【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

大晦日

2013-12-31 07:29:56 | Weblog

 2013年最後の読書日記です。明日は日記を書けるかどうかまだ未定ですので、とりあえずここでご挨拶を。こんな日記を読み続けてくださってありがとうございました。来年も暇を見ては読書(読みと書きを)し続けるつもりですので、よろしくおつきあいくださいませ。
 それでは、良いお年をお迎えください。

【ただいま読書中】『兵士の革命:1918年ドイツ』木村靖二 著、 東京大学出版会、1988年、4600円
 1914年8月の開戦がドイツ第二帝政の決定的変容をもたらすと予想している人はいませんでした。開戦当初、戦争が長引き総力戦になると思っている人もいませんでした。しかし戦争は長引き「戦時体制」が確立します。著者はその時期を1916年後半以降としています。戦時体制は軍事独裁となりますが、皇帝の信任ではなくて戦争の勝利を望む国民の希望にその基礎を置いていました。しかし、戦争の長期化と前線からの悪い噂、さらに国内状況の悪化により、厭戦気分が盛り上がってしまいます。18年には、軍からの脱走だけではなくて、部隊の集団的な前線への移動拒否も起きるようになってしまいました。さらに戦時社会秩序も解体の様相を示し始めます。工場ではストライキが起き、国会では政権交代の動きが始まります。かくして、戦争の講和と国内の民主化を求めるうねりがドイツを洗い始めました。ここで「講和の障害」となるのが、軍部と皇帝である、と国民の目には見えるようになります。
 そして、海軍に不穏な空気が生まれます。「革命」「海軍」と並べると私は「戦艦ポチョムキン」を思い出しますが、よく似た事情があります。(「身分」ゆえに下士官や将校に出世できない)水兵の食事は劣悪で、優雅な生活をする将校とのあまりの格差の大きさに対する不平不満がたまっていたのです。「身分による露骨な待遇の違い」は陸軍でもありましたが、海軍が抱える問題点は「同じ艦の中、すぐ見えるところに格差が同居している」ことでした。陸軍だったらある程度空間的に“隔離"することができるのですが。“違う事情"もあります。連合国と進められている講和の条件が無条件降伏に近いものであることを知ったドイツ海軍は、「まだ戦う余力がある」とイギリス海軍との「(自殺的な)最後の決戦」を望んだのです。『日本のいちばん長い日』で軍部が「まだ戦う余力はたっぷりある」と「最後の決戦」を望んだことを私は想起します。もっとも「そんな余力があるとは、出し惜しみをしていたということか?」という疑問も感じますが、それはともかく、水兵にしてみたら、自殺的出撃なんか縁起でもありません。
 散発的な離隊や反抗や集団的な抗議やデモが繰り返されていましたが、1918年11月4日、キール軍港で相互に関係のない個別的な兵士の蜂起が始まります。午前中は散発的な行動でしたが、午後に“叛乱"は拡大し連帯し始めます。海軍の秩序は崩壊し、政府の対応は遅れます。しかし“無秩序"は蜂起した側も同様でした。きちんとした指導もなく、“騒動"を起こすには十分でしたが公然とした戦闘行為は望めない状態だったのです。
 派遣された鎮圧部隊は少数で、列車からおりるなりあっさり武装解除されて送り返されてしまいます。政府からの交渉団は歓迎されましたが、そこで水兵たちから突きつけられた条件は、言論の自由・皇帝の退位・選挙権の拡充・拘置者の釈放と免罪・水兵の武装解除の拒否、などでした。著者は「水兵に秩序回復への関心があること」に注目しています。その「関心」の原動力は「日常生活の維持(まともな飯をちゃんと食わせろ! 真っ当な生活をさせろ!)」です。ということは、アナーキーな「革命」ではなかった、ということなのでしょう。水兵側の要求をまとめた「キールの14箇条」をおおざっぱに言うと、平和と安全と真っ当な生活、となります。政府から派遣された社会民主党のノスケは、指導者不在でカオスとなった“叛乱"を管理するために自らが総督に就任して政府との交渉に当たることにします。こうしてキールに“運動"を封じ込めることができれば、ことは収まるはずでした。しかし、新聞報道や各自の判断で移動をした水兵によって情報は各軍港に広まります。水兵が持っている不満はどこの軍港も共通でした。かくして各地で火の手が上がります。水兵が各地で現地の部隊を味方につけ、それを機に労働者も運動を始める、という展開がドイツ各地で見られたのです。そしてその動きは、陸軍にも広がります。当時ドイツ陸軍は600万と言われていましたが、そのうち400万は西部戦線に配置されていました。厭戦気分が広がっているところに、水兵蜂起と皇帝退位の知らせが届きます。そこで起きたのは「本国への秩序だった撤退」を求める動きでした。
 政府から見たら「社会主義者がひそかにオルグをした」と思えるかもしれません。しかし、少なくともドイツ軍の中では、政治とは無関係に「休戦と革命」を求める雰囲気が醸成されてしまっていたようです。これって結局「失政の結果」ということですよね。だとしたらこの場合権力者は「叛乱を起こした兵士」を責める前にするべきことがありそうです。


ならぬとなさぬ

2013-12-30 07:44:47 | Weblog

 ならぬ堪忍するが堪忍、ならぬは人のなさぬなりけり……あれ?

