【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

自分にも同じことが言える?

2022-03-25 17:10:30 | Weblog

 ウクライナ侵略に関するロシアの言い分は「ウクライナの非ナチ化」「侵略ではなくて特殊軍事作戦」でしたね。その言い分が正しいのだとしたら、では「ロシアの非ナチ化」のためだったら「特殊軍事作戦」なら決行してもよい、ということになります?

【ただいま読書中】『アフガン帰還兵の証言 ──封印された真実』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ 著、 三浦みどり 訳、 日本経済新聞社、1995年、1748円(税別)

 かつてのソ連では、マスコミは官製メディアで、出版物は検閲済みのものでした。しかしペレストロイカ後、著者は『戦争は女の顔をしていない』『ボタン穴から見た戦争』で「当事者の証言を集める」「真実を歪曲しない(右とか左とか特定の立場に立たない)」というソ連では過去にないスタンスで、第二次世界大戦を「女と子供」の視点から詳しく具体的に描きました。そして「もう戦争については書かない」と決心していたのに、アフガニスタン侵攻の実相について知ったことで著者は本書を書くことになってしまいます。
 証言をしてくれたのは、兵士・下士官・将校・軍医・看護婦・通訳・兵士の家族・事務など実に様々です。戦った場所も時期も状況もばらばらですが、共通点は、生きて帰ってきたことと悲惨な状況を実際に目撃あるいは体験したことです。そして、「現場を見ていない人間に、自分たちのことが理解できるはずがない」という絶望感も。
 「国際主義」とか「社会主義革命の手助け」とか美辞麗句を並べてアフガン侵攻を決めた人たち、およびその賛同者は、その絶望感さえ利用します。「沈黙」を強制し、著者のように真実の封印を解こうとする人を脅迫し、すべてを忘却のファイルに入れてしまおうとします。
 そして、それと同じことが現在のロシアでも公然と進行中です。
 こういった話の場合必ず「両論」(アフガンに関しては「嘘にまみれた悲惨な戦争だった」対「ソ連の大義の素晴らしさ」)が出てきます。で、著者は公然と脅迫をされていました。さて、どちらが「真実に近いか」と言われたら“部外者"の私には簡単に判断できませんが、それでもどちらの側につきたいか、と問われたら私は「脅迫をされている側」と答えることにしましょう。自分の正しさに自信と根拠があれば、意見が違う人への脅迫なんて不必要でしょ? 意見が違う人への脅迫をしているだけで、私はそういった人の“仲間"になりたくない(たとえば、「地球は平面だ」と信じる人と議論をする場合、「地球は球だ、と信じろ。信じないと殺すぞ」なんて脅迫をします? 私はしません。自分がなぜ「球」だと信じるかの根拠をいくつか示すだけです。それを理解できない人に対しては「ああ、理解できない人なんだな」でオシマイです)。

 


名人戦

2022-03-24 07:06:51 | Weblog

 今年の将棋名人戦が2週間後に迫ってきました。渡辺さんと斎藤さんという、昨年と同じ顔合わせですが、A級では羽生さんがB1に陥落してその入れ替わりに藤井さんが上がってきます。そう言えば羽生さんは1993年にA級に上がったら即座に優勝して94年に当時の米長名人に挑戦、名人位を奪取、という偉業を成し遂げ、「一つの時代」を始めました。そして、今年羽生さんと藤井さんが入れ替わる、つまりまた新しい「一つの時代」が始まる予感がします。
 米長さんは大山さん中原さんの壁を越えられず、ずっと名人を取れずにいて、49歳で初めて名人位に就くという偉業を達成していました。そのことと、ずっと名人位に“嫌われていた"渡辺さんとが私には重なって見えます。昨年と今年名人に挑戦する斎藤さんもまたA級に上がったらその年度に名人位挑戦をしたという素晴らしさなのですが、私は個人的には、来年度のA級で藤井さんが優勝して、来年名人位を渡辺さんと藤井さんで争う、という“絵"を見たい。どちらが勝つにしてもそれが「ポスト羽生」という“時代"を明確に表現しているように思うのです。

