【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

合い

2018-09-10 07:44:49 | Weblog

 「殺し合い」の「合い」って、何でしょう? たとえば「じゃれ合い」では、両者が交互にじゃれることができます。「にらみ合い」だと両方がにらんでいる。だけど「殺し合い」は片方が殺したところで話が終わるでしょう? つまり「合い」にならないのです。すると「殺し合い」のときだけ「集団戦」じゃないといけないわけですね。このとき「個人」の立場は?(それとも「相打ち」を「合い打ち」に変換しましょうか?)

【ただいま読書中】『泣き虫しょったんの奇跡 ──サラリーマンから将棋のプロへ』瀬川晶司 著、 講談社、2006年、1500円(税別)

 「消極的」がそのまま人型に結晶したようにふらふらと育っていた著者は、小学校5年生のクラス担任となった苅間澤先生(「すべてを肯定する」主義者)との出会いで「人が変わって」しまいます。
 著者は昭和45年(大阪万博の年、将棋界では、羽生善治・藤井猛・丸山忠久・森内俊之・佐藤康光などが生まれた年)に誕生、小学校5年のときにクラスに急に起きた将棋ブームで頭角を現しました。そして生涯のライバル渡辺君との出会い。小学校5年3学期から中学3年まで、毎日毎日おそらく通算1万局は指した間柄です。そこで定跡や戦法、詰め将棋などの存在を著者は知り、さらに力をつけていきます。ここ、私も少し感じがわかります。私も中学校の時に将棋のライバルがいて、毎日学校の昼休みに、休みの日はお互いの家で指し続けて、あれで力がずいぶんつきましたから。
 将棋対局に熱中する二人を、父親が町の将棋道場に連れて行ってくれました。そこで認定されたのは6級。道場では、対局のマナーを学び、感想戦の存在を知ります(これができるためには、自分がさっき指した一局を完全に頭に入れておく必要があり、これも将棋のトレーニングになります)。二人は競い合いながら小学校6年で初段、中学1年の夏に四段。アマチュアとして一つの到達点です。将棋道場の席主(アマチュア高段者)は、二人にはプロになれる可能性があると考え特訓を始めます。そして中学三年の中学生選抜選手権大会、二人はそろって神奈川県代表となり全国大会会場の山形へ。ここで「棋士として知っている名前」が続々登場します。著者から見たらみんな「知らないが将棋がとても強い子」なんですけどね。著者はそこでなんと優勝。しかし1週間後の中学名人戦ではライバル渡辺君に敗れてしまいます。奨励会(プロの卵の集団)試験には合格し、14歳の将棋6級が誕生します。ここで勝ち抜いていって、四段になれたら「プロの棋士」です。ただし「26歳まで」という年齢制限があります(さらにその前に「21歳までに初段」という関門がもう一つあります)。奨励会には全国から選りすぐりの才能を集めているのですが、プロになれるのは2割程度。ちなみにその年、同じ中学三年生の羽生善治(敬称略)はすでに三段に昇っていて、史上三人目の中学生プロ棋士誕生が間近でした。
 著者が高校の時、昇段規定の改革がおこなわれます。三段すべてが参加する「三段リーグ」が作られ、半年ごとにその上位2名だけが四段になれる、と決まったのです。三段が何十人だろうと、四段になれるのは年に4人だけ。著者は1級で1年9箇月足踏みをしましたが、なんとかそこを抜けると、あとは順調に、平成四年に三段に昇ります。22歳からの参加なので、三段リーグで四段に昇れるチャンスは「8回」。さっさと勝ち抜くつもりの著者は、三段リーグに充満する「殺気」と「友達を失う指し方」に圧倒されてしまいます。ここから著者の苦闘と苦難の日々が続きます(別の本で読んだのですが、プロ棋士の多くは「三段の時代には絶対戻りたくない」と言うそうです)。
 プロの場合、一局の敗戦は「全人格の否定」の重みがあるそうです。しかしプロ未満の奨励会員(特に三段リーグの人)の敗戦は「お前はプロになってはいけない」という「全人生の否定」の重さがあります。奨励会員は、将棋盤の向こうの相手とだけ戦うのではなくて「敗戦の重さ(全人生の否定)」とも戦い続けなければなりません。これは重い。重すぎる。単に「将棋の強さ」だけでは抜けられない世界です。対局前夜に「明日は自分の全人生が否定されるかもしれない」と思いながら、夜を過ごせますか?
 最終的に奨励会を退会、将棋を憎みながら著者は次の人生のステージに進まなければいけません。大学生となって遅い「青春」を楽しみアマチュアとしてまた将棋を指すことで、著者は「再生」の道を歩みます。そこで著者が驚いたのが、アマ強豪の将棋の強さと将棋への愛の強さでした。プロとは別の「将棋」がここにあります。そしてアマ名人となった著者は「プロとの戦い」を求めて「プロとアマが参加できる公式戦」に参加します。棋王戦予選では中座四段に敗退。しかし次の銀河戦では対プロに7連勝。著者は勝たなければならないという「プレッシャー」から解放されてのびのびと指せます。しかし相手のプロは「アマチュアに負けるのは恥」という「プレッシャー」にさらされます。これで勝つ確率が高まったのでしょう。「プロ殺し」の異名を得た著者は、大学を卒業して30歳で情報処理会社に就職ができ、3年後の銀河戦にまた参加して順位戦A級の久保八段を破ってベスト8に。翌年の銀河戦でも勝ち星を稼ぎ、対プロ戦の勝率は7割を超えてしまいます。
 「こんな強い“アマチュア"がプロになれないで、良いのか?」という声が起きます(プロスポーツ界だったらすぐスカウトが来るでしょ?)。賛成意見と反対意見が相次ぎ、「瀬川」は「社会問題」になります。「小学生の時に全国レベルの力を示す人間だけがプロになれて、将棋との出会いが遅かったり大器晩成の人間はずっとアマチュア、で良いのか?」がことの本質です。「やりたいことに邁進したい人」の個人の物語と「挑戦したい人間を妨害する制度」の社会の物語が、ここで重なります。
 著者個人が日本将棋連盟とプロ棋士に“挑戦"する前に、まず「制度への挑戦」が始まります。「特例として瀬川個人をプロにしてくれ」ではなくて、「プロに勝つ力を持ちプロを志望する26歳以上のアマチュア強豪」がプロになれる一般的な道筋を作りたいのです。この時の騒動の大きさを私は覚えています。「秩序を乱すこと」に対する反発の強さに驚きましたが、同時に、だから将棋の人気が落ちていくんだ、とも思いましたっけ。ただ、この時に羽生さんが「賛成」の立場で動いていた、とは知りませんでした。
 そして、プロ編入試験が始まります。最初の相手は佐藤三段。当時「なんだ、三段か」と言う人もいましたが、この佐藤天彦さんが現在の将棋名人であることを思うと、将棋連盟は「サービスで三段」ではなくて「本気で試験をしてやるから、先鋒は佐藤天彦」の選択だったのでしょう。「将棋の強さ」と「段位」は無関係なのです。しかも、大きな会場の舞台の上での公開対局です。著者は「社会へのアピールには絶好の舞台」と壇上に昇ります。試験の結果は、知っている人は知っているし、知らない人は本書を読んでください。ただ、本書で大切なのは「結果」ではなくて「経過」の方かもしれません。「結果」だけ知っている人も、やっぱり本書を読んだ方がよいかもしれません。