【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

ヘッドカラー

2021-07-31 11:01:26 | Weblog

 「ヘアカラー」という商品があるのだったら、スキンヘッドに塗ったら好きな色の髪の毛が生えているように見える「ヘッドカラー」というものもできませんか?

【ただいま読書中】『ガラガラヘビの味 ──アメリカ子ども詩集』アーサー・ビナード、木坂涼 編訳、 岩波書店(岩波少年文庫196)、2010年(11年2刷)、640円(税別)

 「アメリカ」「子供でも(もちろん大人でも)読める詩」「多様性」を念頭に編まれたアンソロジーです。いやあ、たしかにすごい多様性。
 読んでいる最中「ずいぶん女性の詩人が多いな」という印象を持ちましたが、解説で納得。普通に詩のアンソロジーを編むとどうしても男性詩人が多くなるのですが、「子供」をキーワードにするとぐっと女性詩人が増え、さらに「多様性」も使うとほぼ半々までになったのだそうです。
 私自身は詩心がない人間なので、たまにしか詩集を読みたい気分になりませんが、今回はお得な気分で読了できました。たぶんどんな人も、この中に一つくらいはお気に入りの作品が見つかるのではないかな。

 


テスト対策

2021-07-29 19:12:29 | Weblog

 私は学生の時に、テスト前にはテスト勉強をしました。そして、結果が帰ってくると、点数を見て一喜一憂するだけではなくて「×がついているところ」「自信が無くて書いたらなぜか○がもらえたところ」について再検討をしました。同じ間違いを次のテストでしたくなかったからです。
 今のコロナ対策をしている人たち、毎日「テスト」を受けている気分でしょうが、「点数(新規患者数などの数字)」を見て一喜一憂するだけではなくて、自分がどこを間違えたのか、それに対してどのような対策が必要か、きちんと検討を繰り返しています? 同じ間違いを繰り返しているのだったら、「屋形船が悪い」「ホストクラブが悪い」「飲食を伴う接待が悪い」「会食が悪い」「デルタ株が悪い」と「悪いもの探し」に熱中するより、自分自身の「テストに向かう基本的な態度」の何かを変える必要があるとは思いませんか?

【ただいま読書中】『結核がつくる物語 ──感染と読者の近代』北川扶生子 著、 岩波書店、2021年、2500円(税別)

