Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

久しぶりのゴルフ練習

2017-09-29 21:59:57 | Weblog

 先日の9月22日ゴルフコンペで良い成績で優勝した。このとき自分のスイングの弱点が修正できたと思った。それ故9月26日に行われた「駿河TBG」大会では、自信をもって臨んだ。TBG(ターゲット・バード・ゴルフ)は、基本的にはゴルフと同じで、一本のアイアン(ピッチングウエッジ)で球を打つもので球を打つことには変わりはない。ただTBGは、球に羽がついていてその分遠くには飛ばないようになっている。それ以外はほぼ同じだと云えるが、26日に行われた駿河TBGでは散々な出来で15人中最下位の成績になってしまった。修正できたと思った自信は完全にへし折られた。球の打ち方が分かったと思ったのは大きな間違いであった。

 10月、11月に幾つかのゴルフコンペが計画されていて出るつもりだ。そこで、スイングを再修正しようと近くの大谷ゴルフ練習場に行った。午後2時頃であったが練習場は、リタイアしたような年配者でほぼ満席の状態であった。練習場にはレフティー用の一席が端に設けられていて、そこで打つ予定であったが、既にほかの人が打っていた。その人が終わるのを待っていたが、中々空かなかった。その人は50代位の体格の良い人であったがドライバーを主に練習していた。振りは鋭く、練習場の最遠ゾーンに届くような球を打っていた。これは250ヤードぐらいの距離である。

 「すごい当たりですね」と話しかけると、柔和な感じの方で「方向が定まらないのでだめですよ。今空きますから待ってください」と云った。その後話すと、明日コンペがあるとのことであった。空いたその場所でまず一コイン打ってみた。ショートアイアンは何とか良い方向に飛んだがロングアイアンは中々球が上がらないし、方向も左右にぶれた。何度かスイングを修正し打っていると、球をとらえるタイミングが分かってきたような気がした。その後フェアーウッド9番、5番、3番で、ティーアップしないでマットに球をおいて打った。9番は多少方向距離とも定まったが、5番、3番は全然思う方向には飛ばなかった。2コイン目はドライバーとフェアーウエーウッドを主体に打った。最初はだめであったが、その内に何とか球が上がり方向も定まった球を打てるようになった。しかし完全に修正できたとは言いがたい内容であった。

 今日は2コインだけにしたが、10月5日にはコースに出ることになっている。それまでに2~3回練習場に通いスイングの修正をしたいと思う。前回修正できたと思ったのは、偶々のことでまだ全然だめであることが分かった。やはり頭で分かっていても、身体が瞬時に反応するためには練習以外ない。それは前から分かっているが、つい忘れてしまうこれがゴルフなのかもしれない。


秋ナスを食べる

2017-09-26 21:34:02 | Weblog

 庭の隅に植えた5本のナスの苗木は8月収穫期を迎えたくさんのナスを収穫した。8月下旬になり収穫量も少なくなったことから木を引き抜き収穫を終えようと思った。しかし、まだ幾つかのナスの花を付けていたし新しい芽も出していた。ことわざに「秋ナスは嫁に食わすな」という言葉がある。この意味の一つに”憎らしい嫁に美味しい秋ナスを食わすのはもったいない”ということのようだ。私も昔食べた秋ナスは美味しいと思った。それは確か焼きナスであったが、秋ナスの作り方は知らない。そこで〈秋ナスの育て方〉の本を読んだ。そこには、植えてあるナスの枝を切り3本仕立てにし十分な追肥と水やりを行うことなど書いてあった。そして今やっと収穫できるようになった。

 しかし、秋ナスの成長は遅く収穫できたのは、ただいま一本だけである。それも一般的な濃い紫色のナスとは違い薄紫に白い筋が数本入ったやや硬いナスであった。それ以外にも10個ほどの実が付いているがとても取る様な大きさにはなっていない。その一本を料理してもらうことにしたが、一本では少ないのでマートから買ってあった数本のナスと合わせて焼きナスと煮物を作ると妻は云った。採った一本のナスは硬く、購入したナスは弾力があって柔らかだった。私は強がって「我が家のナスは、新鮮なのだから硬いんだよ」と云ったが自信はなかった。そこで硬いナスと市販のものの二本を焼きナスにした。

