Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

T・B・Gに参加して

2012-06-30 20:51:25 | Weblog

 昨日は歯痛と足の踵痛で苦しんだ一日であった。痛め止めの薬を呑みながら、それでもゴルフをやって帰って来た。痛みはあったので、踵部にゲル状の塗り薬を擦りこみ寝た。明日は地区のT・B・Gの大会があり参加することになっているが、朝起きての様子を見て悪かったら休もうと思っていた。朝6時ごろ、母をトイレに起こした。左足はつま先でしか踏めない状態であった。しかし動いているとその痛みは、少しは和らいできた感じであった。

 T・B・Gの参加メンバーになっていて、当日休むということは言いずらいものである。そんなことから、連絡はもう少し様子を見てからにしようと、自転車で犬の散歩に行った。自転車でぺタルを踏むことは違和感なくできた。そのあと通っている近所の整形外科に行った。ここでガンマー波とマイクロ波を患部にかけれ貰った。患部にかけると暖かになり、痛みが取れてくることを感じた。先日医師と話したとき「痛いからと言って歩かないのは良くない」と言われていた。T・B・Gの歩く距離は全部で1000m程であり、早歩きも必要ないのでT・B・Gに出ることにした。それに歯痛や腰痛も痛め止めの錠剤を呑んでいると痛みが和らいでいた。

 昼食を食べているとYAさんが「そろそろ行きませんか」と門のところから声をかけてくれた。いつも一緒に行く仲間であり、自動車を出してくれるYAさんと一緒に、有度山スポーツセンターに向かった。今日の参加者は14名であった。このメンバーは70代から80代までの人が大部分を占めていて、私などまだ意見をはさむのは覚束ないほど高齢者が主体でリードしている。私は1組のスタートで2人の先輩と出て行った。今日は風が強く、打った球が流され、何度かOBを出した。ハーフのスコアーは36で、不本意なスコアーであった。後半は引き続き同じコースを回った。風を読んで、何とか27のスコアーで纏めた。トータル63は体調不良もあったがあまりよいとは言えない。それでも同組の中では一番良かった。

 しかしこのメンバーには上手いと言われる3人(KAさん、ISIさん、YAさん)のスコアーが気になった。聞くと彼らはトータルスコアーが、60、62、57であった。私のスコアーより良い。満足はしてないが、あまり差がないことから次のときは3人より良いスコアーを出したいと思った。終わった後、幹事から一ヶ月に一回では少ないので、月2回とし、それ以外に同じ町内にある緑地公園で毎週月曜日、木曜日にも行うことにしたいと言い決まった。月2回は定例会で、それ以外は希望者でやつことになった。月2回は参加できても、それ以外は母のこともあり出来そうもないがそのことは言わなかった。足は少し痛かったが、後にのこるダメージは受けなかった。 


満身創痍でも

2012-06-29 21:26:26 | Weblog

 昨日の午後は、庭木の剪定作業に費やした。短時間で止める予定であったが、やり出したらきりがなく夕食時までやった。上半身は筋肉痛が出るほどであった。これは足を使わないで、全身の運動のつもりでやった。医師からあまり歩くことをしないよう言われたのは、左足の踵が痛く、ガンマー腺治療を受けていたからで、動くことができず運動不足を感じていたからである。その上、前歯を抜歯したあと、左上の奥歯(親不知)が痛みだし、歯に触ると激痛が走り、奥歯の歯磨きも出来ない状態であった。医師からは「腫れが引いたら、奥歯も抜歯した方が良い」と言われた。

