【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

砂糖

2019-12-31 10:44:40 | Weblog

 江戸時代に砂糖を使ったお菓子が日本ではたくさん作られるようになり、日本料理にも砂糖がどんどん使われるようになりました。これは薩摩藩が琉球王国を含む南西諸島に砂糖プランテーション経済を押しつけたから、日本で砂糖が大量消費できるようになったわけです。
 そういえば大英帝国も西インド諸島などで砂糖の大規模プランテーションを展開していました。
 どうして砂糖がプランテーションと結びつくのかと言えば、生産者にはメリットが薄いから、でしょう。だって砂糖は主食にも副食にもなりません(嘘だと思ったら、1日3食(と間食も)砂糖だけ、という生活を1週間くらい続けてみて下さい)。これが米だったら米だけ食っていても取りあえずは生きていけるからそこまで強制しなくてもいいけれど、砂糖では生きていけないから、プランテーションで強制するしかない、というわけでしょう。
 甘い物を食って(太るとか虫歯とかの)文句を言っている人もいますが、だったらかつての奴隷的な労働をさせられていた人のことも思い出して感謝するか、あるいはきちんとダイエットするか、をしても良いのではないかな?

【ただいま読書中】『汗はすごい ──体温、ストレス、生体のバランス戦略』菅屋潤壹 著、 筑摩書房(ちくま新書1264)、2017年、860円(税別)

 人間の汗腺は、エクリン汗腺とアポクリン汗腺の二種類があります。エクリン腺には毛細血管と神経が密に配置され、大量の汗を“生産"できるようになっています。発汗量は人によって大きな差がありますが、鍛えたら1日に10リットルの汗をかくことも可能だそうです。
 汗の機能は「体温調節(蒸発して気化熱で体温を下げる)」「滑り止め(掌や足の裏からの汗の機能)」「フェロモン」「ストレスに対する反応」「皮膚の保護(汗に保湿成分や抗菌成分が含まれている)」などが考えられます。
 エクリン汗腺は全身に配置されていますが、大型のアポクリン汗腺は、脇の下・乳頭(とその周囲)・陰嚢・陰唇・肛門周囲等限られた場所に位置します。ヘソや外耳道にも少数存在します。エクリン汗腺は血液から水分を濾過して汗を産生しますが、アポクリン汗腺は細胞の一部をちぎり取って汗を作っています。
 汗には有効なものと無効なものがあります。きちんと蒸発して体温を下げるのは有効な汗、蒸発せずにだらだら流れるのは無効な汗、というか、脱水を進めるだけの有害な汗と言えます。蒸発には、濡れた皮膚の面積と風速も影響します。
 人体に暑熱負荷が繰り返しかかると熱放射能が向上する「暑熱順化」という適応反応が起きます。簡単に言えば暑熱に対する「慣れ」です。その中で一番重要なのが汗の機能(分泌機能が高まり、汗の塩分濃度が低くなり、体温上昇と心拍数の増加が抑制される)です。正しい“トレーニング"をしたら、熱中症対策になる、ということですね。ここで「ならばエアコン禁止」というのは早計です。そこまで無理をしなくても、梅雨明けが近づいたら1日に2〜3時間エアコンがない環境で自然に汗をかく、だけで暑熱順化(季節順化)はできるそうです。できたらそこで軽い運動をして汗ばむともっと良い、とのこと。
 汗の異常(病気)は意外に多いそうです。たとえば「寝汗」。昔は肺結核がその主原因だったそうですが、今では感染症・内分泌疾患・悪性腫瘍・薬物・逆流性食道炎・睡眠時無呼吸症候群などが考えられるそうです。「多汗症」は「正常値」が決められないから定義が難しいのですが、思春期には「掌蹠多汗症(手のひらと足の裏に異常に汗をかく)」が1%くらいの人に認められるそうです。試験の時に試験用紙が汗でじっとり、なんてことになると、人生にも影響が出ます。今だったらスマホ操作にも支障が出そう。市販の制汗剤や医者による治療など、対処法は複数ありますので、困っている人は試してみる価値はありそうです。逆に汗が出なくなる「無汗症」という病気もあります。これはこれでいろいろ困ったことになりそうです。
 ふだん私が汗を意識するのは、かいたときだけでしたが、「普段」がどうなっているのか、ちょっと意識した方が良さそうです。それは「汗」に限ったことではないのでしょうが。



時刻

2019-12-30 08:28:11 | Weblog

 「時刻」とは「時を刻む」という意味で、ということは、時を計測できる機械が登場して初めてその言葉ができた、と私は推定しています。しかし、最初のころ「その時刻が正しいこと」の保証は、一体どうやっていたのでしょうねえ?

