【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

隔離の意味が理解できない

2021-06-30 07:02:34 | Weblog

 「バブルによる隔離」を言っていたくせに、今頃になって「五輪では空港で関係者と一般利用者の動線を分ける」ことの検討を始めるそうです。「隔離」って言葉を、五輪の運営者は理解できていないのかな? 動線が混じっていたら隔離されていることにはならないでしょ? もしかしてウイルスよりも脳なし? 少なくとも能なしであることは間違いないようです。「バブルによる隔離」と口に出した瞬間「なんとなく生じた“達成感”」で満足しちゃいました?

【ただいま読書中】『二つの温暖化 ──地球温暖化とヒートアイランド』甲斐憲次 編著、 成山堂書店、2012年、3800円(税別)

 気温計による測定はたかだかこの100年のことですが、化石記録・花粉分析・同位体分析などから過去の気温はけっこう高い精度で推定できます。歴史を見てもある程度のことはわかります。たとえば12〜13世紀にはイギリス南部でブドウが栽培され、バイキングはヨーロッパ各地に侵入するだけではなくてグリーンランドにも植民地を作りました。ところが16世紀にテムズ川が氷結し、バイキングはグリーンランドから撤退、その代わりにイヌイットがグリーンランドに住みつきました。つまり、12〜13世紀は温暖期、16世紀は寒冷期(小氷期)、とわかります。小氷期からあと、気温は右肩上がりに上昇しましたが、1960年ころから低下し始め70年代には「まさか、氷河期が再来するのか?」と語られるようになりました。安部公房が『第四間氷期』を発表したのは1958年ですから、タイトルだけ見ると“先見の明”があったと言えそうです。ところが気温上昇は“持ち直し”、95年ころには地球温暖化への警戒感が高まりました。
 人為的な地球温暖化は、人間の活動(の過剰)によってもたらされます。そしてその“先行例”として見えるのが「都市の温暖化」。なにしろ人が密集して活動しているのですから、その影響は地球全体を見なくても簡単にわかります。
 「ヒートアイランド」という言葉を私が初めて聞いたのは、1970年代だったか80年代だったはずです。このときには私は地球規模でものを考えることができなかったので「都市が温かくなるのだったら、冬は都市で、夏は田舎で過ごしたら快適かな」程度にのほほーんとしていました。今にして思うと恥ずかしい。
 地球温暖化は、実験室内で再現することは困難です。数値シミュレーションの結果を受け入れなければなりません。さらに、確率とか不確実性についても受け入れる必要があります。なかなかはっきりしない感じでもどかしいのですが、それでもせめてSDGsについてくらいは理解しておいた方が良さそうだ、と私は思っています。「自分が死んだあと、地球や人類がどうなってもかまわない」とまで思えませんので。

 


規則を守る

2021-06-29 07:29:21 | Weblog

 規則一点張りの融通が利かない人間は腹立たしいものですが、決まりを守るという簡単なことさえまるでできない人間はもっと腹立たしいものです。

【ただいま読書中】『摩擦のしわざ』田中幸・結城千代子 著、 西岡千晶 絵、太郎次郎社エディタス、2015年、1500円(税別)

 摩擦によって「熱」「音」などが発生するのはなぜか、から話は始まります。これには「原子」「分子」の存在を理解する必要があります。さらに摩擦によって「電気(正確には静電気)」も発生します。これには原子の内部構造を理解する必要があります。
 摩擦によって表面が削られる「摩耗」という現象もあります。ブレーキは摩擦がなかったら機能しませんが、では単にぎゅっと止まれば良いかと言えばそうではありません。公共交通機関が急停車したら車内で転倒事故多発です。だから微妙なコントロールが必要になるのです。
 本書には「摩擦」の面白さが充満しています。私が一番面白く感じたのはガソリンスタンドでの話です。意外なところに意外な摩擦があって色んなことをやっています。

 


天皇に対して……

2021-06-27 07:00:36 | Weblog

 昭和16年:「米英には必ず勝てます」「我々(政治家と軍人)を信じてください」「ここまで来たら戦争をやめるわけにはいきません」
 昭和20年:「負けを認めない限り、負けたことにはなりません」

 令和3年:「コロナには必ず勝てます」「ここまで来たらオリンピックをやめるわけにはいきません」
 そしてオリンピック後には?

