【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

かなという漢字

2015-06-30 06:58:09 | Weblog

 大正13年4月1日に「假名文字協會」が「カナモジカイ」に改称しました。

【ただいま読書中】『文明探偵の冒険』神里達博 著、 講談社現代新書2312、2015年、800円(税別)

 時代の中に生きる人は「時代の変化」を実感できるのか、という問いを著者は立てます。
 まずは暦について。そして占いサイト。
 次いでオリンピック。普仏戦争で落ち込んだフランスではドイツに勝つために「若者を鍛えよう」という気運がみなぎります。そこにクーベルタンが「古代オリンピアの祭典の復活」という自分の夢を重ねます(著者は「軍事教練のニュアンスがある近代五種をクーベルタンが導入したところに、フランスの時代背景が感じられる」としています)。クーベルタンの理想「アマチュアリズム(貴族主義)」と「普遍主義」はすぐに変質します。1906年の「幻のアテネ大会(クーベルタンの反対を押し切って実施はされたけれど公式記録からは抹消)」から「国別対抗」が始まり、36年ベルリン大会では露骨に国威発揚が行われます(聖火リレーもこの時から)。「商業主義」が登場したのは56年メルボルン大会。アディダスが自社製品を無料で配ることで広告効果を狙いました。60年ローマ大会ではテレビの放映権が販売され大会運営費をトトカルチョで集めました。これは貴族主義からオリンピックが大衆化に進む流れでは仕方の無いことだったでしょう。「商業主義」と言えば空前の黒字となった84年のロサンゼルス大会がよく言われますが、これは76年モントリオール大会が十億ドルの大赤字(完済するのに21世紀までかかっています)だったのを受けて、徹底的に支出を削減したために結果として黒字になったそうです。2020年の東京オリンピックでよく言われるのは「経済効果」ですが、ロサンゼルスの「黒字」にだけ注目するのではなくて「そのオリンピック」が置かれた「文脈」に注目・分析することが必要だ、と著者は主張します。責任者不在で新国立競技場にだけ夢中になっている国の態度からは、不安しか感じることができませんが。
 本書の“軸”は「プロフェシー(未来の予測)」と「プロジェクト(未来に向かっての現実的な人の動き」の関係に置かれています。そこで「プロフェシー」に関して宗教と科学が実は代替可能なものではないか、という指摘のあと、話は地震予知に。地震に対して「プロフェシー」と「プロジェクト」をどのように位置づけるべきでしょう?
 「不確定性原理」や「確率」を信じているから、「決定論」を私は採りませんが、「時代の節目」がやって来ることは「確率」だけでは決められない、とも思います。さてさて、この「時代」はどう変わっていくのでしょう。それとも「今」が実は「節目」のまっただ中?


ナンバ走り

2015-06-29 06:51:34 | Weblog

 私は小学校の時に「正しい歩き方」というのを習って、あまりに「右手と左脚」「左手と右脚」を過剰に意識するあまり、かえってそれまでできていた「正しい歩き方」ができなくなったことがあります。手足の連動がぎくしゃくして下手すると「右手と右脚」「左手と左脚」を同時に出してしまったりするの。
 長じて「ナンバ走り」というものがあることを知って「正しい歩き方(走り方)」というものの根拠は一体何なのだろう、と思うようになってしまいました。その場面でその人にとって一番効率的だったらそれが「正しい歩き方(走り方)」なのではないです? 

【ただいま読書中】『ハトはなぜ首を振って歩くのか』藤田裕樹 著、 岩波書店(岩波科学ライブラリー237)、2015年、1200円(税別)

