【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

無料の罠

2018-09-27 07:05:43 | Weblog

 「無料で読める」を前面に出している漫画サイトの「無料」が本当かどうか試そうとスマホをタップしたら、リストのトップが「君の膵臓を食べたい」でした。ただし読めるのは1日1話だけ。辛抱強く読みましたよ。ただ、不覚にも途中で一回だけ抜けてしまいましたが。
 仕方ないから、小説の方を最初からきっちり読むことにしました。

【ただいま読書中】『君の膵臓をたべたい』住野よる 著、 双葉社、2015年、1400円(税別)

 衝撃的なタイトルですが、もちろんカニバリズムの話ではありません。
 「難病ものプラス純愛もの」と言えば「世界の中心で、愛を叫ぶ」「ある愛の詩」「巨人の星」「愛と死をみつめて」などいくらでも私は思い出せます。
 著者もそれは先刻ご承知で、ちゃんとスカしてくれます。そもそも、「純愛もの」ではありません。「ボーイミーツガール」だけど……二人は恋には落ちないのです。いや、待てよ、二人の関係は本当に純粋な「純愛」と言っても良いかな? たとえ二人がはずみで肉体関係を持ったとしても、魂のあり方は究極の「純愛」のような気がします。(アラベールとエロイーズでしたっけ、二人の間に子供ができても「純愛」を貫こうとしたカップルもいたのを私は連想します)
 ところで2人は高1も高2も同じクラスで、高2になってから突然の「ミーツ」です。二人は「正反対」の存在で、接点はなかったのです。
 まず「彼女」。クラスの人気者(常に「人間関係」の中心に位置)、けっこうな可愛さ(クラスで3番目)、表情はくるくる変わるが基本は笑顔、豪快な笑い声「うわははっ」、全力で進む砕氷船、口は悪い、常にポジティブに考える、望んで「当事者」であろうとする……
 そして「僕」。クラスでは目立たない、教室では常に文庫本を読んでいる、友人はいない(クラスメイトは彼の存在さえほとんど意識していない、本人もクラスメイトのことはほとんどきちんと記憶していない)、人の「熱さ」が苦手、漂う草舟、常に「傍観者」であろうとする……
 こんな「正反対」の二人が「出会い」、そしてそこから物語が始まります。
 そうそう「純愛」関係ですが、彼女は中学校から今まで「彼氏」は3人。最新の彼とはつい最近別れたばかりです。「僕」の方は、友人さえいないのですから、当然恋愛経験はありません。片思いさえまだ未経験。はい、ここも「正反対」です。
 彼女は「膵臓の難病」でした。余命は1年。病名は作中で明らかにされませんが(というか、本書では「固有名詞」はみごとに排除されてます。人名でさえ必要最小限)、焼肉やスイーツの食べ放題を平気で腹一杯ぺろぺろ食べていることから、糖尿病や膵炎や膵癌などではないのでしょう。ただ「病名」は実は問題ではありません。「彼女の余命(命が明確に限られていること)」が問題です。彼女は言います。医者は「真実」は与えてくれるが、それだけ。家族は彼女の死を受け入れ「日常」を取り繕うのに必死。友人たちに「真実」を告げたら「日常」が失われる。だけど【仲のいいクラスメイト】くんは(人間関係に独特のポジションを取っているから)「真実と日常」の両方を与えてくれそうだ、と。(あ、「僕」の本名は最後に明かされますが、それまでは【地味なクラスメイト】【目立たないクラスメイト】【仲のいいクラスメイト】【根暗そうなクラスメイト】【仲良し】などと【××】で表記されます)
 まだ17歳。彼女が自分の死を受け入れることなど簡単にできるわけがありません(71歳ならできるか、と言えばそれも簡単にできるわけはないでしょうけれど、ね)。そして、いくら希薄な人間関係が得意な「僕」であっても、「人の死」をそう簡単に直視することはできません。だけど、戸惑いながら「僕」は彼女の人生に寄り添うことにします。というか、騒々しく巻き込まれた、と言った方が正解かもしれません。ほら、「全力で進む砕氷船」vs「漂う草舟」ですから。
 二人の会話は、傍目には時に容赦なくしかし非常にコミカルなものですが、「本当には相手を傷つけない」ための努力と技巧が込められています。
 そして、少しずつ「僕」は変容していきます。それはまず読者に示され、それから「僕」が気づいていきます。その過程が丁寧に描写されますが、そのとき示される「僕」が感じる戸惑い、がなかなかリアルです。ただその時の彼女の心の動きはなかなか明かされません。語り手の「僕」はそういった人の心の機微には初心ですから、手がかりが明示されていてもそれを解析する知識と経験が圧倒的に足りないのです。読者はその「僕」をフィルターとして彼女を推測するしかありません。
 私は突然、自分の青春時代を思い出します。私も「僕」と同様本の虫で同じく図書委員をやっていて、「僕」ほどではないにしてもクラスの人間関係の外れに位置する人間でした。で、戸惑うのが、自分に向けられる敵意。「ぼくのことをほとんど知らないのに、どうしてそんなに熱心に嫌えるんだろう?」と不思議でなりませんでした。さらに戸惑うのが自分に向けられる好意。「こんな変な人間を、どうして好きになれるんだろう?」。思えば私も自分に自信が無く自分自身が好きではなかったのかもしれません。
 普通の形での愛でもなく友情でもない二人の関係は、意外な形で終わりを迎えます。そしてそこで、「僕」は自分の名前を取り戻し、彼女がなぜ自分に接近してきたのか、真の理由を知ります。これは私にも衝撃でした。青春時代に私が本書を読んでいたら、人の見方が変わり、そして自分の未来(今の私の現在)が変わったかもしれません。


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