Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

画家「俊めいがたり」

2008-05-23 17:36:24 | Weblog
 我家の応接間兼居間に一枚の絵が飾られている。観音像のような一人の像の頭の上に小さい3つの顔があり、後ろから6本の手が出ている。色彩は赤、緑、黒等の原色を使い描かれている。丁度棟方志功を思わせるような絵画である。
 この絵画には右側に「愚痴のでた日はさみしい」と太く書かれている。作者は分らなかったが押印で俊明と読めた。左側に細い字で「俊めいがたり」と記されている。
 私はこの絵を見ながら「今日は愚痴が出なかったか?」と自問することが常となっている。
 確かこの絵は、10数年前に弟がギャラリーをやっていることから、その伝で買い求めたものである。私は絵画の知識も薄く評価できる立場にないが、この絵は何か惹きつけるものを感じていた。一年ほど前だったと思うが弟から「画家渡辺俊明先生は亡くなった」と聞いた。その時始めてそのように偉い画家だったなのかと思った。
 そんなことから渡辺俊明について調べて見た。
 彼は静岡県新居町に生まれ、小学校4年生の頃から画家になることを決め独学で絵を描き続けた。壮年期漂白の俳人、山頭火に惹かれ句を題材に百句を木版の創作を期に日本の民族や昔ながらの暮らしのあり方に強く惹かれていった。
 これを境に中央美術への活動をやめ、生活の拠点福島県田村郡船引にアトリエ『蓮笑庵』を構え創作活動の傍ら、自然の中で自分を見つめ直し人間が生かれていることを悟るようになっていった。そこから「俊めいがたり」として人間が生きる方便を絵画や著書に著すようになっていったのだと思う。
 平成17年10月享年68歳で亡くなっている。まだ若く活動してほしかった人であった。
 ブログの中に、死を前にして友人への手紙が掲載されていた。
「充分に僕なりに充実して生きてきましたから、悲しんだり泣かないで下さい。微笑顔を下さい。よくやったねと一言言ってくださればどんなに僕はうれしいか・・・。では、また皆さんとお逢いできる日を楽しみにしています。」「人が生まれ生まれてきたように、死も又特別なものではありません。僕の死は日常のものであります。」
 これが最後の言葉である。人間が生き、死んでいくことをこのように思えるところに画家渡辺俊明の生死を超越したものを感じた。