【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

お葬式

2013-08-31 07:30:32 | Weblog

 日本のお葬式はほとんど自動的に葬式仏教になってしまいますが、無宗教のものができないでしょうか。結婚式でも「人前結婚式」があるのですから。

【ただいま読書中】『風の歌 ──パイプ・オルガンと私』辻宏 著、 日本基督教団出版局、1988年、1800円

 オルガニストを目指して芸大に入学した著者は、壊れているパイプ・オルガンの修理に熱中し、演奏ではなくて技術者への道を選びました。大学卒業後アメリカで3年間修行してからオランダへ。アメリカでは電気アクションが中心でしたが、オランダのフレントロープ社はメカニカルな構造のオルガンだけを作っていました。
 著者は「よいオルガン」とは、上手に作った笛を上手に調整すればよい、とわりと単純に考えていました。しかしヨーロッパ各地の「古くてよいオルガン」を見聞きするうちに、「オルガンの良さ」に対する考え方が少しずつ変わっていきます。さらに「もの」としてのオルガンだけではなくて、その構造を知悉した人による「弾き方」も重要であることがわかります。パイプ・オルガンは単に「スイッチを入れたら音が出る」楽器ではないのです。さらにそのオルガンが置かれている環境・運用状況も重要です。
 ヨーロッパ(特にオランダ)には古くは15世紀からのオルガンがたくさん残っています。オルガンは、時代差・地域差が大きく、それがオルガンの作曲方法に大きな影響を与えています。本書には、それらの古いオルガンで、建造当時の演奏法で当時の曲を弾く、という面白い試みを成功させたフォーゲルという人が登場します。8月26日に読書日記を書いた『癒しの楽器パイプオルガンと政治』(草野厚)には「オルガンは“土着”の楽器」とありましたが、「時代を反映する楽器」でもあったようです。それで、現代のオルガン・ビルダーはちょっと難しいことになっています。現在オルガンで演奏される曲は、昔の曲も現代の曲もあるので、それらに幅広く対応できるオルガンが求められるようになってきているのです。
 そこで著者が重視するのは「伝統」です。多くの人が試行錯誤をしてオルガンの機能や構造に関して合理的な選択をしたことの集積、それがオルガンの「伝統」となっています。「古いから良い」ではなくて「古いものの中には良いものがある。そこから学び未来に継承しよう」と言うのです。ところが残念なことに、20世紀初めにパイプ・オルガンに関しては「伝統の断絶」がありました。エレクトロニクス技術の採用によってアナログ技術の継承が大きく損なわれたのだそうです。その結果は「オルガンの音の悪化」だそうです。たとえば従来のメカニカルな鍵盤だと、弾き始めが柔らかいタッチで風を柔らかく笛に吹き込むこともできれば、一気に鍵盤を押し込んで風を急激に吹き込むこともできます。弾き終わりも同様です。ところが電気アクションだと「オン」と「オフ」だけになってしまいます(なんだか、、シンセサイザーが登場したときの話を思い出します)。さらには、電気アクションの場合、「鍵盤を弾いた時」と「音が出る時」との間に常にわずかな遅延があります(古いオルガンでも鍵盤から遠くのパイプでは同じ現象が起きますが)。
 これは困ります。オルガンを「機械」のように作ったら、“楽器”ではなくなってしまうじゃないですか。ただ「構造」を理解して演奏した方が、「良い音」が出せる確率は高くなります。なかなか複雑な「楽器」です。
 私が初めてパイプオルガンの生の音を聞いたのは、もう30年くらい前だったかな。来日したマリー=クレール・アランの演奏会でした。あの時には「曲」を聞くのに一生懸命で「演奏技術」とか「音」を鑑賞する余裕はありませんでしたが、今思うともったいないことをしました。今だったらもっともっと楽しめるかな?


戦争の目的

2013-08-30 06:42:25 | Weblog

 これからの日本が戦争をしたいとして、その「目的」は、何です?

