【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

古きよき時代

2018-09-19 06:48:28 | Weblog

 なぜか「昭和30年代」は憧れを持って語られることがありますが、本当に「古い時代はよい時代」だったのでしょうか? 私が思い出す限り、たらいと洗濯板での洗濯や写りの悪い白黒テレビやぽっとんトイレや蚊や蝿が跳梁跋扈する環境での生活がそこまでよいものだったとは思えないのですが。少なくとも私は戻れても戻りたいとは思いません。若返ることができるのだったら、今の時代のままで若返りたい。

【ただいま読書中】『ヴィクトリア朝英国人の日常生活 貴族から労働者階級まで(下)』ルース・グッドマン 著、 小林由果 訳、 原書房、2017年、2000円(税別)

 上巻では午前中の生活が描かれましたので本書は「昼食」から始められます。昼食は「ランチョン(省略したらランチ)」または「ディナー」と呼ばれました。庶民はこれが最大の食事なのでディナーですが、上流階級は夕食はもっと豪華なのでランチョンになります。
 洗濯は当時の女性の最大の家事でした。まず二日間くらい洗濯物を水につけておきます。洗濯当日(多くは月曜)大量の湯沸かしから作業は始まります。水を家に運び込むのがまず大変です。お湯が沸いたら石けんをおろして溶かします(当時の石けんは冷水には溶けません)。次いでドリー(またはポサー)と呼ばれるかき回し棒でたらいの中身を30分くらいかき回しつづけます。重労働です。さらに、絞ってすすぎますが、汚水はまたえっちらおっちら戸外に運び出して「排水溝(専用の排水口かどぶ)」に捨てなければなりません。重労働です。この作業は1回では終わりません。汚れた物がある限り何回も繰り返す必要があるのです。だから洗濯は月曜です。主婦の時間が奪われ、台所のレンジは湯沸かしで占領されるので、家族の食事は日曜の残り物で済ませます。これで終わりません。乾かしたら、のり付けやアイロン掛けにあと数日必要です。だからヴィクトリア時代には「年に数回しか洗濯しない」は「替えの衣類がたっぷりある」という「自慢話」でした。それだけきつい作業ですから金で解決できるものなら任せたい人が多くいて、洗濯業に従事する人が増えます。他の職業との違いは、既婚女性の方が独身女性より多かったこと。家庭内で洗濯婦として働いていたのでしょう。著者は自らヴィクトリア朝のやり方で洗濯を経験していたせいで、「動力付き洗濯機」を、女性の生活に直接影響を与えた点で、「避妊」「投票権」と並ぶ存在だと高く評価しています。
 「家庭内の医療」も「家事」の一部でした。日本でも健康保険が成立するまではそうでしたね。
 「学校教育」もヴィクトリア朝の間に少しずつ盛んになっていきました。ネックになるのは「コスト」ですが、19世紀初めに始まった「助教法(教師が年長の生徒たちに教え、その生徒たちが班分けされた年少の生徒に教える)」によって教師の数を節約して安く教育が行われるようになります。「おかみさん学校」も全英にありましたが、保育所と学校と職業訓練所を兼ねたようなもので、個人が子供を預かって読み書きの初歩と手工芸(レース作り、麦わら編み、編み物など)を教えていました。上流・中流階級の親は読み書きを重視していましたが、労働者階級の親は手工芸の方を重視していました。富裕層のパブリックスクールから極貧層が収容されている施設まで共通しているのは「厳罰(体罰や屈辱を与える)」でした。「優れた工場労働者になるためには、時間厳守と服従が必須」が体罰の正当化の理由とされましたが、パブリックスクールの卒業生は工場労働者にはならないでしょうにねえ。日曜学校は、正規の学校がない田舎での識字率向上に寄与しましたが、教師によってレベルに非常に差があることが問題でした。1880年に義務教育(5歳〜10歳のすべての子供に就学が強制される)が始まりました。はじめはこの「義務」は親に不評でしたが、1891年に公立学校の無償化が始まってから教育は普及します(日本でも1900年に尋常小学校の無償化が始まってから就学率が上がったのと似ています)。