【ただいま読書中】『万物の尺度を求めて ──メートル法を定めた子午線大計測』ケン・オールダー 著、 吉田三知世 訳、 早川書房、2006年、2800円(税別)

 18世紀のフランスでは、各地域ごとにまちまちの「単位」を使っていて、約800種類の重さと長さの単位が使われ、それを厳密に分類すると25万種類の度量衡が通用していました。コミュニケーション、商業そして学問の世界でそれは混乱をもたらします。フランス革命によって万人が共有する権利が宣言されたのと同様に、万人が共有する度量衡も宣言されるべき、と考える学者たちは行動を起こしました。
 「1メートル」は「北極点から赤道までの長さの1000万分の1」と定義づけられました。次は実測です。二人の天文学者がパリから、一人は北ダンケルクへ、もう一人は南バルセロナへと旅立ちました。目的は「子午線の長さを実測すること」。フランス革命後の混乱期にあるフランスでの旅は、艱難辛苦の旅でした。これだけで本が1冊必要です。しかし本書の著者は、その旅の調査の過程で驚くべき「謎」を一つ発見してしまいました。本書のもう一つの主題はその「謎(現在の定義された「メートル」で測定すると、北極から赤道までは1000万メートルではなくて1000万2290メートル、と明らかな「誤差」が存在する)」についてです。
 著者は、馬車に乗ってジグザグに移動した二人の天文学者の旅路をすべてたどり直します。さすがに馬車は無理だったようで、自転車を使って、ですが。日本だったら「伊能忠敬の足跡を、すべて自分の足でたどり直す」といった感じの旅になるのでしょうか(実際にこれをやったら、面白い話になるかもしれませんね)。
 北へ向かったのは、ドゥランブルと助手たち。彼らが実際に行うのは、三角測量です。正確な距離がわかっている二つの目標(尖塔など)と三角形を作るようにもう一つの目標を選定、三角形の内角を測定したら三角形のすべての辺の長さがわかります。そこで新しい三角形をこの三角形の一辺に接するように作る、を繰り返して、子午線を連続する三角形で覆っていきます。実際にはそれぞれの基準点の高度や大気による光の屈折や地球表面が局面であることなどを補正しなければなりませんが、原理は簡単です。
 面白いのは、学者は地球の形をビリヤードの球のようにつるつるの球と仮定してその大きさを計算しようとしていましたが、実際に測定するときにはその表面の凸凹の利用(特に高いところに昇って次の基準点を探す作業)が必要だったことです。
 人は見知らぬものを警戒します。まして革命直後で外国からの干渉も予想される時代、馬車に乗ってやって来て理解できない機械を覗いている連中は、王党派か外国のスパイか、とすぐに疑われます。新しい町、新しい村に到着するたびに、ドゥランブルやメシェンは自分たちのミッションの意味と意義を説明しなければなりません。野次馬が新しくやって来て要求したら、説明はまた最初から繰り返されます。そこにまた新しい野次馬がやって来たら…… 野次馬、と言いましたが、武器を持った民兵ですから、うっかり怒らせたら、大変なことになるのです。
 南に向かったメシェンは、ドゥランブルほどには危険な目に遭いませんでした。ただ、バルセロナはスペイン領ですから、微妙な外交交渉は必要でした。また、スペイン領には詳しい地図がないこと、ピレネー山脈を越えなければならないことが、メシェンに対する障害となります。さらに、フランスとスペインの間に戦争が勃発。メシェンは敵国人として足止めを食らい、さらに重傷を負ってしまいます。
 この辺の話は「野蛮」vs「理性」の戦いとまとめることができそうです。直接対峙したら、暴力を振るうことを厭わない「野蛮」が必ず勝ちます。で、暴力や脅しで物事を動かそうとする野蛮人は、文明国にも多数棲息しています。困ったものです。
 さて、7年間の測量旅行はやっと終わり、こんどはデータ処理と「メートルの決定」が残っています。ここまでは「科学と政治」の歴史ドラマでしたが、ここからは「科学の内部で、『ミス』をどのように扱うかの、人間ドラマ」が始まります。というか、歴史ドラマは人間ドラマの背景説明のためにあった、とも言えるでしょう。実際にはこれだけでも十分お腹いっぱいになれるのですが。
 もちろん科学はミスを許容しません。しかし人はミスをする動物であり、そして科学はその人間の営為です。もちろん「だからミスをして良い」とは言いませんが、でもミスは必ず発生する。そのときそれにどう対処するか、それが「ドラマ」となって読者の心に迫ります。
 さらに「誤差」も科学(の測定)につきまといます。どの程度の誤差なら許容できるのか、それを決めるのもまた人間の営為です。そもそも「地球は球体である」という前提だって間違いで、「地球は歪んだ球体である」が正しいわけです。そこで「完全無欠の測定」を求めることに、どんな意味があります? だけど「不完全で良い」と言ってしまったら、そこで話はあらぬ方向に暴走しかねません。あるいは科学の進歩が止まってしまいかねません。
 私は「人事を尽くして天命を待つ」という言葉が好きですが、やはり人事は尽くすべきでしょう。それが報われる保証はありませんけれど、「必ず報われるという保証がないのだったら最初から努力はしない」というのは間違っている(報われる可能性も捨てている)と感じているのです。
 