【ただいま読書中】『ナウシカの飛行具、作ってみた ──メーヴェが飛ぶまでの10年間』八谷和彦/猪谷千香 著、 あさりよしとお マンガ、 幻冬舎、2013年、1400円(税別)

 「作ってみた」としれっと言われてしまうと、私は絶句するしかありません。頭の中には「作ったのかよ」「本当に飛ぶのか?」という言葉がぐるぐるぐるぐる……
 1984年に公開された映画「風の谷のナウシカ」は多くの人に強い印象を残しました。白状しますが、私もその一人です。そして著者もまたその印象を抱えたまま社会に出ますが、1999年に「メーヴェの実物を作るとしたら、どのくらいの大きさの翼が必要か?」の簡単な計算をしてみます。「鳥人間コンテスト」のデータを流用して「パイロット50kg機体重量30kg離陸速度時速36km」だと「全幅8m」と出ました。……もしかしたら……できるかも。
 実際に著者が動き出したのは2003年(イラク戦争がきっかけだそうです)。まずは1/2模型の制作です。熊本市現代美術館で開く個展にこの模型(ラジコンジェット機)を出品し、プロジェクトの“離陸"を宣言しようとしたのです。ついで、有人のグライダー機の製作にかかります。コンセプトは「なるべくメーヴェのイメージを維持しつつ、実際に空を飛べる機体製作」です。
 著者は、パイロットとしてのトレーニングも始めます。身のこなしを柔軟にするためにカポエイラ(ブラジルの格闘技)を習い、飛ぶ感覚を身につけるためハンググライダーも習います。
 お金の話もあります。1/2模型は熊本現代美術館が購入してくれたので収支はトントンでした。しかしその後は桁違いの金がかかります。そこで著者は「アーティスト」として、作品を「美術品」として貸し出してお金を稼ぐことにします。幸い、愛・地球博への貸し出しが契約成立となりましたが、そのため「締め切り」が設定されてしまい、製作現場は修羅場に(アニメ映画「紅の豚」で一家総出で突貫工事で飛行艇を製作する場面のようになってしまったそうです)。
 そして“初飛行"。大学のグラウンドを借りて、産業用のゴム索で加速する(機体をロープで固定して、人力でゴムを曳いてから固定ロープをリリースする)やり方です。ふわり。最長80mの“飛行"ができました。無尾翼機なので機体のコントロールは基本的に体重移動でおこないますが、著者は「じゃじゃ馬ではない(素直な操縦性を持っている)」という感触を得ます。リリエンタールやライト兄弟と“同じ舞台"に著者は立ったのかもしれません。ちなみに「ゴムを曳く」のは重労働ですが、こちらに向かってくる機体を見ると「自分が飛ばしている」実感があって、みな自然に笑顔になるそうです。
 著者は「アーティスト」であると同時に「実業家」でもあります。有限会社ペットワークス(メールソフト「ポストペット」を開発したところ)の当時は取締役で、会社の事業として機体の開発をしていました。ちなみに総勢10名以下の小さな会社なのに「ソフトウェア事業部」「ドール事業部」「航空事業部」の3つが機能しているそうです。しかし、ポストペットとドールとジェット機を作る会社って……
 話は容赦なく進みます。さて、いよいよジェットエンジンの搭載です。ゴムで飛ばしていた「M-02」と同じ翼の「M-02J」に、フランスから購入したジェットエンジンを搭載します。支出はどんどん膨らみ7000万円を越えようとします。収入はありません。厳しい状況です。しかしその時金沢21世紀美術館から「M-02」購入の申し出が。それは経済的には大変嬉しいことですが、同時に、もし「M-02J」の翼が破損したときの「予備機」がなくなることも意味しています。プロジェクトとしてはとても厳しい決断をする必要があります。さらにジェットエンジンが故障。製造したメーカーは倒産していました。そこで著者は、ネットで新しいエンジンを購入します。まるでアマゾンで本を買うように「ポチッとな」です(実際にはもっと重たい心の動きがあったのですが、とても軽く書いてあります)。
 ここで話は「ロケット」に寄り道します。著者は、ロケットを打ち上げる民間団体「なつのロケット団」にも所属しているのだそうです。名前の由来は(本書にも漫画を載せている)あさりよしとおさんの作品「なつのロケット」からだそうですが、私が思うのはやはり「ロケットの夏」(『火星年代記』収載、ブラッドベリ)ですね。あの温かさと熱さが同居した文章の響きが脳裏に蘇ります(18禁ゲームにも「ロケットの夏」というのがありますがこれについては私は語れません)。
 「なぜメーヴェなのか」の質問に対する回答はなかなか読者には与えられません。最後の最後にとても素敵な回答(「未来のナウシカのために作りたかった」)がありますが、私にはそれはあまりに素敵すぎて、著者のホンネとは違うのではないか、と感じられます。理由は自分ではわからないけれど、とにかく作りたかったんだ。それで十分なんじゃないかなあ。そんな訳のわからない衝動で生きているって、けっこう(相当)素敵なことだと思うのです。