 地球上で常に二足歩行をする動物は、ヒトと鳥だけです。ただしその歩き方は相当違います。人の体の重心は腰のあたりにあるので、股関節を大きく使って歩きますが、鳥は(胸筋が発達しているため)重心が胸に来ます。ところが姿勢は、膝と股関節を大きく曲げた横向きで、そのため重心は膝の近くに来ます。すると鳥は膝関節を大きく使って歩くとバランスが取りやすくなります。ついでですが、ペンギンは直立しているように見えますが、実は膝を曲げてしゃがんだ姿勢で膝を使って歩いているのでよちよち歩きに見えるのだそうです(骨格標本を見たら見た目よりは脚は長いことがわかります)。
 ハトが首を振りながら歩く姿は、人々の好奇心をかき立てるらしく、早くも1930年にイギリスでハトの歩く姿が映画に撮影されました。その画像解析でわかったのは「頭が固定されている」ことです。首を伸ばして頭を空間の一点に固定して体を前進させると首が縮みます。そこでまた首を前方に伸ばして……を繰り返していたのです。
 では、その目的は? 1975年にやはりイギリスで、ハトの歩行実験が行われました。箱に入れて中に映した風景を移動させてみたり、体を固定してベルトの上を歩かせたり。すると、視覚刺激ではハトは首を振るけれど、(体を固定した)歩く動作だけでは首振りは出現しないことがわかりました。つまりハトは移動する景色を見て、その中に自分の頭を固定しようとしているのです。これは鳥が空間認知を、眼球運動ではなくて頭全体を動かすことで行っていることが関係しているのかもしれません。さらに著者は研究を進めます。ハトが歩くために片足で地面を蹴る時に首を伸ばしますが、それによって体が回転するのを軽減できているのです。そして重心が地面についている片脚に乗っている間は頭は空間に固定されています。体が前進して重心がその片脚から前方に外れるとまた首が伸びます。
 ハト以外にも首を振りながら歩く鳥は多くいます。その共通点は「歩きながら餌を探す」こと。もしかしたらそのために歩きながら首を振ることは合理的な行動なのかもしれません。ただ、著者がそれを確かめようとした実験は失敗。また、視力が関係しているのかもしれない、という仮説も立てますが、この実証もなかなかに困難です。
 カイツブリは泳ぐ時に首を振ります。カワセミはじっとしている時にも首を振ります。セキレイは立ち止まっている時には尾を振り歩く時には首を振ります。では、恐竜は? これは誰にもわかりませんが、種類によっては首を振りながら歩いていた恐竜がいたかもしれません。見て見たいなあ。


これが民主主義?

2015-06-28 07:15:10 | Weblog

 平和を祈る国民
 祈りを折る政治家

【ただいま読書中】『魔女のパン』オー・ヘンリー 著、 千葉茂樹 訳、 理論社、2007年、1200円(税別)

 目次:「魔女のパン」「伯爵と結婚式の客」「アイキーのほれ薬」「同病あいあわれむ」「消えたブラック・イーグル」「運命の衝撃」「ユーモア作家の告白」「休息のないドア」

 すでに知っている作品も初めてのものも混じっていますが、どれも同じように楽しめます。本書で特に私の気に入ったのは「ユーモア作家の告白」です。読み終えて「ひでえ」と一言言いたくなりましたが。
 しかし著者は百年以上前の人ですよね。今読んでも楽しめる作品を書くとは、一体どんな頭の働きをしていたのでしょう? 「時代」に支配されずに「人間」や「社会」についてその本質に迫る思考と筆力を持っていたのは間違いなさそうです。
 学問では、時代を貫く学問が「経学」で、その時代の中だけでの学問が「緯学」と呼ばれたはずですが、小説の場合には「経本」……じゃなくてすでに「古典」ということばがありましたね。ちっとも古くなっていませんが。


迷信

2015-06-27 06:56:48 | Weblog

 平安時代の貴族が「物忌み」「方違え」などの「迷信」に生活ががんじがらめになっていたのを現代人は楽しく笑っていますが、現代の雑誌などに広く掲載されている「今日の運勢」「星占い」などのことを未来人も楽しく笑ってくれるのでしょうか。

【ただいま読書中】『アメリカエッセイ傑作選2000』シンシア・オージック 編、DHC、1999年、2800円(税別)