踊るドライバー

2019-12-29 07:40:03 | Weblog

 赤信号で私の前に止まっている車が、時々じわりじわりと前進をしたり止まったりを繰り返していました。信号は赤なのに何を考えているのだろうと思って注目したら、運転席でドライバーが踊っていました。音楽に合わせてノリノリなのでしょうが、その時はずみで足がブレーキペダルから外れちゃうんだな。
 危ないから、ギアをパーキングにするとかハンドブレーキを引いておくとかしておいた方が良いのではないかなあ。

【ただいま読書中】『踊る町工場 ──伝統産業とひとをつなぐ「能作」の秘密』能作克治 著、 ダイヤモンド社、2019年、1500円(税別)

 著者が脱サラをして鋳物工場の「ノーサク」に婿として入ったとき、そこはただの下請け工場(それも腕が悪いことで定評がある所)でした。専務という肩書きはありますが、月給は13万円。あまりにきつい現場と展望の無さから、腕の良い職人は居着いてくれません。これ以下はなさそうな状況ですが、ここから著者のチャレンジが始まります。
 著者の主張はユニークです。「社員教育をしない」「目標を立てない」「ノルマなし」「営業をしない」「楽しく仕事をする」「同業他社と闘わない」。これで会社が急成長(著者が社長になったのは2002年。そして2009年から今年まで、売上は10倍、社員は15倍、見学者は300倍)しているのですから、「あんたの主張は空論だ」なんて言う方が間違っていることになりそうです。成功って、強い。
 能作では、社員160人の内女性が半数、管理職の4割が女性だそうです。鋳物工場と言ったら「男の職場」というイメージを私は持っていましたが、違うんですね。さすがに女性職人は少ないのですが、それでも60人中5人。だけどそもそも「女性鋳物職人」自体が珍しい存在です。
 「能作オリジナルの食器」で「錫100%」にトライした話も面白い。「錫製の食器」はマレーシアのピューターなどですでにありますが、錫は柔らかいために合金となっています。しかし同じだったら「オリジナル」になりません。そこで「錫100%」です。しかしこれだと柔らかくて曲がります。だったら「曲がる(変形する)食器」にしてしまえ、という発想がぶっ飛んでいます。
 さらに錫の抗菌作用などに注目して、医療機器の開発にも能作は取り組んでいます。
 海外進出の話も、ビジネスのヒントが満載です。新社屋建設の所も。
 しかし、工場見学にやってきた子供たちが電車ごっこをしていたり、帰りに「ディズニーより面白かった」という感想を言うなんて、一体どんな工場なんでしょう? なんだか私も見学に行きたくなってしまいました。



日本のアフガン文書は

2019-12-28 07:27:36 | Weblog

 アメリカでアフガン戦争の時の機密文書が公開されてしまって大騒ぎになっているそうです。政府が大嘘を公然とついていたことがばれたわけですから。
 これは日本では発生しない現象ですね。日本政府は嘘をつかないから、ではなくて、都合の悪い文書はさっさと「不存在」にされてしまいますから。

【ただいま読書中】『赤穂浪士の実像』谷口眞子 著、 吉川弘文館、2006年、1700円(税別)