参考サイト:
ナウシカの“メーヴェ”を本当に作って、飛んだ人に聞く「日本は自分で飛行機を作っていい国なんです」」(日経ビジネスオンライン)
“メーヴェ”は35年ぶりの「民間ジェット機」飛行機もクルマもロケットも、「草の根」が必要だ」(日経ビジネスオンライン)


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2013-12-29 07:51:56 | Weblog

燃費
 車の燃費を上昇させるのにいちばん効果的なのは、市街地なら赤信号や渋滞での停止を少しでも減らすことでしょう。ブレーキをかけることの無駄・停車中に使うエネルギーのムダ・停止から加速するために使う燃料のムダ、を減らすだけで、原発数個分くらいの“資源"が生み出されるのでは?

【ただいま読書中】『ウォール街の物理学者』ジェイムズ・オーウェン・ウェザーオール 著、 高橋瑠子 訳、 早川書房、2013年、2000円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4152093978/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4152093978&link_code=as3&tag=m0kada-22
 2007年8月6日、のちに「クオンツ危機」とも呼ばれる「ひどく間違った事態」が起き、アメリカ経済は死のスパイラルに陥ります。その頃著者は、物理学と数学の博士課程を終えようとしていて、金融危機の元凶が物理学者だ、ということにショックを受けます。同時に、物理学と金融理論の関係に興味を持ちました。
 数学理論を賭けに応用した古い例は、ルネサンス期のイタリア、カルダーノまでは遡れます。次いで、パスカルとフェルマー(『世界を変えた手紙 ──パスカル、フェルマーと〈確率〉の誕生』、2011年5月1日に読書日記に書いた本です)。そして、無名のパシュリエ。彼が1900年に完成させた博士論文は「金融市場を数学的に理解する」先駆的な試みでした。問題は、時代を半世紀ほど先取りしていたことで、(指導教官のポアンカレ以外に)理解者が得られなかったこと(ちなみに、アインシュタインより5年も早く、株価の動きの関する数学的記述としてランダムウォーク(ブラウン運動)がこの論文では取り扱われています)。半世紀後パシュリエは“発見"され、高く評価されることになります。
 物理学と「現場」の結合は、まず「ナイロン」そして「原爆」で行われました。「象牙の塔」の学者たちは応用技術に興味を持つようになったのです。そのころ(天文学をベースとして様々な学問に手を出していた)オズボーンが(パシュリエは「株価」が正規分布する、と仮定していましたが)「収益率」が市場では正規分布することに気づきます。さらにオズボーンは心理学を金融のモデリングに取り入れます。
 ついで登場するのが「フラクタル」を考えついたマンデルブロ。彼のランダム性に関する考え方がウィール街に斬新で重要なものとして登場します。ただし、マンデルブロの考えは、それまでのランダムウォークモデルの限界を示している上に複雑だったため、ウォール街ではあまり広くは受け入れられませんでした。しかし、時代は確実に変化していきます。
 ブラックとショールズは「株」を「株のオプション」と組み合わせることでリスクをなくす投資戦略を打ち出します。ニクソンは金とドルの交換を停止し、オプションの取引所ができます。そしてブラックは、大学をやめて初期の「クオンツ(ウォール街の理系トレーダー)」になります。
 そして、ブラック・マンデー。これまでのモデルが無力となり、そこで初めてマンデルブロが受け入れられ始めます。
 1997年のアジア通貨危機による暴落を「いつ起きるか」も含めてほぼ正確に予測した地球物理学者がいました。「大地震の予知」「ケブラー製の高圧タンクの破裂予知」の流れでの予測です。私には意味がわかりません。わからないけれど、きちんと証拠が残されていますから間違いはありません。なお、このソネットさん、98年のルーブル暴落、2000年のインターネットバブル崩壊、08年の暴落も時期を含めて予告しています。さらには「ゲージ理論」までもが市場に持ち込まれます。
 「科学」を「経済」に持ち込むことには抵抗があります。最初からの拒絶反応もありますし、数理モデルに限界があることからの否定論者もいます。ただ、モデルに限界があるのは最初からわかっていることで、大切なのはどのような状況にだったらそのモデルが適用できるかを慎重に検討することでしょう。万能のモデルなど存在しないのですから。科学は「仮説」「仮説の検証」「仮説の修正」が果てしなく繰り返される継続的なプロセスですが、経済学でも同じプロセスは行えるはず。ただ、科学の世界では基本は「オープン(情報は開示される)」ですが、市場では「情報は力(利益)」です。本当に儲かる情報は開示されません。ただし、それでも経済学に参入した物理学者たちは、大きな“成果"を上げてきました。そしてその“プロセス"は止まることはないでしょう。
 市場における物理学的な手法を、単なる金儲けの手段として用いるのではなくて、大災害(大暴落などによる悲劇の多発)を防ぐためにも用いたい、という熱意が伝わってくる本です。ただ「金に目がくらんだ人」にはその熱意は見えないだろうなあ。


