【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

自衛の武器

2021-03-31 08:25:26 | Weblog

 アメリカで銃は「自衛のため」に保持している人が多いそうです。ところで「意図」はともかくとして、その「実際」はどうなんでしょう? 実際に「自衛」のために銃器が使用されている数と、そうではない(犯罪や事故)で使用されている数と、どちらが多いのかな?

【ただいま読書中】『0番目の患者 ──逆説の医学史』リュック・ペリノ 著、 広野和美・金丸啓子 訳、 柏書房、2020年、2000円(税別)

 医学史は「(成功したり失敗した)医師の業績の歴史」です。しかし著者は「医学の主人公は患者」という観点から医学史を描こうとしました。
 感染症の世界では「ゼロ号患者」という言葉が使われます。パンデミックが起きる前に遡っての調査で見つかった最初の患者のことですが、著者は「患者ではない場合もある(=無症候のキャリア)」ことから「患者」の場合には「第一号患者」と呼ぶことを提案しています。さらに著者は感染症ではない場合でも「ゼロ号患者」に相当する存在(公式の歴史からは抹消された人たち)がいることに着目し、医学の様々な分野から「ゼロ号患者」を集めてきました。
 全身麻酔、ヒステリー、無症候キャリア、などバラエティーに富んだ例が次々登場します。「吐き気を催す事件」の章で扱われているのは、サリドマイドです。製薬会社の「吐き気を催す対応(の数々)」を読んでいて私が想起したのは、日本の水俣病でした。こちらでは、企業だけではなくて政府までもが「吐き気を催す対応(の数々)」をしていましたから。著者が水俣病のことを詳しく知っていたら、本書にはもう一章増えていたかもしれません。
 「正しい診断」は医者の、もとい、優れた医者の技です。しかし「治療」は実は医者の独占事項ではありません。診断ができない人の集団が、経験的に正しい「治療」を行ってきたことは世界中で見られます。「新しい病気を明らかにする」のは、医者とは限りません。患者がそれを明らかにする場合もあるのです。それもあって本書では「患者」が「医学史」の中心に据えられました。「医学」や「医療」は医者や製薬企業のためのものではなくて「患者のためのもの」のはずですから。

 


貧乏持続に努力は要らない

2021-03-26 09:31:28 | Weblog

 金持ちでさえ「売り家と唐様で書く三代目」です。つまり貧乏になるのはけっこう容易なこと。まして生まれながらの貧乏人が貧乏を維持するあるいはもっと貧乏になるのはきわめて容易なことでしょう。

【ただいま読書中】『日本における保育園の誕生 ──子どもたちの貧困に挑んだ人びと』宍戸健夫 著、 新読書社、2014年、3200円(税別)