 目次:「電話」アンウォー・F・アッカウィー、「幻影の街」アンドレ・アシマン、「心の絆、イタリア語と出会って」ヘレン・バロリーニ、「偶像」ソール・ベロー、「ただ優秀なだけの人」ジェレミー・バーンスタイン、「読書について」スヴェン・バーカーツ、「リアリズムとはなにか?」J・M・クッツェー、「オールター・ボーイ」ブライアン・ドイル、「目撃者」アンドレ・デビュース、「もう少し楽しませてもらおうか」ジョゼフ・エプスタイン、「クィーンズのどこかで」イアン・フレイジャー、「時の試験」ウィリアム・H・ギャス、「ふたつの浴場」エリザベス・グレイヴァー、「心やすらぐ国」エドワード・ホーグランド、「歴史の中で」ジャメイカ・キンケイド、「九十歳を前にして」ウィリアム・マクスウェル、「絹のパラシュート」ジョン・マクフィー、「家を建てる」メアリー・オリヴァー、「狩人オリオン」ティム・ロビンソン、「水の子」オリヴァー・サックス、「コンサートの少女」リン・シャロン・シュワルツ、「兵士の心」ルイ・シンプソン、「麗しきホワイトハウスの思い出」ダイアナ・トリリング、「マンガ家への夢」ジョン・アップダイク、「現実の生活」ジェイムズ・ウッド

 アルファベット順に並べられた25人の作家の名前を見ると、たとえばソール・ベローとかジョン・アップダイクは2000年の時点でまだ生きていたんだ、なんて失礼なことを思ったりします。
 これだけエッセイばかり並んでいると、読んでいていろんなことを思います。たとえば「知っている人のエッセイを読むことは“その人”を読むことだが、知らない人のエッセイでは“知らない世界”を読んでいる」とか「一体誰がこういった分厚いエッセイ集を喜んで読むんだ?」とか。自分がその「読んでいる者」であることは、あまりの面白さにどこかに置き忘れてしまいます。


裏方の苦労

2015-06-26 06:34:44 | Weblog

 日韓の融和が最近演出されています。首脳陣はどこか得意顔でテレビの画面に出ていますが、実際に細心の注意を払って交渉したのは裏方の人たちですよね。
 しかし、せっかく柔らかい雰囲気を盛り上げていっても、それをぶちこわすのは簡単なんですよね。たとえば首脳が一言「失言」をすれば良い。

【ただいま読書中】『アウシュヴィッツ収容所』ルドルフ・ヘス 著、 片岡啓治 訳、 講談社学術文庫1393、1999年、1300円(税別)