【ただいま読書中】
『りゅうおうのおしごと!(6)』こげたおこげ 作、白鳥士郎 原作、スクウェア・エニックス、2017年、571円(税別)
『りゅうおうのおしごと!(7)』こげたおこげ 作、白鳥士郎 原作、スクウェア・エニックス、2018年、571円(税別)

 「才能がない人間は去れ」は正しいのか? この問いに何人もの人が真っ正面から向き合います。「才能がない人間は努力をすれば良い」が正しいとしたら、ではテーゼは「才能vs努力」なのか?
 いやいやいやいや、将棋が(というか、真剣に生きる人が人生で出くわすほとんどのものが)そんなに単純なものではないはず。実際に本書で将棋は「そんな単純なものではない」のです。
 さらに本書に登場する人たちは「負ける苦しみ」だけではなくて「勝つ苦しみ」も味わうことになります。負けたら悔しいけれど買ったら嬉しい、と思うのですが、人生はそんなに単純なものではないようです。

 


改竄の記録の改竄の記録

2021-06-26 07:23:05 | Weblog

 赤木ファイルに墨塗をした人は、きちんとその記録を残しているんですかね? そもそもどこを墨塗するか、指示した人は誰? 墨塗の場所を決定した根拠は? ページを抜いていない、という根拠は示せます?

【ただいま読書中】『性転師 ──性転換ビジネスに従事する日本人たち』伊藤元輝 著、 柏書房、2020年、1600円(税別)

 共同通信社の遊軍記者として神戸で仕事を始めた著者は、デスクから指示された取材で偶然坂田という人に出会います。坂田が社長をする会社は「海外美容整形アテンド」を名乗っていました。これはつまり、タイで性別適合手術(昔の言い方だと性転換手術)を受けたい日本人をタイの病院や旅行会社に取り次ぎ、パック旅行としてまとめて仲介料を頂く仕事です。「男→女」の場合は100万円程度、その逆は3回の渡航が必要で300〜400万円。日本で初めて性転換手術を受けたのは確かカルーセル麻記さんで約50年前にモロッコ、と記憶していますが、今はずいぶん“手軽”になりました。ただ手術を受ける人の“覚悟の重み”には変わりはないでしょう。
 著者はアテンド業務に同行取材をします。共同通信では地方支局の記者が海外出張をするのは異例のことらしいのですが、デスクと支局長が本社にかけあい許可を取り付けました。その結果は「ルポ・心の性を求めて」という全8回連載の新聞記事となって全国の新聞に配信されました。この記事の“主人公”は手術を受ける当事者や家族でしたが、本書では「アテンド業」の人びととタイの病院関係者に焦点が絞られています。
 20世紀末、坂田は最初は普通の美容整形をアテンドする気でした。ところがメニューの端っこにあった「性別適合手術」への問い合わせが次々あり、困っている人がこんなに日本にいること、に商売人としてのセンサーが反応、「タイへのアテンド」の先駆者としての活動が始まります。当時のタイでは、性別適合手術が“市民権”を得るようになり、病院のレベルや医師の腕もどんどん向上している時期でした。
 「メディカル・ツーリズム」が日本で語られるようになったのは今から10年くらい前ですが、それは「日本の進んだ医療とおもてなしのサービスとを観光客に味わってもらい、お金をごっぽりおとしてもらおう」という戦略でした。ところがその前からすでに「日本から」のメディカル・ツーリズムが実際に行われていたわけです。もっともタイで観光をする余裕は皆さんなかった様子ですが。
 坂田とほぼ同じ時期に、同じようにタイへの性別適合手術のアテンドを商売として始める人が何人もいました。まだ「性同一性障害」が概念として広く知られる前で、皆手探りで知識や情報を集めながら仕事を始めました。著者はこの人たちを「第一世代」とまとめます。そこで「客」としてアテンドを使い、感じた不満をなんとかしようと自分で業者になる「第二世代」が登場します。なにしろ自ら手術を受けた当事者ですから、サービスはきめ細かいものになります。ただ「プロ意識」の点に著者は一抹の不安を感じています。
 「業者」の人とサービスは実に様々です。まったく同じものはありません。病院もそうです。環境や医者の腕やアフターサービスなど、実に様々。そしてもちろん、客も様々です。その組み合わせは膨大な数に上りますが、その中で「最適な組み合わせ」になれた人は、実にラッキーだっただろうな、とは思えます。人生を変える手術なのですから、不幸を引き起こす要因は少しでも少ないことが望ましいので。
 さらに本書は、深い場所に読者を連れて行きます。性別適合手術の「意味」です。もちろんこの手術は性同一性障害者に対する「治療」として行われます。しかしあるアテンド業者は「手術しか治療法はないのか?」と著者に問います。手術をしなくても、その「人」が社会の中で居場所を見つけられるようにはできないのか?と。
 「わざわざタイに行かなくても、日本で手術を受ければ良いのに」という疑問を持つのは当然ですが、それに対する回答はシンプルです。「医者の腕が違いすぎる」。そこにも深い理由があるのですが、それは本書をどうぞ。微妙で繊細な話題を、粗雑に扱う人がけっこういることに、驚くことができます。