 日本での結核流行の最初のピークは1916-18(大正5〜7年)。結核によって国力が削られる、という危機感を持った“専門家”たちの議論から見えるのは「結核を減らすために必要なのは、環境に働きかけること」という共通認識です。さらに“急進的”に「階級の問題」とする人もいました(良家の子女は「女工哀史」にはなりません)。ちなみにこの頃の軍事費は国家予算の3割くらいでした。
 それが世界恐慌を経験し軍国主義に突進すると「結核の原因は、個人の体質」という論調が盛んになりました。ところが同時に「国民の身体は国家のもの」でもあったことが興味深い。だって「国家のもの」だったら「その監督・管理責任」は国家に帰属しません?(「製品」の製造責任はメーカーにあるのと同じ、と私は考えます) それなにの「不良な体質」は「自己責任」です。国から与えられたものであろうとなかろうと、「生まれながらの体質」に対してどう「責任」をとれと? ともかく日本では、「ナチスの優生医学」が賞賛され「劣等者」をいかに早く判別し“退場”させるかの議論が始まります。
 結核は「文化」も変えました。たとえば文学では1920年代頃から、都会(特に東京)は「結核菌の巣窟」とされ、逆に田舎は「健康的な理想郷」というイメージが張り付けられました。笑ってしまうのは、戦時下(1943年)の調査で子供の体格の成長が悪くなっていることに対して「女子の方が発育阻止が強く表れているのは、日本的家族制度や慣習としての男子尊重が現れていると言うことなので、喜ばしい」とか「都会の若者や子供を田舎に移転させて生産に従事させたらすべて解決する」とか「食糧不足」を精神論で“解決”しようとする態度です。なんのための調査だったのやら。
 結核は「女性美」も変えました。もともと日本での「美人」の定義は、浮世絵から竹久夢二の絵まで「なで肩で柳腰、すらりとした女性」でした。ところが1930年ころから「そのような美人は、結核に罹りやすい」という主張が力を持ちます。その根拠は「日本には結核が蔓延しているが、欧米では減っている。従って『日本的な美人』よりも『欧米型の“健康的”な美人』の方が望ましい」。どこかで論理が三段跳びをしていませんか? ともかく「健康婦人」が求められるのは、「健康な少国民を生む」ためです。そういった主張は、雑誌で述べられるだけではなくて、1940年には「国民優生法」が制定され、遺伝的疾患を持つ者の生殖は制限され、逆に「健全な者」の産児制限は禁止されました。
 文学において「結核」は「非日常」、「結核患者」は基本的に「他者」ですが、闘病記においては「結核」は「日常」です。その代表が正岡子規の『病牀六尺』『仰臥漫録』。自分が死に行く過程が「写生」されています。この作品(行為)によって正岡子規は「自分の日常は“書く”に値すること」と「写生(古典的な“型”にはまった紋切り型の表現ではなくて“リアル”を重視する書き方)」の重要性を主張しました。それと「ユーモアの重要性」も。
 「結核の治療」については、実に様々な「治療法」が提唱され、患者は情報の洪水に翻弄されました。ヨード製剤には殺菌効果がありますが(これは本当のこと)、これを服用したら結核が治る、と広く宣伝され(これはエセ科学)、紫外線による殺菌効果を使った「人工太陽灯」も人気でした。笑っちゃうのは「石油療法」。「石油を飲むと結核が治る」というデマは広く拡散し、厚生省が警告を発する事態に発展しました。
 「結核患者=サナトリウム」は戦前の「文学の世界」の話で、実際の結核患者の多くは自宅療養をしていました。ベッドは圧倒的に足りませんし、そもそも入院や入所ができる資力がない人がほとんどだったのです(ちなみに、戦前の精神病患者もほとんどは自宅療養(座敷牢での生活)でした)。感染を恐れて、自宅外の掘っ立て小屋や山小屋で“療養”する人も多くいました。サナトリウムは限られた人間のための憧れの存在で、だからこそ「サナトリウム文学」は人気を博することになります。そして、有効な治療法がない現状では、精神主義がはびこることになりました。つまり結核は「自己責任」で「優生思想の対象」で「根性で対処するべきもの」だったのです。「医学」や「貧困の問題」は見事に隠蔽されてしまいました。
 今のコロナ禍でも、患者に対する「視線」は、戦前の結核や癩病に対するものと、その本質はあまり変わっていないのではないか、と私には思えます。「コロナにかかったのは自己責任」という主張、人気ですよね?

 


不祝祭

2021-07-27 06:49:03 | Weblog

 「飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ」という言葉がありますが、今回の東京2020は「飲むな歌うな」の“祝祭”となっています。
 昭和末期、天皇が重態だったとき、半年以上にわたって国民は「飲むな歌うな」の“自粛”をしました(日産のテレビCMで井上陽水が「皆さん、お元気ですか?」と言う音声だけがミュートされて口パクになりましたっけ)。そのときよく言われたのが「こんなご時世ですから」。で、今はどんなご時世なんでしょう?

【ただいま読書中】『チューリップの文化誌』シーリア・フィッシャー 著、 駒木令 訳、 原書房、2020年、2300円(税別)

