Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

「音楽の広場」初レッスン

2015-05-31 22:06:14 | Weblog

 8月2日(日)グランシップで音楽祭「音楽に広場」が行われる。今年で確か8回目であり、静岡から発信するクラッシクの音楽祭として形づけられてきていることを感ずる。昨年は母の死などあり参加出来なかったが今年は何としても参加したいと思い持った。私は合唱団員としての参加であるが、この音楽祭で歌う曲は難しい曲ばかりであり、本番までの10回程度のレッスンで歌えるようになるか心配であった。それ故相当意識して取り組まなければと思っている。半月ほど前に合唱曲の譜面が送られてきたが、知らない曲が2曲もありプレッシャーも感じた。

 その2曲は、「ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」より”キエフの大門”」「ヴェルディ/「ナブッコ」より”行け我が思いよ、黄金の翼に乗って”」ある。そしてビートルズが歌った「ヘイ・ジュード」も英語で歌うことになる。今日のレッスンは13時30分から17時までの3時間30分である。始まる5分前にグランシップ会場の中ホール(大地)に入った。今日の参加者は200人強ほどで、男性は80人ほどであった。最終的には全部で300人の大合唱団ができるはずである。指導したのは、昨年と同様浅井先生であった。少し早口であるが、難解な混声合唱曲を短時間でわかりやすく指導する様に造詣の深さを感じた。

 「展覧会の絵」は有名であるが、示された楽譜の各パートの音程が単純に見えた。しかしこれが混声四部合唱になると、音階が似ていて意識して声を出すが他のパートに引きずられそうで、中々上手くいかない。しかし合唱が上手く纏まると良い響きになる。ただこの曲の歌はOh・・・とかAh…と云った言葉であり、もう少し慣れてくれば何とかなりそうに感じた。次は「ナブッコ」の合唱曲の指導を受けた。この曲を歌ったことはないが、よく知られた曲で、周りの人は原語でスラスラ歌っている人もいた。私もそれに合わせて声を出したが、全然知らない曲ではないようで10日ほどの練習で少しづつ覚えていくなら歌えそうだ。

 それ以外の曲は時間もなくレッスンは受けられなかったが、合唱曲の大筋は理解できたような気がした。これからレッスンを重ね8月の音楽祭では、今までに受けた感動を今年も享受できそうな予感がした。この音楽祭は、3000人で創る音楽祭であり、マエストロやソリスト達、そして300人近いオーケストラや300人近い合唱団、それにダンサー達と観客が一体となった大音楽祭になるものと思う。その場に立てることを心から有り難く思う。


梅の実を収穫する

2015-05-30 22:38:36 | Weblog

 庭に3本の梅の木がある。一本は20年ほど前に駿府城内の植木市で買ったもので、他の2本は、正月用の松竹梅の鉢植えしたものを地植えにしたものである。この2本は紅梅と白梅で綺麗な花を付けるが実は余り付かない。しかし植木市で購入した梅(白梅)は実を沢山つける梅で、南高梅を思わせる大きな梅が生る。そろそろ収穫の時期なのか梅の一部に赤みを帯びた梅が付いていた。庭木であまり大きく育てないで、高さ2.5m程で円形に刈り込んであるが、それでも今年は例年になくたくさんの実が生った。

 日中は真夏のような日が射していたが、午後3時を過ぎには日も弱くなり日陰になったので実を取ることにした。昨年は4~5kgの梅が取れたが、今年はどれだけ採れるのかと期待が膨らんだ。脚立に上って手で、もいでいったが、大きいものは直径4cmほどのものもあったが、中には2.5cmほどの、小さいものもあり、ばらつきは大きい。そこで約3cm以下のものは、そのまま残すことにした。梅木の枝には針は付いていないが小枝が密集し、それが枯れ枝となり、先が針のようになっていて腕に幾つかの擦り傷ができた。何度か脚立の位置を替えたり、背伸びをして採っていったが密集した葉の中に、同色の青梅は、見つかりにくく幾つかの取残しがあったが、それはもう少し経ってから採ることにした。

 その梅の実を集めて15L入りのバケツに入れると概ねいっぱいになった。それと花梅である2本の梅木にも20個ほどの梅が生っていたのでそれも採って入れた。測ると全部で8kgほどの収穫があった。毎年収穫してきたが、昨年は確か4kgほどであったので、今年は一番多い収穫となったと思った。まだ梅木には取り残したり小さな梅は残してあり一週間ほど後に採るつもりである。そうすればあと1kgほどは増えるかもしれない。