【ただいま読書中】『将棋の渡辺くん(1)』伊奈めぐみ 作、講談社、2015年(17年5刷)、800円(税別)

 噂は聞いていていつか読もうとは思っていましたが、やっと図書館の予約の順番が回ってきました。
 別冊少年マガジンに連載されていて、渡辺明さんの奥さんが描いている漫画、というだけで興味深いのに、その内容がまた……(笑い)
 将棋を知らない少年も読むから、将棋のルールとか棋士の対局の決まり(遅刻したら持ち時間を減らされる、など)の豆知識の紹介もありますが、何より面白いのは「渡辺くん」の日常生活です。徹底した合理主義、神経質、虫嫌い、ぬいぐるみ好き、犬嫌い(でも犬のぬいぐるみは好き)、野菜嫌い、スイーツ好きなど、“容赦なく"漫画で紹介されています。
 伊奈めぐみさんは“一般人"の視点から、身近に棋士を見ることができるという“利点"を最大限に生かしています(とは言っても、伊奈めぐみさん自身も、将棋の女流育成会に所属した経歴を持っていて、そのへんの人よりは将棋が強いのですが)。
 しかし、伊奈さんのお兄さんは将棋棋士でお兄さんの奥さんは囲碁の棋士……なんというかすごく“偏った"編制ですね。で、この4人が正月に集まると一緒に遊ぶのが大富豪、というのも笑えます。もっとも「去年は4日で297戦やった」と対戦表がきちんと記録されていたり、ゲーム直後に将棋棋士ふたりが“感想戦"を始めたり(ちなみに囲碁では感想戦の習慣がないためか囲碁棋士はそちらには不参加)、なかなか一般家庭とは違った趣の家庭での正月団らんとなっています。
 史上4人目の中学生棋士、20歳で竜王位を獲得、という、燦然と輝く記録を持ち、現在名人。こんなすごい人を「渡辺くん」扱いですから、家族というのはすごいものだ、と私は感心します。まあ、どんな有名人でも、家族にとっては家族なのだから、なのでしょうけれど。

 


電力逼迫

2022-03-22 12:34:20 | Weblog

 まず東京電力、ついで東北電力管内にも「電力逼迫警報」や「節電要請」が出されています。NHKのニュースでは「使わない部屋の電灯を切れ」とか「テレビの画面の輝度を落とせ」とかちまちましたことを言っていますが、「テレビなんか切って下さい」くらい言ったらその本気度がわかるんじゃないでしょうか。

【ただいま読書中】『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』川内有緒 著、 集英社インターナショナル、2021年、2100円(税別)

 友人の勧めで「完全に目が見えないが美術館巡りが大好きな白鳥(しらとり)さん」と一緒に美術館に出かけた著者は、そこで様々な発見をすることになります。「どんな絵か」を白鳥さんに説明すると、自分がこれまでさらっと通り過ぎていた美術館の絵画が全く違うように見えてきます。見て説明している間にも印象は変わります。友人とまったく違うところを見ていたこともわかりますし、絵によっては過去の自分の記憶がずるずると引っ張り出されてきます。
 さらに、「善意による差別や偏見」についても著者は気づくようになります。また「美術における権威主義や知識偏重」のおかしさにも。だって「ゴッホはこう鑑賞するのが正しい」なんて、白鳥さんには通用しないのですから。
 話はさらにおかしく(ついでにこわく)なっていきます。「見える人」は本当に「見えている」のか?という疑問が提出されます。なにしろ、同じ絵を見ても「見える人」によってまったく違うものが「見える」のですから。ある印象派の絵をめぐって、同じ風景が「原っぱ」か「湖」かでみなが盛大にもめるシーンなど、非常に印象的です。
 美術鑑賞は基本的にパーソナルな営為です。「万人に共通の“正しい"解釈」などありません。しかし、それを各人がそれぞれ“白鳥さん"にプレゼンテーションしてお互いの見解を共有すると、そこから何か新しいものが立ち上ってきます。その瞬間が快感なのでしょう。全員は「同じ人間」ですが、各人は全員「違う人間」です。そして「そういった人間たち」が集まることで社会はできていて、その社会の面白さを「同じ絵を鑑賞すること」で皆が共有できる、そしてその共有する瞬間を白鳥さんは楽しんでいる。なかなか、美術鑑賞は、一筋縄ではいかないものですね。でも、こういった知的にスリリングな試みは、私自身も一度やってみたいとは思います。