 「赤穂浪士」と言われて私が想起するのは「忠臣蔵」からのイメージです。しかしあれはフィクション。あるいはそのフィクションから派生した二次生産物(つまりフィクションから作られたフィクション)。
 そういった偏見や先入観を除いて、当時の公的書類(たとえば赤穂城引き渡しのときの忍びの報告書なんてものも使われています)や関係者(特に親しい人)の間での書簡(たとえば堀部安兵衛は、受け取った書状だけではなくて、それに対して自分が発した書状の控えもきちんと保管していたので、彼が残したものは史料としての価値が非常に高いものがあります)を資料として「赤穂浪士」が実際にはどのような存在だったのか、に迫ろうとしたのが本書です。
 まずは「松の廊下の刃傷沙汰」に対する幕府の姿勢。将軍が勅使に答礼する予定の3月14日、御馳走役を担当していた内匠頭は上野介に松の廊下(答礼場所の白書院の手前)で刃傷沙汰に及びました。畳が血で汚れたため答礼場所は黒書院(日常的な行事が行われる場所)に急遽変更、内匠頭は上野介を傷つけただけではなくて、朝廷と幕府の重要な行事も滅茶苦茶にしたわけです。当時は「喧嘩両成敗」が法の基本でしたが、この場合には内匠頭が一方的に切り付けて「喧嘩」ではない、ということで内匠頭は切腹、上野介にはお構いなし、という裁定が下されました。これが最初は口論で最終的にお互い脇差しを抜いての応酬になったのだったら「両成敗」だったでしょう。さらに「遺恨」があるのなら、その内容によっては上野介にも処罰が加えられる可能性がありましたが、内蔵助はそのことについてはまったく説明をしませんでした。さらに「乱心」でもない、と判定されました。ならば「切腹」と「お構いなし」は、当然の裁定、となります。
 「大名家の断絶」は大変なことです。江戸から急の知らせが届くと、赤穂藩はまず藩札の引換を開始しました。藩内に流通している藩札を、額面の6割で金銀と交換します。城内の武具も大売り出しセールが開始されました(ただし、城付き武具(次の領主に引き継がれる分)は除かれました)。家老大石内蔵助は元禄七年に備中松山城の受け取りを担当していたので、その時の経験を赤穂城引き渡しで活用しました。
 初期に吉良邸討ち入りを明確に主張していたのは、江戸在住の堀部安兵衛・奥田孫太夫・高田郡兵衛の3人だけでした。大石内蔵助は「御家再興」を主張、両派の対立は続きましたが、安兵衛派が少しずつ増え、元禄十五年七月の京都円山会議で内蔵助も安兵衛に賛同しました。しかし、藩士たちの心は揺れ動きます。過激派は吉良邸討ち入りや赤穂城引き渡しを拒否して籠城・城を枕に討ち死に、などを主張、穏健派はなんとか幕府に断絶だけは許してもらおう、と考えます。切腹した殿の後を追っての追い腹を考える人もいます。引き渡し前の城内では喧々囂々の議論となりましたが、それを岡山藩から派遣された忍びがきっちりと記録していました(藩札交換などでごった返していて、簡単に侵入できたそうです)。
 これだけもめるのには「奉公」の概念が「御家への奉公」と「主君への奉公」とに分裂していたからでしょう。「家への奉公」なのだったら「御家大事」ですから、主君が変わったら新しい主君に忠義を尽くせば良いことになるのです。
 吉良上野介は隠居して義周の家督相続が幕府に許されます。内匠頭の嗣子大学は閉門が解かれましたが広島藩差し置きとなり、浅野家再興の望みは絶たれました。これによって分裂していた遺臣たちはひとつにまとまってしまいます。実はグループは完全崩壊の瀬戸際で、大学への処分があと半年遅かったら、内蔵助たちは離脱していて安兵衛を中心としたごく少数のメンバーでの討ち入りとなっていたでしょう。
 討ち入り希望者のリストは複数ありますが、その最大のものでは126名の名前が書かれています。ただ、リストに載っていないのに討ち入りに参加した者もいて、登録はけっこういい加減だったのかもしれません。本人が希望しなくても「あいつなら参加するだろう」という期待から名前が登録された人もけっこういたようです。「離脱者」は数多くいますが、その事情は様々だったはずです。残された口上にもいろいろ書いてありますが、どこまで本音なのかはわかりません。辞表に本当はいろいろ書きたいのにぐっとこらえて「一身上の都合で」と書くことを私は連想していました。
 討ち入りメンバーには「これで名を挙げて再就職を有利に」と言っていた人もいましたが、「討ち死に覚悟」「たとえ生き残っても幕府に処罰されることを覚悟」と言う人もいました。
 本書には「討ち入り参加者一覧表」があり、そこで「江戸詰/国元」「身分」「代々浅野家の家臣か」などで社会的な分析が試みられています。最若年は大石主税の15歳ですが、もう一人17歳のティーンエージャーがいます。若すぎるんじゃないかなあ。
 討ち入り後、日本では様々な議論がありましたが、私が興味深かったのは「討ち入りは敵討ちか」の議論です。だって上野介は「かたき」ではありませんもの。しかし、これが敵討ちでないとされたら、ただのテロ。当時の(あるいは現代の)世人にはそれは受け入れられるものではありませんでした。
 とりあえず「赤穂浪士の討ち入り」と「忠臣蔵」とは別のもの、としておくのが安全なのではないかな。



