の三位一体によって大英帝国は発展していきます。そして、フランシス・ドレイク、キャプテン・キッドなどの有名海賊が輩出される「海賊黄金期」が到来します。
 そういった有名海賊は18世紀まで。しかし19世紀になると文学の世界で「海賊」が活躍するようになります。その典型例が、バイロンの詩「海賊」ですが、この詩には「ロマンチック・ヒーロー」に対する憧れと同時に男性同性愛の魅力が歌われているそうです。子供向けは『宝島』(スティーブンソン)。ロマン主義のベールをかけられた海賊は、子供たちのヒーローになったのです。そうそう、「海賊」の視点で読むと『海底二万哩』(ジュール・ヴェルヌ)も「海賊の物語」になるそうです。
 20世紀の海賊は「情報の海」で活躍していたようですが、21世紀には古典的な海賊が復活しています。そういえば「ソマリア海賊」は有名ですね。あまり「ロマンの香り」はしませんが、これも22世紀には違った扱いを受けているかもしれません。



海と陸の相互依存

2018-06-21 06:54:09 | Weblog

 今日読んだ本は、「カリブ海はどこ?」という“クイズ"から始まります。たしかキューバの南あたりじゃなかったっけ?だけど東西はどこまでだろ?なんて私は自信なさげに世界地図を指さします。ただ、海を規定するのに、半島とか島嶼部とか「陸」によって「海」の範囲を決めるのは、ちょっと変な気もします。その「陸」もまた「海」で範囲を決められているのですから。

【ただいま読書中】『ハイチの栄光と苦難 ──世界初の黒人共和国の行方』浜忠雄 著、 刀水書房、2007年、1600円(税別)

 カリブ海には13の独立国があります。ほとんどは元英国領なので、言語は主に英語、宗教は英国国教会かカトリック。しかしドミニカはスペイン語とカトリック、キューバはスペイン語で宗教は自由、そしてハイチはフランス語かクレオール語で宗教はブードゥー教・カトリック・プロテスタント。この表を見ただけで、それぞれの国の“過去"がいろいろ想像できます。
 コロンブスの到着後スペイン領となったイスパニョラ島は西半分が1697年にフランスに割譲され「サン=ドマング」と命名されました。スペインによって先住民は全滅していたためフランスは黒人奴隷を導入、サトウキビやコーヒーを栽培させました。つまり「人」も「作物」も完全に入れ替わったわけです。奴隷は散発的に叛乱を起こしましたが、1791年8月に大規模な叛乱が発生。宗主国フランスは「革命」で忙しく対応が後手後手に回ります。さらにヨーロッパの革命戦争がカリブにも波及、イギリス軍(ジャマイカ)やスペイン軍(サント・ドミンゴ(イスパニョラ島の東半分))も虎視眈々とサン=ドマング侵攻を狙います。そんな情勢で、フランス革命政府から派遣された代表委員は、黒人奴隷を解放して武器を持たせて植民地防衛をすると決断。しかし「武装した解放奴隷」はつまりは「武装した自由人」ですから、その武器をどこに向けるかは本人の自由です。ナポレオンは徹底した人種差別主義者で、奴隷解放令を廃止、黒人弾圧政策を採ったため、「フランスの植民地」であろうとしたサン=ドマングは独立を志向することになってしまいます。結果、1804年に独立宣言が発せられ、カリブ初の独立国家が誕生しました。1805年に憲法制定。そこで「国民は肌の色に関わりなく『黒人』と呼ばれる」と規定されました。黒人やムラート(混血)だけではなくて全人口の1%足らずの白人もすべて「黒人」となったわけです。なお「ハイチ」とは、絶滅させられた先住民タイノ・アラワク族のことばで「山の多い土地」という意味だそうです。
 重要な植民地のサン=ドマングを失ったフランスは政策を変更、「ヨーロッパ全体」を自分の“植民地"としようとし、それに失敗すると1830年代からはその矛先をアフリカに向けます。サン=ドマングは18〜19世紀の世界を動かす「要石」だったのです。
 その「ハイチ」は最近は「この国は生き延びることができるのだろうか?」と危惧される状態です。環境破壊、政情不安、経済の停滞、インフラの未整備、ハリケーンなどで繰り返される大被害……この“諸悪の根源"を著者は「モノカルチャー(プランテーション経済の名残)」と「賠償金(フランスに独立を承認してもらうために支払ったとんでもない巨額のお金)」に求めています。お金を払ってまでフランスに承認を求めなければならなかったのは「黒人の国家」を南北アメリカの諸国がこぞって拒絶したことによります。特にUSAは奴隷制の国でしたから、ハイチを承認することは「内政問題」でもあったのです。だからこそハイチの「黒人」は金を払ってでも「国」になりたかったわけ。
 フランスにしてもアメリカにしても「革命(独立)」「個人の尊厳」「抑圧の拒絶」を口にはしますが、それはあくまで「自分(特に白人)」に限定だったんですね。