 1876年(明治九年)、東京湯島の東京女子師範学校に附属幼稚園が開設されました。写真や設計図から見ると、ずいぶん立派なものです。定員は150人、お付きの女中に送り迎えをしてもらう幼児、つまり上流階級の子弟ばかりが集まっていました。ここには「富国強兵」を目指す明治政府の意志が働いています。学齢前の子供に知育と社会性を育てることが大きな目標でした。ここでは遊びも「有益の遊戯」でした。ああ、だから幼稚園は今でも文科省(文部省)の管轄なんですね。
 では庶民の子供は? 当時の子だくさんの状態では、学齢期になった子供(特に女児)は子守りが“仕事”で、小学校にも弟妹を背負ってやって来る子が珍しくありませんでした。これでは授業が成立しにくくなります。そこで「子守りの子」が授業中に赤ん坊をまとめて「護育」をする「子守学校」が明治十年ころから各地の小学校に併設されるようになりました。しかし、学齢前の子供が学校にいることは、文部官僚のお気に召しませんでした。さらに儒学のイデオロギーからは、子育ては「良妻賢母の義務」です。政府の財政は逼迫し、小学校への支出は極力減らし地方に丸投げしようとしていました。かくして、子守学校は小学校の保育科や簡易幼稚園、保育園へと形を変えていきます。
 女子師範学校附属幼稚園にも貧乏人のための「分室」が造られました。幼稚園の門を入ってすぐの所の「供待所(きょうたいしょ:従者の待合所)」を改修した、狭くて便所も応急でひどい環境のものでした。貧乏人の子供にふさわしい、ということかな? ただ、保育料は無料で保育時間も6〜7時間(幼稚園は3〜4時間)だったので、共稼ぎの世帯にはありがたかったことでしょう。保育方針は幼稚園とほとんど変わらない「幼児教育」だったのですが、集まった子供たちは実に元気いっぱい遊んでいたそうで、それまで良家の子女だけを相手にしていた職員は振り回されていたそうです。
 幼児教育の改革を目指す文部省は、1882年(明治15年)に「文部省示論」を出しますが、ここでは「富豪ノ子ニアラザレバ之(幼稚園のこと)ニ入ルコト能ワザルノ感」とか「貧民力役者(りきえきしゃ:肉体労働者のことかな?)等ノ児童ニシテ父母其養育ヲ顧ミルニ暇アラザルモノ」なんてすごい表現が平気で使われています。この「文部省示論」に従って作られた女子師範学校附属幼稚園の「分室」ですが、大きく発展することはありませんでした。ただこの分室の保母だった野口幽香さんが1900年(明治33年)「貧民幼稚園」を開設し大正期に「二葉幼稚園」と改称します。スラム街での保育がどのようなものだったか、本書に引用される二葉幼稚園の年報に子供たちや保母さんたちの生き生きとした姿が具体的に描かれています。しかし、週に1回入浴タイムがあって、手が足りないから親に代わる代わる当番で来てもらうと、大喜びで子供たちを風呂に入れ、ついでに自分も入り、あと浴室から幼稚園の廊下からぴかぴかに掃除して帰って行くという姿から、彼らの日常生活が見える気がします。
 岡山孤児院は1887年(明治20年)に岡山市に開設されました。「岡山と孤児」と言えば、津山藩主の松平斉民が、捨て子の命を救うために「捨てるのだったらここに」と「引出附の簞笥の如き箱」を構想したことを私は思い出します(『江戸の捨て子たち』沢山美菓子)。中心となった石井十次は「孤児が天性の素質を伸ばせないのは、けっして自業自得ではない」と断言します。21世紀の日本で「貧乏は自己責任」論がはびこっているのを知ったら19世紀の石井はなんと言うかな? 収容人員が増えるにつれ、石井は院内に小学校を設立、ついで幼稚園も設立します。そして、こういった熱意溢れる人に看過された人が、別の場所でも活動を始めます。
 明治30年代、全国に幼稚園が普及しますが、1899年(明治32年)には国立1・公立172・私立56と国公立優位でした。しかし20世紀に入ると、私立幼稚園が続々開園します。1909年(明治42年)には国立1・公立208・私立234と私立が半数を超えます。
 日清戦争後、女工の獲得が困難となってきた紡績工場では、熟練工を失わないために工場付属の保育所を次々開設させます。社員の福利厚生、とも見えますが、夫婦共稼ぎをしないと食っていけないくらいの低賃金だった、とも言えます。かくして「保育所」が幼稚園とは“別の世界”で展開されるようになりましたが、文部省は「教育目的の幼稚園」以外には興味を示さず、しかたなく内務省が(1938年からは新設の厚生省が)保育所を担当することになりました。文部省は「教育」が錦の御旗ですが、内務省は感化救済事業として扱っていて、公立の託児所・乳児院などが大正期から造られるようになりました。民間でも保育組合(皆で金を出し合って保母を雇う)が設立されます。自助共助公助などとことさら区別せず、できることはできるところでやっていく、といった雰囲気です。それにかたくなに背を向けているのが文部省、というのがちょっと悲しいけれど。

 