 そのような状態であるが今日は、KIゴルフクラブで、ゴルフコンペがあり、出席する旨返信用はがきを出してあった。そのことから何とか参加しようと思っていたが、もし動けなくなったら途中でリタイアするつもりでいた。朝7時に家を自動車で出たが、その時の状態は、左足の踵にあまり体重が掛からないようにして歩く状態であった。それに歯は腫れていて、そっとしておけば激痛はしらないが、歯痛は常に感じていた。その上昨日の庭木の剪定作業は、今朝になって、筋肉痛で腕と腰が重い感じであった。それでも皆に迷惑を掛けたくないとも思いと、ゴルフを楽しみたいとの思いが、交差していた。もし雨が降ってやれなくなれば良いとの思いもよぎった。

 ゴルフ場は菊川市にあり、東名高速自動車で行った。10年ほど前にはよく行っていたが、最近は行っていないので、正確な道順を忘れていたが、標識を確認しながら、何とか一時間ほどで到着できた。今日のコンペは8人であった。国鉄、JR東海の施設系統を退職した人達のコンペであり、良く知った仲間である。雑談の中で「満身創痍の状態であり、途中で歩けなくなったらリタイアするから」と告げたが、皆からの返事は「大丈夫だよ。皆に油断させるために三味線を弾いているのでしょう」と本気には受け取らなかった。天気も快晴になり私もだんだんやる気になった。

 一緒に回ったのは90歳近い高齢のNAさん、昔プロを目指したARIさん、体力は無くなったが、正確なゴルフをするAKAさんと私である。皆さん個性があり負けず嫌いであったが、そうした中でも和気藹藹としながらプレイ出来た。長い時間歩くと足が痛くなったが、極力カートを利用して回った。最近飛距離が出なくなった感じであったが、ARさんが時々アドバイスをしてくれたので、ティーショットは概ねヘアーウエイを捉えた。一時期悪くなりトータル100を切れない時期が続いていたが、今回は97とまあまあの状態であった。しかし足の状態は悪く、終わりのころは足を引きずったが何とか回った。帰りは焼津の土地を見て帰ってきたが、家に着いた後、左足の踵部分は腫れていて歩くのも大変になっていた。


6月の例会

2012-06-27 23:00:25 | Weblog

 毎月第4水曜日は鉄道OB会の月例部会が行われる。6月は行事も少なく、これと言った議題もないが、午後4時には事務所に行くことになっていた。それは1月に亡くなったOKUさんの遺族が、支部事務所に見えることになっていたからである。それでも伝達のための資料作りを、午後1時ごろからワードで作製した。主要なものは、納涼会のこと、会員の病気入院見舞い、準会員の慫慂方、8月に行うインストラクター会議の件等である。A-4一枚に纏めた。それを持って午後3時20分には家を出た。

 事務所にはSI事務局長と先輩のSAさんとKUさんいた。先輩たちも何か用があって見えていたが、詮索はしなかった。4人で支部活動について雑談していると、OKUさんの奥さんと娘さん、社会人になったばかりのお孫さん(女性)が見えた。奥さんの話は、「7月に初盆を迎えるが、主人が叙勲を受けたことへのお礼を言ってなかったので、遅くなったが改めてきました」と言った。そして受賞記念として作った桐の箱に入った「袱紗」を私とSIさんにくれた。それとトマトとキュウリが入った包みものをいただいた。それは月例部会に見えた人達に渡すことにした。叙勲に対する考え方は人によって違うが、このご遺族はこの受賞を心から喜んでいるようであった。10分ほどいて帰っていった。

 引き続いて月例部会に入った。10名の出席者があり、最近の活動報告と今後の進め方等が話された。私も資料により上記のことを話した。その中でも特に準会員に付いて皆さんの意見を聞いた。それは準会員とは会員の奥さんのことで、OB活動も夫婦が一緒になって参加することが、開かれた活動になることから本部が主導して決めたことである。それに準会員にも平成25年度から、東海鉄道OB会本部長から節目節目に準会員にも「壽詞」を贈ることになった。他の支部では既に会員の7割ほどが入っているところもあるが、当支部では、グランドゴルフやバス旅行には奥さんが参加する人もいるが、準会員として登録されたものになっていない。そこで、どのようにして準会員を慫慂していくか意見を聞いた。意見は少なかったがその中から9月に地区幹事者会議を行うが、その中で準会員制度を説明し、地区幹事が窓口となって準会員を慫慂して行こうとのことにした。