 梅にも生り年とそうでない年があるが、今年は予想外の収穫であった。昨年暮れ、木の周りを掘って枯れた葉や肥料を施したことや、幹や枝に付いていたカタカイガラムシの駆除を冬の間にやったことが良い結果に繋がったものと思う。この8kg以上の実を自家製の梅干しにしようと思う。これだけの実があれば、一年間の梅干しは買わなくて済みそうである。しかし今まで作った梅干しはショッパ過ぎて好まれなかった。今年は製法の手順等を読んで紀州の甘い梅干のようにしたいと考えている。

 


電位治療所に通う

2015-05-27 22:11:03 | Weblog

 5月13日ゴルフの帰りにISさんに誘われ小鹿のマートの駐車場にある電位治療所に行った。ここは仮設小屋と云ったところで、そこには50ほどの椅子が並べられ各々に電位治療器が繋かっている。そこに座ると身体に通電され、電子が血管を刺激して血流を良くするとのことであった。最大13000Vの電圧が流れるが電流は小さいため通電されたことは自覚できない。しかし通電は確かで、横の人と触れたりするとピリッとしびれを感ずる。3人のスタッフがいて、その効果を説明してくれるが、椅子に座っているだけで、血流が良くなり身体の悪い部位から老廃物が出て直してくれると云った。毎日10時から~19時まで行なっていて、一時間ごとに入れ替わることになっている。

 ISさんは、この3~4年間腰痛に悩まされてきた。それ故ゴルフの誘いにも出てこれなかった。そんな彼が最近は腰痛も直りゴルフができるようになった。それはこの電位治療器にかかったおかげだと云っていた。私が膝や腰が痛いことを知って、この電位治療器にかかることを勧めてくれた。最初は半信半疑の思いであったが、椅子に座り、スタッフの説明や来ている人の体験を聞いている内に、私も腰や膝が良くなるなら少し通って見ようと思った。それから約2週間ほど通い続けている。現在はまだ直ったとは言えないが、少しは良くなっていることを感じている。

 この電位治療器は掛かって2週間が過ぎたが、いろいろなところが良くなっている。睡眠の眠りが深くなっていること。特に以前は夜中に一度はトイレで起きていたのが朝までぐっすり寝て起きることがなくなった。また目が良くなったような気がする。今までパソコンの文字100%の大きさであった。しかし見えにくくなり、125%拡大して見ていたが、今は100%の大きさでも読めるようになった。それ以外足の踵が綺麗になったこと等いろいろのところで良くなっている。しかし腰の痛さや、膝が痛く正座が出来ないことは変わらずよくなったとは感じていない。しかし50回とか100回通っている人の中には目に見えて良くなったと云う人もいた。それ故もう少し通うと思う。

 この電位治療器の製作メーカーの販売は、各地区を持ち回って宣伝し、お客の中に機械を購入したい人が居た場合のみ販売するもので、来ているお客に住所を聞いたり、電話番号を聞くことは一切ない。来る人にタダで電位治療器にかかることができる。それ故多くの人が見える。現在まで4カ月近くこの場所で治療しているが、5月30日を持って別の場所に行く予定である。しかし今日から3日間に90人以上の新人の方が見えたなら、6月もここで営業することにしている。3日間で90人の新人が来てもらうためお客が知合いの人を連れてくれるかどうかの正念場となっている。


駿河TBG記録会

2015-05-23 22:17:16 | Weblog

 毎月定例的に実施している「駿河TBG」の記録会が有度総合スポーツセンターであった。この会に加入しているのは15名で今回はその内12名が参加した。最近メンバーが少し増えているが、静岡には、こうした小さなTBG会が幾つかあり、親睦を主体に楽しんでいるようだ。こうした中から市や県の大会に出て、実力を試そうとする人もいる。この会でも2~3人の上手い人が市の大会などに出ているが、そこはレベルが高く中々上位に入らないでいる。しかしここでは、勝負にこだわらず和気藹藹とした雰囲気でゲームを楽しんでいる。

 この記録会は、ハンデ戦であり、今までの記録会で上位入賞者はハンデが少なくなり、誰もが優勝のチャンスが来るようになっている。私とKAさん、それにENさんは以前の成績からハンデOとなっていた。この記録会は上位入賞者には賞品が貰えることから、みんな真剣に取り組んでいる。

