Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

町内の花見

2019-03-30 22:02:51 | Weblog
 毎年行われている町内の花見会は、今年3月30日午前11時から東名高速道路脇にある緑地公園で行われた。この公園は、東名高速道路建設時使った空地に桜など植え整備したところで50数年経ち、今は大きなソメイヨシノや金木犀などが並ぶ公園となっていて近隣の人達の憩いの場となっている。この時期はソメイヨシノの下で花見する格好な場所となっている。桜の数は4~5本で多くはないが、枝は四方に広げ、枝も2mぐらいの高さにまで垂れている。まだ、満開にはまだ早く2~3部咲きと云った感じであるが、風もなく暖かな一日となった。

 参加者は、各々が昼食を用意することになっていて、それ以外の決めはない。私は、昼食は持たず、家にあった720mlのウイスキーを持って行った。昨年もそうであったが、女性の参加者などは、手作りの料理などを持参しみんなに振舞ってくれる。会場に行くと桜の下にブルーシートが敷かれ、その上のテーブルには皆さんが持ってきた料理が、あたかもバイキング料理の品のように並んでいた。またビールや酒などの飲み物も豊富にそろっていた。参加者は50人ぐらいで、概ね男女同じくらいの人々が来ていた。参加者の年齢は、概ね60代以上の人ばかりで、老人の集いと云った感じであった。

 最初は、近所の友人たちと車座になってビールを呑んでいたが、酒や焼酎を継いでくれる人もいて、それを呑んでいると段々酔いが回ってきた。それに、料理などは、誰かが紙の皿に盛って私の前においてくれた。それは、山菜などの家庭料理で美味しいものばかりであった。花見は、桜の美しさを鑑賞するところであるはずだが、酒が入ると、花より団子と云うか陽気に会話するのが優先してしまう。その上、同じ町内でも、親しく話すことはめったにないので、こうした花見の席は、知らない人とも親しく交わることが出来て楽しい。最初は静かに会話であったが、場が盛り上がると声が大きくなり陽気さは増していった。この公園の脇には並行した道路があり、そこを通る車から、私たちの様子を眺め、羨むように見ている人もいた。終盤に入ってハーモニカの伴奏で歌い出した。メンバーには町内の合唱団に参加している人も多く、それに合わせ私達も歌った。2時間ほど過ぎたころ閉会となった。

 しかし、まだ歌いたい人達が、町内の自治会館に向かった。ここでカラオケをすることになった。ホワイトボードには、「カラオケで最高点を出した人には豪華賞品を贈呈します」と書いてあった。参加したのは20名ほどであったが、また歌で盛り上がった。このカラオケは、歌の評価として点数が出るもので、皆さん自慢の喉を披露した。私も10番目ぐらいに歌った。余り良い点数は出なかったが、これも盛り上げるには効果があった。ここで、また2時間ほど過ごし解散したが楽しい花見会であった。

 

「ぼかし肥料」をつくる

2019-03-25 20:22:34 | Weblog
 昨日農協の自動精米機で10kgほどの玄米を精米した。精米機に隣接する米糠の収集場には、たくさんの米糠が残っていた。多分精米に来たが米糠を持って行かない人が置いていったものと思う。そこで、この米糠を肥料にしようと10kgほど持って帰った。今までにも別の野菜販売店で、米糠をくれるところがあり1kgほど貰ってきて、庭の畑にまいたことはあった。その時は「ぼかし肥料」のことを知らなかったので、庭の畑にただ撒いただけであった。たぶん、窒素、リン酸、カリウムなど作物に良いものが含まれているので効果があるものと思ってやった。

 その後知ったが、そのまま米糠を肥料にすると土壌の微生物が爆発的に殖え悪さをすることが分かった。それは土壌微生物が呼吸をすることによって発酵熱が生じ、一次発酵で70℃ぐらいまで上昇する。これにより根はダメ-ジを受ける。また米糠が分解されることから生ずるガス(アンモニアガス等)も植物にダメージを与える。そして微生物が増殖するとき土壌中の窒素が取り込まれ窒素飢餓の状態になることも分かった。今までに使った米糠の量が少量、その上地中にすき込まなかったので、目に見えた被害はなかったものと思う。しかし、今回は10kgほどの米糠であり植物にダメージの少ない「ぼかし肥料」を作ることにした。

 3月25日(月)午前中に作業に取り掛かった、その前にネットで「ぼかし肥料の作り方」を検索した。この作り方は嫌気性発酵と云い酸素がない状態で発酵させる「ぼかし肥料」作りであった。肥料の材料は、米糠が10kgそれに油かすと苦土石灰 計5kg、それに庭土300gぐらいを用意した。油粕と苦土石灰は以前買ったものが残っていたので使用した。その比率は分からなかったが半分半分の2.5kgずつ混ぜた。全部で15kgほどになった材料をセメント練り台(1.0×0.6×0.25m)に移し、それに土と水1.5lを入れ混ぜ合わせた。出来た材料は少し水気はあるものの、まだサラサラしていた。それをビニールのゴミ袋2枚を重ねた袋に入れ、空気が入らないようゴムバンドで塞いだ。作り方はこれで良いはずだが自信はない。検索では、この状態で雨などが掛からないところに保管する。夏場は1ケ月、冬場は2~3ヶ月経つと「ぼかし肥料」は出来るはずである。

