【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

たまにまともなことをしたら褒められる

2020-09-30 07:26:44 | Weblog

 私が子供のころ、クラスでふだん悪いことばっかりしている子がたまに良いことをするとすごく褒められていました。逆に普段悪いことをしない子がたまに悪いことをしたらすごく叱られる。どう見ても後者の方がトータルで考えたら良いことをたくさんしているのに、前者は褒められ後者は叱られる。これって理不尽なことに思えましたっけ。
 今回北朝鮮軍がひどいことをしたのに対して北朝鮮の最高指導者金正恩さんが謝罪をした、が話題になっています。これって上の段落の“前者”では? 悪いことをしたら謝るのが当たり前でしょう。褒められるとしたらちゃんと償いをした上で再発防止をきちんとして、さらに普段の行いも改める、これだったら褒められても良いかもしれません。

【ただいま読書中】『奪われたクリムト ──マリアが『黄金のアデーレ』を取り戻すまで』エリザベート・ザントマン 著、 永井潤子・浜田和子 訳、 梨の木舎、2019年、2200円(税別)

 第一次世界大戦前のウィーンは「文化の都」でした。そこに集った優れた才能はたとえば、作家のアルトゥール・シュニッツラーやフーゴー・フォン・ホーフマンスタール、医師のジークムント・フロイト、作曲家のグスタフ・マーラー、そして画家のグスタフ・クリムト。その売れっ子画家(特に女性に人気)のクリムトに「妻のアデーレの肖像画を」と夫のフェルディナントが依頼したのは1903年。「黄金の時代」に入っていたクリムトは、斬新な手法を肖像画に採用します。その作品は、絶賛と酷評を浴びることになりました。
 アデーレとフェルディナントのブロッホ=バウアー夫妻は二人ともウィーンの名家の出身で、美術品のコレクションは充実していました。夫妻は国立絵画館にもクリムトの作品を数枚貸与しています。
 1925年アデーレは病死。1938年アデーレの姪のマリアが結婚。式は盛大でしたが、翌月にはドイツによるオーストリア併合、そしてユダヤ人迫害が公然と始まります。ナチスは「裕福なユダヤ人の財産リスト」をすでに作っており、それに基づいて財産接収(整然とした略奪)が始まります。
 「ナチス芸術」の世界では「退廃芸術」は否定されるべきなのに、ナチスはその「退廃芸術」を大喜びで収集していた、というのは、何なんでしょうねえ。
 しかし法的な「手続き」は必要です。そこでまずユダヤ人企業に対する「脱税」がでっち上げられ、その罰金に「美術品をオークションにかけて得られた金」が当てられることになりました。そうそう、「帝国出国税」というものもありました。ユダヤ人が国外に出るためには全財産の1/4(はタテマエで、実際にはめぼしいものはすべて)ドイツ国家に納めなければならない、という「税金」です。ナチスはある意味几帳面で、自分がおこなう不正行為には必ず法律を作っておいて「合法的」に行っていたのです(ついでに、几帳面にその記録も残しています)。(後の話ですが、この「脱税」の“記録”がのちにオーストリア政府がユダヤ人から奪った絵画を返却しない(“合法的”に所有権が移動しているのだから返却の義務はないと主張する)根拠として使われることになります)
 しかし、スイスがけっこうナチスに“協力”している、というのには驚きます。スイスの銀行に預けてあるユダヤ人の財産を平気でドイツに渡したり、亡命希望のユダヤ人が人種的理由で迫害されていることを1944年まで認めなかったり……ま、“大人の事情”があるんでしょうけれどね。
 アデーレの姪マリア・アルトマン夫妻は奇跡的に脱出に成功し(オーストリア→ドイツ→オランダ→イギリス→アメリカ)、まずは生き延びることに、戦後はヨーロッパの家族を探すことに忙しい思いをしました。
 戦後のオーストリアは「犠牲者」だらけでした。戦災でひどい目に遭った犠牲者、ナチスにだまされて間違ったことをさせられた“犠牲者”、オーストリア自体もドイツに無理やり併合された“犠牲者”でした。その中で「自分たちがユダヤ人にひどいことをした」という記憶は抹殺されます。もちろんユダヤ人の財産を盗んだことなどありません。ないのですから「返却を」という要求に応える必要はありません。そこで持ち出されたのが「合法的な手続きで、美術館に自発的に寄贈された」という主張です。「財産を渡さなければ殺すぞ」という威しの下で行われた「寄贈」であっても当時のナチスの法律では「合法的」だから、返却する必要はない、と。
 私から見たら「不正義」そのものですが。
 ちなみに、ユダヤ人がその要求をすること自体が、魂を傷つけるストレスでした。なにしろ、ウィーンの役所に行ったら、戦前戦中に自分たちを迫害し財産を奪っていったまさにその人たちがそこで仕事をしているのですから。その人たちに「略奪された自分たちの財産はどこにあります?」と聞く気になります?
 新しい世代が育ち、ナチスの略奪美術に対する意識が変わるのに、数十年が必要でした。
 20世紀末、フベルトゥス・チェルニンという調査報道ジャーナリストがナチスの略奪美術に関する活動を開始します。その記事の中に、クリムトのコレクションもあり、それを知ったマリア・アルトマン(もう82歳になっていました)は若い弁護士に相談をします。そして、過去への旅行を始めます。真実と正義、賢明な解決を求めて。しかしオーストリア絵画館は否定的な態度を示します。もちろんオーストリア政府も。「自分たちは絵をあきらめられない。だからそれを理解しろ」と。そのためには、「寄贈」の手続きやら「所有者の遺言書」の曲解も辞さない構えです。
 弁護士はウィーンで民事訴訟を起こすことを考えます。しかし法廷費用がべらぼうです。訴訟対象の1.2%の供託金が必要なのですが、それが160万ドル。マリアたちは断念します。しかし弁護士は次の手を考えます。アメリカで訴訟を起こそう、と。アメリカで「オーストリア国家」そのものを訴えよう、というのです。2001年ロサンゼルスの裁判所は、オーストリアの「主権国家には治外法権がある」という主張を退け、訴訟を認めます。ここから「そもそも、国家を訴える裁判が成立するのか」をめぐって論争が続きます。「クリムトの絵」など忘れ去られています。最終的に「あまりに重要な問題である」ことをもってアメリカ最高裁判所が公判を開始したのは2004年のことでした。結果は「アメリカで裁判をすることを認める」、しかも6対3という圧倒的な“勝利”でした。
 日本だったら、政府に忖度する裁判官があっさり握りつぶしたでしょうに、アメリカではまだ「司法の良心」が生きているようです。
 「引き延ばし」と「法的手段の総動員」に熱中していたオーストリア政府は、焦ります。このままアメリカの裁判所で敗訴したら、大恥です。国内の雰囲気も変わってきていました。そこで「仲裁」の手続きが開始されます。最初からそうしていたら良かったのにね。
 そして仲裁裁判所の決定は「マリア側の勝利」。美術館は焦ります。「オーストリアの至宝」を失いたくない、と「返却するから貸与してほしい」と希望しますが、マリアはにべもなく拒否。これまで長年かけて彼女の善意を傷つけ続けていた報いでしょう。それでもマリア側は「買い上げるのだったら、優先権を与える」と“妥協”します。ところがオーストリアではお金が集まりませんでした。絵はアメリカに渡ります。
 「正義の実現」は、現実世界ではめったにありません。だからフィクションのテーマになります。本書は極めて希有な「正義と尊厳の回復」のノンフィクションです。

