【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

人生を変えた一冊

2018-09-20 07:16:15 | Weblog

 今日の本は私の人生を変えた一冊です。
 昭和の昔、大学受験目的で上京して宿に落ちついてキョロキョロしたらすぐそばに区立図書館が。最後の勉強をしようとふらっと入ってぐるっと見たら『火星年代記』が私を強く呼びました。呼び声に逆らえずつい読みふけってしまって気がついたら最後の勉強を全然せずに入試本番。私は見事に落第してしまいましたとさ。おかげで人生のコース(職業選択)が大きく変わることに。
 いや、本を読まずに勉強したとしても駄目だったかもしれませんけどね、誰か(あるいは何か)のせいにしたくなるのが人のサガなのです。

【ただいま読書中】『火星年代記(新版)』レイ・ブラッドベリ 著、 小笠原豊樹 訳、 早川書房(ハヤカワ文庫SF1764)、2010年、940円(税別)

 「2030年1月 ロケットの夏」から始まり「2057年10月 百万年ピクニック」で終わる壮大な「年代記」です。
 冒頭の「ロケットの夏」。たった2ページの作品ですが、この詩のような文章によって私はあっという間に「過去」と「未来」、「地球」と「火星」、の世界に連れ込まれてしまいます。
 旧版との違いは、目次の年代が30年くらい後ろにずらされていること(「過去の物語」ではなくて「未来の物語」にすることが目的でしょう)と、二つ短編がつけ加えられていること。
 ただ本書は「サイエンス・フィクション」ではありませんから、年代とか科学的事実とかにこだわる必要はないでしょう。神話や寓話、過去の作品へのオマージュなどの形を借りた「フィクション」の力をたっぷりと味わえばよいと私は感じながらページをめくります。さらにそこに著者がひそかに忍び込ませたかすかな“不協和音"も、気がつけば楽しむことができます(たとえば「百万年ピクニック」での男女の数の差、とか)。
 再読してよかった。未読の人は、是非。


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古きよき時代

2018-09-19 06:48:28 | Weblog

 なぜか「昭和30年代」は憧れを持って語られることがありますが、本当に「古い時代はよい時代」だったのでしょうか? 私が思い出す限り、たらいと洗濯板での洗濯や写りの悪い白黒テレビやぽっとんトイレや蚊や蝿が跳梁跋扈する環境での生活がそこまでよいものだったとは思えないのですが。少なくとも私は戻れても戻りたいとは思いません。若返ることができるのだったら、今の時代のままで若返りたい。

【ただいま読書中】『ヴィクトリア朝英国人の日常生活 貴族から労働者階級まで(下)』ルース・グッドマン 著、 小林由果 訳、 原書房、2017年、2000円(税別)