 参加者12名はくじ引きで3組に分かれフィールドに出ていった。私の組は、ハンデ0のKAさん、ENさん、それに最近は調子を落としているが実力のあるFUさんで、ほかの組に比べ上手い人が揃った感じであった。4人は4番ホールからスタートした。最初のホールは、4人ともバーディーの3であり幸先良いスタートとなった。次の5番はパー3のところで、ここも全員が、2打をホールに入れる距離であったが、私とKAさんがオーバーしOBとなってしまった。それでも何とかボギーでおさえた。その後は乱れることなく順調にいった。OUTのスコアーはENさんとFUさんは2アンダーの25で私は27のパープレー、KAさんは28であった。このメンバー全員のスコアーも良かったが、私のスコアーも最近にないいいスコアーであった。INに入っても好調を維持していたが、7ホール目の1番で2つのOBが出しダブルボギーとなった。しかし崩れたのはここだけで、スコアーは26(1アンダー)であった。しかしENさんKAさんのスコアーは23、24であった。

 私のトータルスコアーは53(1アンダー)であり、このスコアーは今までで一番良かったのではないか。しかし上には上がいた。優勝はENさんの48(6アンダー)、KAさんのスコアーは52(2アンダー)であった。ENさんはハンデ0であったが、それでも優勝した。私は6位であったが、これはハンデにより加算されることがなかったことからの順位で納得いくスコアーと云える。しかし優勝したENさんのスコアーは素晴らしい。私も感じていたが、そのための普段の努力は見あげるものがあった。楽しいTBGであった。


歌の発表(おさらい)会

2015-05-20 22:57:30 | Weblog

 K先生から指導を受けている生徒の歌の発表会が5月20日AOI音楽館であった。10人ほどの生徒であるが、約2年ほど経って発表会を行うまでになった。今回の発表会は身内だけでお客さんはいないが、この日のため努力したし、成果も出したいと云う気持は誰もが持っている。このため先生のレッスンを受けた以外にプロが歌う曲を何度も聴き声を出して、この日に備えた。選んだ曲はイタリアのカンツオーネ「マンマ」と「コンティ・パルティロ」である。

 実はこの曲は今年の2月に別のボーカルコンサートで歌ったものであるが、その時は練習不足もあり不本意な内容であった。今回は、その時より納得いく歌い方にしたいと考えてきた。それは原語で正確に歌い、詞に込めた感情も表現したいと思っていた。しかし今日を迎えると、そうした思いとは裏腹に、ただ間違えなく原語で歌えるかと云う不安な気持ちの方が強くなった。2月の時より3ヶ月経っているが、この間あまり練習できなかったことが悔やまれた。

 プログラムを見ると私は5番目に歌うことになっていた。発表会が始まり、最初の4番目の人まで何のミスもなく堂々として歌っていた。私の番がきて、緊張の中で最初に「マンマ」を歌った。この曲は戦地に行っている兵士が、故郷で待つ母のことを思い歌う曲で、懐かしさと、近く母に会えることを表現した曲である。以前レッスンで歌った時、先生から「怒ているように聞こえるので柔らかく」と云われた。そこで極力明るく明快に歌った心算である。何とか1番、2番とも歌えたような感じがした。次は「コンティ・パルティロ」である。この曲は早い言葉とやや長めの曲であり、その上高音が続いていて、私には無理のような曲であった。それをおしても歌いたい曲であった。この歌詞は「君と知らない国に旅立とうと彼女への思いを綴った曲」である。朗々と歌い上げたいところであるが、まだ完全に暗譜できていないところがあった。家で歌ったときは何とか歌えたが、本番では言葉を間違えてしまった。先生が弾くピアノに助けられ、何とか最後まで歌うことができたが、内容は残念な気持である。しかし歌い終えたことに微かな満足感もおぼえた。

 その後の5人の方も練習時より素晴らしい内容で歌い上げていた。皆さんもその後も余韻にしたっているようであったが、私は来年も難しい新しい曲に挑戦しようと考えていた。音楽にはいろいろのジャンルがある。その中でもクラッシック音楽に興味を持ち歌っている。振返ってどうしてこのような曲に夢中になったのか思い出そうとしても正確な答えは出てこない。しかしこの挑戦する気持は、声が出る限り続けようと思っている。

 