 チューリップの現生種は、中央アジアの険しい山脈に広く分布していますが、変異が非常に豊かで、遺伝子も2倍体や4倍体がいくらでもあり、チューリップ属の分類を志す人たちを古くから悩ませていました。春になると荒野に咲く赤い花は、「大地に流された血」をモチーフとする神話や伝承の元となりました。また、その形から酒杯とも強く結びつけられました。
 トルコ人はチューリップを愛しました。トルコ系のセルジューク朝は12世紀にはすでにチューリップのコレクションをしていて、そこで各地の野性チューリップは交雑の機会を得ました。そしてそのチューリップ愛はオスマントルコにも引き継がれ、オスマンが版図を拡張するのと歩調を合わせてチューリップはその品種を増やしました。16世紀のイズニク陶器は豊富なチューリップの模様で彩られ、リュステム・パシャ・モスクはチューリップ文様のタイルで覆われています。庶民はチューリップの生花で身を飾りました。ちなみに、人々がチューリップをターバンに差しているのを見た神聖ローマ帝国からの大使オジエ・ブスベックが花を指さして名前を尋ねたのに対し「テュルバン(トルコ語でターバンのこと)」と教えられたのを花の名前と勘違いしてそれが「チューリップ」になった、という話が残っています。そして、トルコからヨーロッパに「チューリップ」は進出していきました。
 オスマントルコの細密画ではチューリップはほっそりしていますが、ヨーロッパの絵ではふっくらしたものが多くなります。そしてチューリップはオランダへ。オランダ人もチューリップを愛し、1601年の宝くじではチューリップの球根が賞品となっています。新品種の命名権は生みの親の栽培家にあり、人々は新品種開発に熱中し、人気の品種の球根には高値がつくようになりました。やがてチューリップの球根は、先物取引の商品になります。“バブル”は加熱し、自宅を抵当に入れて球根を買う人もいました。バブルが最高潮に達したのは1636年12月〜37年1月ですが、1635年から始まったペストの流行で労働者が不足し賃金が上昇して素人投機家が余剰金を持つようになったことも「チューリップ熱」に一役買っていました。そして球根一つに「アムステルダムの運河沿いに建つ豪邸が買える値段」がつくようになって、人々は我に返ります。相場は暴落、人々は複雑怪奇な訴訟沙汰に巻き込まれ、引き取り手のない球根はヨーロッパ全土だけではなくて北アメリカ、さらにはトルコにも届けられ、オスマン帝国では新たなチューリップへの熱狂を巻き起こしています。もちろん他の国でもチューリップは愛されるようになりました。
 「チューリップの歌」では花の色は「赤白黄色」ですが、そんな単純な花ではないことが本書に豊富に収載された写真を一瞥するだけでわかります。読んでも楽しく、見ても楽しい本です。

 


昔の○○禍

2021-07-23 11:44:21 | Weblog

 今は「コロナ禍」と普通に言われていますが、昔の「スペイン風邪」や幕末〜明治期のコレラ流行、古代から繰り返したインフルエンザや天然痘の流行などは、特に「○○禍」とは呼ばれていません。結核は「国民病」とは呼ばれていましたが。
 この違いは、なんでしょう?

【ただいま読書中】『百年前のパンデミックと皇室 ──梨本宮伊都子妃の見たスペイン風邪』小田部雄次 著、 敬文舎、2020年、1400円(税別)

 1918年(大正7年)〜21年の4年間で「スペイン風邪」による死者は全世界で5000万人、日本は45万人と推定されています。大正時代の日本の人口は5000万人台ですから1%くらいが亡くなったことになります。
 著者は近現代の皇室研究をしていますが、かつて分析した梨本宮伊都子の日記を「スペイン風邪」の視点から読みなおすと新しい発見があったそうです。
 大正天皇には4人の皇子と4人の妹がいて、宮家は12もありました。皇族の交流は密ですが、この時期、お葬式が相次ぎます。もちろんスペイン風邪以外の死因もあるでしょうが、それにしてもお葬式の記述が多い印象です。
 宮家の皆さんの交流は“密”です。まだスペイン風邪の原因がウイルスとはわからず(というか、この頃はまだ「ウイルス」という概念が存在しません)、感染防御のための合理的な対策も確立していなかったからでしょうが、しかし宮家の“ちょっと外側”に位置する人々(たとえば宮内庁の役人)は、宮家の人々に「流行性感冒」をうつしてはならない、と神経質になっていることが印象的です。
 皇太子裕仁(のちの昭和天皇)も1918年の1月と11月に「風邪」を引いたという記述がありますが、11月の方はのちにスペイン風邪だったことがわかりました。
 人々は「血清」「ワクチン」「キニーネ」「解熱剤」「玉子酒」「冷水摩擦」などでスペイン風邪に対処しようとしました。
 現在のCOVID-19では、病原体がウイルスであることはわかっていて、その感染経路もある程度わかっています。それでも社会では混乱が生じています。まして、何もわからない状態であった大正時代のスペイン風邪に人々が翻弄されるのはむしろ当たり前でしょう。
 結局伊都子は、スペイン風邪の時代に弟・妹・父・初孫を亡くし、関東大震災で実家が焼失します。そして迎えたのが激動の昭和でした。
 私たちも現在「COVID-19の時代」を生きています。運良く生き残れたとして、迎えるのはどんな時代なのでしょう?