 上巻では午前中の生活が描かれましたので本書は「昼食」から始められます。昼食は「ランチョン(省略したらランチ)」または「ディナー」と呼ばれました。庶民はこれが最大の食事なのでディナーですが、上流階級は夕食はもっと豪華なのでランチョンになります。
 洗濯は当時の女性の最大の家事でした。まず二日間くらい洗濯物を水につけておきます。洗濯当日(多くは月曜)大量の湯沸かしから作業は始まります。水を家に運び込むのがまず大変です。お湯が沸いたら石けんをおろして溶かします(当時の石けんは冷水には溶けません)。次いでドリー(またはポサー)と呼ばれるかき回し棒でたらいの中身を30分くらいかき回しつづけます。重労働です。さらに、絞ってすすぎますが、汚水はまたえっちらおっちら戸外に運び出して「排水溝(専用の排水口かどぶ)」に捨てなければなりません。重労働です。この作業は1回では終わりません。汚れた物がある限り何回も繰り返す必要があるのです。だから洗濯は月曜です。主婦の時間が奪われ、台所のレンジは湯沸かしで占領されるので、家族の食事は日曜の残り物で済ませます。これで終わりません。乾かしたら、のり付けやアイロン掛けにあと数日必要です。だからヴィクトリア時代には「年に数回しか洗濯しない」は「替えの衣類がたっぷりある」という「自慢話」でした。それだけきつい作業ですから金で解決できるものなら任せたい人が多くいて、洗濯業に従事する人が増えます。他の職業との違いは、既婚女性の方が独身女性より多かったこと。家庭内で洗濯婦として働いていたのでしょう。著者は自らヴィクトリア朝のやり方で洗濯を経験していたせいで、「動力付き洗濯機」を、女性の生活に直接影響を与えた点で、「避妊」「投票権」と並ぶ存在だと高く評価しています。
 「家庭内の医療」も「家事」の一部でした。日本でも健康保険が成立するまではそうでしたね。
 「学校教育」もヴィクトリア朝の間に少しずつ盛んになっていきました。ネックになるのは「コスト」ですが、19世紀初めに始まった「助教法(教師が年長の生徒たちに教え、その生徒たちが班分けされた年少の生徒に教える)」によって教師の数を節約して安く教育が行われるようになります。「おかみさん学校」も全英にありましたが、保育所と学校と職業訓練所を兼ねたようなもので、個人が子供を預かって読み書きの初歩と手工芸(レース作り、麦わら編み、編み物など)を教えていました。上流・中流階級の親は読み書きを重視していましたが、労働者階級の親は手工芸の方を重視していました。富裕層のパブリックスクールから極貧層が収容されている施設まで共通しているのは「厳罰(体罰や屈辱を与える)」でした。「優れた工場労働者になるためには、時間厳守と服従が必須」が体罰の正当化の理由とされましたが、パブリックスクールの卒業生は工場労働者にはならないでしょうにねえ。日曜学校は、正規の学校がない田舎での識字率向上に寄与しましたが、教師によってレベルに非常に差があることが問題でした。1880年に義務教育(5歳〜10歳のすべての子供に就学が強制される)が始まりました。はじめはこの「義務」は親に不評でしたが、1891年に公立学校の無償化が始まってから教育は普及します(日本でも1900年に尋常小学校の無償化が始まってから就学率が上がったのと似ています)。
 工場労働者は毎日12時間以上働き、日曜だけが休みでしたが、「月曜はだらだら働く(あるいはスポーツをする)」という暗黙の社会的了解が機能していました(主婦は洗濯日でいつもより大変な日だったのですが)。実業家は「もっと仕事を」労働者は「もっと休みを」の争いの中、19世紀に少しずつ労働強化が進みましたが、1870年代の不況で労働時間短縮(平日は10時間、土曜は半日労働)が始まります。実業家が驚いたことに、労働時間を短縮しても利益は減りませんでした。すると、現在の日本のブラック企業主は、19世紀のイギリスの雇用主と同じ感覚を保存しつづけている、ということなんですね。
 スポーツ、夕食、就寝前の入浴と話は進み、最後は夜の営みです。男性の性欲は強ければ強いほどよい、が当時男女ともの共通認識でしたが、その処理についてはさまざまな説が入り乱れていました(全開放を是とする人もいれば、抑制的な態度を美徳とする人もいます)。自慰は医学的に否定的な扱いを受けていましたが、これは医学よりもむしろ聖書の影響ではないかな?(そういえば19世紀末の心理学の本に「自慰」が治療対象となっているのを読んだことがあります) 健康障害を治すために「不特定多数の女生との性交」を指示してもらうために医師を訪れる男性が多くて困る、と医師が投稿していたりもします。性交回数も「多ければ多いほどいい」「抑制的な方が良い」といろいろです。そういえば日本でも「我慢は不健康のもと」「やり過ぎは腎虚になる」「接して漏らさず」などの「性交健康法」がいろいろ言われていましたね。なんだか皆さん、この手の話題ではとても熱心になるようです。女性の性について「ヴィクトリア朝のまともな女性はお堅くて性交渉に興味を持たなかった」と一般に信じられているのは「誤解」と著者は断言します。その「反証」として著者が真っ先に挙げるのが「ヴィクトリア女王の私信(自身の結婚初夜についてのもの)」であることが私を笑わせてくれます。19世紀末にイギリスの出生率が低下しますが、これは避妊や妊娠中絶によるものではないか、と著者は推測しています。ただ、本書に紹介されている「方法」は、どれもあまり「よろしい物」には思えませんが。少女の人身売買も盛んに行われていましたが、少しずつ問題視されるようになり、1885年に女性の性交渉承諾年齢が13歳から16歳に引き上げられます。13歳の少女を買ったら法律違反となったわけ。法律でもっと厳しく禁止されていたのが男性の同性愛。1533年からイギリスでは違法でした。ただ、富裕層の同性愛とは違って労働者階級の同性愛は道徳心の欠如と金の誘惑に負けたからだ、というのが社会の一般通念でした(同じ「店頭での盗み」でも、淑女がやったら「万引きという病気」で労働者階級がやったら「窃盗」だったことも私は思い出します。階級意識は徹底していたようです)。大陸では「人が同性愛者に生まれつくことがあるのではないか」という議論があったのですが。1895年のオスカー・ワイルドの裁判以後、同性愛に対する反発はこれまでになく強まりますが、同時に同性愛に関する新しい解釈も始まり、さらにそれまで無視されていた女性の同性愛についてもかすかな興味が示されるようになりました(それまで無視されていたのは「女性の同性愛」ではなくて「女性」そのものだったのかもしれませんが)。
 私にとって「ヴィクトリア朝」とは「シャーロック・ホームズの時代」です。ただ「シャーロック・ホームズ」にだけ注目してしまって、そこでの「人々の生活」についてはあまり注目していませんでした。こんどはそちらにも目を配りつつ探偵の推理を楽しんでみることにします。ということはホームズ全集を全部読み返す必要が?