【ただいま読書中】『渡来の古代史 ──国のかたちをつくったのは誰か』上田正昭 著、 角川書店(角川新書526)、2013年、1800円(税別)

 私は義務教育で「帰化人」と習いましたし、かつての日本ではそれが普通でした。ところが著者は1965年に『帰化人』でその“常識”に疑問を呈します。その結果が「帰化人」→「渡来人」の変更だったそうです。
 古事記には「帰化」のことばはありません。日本書紀には「帰化」が12箇所登場します(プラス同じ意味で「化帰」が1箇所)。面白いのは、中国からの渡来にはこの言葉は用いられず、朝鮮半島と屋久島からの人にだけ「帰化」が用いられていることです。とすると、中華思想の「中華>東夷」の枠組みの中で「東夷の中華(日本)>その他」という認識が存在していたことになりそうです。
 百済や高句麗の滅亡、壬申の乱などで危機感が高まったことと関係があるのでしょう、「日本」という国号と「天皇」という称号が、天武天皇の頃に定着します。それは同時に「日本ではない国(=蕃国)」という概念の誕生でもありました。つまりは「唐>日本>朝鮮」という構図ですが、これって明治の「西欧>日本>朝鮮・中国」の構図と変わりがありませんね。「日本人」って、昔から発想が似ているようです。ただ、問題になるのは「日本人」の定義と中身なのですが。
 秦氏、漢氏、王仁氏、西漢氏、高麗氏……さまざまな「渡来人一族」が紹介されます。彼らによって道教、儒学、仏教、漢字、馬など、様々な“先進文化”が「日本」にもたらされました。
 7世紀に唐は新羅と連合して、百済と高句麗を滅ぼす戦略を採りました。660年にまず百済が滅亡。ついで唐・新羅は高句麗に軍を向けますが、そこで百済の遺民が蜂起し、ヤマトからも援軍が出ます。しかし百済では内紛があり、白村江の戦いでヤマト軍は大敗。その流れの中で、百済王の血脈が日本に定着することになります。その子孫敬福(きょうふく)は陸奥守となり、発見された黄金を大仏建立のために聖武天皇に献じます。なお、そのビッグニュースを知って大伴家持が詠んだ長歌の一部から「海ゆかば」の歌詞がとられています。意外なところで百済王の影響が現代にまで及んでいました。百済王氏の女性は続々と桓武朝廷の後宮に入ります(わかっているだけで九人)。その影響力は桓武天皇が「百済王らは朕の外戚なり」と言うほどでした。そういえば桓武天皇の生母も、もとをただせば百済からの“帰化人”でしたね。百済の朝廷への影響力はとても大きかったのでしょう。
 「帰化」「渡来」は“大昔”の話ではありません。現代の、そして未来の話でもあります。私たちの子孫の話であるかもしれません……というか、もしかしたら、私やあなたの話かも。


2013-08-29 07:01:09 | Weblog

 「間(ま)」は日本独特、なんて言い方があります。だけど、西洋音楽で重要な要素である「リズム」も「間の取り方」ではありません?

【ただいま読書中】『健康の社会史 ──養生、衛生から健康増進へ』新村拓 著、 法政大学出版局、2006年、2500円(税別)