 


ショーツが短いということ

2021-07-22 07:50:56 | Weblog

 「審判から競技用ショーツが「短すぎ」との指摘、パラ女子選手が怒り 英」(yahoo!ニュース/CNN)
 「競技用ショーツの長さ(短さ)」についてルール違反があったのだったら、それは審判の方が正しい、と言えます。だけどブリーン選手は「ショーツはアディダス社の2021年公式モデル」だと説明しているわけで、するとアディダス社に問題があるということに?
 だけど、本当に「ルール違反」だったら「失格処分」ですよね。そうではないのだったら「審判が選手に自分のファッションの好みを押しつけた」ということに?
 もしかして、選手の足が長すぎてショーツが短く見えただけ、とか?

【ただいま読書中】『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』オードリー・タン 著、 プレジデント社、2020年、1800円(税別)

 2020年1月20日、まだ「武漢で新型肺炎」が日本でニュースになりかけていた頃、台湾では衛生福利部(日本の厚生労働省)に中央感染症指揮センターが設立され各部会(日本の各省庁)が連携して防疫対策を始めました。1月22日には武漢からの入国禁止、24日には中国からの入国禁止。スマートフォンを活用して感染経路の確認や濃厚接触者に警告メールを送るシステムを構築。同時に民間企業にマスク増産を要請、すべて政府が買い上げることにします。
 なんだろう、このスピード感は。
 もちろん「100%の対策」はありません。ウイルスは容赦なく変異をしていくし、台湾の場合には中国がテロを仕掛けてくる可能性が常にありますから、自然あるいは人為によって必ず防壁は破られます。それでも日本の「きっと大したことにはならないよ。嫌なことは考えたくないから、最善の結果を前提に対策を立てよう」というゆでガエルの政策策定態度より“犠牲者”は減るはずです。
 著者の父方の祖母は日本統治下の台湾人、祖父は四川省出身で国民党軍と一緒に台湾に移ってきた人です。「日本語か台湾語」と「中国語」ですから話は通じないはずですが、著者は「カトリックという共通因子が大きく、両者とも漢字が読めるから恋文で用は足りたのだろう」といった捉え方をしています。二人とも日本に対しては一定の感情を持っているはずですが(特に父方の祖父は明確に「反日」のはず)それを子孫に押しつけることはなかったそうです。父からは「批判的思考法」を学んでいますが、ここで重要なのは「批判の対象」が「自分自身」であることです。単に「他人のあら探しをすること」ではありません。
 1993年、著者は12歳でインターネットと出会いました。パソコンをモデムで電話回線に接続していますが、日本でもこの頃は同じでしたね。そこで著者は「プロジェクト・グーテンベルク(著作権が切れた書籍を電子化するプロジェクト)」と出会い、そこで「Han Convert(中国語の繁字体と簡字体を自動変換するプログラム)」を書くことで「貢献」をしました。そういえばあの頃は「無償で貢献したい」が“ブーム”というか、ふつうの雰囲気でしたね。集団生活になじめず、結局中学校も中退することになった著者はネットに「居場所」を見つけたのです。もっとも全国中学生科学技術展の「応用科学部門」で一位を取って「希望の高校に無試験で入学できる権利」を既に持っていたのですが(ちなみに問題は「世界の事情について記述し、その内容について自分自身で論理的な推論をして、論理的な結論を導き出せ」で、著者が提出した作品は「Arithmetric圧縮演算法の実践について」だったそうです)。このとき著者は「AI推論」に興味を持ちましたが、『論理哲学論考』(ヴィトゲンシュタイン)にも強い影響を受けたそうです。15歳で出版社を企業、18〜19歳で渡米してシリコンバレーでソフトウエア会社を起業。33歳でビジネス界からは引退して各社のデジタル顧問などを務めてますが、その成果の一つがアップルの「Siri」です。この時期著者が強く影響を受けたのは柄谷行人の「交換モデルX」。ここの説明を読んで、「なるほどなあ」と私はうなってしまいました。同時に著者がなぜ「信頼」や「信用」を重視するかもある程度わかったような気がします。

 


類は友を呼ぶ?