 


5000円

2022-03-18 16:51:15 | Weblog

 政府は年金受給者に5000円をばらまくそうです。参議院選挙で一票を買うためでしょうが、たった5000円で?人を馬鹿にするな、と言いたくなります。自民党本部が河井夫妻に渡したように1億5000万円だったら、なんてことも言いませんが。
 そもそも、「現役世代の給料が下がったら年金も連動して下げる」と法律を決めたのは政府です。で、その制度の通りこの4月から年金が下がるとなったら、一時金を配る……何をやってるのか、意味がわかりません。とうか、政府の人間も意味がわからずにやってるのではないか、という恐ろしい疑いを私は持っています。

【ただいま読書中】『女と男の大奥 ──大奥法度を読み解く』福田千鶴 著、 吉川弘文館、2021年、1700円(税別)

 大奥とは「(将軍以外は)男子禁制の世界」と私は思っていましたが、実はそれは「思い込み」だったようです。
 上級武家の屋敷は「表御殿(来客の応接目的。表向とも)」と「奥御殿(当主とその家族の生活空間。奥向とも)」に分けられ、それがさらにそれぞれ「表方」と「奥方」に分けられました。つまり武家屋敷は「表御殿の表方」「表御殿の奥方」「奥御殿の表方」「奥御殿の奥方」の4つの空間に分けられ、それぞれが特有の機能を持たされました。平安貴族の御殿でも各空間ごとに特有の機能があったことを私は思い出します。ところが江戸城では「表向」と「奥向」が同一敷地に隣接しており、そのため「表向の奥方」と「奥向の表方」とが入れ子状態となってしまいました。従来の理解では江戸城は「表」「中奥」「大奥」に3分され、中奥は「表向」に属するとされていますが、著者は「中奥は奥向に存在する」と考えているそうです。たしかに中奥が「将軍の生活の場」だったら「奥向」ですよね。
 「錠口」と言われると私が思うのは「御鈴廊下」(普段は施錠されていて将軍が大奥に入るときに開けられる扉)ですが、実は表と中奥の間にも「上の錠口」がありました。「表向」には、儀式用の大広間や白書院・黒書院、大名たちの控えの間、老中など役職者の間、軽輩の役人のための部屋、台所などがありましたが、原則として「表向の人間」はふだんは杉の仕切り戸で閉鎖されている「上の錠口」を越えて中奥に行くことを禁止されていました。
 慶長十二年(1607)七月三日家康は秀忠に将軍職と江戸城を譲り駿府城に入りました。ところが同年十二月十二日駿府城が火災で全焼。その時、家康の九男義直のお付きの者たちが、裏門から突入して義直の生母亀(御亀御方)を救出、他の女中や道具類なども救い出しました。それに対して義直は「母を救った」ことに対して褒美を与えましたが、家康は「御法(奥は男人禁制)に反した」とその21名を「改易(召し放ち)」の刑に処しました。義直が「母を救え」と命令したに違いありませんが、城の主つまり「奥に入って良い」と許可を出せるのは家康だけだったのです。なんともひどい話に見えますが、当時の人にも印象的だったようで、義直の年代記(公式記録)にわざわざ書き残されています。