 アウシュヴィッツ収容所を指揮していたヘスがイギリスの軍警察に逮捕されたのは1946年3月11日。英軍および米軍の尋問を受けた後、46年5月25日ポーランドに身柄は引き渡され起訴されます。47年4月2日死刑判決、4月16日アウシュヴィッツで絞首刑執行。ポーランドに引き渡されてからクラカウの未決拘置所で詳細な予審が行われましたが、ヘスはその合間に膨大な手記を書き続けました。内容は、半分くらいは自伝。残りはSSの指導者や幹部たちについての記録とアウシュヴィッツでの記録でした。予審で、ヘスは極めて話し好きで、優れた記憶力で几帳面に質問に的確に答え続けました。そして頼まれもしないのに、裁判とは無関係かもしれない詳細な記録も残したのです。
 オリジナルの原稿はポーランド法務省に保存されていて、筆跡鑑定からヘスが書いたことに間違いないそうです。ポーランド語に翻訳されたものはすぐに出版されましたが、世界では注目されず、今回オリジナルのドイツ語版で出版されることになりました。
 アウシュヴィッツ収容所で何が起きたのかの記録や、収容された人々がそれをどう生き抜いたのかの証言は私も読んだことがあります。しかし、収容所を管理する側からの記録は読んだことがありませんでした。その点で、貴重な記録です。
 水の流れと動物といたずらが大好きな少年時代。敬虔なカソリック信者として育てられ、宗教者に対する幻滅を得た日の苦い思い出。第一次世界大戦に従軍。従軍看護婦との恋愛…… ヘミングウェイあたりだったら、良質の小説になりそうな“素材”が並んでいます。さらに終戦後、親戚に親の財産をすべて奪われ、義勇軍に志願、戦友の罪をかぶって刑務所へ、とヘスの人生は急転します。その刑務所の中でも、ヘスは「監禁状態に置かれた人の変質」について冷静に観察を続けています。ついでですが、無慈悲な虐殺犯人に対してはきわめてまっとうな怒りを示しています。
 恩赦で釈放、結婚。長期目標は農園での生活ですが、短期的には兵士になりたいという希望が抑えがたく、ヘスはSSに参加します。ヒムラーに命じられたのは、普通SS部隊で強制収容所監視任務に就くことでした。囚人の経験をした人間こそ、囚人の管理に適している、という理由だったようです。最初の勤務地はダッハウ。
 ナチス党の正しさを信じ、自分の弱さを恥じ、ヘスは職務に邁進します。ヘスが出世して直接の接触がなくなると、抑留者に対して感じていた共感はどこかに隠されてしまいます。ザクセンハウゼンの副所長を経て40年にヘスは新しくできたアウシュヴィッツの所長になります。不潔な建物と無能な部下をかかえ、それをごく短期間の間に使い物になる収容所に作り替えなければならないのです。
 ここで著者は、ヒムラーの仮借の無い命令と無能で抵抗だけする部下たちの板挟みになった苦悩を訴えます。そのために「良い収容所」を建設することができなかったのだ、と。さらにそれに、囚人社会のエゴイズム丸出しの残酷さ(たとえば、囚人から選ばれたカポが示す残酷さ)が加わります。
 収容されたのは、最初はポーランド人、次いでロシア捕虜、さらにジプシー、42年からはユダヤ人が主力となります。万単位の人たちが次々入れ替わっていきますが、それは当然死亡したり“処分”されたからです。ポーランド人の場合にはドイツ国内の収容所への移送もありましたが、ロシア人には青酸ガス・チクロンBが“テスト”されました。900人を一気に殺害した時、著者が感じたのは安堵でした。これでユダヤ人の大量虐殺を簡便に行う手段が手に入った、と。一人一人殺すのは大変ですからねえ(時間や手間もですが、射殺する側にも心理的負担が強くかかるのだそうです)。ユダヤ人の犠牲者たちを「シャワー室」に誘導するためには、ユダヤ人の「特殊部隊」が使われました。ユダヤ人がユダヤ人を虐殺する手伝いをする不思議さを著者は淡々と述べます。まるで「だから自分の責任は軽減される」と言いたいかのように。
 「アウシュビッツ」は巨大化し、3つに分割されることになります。それに伴いヘスは43年末に強制収容所統監府政治部の局長に任命されます。強制収容所すべてに目を配ることができる部署ですが、そこでヘスが見たのは「ユダヤ人は絶滅すべし」と「働けるユダヤ人は働かせろ」との対立でした。どちらにしてもユダヤ人の命は消耗品なのですが。そこに空襲が加わります。空襲でも多くのユダヤ人が死んだ、とヘスは主張します。さらに「空軍の軍人が都市に爆弾を落とすのは、命令に従ったから。自分がユダヤ人を殺したのも、同じく命令に従ったから。本質的に差はない」と抗弁します。さらに「収容所内での虐待を少しでも減らすように努力したが、様々な妨害でそれがうまくいかなかったのだ」とも。
 迫り来るロシア軍から逃れ、ヘスは一家を連れてポーランドからドイツを目指します。そこに届いたのは総統の死の知らせでした。変名の証明書で国防軍に潜り込み、一般兵として捕虜となり、釈放、そして身元がばれて逮捕。
 ヘスは、戦後も忠実なナチス党員でした。彼の人生はナチスの理想と共にあり、両者は不可分の関係だったのです。ただ「理想」は正しかったが「手段」は間違っていた、とヘスは述懐します。その“責任者”は、ヒムラーである、とも。ただしヘスは自分の責任を回避はしません。アウシュヴィッツの所長は収容所の最終責任者だから、収容所で起きたことのすべての責任は自分にある、とも言っています。
 ここに描かれている「収容所で起きたこと」については「もう知っている」と言いたくなることばかりです。ただ、私が感じた「異常さ」は、ルドルフ・ヘスが「異常な人間ではない」ことでした。家族と国を愛し、真面目で誠実で仕事を熱心におこなう人、という印象なのです。これは私にとっては衝撃です。「私とは“別の世界”に生きている異常人」の仕業なら、「異常人の異常な犯罪。私とは無関係」と片付けることも可能です。しかし、「私と似たような人」だったら、条件さえ揃えばもしかしたら私自身が「ヘスと同じこと」をやりかねないことになりますから。できたらヘスには「異常な人間」でいて欲しかった。