中学の同窓会

2015-05-18 22:18:28 | Weblog

 同窓会の案内が来たのは2か月ほど前であった。卒業したのは静岡市の中学であったが、中学2年のとき転校してきたので2年間しか一緒にいなかった。社会人になってからは、転勤等あり同窓会に出たのは、確か不惑の年に初めて同窓会に出席したが、それ以降も長らく出席できず、会社を退職し現在の地に住むようになってから出席した。それは古希を迎えた年であった。その時は恩師の先生夫妻も見え懐かしい思い出になった。しかしその先生夫妻も今は他界しいない。今回が3回目であり事前に古希のときの資料を見て皆さんのことを思い出しながら、再会出来るのを楽しみに待った。

 午前11時30分から静岡中島屋グランドホテルで行なわれた。少し早めに会場に着くと、受付に数人の女性が座っていた。昔の面影の残る顔であったが名前が出てこなかった。部屋には男性が3~4名話していたが、その内2名は分ったが見慣れない顔であった。今回は1組と5組の合同の主催であり思い出せない人であったことが分った。出席者は全部で25~6人ほどで、当時は2クラスで100名ほどはいたはずであり少ないと思ったが、年齢を考えると亡くなった人もいるし、体調不良や生活の拠点が遠い人もいる。それを考えると、この人数は良く集まったと云える。

 幹事の挨拶の後、自己紹介があった。話しの中で、元気そうに見える人でも、中には連れ合いをなくした人や病院通いの人、健康に生活している人は少ないことを感じた。老齢を迎え、既に日本の平均健康寿命は過ぎているので已む負えないのかもしれない。私の横にはボランティアで川柳を教えているSIさんがいた。健康そうな身体をしていたが、彼は「我々はすでに過去の人だ。静かに余生を過ごせばよいので、これから目標を持って過ごすことは考えていない」と云った。私はまだそのような感覚になれないでいる。そこで「私は今も目標を持って生き過去を振り向かないようにしている。それは贅沢なことか?」と聞いた。これは言葉にすると、恰好付けているように聞こえるが話して見た。しかし話しは平行線であった。彼は5組のクラスの人で始めて話したがスポーツマンで、温厚なイメージの人であった。人間の生き方は千差万別いろいろある。

 突然幹事から指名されマジックをやるよう言われたが、小道具を持ってこなかったので、簡単なトランプのマジックをやった。興味を削ぐような内容で会った。そこで、即興で「砂山」を歌った。北原白秋が作詞し、山田耕筰と中山晋平の2名が作曲したことを話し、2曲を歌った。反応は何とも分らなかったが、咄嗟に云われ歌うことは難しいものだ。終わりに近づき、誰かが毎年行ったらどうかとの話があった。これからの会は、電話等で呼びかけ気楽に会えるものにしたいと思った。


静岡県TBG大会

2015-05-17 22:48:04 | Weblog

 友人のENさんに誘われ静岡のTBG協会に入った。協会主催の大会は月一回計画され100~150名の参加者があると聞いた。地区の同好会「駿河TBG」13名のメンバーでやるのもよいが、知らない人の中に入ってやるのもよいと思い決めた。始めて参加した4月は、ENさんと一緒に回ったが、今回は全然知らない人と回るので程よい緊張感があった。大会には県大会と市大会でがあり今回は県が主催する大会で場所は東新田の「静岡リバーサイトTBG会場」であった。ここは安倍川河川敷にあり、風の強く、フェアーウエーが狭い難コースである。

 県主催であり、近隣の市町村から、腕に自信がある人が集まる大会であり多くの参加者があると思っていたが80人ほどの人であり少し拍子抜けした感じであった。しかしそれだけ選りすぐった人が集まって来たものと思うと、より緊張感も増した。受付に行くと私は2番ホールのスタートであった。4人のメンバーは私と同年代のKUさんと10歳以上若いMOさん、KAさんであった。3人の力量は分らないがピリピリした感じが漂っていた。話を聞くと、この内のMOさんは何度か優勝していることから、今回も意気込みも強く、それが全体の緊張感となっているようであった。

 このコースはOUT36、IN36のトータル72のコースである。有度山のコースに比べ距離が長くイメージが全然違う。スタートで私が4番目に打った。全員がフェアーウエーに球を運んだが、その中でMOさんの球は3人より5ヤードほど先に飛び飛距離は群を抜いていた。ここはパー3のところであるが彼は2オンを狙っていた。ほかの3人は3打勝負に出たが、アプローチで失敗3人ともボギーになった。しかしMOさんは2オン狙いが風の影響なのか飛び過ぎOBとなり、ダブルボギーの5であった。その後はMOさんは安定したショットとなり、前半は39の3オーバーであり、私が41、KAさんが40、KUさんが45であった。