 コンロで焼いていたが、市販のものはすぐ火が通って柔らかになったが、硬いナスは、中々柔らかにならなかった。その内に表面は炭のようになってしまい、レンジで温めることにした。2分ほど経つと柔らかになり2本の焼きナスが食卓に並んだ。それはすぐ区別が出来るものであった。これを擂った生姜に醤油につけ食べた。私はわが家のナス方が美味しいと云ったが、妻は市販のものの方が美味しいと云った。判定は難しいが、ナスの種はわが家で採ったもののほうがやや黒く大きくなっていた。これはナスの実を木に長く置いたため成長し過ぎたのだと妻は言った。それでも我が家のナスは市販のものに比べ小さかった。

 秋ナスは初めて作ったもので、育てる過程でどこか間違ってしまったようだ。今生っているナスも貧弱な形も曲がっているし葉も元気がない。それでも毎朝水かけをし食卓に上がるのを楽しみにしている。こうした失敗は何度もあったが、これを育てようと、朝から水やりや、土寄せなど行てきた。これが習慣になり規則正しい一日が始まることが出来ている。そうした意味で、家庭菜園は私に生活のリズムを作ってくれている。このことに感謝したい。

  


講座「歌ひととき夢気分」

2017-09-24 22:21:09 | Weblog

 音楽カルチャーのYA先生は、3ヶ月に一回「夢ひととき夢気分」という講座を開設している。この講座には広範囲の人々が集まってくることから、どのような人が集まるか期待して臨んだ。内容は唱歌から世界の音楽、シャンソン、カンツオーネ、ミュージカル、オペラまで幅広く行い新鮮味を感じている。初めての人は戸惑うこともあるが、講座が終わることにはみんな和気あいあいとした気分になる。先生の経歴は知らないが、ミュージカルやダンスが上手く全身を使ってエネルギッシュに教えることからミュージカル出身ではないかと思った。私は半年前突然指名され「コロラドの歌」を歌ったが良い経験であった。先生は常に受講生の一人一人を活かした方法で講座を盛り上げてくれる。

 今回は9月24日(日)13時30分から静岡駅ビル7階の教室に20名近い人が集まった。男性4人でそれ以外は女性であった。男性の年齢は概ねリタイアーしたような人達であったが、女性は20代から70代位の年齢の人であった。初めて参加した人も6~7名ていたが、多分先生のことを知って集まってきた人と思う。その中には、介護者と一緒に来た目の不自由な人が私のそばにいた。その人の聴覚と音感の素晴らしさは健常者以上に感じた。

 因みに、歌った曲目を紹介すると「虫の声」たか「赤とんぼ」と云った唱歌を数曲歌ったあと、NHK連続テレビ”ひよっこ”の主題歌「若い広場」やナポリ民謡「O Sole Mio」カンツオーネの「Che sara」それに外国の歌の替え歌「みんながみんな英雄」など丁寧に教えてくれた。これらの曲は、別の講座で習っている人もいたが、初めての人にもわかりやすく教え終わるころには、皆さん普通に歌えるようになっていた。そして最後に「銀色の道」を歌ったが、ただ歌うだけでなく、横にスッテプを踏みながら声を出す運動も取り入れた教え方で独特のものであった。受講者の老若男女は見よう見まねで合わせていくが初対面であった人達も、マジックに掛かったように音楽に浸り笑い合うような雰囲気に作ってくれた。