寝ぼけ眼

2013-12-28 07:16:21 | Weblog

 起きたふりをしている人と、寝たふりをしている人とがいますが、共通点は、どちらもとりあえず役には立たないことです。

【ただいま読書中】『真珠の世界史 ──富と野望の五千年』山田篤美 著、 中公新書2229、2013年、940円(税別)

 天然真珠は小粒です。ミンミンゼミの目玉ほどの大きさのものが見つかったら「しめたもの」だそうです。ちなみに、ミンミンゼミの目玉を実測した人がいて、直径3mmだそうです。5mmもあれば「大粒真珠」ですが、著者は「アジの目玉」をイメージしろ、と言います。
 アコヤガイの生息地域は「アラビア湾と紅海」「インドとスリランカの間のマンナール湾」「ベネズエラ沖」「中国トンキン湾からベトナムハロン湾」「日本(三重県と九州沿岸)」にほぼ限定されています。アコヤガイ以外にも“真珠貝"はありますが、真珠を生み出す確率は低いそうです。
 日本でアコヤガイが出土した貝塚は、長崎・鹿児島・熊本・愛媛の計12箇所です。特に鹿児島湾の栩原貝塚は広大な敷地にぎっしりと破砕されたアコヤガイの貝殻が積み上がっていて、“真珠産業"があったことをうかがわせるそうです。
 さて『魏志倭人伝』。魏の皇帝から卑弥呼へ真珠が下され、(卑弥呼の後継)壱与が魏に「白珠」5000孔を献上しています。著者は他の文献も参照して、魏からは淡水真珠が、壱与からは(ネックレス用に孔を開けた)アコヤ真珠を献上した、と考えています(ということは「邪馬台国」は、真珠の生産地を支配下に置いていたはずです)。古代中国では大変真珠が喜ばれました。したがって、「真珠の産地」日本にも特別な関心を持っていました(だからその記述が残されています)。世界各地でも希少な宝石である真珠は珍重されました。古代ローマのプリニウスは『博物誌』で宝石のランキングを行っていますが、一位はダイヤモンド、二位が真珠です。そういえば『東方見聞録』でも「金」の記述に「真珠」に関する記述が続いています。『東方見聞録』の愛読者で、実際に「金と真珠」を求めて大航海をしたのが、コロンブス。彼は第3回目の航海でベネズエラに到達しますが、そこはアコヤ真珠の大生産地でした。そしてそれは、略奪と殺戮と奴隷の歴史の始まりでもありました。真っ当な交易よりも、武力による真珠獲得の方がはるかに“簡単"だったのです。
 真珠採りといえば何となくロマンチックですが、大英帝国時代のセイロンで行われていた真珠取り出し法はなんともすごいものです。食事をしながらこのパートは読まない方が良いかも。
 19世紀末から20世紀にかけて、真珠バブルが発生します。それは、天然真珠が最後の輝きを放った時代でもありました。真珠の流通を一手に握るローゼンタールは、そのままだったら、ダイアモンドでのデ・ビアス社に匹敵する存在になるはずでした。しかし、極東から真珠史を変える動きが始まっていました。
 明治時代、高松数馬は真珠の貴重さとアコヤガイの保護と養殖の必要性を説きます。1888年には御木本幸吉がアコヤガイ養殖に乗り出します。アコヤガイが増えれば天然真珠も増えるだろう、という事業でした。90年にはアコヤガイに異物を入れての真珠の生産に取り組みますが、最初は失敗続きでしたが、ついに貝殻についた半円真珠の生産に成功します。
 しかし、アコヤガイの養殖作業は、ほとんど「海底の農耕」です。志摩地方に日本有数の海女文化があったからこそ成立した事業だった、と言えるでしょう。事業は大成功、「御木本王国」が形成されます。王国ができれば、当然アンチも生じます。半円真珠の製法特許をめぐっての訴訟や、海面使用に関するトラブルなどが続出。さらに御木本に突きつけられた難問が「真円真珠」の生産でした。完全に球形の真珠は貝殻に触れずに、つまり「宙に浮いた状態」で作られます。それができたら真珠の世界を支配することができると夢見る人たちが世界中で続々挑戦を続けました。それに成功したのは日本人ですが、そこには利害やしがらみが絡んだ複雑な長い物語があります。すっきりさわやかな「快挙」ではありません。
 「世界」の反応も複雑です。「大粒真珠」は歓迎されましたが、同時に反発も生みました。ロンドンやパリで「ニセ真珠」排斥運動が起きます。アメリカでは「養殖真珠は毒を含んでいて、皮膚病の元になる」という噂が出回ります。オーストラリアでは1921年に「養殖真珠禁止法」が公布され、養殖真珠の生産・販売・所有が禁じられました。御木本は国内では同業者に容赦なく当たっていましたが、その性格がこの騒動ではプラスに働き、ヨーロッパの真珠シンジケートが主導する排斥運動に対して一歩も引かず、かえって「ミキモトパール」の評判は高まってしまいました。
 1929年大恐慌、そして30年に「パール・クラッシュ」が起きます。天然真珠の値段が85%も暴落したのです。ただし“救世主"も登場します。ココ・シャネルです。彼女のリトル・ブラック・ドレス(26年)はシンプルな黒いストレートドレスですが、真珠のアクセサリーが絶妙のアクセントとなるようにデザインされていました。彼女は、天然と養殖真珠を混ぜて使うことで「真珠への愛」を表明しています。
 戦後、日本の真珠は外貨を稼ぐ救世主となります。最初のお得意はGHQでした。優先割当で納入された養殖真珠はPXで飛ぶように売れます。48年には輸出が解禁され、外貨獲得額ではトップクラスの商品となります。ティファニー、ディオール、シャネル……真珠はますます人気が出ます。しかし……ミニスカートの流行とともに真珠の人気に陰りが出ます。足が出ると真珠が引っ込んだのです。
 マキシの流行やバブルで真珠は息を吹き返します。しかし「グローバル」の時代がやって来ていました。世界各地で真珠養殖が行われるようになっていたのです。日本では養殖場の疲弊が始まっていました。貝の排泄物や投棄された貝の身などがヘドロとなって海底に貯まり環境を悪化させ赤潮が盛んに起きるようになったのです。
 海から「利益」を得たい人には、話は簡単ですね。海を殺したらもう利益を得ることはできません。だったら、どうしたらよいのでしょう?