 


自由と責任

2020-09-29 07:11:22 | Weblog

 言論の自由があるから、基本的には何を言っても良いでしょう。ただ、言ったことで社会の不正義や不平等を助長した場合、その責任は問われるべき(というか、その責任を問う「言論の自由」の存在を認めるべき)でしょう。それともそれは「不自由な世界」になってしまいます?

【ただいま読書中】『あなたは何で食べてますか? ──偶然を仕事にする方法』有北雅彦 著、 太郎次郎社エディタス、2019年、1600円(税別)

 進路指導講師をしている著者が、進路に悩む高校生の参考になれば、とちょっと変わった職業でしっかり食っていけている人12人にインタビューをしてまとめた本です。登場するのは「物語屋」「珍スポトラベラー」「アドベンチャーランナー」「デストロイヤー」「ドローン写真家」「NPO団体代表」「映画監督」「素潜り漁師」「映画館館長」「市会議員」「フリー旅役者」「切り似顔絵絵師」。
 ものすごく明るい口調で語る人が多いので、まるで軽妙な人生を生きていたらいつの間にか“その職業”に落ちついていた、といった印象を得ることもあるのですが、それは“編集の妙”というべきでしょう。
 「デストロイヤー」のところで私は盛大に笑ってしまいました。私にとってこの言葉は昭和の時代のプロレスラーなのですが、著者が会ったのは、ピンク色のボブカットの若い女性。彼女が壊すのは「頭の中の既成概念」です。
 「人生の紆余曲折」「仕事の内容」だけではなくて「お金」のことも著者はシビアに質問をし、皆さんけっこう赤裸々に答えています。いや、内情は大変だわ。
 正直言って、この本が「就職の参考書」になるかどうかはわかりません。ただ、「人生、『正規のルート』に乗れなくても、何とかなることもありそうだ」という生きる勇気がもらえることは確かです。

 


貧乏人の子だくさん

2020-09-28 07:08:55 | Weblog

 歴史的に「高い出生率」は「低い生活水準」と直結しています。しかし、今の日本のように意図的に若者の生活水準を下げることによって出生率を回復させようとしても、すでに「子だくさんは生活が苦しくなる」という知識が普及しているから、その政策は成功しないでしょう(というか、事実がそれを物語っていますね)。