 この「御法」は慣習法でしたが、それが明文化されたのが元和四年(1618)の「奥方法度」で、以後何度か改訂されています。江戸時代初期には「男に対する法度」で女性はけっこう自由に外出もしていたようですが、やがて「女に対する法度」も成文化されていきました。
 「(将軍以外)男子禁制」のはずの大奥ですが、実際には「男」の出入りが公認されていました。普請の大工や人足、掃除担当の下男(しもおとこ)、それらの人に付き添い監視する役の添番や伊賀者。そうそう、九歳以下の男子も入れました。さらに、年中行事としての祈祷や臨時の(病気平癒や天変地異に対する)祈祷で男性の宗教者も継続的に出入りをしていました。奥医師も定期的な健康診断や非常時の往診で日常的に出入りをします。出入りの商人は当主限定のはずがいつの間にかその代理(手代など)が奥に入るようになっていました(これが絵島事件に発展します。世間では「歌舞伎役者生島新五郎が長持ちに隠れて大奥に運び込まれた」となっていますがわざわざそんなことをしなくても鑑札を持ったお店者に変装したら堂々と入れました)。将軍家と縁戚関係にある大名からの使者も大奥に入れます。
 「将軍の血筋を保つ」ために大奥は「女だけの世界」にしたいところですが、実は政治的にも大奥は重要な機能を果たしていました。本来、各大名の意向は「表」の老中を通じて将軍に届けられることになっていましたが、「内証」と呼ばれる、各大名が奥方や女中の血縁などを辿って大奥経由で将軍の意向を確かめてから老中に相談をする、という“裏ルート"が機能していたのです。これは老中にとっては腹立たしい事態です。だから“関係ない人"は大奥に出入りできないように制限をかけようとしました。
 八代将軍吉宗の時代、奥方法度は「個人名を明記した法度」から「役職名を明記したもの」に改訂されます。法が一般化されたわけで、これにより、幕末まで「法による支配」が大奥では続くことになりました。実際に「奥方法度(男の役人のための法)」と「女中法度(女のための法)」は享保以降改定されることなく幕末まで続きます。
 ちょっと注意が必要なのは、身分制度です。掃除などを担当する「下男」は軽輩とはいえ御家人身分で錠口の内側まで入れますが、高級女中が本給とは別に与えられる「男扶持」で私的に雇う下働きの「五菜男」は平川門や切手門は通過できても七つ口から内側には入れない、といった微妙な区別がありました。その違いを著者が発見したらしく、本書にはちょっと得意そうに書いてあります。七つ口(閉門刻限が夕方七つ(午後4時頃))までは、許可を得た商売人も入って来ることができて、朝注文を聞いて夕方にはその料理などを奥に届ける、なんてことも盛んにやっていたそうです。
 明治になり大奥は消滅しました。しかしその「意識」の残渣は残っています。たとえば「奥方」「奥様」といった呼び名に。