 特に初めての方は、最初の硬い表情から段々和んで行き互いに肩を組んだり、ダンスをしながら教室を回る姿は、先生ならではの教え方であった。私も満足したが、近くにいた目が見えない人の表情が段々変わっていき音楽のすばらしさを実感しているようだ。この人からは、次回も参加したいという気持ちが伝わってきた。次回は11月下旬であり、また新しい発見があることを予感させられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


のぞみ会ゴルフコンペ

2017-09-22 20:52:38 | Weblog

 すがすがしい秋晴れの今日「のぞみ会ゴルフコンペ」が富士見ヶ丘カントリー倶楽部で行われた。このコンペは鉄道OB静岡支部のメンバーでのコンペである。しかし最近では近隣の支部からも参加するようになり、今回は掛川、焼津支部からも参加し11名となった。少ない感じもするが高齢になり体調不良などで欠席する人が多くなったのも原因の一つだ。今回のメンバーでは私が最高齢者となったが、若い人達とフェアーウエーでクラブを振り、そして歩くのは何よりも健康に良い。

 概ねメンバーは固定しているが、年齢に関係なく同じティーグラウンドから球を打ち飛距離など競うのも楽しみの一つである。私の組は4人でINコースからスタートした。このメンバーを紹介すると、若い時プロゴルファーを目指し、今でもパープレーを出すこともあるARさんで、この中では断トツに上手い。掛川から参加したSAさんは現職で私より10歳ほど若いが今ゴルフの醍醐味が分かってきたような人である。営業出身のMKさんも現職で、球を遠くに飛ばす技術はすごいが少しコントロールにむらがある人だ。ハンデキャップはSAさん、MKさんと私は同じくらいである。そこで私は100を切ることを目標にフィールドに出た。

 最初のホール(10番)は、緊張もありダブルボギーであったが今までにない良い感触であった。ARさんは、ここをパーで上がったが他の3人は私と同じであった。11番ホール以降、大きく崩れることもなくパーかボギーでまとめINは、8オーバーの44で上がった。このスコアーは5年近く出したことのない良いものであった。何故このようになったのか自分でもわからなかったが、ARさんが「腰の回転は、腕の回転に追従するようにして打つ。それによりクラブ先端の遠心力が増し、安定した強い球が打てる」と教えてくれた。それを守ったのが良かったものと思う。

 昼食後OUTコースを回った。1番から5番ぐらいまではボギーぺースであった。このまま行くとトータルスコアーは90を切る様なスコアーが出る。私はハンデキャップも多く優勝も視野にできるスコアーである。しかしその後疲れたのかダブルボギー、トリプルボギーも出てOUTのスコアーは50となり、これでもトータルスコアー94である。これは満足できるスコアーであるが、後半の乱れは残念に思った。因みにARさん、SAさん、MKさんのトータルスコアーは各々78、107,106であった。風呂から上がりクラブハウスでの打ち上げ会で私が優勝したことを知った。グロスでは3番目のスコアーであったが優勝したのだ。皆から祝福され次回のハンデキャップは17となった。ゴルフの奥義は深いので、これで今後も上手くいくとは思わないが久々のスコアーに喜んだ。


白い彼岸花

2017-09-20 21:00:33 | Weblog

 正式な学名は知らないが「曼殊沙華」を一般的には「彼岸花」と呼ぶ。彼岸花は丁度秋の彼岸の頃花を付けるが、葉の中から茎が延び花を咲かすのでなく、地面から「つくし」のように先端に蕾を付けた茎が出てきて3日ほどで開花し一面に花が咲く。そして10日ほどすると花が萎み茎もなくなってしまう。その根もとから針状の葉を放射状に付け冬を越す。何とも不思議な花である。この花を誰が植えたのかわからないが、あぜ道や、道路の端や、堤などに密集して咲いている。その色は概ね真っ赤な花である。この花から連想させるのは蓮の花と同様仏さまの花と云える。

