塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

もしタイムマシンがあったら、という突飛な発想

2017-03-06 00:29:06 | 日記
 タイムマシンという概念は昔からあります。

 この題材を得た空想科学小説はいくつもあるはずですし、僕は観たことがありませんが「タイムマシン」という映画もあります。

 どらえもんはこのタイムマシンがいつも重要なカギを握りますが、人はそれだけ自分の足跡、過去にやり残したこと、反省点を気にかけて生きている証だと言えます。

 中にはタイムマシンは実現できる、と豪語する方もいるようです。

 もし本当に現実化されたとすれば、サッカー選手や記者は何を書き換えるでしょうか。

 もし、1993年と1997年、失意に沈むキングに

 「大丈夫です。あなたは50歳でも現役を続け、ファンから大きな敬愛を受けています」
 「2005年にクラブ・ワールドカップ、2012年はフットサルのワールドカップに参加します」

 と声をかけたなら、キングはどう思うのか、そんな事柄を想像してみました。

 マンガではありませんが、

 「未来から来た?何を言っているんだ?」

 と胡散臭い視線で見られるのがオチでしょうが。

 少なくとも1997年の段階でクラブ・ワールドカップ自体が存在しませんし、Jリーグ自体が苦境にあえぎはじめたことで、フットサルの注目など微々たるものでした。

 カズ自身も語っていましたが、もしワールドカップに出場していれば、僕たちは現役で動く姿をもう目撃出来ていないでしょうね。

 ある種の矛盾がそこにあるからこそ、僕らはキングを見つめているように思います。
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カズの目に涙。その理由とは

2017-03-06 00:15:15 | 日記
 今テレビ朝日が企画した特番を見終えたわけですが、名手というのは矛盾していますが

 「辛酸をなめて初めて成立する存在」

 なのかもしれません。

 キング、イチロー、そしてダルビッシュ。

 サッカーと野球の第一人者でも、不調に陥る、脱出するためにもがく、という自身との苦闘があるからこそ、今の立ち位置に立ったとき

 「ああ、あの時はこんなことを考えていた」
 「当時を思えば、今はたいしたことないよ」

 と達観できるのかもしれません。

 トミー・ジョン手術で戦列を離れたダルビッシュも、チームの成績は当然気がかりだったでしょうが、2009年のワールド・ベースボールクラシック決勝の韓国戦と比較すれば、まだ落ち着いた感覚。

 だったかもしれません。

 キングが東日本大震災のチャリティで決めたゴールを振り返り、涙していた事を見ると、葛藤が見えてきます。
 
 だからこそ、ゴールを奪い踊り切ったあとは、感傷的な気分に浸ったのだと推測します。

 ダンスを披露することが、おちゃらけなのか真剣なのか、人によって解釈が異なることは、震災以前からあったとキング自身認めてます。

 あの時、寡黙で知られるアントラーズの小笠原が

 「どうか被災地にテレビを用意するようお願いします」

 と声を絞ったように、日本代表、サッカー協会とJリーグは

 「チャリティという概念」

 を日本に与えてくれましたね。

 僕はあのゴールで皆が一瞬でも、自分が置かれている立場を忘れて拍手した形は、本当に尊い時間だったと今でも思っています。

 

 
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