ATM使用料

2021-03-23 07:20:25 | Weblog

 CD(キャッシュディスペンサー)がATMに置き換わってきた時代に、「自分で機械を操作しているのに、なんで使用料が必要なんだ」と私はぶつぶつ呟いていました。ただ「機械」の製造コストや置く場所の地代、掃除・集金・機械のメインテナンスなど、「コスト」はけっこうかかっているわけですから、誰かがそれを負担しなければならないわけです。
 最近はネットバンキングが普及してきました。ここでも私は「自分で操作しているのに、なんで使用料が必要なんだ」とぶつぶつ呟いています。えっと、この場合の「コスト」は「銀行のサーバー代」? でもATM維持費よりずいぶん安くなっているんじゃないです?

【ただいま読書中】『銀行員は生き残れるか ──40万人を待ち受ける運命』浪川攻 著、 悟空出版、2019年、1300円(税別)

 本書の冒頭は「2023年の銀行」の予想像です。本書が書かれたのはコロナ禍の前、「金融緩和」「低金利」「インバウンド景気」「AIの活用がやっと開始されたところ」の日本がそのまま経過していたらこうなる、という姿が登場して、「そうそう、なつかしいインバウンド」と私は呟いてしまいました。
 ただ、「コロナ禍が無い」ことを差し引いても、本書に描かれる銀行の状況は実にシビアです。笑っちゃったのは、「世界全体がキャッシュレスになること」によって「現金も使える日本」がかえって外国人観光客に魅力的に見えるようになる、という推測。たしかに「外国と同じ」を目指すよりも「日本ならでは」をウリにした方が外国人観光客には受けるはずです。
 第二章からは「銀行の苦悩」が縷々語られます。景気の低迷、日銀のマイナス金利政策、銀行に頼らなくなった産業などが日本中の銀行を苦しめます。さらに他業種から銀行業に参入してくる動き(たとえばセブン銀行、ソニー銀行)もあります。そこで銀行も他業種に進出しようとしていますが、そちらはあまり成功しているとは言えません。それを著者は「銀行は“非力なオールドエコノミー”になっている」と端的に言います。では時代についていこうとするデジタル化に「未来」はあるでしょうか? そこで私が思い出すのは、みずほ銀行の何回もの大失敗です。
 「銀行に未来はあるのか?」という疑問は、特に若手行員が多く抱いているそうです。ノルマに疲弊し、人員削減に怯えていたら、そして銀行の株価が長期低落傾向を続けている現状を見たら、明るい未来が描けるとは思えません。そこで必要なのは「銀行への信頼」だと著者は主張し、その実例を示します。この塩沢信用組合の話は、なかなか強烈ですが、納得のいくものです(他の金融機関とローンの利率競争をするのではなくて、自分の所は住宅ローンの新規営業を停止、営業マンは顧客が他行と契約する場に同席して、住宅ローンの利率をさらに下げさせる交渉をしたというのです。その結果、契約は他行に奪われますが、顧客の信頼を得ることができ、なにかと相談に来てくれるようになった、というのです)。これはつまり「自分の会社のために働く」か「顧客のために働く」か、の“ベクトル”の違いを意味します。逆に言えば、低迷する銀行は「顧客のため」には働いていない。
 これまでの銀行は「拡大路線」をずっと走っていたそうです。しかしこれからの銀行は「量」ではなくて「質」に注目しないと、生き残れないのではないでしょうか。まず「銀行そのものの質」。そして「銀行が社会にどのくらいの貢献ができるか、の仕事の質」。この両方の「質」を高めないと、たぶんその銀行は早晩潰れます。

 