 


非国民、のようなもの

2022-03-16 17:36:11 | Weblog

 アメリカでは警察官に異様にひどい目に遭うのは黒人、と相場が決まっていますが、現在のロシアでは平和を望む人が警察官にひどい目に遭っているようです。そういえば戦前の日本では非国民が特高にひどい目に遭っていましたね。本来警察は犯罪者をひどい目に遭わせるための権力の暴力装置ですが、非国民(のようなもの)を対象にした場合、それは警察というよりは権力者の私兵と言った方が良さそうに感じられます。

【ただいま読書中】『オリンピックの汚れた貴族』アンドリュー・ジェニングス 著、 野川春夫 監訳、 サイエンティスト社、1998年、2000円(税別)

 閉鎖的な環境に棲息するIOC委員たちが、実際にはどんな人でどんな行動をしているのか、それを実証できる脚注つきで詳細に述べた本です。というか、タイトルですべてが物語られているのですが。
 クーベルタンは、ヒトラーがユダヤ人(のスポーツマン)を迫害しても気にしませんでした。それよりもベルリンオリンピックを成功させる方が重要だったようです。IOCの基本的な態度がこのあたりからきっちり見える(そしてそれが変化せずに保持され続けている)ことに、私は驚きます。ドイツが選択したエキジビション種目はグライダー。これは数年後にドイツによる侵攻で軍事的に重要な役割を果たします。驚いたのは、ドイツ海軍に「五輪マークのライセンス供与」がされていること。五輪マークがついたUボートの写真がありますが、なんともブラックな感じです。
 戦後ヨーロッパ各国は、ナチスやファシストの追及を行いましたが、IOCは元ナチや現ファシストの隠れ家として機能していました。そういえば昭和の東京オリンピックの時に会長だったブランデージも、親ナチ反ユダヤ黒人差別発言で知られていましたね。
 リレハンメルやアトランタオリンピックの時IOC会長だったサマランチは、ナチのシンパで、フランコ独裁政権で国のスポーツ行政を取り仕切っていました。しかし、フランコに忠実であればあるほど、フランコ死後にはひどい運命が待っていることをわかっていたサマランチは、IOCに“居場所"を変えました。素晴らしい読みです。さらにIOCの会長になるために、当時スポーツ界に絶大な影響力を持っていたアディダスと手を組み、さらにソ連まで利用します。そして同じ頃、オリンピックの商業化が始まります。スポンサー企業から巨額のスポンサー料が入ってIOCの財政は豊かになり、IOC委員たちにもたっぷりの分け前が与えられました。
 そういった「金や政治の汚点」以外にも大きな問題があります。ドーピングです。もしもドーピングが発覚したらIOCには(経済的に)大打撃です。だったらどうするのがよいでしょう? もちろん「隠蔽」です。それでも漏れてしまったら「明確な否定」。それでも明らかになったら「特定個人によるもの」と「問題の矮小化」。あら、これは本書の「20世紀のお話」どころか、現在の「21世紀のオリンピック」でも同じことが行われていますね。「科学が絶対」の頑固者が
「組織的なドーピングだ」と言うのを黙らせることができなかった場合には「国としての参加は認めない」という「譲歩」が21世紀に付け加わっただけです。
 だけどこれは「スポーツ精神の死」を意味しませんか? まあ、大切なのは「スポーツ精神」ではなくて「スポーツで得られる利益」なのでしょうけれど。

 


非軍事化の意味

2022-03-13 12:15:38 | Weblog

 「次に侵攻するときにはもっと楽にやりたい」がロシアの本音ですよね?
 しかし、ロシアは準備した戦力の100%をつぎ込むとは、つまり予備兵力がゼロになったわけです。偶発的な戦争ならともかく、計画的な戦争としては、予備兵力がゼロになるのは完全な失敗では?

【ただいま読書中】『易のはなし』高田淳 著、 岩波新書(新赤)25、1988年、530円

 著者は「西洋文明が易と出会っそれをどのように受容したか」をまず述べます。その方が西洋化した我々にとっても易がわかりやすくなるだろう、と。登場するのは、ニーダム、ライプニッツ、ユングなど錚々たるメンバーです。そういえば小説家のP・K・ディックもストーリー展開に詰まると易を立てて筆を進めた、と聞いたことがあります。あまり有名ではないかもしれませんが、私にとってはディックも「錚々たるメンバー」の一員なのです。
 「易」は「易者」や「易を立てる」の「易」ですが、「易経」は「占いの書」ではありません。単なる占いの書だったら、四書五経に入るわけがない。
 私は本書を(たぶん20世紀末に)一度読んでいます。その時には「八卦」について強烈な印象を受けました。今回は「易の思想」の部分がとても面白かった。専門用語にはちょっとついて行けないところもありますが(たとえば「義理」は明らかに「日本語で使われている“義理"」とはまったく別の使われ方をしています)、以前より一歩くらいは前に進めた自覚があります。さて、こうなると、以前まったく手も足も出なかった『易の話』(金谷治、講談社学術文庫)に挑戦してみても良さそうです。気力/体力を整えてから、ですが。

 


事実と小説

2022-03-10 17:36:41 | Weblog

 「事実は小説よりも奇なり」と言います。だけどその「奇」をそのまま「ノンフィクション」として書くのではなくて、一度自分の中の創作回路を通して「フィクション」として文字で上手く表現できたものが、良い小説なのです。

【ただいま読書中】『フレドリック・ブラウンSF短編全集(1)星ねずみ』フレドリック・ブラウン 著、 安原和見 訳、 東京創元社、2019年、3500円(税別)