 我が家の庭にも彼岸花が咲いている。この花を最初に見かけたのは10年ほど前であった。誰かが植えたものでもなく庭の隅の一角に3~4本真っ赤な花をつけていた。それが年が経つごとにだんだん増えて行き、今では4か所ほどで群生し咲くようになった。その花も最初は赤だけであったような気がするが年を経るうちに白い花が増えていき、今では白色が大部分になった。それも真白ではなく、白に近い薄桃色の花になっている。なぜ白い色になったのか不思議でならない。しかも、この蕾も開く前は赤みを帯びた色をしていて花は赤色になるか白色になるのかわからないような色であったが、咲くと全部が白っぽい色になっている。

 なぜこのようになったのか調べてみた。そこから分かったことは、赤色の彼岸花と鐘道水仙が合わさって白い花が出来ることが分かった。庭には水仙の花もあるので、その球根と何らかの結合があって出来たものと思う。水仙の根は球根であるが、彼岸花は鱗茎と云い毒性があるという。現在は白色の彼岸花だけが咲いているが、まだ小さな茎も幾つか出ていてその中には赤色が強い蕾もあるのでまだ真赤な花を諦めたわけではない。時期をずらして咲くのかもしれない。

 思うままに、白い彼岸花の”花ことば”を調べると「思うのはあなた一人」とか「また会う日を楽しみに」と云った一縷に願う優しいこころがうかがえる。また、この花は天上の花と云い、慶事の起こる前触であると云い気持ちを和めさせてくれる。彼岸の期間は秋分の日とその前後3日間の計7日間であるという。この期間は太陽が真東から登り真西に沈み、仏教では、この期間が西方浄土にある来世が一番近くなるという。現世(此岸)と、悟りの世界(彼岸)が近くなることは、悟りの世界に行った先祖様が此岸に来ているということのようだ。このことから彼岸にお墓参りをし彼岸花を手向ける習慣が出来たとのことであった。この真理が分かっているように彼岸花はこの時期一斉に咲く不思議なことである。


敬老祝賀会にて

2017-09-19 22:05:50 | Weblog

 9月18日は敬老の日である。この日町内会主催で在住老人の祝賀会を行ってくれる。今年は我が町内でも100名以上の対象者があったと聞いた。しかし祝賀会に参加したのは60名程度で昨年新装なった町内会会館に集まった。1ヶ月以上前であったが町内会長から「敬老会のアトラクションで民謡を歌ってほしい」と云われた。これは5月に「きてこ」で行われた老人の芸能発表会で「田原坂」を着物姿で歌った。上手くは出来なかったが着物姿で歌ったことを評価されたのか、敬老会で行うことを頼まれた。持ち時間は10分から15分ほどと云われた。

 今日アトラクションに出るのは、日舞、太極拳、マジックと私の民謡である。そこで、どのように行うか考えた。むかし父が詩吟を吟じていたことから、詩吟と民謡を行うことにした。先ず民謡は「田原坂」と「武田節」を歌い。詩吟は「不識庵機山を撃つの図に題す・・・頼山陽」を行うこととし、予備として「黒田節」も覚えることにした。このコンセプトは戦いを主題にしたもので「田原坂」は明治維新後の新政府軍と薩摩藩との闘い。「武田節」と「詩吟」は川中島で戦った武田信玄と上杉謙信の勇姿を歌ったもので、予備の「黒田節」は、朝鮮出兵後の黒田長政と福島正則の友情を描いたものである。そこで模造紙に墨で書いた歌詞を張り出し、袴姿に扇子をもって行うことにした。

 この日は台風18号が去って日本晴れの晴天となり気温も36度まで上昇した。袴姿では、蒸れて背中に汗が流れる状態で舞台に立った。詩吟と3曲の民謡は暗譜で歌えるようにしていたが、扇子を持って自己流の踊りも少し入れ、最初に「田原坂」を歌った。この曲は「しゃかほい ー〃ー」という拍子が入るが、皆さんが音頭を取ってくれた。次に詩吟「不識庵機山を撃つの図に題す」を吟じた。練習を一週間ほどであったが、節回しも概ねうまく出来た。そして武田節を歌った。この武田節にも風林火山を吟ずるところがありこれも何とかできた。予備の「黒田節」は行わなかった。