 後半に入り、私はOBを連発する癖が出たが、これは風の影響もあるが技量不足を感じた。それに比べMOさんは、だんだん厳しい表情になりまだ上位入賞を狙っているようだ。雑談しながら楽しむと雰囲気はなかった。後半の結果は私は45と崩れ、MOさんは36であり凄いと思った。トータルスコアーは私は86、KAさんは75、KAさんは81、KUさんは95であった。30分ほど経つと上位の順位が発表された。しかし、このメンバからは入賞者は誰も出なかった。因みの優勝者のスコアーは65、7アンダーとのことであった。その人も70歳ぐらいの小柄な人であったが努力すると、こうしたスコアーも出ることと思った。全体の順位は発表されなかったが良い経験になった。


ピアノ教室で

2015-05-14 23:22:46 | Weblog

 4月からピアノ教室に通いだした。いろいろあって約一年間休んでいたが、落ち着いてきたので再開した。リタイア後に始めたピアノは6年ほどになるが、情けないほど上達は遅い。と云うより進歩がない。それでも行こうと思ったのは、練習して、何とか弾けるようになった曲を聴くときの満足感は何ものにも代えがたいからだ。そんなことで再開したが今日で2回目である。一回目は4月9日で、ピアノに触っただけで、話したのは来年2月に発表会に出ますかとか、その時弾きたい曲は「バッハ・グノーのアベマリア」であることなどであった。

 それから早いもので一ヶ月経ったが、この間に、片手で旋律と和音を一日一回以上弾くことを実行してきた。それ故、暗譜で旋律も和音も弾けるようになった。自分ながらよくできたと思って教室に行った。先生からのレッスンは30分であるが、片手で弾く「アベマリア」ならきっと合格するだろう。次はいよいよ両手で弾く練習が主になるものと思った。この時期に片手ではあるが、暗譜で弾けるので2月の発表会までには、十分弾けるようになるだろうと余裕を持って臨んだ。

 ピアノの前に座って、先生の指示で和音を最初に弾いた。暗譜しているのでスムースに音を出していた。直ぐ先生が弾くのをやめるよう言われた。「メトロノームを使って練習していませんでしたね。貴方の指の使いは四分音符も8分音符も一緒の長さであり、これでは曲になりません。アベマリアの旋律を知っているので、弾いたつもりでいますが、これでは駄目です」と云った。そして先生が旋律を弾き、私が、それに合わせて和音を弾くようにしたが、全然音が合わない。先生は「初めて教室に来たときメトロノームを使って弾きましょうと云ったが、それを疎かにしたので、このようになりましたね。これからは楽譜通りに弾くよう練習しましょう」と云った。私が落ち込んでいると「まだ発表会まで日日がありますから大丈夫ですよ」といった。

 レッスンの30分はそこだけで終わった。今日は両手で弾けるとの思いは、まだ相当先になるようだ。今日は犬の散歩も兼ねて20分ほど歩いてきた。出口に繋いで犬は、私が来て喜んだが、先生の注意は私の欠点を突かれた感じで元気が出ない。始めて当時からメトロノームのカチカチチンと云う音が嫌いで、それでも掛けるとテンポに合わないことから止めてしまった。そうした習慣がここまで来た。しかしそれでは両手を使って弾けない。これからは嫌でもメトロノームを掛けながら弾かなければ上達しないと思った。


ゴルフの帰り

2015-05-13 22:05:40 | Weblog

/ 台風一過夏の日差しのような天気になった。今日は友人4人でゴルフを楽しんだ。場所は富士見ヶ丘カントリー倶楽部であり一番行き慣れたコースである。メンバーは同じ会社に勤めた仲間であり、年齢も私が一番上であるが概ね同年代と云える。今朝7時ごろISさんから電話があり「自動車で迎えに行くが、ゴルフが終わったあと、一時間ほど付き合ってほしい」と云われた。