 ミステリー作家としてだけではなくてSF作家としても有名な(特にショート・ショートは絶品揃い)のフレドリック・ブラウン。中学生だった私をSFの世界に有無を言わせず引きずりこんだ張本人です。(もっとも単独犯ではなくて、星新一、小松左京、ブラッドベリ、クラーク、ハインライン、ハーラン・エリスン、コードウェイナー・スミス、平井和正などなどなどなど“共犯者"もたくさんいるのですが)。
 本シリーズは全四巻、基本的に発表年代順にSF短編が収載されています。トップは「最後の決戦(ハルマゲドン)」。いやいやいやいや、これが最初期の作品ですって? 解説者も絶句していますが、フレドリック・ブラウンって、最初から完成された形で世界にデビューしていたんですね。
 で、楽しめます。個人的には、ブラウンは文庫本でしか読んだことがない作家なので、今回の単行本形式はちょっと違和感があるのですが、中身は同じ(新訳ですが)。
 昭和の時代には小説そのものと同時に、そこで小道具として大活躍する「ライノタイプ」が非常に印象的でしたが(何しろ、活字を拾って組まなくてもタイプを叩くだけでその文章(一行分)が自動的に活字として鋳造される機械なのです。戦前の世界では「ハイテクマシン」と言って良いでしょう)、今回もやはり強い印象を受けました。現在私たちがワープロソフトでやっていることを、昔の人はほぼ同じ発想で当時の技術をフル活用して行っていたわけです。すると、フレドリック・ブラウンの発想をパクって「天国のワープロソフトの不具合で……」という短編もできそうな気がしますね。ただのパクリに終わる可能性は高いですが。

 


黙食

2022-03-07 21:28:24 | Weblog

 学校や修学旅行では、黙食が基本となっているそうです。それだったら、手話を皆さん習ったらどうでしょう。これならいくら「おしゃべり」しても飛沫は飛びませんよ。

【ただいま読書中】『円周率πの世界 ──数学を進化させた「魅惑の数」のすべて』柳谷晃 著、 講談社(ブルーバックス)、2021年、1000円(税別)

 古代人にとって円周率は重要でした。土地の境界が曲線の場合、それを円に近似させて面積を算出すればそこから収穫量が計算でき、それは税収に直結するからです。ただ、そういった実用面を無視しても、円周率の値を正確に求めようとすることには不思議な魅力があったようです。
 πの測定で一番手っ取り早いのは実測です。円を描いて直径の長さの紐と演習の長さの紐を並べてみれば良い。これで円周率は「3+1/7」と「3+1/8」の間にあることがわかりました。同時に「円の大きさに関係なくπは一定である」という重要なことも判明しました。
 「インド人がゼロを発見した」と良く言います。しかし実際には紀元前25000年ころの古代バビロニア人の方が早く「ゼロ」を使っていました。彼らの数学は楔形文字を用いた60進法でしたが、「305」といった「桁が空いていることを示す記号」としての「ゼロ」でした。インドの「ゼロ」が「空位のゼロ」だけではなくて「数字のゼロ」も意味している点で使いやすいものではあります(ついでに、10進法であることも私個人としてはプラス評価です)。そして、古代バビロニアでもπは計算されていて、それを十進法に直すと「3+1/8」つまり「3.125」です。
 同時代の古代エジプトでは十進法の絵文字が使われていました。小数はありませんが分数があって、πは「4×64/81(約3.16)」となっています。面白いのは、江戸時代の大工が使っていた「π」もまた「3.16」だったことです。偶然の一致でしょうが、面白い一致です(ちなみに江戸中期には和算が進歩して「3.14」が導かれています。大工の場合は少し大きめに柱などができたら現物合わせでちょいと削ればいいのですから、3.14より3.16の方が使いやすかった可能性はあります)。
 古代中国では、紀元前の数学の文献はほとんど残っていません。紀元前2世紀ころ成立したとされる『九章算術』では円周率は「3」とされています。『後漢書』では「3.1622」。魏の数学者劉徽(りゅうき)は「円に外接する多角形と内接する多角形」を用いる手法で「3.1416」を導き出しています。すごい。さらに彼は「十進法の小数の作り方」を世界で初めて確立させました。ヨーロッパで10進法の小数が書物に登場するのは16世紀ですが、劉徽の考えがインド・アラビアを通ってヨーロッパに伝わったのではないか、と著者は推定しています。『隋書』に名前が残る祖沖之(そちゅうし 西暦429〜500年)は「3.141592……」を求めました。ヨーロッパがこの桁まで正しく円周率を導き出したのは、それから1000年後のことです。ちなみに祖沖之の計算方法でこの数字を出すためには「正24576角形」の辺の長さを計算しなければならないことがわかっているそうです。
 ヨーロッパが中国に追いつけたのは微分積分のおかげです。これはニュートンとライプニッツの“功績"とされていますが、デカルト・パスカル・フェルマーなどもすでに微積分の研究をしていました。デカルトの孫弟子トリチェリは微分と積分は逆の計算であることに気づいていました。やがて、「πは無理数である」ことが証明され、さらに「πを求めるための級数表示」が様々な人によって明らかにされます(この公式によって「計算」で円周率が求められるようになりました)。そして、1973年に100万桁、83年には1000万桁、89年には億、99年には1兆桁! なお、本書出版時の円周率は、2019年3月14日に求められた「31兆4159億2653万5897桁」! いやいや、桁数もすごいけど、この数字の並びには笑ってしまいます。