【ただいま読書中】『戦の国』冲方丁 著、 講談社、2017年、1550円(税別)

 目次:「覇舞謡」「五宝の矛」「純白き鬼札」「燃ゆる病葉」「深紅の米」「黄金児」

 戦国時代に題材を取った短編集です。登場するのは、織田信長、長尾景虎(上杉謙信)、明智光秀、大谷吉継、小早川秀秋、豊臣秀頼。
 初めのうちは「道」「信心」といった「共通項」で括ってお互いに影響を与えながら各短編が連なっていきますが、特徴的なのが各武将の心理描写と経済に視点からの戦国の世界の描写です。特に小早川秀秋のところでの心理描写には、凄みを感じました。彼がなぜ関ヶ原の戦いで西軍を裏切ることになったのか、極めてわかりやすい説明がここにあるのです。どの人も、「自分は死にたくない」と思いながらも「平和な世の到来」を半ば恐れています。戦国時代の終わりはつまり、自分が生まれたときから慣れ親しんだ生き方が通用しなくなる世の中がやって来ることなのですから。
 実際にここまで「時代」を俯瞰しながら生きている人はあまりいないでしょう。でも、それができたら歴史に名が残る存在になれるのかもしれません。ところで「今」という時代、どこからどこに向かっているのでしょう?

 


読んで字の如し〈人偏−10〉「休」

2020-09-26 07:18:57 | Weblog

「万事休す」……地球のすべてがお休み
「一休さん」……ひとやすみを丁寧に言ってみました。
「年休」……一年単位のお休み
「休作」……休みを作る
「箸休め」……箸の休憩場所つまり箸置き
「遊休地」……土地は自分が遊んだり休んでいるとは思っていない
「気休め」……ストレス解消
「休息」……呼吸を休む
「休止」……休みを止める
「休暇」……休むと暇になる
「二分休符」……半分この休みの符号

【ただいま読書中】『昭和30年代の家計簿』武田晴人 監修、宝島社(別冊宝島2429)、2016年、920円(税別)

 「もはや戦後ではない」(昭和31年経済白書)「所得倍増計画」「東京オリンピック」……昭和30年代は私にとっては小学生時代とほぼ重なるため、「特別な時代」ではあります。
 本書ではまず「昭和30年代の貨幣」の写真が紹介されます。ああ、懐かしい。ふちがぎざぎざの十円玉、穴が開いていない五十円玉……現在とまったく同じなのは一円玉だけです(五円玉はほぼ同じですが、昭和33年までは現在のゴシック体ではなくて明朝体が使われていたそうです)。
 この10年間、所得は平均で2.2倍。物価ももちろん上がっていましたが10年で1.5倍ですから、「毎年毎年豊かになる」実感はありました。春闘では「ベースアップ」が繰り返され、新聞には「大卒初任給は○○円になった」と盛大に書かれていましたっけ。電気洗濯機、電気冷蔵庫、電気掃除機、電気炊飯器……「新商品」も次々登場します。
 近所の子供たちは「1日10円」の小遣いをもらっていてそれで駄菓子屋に入り浸り。私は昭和40年代まで小遣いをもらえていなかったので、それがうらやましくてうらやましくて……
 懐かしさに浸ってしまいました。今「若い人」をやっている人たちは、平成時代についての細々した資料を残しておくと、将来懐かしさに浸る手がかりとして活用できるかもしれません。

 


兵站の重要性

2020-09-25 08:46:52 | Weblog

 日本海軍では「敵艦(それもできるだけ大きなもの)の撃沈」が「戦果」だったので「輸送船団」に関しては軽視されていた、と私は考えています。だから敵輸送船団に対する攻撃とか味方輸送船団の護衛は「大した任務ではない(戦果が得られるものではない)」という認識で力が入らない。
 英国海軍では「戦争に勝つこと」が目的だったので、(特にアメリカからの)輸送船団の無事を守ることは「大変重要な任務」でした(逆にドイツ海軍もそれを理解していたから、Uボートによる群狼作戦などを必死に立案しました。ドイツの悲劇は、ヒトラーがそれを理解していなかった(「できるだけ大きな敵艦を撃沈すること」が「戦果」だと考えていた)ことでしょう。