靖国参拝

2013-12-27 06:57:44 | Weblog

 政治家が政治目的で神社に参っているのだったら、それは宗教の政治利用ですから、神に対してずいぶん失礼で不敬な態度だということになります。
 伊勢神宮を作ることで政祭分離を実行した(「同床共殿 (祭事と政治が同じ場所で行なわれること)」を改革した)垂仁天皇が聞いたら、耳を疑うかもしれません。

【ただいま読書中】『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利 著、 文春文庫、2006年(13年16刷)、600円(税別)

 ポツダム宣言・広島・ソ連参戦・長崎……戦争の帰趨はすでに決せられ、あとはいかに終わらせるか、が問題となっていました。しかし日本国内では「戦争を終わらせたい人」と「戦争を終わらせたくない人」の衝突が起きていました。天皇制を守るためなら現天皇を排除してでも聖戦完遂を、とまで思い詰める人までいたのです。しかし天皇は決意を固め、「お召しによる御前会議」を招集します。
 1945年8月14日正午、日本のいちばん長い日が始まります。
 話は突然昭和3年に戻ります。代々木練兵場で行われた陸軍特別観兵式で天皇が詔書を読む声が、何かのはずみで50m後方のマイクに入って実況放送されてしまったのです。これは当時としてはとんでもないことで、日本放送協会の矢部放送部長の責任が問われました(結局、思いがけない方向から救いの手が伸ばされたのですが)。それが終戦の詔書を天皇自らマイクの前に立って読み上げる、という「前代未聞の衝撃的事態」です。しかしそこまでしなければ、思い詰めた人々(特に軍人)はおそらく納得しないでしょう。「納得できない」と軍が暴発したら、それは内戦となります。ぼろぼろになった日本の傷が深くなり、ソ連が北海道に侵攻する恐れもあります。タイマーが隠された時限爆弾を解体するような、慎重な手際が必要とされるのに絶対的に足りない時間に追われる切迫感と焦燥感が14日には溢れています。彼らが行っていたのは、「時間と競争」というよりも「運命と競争」だったのかもしれませんが。
 14日の真夜中近くになって、「録音」が行われます。レコード盤へのダイレクトカッティングですからやり直しはききません。緊張の中、録音、再録音が行われます。録音盤を明日正午まで保管する任は、徳川侍従に託されました。彼はあっさり承知し、事務室の軽金庫に保管します。
 同じ闇夜の中、クーデターの試みも進行していました。宮城を守るべき近衛師団で、そして、厚木302航空隊でも。
 「玉音放送」については、実際にラジオで聴いた人に話を聞いたら「言葉が難しくて、結局何を言っているのかわからなかった」とのことでした。実際にその原稿を当夜読んだ新聞記者も、一度では頭に入らず何度も読み返していることが本書にあります。
 15日午前一時、決起に反対していた近衛師団長が殺害されます。クーデターの開始です。皇居は封鎖され、電話線は斧で切断され、放送局員たちは全員監禁されます。叛乱の目的は「玉音放送の阻止」。放送をされてしまったら「敗戦」が既定の事実になってしまうから、まずはそれを阻止、それで時間を稼いで……稼いだ時間で一体何をしようというのでしょう? 日本国内の全軍の決起、そしてそれに続く本土決戦がクーデターの目的でした。
