塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

お金がある事で生まれる心持ち

2017-12-14 01:52:33 | 日記
 僕の父は当然バブル景気の羽振りを身をもって体験しています。

 当時は残業手当で相当の給料が期待でき、その為の夜食も当然会社が準備するのですが、夜も遅いのにかつ丼のような店屋物をがんがん注文していたと聞きました。

 「炭水化物の取りすぎは良くない」
 「21時以降は食事を控えましょう」

 という21世紀の現在からは考えられない食事内容です。

 しかし、店屋物がそれだけ売れるということは、お店が儲かるだけでなく、食材の仕入れ先も儲かる、会社の従業員も満腹で仕事に取り掛かるという、あらゆる面で相乗効果があったと思います。

 確かに尋常でないほどの労働時間であったでしょうが、逆に言えば

 「俺たちが何かをしているという高揚感」
 「報酬が目に見えて高まっていく興奮」

 が、全てを凌駕していたのでしょう。

 簡単に言えば、金があるからこそ、自分たちだけでなく周囲の利益を考えることができた、というわけです。

 前回もお話ししましたが、野球でもサッカーでも、勝利の際は選手たちがどんどん夜街でいお金を使っても良いのではないかと思うことがあります。

 選手たちがお金を使うことで

 地元の夜が華やかになる
 飲食店やカラオケ、バーなど、多くのお店にお金が落ちる

 という側面は、今も昔も変わらないと思います。

 ロナウドやアグエロなど、有名選手の多くは高級車が好きなことでも有名ですが、最近は車をシェアしより公害の少ない車が好まれるなど、格好良さの概念が変化していることも事実です。

 ロナウドが先日、5度目となるバロンドールの受賞式で

 「私が史上最高の選手」

 と語り、波紋を呼びましたが、紋切り型よりもこれくらい堂々とした言葉のほうが、むしろ喝采を浴びてよいようにさえ感じますね。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 豪快な遊びはもうおしまいなのか | トップ | ネイマール、果たして彼の進... »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事