2021-07-20 07:02:26 | Weblog

 「女性蔑視」「女性の容姿蔑視」「障害者イジメ」と辞任が続いていますが、あの組織は“そういう組織”ということなのでしょうか? 表に出ていないだけで裏にはもっとすごい人がごろごろと? だってそういう人たちが「あいつなら使えそう」と気が合いそうな人に声をかけて集めてきたわけでしょ?

【ただいま読書中】『ケーキの切れない非行少年たち』宮口幸治 著、 新潮社(新潮新書820)、2019年(20年26刷)、720円(税別)

 発達障害や知的障害を持つ少年(男女とも)で、保護者や支援者が機能していない人は、病院には行かず障害にも気づかれません。その中には、学校ではイジメに遭い、非行に走って「加害者」になって警察に逮捕され、少年鑑別所で初めて「この子には障害がある」と気づかれる人がいます。教育制度の敗北とも言えるこの問題に気づいた著者は、公立精神病院の児童精神科医をやめ、医療少年院や女子少年院に勤務しました。
 本書20ページの「Rey複雑図形の模写」の具体的な図や、34ページの「丸いケーキを3等分あるいは5等分した(できなかった)」図を見ると、衝撃を感じます。不適応から非行を起こした少年たちが、世界をどのように認知しているのか、私の認知とはあまりに異質であることが一目でわかるものですから。
 こういった「本来は教育で救えた(非行に走らなかった)少年」の主な特徴は「認知機能の弱さ」「感情統制の弱さ」「融通の利かなさ」「不適切な自己評価」「対人スキルの乏しさ」「身体的不器用さ」にまとめられています。こう並べられたらなんとなくわかりますね。
 しかし「反省」をしてもらおうとしても、まず「見る力」「聞く力」をチェックする必要があるとは、大変です。でもそれをしないで“説教の方法”をいくら工夫しても、ムダです。
 こういった「少年」は、大体小学校2年くらいから「SOS」を出しています。ところがそれが拾えないと、イジメ→非行、のルートに乗ってしまう人がいる。ということは「SOS」を拾って支援をしたら本人が助かるだけではなくて、「非行の被害者」を減らすことができます。つまり「非行少年候補者を支援すること」は「日本のため」。ところがこの「SOS」が「勉強ができない」「授業に集中できない」といった「症状」ではなくて「困りごと」であるため、なかなか適切な支援に出会えないのです。
 では解決法は? 著者は「褒めて育てる」「話を聞く」という方法や「この子は自尊感情が低い」という評価について、否定的な立場を採ります。良さそうな方法に思えるのですが、なぜそれが有効ではないか、著者は丁寧に説明をしてくれます。認知行動療法は有効ですが、この療法の前提は「認知機能に問題がない」こと。すると「認知機能に問題がある人」にはこの方法も有効ではないことになります。それでも著者はあきらめず、他の方法を模索しています。
 「障害者を家に閉じ込めておいたら社会保障費がかかるが、社会に出るようにできたらそこで稼いで納税者になってくれる」という言葉があります。非行少年についても著者は同じことを言います。「非行によって被害者が生まれ非行少年を閉じ込めておくためにコストがかかる。しかし非行を予防できたら非行少年は納税者になる」と。「お金」に注目するのははしたないようにも思いますが、でもわかりやすいですね。なにより「非行による被害者が生じない」という巨大なメリットがあります。

 


肉を切る

2021-07-18 10:43:12 | Weblog

 シェフが牛の枝肉から料理用に鮮やかに肉を切り取る包丁捌きは賞賛されますが、その枝肉を作るために牛の首や手足を鮮やかに切る刃捌きが賞賛されることはあまりありません。

【ただいま読書中】『日本外食全史』阿古真理 著、 亜紀書房、2021年、2800円(税別)

