私が子供のころ、クラスでふだん悪いことばっかりしている子がたまに良いことをするとすごく褒められていました。逆に普段悪いことをしない子がたまに悪いことをしたらすごく叱られる。どう見ても後者の方がトータルで考えたら良いことをたくさんしているのに、前者は褒められ後者は叱られる。これって理不尽なことに思えましたっけ。
今回北朝鮮軍がひどいことをしたのに対して北朝鮮の最高指導者金正恩さんが謝罪をした、が話題になっています。これって上の段落の“前者”では? 悪いことをしたら謝るのが当たり前でしょう。褒められるとしたらちゃんと償いをした上で再発防止をきちんとして、さらに普段の行いも改める、これだったら褒められても良いかもしれません。
【ただいま読書中】『奪われたクリムト ──マリアが『黄金のアデーレ』を取り戻すまで』エリザベート・ザントマン 著、 永井潤子・浜田和子 訳、 梨の木舎、2019年、2200円(税別)
第一次世界大戦前のウィーンは「文化の都」でした。そこに集った優れた才能はたとえば、作家のアルトゥール・シュニッツラーやフーゴー・フォン・ホーフマンスタール、医師のジークムント・フロイト、作曲家のグスタフ・マーラー、そして画家のグスタフ・クリムト。その売れっ子画家(特に女性に人気)のクリムトに「妻のアデーレの肖像画を」と夫のフェルディナントが依頼したのは1903年。「黄金の時代」に入っていたクリムトは、斬新な手法を肖像画に採用します。その作品は、絶賛と酷評を浴びることになりました。
アデーレとフェルディナントのブロッホ=バウアー夫妻は二人ともウィーンの名家の出身で、美術品のコレクションは充実していました。夫妻は国立絵画館にもクリムトの作品を数枚貸与しています。
1925年アデーレは病死。1938年アデーレの姪のマリアが結婚。式は盛大でしたが、翌月にはドイツによるオーストリア併合、そしてユダヤ人迫害が公然と始まります。ナチスは「裕福なユダヤ人の財産リスト」をすでに作っており、それに基づいて財産接収(整然とした略奪)が始まります。
「ナチス芸術」の世界では「退廃芸術」は否定されるべきなのに、ナチスはその「退廃芸術」を大喜びで収集していた、というのは、何なんでしょうねえ。
しかし法的な「手続き」は必要です。そこでまずユダヤ人企業に対する「脱税」がでっち上げられ、その罰金に「美術品をオークションにかけて得られた金」が当てられることになりました。そうそう、「帝国出国税」というものもありました。ユダヤ人が国外に出るためには全財産の1/4(はタテマエで、実際にはめぼしいものはすべて)ドイツ国家に納めなければならない、という「税金」です。ナチスはある意味几帳面で、自分がおこなう不正行為には必ず法律を作っておいて「合法的」に行っていたのです(ついでに、几帳面にその記録も残しています)。(後の話ですが、この「脱税」の“記録”がのちにオーストリア政府がユダヤ人から奪った絵画を返却しない(“合法的”に所有権が移動しているのだから返却の義務はないと主張する)根拠として使われることになります)
しかし、スイスがけっこうナチスに“協力”している、というのには驚きます。スイスの銀行に預けてあるユダヤ人の財産を平気でドイツに渡したり、亡命希望のユダヤ人が人種的理由で迫害されていることを1944年まで認めなかったり……ま、“大人の事情”があるんでしょうけれどね。
アデーレの姪マリア・アルトマン夫妻は奇跡的に脱出に成功し(オーストリア→ドイツ→オランダ→イギリス→アメリカ)、まずは生き延びることに、戦後はヨーロッパの家族を探すことに忙しい思いをしました。
戦後のオーストリアは「犠牲者」だらけでした。戦災でひどい目に遭った犠牲者、ナチスにだまされて間違ったことをさせられた“犠牲者”、オーストリア自体もドイツに無理やり併合された“犠牲者”でした。その中で「自分たちがユダヤ人にひどいことをした」という記憶は抹殺されます。もちろんユダヤ人の財産を盗んだことなどありません。ないのですから「返却を」という要求に応える必要はありません。そこで持ち出されたのが「合法的な手続きで、美術館に自発的に寄贈された」という主張です。「財産を渡さなければ殺すぞ」という威しの下で行われた「寄贈」であっても当時のナチスの法律では「合法的」だから、返却する必要はない、と。
私から見たら「不正義」そのものですが。
ちなみに、ユダヤ人がその要求をすること自体が、魂を傷つけるストレスでした。なにしろ、ウィーンの役所に行ったら、戦前戦中に自分たちを迫害し財産を奪っていったまさにその人たちがそこで仕事をしているのですから。その人たちに「略奪された自分たちの財産はどこにあります?」と聞く気になります?
新しい世代が育ち、ナチスの略奪美術に対する意識が変わるのに、数十年が必要でした。
20世紀末、フベルトゥス・チェルニンという調査報道ジャーナリストがナチスの略奪美術に関する活動を開始します。その記事の中に、クリムトのコレクションもあり、それを知ったマリア・アルトマン(もう82歳になっていました)は若い弁護士に相談をします。そして、過去への旅行を始めます。真実と正義、賢明な解決を求めて。しかしオーストリア絵画館は否定的な態度を示します。もちろんオーストリア政府も。「自分たちは絵をあきらめられない。だからそれを理解しろ」と。そのためには、「寄贈」の手続きやら「所有者の遺言書」の曲解も辞さない構えです。
弁護士はウィーンで民事訴訟を起こすことを考えます。しかし法廷費用がべらぼうです。訴訟対象の1.2%の供託金が必要なのですが、それが160万ドル。マリアたちは断念します。しかし弁護士は次の手を考えます。アメリカで訴訟を起こそう、と。アメリカで「オーストリア国家」そのものを訴えよう、というのです。2001年ロサンゼルスの裁判所は、オーストリアの「主権国家には治外法権がある」という主張を退け、訴訟を認めます。ここから「そもそも、国家を訴える裁判が成立するのか」をめぐって論争が続きます。「クリムトの絵」など忘れ去られています。最終的に「あまりに重要な問題である」ことをもってアメリカ最高裁判所が公判を開始したのは2004年のことでした。結果は「アメリカで裁判をすることを認める」、しかも6対3という圧倒的な“勝利”でした。
日本だったら、政府に忖度する裁判官があっさり握りつぶしたでしょうに、アメリカではまだ「司法の良心」が生きているようです。
「引き延ばし」と「法的手段の総動員」に熱中していたオーストリア政府は、焦ります。このままアメリカの裁判所で敗訴したら、大恥です。国内の雰囲気も変わってきていました。そこで「仲裁」の手続きが開始されます。最初からそうしていたら良かったのにね。
そして仲裁裁判所の決定は「マリア側の勝利」。美術館は焦ります。「オーストリアの至宝」を失いたくない、と「返却するから貸与してほしい」と希望しますが、マリアはにべもなく拒否。これまで長年かけて彼女の善意を傷つけ続けていた報いでしょう。それでもマリア側は「買い上げるのだったら、優先権を与える」と“妥協”します。ところがオーストリアではお金が集まりませんでした。絵はアメリカに渡ります。
「正義の実現」は、現実世界ではめったにありません。だからフィクションのテーマになります。本書は極めて希有な「正義と尊厳の回復」のノンフィクションです。