【ただいま読書中】『非情の海』N・モンサラット 著、 吉田健一 訳、 フジ出版社、1967年(75年11刷)、1300円

 1939年、イギリスのエリクソン海軍少佐(40代前半)は「コンパス・ローズ」というふざけた名前の艦の艦長を拝命しました。大量生産された「花(フラワー)級」対潜護衛艦です。乗組員は、ベテランもいれば船に乗るのは初めてというど素人もいる寄せ集め。長さ200フィートの小さなコルヴェット艦は、一瞥で安心感を得ることができる、という代物ではありません。しかし乗組員たちはそれに命を預けるしかありません。不安を自分で処理する人もいれば、あたりに当たり散らして発散する人もいます。船はゆっくり完成し、船内の環境と人間関係もとりあえず固定化されます。ここでの群像の描写が秀逸。誰がどんな行動をする人間で、それを誰がどう思っているか、しっかりわかります。しかし、素人がこんなにたくさん混じっていて、すぐに作戦行動ができるのだろうか、と(艦長と同じく)私も不安をたっぷり感じてしまいます。素人だから「知らない」「できない」のは当然ですが、それを隠蔽されると(できないのに口では「できます」と言われると)実戦でそれは人の生死に関わるのです。最終的な訓練は、人数を減らして自分の兵科以外の仕事を集団で効率よくおこなうこと。これはつまり、死傷者が多数出たときを想定してのことでしょう。いやあ、実戦的です。そして1940年2月、ついにコンパス・ローズに出撃命令が。
 最初の数航海は荒れた海以外には大したことは起きませんでした。しかし、ドイツ軍はフランスの海岸から偵察機を飛ばして情報を無線で潜水艦に連絡することで組織的な輸送船団狩りを始めます。輸送船団の損害はどんどん増えます。コンパス・ローズもついに潜水艦と遭遇します。撃沈される輸送船、魚雷を食らう恐怖に耐えながら生存者を救助しても、コンパス・ローズの船上で事切れる人たち。血と重油と硝煙のにおいがあたりに立ちこめています。
 ドイツ海軍の戦艦が大西洋を遊弋し、やがてUボートは群狼戦術を採り始めます。コンパス・ローズの乗員たちは、警報ベルに驚かなくなり、様々なものが焼けるにおいや死者を見ることにも慣れていきます。
 コンパス・ローズの乗員たちは、実に様々な人間で構成されています。そして輸送船団もまた、様々な船で構成されています。さらに、そのちょっと外側、たとえば乗員の家族、造船所の労働者たち、港町の人々などもまた様々です。皆が皆「一致団結、全身全霊で戦争を遂行しよう」なんてことを思っているわけではありません。厭戦気分が蔓延し、自分の安全を確保した上で利益だけを貪ろうとする人もいます。そういったことに毎回の航海で生と死に直面している乗員たちは、やるせない思いを抱きます。自分たちのことは自国の人間にさえ理解してもらえないのだ、と。
 アメリカが参戦、コンパス・ローズには最先端機器のレーダーが装備されます。しかしそれで戦局が一挙に好転するわけではありません。イギリスではいくつもの家が破壊されます。そして、コンパス・ローズの乗員たちの結婚生活もまたいくつも破壊されていきました。
 1942年、とうとうコンパス・ローズは雷撃され、多くの乗組員が死にます。名前を知っていた人の死は、こちらにまで喪失感をもたらします。しかし戦争は続きます。生き残った人たちの戦いも、また。コルヴェットより高速で大型のフリゲートが就役、エリクソンと副長のロックハートのコンビはそのままフリゲート艦サルタッシュに乗り込みます。43年に大西洋での戦局は膠着状態に。しかしイギリス海軍にとってそれは光明でした。一方的にやられるだけではなくなったのです。
 タイトルにある「非情」は、様々な局面でしょっちゅう顔を出します。一番劇的なシーンは、撃沈された味方艦の乗組員がまだ多数海面を泳いでいる状況で、水面下の敵に向かって爆雷を投下する場面でしょう。爆圧によって海面の味方も死ぬことがわかっているのに、それでも爆雷を投下しなければならないのです。劇的ではありませんが、人が死ぬことに慣れてしまい「死すべき人」とあまり密な関係を築かないように自分の心を硬くしていくプロセスがゆったりとむしろ淡々と描かれているところもまた「戦争の非情さ」をしっかり現しています。小さな艦では乗員の名前もプライベート情報も現在の状態も把握していた副長が、大きな艦では「記号」で全乗員を把握するようになったり、艦のことを隅々まで把握していた艦長が船団指揮官になると各艦を「記号」で把握するようになったりすることに、私は「非情」を痛切に感じてしまいます。

 


難しい両立

2020-09-23 07:26:15 | Weblog

 新型コロナに関して「感染拡大の防止」と「経済活動」の両立が難しい、と話題になっています。「ソーシャル・ディスタンスを保つこと」と「親愛の情」との両立もまた難しいことです。
 そう言えば最近どこに行っても透明プラスチックによる仕切りがありますが、あれと換気との両立もまた、難しいことではありませんか? 皆さん、どうやっているのでしょう?