 


犬の鳴き声

2022-03-04 08:07:55 | Weblog

 日本で「犬は何と鳴く?」と聞けば「ワンワン」と返ってきます。ちょっと気の利いた人は「アメリカではバウバウだけどね」とかつけ加えてくれるでしょう。
 ところで、日本のスピッツは何と鳴きます? セントバーナードは? ドーベルマンは? どれも「わんわん」ではないように私には聞こえるのですが。

【ただいま読書中】『長崎通詞ものがたり ──ことばと文化の翻訳者』杉本つとむ 著、 創拓社、1990年、1700円(税別)

 江戸時代の長崎出島には、通詞・通事・通辞・通訳・訳家・訳師・訳官・訳司・訳士などと呼ばれる「通訳」がいました。表記は揺らいでいて、さらにオランダ語を担当する人たちは「阿蘭陀通詞」や「蘭通詞」、中国語の担当は「唐通事」と呼ばれることが多かったそうです。
 鎖国令直前、日本での「外国語」はポルトガル語でした。しかし鎖国によってそれは「オランダ語」に限定されます。さらにオランダ人には日本語学習が禁止され、コミュニケーションは長崎通詞を通じるしかありませんでした。
 長崎通詞の組織は「目付」「大通詞」「小通詞」「稽古通詞」「内通詞」で構成され、大体150人くらいいたそうです。その中で“戦力"として働けるのは「大通詞」「小通詞」「稽古通詞」の約50人くらい。重要なのは「年番」で、その年度の主な行事や職務を遂行する代表者として「大通詞」「小通詞」から一名ずつが選ばれましたが、その職務の中には「江戸番(オランダ商館長の江戸参府の付き添い)」がありました。出島は厳重に日本人から隔離されていたのに、江戸の宿舎である長崎屋には日本人が立ち入り自由だったので(『蘭学事始』にもそのことが書いてありますね)、江戸の蘭学者たちは通詞を通じてオランダ人と様々なやり取りをしていたのです。
 元禄年間に来日したケンペルは、長崎通詞の語学力の低さや倫理観の無さ(賄賂を取ったり密貿易の手引きをして私腹を肥やしていること)を酷評しています。実際に「犯科帳」には、犯罪がばれて罰せられた通詞が何人も記録されています。しかし、明らかに長崎通詞の献身によって生まれたとおぼしき日本に関する本をオランダ人(ケンペル自身も含まれます)は次々発表していますし、シーボルトの日本研究や日本人との交流に長崎通詞が果たした役割も大きいはずです(日本ではほとんど無視されていますが)。
 通詞はまず語彙集を作成しました。たとえば「インストロメント 一切外科道具/ロンコ 肺臓/ハルト 心臓/ホルスト 乳」といったもので、カタカナが外国語を表記するのに有用だったようです。こういった通詞の単語集を、新井白石や青木昆陽は書写していたようです。ただ、白石のものは「カタカナの阿蘭陀語 日本語」だったのに対して、青木昆陽のものには「原語の綴り」も加わっています。いくら将軍吉宗が「阿蘭陀語学習許可」を出していたとしても、けっこう気を遣う作業だったはず(『解體新書』出版前には、浮世絵にアルファベットが(単なる装飾として)あったことを理由に出版者が罰せられています。杉田玄白もそのことをひどく気にしていました)。