正直な人

2018-09-18 06:40:32 | Weblog

 正直な人は、好かれる場合もありますが嫌われる場合もあります。
 馬鹿正直な人は、ひどく嫌われる場合がありますが、詐欺の餌食になる確率も高くなります。

【ただいま読書中】『ヴィクトリア朝英国人の日常生活 貴族から労働者階級まで(上)』ルース・グッドマン 著、 小林由果 訳、 原書房、2017年、2000円(税別)

 ヴィクトリア朝の英国人は夜明けとともに起きるのが普通でしたが、中には夜明け前に出勤しなければならない人もいます。しかし目覚まし時計は普及していません。そういった人が頼ったのが「目覚まし屋」です。頼んだ時刻に依頼者の寝室の窓ガラスを杖でこんこん叩いてくれます。料金は月1ペニー。目覚まし屋自身は時計を購入する必要がありますが、ロンドンだけではなくて地方の工業都市で多く見られたそうです(工場労働者には早朝出勤を義務づけられている人がけっこういました)。
 目が覚めたら「立ち洗い」です。ゆったりした服を着たまま立って、洗面器の水(またはお湯)を少しずつ入れ替えながら、濡らして固く絞った布で体を上から下にパーツごとにきれいにしていきます(床磨きと同じ要領だそうです)。著者は最長4箇月入浴せずにこの立ち洗いで過ごしたことがあるそうですが、体臭はせず皮膚は清潔に保たれ、回りには全然気づかれなかったそうです。
 そう、著者はヴィクトリア朝の日常生活を「研究」するだけではなくて「実践」もしているのです。実践は重要です。たとえば同じ農作業でも、時代によって違う服装だと、それぞれ違う動作をしないといけないことがわかったそうです。
 1870年ころから既製服が広く出回るようになります。また、染色技術の進歩で「黒い服」が多く作られるようになります(ロンドンでは石炭灰混じりのスモッグで服がすぐ黒っぽくなることが人々の悩みの種で、だから「黒い服」は歓迎されました。そして都市の流行はすぐ田舎に波及します)。男性の必需品はジャケットと帽子。女性はなんと言ってもコルセット。ただし「細いウエストが正義」目的は19世紀後半からで、それまでのヴィクトリア朝では「正しい姿勢」「保温」がコルセットの本来の目的だったそうです。
 なお、「理想のウエストは13インチ(33センチ)、現実は19〜24インチ(48〜61センチ)」とコルセットで病的なまで女性のウエストを締めつけていた英国人が、清朝の女性の纏足を非難していたのは、興味深い現象です。
 外出の時には、コルセットできゅっとウエストを絞ってから、鋼製のクリノリンでふわりと膨らませたスカートを着けます。シェフィールドでは生産した鋼の1/7がクリノリン用だったそうです。労働者階級の女性も、休日のお出かけや、労働時にさえなんとか工夫してクリノリンを身につけていました。1860年代おわりには、前と側面を膨らませず、生地を後ろに寄せて高さ・広がり・ボリュームを見せるスカートが流行します。これに女性たちは、新しいクリノリン(クリノレット)を購入することで対応しました。
 庶民の服はあまり保存されていません。そこで著者が参考にするのが犯罪者記録です。逮捕されたときには基本的に普段着ですから、その写真から実に多くのことがわかるのだそうです。
 目ざめ、服を着たら、次は排泄。ヴィクトリア朝以前のトイレは屋外の汲み取りトイレでしたが、都会ではそれは無理。だから水洗便所が普及し始めます。もとは水路の上で排泄していた修道院の習慣が元祖だそうですが、それだったら日本では奈良時代からやってましたっけ。トイレットペーパーは、新聞などの出版物や封筒などが使われていたようです。しかし「黴菌の発見」から「清潔なトイレットペーパー」が求められるようになります。1857年にアメリカで、1880年にイギリスで殺菌剤を染みこませたミシン目入りロールペーパーの生産が開始されます。トレーシングペーパーに使えるくらいごわごわかちかちの物だったそうですが。日本でも水洗便所普及前には「落とし紙」として新聞紙が使われていました。使用直前によく揉むことをお忘れなく。
 次は身だしなみ。これも「実際にどのような作業をするか(しないか)」によって「どこまで身だしなみに努力できるか」が規定されてしまいます。床磨きやジャガイモ掘りをしている人が、爪のお手入れを完璧にすることはできません。それでも人は(特に女性は)身だしなみを整えることに熱中しています。そのためにさまざまな小道具や化粧品や薬物が駆使されます。禿げの原因については「発汗説」(対策は髪油)が有力でしたが、1850年ころ「血流不足説」が注目されるようになり(対策はマッサージ)、さらに「細菌説」(対策は殺菌剤)も大人気となりました。現代人がダイエットや健康問題で「○○を直すには××」と熱中するのととても似ていますね。一見まともそうな仮説を医者が言い立てたり怪しい業者がはびこるのもそっくりです。


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売春の対価

2018-09-17 07:47:55 | Weblog

 昔からある“商売"ですが、基本的に男が女に金を払うことになっているのは不思議です。たぶん欲望の強さや需要と供給の関係なのでしょうが。ただ、女性の貞節があれほど重視された明治時代に、赤線が公認されていたのも不思議です。明治の男たちは、そこで働く女性の貞節については何か考えたことがあるのでしょうか?

