塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

何だか大袈裟な内容のニュースが多い気がしますね

2017-12-18 00:02:14 | 日記
 池波正太郎先生が講談社文庫から「大袈裟がきらい」という文庫を出版しています。

 先生の言葉を借りる必要もないほど、今の日本は大げさな出来事が多いと感じます。

 離婚会見で勝利宣言
 不倫の顛末を語り、幾度も頭を下げる仕草

 幸か不幸か、日本では一般家庭では相当数が不倫の経験があるというデータがはじき出されているそうで、芸能人や公人が不倫を指摘されることは、逆に不倫をしている人間に

 「一般人で良かった」
 「私は糾弾されないからね」

 という安堵感を与えているに過ぎない気もします。

 テレビCMでも五輪が近いこともあるのでしょうが、肌の色や性別と国籍で差別をしない、肉体にハンディを持った方との共存を訴えるものが多くなりました。

 でも逆に企業やCMプランナーが

 「皆平等ですよ」
 「肌の色や出身国で差別してはいけません」

 と唱えれば唱えるほど、僕たちは敏感になりすぎるあまり、彼らから距離を置いてしまう可能性があると思います。

 バロテッリやサム・エトーが自分たちを揶揄する声に敏感なことは当たり前ですが、逆に公平な世の中を訴える風潮の方が嫌なのではないでしょうか。

 訴える人物が増えるほど、自分たちの存在が希望でない形でクローズアップされるためです。

 僕は今アランの「幸福論」を文庫で、先ほどまでは岩波新書の赤版「貧困女子」を読んでいたのですが、読めば読むほど回りにおいてけぼりにされることも怖いですが、自分の現状を周囲が良く掴めていないことも大変だと感じました。

 勿論サッカーに限らず、僕たち個人の認識も不可欠で社ありますが。
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