【ただいま読書中】『脱毛の歴史 ──ムダ毛をめぐる社会・性・文化』レベッカ・M・ハージグ 著、 飯原裕美 訳、 東京堂出版、2019年、3200円(税別)

 アメリカ人にとって「体毛の意識的な除去」(むだ毛処理、ひげ剃り、など)は「当たり前の行為」となっています。だからグアンタナモでイスラム教徒のヒゲを強制的に除去することは「拷問ではない」と看過されています。
 18世紀のアメリカ人(白人)にとって「インディアン」のお肌がつるつるなのは驚異であり、と同時に「インディアンは文明化(人間として自然な体毛をはやすこと)が可能か?」の問題提起でもありました。論争がありましたが、肌の色が黒人差別の根拠にされたのと同様「ヒゲがないこと」は先住民差別の根拠となりました(白人とは「人種」が違うから、平等に扱う必要がない、という主張です)。
 では白人が脱毛をしていないか、と言えば、それは嘘。18世紀のヨーロッパ(そして19世紀のアメリカ)では自家製の脱毛剤が広く使われていました(女性の顔はつるつる、が最上とされていました)。やがて市販品が普及します。そういえばこの時代の文学作品で「ヒゲのある女」は最悪の悪口ですね。さらには「狭い額」もまた「よくないこと」だったそうです。19世紀末のフェミニズム運動(白人女性の地位向上運動)と絡んで「むだ毛」もまた論争の対象となります。スカートの丈が短くなり(1910年ころ短くなり始め、15年にはふくらはぎの真ん中あたり、27年には膝のすぐ下まで裾が上がりました)「毛が生えた部位」が露出されるようになったことも影響しているでしょう(ストッキングが愛用されたのは、露出された部位を隠すためです)。白人社会では女性の「白くなめらかで、ビロードのような肌」が最上のものとされ、致死性のあるタリウム化合物まで「脱毛剤」として販売され、電気針を毛根に差し込んで破壊するニードル療法、さらには「X線脱毛サロン」も登場。「新しい科学」に対する期待もあってブームが到来、賛否両論がわいわい展開されましたが、X線脱毛サロンブームが終焉を迎えたのは1940年代後半になってのことでした。
 1970年代に「脇毛ぼうぼうのフェミニスト(ウーマン・リブの闘士)」が登場。やがて「脇毛(を手入れするかしないか)」は政治的なシンボルになってしまいます。そういえば80年代に日本のAV女優で脇毛が特徴的だった人がいた、なんてことも思い出してしまいました。こちらは「政治」ではなくて「それまで日蔭の存在だったAV女優が一般テレビ番組に出るようになった」という社会的な意味での取り扱いでしたが。
 もともと陰毛は性的魅力の一部とされ、公然と興味を示す人はあまりいなかったのですが、ビキニの普及で意識する人が多くなったようです。2000年ころ「ブラジリアンワックス」が評判となります。これは女性の生殖器周辺の全脱毛をするものだそうです。そして10年以内にアメリカの若い女性で陰毛に何らかの処置をすることは、ごく普通の行為となりました。ちなみにこの処置を体験のために受けた男性ジャーナリストは「知りもしない情報を吐けと拷問を受けているような気がした」そうです。
 ワックスによる脱毛は実は古代から存在するのですが、最新テクノロジーももちろん採用されています。レーザーとか、さらには遺伝子治療も。
 こういった場合私たちはついつい「科学」とか「技術」とか「医学」に注目してしまいます。しかし「どうして“それ”をするのか(しないのか)」という疑問は、科学・技術・医学の分野では解決できません。ちなみに男性の頭髪に関しては薄くなること自体が恥、という揶揄の扱いですね。これもなぜでしょう?

 


進化論の罠

2020-09-23 07:26:15 | Weblog

 進化論で気をつけなくてはいけないのは、ついつい目的論的な考え方をしてしまうことです。たとえば「眼はどうして発生したか」という問いに「ものを見るためにできた」と答える態度。だって眼がない生物が「そうか、眼を作れば外を見ることができるぞ」と思って遺伝子をいじって眼を発生させる、なんてことはありませんから。たまたま発生した臓器がたまたま光を感じることができるものだった、そしてそれが生存競争で有利に働いて「眼を作る遺伝子」が世界に広く拡散した(それを持たない種は絶滅した)、だったら良いのです。でもこの「たまたま」って、とっても収まりが悪く感じられるんですよね。だって私にとって「眼はものを見るためのものでそれ以外の用途は考えられないもの」なんですから。

【ただいま読書中】『眼の誕生 ──カンブリア紀大進化の謎を解く』アンドリュー・パーカー 著、 渡辺政隆・今西康子 訳、 草思社、2006年、2200円(税別)