 養生はもともと「健康増進」のためのものでした。貝原益軒は、良く死ぬためには良く生きなければならないと主張しました。そして、良く生きるためには若い頃からの養生が必要、という理屈です。
 運動は一定の人気がありました。昔の中国では「導引」という健康体操がありますし、たとえば松平定信は『老の教』で「武伎」を重視しています。これは要は武道を応用した健康体操です。今だったら、ボクササイズ?
 仙薬も人気がありますが、貝原益軒はそちらには慎重な態度です。副作用の問題とか、安易に簡単な解決法に頼る態度が気に入らなかったのかもしれません。そういえば「茶」も最初は「仙薬」だったんですよねえ。
 房中術も人気があります。いかにセックスをしたら(しなかったら)「養生」となるか。理屈は盛んですが、統計的な根拠はないようです。
 エクササイズ・サプリ・セックス、と言い換えたら、江戸時代に人気があったものって、今でもそのまま生き残っています。人の傾向は変わらないのかな。
 ところが近世後期に養生の概念が拡張され、立身・孝養・治家という大義を果たすための養生が言われるようになりました。「自分のための養生」から「他者から強要される養生」への変容です。しかし「強要」は嫌われますから、そこで「偽装」が行われます。「自発性」をもたらすための「養生がいかに“得”か」の「動機づけ(他人のためではなくて、家族のため・あなたのためなんですよ)」の強調です。
 さらに近代になると、「近世の否定」「科学の応用」から「国家の養生」が登場します。「公衆衛生」です。「健康」はもちろん「個人の利益」ですが、「健康な国民」は「国家の利益」でもあるのです。皆が健康で文句を言わずに労働をして税金を納め健康な兵隊になり、しかも医療費を使わない、というのは“理想的な社会”でしょうね。
 ここでも「近世の否定」「科学の応用」を「近代医学の否定」「科学の誤用」と言い換えたら、現代社会で一定の人気があるトな健康法がそのまま当てはまります。やっぱり人の傾向は……
 後藤新平は「衛生」の概念を輸入して日本で使おうとしました。森鴎外や北里柴三郎も“最新の医学(細菌学)”を日本に持ち込みます。そこで「細菌による病気の流行を防ぐための衛生学」が成立しますが、それは同時に「患者」と「非患者」の対立構造を生んでしまいました。疾病は個人のものですが、流行病は社会問題です。患者は「(ちゃんとすれば予防できたはずの)細菌を予防できなかった失敗者」で、だからこそ社会で差別されてもよい、となってしまったのです。流行病になるということは「国家の利益(富国強兵)」を損なう“行為”でした。だから「健康」は「国民の義務」となりました(「義務」と言ったら笑う人がいるかもしれませんが、現在の「健康増進法」でも「健康の増進」は「国民の責務」とされていることはお忘れなく)。
 僻目かもしれませんが、昭和末期~平成の日本政府の「衛生」は、「国民の健康」ではなくて「国家財政」が主眼に置かれているように私には見えます。だから健康増進が(医療費削減のために)必要。富国強兵よりは平和的とは言えますが、これで“健康的な国”と言えるのかな?


好きこそものの上手?

2013-08-28 06:52:23 | Weblog

 大体の男子はセックスが好きなはずですが、大体の男子はセックスが上手とは言えません。

【ただいま読書中】『食と健康の話はなぜ嘘が多いのか』林洋 著、 重松洋 監修、日経プレミアシリーズ、2013年、850円(税別)