ミドルネーム

2015-06-25 06:50:28 | Weblog

 英国王室に生まれた王女にずいぶんたくさんのミドルネームがつけられました。歴史と家族の思いとが積み重ねられているような気がしますが、本人のアイデンティティはどうなるのかな、なんてことも気になります。
 ところで有名人でもけっこうミドルネームが知られていない人は多いですね。たとえば「ヒラリー・クリントン」さん。この人のミドルネームを、皆さんご存じですか?(正解は「ロダム」または「ローダム」です)

【ただいま読書中】『ムンバイなう。 ──インドで僕はつぶやいた』U-zhaan 著、 スペースシャワーネットワーク、2010年(13年4刷)、1000円(税別)

 テレビ「題名のない音楽会」に先日登場した「つぶやく太鼓」タブラ(インドの打楽器)の奏者の本です。正真正銘の日本人だそうですが、「インテリア」として買ったタブラの魅力に惹かれてインドで修業してタブラ奏者になってしまい、現在でも毎年定期的にインドに渡って師匠に腕を見てもらっている、ということだそうです。で、本書は、著者のツイートと現地で撮った写真で構成されています。
 出発直前に日本でドタバタしていた様子ですが、ともかく「ムンバイなう。」が2009年の12月18日。「成田なう。」が2010年3月10日。
 12月18日のツイートで「カレーめちゃくちゃうまい」だったのですが、毎日インドカレーを食っていたら「カレーが食べものに見えなくなる季節」がやってくるのだそうです。この旅ではそれは2月22日のことでした。人間ってけっこう耐えることができるんですね。
 しかし「街で使える○○語」の断続連作には笑えます。ヒンディー語の「フィル メラ サーズ ドゥスリー ローゴン コ マトベーチエ」は「もう私の楽器を他の人に売らないでください」、ベンガル語の「アプニ バイレ テケチャビ コレチェン、シェイジェンネ アミ コタオ ベロテ パルラムナ」は「あなたが外側からカギをかけたから、私はどこにも出かけられませんでした」、同じくベンガル語の「アマル ジョールタ チュップ コレ カッチェン アプニ ケー?」は「私の水を静かに飲んでいるあなたは誰ですか」。いやもう、どんな生活なんでしょう? いや、読むだけでわかりますが。
 読んで笑っている分には安心なのですが、私には著者と同じインド生活ができるだけの覚悟はありません。これも一種の平和ボケ?


個性

2015-06-24 06:37:50 | Weblog

 ファッションで個性を発揮する、という考え方もありますが、たとえ皆とまったく同じ制服を着ていても一目でその人とわかるのが個性、という考え方もあります。だとすると「個性を発揮するため」に制服を着崩すのは、“邪道”ですね。

【ただいま読書中】『迷子の王さま ──君たちに明日はない5』垣根涼介 著、 新潮社、2014年、1400円(税別)