 終わったあとすぐ着替え祝賀会に入った。皆さんからビールを勧められたが、唇に出来たヘルペスはまだ治っていなかったので遠慮してお茶を飲んで過ごした。反応は分からなかったが、悪い出来ではなかったようで数人がほめてくれた。しかし今回披露した日舞の人は、名取の師匠で何人かのお弟子さんがいるというし、マジックの人は、私の先輩で高度のテクニックで浪曲手品を披露した。また太極拳を行った人は、この地区の指導者でよく知られている人であった。このメンバーに入れてもらったことだけでもありがたいことと思った。そのあとは皆でカラオケなど行い午後2時には解散した。家に帰ると「彼岸で墓参りにきた」と三島の弟家族が見えていた。


静岡でオペラを聴く

2017-09-17 22:01:52 | Weblog

 声楽家のH先生は、毎年「病気と闘う子供たちのための」チャリティーコンサートを行っている。今年は18回目で、プッチー二のオペラ「蝶々夫人」を行うことになった。この主役蝶々夫人を先生が行い、周りは日本を代表する歌手たちが固めていた。これも先生が主導するチャリティーコンサートに共鳴し出演したものと思うが、こうした大作に挑戦する先生のエネルギーにも驚いている。9月17日15時から静岡AOI音楽館で開催され、静岡で行うのも多分初めてではないかと思った。

 会場は満席の状態であったが、私は2階の側面せり出しの席に何とか確保できた。客席には、同じカルチャーで学んでいる人とか、音楽の仲間など多くの知人が来ていた。このオペラのあらすじは概ね分かっているが、最初の場面では、蝶々夫人ともう一人の主役ピンカートンが合う場面で、先生の初々しさを上手く表現し歌っていた。ピンカートン役はいま日本を代表するテノール歌手であるが、それを凌駕するような豊かな声量であった。それ以降の場面は先生の独壇場で、その声は最後まで衰えなかった。それにも増して15歳から20数歳の若い蝶々夫人を演じた先生の演技力にも驚いた。また主役を引き立てた周りのキャストも適材であった。その中でもスズキ役の演技には魅せるものがあった。またエレクトーンの演奏もよかった。これはオペラを創り出すオーケストラに匹敵するもので全体を引き締めていた。

 このオペラの2幕2場は、クライマックスシーンで、観客の誰もが涙した場面である。ピンカートンにも騙され、愛する子供もピンカートンに渡さなければならなくなった時、武士の娘らしく自害することを選んだ。この蝶々夫人の物語は、日本社会の底流に武士道が敷かれていて、これを表現している。19世紀から20世紀初頭ヨーロッパでは、東洋の日本は取るに足らない小国であったが、子女教育が浸透していてレべルの高い文化が築かれていた。こうしたことをこのオペラからは伝わってくる。同じ東洋を題材にしたオペラ「ツーランドット」は、時代こそ少し遡るが、アジアの野蛮性を感じさせたが、この蝶々夫人からは人間の美徳すら感じた。

 このオペラ上演は、大成功あったと感ずるが、ヨーロッパで育まれたオペラが日本で浸透するには、言葉の壁、表現等難しさを感じていたが、この蝶々夫人は、分かりやすく見る人に感動させてくれた。ここまで仕上がった裏には多くのキャスト、スタッフが一体となった努力があったものと思う。表には出なかっいが、舞台裏で支えたコレペティトールの存在も大きかったのではなかったか。

 


皮膚科の病院に行く

2017-09-15 19:07:05 | Weblog

 昔から不摂生や、暴飲などすると下唇に何とも言えない痛みを感じ、それが一週間ぐらい続き、ひどくなると膨らんで切れるような症状が出ていた。しかし最近は生活環境も変わり無理もしなかったのかそうした症状は出ていない。しかしいま、その症状が出ている。初めて気づいたのは9月12日であった。最初は唇がおおぼったい感じであったが、今はそれが腫れ下唇の内側の痛みがひどくなっている。食事をしたりお茶の呑んでも沁みる痛みが続き今日近くのYO皮膚科病院に出かけた。