 「栄養」とは「生命」そのものです。体を構成しそれを動かすために必要なものすべてですから。ところが「栄養」について論じる人で「解剖学」「生理学」「生化学」などをまるっきり無視している人がけっこういます。そういった人たちが大声で述べる「嘘」にだまされないためには、まず人体の基本を勉強する必要があります、ということで、本書は書かれました。
 「栄養」と言えばなぜか「食品」に注目が集まります。しかし、食品を食べてもその「栄養素」がすべて消化吸収されるわけではありません。吸収されても形が変わるものもあります。さらに、健康な時と病気の時でそれらの機能は変化します。
 まずは消化器官の紹介です。最初は「口」。ちょっと意外ですが、説明を聞くとたしかに口も立派な消化器官でした。「十二指腸はトルコのイスタンブール」「小腸はアリスもびっくりのワンダーランド」なんて楽しい説明が大腸まで続きます。
 そしていよいよ「栄養」。
 まずは糖質です。糖質のコントロールはけっこう厳密に行われています。もしも極端に糖質を制限したりすると、肝臓から貯蔵してある糖が放出されます。筋肉は糖だけではなくて中性脂肪も“燃料”として使うことができます。しかし脂肪が不完全燃焼すると有害なケトン体ができてしまいます。
 さて次は脂肪。最近はすっかり“嫌われ者”ですが、体内では重要な働きをしています。面白いのは、一度消化吸収されても、体内の脂肪組織で脂肪に再合成されるときには大体元の姿に復元されることです。つまり、豚の脂はまた豚の脂、鳥の脂はまた鳥の脂。コレステロールは酢酸から合成されます。「体によいお酢」から「体に悪いコレステロール」が合成されるとは、人体はなかなか味なことをやってます。こうやって大体のものは合成が可能ですが、体内で合成できない必須脂肪酸(リノール酸とαリノレン酸)はどうしても食べる必要があります。
 蛋白質は、一度アミノ酸までバラバラにされてしまいます。そこから必要な蛋白質を合成しますから、豚を食べたら豚に、鳥を食べたら鳥になるわけではありません。コラーゲンを食べてもそのままもう一度コラーゲンが再合成されるわけでもありません。また、必須アミノ酸は食べる必要があります。ただし「アミノ酸のサプリ」は、普通に食事できる人には不必要です。それが本当に必要なのは、飢餓状態の人。また「酵素」を食べる人もいますが、これはナンセンス。だって胃腸で一度アミノ酸になっちゃうんですもの。
 ということで話は「サプリメント」へ。サプリで多いのは「微量栄養素」ですが、なぜか人はこの「微量」という言葉で魔法にかかってしまいます。「微量だけど、必要な栄養素。足りなくなったら大変だ、サプリで補充しよう」と。微量栄養素の代表はビタミンですが、ビタミンが足りなくなるのは「足りなくなる食生活」に根本的な問題があるはず。あるいは「食べても吸収できない体の異常」かもしれません。だったら、生活を変えるか医者にかかるべきで、それらより先にサプリに飛びつくのはやめた方がよいです。
 さらに微量栄養素の“問題点”は、「不足したら障害が生じる」こととともに「過剰に摂取したらその分健康になる、わけではない」ことです。そこを勘違いして過量摂取をして健康障害を起こす人がときにいるそうです。また、「個人差」があることも忘れてはいけません。「隣のおじさんに良かったもの」が「自分に良いもの」である保証はないのです。さらに「栄養素同士の組み合わせ」の問題もあります。単純に「○○を食べたら健康になる」なんてことはないのです。
 本書は“攻撃の書”ではありませんから「○○健康法は間違っている」なんてことは主張しません。ただ「自分の体について、もっと知ろうよ」と言っているだけです。無知ゆえに根拠のない“デマ”を信じて損をするのは、つまらないですから。


次の一手

2013-08-27 06:36:47 | Weblog

 非常識なくらい頭がよくて何十手何百手でもすらすら読める棋士でも、できる行動は「次の一手」だけです。

【ただいま読書中】『仔羊の頭』フランシスコ・アヤラ 著、 松本健二・丸田千花子 訳、 現代企画室、2011年、2500円(税別)

収載短編:「言伝」「タホ川」「帰還」「仔羊の頭」「名誉のためなら命も」

 スペイン内戦に題材を取った短編集です。ただし最初の「言伝」ではその“テーマ”は姿を見せません。不思議な暗号文書がちらつかされるだけです。
 しかし「タホ川」~「仔羊の頭」で、舞台がスペインだけではなくてアルゼンチンやモロッコにも広がり、スペインの人々にとって「内戦」がいかに悲惨な体験だったのかが、明記することや明記を拒否することで次々読者に示されます。
 戦争ももちろん悲惨な体験です。しかし、内戦は、同国人(下手をすると、友人や家族までも)を「敵」とする点で、悲惨さは質的転化を遂げてしまいます。だからこそ故郷に帰れなくなる人々が発生してしまうのでしょう。
 ラストの「名誉のためなら命も」で本書は一応“終結”します、というか、これ以外に本書を“終わらせる”ことはできなかったでしょう。「内戦の傷」は、おそらくまだ終わってはいないのですから。


誠意を見せる

2013-08-26 06:38:35 | Weblog

 「誠意」って見せるものでしたっけ? まあそう要求する人が意味しているのは「お金」のことですよね。だったら札束を机において「はい、お見せしました」と言ってから片付けたら、やっぱり殺されます?