利益の公私

2019-12-26 07:14:24 | Weblog

 社会で「万人に共通の利益」はありません。たとえば平和でさえ、武器商人には有害なものです。そこで、利益と不利益の間でできるだけ上手く調和を取ることが、政治家の仕事になります。ただし、自分(と家族と仲間)が常に「利益を受ける側」に位置するように法律を作る政治家は、少なくとも公正とか誠実ということばは似合わない政治家と言えます。

【ただいま読書中】『現場検証 ──平成の事件簿』合田一道 著、 拍艪舎、2019年、1500円(税別)

 「平成」という「時代」を「事件簿」で再構成してみた本です。
 「事件」について、平成のはじめ頃には私はまずマスコミ報道で知っていました。コンピューター通信を始めたのが1990年代前半、インターネットを使い始めたのはそれから数年後のことですから。当然「報道されないこと」については知るよしもなく、続報に気づかずそのままになっていることも多かった。
 「女子高生校門圧死事件」についても「事件」は知っていましたが、「その後」については知りませんでした。本書でそれを見て、驚きます。事件の後、何が変わったかというと、校門が、230kgの重量級から小型軽量のものに交換されたことと、校門を力一杯閉めた教師が禁固1年執行猶予3年を裁判で言い渡されたこと。それだけです。「一人の死」が、まったく無駄になっているわけで、ひどく「非教育的」に見えます。
 「信楽高原鉄道での正面衝突事故」も覚えています。裁判では信楽鐵道の人間だけが刑事告発されましたが、実はJR西もけっこう変なことをやっていたそうです。民事でそれを攻められても、JR西は知らぬ存ぜぬで押し切ろうとしているのですが、さすがに押し切りには失敗。だたこのとききちんと「反省」していたら、のちの福知山線での大事故は起きなかったかもしれません。
 「オウム真理教」については、わずか10ページでは足りません。ただ、「昔のこと」を知らない人はこれで概要をつかんで興味があったら詳しい本やネット記事(で信憑性が高いもの)を読むことをお勧めします。
 「事件」ではありませんが「北海道旧土人保護法」も取り上げられています。「犯罪よりも悪質な人間侵害史」として。この法律、すごいですよ。たとえば戸籍謄本には「旧土人」と印が押されます。なにが「保護」なんでしょうねえ。アイヌには絶滅してもらったら「単一民族の国家」ができるのに、と願う人が作った法律かな? 「らい予防法」には(医学的に間違ってはいましたが)「感染の拡大予防」という大義名分がありました。では「北海道旧土人保護法」にはどんな大義名分があったのかな?(ちなみに、「人権侵害」の見地から「優生保護法」も本書に登場します)
 「通り魔事件」「旧石器発掘捏造」「世田谷一家殺害」「池田小学校」……ああ、こんな事件でこちらは気持ちが動いたり滅入ってしまったりしたな、と次々記憶が蘇ります。「明石花火大会歩道橋事故」では「群集雪崩」という言葉を覚えましたっけ。ただこのときの第一報は、茶髪の青年が歩道橋で暴れたので事故が起きた、というものでした(テレビで言っていたのを覚えています)。実際にはその「茶髪の青年」は、事故が起きたので歩道橋を覆うプラスチックの隔壁を壊して外に出て事故発生を周囲に教えると同時に人がこれ以上歩道橋に押しかけてこないように止めようとしていたのですが。あんなデマを堂々と流した人は、少し反省した方が良い、と私は思います。まだ「茶髪」が「不良」と重ね合わされて見られていた時代だった、というのは、言い訳にはなりません。
 こうして事件や事故の列挙を読んでいると、ある一つのパターンが見えます。「反省の欠如」が「再発」につながる、という。事故や事件を真摯に受け止めて反省し、教訓を得て行動を改めたら、まったく同じこと(事故や冤罪事件の再発)は起きないはずです。「反省をしなければならない」とたとえば安倍首相はよく口にしますが、それが欠如しているから、また同じ台詞を口にしなくちゃいけないのではないかな。「反省をしなければならない」と「反省をしてこんな風に行動を改めました」は、まったく別のものです。前者は反省の予告(あるいは口先だけごまかし)、後者は反省の実行ですから。



めでたさ

2019-12-25 07:19:50 | Weblog

 新年やハロウィーンはふつう「ハッピー」なのに、どうしてクリスマスはふつう「メリー」なんでしょう?