 杉田玄白と言えば、『蘭学事始』には、通詞は阿蘭陀の文字を知らずただ記憶力だけで仕事をしているだけ、とありますが、だったら青木昆陽や前野良沢が持っていた単語集はどこからやって来たのか、ということになります。杉田玄白はちょっと通詞の力を見くびりすぎているのでは? ちなみに、延宝元年(吉宗の将軍就任より四十年以上前)の商館長の日記には「長崎奉行の命令で少年が出島に毎日かよってきて商館員から蘭語の読み書きを学習している」という記述がありますし、通詞が文書に自分の姓名をローマ字で記録しているものも残されています。杉田玄白の思い込みよりも、記録の方が有利、と私は判断します。長崎通詞は「通訳」であると同時に、阿蘭陀語(と西洋文化)の研究者でもありました。なにしろ“最前線"にいるのですから。中には「幕府にとがめられて免職になってもかまわない」と言わんばかりに、仕事をさぼって辞書編纂に注力していた人もいるそうです。玄白は「自分たちの偉業」を誇るためにわざと通詞を貶めたのかもしれません。
 長崎は蘭方医学修行の“聖地"でした。有名どころでは、前野良沢や大槻玄沢が国内留学をしています。当然通詞がそこに関与しますが、通詞の中には見よう見まねで医学修行をして蘭方医になった人もたくさんいます(『蘭学事始』にも列挙されています)。漢方医が長崎修行で蘭方医になれるのなら、通詞も長崎修行で蘭方医になれるのでしょう。
 本木良栄という通詞は安永三年(1774)年に『天地二球用法』という翻訳書を出していますが(偶然ですが、『解體新書』の出版と同じ年です)、これはコペルニクスの太陽中心説(地動説)の紹介でした。本木良栄は、西洋の天文学全般についても学んで西洋天文学小史を付記し、さらに「翻訳法」についても記述しています。しかし彼は「日本近代天文学の祖」にはなれませんでした。『解體新書』によって蘭学がブームとなり、それによって登場した蘭学者が天地二球用法の成果を自分のものとして吹聴することになります(たとえば司馬江漢は「自分が日本ではじめて地転の説を唱えた」と主張しています)。
 世界から黙殺された本木良栄とは違って同時代の人から高く評価されたのは十八世紀後半の中野柳圃のオランダ語研究です。彼はオランダ語の「品詞」や「格変化」などを、本居宣長などの日本語研究を取り入れて日本人にわかりやすく解説しています。日本語を知らない人間には外国語もわからない、と言えそうです(「自分はどのくらい日本語を知っているか?」と一瞬我が身を振り返ってしまいました)。
 ロシアの南下政策で、どうしてもロシアと交渉することが必要となり、文化年間に長崎通詞に「ロシア語習得命令」が下ります。「鎖国だ」「交渉はしない」と言うためにも、相手に通じる言葉が必要なのです。ところがロシア貴族は文書はフランス語で書くので、ロシア語とフランス語の両方が必要となります。さらにフェートン号事件によって英語も必要に。
 「黒船」によって日本は大混乱のまま開国させられた、が一般的な認識でしょうが、長崎通詞たちの外国語習得や外国文化紹介の努力がなかったら、「大混乱」ではなくて「絶望的な状況」だったかもしれません。少しでも準備や予備知識があれば、事態好転の目が生じますから。