 日本に「外食」が普及したのは、江戸時代。経済都市大坂では商談のために料亭が早くから成立していました。江戸の商業は小売り中心でしたが、「天下の台所」は全国を視野におさめた問屋や仲買中心でした。ただ「なにわ料理」というジャンルは新しく、1973年の「浪速割烹」からだそうです。
 出汁にも地域差があります。京は利尻昆布とマグロ節、大阪は真昆布とカツオのアラ節。江戸は高知から輸送の時間がかかるので本枯れ節が好まれ、それに従来の薄口醤油が合わないので野田の濃口醤油が開発されたそうです。水も違います。大坂は軟水で昆布の出汁が良く出ますが、関東は硬水で昆布の味が出にくいので鰹節が活躍することになったそうです。
 昭和45年は「外食元年」とも呼ばれます。大坂万博に出店した多彩なレストランで日本人は「外食の魅力」に気づきました。私自身それまでの外食と言えば日曜日のデパートの大食堂でお子様ランチ、だけだったのが、庶民でも「レストラン」で食べることができることを万博で知りました。そしてその直後からファミレスが日本中に普及し始めます。フランス料理を中心とする「グルメブーム」は1970年代末から。80年代後半にはイタ飯。バブル破裂後にはエスニック、韓流、カフェ、フードトラック……こう並べると「ああ、懐かしい」と思えます。これは単なる流行の移りかわりではなくて、たとえば「企業で女性が一般職で採用されるようになったこと」や「格差の拡大」など「社会の変化」もその流行(の変遷)に直結してるのです。
 本書では、時空を縦横に駆け巡ります。「和食」の章では、『ミシュラン』よりずっと先に、江戸では「料理屋の番付」が売り出されていたことを知ったと思ったら、ペリーやプチャーチンは「和食」にがっかりし、北王子魯山人も登場。かつては男性のものだったのに、今では女性や酒を飲まない人間も入る不思議な空間「居酒屋」。
 肉食の歴史、「和食」の定義、洋食……分厚い本ですが、内容は見かけ以上に“分厚い”ものです。さらに参考文献がすごい。何百冊紹介されているかな、参考図書のリストを数える気にもならないくらいずらりと本が並んでいますし、それぞれがまたずいぶん“美味し”そう。本書は最初から最後まで通読しなくても“つまみ食い”でも楽しめると思います。

 


先駆者の末路

2021-07-13 10:49:13 | Weblog

 20世紀末から21世紀はじめ頃、「ネット金融」関連の記事で「スルガ銀行」の名前をよく見るようになりました。先駆者だなあ、と私は感心していました。しかし……

【ただいま読書中】『スルガ銀行かぼちゃの馬車事件 ──四四〇億円の借金帳消しを勝ち取った男たち』大下英司 著、 さくら舎、2021年、1800円(税別)

 女性専用シェアハウス「かぼちゃの馬車」は、地方に住む若い女性に都会に住む場所を提供、敷金礼金はゼロ、人材派遣会社が提携していて仕事を斡旋する、という「社会貢献」をウリにしていました。オーナーには「ローンは家賃で相殺(むしろ利益が出る)」「30年の家賃保証」「ローンは“地方銀行の雄”スルガ銀行が必ずしてくれる」という実に“美味しい話”です。その気になったオーナー志願者にスルガ銀行が示したのは「“黒字”の半分は積立預金」「(金利7.5%の)フリースタイルローン1000万円を借りること」。
 あのう、これは「抱き合わせ融資」では? つまり、違法行為。
 不動産販売会社、建築会社、スルガ銀行ががっちり組んで素人を騙そうと全力を尽くすのですから、これは騙されない方が難しい。こういった詐欺事件の時「騙される方が悪い」とか「自己責任」と主張する人がいますが、そういった人は「世界のすべてを知っている」という自信があるか、よほど「世界はすべて敵だ」と思っているのどちらかなのかな?
 一人ではこういった悪徳組織にはかないません。これまでだったら、「被害者の会」というのをなんとか立ち上げ、それがニュースで取り上げられたら参加者が増えて裁判へ、という流れで、そうでなかったら個人の被害者は各個撃破の泣き寝入りになるだけでした。ところがいまはSNSの時代。被害者はLINEでつながります。そしてそこに変わり者の弁護士が登場します(逆に言えば、こういった悪徳業者を放置するのが現在の日本司法の“スタンダード”です)。
 不謹慎な言い方ですが、実話がそのままドラマ仕立てになっています。
 加害者からの容赦ない攻撃、世論の被害者への容赦ないバッシング、多くの被害者は自己破産や自殺を考え実際に自殺者も……思わず詳しく書きたいけれど、知りたい人は本書をどうぞ。一読の価値があります。私だっていつ詐欺の被害者になるかもしれません。特に心に不安がある人はつけ込まれやすい。たとえば「年金が足りるだろうか」「健康はずっと大丈夫だろうか」「子供の将来は大丈夫だろうか」などの誰でも持ちそうな不安が、詐欺師にとってはつけこむべき弱点にしか見えないのです。そういった詐欺師って、「自分が逮捕されて有罪になるかもしれない」という不安しか、ないのかな? そんな人生って、生きる意味がどのくらいあるのかな?
 本書に理不尽なことはたくさんありますが、最後に裁判の結果が出たときにもコロナ禍のニュースでその報道がほとんどされなかったことも理不尽に思えます。「被害者が悪い」なんて言っていたマスコミ人は、裁判の結果を報道することで自省なんかせずにコロナ禍で「××が悪い」と言い続けることができてしまったのですから。