 自動車に乗り話を聞くと彼は「数年間腰痛でゴルフは出来なかったが、人から勧められて、電位治療器(フィットット)に一年ほど掛かっている。これにより、最近は腰の状態もよくなりゴルフにも行けるようになった。この電位治療器は静岡市内小鹿で、無料開設しているが、5月12、13,14日で、一日〇〇〇人が来て、新人が〇〇人来ないと閉鎖になってしまう。何としても今後も営業を続けてほしいので、ゴルフが終わったあと一緒に行ってほしい」この様な内容であった。以前父もこれに類した治療器を購入して家で使っていて身体が楽になったことを聞いていた。その後部品等が無くなり物置に放置してあったが今は無い。その改良型のもののようだと思ったが私も行くことにした。

 ゴルフは午前中の前半のスコアーは48で、まあまあの成績であった。しかし後半は右足のふくらはぎが吊ることもあって、ショットが不安定になり60近いスコアーになった。熱中症になったような頭もボートとして疲労困憊した。散々の出来であったが、年齢を考えるとこの炎天下ではこうしたスコアーでも已む負えないと考えた。因みのSAさんはトータツスコアーは92、ISさんは98、HIさんは103であった。私の108であり最近のスコアーでは最も悪いものであった。

 終わったあとISさんの車で、静岡市内小鹿の某駐車場に臨時に開設してある会場に行った。50人ほどは入れるところには、満席となるほどの人がいた。一回45分間椅子に座って電位治療器にかかるが、私は始めてであり、一番前の椅子に座った。椅子に座るも何の変化もないが身体に電気が流れているようで、その波形がモニターに表われた。担当者が面白可笑しく、この機械の効用を話したり、何度も来ている人から、その効果を聞いていた。それによると車椅子の人が歩けるようになったり、肩こりが直ったり、足の浮腫みが取れたり、白髪の人が黒い毛が生えてきたことなど話していた。このことは、何度かこの機械にかかると、血液の循環が良くなり、老廃物等外に出したり、効用が出てくるようだ。しかし明日までに先ほどの条件をクリアーしなければ閉鎖してしまう。ISさんは何とか続けてほしいと思い必死であった。


プライべートゴルフ

2015-05-11 20:41:07 | Weblog

 気候が良くなると、屋外に出てスポーツをやりたい気持ちになる。近所の友人ENさんは私と同年代で、先日ゴルフコンペ「年輪会」でべスグロを取った人である。これは彼は4月23日に記録したもので、私は4月21日やったのでその場面は見ていないが上手いようだ。この「年輪会」に参加した人に半額の割引券が付いていたので、彼と一度一緒にゴルフをやろうと云うことになった。私の友人ISさんも誘って、3人で大谷ゴルフ場(ショートコース)で行った。

 前回の「年輪会」でENさんはトータルスコアー62で、私は78であった。16打の違いは先生と生徒程の違いがある。ISさんも概ね私と同じくらいのレベルであり、今日はEN先生の指導を受けると云った気持ちで臨んだ。このことはOUTの一番から表われた。私の1打はシャンクし左のネットの脇に落ちた。何とかそこからグリーンに乗せたがパー3のところ5打も打ってしまった。ENさん、ISさんは共に3打であった。2番、3番、4番もグリーンを捉えられず大叩きしたが、ENさんは余裕のパープレーであった。しかし5番の68ヤードと短いところで、シャフト角60度のアイアンで打つと初めてグリーンにオンした。ここはパー3で上がった。ここまでパープレイできたENさんは反対に6打も叩いた。

 ここからは打つ感覚が分ったのか、6番~8番までパープレイで上がり9番ホールでは第2打が直接カップに入るバディーであった。しかしOUTは前半が悪かったので11オーバーの39であった。因みにENさんは34、ISさんは37であった。INに入ってもショットは安定していて、11番を除いてすべてパープレイであった。しかし11番はこのコースの最も難しいホールである。距離が163ヤードと少し長く、砲台グリーンになっている。このために5番ウッドで打つと球は右に大きく外れロストとなってしまった。ここでは大叩きになったが、これ以外はすべて良いプレーができた。後半は32でトータルスコアーは71であった。前回のときより7打も良いスコアーであった。ENさんはトータル64、ISさんは72であった。

 今回は和気藹藹プレーできたのでスコアーは余り意識することはないが、圧巻は最後の18ホール目にENさんがホールインワンを記録したことである。それも事前にホールインワンを出すと宣言し、それを達成した。やはりゴルフは私達より数段上手いことが分った。その後クラブハウスで昼食となったが、ホールインワンを出した、ENさんが費用を持つことになった。冗談に「今度ホールインワンがでたら、フランス料理でご馳走する」と私が云ったが、皆は笑って何も言わなかった、そうしたことはまずないと思う。