【ただいま読書中】『天台宗開宗千二百年記念 比叡山 ──日本仏教の母山』別冊「太陽」、平凡社、2006年、2400円(税別)

 京で「山」と言ったら「比叡山」だそうです。延暦二十五年(西暦806年)天台宗は公認されました。それから1200年を記念して2006年に本書が発行されています。
 最澄が生まれたのは天平神護二年(766年。一説には767年)、延暦四年(785)東大寺で具足戒を受け、その年比叡山に入って草庵を構えました。延暦二十三年(804)還学生(げんがくしょう:短期留学生)として入唐、8箇月天台教学(と牛頭禅と密教)を学んで帰国しました。
 天台宗は法華経を拠り所としています。法華経は早くから日本に入っていて、日本書紀には聖徳太子が法華経の講説を行った、とあります。そもそも聖徳太子が実在の人物かどうか、に最近は疑いが持たれていますが、少なくとも日本書紀が書かれた時代に法華経が知られていたことは間違いないでしょう。法華経は「大乗」で、自分が救われるだけではなくて他の人も救われることが教えの根幹にあるそうです。最澄は比叡山を「円(天台)、密、禅、戒」を備える四宗兼学の場とすることを理想としました。空海と比較したら地味な最澄ですが、多数の優れた弟子に恵まれ、比叡山は最澄の理想を実現しようと動きます。東密は空海という超絶的な天才によって一気に確立しましたが、台密は最澄の優れた弟子たち(あるいはそのさらに弟子たち)によって整備・体系化されました。その分東密より複雑になり多様性があるそうです。
 比叡山には「地獄」が3つあるそうです。西塔の「掃除地獄」、横川の「看経(かんきん)地獄」、そして東塔の「回峯地獄」。中でも千日回峯行は荒行中の荒行。千日で歩く距離はトータルで地球一周分になるそうです。このテレビ番組を見たことがありますが、暗闇の夜道なのにとんでもない歩行速度でしたし、断食の9日間は不眠不臥で念仏を唱え続けていて、死なないのが不思議、と思いましたっけ。これはもともとは巡礼として行われていたものが、信長の焼き打ち直後に現在の形に整備されたのだそうです。
 平安時代中期、比叡山は荒廃していました。それを復活させたのが慈恵大師良源(じえたいしりょうげん 912-985)。この中興の祖の元から、覚運、尋禅、覚超、源信などの名僧が輩出しました。おやおや、源信は「往生要集」で浄土教信仰を日本に広めた祖ではありませんか。天台宗は懐が広くて深いんですね。
 鎌倉時代には、比叡山“出身"の僧として、法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、道元(曹洞宗)、日蓮(日蓮宗)などのビッグネームが並びます。
 信長の焼き討ちによって比叡山は一度滅びたように見えました。しかし信長の死後、秀吉は比叡山を支援、朝廷もそれを支持して、山は復活します。さらに勢いづけたのが、(徳川家康のブレイン)天海の登場でした。幕府との密接な関係を生かして、天海は天台宗の隆盛を導きました。天海というと政僧とか怪僧といったイメージを私は持っていましたが、実は通説とは違う行動をいろいろしている、と本書では解説されています。話は比叡山から離れてしまいましたけれどね。



ロボット指揮者

2019-12-24 06:48:15 | Weblog

 指揮者が病気などで体が不自由になったとき、ある曲に対するその人の解釈をロボットにプログラミングして指揮させることは可能でしょうか。「ロボットに指揮される」のはオーケストラにとっては不愉快かもしれませんが、そのロボットのプログラムの本質は人間の指揮者のものです。ついでにAIも搭載して、様々な不測の事態にも対応できるようにしておいたら、私たちは様々なオーケストラでたとえば「カラヤンの指揮」を今でも楽しめるようになるかもしれません。

【ただいま読書中】『指揮者の使命 ──音楽はいかに解釈されるのか』ラルフ・ヴァイケルト 著、 井形ちづる 訳、 水曜社、2019年、2200円(税別)