【ただいま読書中】『黒い迷宮 ──ルーシー・ブラックマン事件 15年目の真実』リチャード・ロイド・パリー 著、 濱野大道 訳、 早川書房、2015年、2300円(税別)

 「日本に住む外国人」としてのルーシーのある一日(2000年7月1日土曜日)が、心理描写も含めて極めて具体的にまず描かれます。それができるのは、著者は「ザ・タイムズ」の東京支局長として「日本に住む外国人」であるからでしょう。それは、ルーシーの“最後の日"でした。携帯電話へのメッセージだけを残し、彼女は姿を消したのです。普段のルーシーとはまったく違う行動に、ルームメイトのルイーザはひどく心配をします。しかし彼女たちは不法滞在者(観光ビザで入国して、ホステスとして働いていました)だったため、警察にはあまり近づきたくありませんし、詳しい事情を話したくありません。そのため失踪人届けは宙ぶらりんに。しかしルイーズに「カルトに入信したのだから探すな」という脅迫電話がかかり、話は大きくなります。
 著者にとって「ルーシー」は「特ダネ」でしかありませんでした。外国人女性の失踪、男の逮捕、死体の発見。しかしそこから事件は「不思議の国のアリス」の様相を呈し、裁判はこじれ、もつれ、その複雑さを解きほぐすために著者は10年を要することになります。その過程で著者は大都市の裏側に普段は隠れている醜悪で暴力的なものの存在に気づきます。
 ルーシーの生い立ちからゆるゆると話は始まります。父母の関係、父母との関係、弟妹との関係などが詳細なインタビューに基づいて語られ、彼女の性格がどのように形作られたのかが見えます。長身でブロンドで人目を引く要望だから男に不自由はしませんが、不幸な(ダメ男たちとの)出会いの連続。転職を繰り返して英国航空の客室乗務員となったのに、なぜか増えていく借金。とうとう彼女は親友のルイーザと「日本行き」を決意します。飛び込んだのは「ガイジンの町」六本木。そこでルーシーとルイーザは「ホステス」として働き始めます。新しい恋人も見つかり生活の建て直しができそうな兆しが見えてきたとき、突然の失踪。
 離婚していたルーシーの両親はともに日本に駆けつけます。二人はマスコミを利用することを選択。ちょうど「G8」が沖縄で開催される時期で、「ルーシー失踪」は国際的に報道されます。しかし有力な手がかりは得られません。母は霊能者に、父は「裏社会に精通している」と自称する詐欺師に頼るまでになります。善意の支援者たちも、抱えている事情はさまざまです。それを著者は丹念に聞き出していきます。
 複雑なのはホステスの「ルール」です。店の中では、お触りも露骨な性的なほのめかしもアリだけど、直接の性交渉はナシ。店を出たら他人と他人。店内に性的なファンタジーの世界を構築維持するためにホステスも客も協力しなければなりません。しかし、ルールに違反する者もいるし、危険を冒して「ゲーム」の外側で勝負する人もいます。中には、ホステスをドライブに連れ出して薬を混ぜたワインを飲ませてから強姦をする“金持ち"も。ただし警察はその被害届をきちんと処理しようとしていませんでした。外人ホステスが何か言ってる、程度の扱いでした。
 警察についての評価は、内部を見ていない者には難しい。ただ「自分たちは有能だ」とか「勤勉だ」とか自己主張・自己評価する者は大したことがない(あるいは無能である)という社会の一般法則はどこの国の警察にも同じように当てはまるのではないか、と推測だけはしておきます。ただ「なにかをしない」と警察が決めたら、その言い抜けは本当に上手いことは認めます。あの上手さを捜査の方に活かせば良いのにね(私が味わったいらだたしい体験が、こんなことを言わせています)。
 ついでですが、その“金持ち"がどこで強姦をしたのかの場所(逗子マリーナ)の特定は、警察よりも先に民間人がやってます。ともかく、容疑者が絞り込まれ、ついに逮捕。
 「日本の暗部」として、ヤクザや麻薬や売春などが本書ではちらりちらりと紹介されていましたが、ここでもう一つの暗部「在日の問題」が登場します。これ、よその国の人にはわかりにくいでしょうねえ。日本人にもわかりにくい(というか、目を背けている)問題なのですが。
 裁判が始まります。著者は「アメリカの裁判に見られる対立やパフォーマンスやドラマはない。イギリスの裁判に見られる崇高さもない。まるで退屈な職員会議を見ているようだ」とその有様を評します。また、被告が欧米では当然だが日本では異例の弁護方針を求めたため、裁判はぎくしゃくとします。さらに被告が現金ばらまき作戦を展開。それをルーシーの父親が受け取ったことから、話はさらにねじくれてしまいます。そして、驚きの判決が。
 ルーシーを殺した犯人をきちんと罰することができなかったのは、明らかに警察の失態と言えるでしょう。ただ、警察よりも犯人が巧妙だった、とも言えますが、そういった素人には扱えないような巧妙な犯罪者を扱うためにプロの捜査官が存在してるのではないですかねえ。著者は「日本の警察がよく無能に映るのは、真の犯罪と戦った経験がほとんどないからなのだ」と“弁護"してくれていますが。