 本書のテーマは「カンブリア紀の進化論的“爆発”はなぜ起きたのか」の追求です。著者はそれを探偵小説の体裁で書こうとします。様々な手がかりをすべて読者に提示、そしておもむろに「では、真犯人は?」と。
 ただその前に「カンブリア紀って、何?」から始める必要があるでしょう。
 ところがその前に「生命全史」も語っておかないと、“事件”の全貌が見えません。
 なんだか話がどんどん“前”に遡っていきます。
 「生命全史」の立場からは、地球の生命史は「全十部」となるそうです。生命の黎明期、熱水が噴き出す原始の海でアミノ酸などが合成され、やがて原始的な単細胞生物が生まれます(ちなみに本書では「パンスペルミア説(生命は宇宙からやって来た)」には否定的な考えが紹介されます。隕石でアミノ酸が地球にもたらされてもその量が生命を生み出すには絶望的に足りない、と。しかしいくら確率が低くても「1回」でも自己複製能力を持つ蛋白質が生み出されたらそれは自己複製で増える可能性があります)。ともかく、できたバクテリアが「第二部」の主人公。「第三部」でシアノバクテリアが登場。「第四部」では単細胞生物の中に細胞核ができます。これが12億年くらい前。「第五部」で細胞があつまって群体(コロニー)を形成。「第六部」で細胞が“分業(機能分化)”を始め、「第七部」で多細胞生物(扁形動物)が登場。「第八部」で体内に血管や消化管を持った生物が登場。
 著者は「体内の体制」と「外部形態」の関係について、非常に重視しています。
 「第八部」で重要なのはエディアカラ動物です。ここで「生物の多様性」が登場します。そして「第九部」、今から約5億4300万年前、お待ちかねのカンブリア紀がやっと到来します。今日見られる多種多様な動物の外部形態の基礎(硬い殻、歯、触手、爪、顎など)を備えた動物が突如として大量に登場したのです。それまでの動物は硬い殻を獲得しておらず、そのためか各動物門に特徴的な外形も示せていませんでした。ところがカンブリア紀に、突如ほとんどの動物門でほぼ“同時”に硬い殻が進化したのです。それは、なぜ? ほぼすべての動物が同じ方向に進化するとは、なにか尋常ならざる「原因」があるはずです。
 9月16日に読書日記を書いた『カンブリア爆発の謎 ──チェンジャンモンスターが残した進化の足跡』(宇佐見義之)ではバージェス頁岩と中国のチェンジャンが取り上げられていましたが、本書ではそれ以外に、スウェーデン南部の石灰質頁岩やイギリスのシュロップシア州コムレー、カナダのマウントキャップからも良質のカンブリア紀の化石が見つかることが紹介されています。こういった様々な化石証拠から、カンブリア紀の爆発がなぜ起きたのか、実に多様な仮説が登場しました。しかし著者はその一つ一つを検討し、満足を得ることができませんでした。そこで著者が提案するのが「光(刺激)」です。
 ……なるほど、だから本書のタイトルなんだ。
 「色」は進化に重要な要素です。カモフラージュや擬態が世界に満ちあふれていることからもそれがわかります。さらに「反射スペクトル」「構造色」「回折格子」などの基本的な話が続くのですが、これがなかなかにスリリング。「進化」をこういった見地から見たことがなかったものですから。著者は化石資料の特殊な処理やレーザーや電子顕微鏡を駆使して「色の謎」を研究し続けます。そして「この世界は色彩に充ちている」確信を得、さらにバージェス頁岩からの化石もまた「色彩」に充ちていることを発見します。著者が再現した「カンブリア紀の海の中」のコンピューターグラフィックは評判となります。文字通り「異色」の光景だったのです。本書のカラー口絵に一枚ありますが、いやあ、派手です。これを動画で見たいなあ。
 話は「視覚」に移ります。現生動物の「単眼」は「窟眼(ピンホールカメラの原理)」「反射眼(反射望遠鏡の原理)」「カメラ眼(レンズ付き)」の3種類です。それぞれのタイプと眼の大きさによって、感度や解像度は大きく変わります。「複眼」は単眼が多数集まったもので、それぞれの単眼が得た視覚情報を脳で統合する“ソフトウエア”が重要となります。
 著者はバージェス動物を多数見つめ、その多くが「眼」を持っていることを確認します。すると次の疑問「史上初の『眼』はいつ登場したか?」。バージェスより1000万年古いチェンジャンの化石にも「眼を持つ種」がたくさん存在しています。特に目立つのが節足動物。そこで著者は「三葉虫」に注目します。5億4300万年前に三葉虫が登場しますが、その時既に三葉虫は複眼を持っていたのです。
 そして「眼」によってカンブリア紀の世界は「捕食」が大々的にクローズアップされることになりました。「視覚」を持った捕食者と、それから逃れようとする者との戦いです。もちろんエディアカラ紀にも「捕食」はありましたが、それはクラゲのようなあるいはイソギンチャクのような偶然に頼ったものでした。それがカンブリア紀になると「能動的な捕食」になったのです。
 地質学、古生物学、生物学、色彩論、スノーボールアース仮説、銀河系の構造……さまざまな“物証(または傍証)”を“引用”しながら展開される本書は、知的に豊かでスリリングです。あとがきにもありますがたしかに「目から鱗」の物語です。

 