 


どこまで本気?

2021-07-11 09:09:18 | Weblog

 2001年の「科学技術基本計画」には「50年間にノーベル賞受賞者30人」という“目標”が書いてあります。しかし、国立大学の予算は2004年の法人化以降着実に減らされ、基礎科学の予算も同じように着実に減らされています。この数十年で理科の授業時間もどんどん減らされ、さらにその内容は「理科ばなれ」を大量に生むものとなっています。
 日本政府って、本気でノーベル賞受賞者を増やしたいのかな? 教育と研究の手を抜き予算を削って、それでどうやって?

【ただいま読書中】『「役に立たない」研究の未来』初田哲雄・大隅良典・隠岐さや香 オンライン座談、柴藤亮介 ナビゲーター、柏書房、2021年、1500円(税別)

 「科学」は「基礎科学」と「応用科学」に二分できます。で、基礎科学者が最近よく要求されるのが「その研究の有用性を証明しろ。でないと予算は配分しない」。さらに「研究に関する説明責任」も要求されます。これ、基礎科学ではとっても難しいことなんですよね。
 本書では、三人のそれぞれの講演は興味深い内容でしたが、そのあとの討論が刺激的。たとえば「研究者の説明責任は、“感情的”なものでも良いのではないか」なんて提案があって、そういえばアインシュタインについて一般の人が知っているのはあの「ベロ出しの写真」だったりするわけで、日本の「好奇心を閉じる教育」に対して「好奇心を開く刺激を与える」活動もアインシュタインに任せておかずに多くの科学者がどんどんやった方が良さそうなのです。「知の価値」ではなくて「知の営みの価値」の重要性の強調です。
 ところで「役に立つ」って、どう意味で使われているんでしょうねえ。たとえば「完全に失敗した研究」は「役に立たない研究」の最有力候補になりそうですが、それだって「こうやったら失敗するから、この道は避けて通ること」の“道標”としては「役に立つ」のでは?

 


本当に美味しい肉や魚

2021-07-09 08:26:33 | Weblog

 もしも「それ自体が美味い」肉や魚があれば、ステーキの塩コショウや刺身の醤油やワサビ、などは不要になるはずです。

【ただいま読書中】『1989(下) ──ベルリンの壁崩壊後のヨーロッパをめぐる闘争』メアリー・エリス・サロッティ 著、 奥田博子 訳、 慶應義塾大学出版会、2019年(20年2刷)、2500円(税別)