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「謙虚」が必要なのは「謙虚ではない人」

2018-09-16 07:32:43 | Weblog

 自民党の総裁選で「謙虚であらねばならない」という言葉を聞いて私は違和感を感じました。具体的にどんな手法でやってそれでちゃんと今より謙虚になったかどうかの評価をどうするか、それについての言及がなければただの言いっ放しの態度(つまりまったく「謙虚ではない」態度)になるのではないか、と思いましてね。
 いや、すでにとても謙虚な人が「もっと頑張らねば」と言っているのに対して「いや、それ以上謙虚になる必要はないですよ」と言いたくなる、そんな人に対してはこんなことは思わないはずなのですが。

【ただいま読書中】『AWAY(1)(2)』萩尾望都 作、小学館、2014年、545円(税別)

 小松左京の「お召し」を原作として漫画にした作品です。ただし重要な変更点があります。まず、原作では「12歳未満の世界」だったのが、こちらでは「18歳未満」となっています。12歳までだと移動は徒歩か自転車ですが、18歳までだとバイクや自動車も使えるので絵に「動き」が生じます。また、原作では「子供だけとなった世界」だけが舞台でしたが、本作では「子供だけの世界(AWAY)」と「子供がいない世界(HOME)」の両方が描かれます。これがまた強烈。「大人のような子供」と「子供のような子供」が入り混じることによって「AWAY」で混乱が生じるのは当然だと思いますが、「子供のような大人」と「大人のような大人」によって大混乱が生じる「HOME」の姿も実に痛々しい。たしかに「お召し」を読んでいるときには「子供が突然いなくなった世界はどんなものか」は全然描かれませんでしたし、私もあまりそちらについて考えはしませんでしたっけ。しかし「子供が消えたことによって生じる絶望感の重さ」が本書では痛切に訴えられます。
 さらに「18歳」にすることで、人類が滅亡する危険性が減ったのは重要なことです。産院に突然出現する乳児を小学生が世話して育てるのは、非常に無理がありますから。高校生が世話しても、人工ミルクをどう作るのか、が問題にはなりそうですが、「在庫」がある内に研究して製造できたら何とかなるかもしれません。
 さらに重要な変更点は、「なぜこのような世界が生まれたのか」の回答(のようなもの)が追加されていることです。そして、その回答が成立するためにはやはり「12歳」よりは「18歳」の方が望ましい。ただ、読後私はしばらく茫然としてしまいました。「お召し」がこんな“リニューアル"をされてしまうとは、萩尾望都さんはやはりただ者ではありません。


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静と動

2018-09-15 07:34:28 | Weblog

 美容整形で「美しい顔」は基本的に「静止画」で表現されているように思いますが、たとえば「素敵な笑顔に」といった「動画」で表現できる「美しい顔」って、美容整形でどのくらい作り込めるのでしょう?

【ただいま読書中】『ゲティ家の身代金』ジョン・ピアースン 著、 鈴木美朋 訳、 ハーパーコリンズ・ジャパン、2018年、972円(税別)