 目次:「トーキョー・イーストサイド」「迷子の王さま」「さざなみの王国」「オン・ザ・ビーチ」
 シリーズ完結編です。
 このシリーズ連載中に、社会はどんどん変わってきました。グローバル化、円安、労働環境の変化とその固定化。それらを著者は本作に取り込み、とうとう「リストラ請負業はもうこの社会には以前ほど必要とされていない」と結論を出します。さて、真介の「明日」は?
 ここで実に洒落たエンディングが用意されています。連作短編であることの利点を最大限に生かした、と言って良いでしょうね。
 しかし、こんな本を読んでいると、私の商売も「社会に必要とされているか」と「それを自分が必要としているか」の二つの問いを突きつけられているような気分になってきます。もちろん前者は自信を持って「イエス」と言えますが、二つ目の問いにはよくよく考える必要がありそうです。


国立競技場

2015-06-23 06:58:49 | Weblog

 東京の国立競技場を建て直すのに(いつもと同じように)見積もりよりも予算が盛大にオーバーするから、越えた分は都が出せ、と国が言っているそうです。ということは、名前は「国立都立競技場」となるんです? 「国」立競技場は「国」が作るものだと思っていたのですが。

【ただいま読書中】『遙かなるセントラルパーク ──大陸横断ウルトラマラソン』トム・マクナブ 著、 飯島宏 訳、 文藝春秋、1984年(85年2刷)、2000円

 1928年に実際に行われたアメリカ大陸横断ウルトラマラソンを題材に書かれた小説です。
 「1日50マイルずつ走ってロスアンジェルスからニューヨークまで3000マイルを走りきる」というとんでもないマラソンに参加しようと28年の実際の大会に集まったのは200人のランナーでしたが、本書ではその人数は10倍に増やされています。スタート前から狂想曲の乱舞です。その中に、スコットランドからやって来たヒューがいました。ヒューは大西洋を3000マイル越え、そこからまた3000マイルを列車で横断してやって来たのです。そこで見た「アメリカ」の豊穣さと貧困さの対極に対する驚きは、スコットランド生まれの著者の驚きそのものだったのかもしれません。時代設定は1931年ですから、大恐慌の影響もあり、社会は暗い雰囲気に覆われています。中国人差別は健在ですし、アル・カポネもまだ健在です(ウルトラマラソンの興行主フラナガンの妨害をしてくれます)。おっと、それはまだ先の話。フラナガンは記者会見で「これはスポーツではなくてギャンブルとエンターテインメントだ」という意味のことをあっさり断言します。巨額の賞金を賭けた巨大なサーカスだ、と。そこに集まる選手たちはそれぞれ参加の動機を持っています。メキシコの寒村の飢餓を優勝賞金で救いたい貧しい農民もいれば、豊かな貴族なのに破産してしまって、という人も。そういった人たちに群がる記者たちも一癖ある人ばかり。
 たとえば、スコットランドでのヒューの人生は、それだけで一冊の長編あるいは連作短編集が作れるくらい起伏のあるものです。それがたった20ページの一つの章に押し込められています。すごい重みですが、これは本書のプロローグの一部でしかないのです。だって「マラソン」はまだスタートしていないのですから。
 トランス・アメリカご一行様をまず迎えるのは、モハーヴェ砂漠です。そこでフラナガンは「20マイルの区間を二つ。それぞれに区間賞として高額賞金」と発表します。スポンサーはコカコーラとフォード。さらに制限時間も設けます。レースを面白く盛り上げると同時に集団を絞り込むためです。
 最初の1週間で集団から1000人が脱落。ランナーたちは個人の限界を感じ、グループを作り始めます(ヒトラーユーゲントの5人は最初から「党」でしたが)。その中で孤立した気分を味わっているのが、ケイトでした。他の女性ランナーはすべて脱落してしまったのです。それでもケイトは“居場所”を見つけます。
 コースはロッキー山脈に。ここでトップグループに変動が生じ始めます。山岳に強いランナーが少しずつのし上がってきたのです。
 「区間賞」「タイムトライアル」「山岳賞」ときたら、ジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスのような長距離自転車レースですね。なるほど、著者はあちらを参考にこのレースを組み立てたのかもしれません。ただ、ツール・ド・フランスとトランスアメリカが違うのは、FBIなどの妨害があるかどうか、です。フーヴァー長官はなぜかトランスアメリカを敵視して、捜査官を派遣したのです。さらに自分の野望の邪魔になると考え、政治力や暴力を駆使してトランスアメリカを妨害しようとする有力者もいます。フラナガンは必死に走り回ります。きわどい綱渡りのように、1000人のランナーを毎日走り続けさせるのです。
 レースは、まるで凝縮された人生のように、人々を変えていきます。成長群像物語です。おっと、成長しない人や老化する人、それから恋愛をする人もいます。人生は様々です。著者がすごいのは、後方グループも無視しないことです。1000人のレースを描こうと思ったらどうしても「主要人物」に焦点が合ってしまいます。しかし、その主要人物をごく自然に後方に移動させることで、そこにも様々な人生があることを読者に示すのです。レースは「勝者」だけで構成されているものではありませんし、さらに「敗者を作らない方法」も本書では明示されています。
 クイズ番組で「最後の問題は得点10倍、逆転のチャ~ンス」というのがあるように、トランスアメリカでも最後の最後で「逆転のチャンス」が登場します。果たして「トランスアメリカ」はセントラルパークに到達できるのか、できるとして、トップでゴールテープを切るのは誰か? 最後の最後まではらはらどきどきの展開です。いやあ、たっぷり楽しめる小説です。