○像力

2020-09-22 09:12:58 | Weblog

 望遠鏡や顕微鏡の解像力が及ばない領域では、人間の想像力が仕事をします。

【ただいま読書中】『えがないえほん』B・J・ノヴァク 作、おおともたけし  訳、 早川書房、2017年、1300円(税別)

 この本を読むためには、いくつかの約束を守る必要があります。
「この本はふざけた本であることをあらかじめ承知する」「子供に読み聞かせをする」
 いやいや、この「約束」を書いただけで私は思い出し笑いの渦の中。だめだ。腹がよじれる。

 


助走なしでは大して飛べない

2020-09-21 07:43:49 | Weblog

 助走無しで飛ぶのは、立ち幅跳び。走り幅跳びと比較したら全然距離が稼げません。それと同様に、ある日突然「○○ダイエット」を始めるのは、助走無しで飛ぶようなものだと私は考えます。まずは「助走(日々の生活習慣の改善(規則正しい生活、食生活、運動など)」をきちんとやってからだったらその「○○ダイエット」も効果が絶大になるのでは? というか、「助走」さえきちんとやったらそれだけで相当「飛翔距離」は稼げるかもしれません。

【ただいま読書中】『地磁気逆転と「チバニアン」 ──地球の磁場は、なぜ逆転するのか』菅沼悠介 著、 講談社(ブルーバックスB2132)、2020年、1100円(税別)

 2020年1月17日「チバニアン」が正式に誕生しました。本書では「磁石」「地磁気」「地磁気逆転」と素人にも「チバニアン」の意味がわかりやすいように基礎から解説してくれます。
 「磁石」は紀元前の古代ローマ時代にすでに発見されていました。ただ「文明の高度化」に方位磁石を用いたのは紀元前後の古代中国です(その名残が、風水で方向を定めるのに方位磁石を用いるところにあります)。中国から伝わった(あるいはヨーロッパが独自に発見した)方位磁石によって「大航海時代」が支えられました。そして16世紀になって「地球そのものが磁石だ」という驚愕の発想が。さらに「磁北」が移動し続けることが発見されました。すると地球は「球体の永久磁石」ではない、ということになります。
 動物の中には地磁気を感知する能力を持つものがいます。その代表が渡り鳥。この研究は最初は疑似科学とされていましたが、最近は量子生物学に発展しています。たとえばヨーロッパコマドリは地磁気の受容体が眼球にある、つまり地磁気を「視る」ことができるのだそうです。
 数学の天才ガウスと地磁気との関係も紹介されます。ゲッティンゲン天文台長となったガウスは、地磁気データの解析から地磁気は地球内部に由来することを突き止め、さらに地磁気強度を正確に測定する機器を開発しました。これによって1840年代には世界的な地磁気観測ネットワークが構築されました。この観測によって「地磁気は少しずつ弱くなっている(このペースでは1000〜2000年後にはゼロになる)」ことが判明しました。
 地磁気研究で重要なのは、明治22年(1889)に東京で起きた地震です。この地震波をドイツで偶然測定できたことから地球内部の構造を地震波で解明できる可能性が開けました。地球規模の地震波観測ネットワークによって地球の内部構造はどんどん明らかになっていったのです。見えてきた「地球の中」は、中心が固体の鉄やニッケルによる「内核」、その外側に液体の鉄やニッケルによる「外核」、その外が岩石を主体とするマントル、でした。電気を通す液体が対流を起こせば、そこに電流が発生しそれは磁場を作り出します。対流のメカニズムも、上下の温度差と外核を構成する物質の密度差による、とわかってきました。「地球ダイナモ理論」です(ちなみに、ダイナモは地球以外の星(たとえば太陽)にもあります)。コンピューターが発展した1990年ころからシミュレーションが盛んに行われるようになりましたが、そこに見えるのは「渾沌」でした。外核の内部では内向きと外向きの磁力線が複雑に絡み合っていたのです。それが核の外(マントル内部)に出ると、すっきりとして、南極から外向きに飛び出た磁力線は北極で内向きに取り込まれるようになります。ただ、あまりに動的な要素が多すぎるため、スーパーコンピューターでもほぼ完全なシミュレーションはまだ不可能なのです。
 地磁気逆転については、松山基範(1884生まれ)が重要な役割を果たしています。溶岩が冷却するするとき古地磁気を記録するのですが(「残留磁化」と呼びます)、松山は日本や朝鮮・中国各地から集めた溶岩サンプルを研究して、磁気の向きが現在と同じものと現在の逆のものがあることを発見しました。これはすでにフランスのベルナール・ブルンが指摘していましたが、松山は「地球の歴史の中で、地磁気の極性が逆転を繰り返してきた」ことを発見したのです。もっともこの発見は(寺田寅彦以外には)ウケが悪く、松山が死ぬ1950年代まで学説としての力は持ちませんでした。「調べた結果をエビデンスとしての主張」を「調べない人間がエビデンス無しで頭から否定」は学問の世界でも良くあることではありますが。
 そこに、「大陸移動説」の復活と、「海洋底拡大説」の誕生が。そういえば「大陸移動説」もまた「調べない人間がエビデンス無しで頭から否定」でしたね。
 1951年スコットランドで古地磁気を測定している人が「古地磁気が示す北」が北極からずれている(しかも年代が古くなるに従ってそのずれが大きくなる)ことに気づいたのが発端です。これは「北極が移動した」か「地面が移動した」かのどちらかでないと説明がつきません。さらにイギリスと北アメリカの「古地磁気のずれの時代変遷」が、「大陸が移動した」と仮定するとぴったり合わさることがわかりました。
 同じ頃、海底調査をしていたコロンビア大学のラモント地質学研究所やスクリプス海洋研究の研究から「太洋の海底に地磁気が逆方向に記録された『縞模様』(当時はなかったでしょうが、今の言葉ならバーコードのようなもの)が存在することがわかりました。
 ここから「海底は少しずつ拡大し、新しい部分にはその時の地磁気の向きが記録される。地磁気が逆転した場合には反対方向の縞模様となる」という画期的な仮説が登場します。そしてそれは「プレートテクトニクス」に発展し、さらには大陸移動説へと。
 『南極料理人』に、ふじドーム基地での氷床コア掘削の場面が登場しましたが、このコアから古気候(変動)だけではなくて過去の地磁気逆転の証拠が得られるかもしれないそうです。
 そして、最新の地磁気逆転の時期を特定するために好条件が揃っている地層を探していた著者は、意外なところで「ここだったらお望みの条件が揃うかも」と教わります。それが「チバニアン」でした。「学」を越えた人的ネットワークの重要性がよくわかります。
 「次」に地磁気の逆転が起きたらどうなるでしょう。渡り鳥は困るでしょうが、人間の身体精神に直接の影響はないはずです。ただ、地磁気によって形成されているヴァン・アレン帯が弱体化あるいは消滅することで太陽風や太陽コロナ、宇宙線などの影響が増すことは考えられるでしょう。一番影響がありそうなのは、電力線と情報ネットワークかな。そうそう、宇宙線が増えると雲が増え、結果として地球は寒冷化に向かう、という可能性もありそうです。私たちは実に複雑なシステムの中に生きているようです。