 世界的な大富豪ジャン・ポール・ゲティは美術館にその名を残していますが、大富豪で複雑な性格で、そして家族や回りの人間を不幸にする名人だったようです。
 努力して裕福な中流になったジョージ・フランクリン・ゲティは1903年オクラホマの石油ブームで当てて巨万の富を得ました。息子のジャン・ポール・ゲティはそれをベースとして世界的な大富豪になったのですが、父親の功績を素直に認めようとはしませんでした。大富豪の甘やかされて育った一人息子で、父との軋轢や甘い母との関係の中で、ポールは自分の人格を形成していきます。第一次世界大戦が起き、石油で一発当てて大富豪となって23歳で引退し、淫蕩放縦生活に溺れます。そして、実業の世界に戻った30歳ころから、ポールを「結婚熱(未熟な(特に17歳の)美女と結婚したいという熱望、ただしそれは妊娠がわかった瞬間冷める)」が襲います。繰り返される結婚と離婚、そして父の死、そして遺言状でポールに突きつけられた「拒絶」。ポールは父を見返すために一種の奇人(孤独で臆病で好色な禁欲主義者)としてビジネスに邁進することになります。
 ポールの子供たちは「傷」を負っていました。子供時代には不在だった父親が、自分が成人したらまるで当然のように「一族」として「ゲティ帝国」に入ることを要求してきたのです。あろうことか、息子が父親(の財産の中核である信託基金)を相手に訴訟を起こす、なんてことまで起きてしまいます。
 そしてローマで、ポール・ゲティの孫息子ジャン・ポール・ゲティ三世が誘拐されます。母親のゲイルは、離婚した夫ポール・ジュニアに連絡をしますが、元夫は大富豪のポール・ゲティに金を頼むことを拒否。イタリア国家治安警察隊は「ヒッピー息子のただの家出だろう」との見解。さらにポール・ゲティは身代金(百億リラ)の支払いを拒絶します。普通家族の一員が危機に陥ったら結束が強まります。しかしゲティ一族は、麻痺しました。時間だけが無駄に流れ、苛立った誘拐犯人たちは、ポール三世の右耳を切り取って、その耳と切り取られたポールの写真を郵送してきます。次は命だ、と。国家警察とマスコミは無能でしたが、ヴァチカンとアメリカ政府が乗りだしてきます。そしてとうとうポール・ゲティ・シニアは金を出す決心をします。非課税枠の範囲内だけ。ポール・ジュニアも金を出しますが財産が全然ないためポール・シニアから借りることにします、年率4%で。
 ポール三世の解放で事件は終わりましたが、一族が受けたダメージがわかるためにはそれから数年が必要でした。特に心の傷は深刻です。
 巨万の富に多くの人は憧れます。ただ、シンプルな幸福は富では購入しにくいもののようです。少なくともゲティ一族とその周囲の人たちには、そうでした。



生活の必需品

2018-09-14 06:55:00 | Weblog

 新しい土地に引っ越すと私が最初に探すのは「本屋」と「パン屋」です。本屋ではあまり苦労したことがありませんし最近だったら最悪Amazonでなんとかなりますが、パン屋はお気に入りの所が見つからないと生活の快適さと満足度が何パーセントか低下してしまいます。

【ただいま読書中】『小さな「パン屋さん」のはじめ方』Buisiness Train(株式会社ノート) 著、 河出書房新社、2017年、1600円(税別)

 私はあくまで「消費者」としてパン屋を見ていますが、本書は「パン屋を始めるための基礎知識」の本です。私から見たら「パン屋の裏側」で、それはそれで興味深いものです。
 まずは成功事例の列挙。「自分にしか作れないパン」「素材より技術」「パリのパン屋の雰囲気をそのまま再現したい」など、店を始めた人はそれぞれ「熱い思い」を持っています。しかし思いだけでは開店できません。素材を探し技術を磨き、場所を探し仲間を集め……なんだかロールプレイングゲームと似ていますね。やっと店ができたらこんどは宣伝をし、リピーターを増やし…… もちろん資金計画も重要です。立地条件は……あまりひどくこだわる必要はないでしょう。消費者の私から見たら「わざわざパンを買いに行く」わけですから、とんでもない場所でない限り、欲しければ行きますので。


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公約

2018-09-13 06:47:18 | Weblog

 最近の政治家は「これが私の公約です」と大声で主張していましたっけ? 主張しなければ「公約を破った」と非難されずにすむから、実はできるだけしたくない、とか?

【ただいま読書中】『頭脳 ──才能をひきだす処方箋』林髞 著、 光文社、1958年、130円

 「脳の教育」のためには「身体の鍛錬」とは別の発想が必要だ、と著者は主張し、大切なのは「読書と思考」「栄養」「睡眠」を三本柱とします。当時「頭のよい人は脳が重い」と俗に言われていましたが,著者はそれを「機能と重量は無関係」と明確に否定します。さらに「脳のシワ」の数や深さも脳の機能(頭の良さ)とは無関係、と否定。著者は根拠を欠いた俗説が大嫌いのようです。
 大脳生理学の立場から、「大脳は、部位によって機能の分担をしている」「大脳自身には痛覚がない」などが解説されます。今は「脳科学」の時代で、こういったことは“常識"となっていますが、昭和30年代前半にはおそらく一般の人には「新鮮な知識」だったことでしょう。
 また、脳に比較的多く含まれているグルタミン酸がガンマ・アミノ酪酸に変化して脳内で重要な働きをしていることが実験でわかったことが紹介されます。そしてそれが「ばかにつける薬」になる可能性が示されます(いやあ、古い本だから、現代の“常識"からは差別用語とされる言葉がつぎつぎ登場するので、そういったものが嫌いな人は本書を読まない方が良いです)。さらにグルタミン酸の代謝過程に、ビタミンB6とB1が重要な働きをしているのではないか、と強い推測が示されます。
 著者の学問上の師匠はパブロフ博士で、二人の会話が紹介されていますが、とても味があるものです。これを読むだけで、私は本書の“もと"が取れた気がしました。
 本書出版時、「強国」と「日本」の違いとして著者は「主食」に注目します。強国はパンを食べ、日本は米食。さらに白米食は「ビタミンB欠乏食」です。この二つの事実を論拠とし、著者は「頭脳の働きを良くするためには、パンを食べろ」と主張します。ただ、大人はもう手遅れだからあきらめて、せめて子供にパンを食べさせろ、と。さらに「老人のボケや頑固さ」もまた、白米によってもたらされたものだ、と著者は主張します。
 「○○を食べれば、頭がよくなる」とか「頭が悪くなるから、××を食べてはならない」という主張の昭和33年バージョンです。(江戸時代の「鰻を食べれば精がつく」とか、明治時代の「ホルモンを食べれば元気になる」とかもありますから、日本人はこの手の話が大好きなのでしょう。現代でもサプリや健康食が大流行です) 面白いのは「科学的な根拠を示しつつ、いかにもありそうな話を仕上げていること」です。非常に真面目に、しかも面白く、ちょいと刺激的に「米食」について啓蒙していますが、「白米ばかり食って脚気になったりせずに、バランス良く食事を考えろ」という主張は、現代にも通じる真っ当なものです。しかし、パンを食うだけで世界が征服できたら、楽なんですけどねえ。