自然からの隔離

2015-06-22 06:44:30 | Weblog

 私の子供は生まれてからほとんど「火」を見たことがない、は以前書いたことがあるはずですが、学校のグラウンドで日常的に土は踏んでいます。私は庭を踏む時以外、土を踏んだことがありません。家と職場では風を感じることもありません。夜の闇を感じることもほとんどありません。
 これって「不自然」では?


【ただいま読書中】『生ごみは可燃ごみか』福渡和子 著、  幻冬舎(幻冬舎ルネッサンス新書)、2015年、778円(税別)

 ニンジンの含水率は90%で、そのままでは燃えません。含水率を60%にしたら自燃領域に入り「可燃物」となります。つまり「生ゴミのニンジン」をそのまま焼却炉に入れたら自燃領域に入るまでは「水を燃やす(せっせと水蒸気を発生させる)」ことになるのです。焼却時に生じるガスと灰の処理も大変です。
 光合成で作られた「カーボン」を焼却することは「カーボン・ニュートラル」だ、という考え方が日本では支配的です。しかしそれは「生ゴミの固形物」には当てはまりますが「水を燃やす」ために使われる燃料には当てはまらないのではないか、というのが著者の試算です。そのことを専門家にぶつけると、絶句されるか話をそらされるそうです。
 著者は「生ゴミを燃やす」ことに疑問を感じ、まず出会ったのがEMぼかしだったそうです。それを振りかけたら生ゴミが土に帰ることに感激しますが、そこで止まりませんでした。EMぼかしを使わなくても生ゴミが堆肥になることを知ったのです。それを知って私は著者の主張に耳を傾ける気になりました。EMのセールストークではないな、と。だって昔の日本人は特殊な菌など使わずに堆肥を作っていたのですから。
 「生ゴミを堆肥にする」のは「リサイクル」です。堆肥を作るためには様々な好気性微生物が必要です。まず糸状菌(カビ類)が糖やアミノ酸を分解、それで温度が上がると放線菌が繊維組織や繊維結合組織を分解します。このときが最高温で堆肥の温度は60~80度になります。放線菌の活動が終わると種々の細菌が繊維を分解し、最後にキノコやトビムシ・ミミズなどが登場します。腐敗と発酵を間違える人はいないと思いますが(口にしたらすぐわかりますね)、腐敗と堆肥化を間違える人はけっこう多いそうです。
 ところが安易なプラント導入を考える地方自治体では「腐った生ゴミ」でも平気で回収して工場に放り込むので、“製品”はきちんとできません。堆肥を作るのは機械ではなくて微生物なのですが。そしてそのために必要なのは、家庭での努力です。ゴミになる部分ははじめから濡らさない、水分は「水切り」ではなくて「搾り取る」、刻んで天日乾燥する、などの努力(著者は「生ごみの干物を作る」と表現しています)のあと、さらにきちんとした分別が必要です(包丁や漬け物石を混ぜて出す人がいるそうです)。ただし、自家処理で堆肥を作る場合、動物性タンパク質の生ごみは焼却に出すことを著者は勧めています。衛生害虫やカラスや野良猫を引き寄せるからです。
 堆肥にしなくても生ごみを「干物」にするだけで、焼却に必要なエネルギーはがくんと減ります。標準生ごみを焼却した場合に比較して含水率45%にした場合に二酸化炭素発生量は60%削減できるそうです。
 世界中にあるゴミ焼却炉のおよそ2/3が日本に存在するそうです。ある以上使わなければなりませんから(使わなかったら「税金の無駄遣い」と非難されます)、ゴミの減量に行政があまり熱心になれないのかもしれません。もっともこれをあまり言うと陰謀論になってしまいそうですが。
 著者は「派手さのないさえない運動」と言っておられますが、「地道な運動」と言ったら良いのでは? 堆肥は土壌を豊かにして明日への道を作ってくれるのですから。