 


ウイルスよりエラい人たち

2021-06-25 07:19:37 | Weblog

 尾身さんの危惧は「自主研究に過ぎない」と切って捨て、天皇の懸念は「宮内庁長官の考え方に過ぎない」と切って捨てる政治家って、専門家よりも天皇よりもエラい、という自覚があるのでしょうね。(ちなみに、専門家は研究をするのが当たり前ですし、天皇は政府に直接口出ししたら憲法違反になるから間接的にしか述べることが許されていません)
 まあ、たしかに彼らは人間の世界では一番エラいのでしょう。問題は、ウイルスがそれを認めてくれる(「エラい人には従おう」と思ってくれる)かどうかです。だれかウイルスの意向を確かめました?

【ただいま読書中】『横浜の関東大震災』今井清一 著、 有隣堂、2007年、2300円(税別)

 1923年(大正12年)9月1日正午1分前の関東大震災では、「東京(市)」の被害はよく知られていますが、神奈川県や千葉県でも大きな被害が生じていました。ちなみに当時の東京市は15区で面積は80平方キロ(渋谷・新宿・池袋などは「市外」)でしたが、現在の23区は627平方キロです。横浜も区政を敷く前で面積は現在よりはるかに小さいから「東京」とか「横浜」と言う場合でも現在のイメージを大正時代に安易に投影しない方が良さそうです。
 関東大震災の震源域は、千葉県から山梨県東部の直下で、神奈川県は全体がそこに含まれます。東京はほとんどが震度6(地盤が弱い本所区北部は震度7)でしたが、神奈川県と房総半島は広い範囲で震度7でした。横浜では、東京以上に「地震による被害」が大きかったことが想像できます。実際に、市街地では建物はすぐに倒壊しさらに大火災で市街地はほとんど焼失してしまいました。特に悲惨だったのは南京町(中華街)で、建物倒壊と火災で5000人の中国人のうち2000人が死亡したそうです。さらに悲惨なのは、その直後のデマ。千葉でも東京でも「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマが流れましたが、横浜でもご多分に漏れずその類のデマが流れ、さらに「中国人も」が加わっていたのです。
 本書には「個人の体験談」が豊富に含まれています。そのリアルさには驚きますが、生き残った人の体験でさえこんなに恐ろしいものなのだったら、死んでしまった人の体験はどうだったのだろう、ということも考えてしまいます。私に特に印象的だったのは、巡査の体験で、家に残っている人には避難を勧告し、狭い避難路では交通の誘導、火事が迫ってきたら消火活動、さらにはアナーキストなど普段から行動を監視している人の監視も継続しています。いやあ、大活躍ですね。
 震災の日の夕方には「朝鮮人が」のデマが流布し始め、翌日には市中全体に拡散。この時横浜は孤立状態だったので、他の地域とは関係なく「横浜発のデマ」だったと考えられます。震災の1年くらい前から神奈川県では警察主導で地域の在郷軍人会や青年団を中心にした「自警団活動」が盛んになっていました。警察の下請けのつもりだったのかもしれませんが、震災で警察が「略奪や強盗に注意」と注意喚起をしたのに対して、当時社会主義者や朝鮮人中国人に警戒意識を持っていた人がそこに「朝鮮人の」をつけ加え、それがあっという間に拡散していったのではないか、という推測も著者はしています。面白いのは、後日「○○がデマを言い始めた」という「デマの真犯人に関するデマ」もまたどんどん拡散していったことです。
 政府は戒厳令を敷き、食糧配給を行い、ともかく壊滅状態の被災地に秩序を取り戻そうとします。でもそれだったら最初から「デマが流布しやすい素地」を作らないように努力しておけば良かったのにね。まさか震災が来るとは思わなかったのでしょう。最近の政府がまさか震災や原発事故(事故と言うより人災)やコロナが来るとは思わなかったのと同じように。