 他人を殺す人もいれば、自決を静かに決意する人もいました。陸軍大臣阿南です。しかし彼は、若者には生きよと言います。死ぬよりも辛いことだろうが、生き残る人がこの戦争での大量の生と死についての問いに正しく答えられることができたとき、日本は救われるだろう、と。
 激変の時期には「天皇争奪戦」が行われるのが日本の“伝統"ですが、今回は「録音盤争奪戦」でした。「放送さえ阻止できたら、戦争に負けたことにはならない」と。しかし、宮内省に突入した兵隊たちは、迷路のような構造に途方に暮れます。
 首相官邸も襲撃されました。首相私邸も襲撃され、火をかけられます。放送会館を襲った将校は「天皇の放送の前に、自分たちの思いを放送しろ」と局員に強要します。
 なお、14日には空襲はありませんでした(連合軍は「日本軍が降伏」と聞いて、手を緩める気になったようです)が、あまりに正式な返事が遅いため疑心暗鬼となったのか、15日に日付が変わった瞬間に熊谷などの空襲を行っています。本当だったら不必要だったはずの犠牲がここでも生じています。
 ラジオ放送の電波は出力を下げられていましたが(米軍に位置情報を与えないためです)、15日には10キロワットを60キロワットに上昇させ、昼間停電地域にも特別送電が行われました。全国に電波を届かせようとの努力です。平常番組は軒並み中止となり、朝から「畏くも天皇陛下におかせられましては、本日正午おんみずから御放送あそばされます」と厳かな口調で予告が何度も行われました。そして10時半、最後の大本営発表が行われます。「我が航空部隊は8月13日午後、鹿島灘東方25浬(カイリ)において航空母艦4隻を基幹とする敵機動部隊の一群を捕捉攻撃し、航空母艦一隻を大破炎上せしめたり」。
 そして、日本中ですべての人が「待ち」の時間を過ごします。米軍は攻撃中止命令を出します(ただし索敵と防衛は継続)。ソ連軍は猛進撃を続けます。
 そして、放送局では最後の事件が。スタジオ外の廊下に立っていた警備の将校が軍刀に手をかけてスタジオに乱入しようとしたのです。
 なお、「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以ッテ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク」で始まる終戦の詔書は、815文字だそうです。
 本書の特徴は数多くの「証言」に基づいていることです。現在でも戦前のことが語れる人はまだ残っています。彼らからの証言は少しでも残しておきたいものです(私も折に触れ、親などから話を聞いています)。自分たちの“過去"がどのようなものか、きちんと知っておくために。「いちばん長い日」を再び迎えないために。


読んで字の如し〈扌ー11〉「拍」

2013-12-25 06:47:50 | Weblog

「一拍」……二つ以上打たないと間隔がわからない
「心室頻拍」……心の部屋で頻りに柏手を打つ
「拍子」……拍の子孫
「三三七拍子」……拍の子孫は337人
「拍車」……リズム感のある車輪
「拍車をかける」……車輪にストリンジェンド

【ただいま読書中】『ツルはなぜ一本足で眠るのか ──適応の動物誌』小原秀雄・林壽郎・柴田敏隆ほか 著、 渡辺富士雄 画、ぐるーぷ・ぱあめ 編、草思社、1984年(94年40刷)、1600円(税別)