低品質のヤジ

2015-06-21 07:02:34 | Weblog

 かつて野球場は殺伐としていて、プロでもアマでも、今では考えられないくらい汚いヤジが行き交っていたそうです。だけど今の野球場はみごとに生まれ変わっていますね。国民は文化的に洗練されたのでしょう。
 だけどあの「汚いヤジ」は今では国会の方で生き生きと活動しているようです。昔の荒っぽい野球ファン程度の低品質議員たち?

【ただいま読書中】『昭和20年11月23日のプレイボール』鈴木明 著、 集英社、1978年、1000円

 昭和20年11月23日の新聞は、22日に再開された日劇に人々が行列したことを記事としていました。ただしそこにあるのは「熱狂」ではなくて「無気力」です。海外では350万の(元)日本兵が帰国を待ちわび、「大物」はひっそりと身を潜めていました。そんな時代に、野球をしようとした人々がいました。11月23日「職業野球」の東西対抗戦にプレイボールの声がかかったのです。
 著者は一度「8月15日」に戻ります。もちろん「戦争が終わった日」ですが、その時以降の記憶をしっかり持っていない人が多いことに驚きます。そして次は「9月30日」。その日に明大野球部が練習を再開しました。躍動する若人の中で目を惹いたのが、大下弘(後の「青バット」)の姿でした。彼は大学時代に志願して航空隊に入隊していたため、公式戦の記録はありませんが、その抜群の運動能力がプロの目にとまり、職業野球にスカウトされます。野球への愛だけではなくて、「アメリカは、占領政策として野球も使うはずだ」という読みから職業野球を復興させようと動く人たちもいたのです。そして、偶然や運命のいたずらから、様々な人が集まり始めます。台湾籍の呉昌征、ハワイから来た日系二世の上田藤夫など、戦争中に日本で「日本人」とは違った苦労をしただろう人もやって来ます。かつての六大学のスターたちや職業野球の選手たちも今回は召集令状ではなくて「野球をしよう」という一枚のハガキでやって来ます(戦争で負傷したり体を壊している人も多かったのですが)。個人の動きとは別に、企業としては阪急が動き出します。それに遅れてはならじと、讀賣も活動を開始します。しかしリーグ戦の再興はまだまだ先のことになりそうです。そこで「東西対抗」のアイデアが浮上します。
 試合の運営は大変です。選手集め、道具集め、ユニフォームの手配……宿をどうするか、交通手段は、さらには選手に食べさせるものをどう集めるか、そのための金は…… それでも男たちは神宮球場に集結します。東軍の先発投手は藤本英雄。西軍のトップバッターは呉。肩を痛めていた藤本は、真ん中高めを狙って初球を投じます。
 この日が「民主主義としての野球」の出発でした。ただし、集まった人たちにとっては、「戦争によって強制的に野球ができなくなっていた日々の終わり」つまり「戦争の終わり」だったのです。