 


男女平等を論じるとき

2020-09-20 07:29:35 | Weblog

 実感として女のことを知らない男と男のことを知らない女とが、両者の平等について論じるのは、とても難しいことではありません? どちらも「想像上の相手」と「実体としての自分」との「平等」を得るための「自己主張」にしかなりませんから。

【ただいま読書中】『スカートをはいた少年 ──こうして私はボクになった』安藤大将 著、 ブックマン社、2002年、1400円(税別)

 「2002年かあ」と私はまず呟きます。この時代、まだ性同一性障害について知っている日本人はほとんどいなかったはず。というか、2020年でも日本でどのくらいの人がこの言葉を正しく理解しているか、私は心許ない思いです。性同一性障害は「2000人に一人」と現在言われていますが、2000人以上知り合いがいてまだ性同一性障害に遭ったことがない、と言う人は、単に無視しているだけかもしれません。
 本書の最初に「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」(日本精神神経学会)が載っています。ネットでも簡単に見ることができますので、知らない人は一度ご覧下さい。著者はこのガイドラインに則って「私」から「ボク」へと変わっていきました。
 競艇の女子選手として活躍していた著者は、39歳で男性ホルモン注射を受け始めます。変化はすぐにやって来ました。ひげが生え体毛が濃くなり声変わりがし生理が止まり筋肉がつく。40歳近くなって男の二次性徴が発現し始めたのです。
 私は自分の思春期を思い出します。あの時私は自分の肉体の変化に戸惑いを感じました。それでも「そういうものだ」という知識はあったし早熟な友人たちからもばんばん情報が入ってきたから、ある意味安心はしていました。だけど、一度大人になってから別の性の二次性徴を味わうのは、頭では理解できても肉体や感情はなかなか折り合いをつけるのが大変だろう、と私は想像します。
 本書で面白いのは、著者は「女」と「男」を経験していることによって「女と男の違い」についても主観的に考察できることです。たとえば本書では「女は寄り道的、男は直進的」と述べられていますが、「男であることしか知らない男」と「女であることしか知らない女」にプラスしてこういった「どちらも知っている人」という貴重な人材を混ぜたら、たとえば男女平等について論じる議論も豊かなものになる可能性が出てくるでしょう。
 本書にある全国モーターボート競争会連合会の対応に私は感心しました。「人権」「公正」という芯がしっかり通った対応です。反対に、感心しないのは中傷を熱心にする輩。どんな感想を持つかは思想信条の自由だし幸福追求権もありますから「気にくわない」と思うのは自由。だけど他人を中傷することで自分が幸福になれる人って、どこか(たとえば魂)に障害があるのではないか、と私が思うのも自由ですよね。中傷はしませんが。