 物置の棚の中断に置き、マジックで今日の日付けを書いた。今の時期では2ヶ月近く掛かるものと思うが、成功していれば袋を開けたとき甘酸っぱい匂いがする筈である。もし失敗していれば腐敗臭がしてベチャベチャになってしまうとあった。もし上手くいっても、発酵により熱が出るが、ビニールのゴミ袋ではその熱に耐えられるか心配になった。近日中に厚めのビニール袋を購入し入れようと思う。初めて「ぼかし肥料」作りに挑戦したが思っていたよりスムースにできた感じである。何とか成功してほしい。

彼岸法要から

2019-03-21 21:22:17 | Weblog
 3月21日は、春分の日(彼岸の中日)である。我が家の菩提寺では、檀家が集まり彼岸法要を営む。この寺との関わりが出来たのは、父が死んだ20数年前からであるが欠かさず出席してきた。しかし、この法要が何んのために行うのかはっきり理解しないまま今日まで来てしまった。午前10時から本堂での法要には、近隣から130名ほどの人が集まり、僧侶の読経の中で過ごした。この法要は読経に続き法話が行われる。読経もさることながら、法話は、為になることが多く聞くのも楽しみの一つである。それが終わると準備された塔婆をもらいお墓を掃除しおさめた。

 今日の法話から幾つかを抜粋する。一つ、お盆の法要と、彼岸法要の違いである。これまでにも何度か聞いているので分かっているように思っていたが、忘れていた。僧侶の話では「彼岸法要は、一年で西方浄土が一番近くなる時期で、先祖との繋がりを考える法要で、この期間は、春分の日を挿んで前後3日間の7日間で、大乗仏教で云う徳を積むための六種の修行(六波羅密)がある。現世を生きる人間が、どこまで近づいているか確認する日であると教えられた。前の三日間は、布施(親切)、持戒(言行一致)、忍辱(忍耐)を実践しているか。後の三日間は、精進(努力)、禅定(真理)、智慧(修養)を追求してきたか考える6日間であり、その中日は、先祖に対峙し報告する日であると教えられた」因みに、お盆の法要は、西方浄土に渡った先祖の霊が帰ってくるので、それを迎えるために盆踊りや精霊棚を設け法要する。しかし、帰って来ても、何らかの理由で迎えられない霊もあり、その霊魂を癒すための「施餓鬼法要」お盆の前に行なわれる。

 二つは、ダイダイの実の話であった。これは先祖代々栄えるようにと云うことから、正月のお飾りや鏡餅の上に置かれるが、ダイダイの実は、秋になると橙色になり熟すが落果することはない。そして冬が過ぎ春となると、また青色に変わり秋になるとまた橙色になる。これを3年繰り返すという。このことから、この実を「同青燈」とも言う。それ故、この家が3代にわたって栄えると云う縁起のいいものである。三つは、今年の干支は、己亥(つちのとゐ)であり、亥は核に通じ中心をなす部分である。因って物事の芯をつくる年である。全ての始まりとなる年であるが、これには困難が伴うが、それを乗り切れば発展につながる年になる。これらの話が仏教とどのように関係するかは判らないが良い話であった。

 法話は、もっと多くの話を聞き感心したが、メモしなかったのでうろ覚えになってしまった。しかし、仏教のいう輪廻転生は、魂は、現世と霊界を行き来し生まれ変わるという。今の仏教は、どちらかと云えば葬式のための仏教ととらえられているが、六波羅蜜で示したように生きるためになすべきことを教え、衆民を救済する教えであることを改めて再認識した。

「日本平夢テラス」へ

2019-03-16 23:29:17 | Weblog
 寿会の仲間の3人は、「駿河TBG」のメンバーでカラオケの仲間でもある。この中では私が一番若いが年齢差は5才以内である。2人は、元気で年齢より若く感ずる。この3人は、日本平にできた「日本平夢テラス」に一緒に行こうと約束してきた。しかし、SUさんが、昨年末に足のアキレス腱を切ってその治療が長引いていた。日本平にいった人の話を聞くと、「階段やスロープが多く足が弱い人は困難だ」と云うことだった。そんなことから足が回復するまで待っていた。彼は最近「駿河TBG」にも参加するようになって足の状態も良くなってきたようだ。

 3月16日(土)は天気も良く、3人の都合がついたことから正午過ぎ「日本平夢テラス」に行くことにした。私が車を出し3人で出かけたが、SUさんも、ENさんもカメラとバックを持って車に乗りこんだ。どこか遠出するようないで立ちであった。私は思った。この老人たちは小学生が遠足に行くような感じではないかと。日本平には20分ほどで着いたがが土曜日と云うこともあって多くの人が見えていた。この「日本平夢テラス」の近くのロープウエーの駐車場に車を止めようとしたが、駐車場整理員からロープウエーに乗らない人は駐車できませんと断られた。梅園近くの路上脇のスペースに車を止め、150mほど歩いてスロープを登ると「夢テラス」に着いた。3階建ての建物で予想していたより小さいと思った。しかし屋外の回廊は一周200mほどあり、そこから富士山、駿河湾、三保の松原など展望できた良い施設であった。