新規採用の不思議

2021-03-21 19:08:23 | Weblog

 かつての日本は、まっさらな新卒を一挙に採用して自分の会社で鍛え上げて使える人材に育てるのが根本方針でした。だからこそ年功序列に意味が出ます。育ってきた者は価値が高いのですから。そして、自分の所で育てたからこそよそには奪われたくない、だから終身雇用となります。
 しかし今の日本では、年功序列も終身雇用も死語です。その代わり「能力」とか「目標達成」とかが言われるようになりました。そのためか、履歴書だけではなくて自己PRのためのエントリーシートの提出が求められるようになりましたが、これは結局「即戦力」を企業が求めているように私には見えます。
 だけど大企業が行っている就職活動は、相も変わらず新卒を時期を決めての一斉採用。これって変じゃないです? 「使える人材」を求めるのだったら、新卒ではなくて中途採用をすれば良いのですから。それを、新卒に「使える能力を持っていること」を求めるのは、無理があるでしょう。
 もちろん新卒の方が安くつく、という事情が大きいのでしょうが、それだったらちゃんと自分の所で育てなきゃ。

【ただいま読書中】『マスタードの歴史』デメット・ギュゼイ 著、 元村まゆ 訳、 原書房、2021年、2200円(税別)

 マスタードは少なくとも4000年前には調味料として使われていて、ヨーロッパでは2世紀のレシピに記載されています。
 カラシナは、青虫に食べられないために“毒”としてグルコシノレートを生成しました。青虫は進化して毒に耐性を身につけ、カラシナはさらに多くのグルコシノレートを生成するようになりました。そのおかげで私たちは「マスタードの辛さ」を楽しむことができるのです。
 最古のマスタードシードは、中国西部の遺跡の器から発見されました。紀元前4800年のものです。古代ギリシアやローマでは、マスタードのペーストはまず医療用、ついで食用として用いられ、ローマ人によってヨーロッパ各地に持ち込まれました。中世ヨーロッパではまるで雑草のようにあたりに生えていて、貧乏人はコショウ(同じ重さの銀の価値!)の代用品としてマスタードを用いました。
 フランスではマスタード製造にベル果汁(酸味が強くてワインに向かず、熟すのも遅いブドウの未熟果汁)が用いられフランス独特のマスタードの風味を与えました。やがて上等なブドウが栽培されるようになると、ベル果汁の代わりにビネガーが用いられるようになります。
 ドイツで有名なのはバイエルンの甘口マスタード。伝統料理としてヴァイスブルスト(白いソーセージ)とともに食べるためヴァイスブルストゼンフ(白いソーセージのマスタード)と呼ばれます。イギリスの伝統はローストビーフにマスタードを添えること。日本だとおでん・焼売・からしれんこん、アメリカはもちろんホットドッグ。
 紀元前2100年の古代シュメール文明、楔形文字が刻まれた粘土板の中に最古の薬として、ナガ(唐辛子の一種)・塩・カラシを練り合わせた塗り薬が記録されています。見ただけでなんだか血流は良くなりそうですね。中国では風邪・胃病・関節リウマチにマスタードシードが今でも使われます。インドのアーユルヴェーダではマスタードは、代謝の調節・粘液の粘性低下・消化促進の薬効が謳われています。古代ギリシアでも消化促進作用が認められ、湿布にも使われていました。かと思うと、催吐剤としても用いられたそうです。胃に良いのか悪いのか、わかりません。
 マスタードがなくても生きていけますが、でも味気ない人生になりそうです。不思議な食べものです。

 


もうすぐ第4波

2021-03-20 10:11:17 | Weblog

 「医療の強化が必要」とどこかの誰かが今さら言っていますが、日本に必要なのは医療の強化だけではなくて政治の強化も、じゃないです?

【ただいま読書中】『科学史の事件簿』「科学朝日」編、2000年、1400円(税別)

 先日読んだ『スキャンダルの科学史』が主に日本に焦点を絞っていたのに対し、続編に当たる本書は舞台が世界になっています。常温核融合の論文捏造とかクローンES細胞捏造とか、すぐにいろいろ思い出しますが、本書は1995年に単行本として出版されているので、今にして思えばけっこう古いネタが多い印象です。
 もしも科学史が「成功の歴史」として書かれたら、それは「大きな間違い」です。もちろん「成功」の積み重ねで科学は進歩するものですが、その陰には「捨てられた失敗」がうずたかく積み上がっています。あるいは「ピルトダウン人」のように「失敗」ではなくて「犯罪」と言いたいものもありますが。
 「デーヴィーとファラデーとの師弟関係」は、失敗でも犯罪でもなくて「残念な人間関係」です。「成功したのに悲劇を引き起こした」のは原爆開発。科学史って、なかなかすっきりしたものではないようです。人間の営みですから、当然ではあるのですが。

 


「遅すぎる」の反対語は「早すぎる」?