 ゴルバチョフが「ドイツの運命はドイツ人が決定するべき」と保証してくれたおかげで、1990年3月18日、東ドイツ国民は初めて自由な投票を経験しました。政党数は24。その主張はまちまちでしたが、最有力はコールが党首のドイツキリスト教民主同盟(CDU)。著者は建築のアナロジーを用いて、コールの政策を「プレハブ型」と呼びます。軍事はNATO、政治は西ドイツ基本法、経済は西ドイツ通貨と市場のルール、つまりすべて「すでに存在しているもの」をそのままどんと東ドイツに入れてしまえば政治経済軍事のバランスは崩れずうまくいく、という主張です。この時コールが意識していたのは「国内政治」と「国際関係」の緊密な関係でした。東ドイツの選挙で勝利すればそれは「全ドイツ」でのCDUの勝利となり、ドイツがまとまれば国際社会は変な口出しができなくなる、という計算です。となれば、短期的に他国の感情を害しても、東ドイツでの勝利のためにはなんでもやる価値があります。公式には東ドイツの投票用紙にコールの名前はありませんが、コールは全力を選挙につぎ込みました。
 国際的な協議は「2+4」(東西ドイツと旧占領国(英米仏ソ))で行われました。これ以上メンバーを増やしたら話がまとまらなくなるのは明らか、が各国の共通認識でした。もっとも「ドイツ」が「西陣営」「中立」「東陣営」のどれになるか、その場合NATO軍とワルシャワ条約軍は駐留するのかしないのか、限定された「2+4」の各国でさえ思惑はまったくばらばらだったのですが。というか、西ドイツ国内でも、コール首相と連立を組むゲンシャー外相もまた、首相とは別の思惑を持っていたのです。
 東ドイツの選挙は、コールの圧勝。つぎは「選挙の結果」を「実際の形(統一ドイツ)」にする方策です。ソ連は経済的に弱体化していたので、資金援助を“賄賂”として贈り、同時にNATO改革をすれば、ゴルバチョフの承諾は得られそうです。しかしタイミングが重要。あまり露骨な贈り方をするとゴルバチョフに対する反発が強まり彼が失脚するかもしれません。しかしあまり慎重に事を構えていると、ゴルバチョフが先に失脚して誰と交渉して良いかわからなくなる可能性があります。ゴルバチョフの立場を弱めないために、コールはリトアニアに対して独立運動を一時引っ込めるように要求さえしていました。
 ゴルバチョフは国内の政敵や軍の強行派をなだめる必要が深刻なくらいにありました。そこでベイカーとの会談でゴルバチョフは「統一ドイツがNATOに加盟できるのなら、ソ連もできるはずだ。そうしたら全ヨーロッパは格段に安定する」と主張します。思わず笑っちゃう“極論”ですが、そこまでゴルバチョフは追い詰められていたのでしょう。
 しかし、キャンプ・デイヴィッドでの首脳会談での卑猥なジョークのやり取りや、ワールドカップ準決勝で西ドイツ代表がイングランド代表に勝利するとコールが「イギリスの国技でドイツがイギリスを負かした」と喜びそれに対してサッチャーが「20世紀にイギリスはドイツを2度打ち負かした」とやり返したり……まさかこんなことが、世界平和に何らかの影響を与えていなければ良いのですが。
 著者は歴史に「イフ」を持ち込みます。コールの「プレハブ型モデル」は「唯一の選択肢」ではありませんでした。では、なぜ他のモデルは失敗したのか? もし成功していたらどうなっていたか? あるいは、「血の報復(東ドイツの秘密警察に対する市民の報復)」がもし行われていたら、秘密警察はソ連軍に支援を求め、それは軍事介入につながっていませんでした。逆に、秘密警察が統一をぶちこわすために自作自演で「自分たちが襲われた」という事件をでっち上げることも可能でした。しかし、血の報復は(本物も、偽物の)行われませんでした。それはなぜ? もしそうなっていたら、歴史はどうなっていたでしょう?
 しかし、いつもひどい目に遭うポーランドが、今回もまたひどい目に遭っているのが、実にお気の毒です。
 「統一ドイツ」は「ハッピーエンド」ではありませんでした。「底が抜けた樽」となった旧東ドイツは旧西ドイツから大量の助成金を必要とし、それは結局東西ドイツさらにはその関係国すべてに経済的悪影響を与え、92年の深刻なヨーロッパ通貨危機へと至ります。
 「ドイツ」は二つの大戦の「敗戦国」でほぼすべてのヨーロッパ諸国は不信の目を向けていました。しかも「西ドイツ」と「東ドイツ」は「冷戦の最前線」で対峙させられていました。そんな雰囲気の中でいかに「統一ドイツ」を構築するか、「最適解」はあるのかもしれませんが、コールが主導してできた現在の姿は、けっこう最適解に近いのではないか、と私は感じます。
 そのうちに南北朝鮮の統一もあるかもしれません。その時、誰が主導し誰がどんな犠牲を払っていくのでしょう?