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表彰式でブーイング

2018-09-12 07:23:05 | Weblog

 アメリカ人は賞賛もブーイングも盛大にやってます。ただ、この前の女子全米オープンテニスの表彰式のブーイングは、なんとも変なものでした。私は最初「恥ずかしいプレイ」をしたセリーナ・ウィリアムズ選手に対するブーイングかな表彰式なのにもうやめろよ勝者にも敗者にも失礼だろ、と思っていましたが、なんとあれは優勝した大坂なおみ選手に対するものだったのだそうです。しかも全米テニス協会の会長までが「私たちが求めた結末ではなかった」「セリーナは王者の中の王者」と述べたそうです(ニューヨーク・ポスト)。アメリカのファンの一部は「大坂選手に対するブーイングではない。セリーナに対して不利な判定をした審判へのブーイングだ(だからやってもいい)」と主張しているそうですが、これも結局「セリーナびいきのブーイング」でつまりは「本当はセリーナが勝者だ、大坂選手の優勝は認めないぞ」という不満の表明です。優勝者に対してきわめて無礼千万、というか、スポーツそのものに対して無礼な態度です。
 「アメリカファースト」はここまで来ているんですね。トランプ人気の基盤が見えた気がしました。

【ただいま読書中】『人生で一度はやってみたいアメリカ横断の旅 ──バイリンガールちかの旅ログ』吉田ちか 著、 実業之日本社、2018年、1500円(税別)

 YouTubeで英語レッスンや自分の旅をシェアする動画を連載している「バイリンガール」が、夫と一緒に車でアメリカ横断をした旅の記録です。
 出発はニューヨーク。高級ステーキハウスにお洒落して行ったかと思うと、喜多方ラーメンを食べたり宅配ピザを注文したり(ホテルにデリバリーもしてもらえます。受け取りはホテルの外ですが)、素なのかなそれともさまざまな視聴者のことを意識した行動選択かな、なんてことを私はちらりと思います。
 メンフィスまで大体南西方向に進んで、そこから真南に進路変更。目指すはニューオーリンズです。そこから西進、メキシコ国境にぶつかるあたりでこんどは北上。サンタフェで西に転じ、グランドキャニオンから南下、またメキシコ国境にぶつかる前にフェニックスで西に向かってロサンゼルスで“上がり"という30日間のコースです。二人だから交互に運転できるけれど、できたら3人運転手がいた方が疲労は違うかもしれません。
 たくさんの写真が掲載されていますが、どれもカラフルでポップです。著者もその中でのびのびと写っていますが、衣装は大変だったでしょうね。旅だから荷物は限られるけれど、同じ服で写っている写真が連続したら視聴者に飽きられる心配があるからでしょう、みごとに衣装替えをしています。
 私の印象に強く残ったのは、アンテロープ・キャニオン。最近パソコンに入れたGoogle+のスクリーンセーバーで、その中に一枚とてもきれいな谷間の写真があってどこのものか気になっていたのですが、本書でそれがアンテロープ・キャニオンの写真であることがわかりました。いやあ、この世のものとは思えない美しさなんですよね。直に見たいなあ。
 この旅を私が実際にやったら、カラフルでもポップでもない、どろどろしたトラブルに出くわすかもしれません。だけど、最近旅をしていないので、ちょっと動きたくなってきました。英語ができない非白人でも快適な旅ができる場所に。


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金で買えないもの

2018-09-11 06:52:38 | Weblog

 将軍や世襲貴族の地位、忠誠心、結婚に失敗しない方法、人々からの憎しみや軽蔑……あ、最後のは“買える"かも。

【ただいま読書中】『戦闘機』レン・デイトン 著、 内藤一郎 訳、 早川書房(ハヤカワ・ノンフィクション)、1983年(89年再版)、2816円(税別)