2021-03-19 08:17:12 | Weblog

 緊急事態宣言をさっさと解除するそうです。これまでなにをやっても「遅すぎる」「後手後手」と悪口を言われていたから、今回くらいは「早すぎる」と言われたいのかな、なんてことは思いますが、これで「第四波」がくることは確実では? 第三波で一度下がった患者数はまた少しずつですが増え始めているのですから。きっちりがっちり「これでもか」と言うくらい押さえ込んでから解除した方が「安心」は長持ちするのではないかなあ。
 ところで、「遅すぎる」「早すぎる」の“反対語”は「ちょうど良いタイミング」では?

【ただいま読書中】『近代外科の父・パレ ──日本の外科のルーツを探る』木村敏郎・森岡恭彦・佐野武 著、 日本放送出版協会(NHKブックス609)、1990年、757円(税別)

 パリへの留学経験を持つ三人の外科医が、近代外科の祖であるアンブロアズ・パレについて書いた共著です。
 医者の中では“低い身分”だった床屋外科だったのに、外科学に革新をもたらしたパレは、実は遠い日本にも影響を及ぼしていました。1706年に出版された『紅夷外科宗伝』(楢林鎮山著、貝原益軒が序文)は、実はパレの著作(オランダ語版)を勝手に翻訳したものでした(著作権の概念が確立していないし、そもそも蘭書がまだ解禁される前の時代でした)。この本には、顔の傷を治すのに、傷を直接縫うと針の跡が残るから、傷から少し離れたところに布を張り付けその布を縫って傷を寄せることで針の跡を残さずに治療できる、という図が載っています。こんな昔に形成外科的な発想があったわけで、それができたパレはすごい医者です。
 16世紀のフランスでは王家の力はまだ弱く、戦いに明け暮れる毎日でした。軍医として戦場をめぐったパレは、腕の良さが認められ国王の侍医に抜擢され、結局4代の国王に仕えることになります。カトリックの国なのに、新教徒で身分の低い床屋外科が侍医……おそらく周囲のやっかみはすごかったのではないかな。
 そこでパレは銃創の治療に革新をもたらします。それまで火縄銃の銃創が治りにくいのは「火薬の毒」による、と医学界では考えられていて、その毒消しのために煮えたぎった油を傷口に注いでいました。ひでえ話です。傷口に熱傷を負わせたら、治る傷も治らなくなるでしょう(傷を治すためには「生きた細胞」が大量に必要なはずです)。そこでパレが始めたのが、軟膏で傷を保護するという温和な方法です。温和な方法が「革新的」というのも面白いですが。また、四肢の切断では止血のために「血管の結紮」という技術を持ち込みました。当時は焼きごてで傷口を焼いて消毒と止血を兼ねていましたが、痲酔のない時代にこれはとんでもない拷問だったことでしょう。負傷兵にはパレのやり方が歓迎されたはずですが、それは旧来の医者には目障りで、様々な攻撃や妨害を行いました。
 パレは「医療の改革」だけではなくて「床屋外科の地位向上」の活動もおこなっています。そのためには技術の向上が不可欠ですが、外科医の地位と技術が向上したら、それは結局「人類のため」になるので、それに反対する人は何を考えていたのだろう、なんてことも私は思います。

 