【ただいま読書中】『癒しの楽器パイプオルガンと政治』草野厚 著、 文藝春秋、2003年、680円(税別)

 『残響2秒』(三上泰生)では「パイプオルガンを設置するか、するのならどのタイプか」で真剣な議論が展開されていました。ところがそういった真剣な議論抜きで安易に導入されたとおぼしきオルガンが日本のあちこちに存在しているのだそうです。本書では、このパイプオルガンを切り口に、日本の政治行政の仕組みや社会風土の持つ特徴・問題点を観察しよう、という試みが展開されます。
 日本の地方自治体のホールに存在するパイプオルガンは40台以上、練習用を含めると約60台。私は驚きます。まるで音楽大国ではありませんか。だけど、演奏会がそんなに身近でしたっけ?  行財政改革を専門とする著者は、赤字に苦しむ地方のハコモノ行政を調査していて、このテーマにぶつかったそうです。
 地方公共団体の公共ホールなどのパイプオルガンが増えたのは1990年代です。なぜか東日本に偏在しています。ストップ数(多ければ多いほどオルガンは大型化する)によりますが、値段は数千万~数億円。決して安い買い物ではありませんし、維持費も馬鹿になりません。では、その税金を使った“高い買い物”は、住民の“役”にたっているのでしょうか?
 導入のきっかけは、けっこう軽いものが目立ちます。「あれば嬉しい」「他のホールと差別化するため」「ホールにはオルガンがあるものだ」「市長の要望」……バブルの時期にはその程度の“理由”でことが動いていたんですね。設置して、オープニングでわっと人が集まって、そして……ここで「地域に開かれたオルガン」でないと(オルガンスクールのようなものでどんどん人を集めないと)、そのホールには閑古鳥が鳴くことになります。実際にたくさん鳴いています。オルガンは泣いているかもしれませんが。
 ただ、少数ながら、地元で活躍し人を育てているオルガンもあります。本書には「オルガンは“土着”の楽器」とありますが、たしかに移動できないから「土着」ではあるのですが、それは「地域に密着」できるという強みでもあります。
 著者はあちこちの公共ホールを訪れては「オルガンに触らせてくれ」と頼みます。かたくなに拒否するところもあれば履歴書を書かされるところもあります。気軽に「どうぞどうぞ」のところも。“公共”の意味が、日本ではいろいろあるようです。
 予算が十分ではなかったり、ホールを管理する施設課とコンサートの企画をする事業課との縄張り争いで、オルガンが全然活用されていない例もあります。官僚って、とため息をつきたくなります。
 さらに、ホール専属のオルガニストにもいろいろ問題があります。その一つが「学閥」。コンサートに呼ぶオルガニストが特定の学校出身者に偏っている傾向が見えるのです。これって公金の偏った支出? ただしそれは東日本の話で、西日本では群雄割拠状態ですが。日本オルガニスト協会も、特定学校の出身者が牛耳っています。いかにも日本的ですねえ。
 オルガンは基本的にオーダーメイドです。つまり「買ってくるもの」ではなくて「製作を発注するもの」。では、どこに発注するか、誰がどうやって決定しているのでしょうか。その調査で見えてくるのが「政治」です。公共事業をどの企業に請け負わせるか、の決定と同じ。一見公正になるように選考委員会を立ち上げて選考をしても、結局既得権益を守ることが重要になってしまう場合が多いのです。著者は、ご苦労様にも、各地の選考委員会のメンバーを見て、共通メンバーに日本オルガニスト協会の重鎮がいることを指摘しています。さらに、一般競争入札のように特定メーカーに誘導しにくい状況では、非常に特殊な仕様書を持ち出して他のメーカーを排除する、という手も使われています。あ、これは一般の公共事業でも同じですね。
 せっかくの「夢の楽器」が、実は「政治」「既得権益」だった、というのはちょっとがっかりです。ただそういったことをきちんと評価した上でパイプオルガンをもっと身近な存在にできたら、最終的には地域住民には“お得”になるのではないでしょうか。楽器って、鳴って(鳴らして)ナンボですから。