 


オリンピック会場で飲酒の“検討”

2021-06-23 06:57:43 | Weblog

 「2万人入れる」「スポンサー関係者は『別枠』」「会場で飲酒できるかどうか検討」なんてことを“オリンピックのエラい人”たちが言っています。なんだかもやもやしたいやんな気分です。「別枠」って、ウイルスが「この人たちは別枠扱いね」と言ってくれる? 市中では「飲むな」「声を出すな」と言われているのに、五輪会場は別天地? 東京オリンピック2020のゴールドパートナーがアサヒビールで会場で出されるアルコールもアサヒビールのはずだから、このもやもやした気分をなんとか晴らすために「もうアサヒビールは飲まない」という決心でもするしかないですかね。あ、私は下戸だから、最初からアサヒビールは飲んでいなかった。

【ただいま読書中】『研究不正と歪んだ科学 ──STAP細胞事件を超えて』榎木英介 編著、 日本評論社、2019年、2300円(税別)

 「STAP細胞」が華々しく発表されたときの大騒ぎを私はまだ覚えていますが、マスコミが「白衣ではなくて割烹着」などと大々的に報道している姿に、「マスコミは『科学報道』ができないのか」と違和感も覚えましたっけ。そして、世界各地での追試がすべて失敗、研究不正の噂が囁かれていた頃、理研は「検証実験」に熱中していました。ただし、「検証」(STAP細胞が実在するかどうか)と「研究不正」とは別の問題です。たとえ細胞が実在したとしても、それが不正な研究によるものではいけないのです。
 本書では、「STAP細胞事件」にだけフォーカスして「特異な人たちによって引き起こされた特異な事件」と矮小化するのではなく、実際の科学の現場で実験がどのように行われているか、論文はどのように書かれているか、その真実性をどのように保証する制度があるのか、論文の査読はどのように行われているか、“不祥事”が起きたときその研究所などで検証と再発予防がどのように行われるか、マスコミ報道はどのように行われるか、など「事件の一般性」をあぶり出すことによって「STAP細胞事件」が“非特異的”なものである(今までもあったしこれからもあるであろう)ことを明らかにしています。「これからもある」というのは、あまり聞きたくない予想なんですけどね。

 


男系の維持

2021-06-20 11:14:44 | Weblog

 将軍家や大名などは子供ができないことに備えて側室を複数置く、という“対策”を立てるそうですが、男性不妊に対しては無効ですよね。
 ちなみに、男性に不妊の原因がある確率は、女性とほぼ同等だそうです。「嫁して3年子なきは去る」は女性の側にだけ要求してはいけないみたい。

【ただいま読書中】『源氏将軍断絶』坂井孝一 著、 PHP研究所、2021年、1020円(税別)