 午前11時頃であったが6~7人の患者が来ていたが20分ほど待つと医師に呼ばれ診察室に入った。症状を云うと、天眼鏡の様なものを出し、口の中を見ていたが「これはヘルペスですね」と云った。私もこの症状はヘルペスではないかと思っていたが以前の症状よりひどく今回は唇の中に出来ている。このことから別の何か悪いものが出来たのかと心配していた。しかし、そうでなかったことに少し安堵し塗り薬をもらい帰った。

 今回の症状は、痛さもひどいが腫れもあって長く続いている。遡って思うに8月30日に昔働いた仲間とすし屋でビールを飲んだ。そして9月9日には、音楽の仲間とビールやワインを飲んだが少し飲みすぎた。10日は町内運動会に出席し競技にも出た。次の11日は、ゴルフに行き炎天下を一日歩いた。多分運動や飲み会で身体が疲れていたものと思う。それが症状に出たのか。その症状も12日の朝から口が何かおおぼったくなっていたが、それが翌日には下唇の中が膨らんできて、それがだんだんひどくなり9月15日病院に行ったものである。確かに体力的に減退してくる年齢であり昔のような無理はできないことは分かっていたが、それでもよく睡眠をとり毎日8時間ほどは寝ていて寝不足とか疲れたという感覚はなかった。

 しかし、こうした症状が出ていたのに、13日には炎天下に駐車場の草取りや14日には庭の木の害虫駆除などしたことも良くなかったのだ。とはいえ毎朝6時30分には登呂遺跡公園でラジオ体操をしその後3kmほどの散歩も欠かさなかったし、これによりひどく疲れたということもなかった。しかし、この2年間に2回の手術を行い無理が効かない体になっているのかもしれない。これは、身体の中で、これ以上の無理をすると寝込むような大きなことになりますよと警告を与えてくれていることなのかもしれない。人間が老いていくということは、こうした症状を出して注意を促すサインだと思った。 


庭に薬剤を散布する

2017-09-14 21:43:24 | Weblog

 夏の家庭菜園の収穫時期が過ぎたことから庭の害虫駆除をしようと思った。庭木は害虫に食い荒らされカエデなどの葉は、ほとんどが無くなり枝のみが目立つようになり、モッコクの葉は、葉巻虫が入り、つやのある葉は、ところどころが枯れて茶色の塊が出来ていた。2日前に雨が降ったが、その後天気が続いている。しかし週末には大型台風がくるとの予報であり、この一日二日が庭の手入れの時期と考えた。昨日は焼津の駐車場の除草に費やしたので、今日は庭の害虫駆除をしようと思った。

 9月とは云え日中は30度近くなるので、陽が弱くなる午後4時以降から始めた。先日に買ったヤッケを着て、ズボンは古くなったトレーナーを穿き、ゴーグルやマスクをつけ庭に出た。使用する薬剤はスミチオンで200mL入りの乳剤で、3年ほど前に購入したものであるが、現在約1/3ほどが残っていたものを使用することにした。このスミチオンは常に使用している薬剤で、能書きに書いてある使用頻度は年2回~4回とあった。5L 入れの噴霧器を使ったが、庭全体に散布するには3回ほど薬剤は入れ替える必要があった。説明書には適用病害虫の希釈倍数があるが、経験から書いてある希釈量では効き目がないので、3割ぐらい濃いようにして使った。