速読

2013-08-25 08:26:45 | Weblog

 野球の「甲子園」は終わりましたが、日本のあちこちでは「別の甲子園」が戦われています。
 速読甲子園というイベントもあって、そこで「速く、深く、正確に読むことができる達人」日本一を競うのだそうです。
 私は速読はできない人間なのでそんなイベントには縁がありません。ただ、個人的希望ですが、読むテキストとして「一般相対性理論」とか「カントやヴィトゲンシュタインの著作」なんてものを採用してみてもらいたいなあ。「深く正確」に読んで内容の要約を教えてもらいたいのです。

【ただいま読書中】『理想だらけの戦時下日本』井上寿一 著、 ちくま新書1002、2013年、840円(税別)

 日中戦争時、日本社会で行われていたのは実は「格差是正」の運動でした。皆が一斉に宮城遙拝をし、一斉に心身を鍛練することで「総動員」を完遂しようとしていたのです。「タテマエの強制」は、ふつうは「上から下」だと思いますが、戦前の日本では時に「下から上」に行われることがありました。「強制」を嫌うキャリアに向かってノンキャリアが「上層部が範を示せ」と迫ったりしています。
 戦力増強のためには健康増進が必要です。そのため1938年には「厚生省」が設立されました。厚生省が重視したのは、体力増強と予防医学、特に結核予防でした。これは、病気のために兵役を逃れるという“不平等”の是正も目的となっています。
 国民精神総動員運動(精勤運動)は「形」も重視しました。たとえば「国旗掲揚運動」です。祝祭日の国旗掲揚率がたった16%だったことを受けて、1938年に全国で国旗掲揚運動が展開されます。啓蒙をすると同時に青年団などの「督促隊」が国旗掲揚をしない家庭を注意して回りました。
 君が代の斉唱も広く行われます。「非常時の結婚式」では高砂の代わりに愛国歌謡や君が代が歌われました。軍歌も広く歌われましたが、それらの多くは、大衆消費社会で受け入れられた「商品化された軍歌」でした。それでは「全国民」には受け入れられません。結局「国民が一斉に歌う歌」は君が代だけになってしまいました。ところがそれは君が代の濫用をもたらします。何ともはや、です。
 精勤運動はメディアも活用しました。ラジオ、映画、新聞、絵はがき……意外なのは紙芝居です。簡便な紙芝居は、農山漁村の「文化娯楽の貧困」を是正する可能性がある、と、「大人の紙芝居」が作られました(東京朝日新聞は1940年1月から「朝日ニュース紙芝居」の製作を開始しています。さらには漫画も。面白くないメディアは、国民からすぐに飽きられてしまいます。だから精勤運動は工夫をし続ける必要がありました。
 傷痍軍人は、当時の日本社会では冷遇されていました。それは兵隊の戦意にかかわります。だから精勤運動は、傷痍軍人の社会的立場を向上させる運動も展開しました。さらには就活や婚活も。
 ボランティア活動も盛んになります。国防婦人会は1932年、学生の勤労奉仕は37年に始まっています。「気分はすでに戦時下」ですが、これらの運動もまた「国民の平等化」を含んでいました。上流階級の「箱入り娘」も、“外”に出て勤労奉仕をするようになったのです。
 普通の世界では、(下からの)「格差の是正(平等の実現)」は、たとえば「革命」につながります。ところが日本では「天皇の下での平等」をタテマエとして、見事に暴動や革命を起こさせずに戦争に突き進んでいきました。誰が脚本を書いたのかは知りませんが、見事な手腕です。さて、今の日本でも「格差社会はこれでいいのか?」がでっかいテーマですし、「政党政治への不信」もまた戦前の日本社会と共通しています。ただ、平成日本では「天皇の下での平等」は使いにくい。ではどうしたら?
 22日に読書感想を書いた『路地裏の大英帝国』のタイトルを借りるなら、本書は『路地裏の大日本帝国』と言えるかもしれません。それにしても、本書に登場する「日本人(庶民)」は、けっこうしたたかでシビアです。でも「風」にはすぐになびいてしまう。なかなか一筋縄ではいかない民族ですねえ。