 ずっと昔に読んだときに「ずいぶん熱交換に関する記述が多いなあ」という感想を持ちましたが、読み直すと週刊朝日の「日立科学講座シリーズ」の連載がもとになっているのだそうです。つまり「エアコンに対する理解」を求める態度がベースにあるわけ。
 画に味があります。お札の肖像画のような点描ですが、その動物だけではなくて、その周囲も精密に描き込んであります。動物がその環境にいかに適応しているか、が本書のテーマですが、挿絵もそのテーマを外していません。
 本書には様々な動物の意外な“素顔"が登場しますが、やはり表題作をここでは取り上げておきましょう。
 ツルは眠るときに一本足になります。その理由は……足を一本羽毛の中にしまい込むことで放熱(体温の無駄な発散)を減らすことができます。ただし、外に出ているもう1本の足は容赦なく冷やされます。それがどうしてしもやけにならないのか、といえば、「熱交換器(動脈と静脈がネットワークで絡み合っている組織)」が足の付け根にあるからです。足先から体に戻ってきた冷たい血液はそこで足に向かって流れていく温かい血液に温められます。熱を放出した動脈血は冷やされて足先に向かいます。だから体全体としてみたら、足からの放熱がぐっと抑えられるのです。それにしても、この熱交換器のメカニズムもすごいものではありますが、片足立ちで眠れるとは抜群のバランス感覚ですね。そちらの方もすごいや。
 ミツバチは眠らないとか、草食動物の眠りは浅いとか、動物園だと動物は熟睡するとか、眠りだけに関しても面白い話が次々登場します。生物を「機械」として解釈するのは、やり過ぎると無味乾燥な文章になってしまいますが、本書ではほどほどのところで「生き物っぽさ」が残してあるし、登場する動物がバラエティに富んでいるのでとても楽しめます。


インフレ目標

2013-12-24 06:54:59 | Weblog

 「インフレ目標」とは「貨幣の価値を人為的に下げる」という政府の宣言です。自分で価値を保障して発行した貨幣なのに、そんなことしちゃって、良いのですか?

【ただいま読書中】『レーニンの封印列車』シュテファン・ツワイク 著、 高橋禎二 訳、 弘文堂(アテネ文庫143)、1951年、30圓

 13年10月3日に読書した『人類の星の時間』(シュテファン・ツヴァイク)の中の3編(「封印列車」「ワーテルローの戦い」「ラ・マルセイエーズ」)が訳出された文庫本です。古くて臭くて薄っぺらい。ただ、昭和26年に発行されたこの文庫本を、当時の日本人がどのような気持ちで手に取ったのか、と思うと、胸の奥に何か痛くて熱いものを感じます。
 海音寺潮五郎の「史伝」でも感じましたが、過剰な“物語"を排した「歴史の叙述」は、一見“パワー不足"のようには見えますが、実は「歴史的事実の解釈」としては、きわめて真っ当な方法なのではないでしょうか。特に本書が発行された時代のことを思うと、戦前の皇国史観とはまったく無縁のこういった「歴史」について読むことは、当時の日本人にとって一種の“解毒剤"として作用したのではないか、なんてことを私は思います。
 もちろん現在読んでも、こういった本の“効能"は有効です。


全員一致

2013-12-23 07:31:14 | Weblog

 「全員一致」って、大切なことでしょうか?
 たとえばもしも全員の意見が一致していたら、株の売買は成立しなくなります(その株は、みんな買いたいかみんな売りたいかで意見が一致しますから)。ということは、資本主義の信奉者は、「全員一致」には基本的に反対の立場のはずですよね。

【ただいま読書中】『酒税が国を支えた時代 ──平成22年度特別展示』税務大学校税務情報センター租税史料室、2012年、非売品

 埼玉県の税務大学校税務情報センター租税史料室では、平成12年から毎年特別展示を実施していて、平成22年10月~23年9月の特別展示のテーマは「酒税」でした。本図録はその特別展示の内容紹介です。ちなみに、現在行われている特別展示のテーマは「災害からの復興と税」だそうです。
 「酒税」は室町時代からあるそうです。日露戦争を契機に明治30年代には国税の税収第一位となり、昭和10年代に所得税(や法人税)にその地位を譲るまで、長く国の税収を支えました。(なお、酒税が明治32年にトップを取るまでその地位にあったのは、地租です。なんだか、年貢と運上金や冥加金で生きていた江戸幕府を、本質的にはあまり変わりがなかったのかな、なんて思います)
 明治32年に自家用料酒が禁止され、それに伴って「密造酒の製造」が横行しました。(これは逆から見たら、おれたちが昨年までやっていたことが突然今年から「違法行為」だと定義されただけだ、となるでしょう) 政府としても「税収トップ」ですから、少しでもそれに違反する「脱税行為」を許すことはできなかったことでしょう。大正末期までかけて少しずつ「密造酒」の摘発は沈静化していきましたが、第二次世界大戦後の混乱期にはまた急増しています。本書には、昭和20年代の、密造酒(ヤミ酒)追放のための標語が印刷された、横断幕やマッチ箱やPR映画のパンフレットの写真があります。へ~え、映画まで撮っていたんだ。
 「酒」の定義は「酒税法」で定められています。「何に対して税金をかけるか」が明確でないといけないからでしょうが、私にはちょっと不思議。「飲食物の定義」が税法で定められているというのは、なんとなくしっくりこないものですが、飲食物関連や文化関連の法規で規定できないのかなあ。ちなみに酒税法での「麦芽または麦を原料の一部とした酒類で発泡性を有するもの(アルコール分が20度未満のもの)」って何でしょう? 私は一瞬「ビール」と答えそうになりましたが、正解は「発泡酒」です。定義を素直に読む限り、「ビール」も「発泡酒」の一種では? 「言葉で世界を律する」のは大変な作業だとわかります。だから専門家が必要になるわけですが、それにしてもあまりに細かく律しすぎではないか、なんてことも感じます。もうちょっと世界をシンプルに見ることができないのかなあ。ものすごく単純にするなら「アルコールそのもの」に税金をかければ良い、なんてことも思うのです。醸造酒と蒸留酒の区別くらいはあっても良いですけど、「酒の値段」はメーカーが決めれば良いのでは?