 そして気になるのは7月に行う、納涼会とカラオケ交流会を会員にどのようにして伝えるかであった。これは7月上旬に発行する「支部だより」に掲載することと、支部役員が各々の伝手で浸透させることに決めた。一時間ほどで会は終わったが、その後役員の有志で近くの居酒屋に行き雑談した。あまり飲まなかったが、初めて参加した某人の言葉が気になり、いつもの楽しさが半減した。人生いろいろであることを感じた。


町内会の行事

2012-06-26 23:06:26 | Weblog

 午前中は2つの病院(整形外科と歯医者)に行き、午後は日が弱くなった3時過ぎから庭の剪定作業にかかった。昨年までは感じなかった、樹木が伸び、枝が込んできている。そこで来年は実も花も付けないかも知れないが、全ての樹木を詰め、低木にしようと思った。もう一つの理由は年を重ね、脚立や梯子での作業に不安を感じてきたからである。作業は大仕事になるので、毎日少しずつやろうと考えている。今日は高くなったキンカンの木と椿の木の枝の間引きと高枝バサミで先端を摘めた。その後、柘植の木及び槇の木の各々一本を強く刈り込んだ。2時間ほどして、今日の作業はやめようとしていた時、町内会長のISIさんが通りかかった。近くに住む婦人部長のENNさんのところに行くと言っていたが、私に「今日19時より会合を行うので公民館に集まってください」と伝言した。このことは前回の会合の時言われていたが、再確認のため言われたものだ。

 夕食を食べ、公民館に行った。この会合は役員(本部)と敬老会、子供部、婦人部、体躯部の部長等とのコミニケーションを定期的に行い、意思の疎通を図るのが目的のもので、新町内会長の肝いりで初めて行うものである。今までは、各部の人選は一年交代のため、役員(本部)が各部の事まで詳細にわたり指導していた。これは各部の主体性が薄れ、活動が停滞しているとの感じが持たれていた。新しくなった町内会長はそれを打開したいと考えたのかもしれない。

 冒頭町内会長からその趣旨の説明があって、話し合いになった。婦人部から登呂祭りに、舞台で踊る練習の指導者は誰にお願いするのかとか、その申し込みはいつまでに、誰にするのかと言ったこと。子供部からも登呂祭りで打つ太鼓の人選や練習はいつから行うのかとか。7月16日にはお盆の供物等の精霊流しの取りまとめを婦人部が行うが、どのような段取りで行うのかと言った内容の質問が出た。その他多くの質問があった。私も役員となって5年目であり、年齢的にも上になり、出しゃばらない様に聞いていたが、知らないことが多かった。それでも若い町内会長等がそれに適切に答えているのを見て、世代がスムースに代わっていくことを感じた。

 打合せは一時間ほどで終り、今後も定期的に会合を持ち意思の疎通を図ることになった。今年は登呂祭りも50回目を迎える。幾つかの企画を考えているようであるが、それに合わせ盛り上げていかなければならない。そ例外でも、今共同で使用している公民館から独自の公民館を持つことも考えているようだし、それに伴う用地の確保と建設、それに地震、津波等に対する避難場所の確保、防災意識の徹底等、いろいろなことが山積している。三役等中枢の役員も若返って、積極的に活動している。そうしたことを見ていると、世代交代の時期が近いことを思った。


抜 歯

2012-06-25 23:04:41 | Weblog

 昨夜9時30分ごろ「第九」の練習から帰ってきた。明日は抜歯する日であり、何とか抜けそうな前歯1本は持つことができた。この間食事の時など前歯に当らないよう注意して食べた。しかしこれで明日10時に歯を抜くだけであると思ったら、急に歯が痛みだした。今までそのたびに痛み止めの薬を飲んでいたが、既に使い切っていた。薬箱の中に何かないか探すと熱さまし用のトンプクが一錠残っていた。以前熱が出たときこれを飲んだが、その時熱も下がったが痛みも和らいだような気がした。それを飲んで11時ごろ寝た。