就職の難

2021-03-18 07:04:59 | Weblog

 いわゆる「氷河期」だと「就職がとても難しい」と人は苦しむことになります。
 しかし大量採用の時代だと、社内での競争は厳しく出世の目はなく(社長になれるのは一人だけですから)、やがて景気が後退したら希望退職が大量に募集されることになります。

【ただいま読書中】『スキャンダルの科学史』「科学朝日」編、朝日新聞社(朝日選書570)、1997年、1339円(税別)

 「科学朝日」に連載された、日本科学界に起きた「スキャンダル」を集めています。登場するのは、有名無名の日本人ですが、外国人も二人混じっています。一人は京大のサイクロトンを破壊した事件でのハリー・ケリー。もう一人は、ハリー・ケリーと協力しながら日本の応用研究振興に尽力したイシドル・ラビ。
 錬金術まがいの詐欺事件に関係したり、恋愛スキャンダルを起こしたり、大間違いの“大成果”を発表したり、日本の科学者はいろいろな事件を起こしています。でも、科学者も人間なんだな、と余裕を持って思えるのは、私がまだ科学そのものには信頼感を持っているからでしょう。

 


無効な言明・有効な行動

2021-03-16 07:19:23 | Weblog

 企業からの接待に関して官僚も政治家も、最初は「否定」で入り、否定しきれないと次は「疑念を持たれる内容ではない」「行政が歪められたことはない」とか言います。つまり「全否定」から「部分否定」に移行する。
 「『越後屋、お主も悪じゃのう』の接待を受けました」なんて公言(全肯定)するわけはないので、「事後にことばで何を主張するか」は無視して良いでしょう。注目するべきは「どんな行動をしたか(仲良く飯を食ったか金品のやり取りをおこなったか、その後どんな決定を行政や立法でおこなったか)」だけで良いと思います。

【ただいま読書中】『西洋美術とレイシズム』岡田温司 著、 筑摩書房(ちくまプリマー新書365)、2020年、1000円(税別)

 旧訳聖書「創世記」、洪水後のノアが葡萄酒に酔っ払って裸で寝ているのを息子に目撃される、というエピソードがあります。ユダヤ教では「肉親の裸を見ること」は「近親相姦の領域のタブー」とされていました。ともかく、旧訳聖書では、父親の裸を見た三人兄弟の末っ子ハムはノアによって「子孫はずっと奴隷であれ」と呪いをかけられました。キリスト教では「ハム」は「熱い」と解釈され「暑い土地」はアフリカ、つまり「ハムの子孫はエジプトに住む黒人」と解釈されるようになりました。実際にはエジプトに住むのは黒人ではなくて白人の系統でしたが、そういった「真実」よりも大切なものが宗教にはあるようです。
 13世紀以降のヨーロッパ美術で「イエスを迫害する者」に、それまでのユダヤ人に加えて黒人が混ざるようになります。「ハムの呪い(旧訳聖書で「ハムが呪われたこと」をもって、人種差別を正当化する動き)」がキリスト教世界で動き始めます。さらに近代科学が発展すると、「太古の話を科学的に解明したい」という「科学的探究心」もまた「ハムの呪い」を正当化するために使われました(優生学や骨相学などその典型と言えますね)。そして、「聖家族」の肖像に優生学思想が盛り込まれた絵画を見て、レイシズムが“聖なるヴェール”をまとって実にあっけらかんと明るく表現されていることに著者は驚愕をします。
 ちなみに、この「ハムの呪い」について触れたキング牧師の演説が紹介されていますが、とても印象的です。こちらにも「明るさ」がある(怒りが明るさの“ヴェール”をまとっている)ので。
 旧訳聖書の創世記には、異母兄弟であるイシュマエルとイサクの物語もあります。ここでキリスト教側は民族と
差別の(イスラムを差別することを正当化する)物語と解釈しているのに対し、イスラム側は同じ物語を平等な家族の物語としている点が対照的です。どちらが正しいとか間違っているとかではなくて。そういえばイスラムは絵は認めないんでしたね。すると絵画の世界で、差別意識を発露するのはキリスト教側のやりたい放題ということになります。
 最初期の聖書では「シバの女王」は「私は黒くて美しい」と言っていたのが、時代が新しくなると「私は黒いが、愛らしい」に変わっていきました。これは些細な変化に見えますが、重大な意味を含んでいます。そして、その「意識」に従った絵画が続々と製作され、人々の無意識に働きかけていきました。シバの女王だけではなくて、アンドロメダやクレオパトラも、西洋絵画の中で「肌の色」と「ジェンダー」の両方でレイシズムのくびきを負わされ続けているのです。
 西洋絵画にはゲップが出るくらい宗教が含まれている、ということは見たら大体わかりますが、もう少し深く見たらそこにはレイシズムもあった、というのは貴重な指摘です。私もこんな目が欲しい。