 まず著者の名で「おや?」と思います。私にとっては著者は『SSーGB』の作者、つまり小説家なのですが、本書はノンフィクション。
 第二次世界大戦前「空の戦い」はまだ「ほとんど想像の世界のできごと」でした。実戦例は、スペイン内乱での爆撃、中国での日本軍による重慶爆撃くらいしかありません。そしてその例からは「爆撃機が一方的に地上を蹂躙できる。だから爆撃機をたくさん生産した方が有利」という“教訓"が得られていました。
 しかしイギリスでは「戦闘機が鍵」という意見を持っている人がいました。たしかに爆撃機の破壊力は地上に甚大な被害をもたらします。しかし、高価で乗務員がたくさん乗っている爆撃機を、安くて早く製造できて一人のパイロットしか必要としない戦闘機が撃墜できたら、これは「効果」が絶大です。しかし空軍首脳部には「爆撃機だけで戦争に勝てる」という盲信に囚われているものが多く、戦闘機の活用を妨害しようとさえする者がいました。もしその妨害が成功していたら、「バトル・オブ・ブリテン」は英国の負けとなり、第二次世界大戦の帰趨は変わっていたかもしれません。
 本書はそういった、「ドイツ空軍の爆撃機との戦い」だけではなくて「英国軍の中の“敵"」とも戦いつつ勝利を得た人々の物語です。本書の構成は明快で、「空戦の戦略」「指揮官の思考」「兵器(特に全金属単葉機とレーダー)」「各戦闘の記録」「結果」がそれぞれの章にまとめられています。「バトル・オブ・ブリテン」を扱った本やゲームはよくありますが、多くのものは「兵器」や「戦闘」にだけ注目しているきらいがあります。もちろんそれらも重要です。しかし最も重要なのは「戦略」と「指揮官」である、と著者が主張していることが本書の章立てから読み取れます。
 チャーチルは執務中に軍服を着用した最初のイギリス首相だそうですが、その軍服は空軍のものでした。彼がいかに空軍を重視していたかがわかります。ドイツ軍もイギリス攻撃で空軍を重視していましたが、それは敵前上陸のノウハウを持っていなかったからです。第二次世界大戦であれほどおこなわれた「敵前上陸」も、当時経験を持っているのは日本陸軍だけで、あとはアメリカ海兵隊が実験的な演習を始めた段階でした。そして、ヒトラー総統もゲーリング空軍元帥も「とにかく数重視」でした。だから新しい4発長距離爆撃機の開発よりもとにかくすぐ製造できるものが最優先とされました。対してチャーチル首相は「戦闘機の重要性」を認識していました。ヒトラーは「海の獅子作戦(イギリス上陸作戦)」を本気でやるつもりも準備もないのに宣伝していてチャーチルはそれを見抜いていましたが、もし制空権をドイツに奪われたら現実になってしまうかもしれないのです。
 イギリス空軍大将サー・ヒュー・ダウディングは空軍最高会議の参事官時代に、全金属製単葉戦闘機とレーダーの開発を推進し、複葉機党の恨みを買います。そのためか、約束されていた空軍参謀総長の職につけず左遷、行き先は空軍戦闘機軍団の司令長官への任命でした。実はイギリスのためには天の配剤でした。将来のバトル・オブ・ブリテンの勝利の確率がぐんと高まったのですから。ただダウディングは、防空システムの構築や戦闘機隊の拡充には力を振るえましたが、熟練パイロットの育成には悩まされました。また、軍の上層部(や首相)との軋轢にも。
 イギリス上空で戦ったパイロットは、イギリス人とドイツ人だけではありません。アメリカ軍やカナダ軍、フランス軍、ポーランド軍の兵士も混じっていました。本書では主なパイロットの主な戦いを臨場感豊かに詳細に描いてくれます。そこにほのかなユーモアが香るのは、著者がイギリス人だからでしょうか。
 ともかく、敵も味方も、戦いながら戦い方を学んでいきます。そしてドイツ空軍は、あまりの出血の激しさに、夜間爆撃だけをするようになります。しかし当てずっぽうにする爆撃は大した被害を出すことはありませんでした。目標が大きなロンドン爆撃は成功しましたが、レーダー基地や港湾・空軍基地などはおかげで襲撃を免れ、ドイツ軍としては軍事的には大失敗となってしまいました。
 不思議なのは、「失敗」したゲーリングは全然罰せられなかったのに、「成功」したイギリスの防空責任者が罰せられたことです。本書ではそのつるし上げの場についても実名を並べて冷静に評しています。そういえば日本軍でも「失敗」した人間が昇進して身代わりの人間が罰せられるのはよくありましたね。もしかして「戦争」とは「どちらがより多くのミスをするか」によって勝敗が決まるものなのかもしれません。「ミス」のたびに人命が大量に奪われるのはたまりませんが。そして「ミスをした人」が出世してさらに大きなミスをするのも、たまりませんが。


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