 工場労働者は毎日12時間以上働き、日曜だけが休みでしたが、「月曜はだらだら働く(あるいはスポーツをする)」という暗黙の社会的了解が機能していました(主婦は洗濯日でいつもより大変な日だったのですが)。実業家は「もっと仕事を」労働者は「もっと休みを」の争いの中、19世紀に少しずつ労働強化が進みましたが、1870年代の不況で労働時間短縮(平日は10時間、土曜は半日労働)が始まります。実業家が驚いたことに、労働時間を短縮しても利益は減りませんでした。すると、現在の日本のブラック企業主は、19世紀のイギリスの雇用主と同じ感覚を保存しつづけている、ということなんですね。
 スポーツ、夕食、就寝前の入浴と話は進み、最後は夜の営みです。男性の性欲は強ければ強いほどよい、が当時男女ともの共通認識でしたが、その処理についてはさまざまな説が入り乱れていました(全開放を是とする人もいれば、抑制的な態度を美徳とする人もいます)。自慰は医学的に否定的な扱いを受けていましたが、これは医学よりもむしろ聖書の影響ではないかな?(そういえば19世紀末の心理学の本に「自慰」が治療対象となっているのを読んだことがあります) 健康障害を治すために「不特定多数の女生との性交」を指示してもらうために医師を訪れる男性が多くて困る、と医師が投稿していたりもします。性交回数も「多ければ多いほどいい」「抑制的な方が良い」といろいろです。そういえば日本でも「我慢は不健康のもと」「やり過ぎは腎虚になる」「接して漏らさず」などの「性交健康法」がいろいろ言われていましたね。なんだか皆さん、この手の話題ではとても熱心になるようです。女性の性について「ヴィクトリア朝のまともな女性はお堅くて性交渉に興味を持たなかった」と一般に信じられているのは「誤解」と著者は断言します。その「反証」として著者が真っ先に挙げるのが「ヴィクトリア女王の私信(自身の結婚初夜についてのもの)」であることが私を笑わせてくれます。19世紀末にイギリスの出生率が低下しますが、これは避妊や妊娠中絶によるものではないか、と著者は推測しています。ただ、本書に紹介されている「方法」は、どれもあまり「よろしい物」には思えませんが。少女の人身売買も盛んに行われていましたが、少しずつ問題視されるようになり、1885年に女性の性交渉承諾年齢が13歳から16歳に引き上げられます。13歳の少女を買ったら法律違反となったわけ。法律でもっと厳しく禁止されていたのが男性の同性愛。1533年からイギリスでは違法でした。ただ、富裕層の同性愛とは違って労働者階級の同性愛は道徳心の欠如と金の誘惑に負けたからだ、というのが社会の一般通念でした(同じ「店頭での盗み」でも、淑女がやったら「万引きという病気」で労働者階級がやったら「窃盗」だったことも私は思い出します。階級意識は徹底していたようです)。大陸では「人が同性愛者に生まれつくことがあるのではないか」という議論があったのですが。1895年のオスカー・ワイルドの裁判以後、同性愛に対する反発はこれまでになく強まりますが、同時に同性愛に関する新しい解釈も始まり、さらにそれまで無視されていた女性の同性愛についてもかすかな興味が示されるようになりました(それまで無視されていたのは「女性の同性愛」ではなくて「女性」そのものだったのかもしれませんが)。
 私にとって「ヴィクトリア朝」とは「シャーロック・ホームズの時代」です。ただ「シャーロック・ホームズ」にだけ注目してしまって、そこでの「人々の生活」についてはあまり注目していませんでした。こんどはそちらにも目を配りつつ探偵の推理を楽しんでみることにします。ということはホームズ全集を全部読み返す必要が?