 朝6時頃起きたが痛みは治まっていた。それから予約してある10時まではいやに長く感じた。時間前の9時45分ごろに歯医者に行くと、直ぐ見てくれた。医師は直ぐ歯の周りに麻酔注射を打ち、5分ほど経ってから抜いた。抜いたという感覚はないまま「ハイ終わりました。出血してますから、しばらくそのまま休んでいてください」と言った。そのまま休んでいると本当に眠くなった。看護師に起こされて抜いた歯を見せてくれた。2cm以上あったが「虫歯もない綺麗な歯でしたが残念でしたね」と言った。そして「明日は歯の形をとります。できるまで一週間ほどかかりますが、その間は抜けたままです。今日は抜歯したばかりですから、熱いものは飲まないこと、風呂にも入らないでいてください」等言われ、痛み止めの薬を処方してくれた。

 次はその足で、近くのKA整形外科に行った。左足の踵の痛みは、まだ良くなっていないので、あまり歩くことはしていない。犬の散歩も、私が自転車に乗って犬を走らせている。医師に話すと「そんな簡単には直りません。これから当分の間毎日マイクロ波の治療に来てください。痛い時は無理しなくていいですが、少しずつ歩くようにしてください」と言った。前回の時も言われたが、マイクロ波では治るとは思えなかったので行かなかったが、藁をも掴む思いで通うことにした。

 午前中に二つの病院に行って帰ってくると、歯痛が酷くなってきた。麻酔が切れてきたものと思う。錠剤は食後に飲むとあったので、早めの昼食にして飲んだ。その後、気持ちが悪くなりソファーで30分ほど仮眠した。起きると痛みはひいていて、後は正常になった。その後庭に出て木の剪定作業をしていると、瀬名の妹が母を見舞に来た。しばらく話していたが、妹から「兄さんあまり歯を見せない方がいいよ」と言った。あとで鏡を見たが、前歯がない顔は、道化師のように間が抜けた顔であった。


ふれあい合唱団結団式

2012-06-24 22:44:51 | Weblog

 毎年12月に清水文化センターで市民による歓喜の歌大演奏会が行われる。この演奏会ではベートーベンの交響曲第九「合唱」を演奏するのがメインとなっている。現在では各地区で12月に「第九」を演奏すうことが多くなったが、清水文化センターで行う「第九」は今回で22回を数え、地元に根付いた演奏会と言える。この演奏会に向け、毎年6月から2回/月のペースで練習が始まり、今年は12月9日(日)が演奏会本番を迎える。それに今年は今まで行っていた清水文化センターが老朽化から取り壊され、新しく東海道本線清水駅近くに出来た「マリナート」で行うことになっている。

 私も6回目の参加となるが、出ることが一年の締めくくりと考え、今では生活のリズムになっている。今日(6月24日)は、今年最初の練習日であり、結団式も行うと連絡を受けていた。午後7時からと言うことで、それに間に合うよう清水文化センターに向かった。結団式に出るのは、私にとって初めてである。今までは結団式を行う6月から参加しなかったのは、6ヶ月は長く感じて本番まで気持ちを集中できるか疑問であったことと、「第九」も概ね暗譜できていると言った自負心もあったのかもしれない。しかし大筋は暗譜で来ていても、細かな発音等はごまかしであり、指揮者の演奏に対する意思まで汲みとった歌い方は出来ていない。そこでしっかり練習しようとの思いからである。