 ベートーヴェンは演奏の速度指定を言葉だけではなくてメトロノームの数字でも行っていました。ところが後期ロマン派と20世紀前半の解釈の伝統から、ベートーヴェンのテンポ指定を無視して重々しくあるいは悲壮的に演奏されることが現代の常識となっている、と著者は批判的に述べます(作曲家の指定通り演奏すると、「間違っている」と指揮者が批判されたり「ベートーヴェンが使った古いメトロノームは壊れていた」と言う人まで登場するのだそうです)。ヴァーグナーは初期の作品ではメトロノームでのテンポ指定を行っていましたが、後期には使わなくなりました。これはロマン派での「テンポの扱いが変化したこと」を意味しているそうです。ちなみにヴァーグナーは指揮者としても有名でしたが、ウィーンの演奏会でベートーヴェンの曲を指揮したとき「執拗にテンポを変えていた」と批判されたことがあるそうです。つまり「ベートーヴェンの曲」ではなくて「ヴァーグナーの解釈」を客に聞かせた、という批判です。しかし、「テンポの変更」は19世紀後半からは“普通のこと"になりました。チャイコフスキーやプッチーニでは、数小節内、極端な場合には1小節の中でもテンポが変わります。「トスカ」では最初の30小節で、テンポは5回・拍子は4回変わるそうです。
 指揮者の“就職場所"は、歌劇場とコンサートホールに大別されますが、要求されるテクニックは大きく違います。オペラの場合、歌手と合唱とオーケストラを一致させる必要がありますが、オーケストラピットからは舞台はほとんど見えず音はやたらと大きくてオケのメンバーは耳が大変です。その状態できちんと全体がシンクロしなければならないのです。さらに、演出家は音楽のことはきちんと考えずに指揮者に無理難題を押しつけます。こういった場合に著者が頼りにするのが、オーケストラの“実力"だそうです。コンサートで著者が心血を注ぐのは、作曲家の「意志(精神)」を表現することです。そして、指揮者には、オペラとコンサート、両方の経験が必須だ、と著者は言います。そして、同じことはオーケストラにも言える、と。
 「指揮」という行為を著者は「調整」と表現します。プレイヤーの調整です。仕事は「開始の合図」「テンポの指示と保持」「フェルマータなどで曲の流れを止める」「必要に応じてテンポを変える」「終わりの合図」……具体的にはたったこれだけです。指揮棒の振り方やボディーランゲージには個性がありますが、やっていることの基本はどの指揮者も同じです。
 指揮者はスコアに精通していなければならない、と著者は主張します。どのくらい詳しく知っているか、と言えば、歌手が急なことで欠席したとしてもリハーサルでそのパートを著者がかわりに歌いながら指揮をできるくらいに(実話だそうです)。
 コンサートホールの特性にも柔軟に対応する必要があります。残響時間は変えられませんから。また「情緒に頼る」という“罠"を避ける必要があります。スコアにはもちろん「情緒」も表現されていますが、作曲家の「精神」もまたそこにあるので、それを無視してはいけないのです。
 私は、合唱やピアノの楽譜だったらなんとか読めますが、オケの総譜は手に負えません。私の能力を明らかに超えています。それをきっちり読み込みそこから“何か"を引き出し、そしてそれを自分ではなくてオケのメンバーなどによって表現してしまう指揮者に、憧れはしますが、絶対に自分には無理だという自信だったらあります。



神は畏れられているか?

2019-12-23 06:52:20 | Weblog

 「神をも畏れぬ行為」と言いますが、そういった行為が全世界に溢れていませんか? ということは、実は人類は神をちっとも畏れていない、ということになりません?

【ただいま読書中】『アーサー・ランサムのロシア昔話』ヒュー・ブローガン 編、フェイス・ジャックス 絵、神宮輝夫 訳、 白水社、1989年、2200円

 アーサー・ランサムがまだ『ツバメ号とアマゾン号』で世に出る前、物書きの修業時代、たまたま出会ったロシア昔話集の面白さと英訳のひどさに驚き、「ロシア語を学び、ロシアに行って昔話を採集し、それを自分で英訳して世に出そう」と決心し、それを実行しました。出版された『ピーターおじさんのロシアの昔話』はロングセラーとなりましたが、ランサムの遺稿にはまだまだたくさんのロシア昔話が眠っていました。それを掘り出して出版したのが、本書です。

目次:「鳥とけものの戦争」「白鳥の王女」「オメリヤとカワカマス」「高価な指輪」「キツネ話」「貧すれば貪するという話」「小さな家畜」「ジプシーと聖ジョージ」「天国のかじや」「兵隊と死神」「二人の兄弟」

 本書に登場する「ロシアの昔話」には、何か人生や社会に対する諦念が見える気がします。一見ハッピーエンドに見えても、なんだか素直に喜べないんですよね。ロシアの厳しい気候風土、昔の残酷な農奴制度などが、こういった「昔話」に大きな影響を与えているのでしょうか。
 「高価な指輪」には、後を追いかけてくる恐ろしい存在に対して、糸つむぎのつむを後ろに投げると山になり櫛を投げると黒い森になり鏡を投げると広い海になってその追跡を邪魔する、というシーンが出てきます。おやおや「古事記」では伊弉諾尊が黄泉の国から脱出するのに後ろに櫛の歯を投げるシーンがありましたが、古代人にとって世界に共通する「元型」が何かあるのかな。