熱い論理

2013-12-22 07:42:56 | Weblog

 競馬でどの馬券を買うべきかについて、出走前に「血統」「実績」「騎手」などについて熱く語る人は多いのですが、で、結局、それらの内で何パーセントが“正しい意見"なんです?

【ただいま読書中】『小松左京全集完全版(12)御先祖様万歳・日本売ります』小松左京 著、 城西国際大学出版会、2007年、4572円(税別)

目次:紙か髪か、卑弥呼──邪馬台国始末記、三界の首枷、痩せがまんの系譜、ホムンよ故郷を見よ、女か怪物か、影が重なる時、御先祖様万歳、カマガサキ2013年、煙の花、ダブル三角、大阪の穴、愚行の輪、自然の呼ぶ声、物体O、日本売ります、召集令状、正午にいっせいに、石、日本脱出、Visit to a Green Star、拾われた男、SOS印の特製ワイン、わびしい時は立体テレビ、女のような悪魔、新趣向

 1963~65年に発表された作品が集められています。
 私にとっての“目玉"は「物体O」かな。高校の時だったと記憶していますが、最初に読んだときには発想のあまりの大きさとおおざっぱさにぶっ飛びましたもの。その時にはまさかこの作家が将来日本列島を物理的に沈めてしまうとまでは思いませんでしたが。
 作品の出来不出来・好き嫌いはありますが、全体として感じるのは「日本的な情緒」です。それも昭和30年代のもの。SFを読んで「3丁目の夕日」を感じるのは、ちょっと変な気もしますけれどね。


寒冷

2013-12-21 06:54:09 | Weblog

 「心が寒い」と言おうとして、うっかり「心が冷たい」と言ってしまいました。雪が降ったから口がかじかんだのかな。

【ただいま読書中】『他の店が泣いて悔しがるサービス』香取貴信 著、 三笠書房(知的生き方文庫)、2005年(09年8刷)、533円(税別)

 「感動的なサービス」を実際にやっている企業がいくつか紹介されます。「閉店時間がない美容室(24時間いつ電話をしても、何時の予約でも取れる)」「従業員が客と文通をする通販会社」「客の何気ない一言をすべて覚えていて、感動のサプライズをしてくれるホテル」…… 読んでいて「そこまで徹底的にサービスをするんだ」と感心をしますし「自分もそんなサービスを受けたいものだ」なんてことも思います。
 ただし私がそこで気になるのは「そこまで徹底することで、スタッフは何を犠牲にしているのか」ということです。一番考えられるのは、「自分のプライベートライフ」。自分の時間や家族と過ごす時間を削って客に奉仕しているのではないか、ということです。次に考えられるのが「他の客へのサービス」。もし特定の客に特別サービスで注力したら、他の客に振り向ける時間やエネルギーが少しずつ削られるのではないか、なんてことを、私は意地悪く思ってしまいます。まあそこを上手くやるのがプロなのでしょうが。
 ただし「全員」に「毎回」だったら「特別な感動的なサービス」ではありませんから、サービスを受ける側としても「もっと」「もっと」と要求をするだけではなくて“メリハリ"も大切にした方が良いでしょうね。
 クレーム対応の話は参考になります。「時間を返せ」「誠意を見せろ」と言われてもそんなことはできません。だったらどうするか。「会社を代表している気持ちで、客が無駄にしたのと同じだけの時間をかけて謝罪をし続ける」のだそうです。客が「1時間も無駄にした」と怒っているのなら1時間謝る。それが「誠意」だそうです。
 本書の最後のあたりで「顧客満足」に並んで「従業員満足」が登場して、最初に変な心配をしていた私は安心します。
 そこで私は気づきます。会社は組織です。誰か一人が“特別サービス"で抜けたとしてもそれは時間限定のことですから「組織」でそれをカバーすることは可能なはず。そのために「個人」ではなくて「組織」で仕事をしているのです。
 そして、それは「社会」でも同じでしょう。誰かが一時的に抜けたとしても、あるいは障害などで“生産性"が落ちたとしても、それを「組織」がカバーする、そのために「個人」が集まっているのではないかな。でなかったら、なんで集まって生きているんです?