 結団式はこの合唱団をまとめる河村慎太郎氏の挨拶から始まった。話す内容は平易な話で『今年は新しくできた「マリナート」のこけら落しとなる歓喜の歌大演奏会ができる喜びを皆さんと分かち合いましょう』と言ったものであった。しかし河村さんに感心するのは、この演奏会にかける心意気を感ずるからである。そこには装飾も詭弁はない、音楽を通じて皆さんとのふれあいを大切にしようと言う気持が伝わってくる。

 結団式の参加者は思ったより多い人であった。昨年一緒に練習した人もいて、本番の時と一緒ぐらいの人が来ていた。そして今年初めて参加する人も30~40人が手を上げた。私も初めて参加したときは声も出なかった。それでもCDを聞いて何とか本番では暗譜に近いところまで歌えた。そんな苦労を思い出した。その後、YA先生の指導で練習に入った。今年の数曲の合唱曲を歌った。それらは良く知られた曲であり、昨年のように難しい曲はなかった。そこには皆から親しみやすい演奏会にしたいことと、ベートウベンの「第九」の素晴らしさを共有したいとの意思を感じた。


身体の症状から

2012-06-23 20:38:40 | Weblog

 加齢によるものなのか、2週間ほど前から、足と歯のことで、身体的不自由さを感じている。内科的なことでないので大きなダメージは感じていないが、そのことについて記したい。一つは左足の踵が痛んでいることで、朝起きたときなど左足を付けないほど痛く、びっこをひきながら歩いている。しかし室内を動いている内に慣れてくるのか痛みが和らいてくるが、何時も違和感を感じている。また外に出て少し動くと痛みが増してくる。そんなことから、最近は犬の散歩など自転車で行う日が続いている。先週の土曜日、近くの整形外科に行ってレントゲンを撮ってみたが、医師は「骨には異常がないこと、痛み止めと塗り薬を出します。当分の間、赤外線治療をしましょう」と言って赤外線治療を受け、薬を貰ってきた。薬は飲んでいるが、この1週間では良くなったとは思えないでいる。また赤外線治療は時間がなかったことからまだ通っていない。

 2つ目は、歯の治療である。これは上の前歯に一本がグラグラして今にも抜けそうである。この歯は7~8年前、柿を前歯で噛んだところ、タネに当り、強い痛みを感じた。その時少しぐらついたが、最初はあまり気にもしないできた。しかし年を重ねると共にそのぐらつきが大きくなり、食べたものが当たると痛みを感ずるようになった。そこで6月14日近くの歯医者に行くと「16日に抜きましょう」と言われた。しかし新しい歯ができるまで一週間ほどかかることから、私は25日以降にしてもらいたいことをお願いした。その理由は22日にマジックのボランティアで人前で話すこと。それに23日は「名曲をうたう」で個人レッスンで歌うことからである。その2つは終わったし明日は第九の練習がある。

 足については、今後は治療に通うことにするが、加齢による軟骨の摩耗しているところに、一月ほど前から運動不足を解消しようと、5km/日程歩くことにしたこと。それに最近は体重が重くなったことが原因として考えている。体重は3ケ月前には70kgであったが、現在73kgになっている。そこで当面は体重をもとの70kgにしようと思っている。また歯は抜歯する歯は伸びているうえ、グラグラ動く振幅は大きくなった。それに食事をするとき、何かの拍子に前歯にものが触ると痛い。そんなことから食事も美味しく食べられないし、話すときなど、はっきりした自分の声でないようだ。あと2日はこの状態で我慢しなければならない。

 人間が老いるとは、こうしたことを積み重ねていくことなのかも知れない。同じくらいの年齢の人が亡くなったり、同窓会等で会った人の昔の面影がなかったり、老けた感じの人もいる。しかし中には昔と変わらない元気な人もいる。他人からは、どのように見られているのかわからないが。健康管理に気を付け、可能な限り元気でいたいものだ。