 室町幕府も江戸幕府も初代の血統が15代続きましたが、鎌倉幕府の場合頼朝の血筋は三代まで。四代と五代は摂家将軍、六〜九代は親王将軍となりました。源氏の血筋は存在していたのに、どうして源氏将軍が途絶えてしまったのか、それを本書は問います。さらに、誰もがたよりにする鎌倉幕府の公式資料は『吾妻鏡』ですが、これが編纂されたのは頼朝挙兵から120年後、つまり「北条寄り」の史料です。あまり真っ直ぐに記述を信じ込まない方が良さそうです。
 全国をほぼ平定して幕府の基礎を固め、跡継ぎの頼家も元服を迎えようとしている建久四年、頼朝は富士の裾野で大規模な巻き狩りを行いました。狩りですが、多数の御家人が参加した軍事演習でもあります。12才の頼家は見事に鹿を射止めますが、そこで曾我兄弟の敵討ちが勃発。この事件が後日、有力御家人の大粛清につながります。ことの真相は不明ですが、ともかく政権基盤を固めた頼朝は、征夷大将軍を嗣子にも継がせる「源氏将軍」を朝廷に認めさせます……が、頼朝の死の3年前から「吾妻鏡」では記述が空白となっています。そこで著者は朝廷貴族たちの日記を漁ります。それによると、頼朝は自分の娘を入内させようとして失敗、頼家には朝廷の重臣賀茂重長の娘を迎えますが、なかなか子ができません。ただこのあたりには「北条には都合の悪い真実」がいろいろあって、だからと言って捏造をいろいろするとボロが出そう、だから「吾妻鏡」にはあっさり3年間の空白があるのではないか、と著者は考えています。
 「吾妻鏡」には二代将軍頼家は「暗君」として描かれます。そこにも著者は疑いの目を向けます。「源氏将軍」から政権を奪った「北条政権」を正当化するためではないか、と。中国の史書でもおなじみの手口です(たとえば「酒池肉林」)。頼家の乳母夫は比企氏、対して実朝の乳母夫は北条氏です。頼朝は両氏の協力の上に幕府を築こうという構想を持っていたのでしょうが、頼朝の早すぎる死によって、権力闘争が準備されてしまいました。そして、頼家の発病と危篤状態により「次の将軍」への争いが始まり、そこに頼家の「奇跡的な回復」があったためにとうとうむき出しの暴力による「比企の乱」が勃発しました(この闘いで北条が負けていたら「北条の乱」となっていたかもしれません)。ともかく北条は勝ち、幼い将軍実朝を擁立、北条氏は御家人筆頭の地位を確立します。
 ところがこんどは北条氏の内紛が。政子・義時の姉弟と、その父時政・その後妻牧の方との対立です(牧氏事件)。将軍実朝の身柄を抑えた政子・義時側の勝利となり、時政は出家して伊豆に隠遁します。
 私たちの目には、蹴鞠や和歌は、遊びとか風流とかのジャンルのものに見えます。しかし当時の貴族や武士にとって、それらは「政治のツール」でもありました。だから「蹴鞠に熱中していた」と記録にあっても単に「遊びほうけていた」わけではないのです。
 幼い将軍実朝は若い将軍実朝に成長し、政治を少しずつ自分で動かし始めます。そこで勃発したのが大騒乱となった和田合戦。御家人ナンバー2の和田氏とナンバー1の北条氏の対立から多数の御家人が戦うことになりました。その後実朝は御家人統制を進め、一時疎遠となっていた朝廷との関係も修復しようとします。ところがそれに対して「吾妻鏡」は冷ややかな記述をします。この「冷ややかさ」にも著者は「意図」を感じます。
 実朝の御台所信子は「治天の君」後鳥羽上皇の従兄妹でした。実朝から見たら、その妻より身分が劣る女との間に後継者を作る気にはなれません。しかし愛妻との間に子はできませんでした。御家人の間では「頼朝の直系の子孫が将軍になる」という「源氏将軍観」が定着しつつありました。つまり「源氏」というだけでは将軍になる視覚としては不十分なのです。そこに、信子より身分が上の人間、つまり親王を後鳥羽より頂いて将軍後継者にする、という驚きの発想が登場します。それはおそらく実朝が思いついただろう、と著者は推測します。
 これは、実朝・北条・後鳥羽、それぞれにメリットの多い構想でした。それぞれの立場での解説を読むと、たしかにその通りだ、と思わされます。しかしここでまたもや大事件が勃発。二代将軍頼家の遺児公暁による実朝暗殺です。これには「陰謀説」がいろいろ唱えられていますが、その後の幕府や朝廷の大混乱ぶりから、「陰謀はなかった」と著者は推測をします。そして承久の乱。もう、日本は大混乱です。後鳥羽上皇は北条義時にターゲットを絞って排除することを狙いますが、「チーム鎌倉」はそれに牙を剥き「三上皇配流」となってしまいます。朝廷からは「東国の軍事政権」に過ぎなかった存在が、朝廷よりも「上」に立つ世が来たのです。こうなると北条は「源氏将軍」にこだわる理由がなくなります。といって「執権」が将軍になったら御家人の反発が来るのは目に見えている。だから将軍を京から迎えるようにしたのでしょう。「将軍がエラい」のではなくて「次の将軍が誰かを決める人がエラい」のです。あらら、これって外祖父や上皇の制度と同じですね。

 