 


ハエがたかる

2021-03-16 07:19:23 | Weblog

 昭和の時代、「はいちょう」というものがありました。漢字で書くと蠅帳。通気性を保ちつつ料理にハエがたかることを防ぐ家具や食卓の上に乗せる小さなカバーです。料理を無防備に放置すると、てきめんハエがたかってくるからそれを防ぐ必要があったのです。
 総務省の接待や昔の大蔵省の接待、復興マネーにたかる人たちの話を聞くと、このハエのことを思います。美味しそうなものがあったら、わんわん集ってくるんだな、と。
 ちなみにこのハエ、うんこにも大喜びで集ります。

【ただいま読書中】『あをによし それもよし(1)』石川ローズ 作、集英社、2018年、600円(税別)

 会社に行こうとしてうっかりタイムスリップをしてしまったサラリーマン山上(やまがみ)。彼が最初に出会ったのは奈良時代の役人小野老(おののおゆ)。
 おいおい、と私はツッコミを入れたくなります。小野老は実在の人物じゃないですか。万葉集に「あをによし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり」を残した人です。
 山上は最小限のもので生きることを目指していた(自称)ミニマリスト。彼から見たら奈良時代の生活はミニマリストにとっての天国です。家の中に家具はなし(小野が単に貧乏なだけですが)。食事は玄米と塩だけ(飢饉で食料が入ってこないから)。衣服は100%天然保証付きの麻。山上は感激しまくり、都を初めて見たとき思わず「あをによし」と口走ってしまいます。小野老はそれを聞き逃しません。そして小野は「山上」を「山の上」と解釈します。
 いやもう、山上が無意識に発する言葉を小野老が取り入れ、それが都で大評判になると小野老は出世をする。それが繰り返されるとは、なんとも「好循環」です。それどころか山上は仕官することになってしまいます。山上憶良として。
 ページをめくるごとに笑い転げてしまって、人前で読むことができません。実に困った漫画です。

 


食べる事

2021-03-14 07:46:24 | Weblog

 人類の歴史のほとんどは「手に入るものを食べる。食べなければ、死ぬ」でした。下手したら自分が食べられる方に回ることもあったはず。「食べたいものを食べる」という贅沢を言えるようになったのはつい最近、それも世界の一部に限定されています。
 グルメとかダイエットとか飽食とか大量の食べ残しとか……これってどこか間違っているような気がするのは、文明の進歩のありがたみを勘違いしています?

【ただいま読書中】『戦争がつくった現代の食卓 ──軍と加工食品の知られざる関係』アナスタシア・マークス・デ・サルセド 著、 田沢恭子 訳、 白楊社、2017年、2600円(税別)