マジックのボランティア

2012-06-22 20:53:12 | Weblog

 「あすなろ会」では、一ヶ月に一回程度は介護施設や保育園等でマジックのボランティアを行っている。しかし先月は、別の用と重なり休んだ。よって2か月ぶりのマジックとなる。専門に行っている人は、咄嗟に言われても演技できると思うが、素人が2ケ月行っていないと不安である。それ故昨日は3時間ほどかけて練習してみた。しかし記憶が曖昧になりスムースにできなかった。それでも明日午後2時から実演することであり、午前中はその準備に充てるつもりでいた。

 朝起きると、9時ごろTO建設の人が2人来ていた。このことは先日台風4号により、廊下に雨漏りがした。直ぐ施工した業者に電話して「雨漏りしたので、見てもらいたい」ことを伝えてあったことから見に来てくれた。2人は天井に入って調べていたが、戸袋箇所が経年で隙間ができ、そこから吹込んだ雨が漏水の原因のようだと言った。そして何か所かをコーデングしてくれ帰っていった。2時間近くかかったが、その間2人の大工さんに付いて、状況等を話した。そんなことで、予定していた午前中マジックの練習は出来なかった。

 昼食を食べた後、12時20分に自動車で出かけた。途中SUさんを乗せ西奈地区の介護施設「竜爪園」に向かった。ここは竜爪山麓の山と渓流がきれいなところであるが、昨日の降雨で濁り、川幅いっぱいになって流れていた。ここは確か昨年の今頃だと思うが来たところであり、設備等良い印象を持っていたが控室、舞台等良かった。今日のマジック演者は4人で、男性2名、女性2名である。午後2時から3時までの1時間が演技時間で、私は4番目にやるよう言われた。それは上手いからではなく、最後に私以外の3人が「南京玉簾」をやることから、そのようになった。

 3人はそれぞれの特徴を出して、無難にまとめていた。私の番になったが、何か演技に不安を持って舞台に立ったので、堂々とした演技が出来ない感じであった。不安であったところは、やはり失敗した。それは大きなミスではなかったがそれを取り戻そうと、最後は机が浮くマジックを披露した。この演技は昨夜何度か練習して、メリハリをつけたやり方を心掛けた。それは以前やったときは、単調になり過ぎて、お客さんからあまり受けなかった。初めて、プロが行う演技を見たとき、不思議さに驚いた。しかしそれは演者のテクニックが大きいことを感じた。そこで声を出したり、力を入れる等メリハリをつけ演技した。見ている人の驚いた様子も分った。すべては上手くいかなかったが、最後の演技に納得出来たような気がした。たかが素人のマジックであるが、そのことに一喜一憂している自分がいた。


高野槇

2012-06-20 22:43:28 | Weblog

 台風一過、良く晴れた日となった。この時期にはの木は葉を茂らせ互いの絡み合っている。その上樹木の中まで日が差し込まないので、その部分は枯れたり、また花が付きにくくなる。庭に出て植木の手入れをすることにした。まずその前に昨日の台風で枝が折れたり、茎が細い花は全て折れてしまっていた。再度添木をしてと思ったが、修正のしようがない状態であったので、根だけは残し集積場に捨てた。

 松の手入れは既に4本は済んでいるので、残りの3本の手入れをした。これらの松は樹高が2.0~3.0m程あり、手間の掛かるものばかりである。手入れと言っても古い松葉を取り、新しい葉の内何本かを残すようにするだけで、樹形を考えての剪定は出来ない。この作業は全て手作業で、軍手を2枚重ねて行った。しかし植木職人は素手でやるようだが、私どもにはとても出来ない。よく言われるが松の剪定が出来れば、植木屋になれると言われるくらい難しい作業である。私の手入れは、松が大きくならないようにすることと、風通しの良いようにすることだけを考えて行っている。これは専門家が見たら、松の剪定とは言えないかと思うが、終わるとホッとする。それが終わった後、山茶花や椿の剪定を行い樹木の中まで日が差し込むようにした。