ポストコロナ

2021-06-20 11:14:44 | Weblog

 一番楽観的な未来:ワクチンが奏効あるいはウイルスが突然変異をして無害になる。
 悲観的な未来:これはいくつもあり得ます。たとえば、ワクチンの効果があってもごく短期間。ワクチンの副反応で人類がばたばた倒れる。ウイルスが突然変異をして凶悪になる。ワクチンの効果は限定的で、今と同じ状態がずっと続く。新しい疫病がさらに発生する。

【ただいま読書中】『コロナ後の世界』大野和基 編、文藝春秋(文春新書1271)、2020年、800円(税別)

目次:「独裁国家はパンデミックに強いのか」(ジャレド・ダイアモンド)、「AIで人類はレジリエントになれる」(マックス・テグマーク)、「ロックダウンで生まれた新しい働き方」(リンダ・グラットン)、「認知バイアスが感染症対策を遅らせた」(スティーブン・ピンカー)、「新型コロナで強力になったGAFA」(スコット・ギャラウェイ)、「景気回復はスウッシュ型になる」(ポール・クルーグマン)

 タイトルとそのタイトルでインタビューを受けた人の名前を見たら、ある程度中身に見当はつきますが、「コロナ後」というキーワードで統一された論考を見ると、「ポストコロナの世界」のありようが少し見えた気がします。
 そういった“大きな部分”だけではなくて、本書では細部も面白い。たとえばジャレド・ダイアモンドは「中国のような独裁国家だと、パンデミックに対する対策は議論抜きで直ちに実行できてすぐに効果を現す」と肯定的に述べたあとで「ただし独裁国家が常に正しい決定を下すとは限らない」とも述べています。実際に独裁的な決定は、正しいこともあるけれど間違えている(でもそれを「力」によって押しつける)場合の方が多いですよね。
 マックス・テグマークは「パンデミックとの闘いは情報戦だ」と言います。これまたわかりやすい。
 本書は、著作ではなくてインタビューであるため、どの人も非常にわかりやすく語ってくれています。その共通点を敢えて探すと、「終末論や末法思想のような、ひどい悲観論に陥る必要はない」でしょう。どの人も「コロナによって生じた危機は、実はコロナ以前から準備されていたものがコロナウイルスであぶり出されたもの」という認識をしています。だったら、なんとか人為で対応することも可能、ということです。あまり悪いことばかり思っているとその“予言”は自己成就をしてしまいますから、私も(警戒はしつつ)楽観的に未来を眺めることにします。

 


同じものを見ても

2021-06-18 08:28:43 | Weblog

 すばらしい手品を見て、科学のすごさを思う人もいれば、過去の修練の大変さを思う人もいるし、魔術や超能力の実在を信じる人もいます。

【ただいま読書中】『りゅうおうのおしごと!(3)』こげたおこげ 作画、白鳥士郎 原作、スクェア・エニックス、2016年、562円(税別)
『りゅうおうのおしごと!(4)』こげたおこげ 作画、白鳥士郎 原作、スクェア・エニックス、2016年、562円(税別)
『りゅうおうのおしごと!(5)』こげたおこげ 作画、白鳥士郎 原作、スクェア・エニックス、2016年、571円(税別)
 子供の時に師匠宅に引き取られた主人公、盲目の永世名人、やたら派手なライバル、など「3月のライオン」を連想させるネタが豊富に仕込まれていますが、あちらになくてこちらにあるのが「弟子」の存在です。小学生のあいちゃんは無事(?)九頭竜くんの弟子(それも内弟子)となり、さらにそのライバルとして神戸のやばいすじのお嬢様(9才で小学四年生、つまりあいちゃんと“偶然”同年齢同学年)の天衣(あい)。いやいや、名前まで同音ですか。これは大混乱の予想が(笑)。
 小学四年生の美少女(しかも棋才はどちらも天才級)を二人も弟子として抱えることになった九頭竜くんは、あいは「光」天衣は「闇」の特性を持っていることに気づき、それぞれを育てることでライバルとして両者が成長することを願います。いやいや、九頭竜くん、突然のキャラチェンジですね。自分の才能も人生も持てあましていたのに、他人の才能と人生を引き受けています。それも自分の人生をかけて。いや、精神論ではなくて、失敗したら入り婿になるかやくざにいろいろされるか、のどちらかですから、真剣にならざるを得ません。
 藤井聡太さんの師匠杉本さんは「敢えて教えなかった」とよく言っておられます。その理由の一つと思われるものが本書からも読み取れます。天才的な力を持つ九頭竜少年(小学生)と出会った師匠は、「プロ棋士」と「トップ棋士」とが別世界に住むことを知っているからこそ、自分が教えることでトップ棋士になり得るこの才能を潰してしまうのではないか、と悩んでいたのです。そしてその悩みは九頭竜くんにそのまま継承されることになります。ギャグ将棋漫画のはずなのに、みんな真面目だなあ。そうか、真面目にギャグをやるから、破壊的になるんだ。
 そして、天衣の入会試験の場で相手に選ばれたのは、あい。受けの天衣が選択したのは一手損角換わり。この戦術の怖さが、マンガならではの表現で示されます。罠に引き釣り込まれたあい。しかしそこで彼女は「光」として“覚醒”します。しかし天衣とあいはまったく読みが噛み合いません。それはそうでしょう。「光」と「闇」なのですから。