日本なら偽装離婚ではなくて

2013-08-24 07:10:18 | Weblog

 ロシアでは国会議員は海外資産を保有してはならない、ということで、議員の辞職や偽装離婚(奥さんの口座に海外資産を入れておく)が流行しているそうです。これって、議員は正直に申告をしている、ということなんですね。日本だったら「適当に問題にならない程度に偽装申告すればいいや」になりそうな気がするのですが……議員の“倫理”の点でもしかしてロシアに負けている?

【ただいま読書中】『日本人は植物をどう利用してきたか』中西弘樹 著、 岩波ジュニア新書、2012年、820円(税別)

 日本人に限らず、人類は植物を活用して生きてきました(例外は、北極圏のイヌイットくらいでしょうか)。衣食住は当然植物が大活躍しますし、それ以外の材料としても、燃料・香料・染料・生薬・毒・装飾品……植物がなかったら生活そのものが成り立ちません。それは、機械文明が発達した現代でも同様でしょう。
 まずは食材。野生の果実、食べられる野草、山菜が次々登場します。ちょっと変わっていると感じたのはマコモです。稲が渡来する前の日本では食べられていた“穀類”ですが、食べたことがある人って、現在どのくらいいるでしょう?
 和紙、緑茶、菖蒲湯、お灸、うちわ、畳、櫛、クロモジ、しゃもじ、下駄、ほうき、草餅、わらび餅、漆塗り、備長炭、襖、障子、生け垣、門松……こう並べただけで「日本」がぶわっと浮かび上がってきます。ただ、どれも「過去」に属するもののようには見えますが……そういえば、最近はやっている「グリーン・カーテン」は、朝顔・へちま・ゴーヤなどですね。ゴーヤは「日本」というよりは「琉球」かもしれませんが、ともかく「現在の日本」でもいかにも日本的に植物はしっかり利用されているようです。おそらく、これからも。


英語教育

2013-08-23 06:40:30 | Weblog

 徹底的に英語を鍛えるためだったら、学校教育から「英語の時間」をなくす必要があります。そのかわり「すべての授業」を英語でやるの。数学も社会も理科も音楽も習字も道徳もね。
 あ、国語はどうしましょう。やっぱり英語で教えてもらいます?

【ただいま読書中】『踏み絵』島田孝右・島田ゆり子 著、 雄松堂出版、1994年、3000円(税別)