 まずモッコクの木に散布し、それから梅の木に散布した。梅にはカイガラムシが付いてきて、これを除去するにに今まで苦労した。散布しても春先には新しいカイガラムシが、また発生している。そこで、この2本木には幹から流れるくらい散布した。そのあとカエデの葉に散布した。イガラは、触ると電気が走ったような痛みを感じ今年になっても何度か刺されていたので入念に散布した。この時期はまだ夏みかんやキンカンの実は小さいがスミチオンを散布するのに躊躇した。そこで噴霧した農薬が風によってかかるる程度に散布した。ただ柿の木の実は未だ摘果が止まらないが、これが害虫によるものと考え強めに撒いた。

 噴霧器に3回目の薬剤を入れ、圧力を注入し撒こうとしたが、途中でスーと減圧して噴霧できないようになった。辺りは少し暗くなりかけていたので、屋外電球の下で故障個所を見たが、パッキンの不具合で空気が漏れたようであった。取り換えることもできずパッキンを調整を試みたが手元は暗く悪戦苦闘が20分ほど続いた。何とか噴霧できるようになったが圧力を強くかけるとまた漏れてしまう。そんなことを繰り返して、何とか散布が終わった。汗と薬剤にまみれてヤッケやズボンは、ぐっしゃり濡れていた。そのまま風呂に入ってから夕食を食べたが、こうした作業もいつまで出来るか考えていた。

 

 

 


鉄道OBゴルフコンペ

2017-09-11 22:48:53 | Weblog

 昨日は運動会で体の節々が痛かったが、今日もゴルフコンペで朝5時には目を覚ました。コンペ名は「施設OB会ゴルフコンペ」で鉄道の施設系統OBの親睦会で、年4回計画されている。今回の幹事は県西部の人で菊川CCで行うことになっていた。Iさんが7時30分に迎えに来てくれたので同乗しゴルフ場に向かった。菊川CCはフェアーウエーが広くフラットなコースで私は好きなコースである。途中給油などしたため集合時間の10分前ぐらいに着いた。

 今日集まったのは13名で、私は4組目で4人で回ることになった。このメンバーは私より若く60代後半の人ばかりであった。本来70代以上はシルバーティーから打てるが、3人に合わせてレギュラーティーで打つことにした。因みに同組のメンバーを紹介すると、ISさんは年齢は8歳ほど若く体力もあるし、地元のゴルフ場で月例会など出て良い結果を残していることを聞いていた。SAさんは、東京に単身で勤めているが、住まいは掛川であり地元と云った感じである。レべルは私と同じくらいである。KOさんは、今回初めて参加したが、ゴルフ歴は長く正確なショットと飛距離は、このメンバーでは抜きんでている。この中に入って私は回ることになった。

 今回の目標はスコアー100以内で回ることを目指した。OUTからスタートし最初のティーショットは皆さんと同じぐらいの距離が出たし、セカンドショットもフェアーウエーに打てた。しかしアプローチで失敗しボギーとした。その後も崩れることなくボギーペースであった。このまま行くと良いスコアーが出そうな気がした。しかし6番のロングコースは第2打までは良かった。3打目は4番アイアンでグリーンエッジまで届く距離であった。しかし力んだのか左側の大きな木の上すれすれに球が出た。越せばグリーンエッジ近くに打てたはずであった。しかし球は見当たらなかった。ここで初めてトリプルボギーとした。その後3ホールはダブルボギーが続き、OUTのスコアーは50であった。

 50で回れたことは後半に繋げることが出来そうな予感がした。昼食に生ビールを飲んでエネルギーを蓄えてからINコースを回った。しかしどうもしっくりしない。ボギーとダブルボギーが交互に出ていた。ここでバーが出れば良い方向に行くものと思ったが、14番のショートコースでバンカーに入れ、結果トリプルボギーを叩いた。その後も持ち直すことが出来ずINのスコアーは52になった。トータルスコアーは102で目標の100以内のスコアーとはならなかった。しかし、ショットは安定していて大きく乱れることはなかった。次回に繋げそうである。スコアーのことは以上であるが、友人とフェアーウエーを歩きながら会話出来たことは何よりの収穫であった。