 


大戦果

2021-06-17 06:57:50 | Weblog

大戦果
 ヴェトナム戦争(当時はまだ「ベトナム」と表記されていました)が盛んに新聞で報道されていた頃「アメリカ軍・南ベトナム政府軍の死傷者は○人、ベトコンの死者は××人」などと毎日ニュースになっていました。「××」は必ず「○」の数倍〜100倍で「圧倒的じゃないか、ならどうして戦争が長引くんだ?」と小学生でも不思議に思っていました。
 で、何年も戦争は続き、そのうち「ソンミ村」の報道があり、「まさかソンミ村の住民も『ベトコン』に数えられていたのかな?」とある中学生は思いましたっけ。

【ただいま読書中】『ヴェトナム戦争 ソンミ村虐殺の悲劇 ──4時間で消された村』マイケル・ビルトン/ケヴィン・シム 著、 葛谷明美、後藤遥奈、堀井達朗 訳、 藤本博、岩間龍男 監訳、 明石書店、2017年、5800円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4750345377/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4750345377&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=798167056f9ddcc5b3129792c3b95d69
 1968年3月16日、南ヴェトナムのソンミ村に入ったアメリカル師団第11軽歩兵旅団所属チャーリー中隊(ヴェトナムに派遣されてまだ3箇月)は、およそ500人の老人・女性・子どもたちを、整然と4時間で殺害しました。これはポーランドなどで占領した村を徹底的に破壊したナチスを上回る効率的な手口です。
 ドイツでは「歴史からの教訓」として「特別な人間だけがなるわけではなくて、誰でも冷酷な虐殺者になれる」ことを記憶し続けようとしました(忘れたがる人も多いようですが)。そしてその教訓は、アメリカには伝わっていなかったようです。そして「アメリカ」は「ソンミ村」から「教訓」を引き出すことを拒絶しました。「せいぜい不愉快な事件」だ、と事件を矮小化し、裁判は政治とイデオロギーの駆け引きの場となります。「責任者」として指揮官だったカリー中尉に有罪宣告(重労働を伴う終身刑)がされましたが、その3日後にニクソン大統領は特赦、3年間を米軍基地の「独身寮」で過ごした後、保釈されています。
 笑ってしまいそうになるのは、チャーリー中隊に同行した従軍カメラマンによって撮影された「大戦果」の写真が、「クリーブランド・ブレイン・ディーラー紙」や「ライフ」に公表されたことです。国民がこれに「怒号」を上げるとはニクソン大統領には意外なことでした。そこで「戦争に残酷な行為はつきもの」とか「生命の危険にさらされているアメリカ軍の兵士を責めるのは道徳的に間違っている」とか「チャーリー中隊だけが特殊」とかの主張が次々“目くらまし”としてばらまかれます。そしてそれは実に有効でした。ただ、第二次世界大戦や朝鮮戦争では問題にならなかったことが、ヴェトナム戦争では問題になったことに、「えらい人たち」は動揺や困惑を隠せませんでした。
 ところで「アメリカ軍」の本質はこの半世紀で変わったのでしょうか? 変わってないのなら、今も「ソンミ」と同じことを世界のあちこちでやっているのでしょうね。たとえば無人機(ミサイル搭載型のドローン)の操縦者たちは、赤ん坊でも平気で殺しているのかな。目の前でやっているわけではないから、「自分の手は血で汚れてはいない」と罪の意識も持たずに。下手すると「スクリーンの向こうのできごと」とビデオゲーム感覚で。