 2つの世界大戦でアメリカ軍は「準備が重要」という教訓を得ました。その「準備」には、武器弾薬だけではなくて食料も含まれていました。きちんと兵士に食べさせないと、勝てないのです。
 親が子供に「愛情たっぷりの弁当」を作ろうとすると、必要なのは「持ち運びしやすく、すぐに食べられて、常温で長期保存でき、価格が手ごろ」な食材です。実はこれは軍が兵士のコンバット・レーション(戦闘糧食)に求めるのと全く同じ条件です。
 著者はアメリカ陸軍ネイティック研究所に取材に出かけます。エナジーバー・成型肉・長期間保存できるパン・インスタントコーヒーが発明された研究所へ。そこで著者が出会った「レーション」の賞味期限は「摂氏27度で3年間」。非常識な数字ですが、世界中で戦うアメリカ軍にはそれが必要なのです。
 国防総省は大量の食料を買い付けています。民間企業で国防総省を上回る食品購入をしているのは、シスコとマクドナルドだけ。そしてネイティック研究所が、納入業者に大きな影響を与えていました。新規採用品目の決定やレトルトパウチの試作といった“通常業務”だけではなくて、基礎科学や応用科学での課題や環境問題への対応なども研究所が自分で研究したり他に委託したりしています。
 エナジーバー(グラノーラバー、シリアルバー、朝食バー、栄養バー、健康バーなど呼び方は色々)の原型は、第一次世界大戦に米軍の依頼でハーシーが製作したチョコレートバー(蛋白質と穀類と大量の蔗糖を合体させてチョコレート風味をつけたもの。正式名はDレーション)です。
 フリーズドライ技術の実用化が行われたのは、野戦病院でした。血漿をフリーズドライして戦場に運ぶことで、多くの兵士の命が救われたのです。軽量で長期保存可能な点に注目した軍は野戦糧食にもフリーズドライを応用しようとします。1960年代の技術では食感などがぼろぼろの食品しかできませんでしたが、その動きを後押ししたのが宇宙開発でした。NASAも軽量・コンパクト・安全な食料を求めたのです。その研究は「科学」そのものです。「水分活性(食品中の水分量とその周囲環境の水分量の比率)」が保存性に重要な因子であることが解明され、その過程で「中間水分食品(缶詰より軽く、フリーズドライより水分が多い)」具体的にはドッグフード(動物性と植物性の蛋白質を押出成型した常温保存可能なパティ)が生まれます。もちろん兵士や宇宙飛行士は“ドッグフード”を食べさせられることはありませんでしたが、そのかわりに「フルーツバー」を食べることになりました。それも喜んで。そしてこの中間水分食品は、市場でも大人気となります。                            かつて「肉」は新鮮なうちに(腐る前に)食べるものでした。しかし第一次世界大戦前に冷蔵輸送が可能となり、第二次世界大戦前には冷凍技術が使われるようになります。さらに輸送効率のために、骨を抜いて四角く成型された箱詰め牛肉が(業者と軍に)人気となり、さらに無駄を嫌う人たちはクズ肉も寄せ集めて成型肉として商品化します。もちろんソーセージなどの加工肉は過去から存在しています。しかしそれは「消費者を欺くため」に加工しているわけではありません。しかし近代的な成型肉は「消費者を欺く(クズ肉をステーキだと感じさせる)」が主目的でした。そしてこれも、軍からあっというまに世界に広まります。
 常温で放置してもいつまでもかびたり腐ったりしないパンやプロセスチーズ、昔のことを思えば非常に“不自然”な食品ですが、これにもまた「軍→市場」の物語があります。そして、目立たないけれど「保存」には一番重要かもしれない「プラスチック包装」。軍が戦場で使用するために示した仕様を最初にきちんと満足させたのは1949年のサランラップでした。そういえば我が家に初めてラップが入ってきたのは、1960年ころだったかな。最初はクレラップだったかもしれません。
 レトルトパウチの開発も、産軍共同で20年もかかりました。得に課題になったのは、接着剤の耐久性と、成分の溶出(食品への移行)でした。
 「工場での食品の加工」は現代社会に欠かせないものになっています。そしてその技術の確立に、実は「軍」が大きな役割を果たしている(そしてその役割の大きさを世間に知らせようとしていない)ことが実にわかりやすく描かれた本でした。もしかしたら私たちは、平時でもすでに「兵士(のようなもの)」であることを期待される社会に生きているのかもしれません。