 話題は変わるが、我家には鉢植えの中に高野槇があり、既に1.5m程の高さになっている。この高野槇を地植えにしなければならないと思いながらも今までそのままにして、日当たり等考え鉢を移動していた。この高野槇は、6年ほど前に妻と「熊野古道と高野山」を旅行したとき、高野山の宿坊に泊った。そこで50cmほどの高野槇を買ったものである。高野山ではこれを供花として使い、花持ちが良いと言われた。その時この苗を庭に植え、その枝を使って仏壇の供花として使おうと思った。それを持ち帰り鉢植えにした。最初は小さな鉢であったが、今は直径50cm、高さ50cmほどの鉢に植え替えた。

 高野槇は樹高30m、直径1m程の大木になると言われている。日本では関東から九州に野生しているが、少なくなり一部県では準絶滅危惧種になっている。かって地質学的見地から北半球全体に広く文保していたが、現在は日本と韓国済州島以外では分布していないと聞いた。私も買うまで見たことがなかった。そこで見た高野槇は円錐形の樹形をしていて、庭木として良いと思った。それを購入したものの、樹高が大きくなることから、鉢植えのままにしてあった。しかしこの鉢では窮屈となった。地植えにしようと思うが、先端を摘めていくなら大きさを抑えられそうである。6月中には植え替えようと思っている。


台風4号の接近

2012-06-19 23:40:20 | Weblog

 6月というのに台風4号が日本列島に接近し、日本列島を縦断するコースを進んできている。8年前にも6月に日本列島を縦断した例はあったが、私が知っていることは「梅雨の時期は大陸の高気圧が日本側に張りだし、南シナ海や太平洋赤道近くで発生した温帯低気圧が台風になっても、その高気圧に抑えられ日本には接近しない。しかし9月から11月上旬は大陸の高気圧の勢いが弱まることから、台風が日本列島に接近する」このように覚えていた。それ故6月の台風が日本に上陸することは異例なことと思っていた。しかし何が原因なのかは知らないが、大陸側の高気圧が弱まり台風の進路が日本に向かうようになった。これも異常気象と言うしかない。

 この時期は梅雨期であり、梅雨前線上に湿った空気が流れ込み、それを刺激して大雨を降らせる雨台風になると言われている。しかし、この4号台風の進路を妨げる高気圧が張りだしていないことから、速度は60kmから70kmと早い。それは進路の東側では強風も吹く状態になった。午前中は風もなく、小雨が降る程度であったが、テレビの進路予報図では、四国の海上を北東に進んでいて、紀伊半島先端から日本列島を縦断する予報になっていた。そこで庭にある鉢植えのものや、茎の弱い花に添木をしたり、植木用の梯子、脚立を地面に寝かせたり、固定する作業をした。

 午後6時頃には、台風は名古屋付近にあって、雨と風による被害が大きく報じられていた。この様子では静岡にまともに向かっている。そこで犬小屋に繋いだ犬を玄関のたたきに移し、いつもは開けている雨戸を閉めた。一番ひどくなったのは午後8時から10時ごろであった。台所のテーブルに腰掛けていると、強い風で家がかすかに動いた。テレビでは「レーダーによると御殿場、富士宮、島田地区では時雨量110mm程度」と言うニュースを流していた。この状態が続くなら、河川の氾濫、土砂崩壊が発生するし、低地の家屋への浸水も広がりそうである。そんな心配が脳裏をよぎった。

 時間は午後11時を回った。外はまだ風が吹いたり、雨も降っているが、弱くなった。速度が速いので長い時間荒れることはなかった。外に出て様子を見たが鉢植えのものが倒れているものがあったが、立木が倒れたり折れたものはなさそうである。しかし綺麗に咲いていた茎の細いものは倒れていた。玄関のたたきにいた犬のモモも犬小屋に戻りたいのか、そのまま外に出て、犬小屋に入ってしまった。テレビでは関東地方の台風情報を伝えていた。