蜘蛛の巣の上で

2019-12-22 07:46:15 | Weblog

 インターネットの別名は「WorldWideWeb」です。で、「Web」は蜘蛛の巣のこと。つまり私たちは毎日蜘蛛の巣の上で生きていることになります。

【ただいま読書中】『クモのイト』中田兼介 著、 ミシマ社、2019年、1800円(税別)

 網を作る、捕まえたエサを巻き上げる、卵を包む、移動時の命綱、などクモは様々な目的のために糸を使い分けています。その種類は最大7種類。糸を吐く動物で人間に一番身近なのは蚕でしょうが、その糸は一種類(絹糸)だけです。蛋白質合成で何かすごいことをクモはしています。
 クモの食事は「体外での消化」で行われます。エサの体内に消化液を注入してそれでドロドロにしたものをごっくん。だから自分より大きなものでも食べることができます。
 網を張るタイプのクモは視力が良くありません。そこで使うのが振動です。獲物が網にかかったときその位置などを網の振動でいち早く把握、詳しいことがわかりにくいときには自分で糸を引っ張ったり緩めたりして情報をさらに増やそうとします。
 蜘蛛の巣は、完成したときにはたて糸と横糸から構成されています。たて糸は粘着性はない糸で、同じ太さだったら鋼鉄線とほぼ同じ強さの(かつ、鋼鉄にはない柔軟性を併せ持つとんでもない丈夫な)糸です。横糸は液体状のねばねばが集まった粘球がたくさん付着しています。クモは網を毎日張り直します。もったいないようですが、糸は蛋白質ですから、食べて再利用が可能です。
 私の家には、新築のときからクモが住んでいます。巣を張らないタイプで、ぴょんぴょん壁や床をはねていますが、「クモは家の守り神」と聞いたことがあるので平和共存をしています。この前はいつも見るのより小型のが跳ねていて、無事子孫ができているんだな、と少し嬉しくなりました。家のどこかに潜んでいるであろうゴキブリを食べていてくれたら良いんですけどね。



携帯の形態

2019-12-21 07:14:36 | Weblog

 スマホの文字は、老眼の目には辛いものがあります。といって文字を大きくしたら一画面に表示できる情報量が激減します。といって、パソコンはポケットには入らない。そこでその中間のタブレットはどうか、と思いました。ただ、タブレットもポケットに入れて持ち運ぶのは辛いんですよね。くるくる丸めたり折りたたんで携帯できないかしら。

【ただいま読書中】『iPadプロ技セレクション』リンクアップ 著、 技術評論社、2019年、1780円(税別)

 この手の解説本の難点は、あっという間に古くなってしまうことです。本書は2019年1月出版ですが、このときのiOSのバージョンは12で、現時点でのiOSは13.3になってます。iPadのモデル自体も新しいものが出てます。いやいや、困ったものです。ただiOSの良いところは、基本的なことを把握していたら、あとは細かい応用ですませることができるところ。ということで、1年前の“古い本"ですが、将来iPadを購入するときに備えて、基礎テクニックを仕入れておくことにしました。
 私が特に興味があるのが、現在のパソコンをタブレットに置き換えることが可能かどうか、です。現在使っているノート型パソコンは20世紀のことを思えば嘘みたいに軽く薄くなりましたが、タブレットはキーボードを付けてもそれより軽いので、もしも今とほぼ同じことができるのだったらタブレットにした方が快適環境になりますので。
 いつの間にかiPadでは複数のウインドウを開くことができるようになっているんですね。絶対にこの機能が必要、とまでは私の場合には言いませんが、それでもあったら便利そうです。ブラウザを参照しながらブログ記事を入力する、なんて場合がありますから。
 ただ、日本語入力では、タブレットはどうしてもパソコンに負けるらしいことがわかりました。私が30年かけて築いたATOK環境をそのままiPadに移行できたら良いのですが、それはまだ無理みたい。そこで、母艦はパソコンとして、移動しているときだけiPad、という手を思いつきます。そこでキーになるのが「iCloud」。これを使えば、出先で入力したファイル変更を「同期」でパソコンの方にも反映させることができます。ただ難点は、iCloudの無料の容量が5GBであること。すぐに容量オーバーして有料化への道をたどってしまいそうです。ううむ、これはなんとかしなくては……