 江戸時代の踏み絵は、切支丹あぶり出しのために行われているもの、と思っていましたが、なんと外国人に対しても行われていました。『ガリバー旅行記』(スウィフト)には、商売のために踏み絵をするオランダ人を風刺するシーンが登場しています。著者は踏み絵を扱った英語資料をなんと5500も収集し、それをもとに本書を書いています。
 イギリスは、平戸に商館を構え、一時(1613-23)貿易を行っていました。「夢よもう一度」で1673年イギリス東インド会社のリターン号が国王チャールズ二世の手紙を携えて長崎に入港します。このとき長崎奉行は、通詞やオランダ人を同伴させてリターン号に向かいますが、踏み絵道具を持参していました。船上での踏み絵です。サイモン・デルボー船長の日記には踏み絵の記載はありません。日本側の記録「通航一覧」巻二五三には、イギリス船員86人が踏み絵をしたと記録されています。オランダ商館長日記にもイギリス人が踏み絵をしたと書かれています。
 ということは、オランダ人の踏み絵を風刺していたイギリス人も実は踏み絵をしていた、ということになりそうです。
 中国人の踏み絵の記録は鎖国初期1688年にあります。アメリカ人の記録は幕末近く、1848年です。しかし、さすがにこの“宗教行事”に対する国際的な風当たりが強くなり、1852年にオランダ商館長になったドンケル・クルチウスやハリスの働きかけで、対アメリカ・ロシア・フランスとの条約に「踏み絵禁止」の条項が加えられました。めでたしめでたし。



女性のライフスタイル

2013-08-22 06:32:21 | Weblog

 「専業主婦が理想」とか「共働きであるべき」とかいう意見が戦わされているのを見ると、私は不思議な気分になります。他人がどのようなライフスタイルであるか、が、どうしてそんなに気になるんだろう、と。気になるだけならともかく、どうして他人の生き方を“操作”しようとするんだろう、と。

【ただいま読書中】『路地裏の大英帝国 ──イギリス都市生活史』角山榮・川北稔 編、平凡社、1982年、1700円

 「サラリーマンの奥さんが夕食をこしらえて子供と夫の帰りを待っている」家庭像は、産業革命で生まれました。そもそも「通勤」が、産業革命と都市の膨張によって生まれたものです。農村での大家族制度は都市部での核家族へ変化しました。ただし、貧困層の「家族」は、生活に追われてばらばらになりがちでした。だからこそヴィクトリア中期には「家族とは何か」というテーマの追究が行われるようになります。
 西洋料理には「主食」の概念はない、あるとしたら「肉」だ、という言い方がありますが、ヴィクトリア朝でそれが言えるのは上流階級の食事だけでした。貧しい労働者の「主食」は「パン(それも褐色のもの)」でした。最下層のアイルランド人は「馬鈴薯」です。さらに「白いパン」が普及し、「白いパンと一杯の紅茶」が貧困者の「食事」となります。栄養、大丈夫だったのでしょうか? そうそう「紅茶」にも注目。17世紀には紅茶は贅沢品でしたが、19世紀後半には貧乏人でも手が届くものになっていたのです。
 食料などは市で購入しますが、人口が増えて住宅地が市場(町の中心)から遠ざかると、食品の行商人が増えます。つまり行商人は都市に必須の存在だったのです(田舎は自給自足です)。私は、やはり行商人が多数動いていた江戸のことを思います。国は違っても、似たことが起きるのだな、と。
 本書には、エンゲルスの著作からの引用が多く散りばめられています。彼の主張は主張として、その著作に描かれる都市住民の「生活の実態」は、なかなか迫力があります。熟練のルポルタージュ作家みたい。私はエンゲルスは未読ですが、ちょっと食指が動きかけています。
 ヴィクトリア時代にイギリスの人口は増加しましたが、その主因は死亡率の低下(特に伝染病死亡者の減少)でした。種痘が行われることで天然痘の死者が減りましたが、その他の伝染病が減少した理由がよくわかりません。もしかしたら、病原菌の毒素が弱まった、あるいは人間の抵抗力が増した、せいかもしれません。
 「社会福祉」も少しずつ進歩します。ただ、埋葬給付金目当ての幼児殺しが出現するのには、参ってしまいますが。どんな時代のどんな制度にも「光と影」が存在するようです。
 都市でのレジャーやレクリエーション、地方のリゾート、パブでの飲酒など「今のイギリス社会」の基礎がヴィクトリア時代にできています。20世紀がすでにしっかり見えています。