 この建物は、県産の木材がふんだんに使われ、富士山を望む自然の景観と調和し、人々に癒しの空間を与えてくれる。この設計者は東京五輪のメイン会場である新国立競技場の設計を手掛けた隈研吾氏で斬新な感覚の建物であった。また一階の展示エリアには、日本平の歴史的成立ちや、この地に関わりのある人、痕跡などが紹介されていた。3階の展望エリアからは久能山と結ぶロープウエーは、見ることは出来なかった。残念なことではあるが、多分今後の開発により可能になるのでないか。富士山は少し雲に隠れ見ることは出来なかったが、南アルプスや龍双山そして、伊豆山系の山々、眼下に広がる静岡市の市街地、清水港などの展望を堪能した。

 その後、3人の老人は、ゆっくり歩きロープウエーの所まで行き土産物店で土産を買った。ここに来て土産などは買う予定はなかったが2人は、どこか遠くの観光地に来たようか感覚になっていたようだ。自動車のところまで下り、そこから日本平ホテルまで車を走らせた。新しくなったホテルに入ったことがないとの話からラウンジでコーキーを呑むことにした。展望が良い6階のラウンジで寛ぐと、会話もはずみリラックスできた感じになった。既に午後5時近くなっていたので来た道を通って帰ることにした。2人は疲れたのか車の中で寝ていた。
  

アトラクションの準備

2019-03-15 21:49:07 | Weblog
 TAさんから電話があったのは20日ほど前であった。彼は、鉄道の先輩で、昭和30年代NHK静岡管弦楽団?(名称は定かでない)でバイオリンを弾いていた。現在もバイオリン以外、マンドリン、ハーモニカなども扱い、ボランティア活動を行っている。丁度3年前の鉄道OB会総会の、アトラクションでも一緒に演奏会を行った仲間である。電話の内容は「今年の総会でも音楽を披露するよう依頼されたので、貴方(歌)とAさん(フルート)と私で演奏会を行いませんか」と云う話であった。練習のため3月14日19時にTAさんの家に集まることになった。そして「その時までに、どのような歌を歌うか考えて置いてください」と云った。

 この間どのような歌にするか考えた。アトラクションの時間は20分~30分であり、鉄道に関係する「鉄道唱歌」や「いい日旅立ち」ディスカバージャパンソング「知床旅情」新幹線のコマーシャルソング「クリスマス・エックスプレス」、みんなが知っている「花」「愛燦燦」そして最近歌った「Ich Lirbe Dih」などであった。しかし、他の2人も、考えているので、これは、私の希望曲として、各々3部の譜面を用意して出かけた。

 TAさんの家は、我家から車で5分ほどの所にあり、その一部屋に通された。ここは防音装置が施されていて大きな声を出しても良いと云った。3人が揃いTAさんから、アトラクションの方法を聞いた。最初はAさんがフルートの曲を独奏する。曲名は「ロンドンデリーの歌」「君といつまでも」、そしてTAさんは、ハーモニカ独奏で「道ずれ」「北国の春」を演奏する。その後3人の合奏を考えていた。そこで私が用意した曲の中から、2人の意見を参考に、且つ15分程度で歌える曲「鉄道唱歌」「花」「愛燦燦」「Ich Lerbe Dch」を選んだ。やはり、コマーシャルソングは、OBの皆さんには馴染みが薄いと判断したからであった。その後、3人が合奏する4曲を演奏し歌った。余り馴染みがない「Ich Lerbe Dch」は止めようかと思ったが、2人の反応は良かったので入れた。それ以外の3曲は「バランスが取れて良いのでないか」と云われた。通しで3回ほど歌ったが概ね15分以内でおさまった。初めてにしては上手くできた。

 次回(最終)の練習は4月8日(日)ここで行うことになった。それまでに各々が練習しレべルを上げることにした。私も4曲を暗譜で歌えるようにしようと考えている。それにしてもTAさんは高齢であるが初めて渡した譜面を、流暢に弾いている姿は、若々しく品があった。また、Aさんは、現在も静岡フィルハーモニー管弦楽団に属して演奏会などを行っていることからその演奏は素晴らしかった。私の歌が良ければ、きっと良い演奏会になるのでないか。

キンカンの甘露煮

2019-03-12 21:10:54 | Weblog
 今年もキンカンの木にたくさんの実が付いた。この実が橙色になるとヒヨドリやカラス等の鳥が来て啄むようになった。そこで1月中旬に木全体をネットで覆うことにした。このことは昨年もやり効果りがあったが、キンカンの実は啄まれることもなく日に日に色付いてきた。3月に入り幾つかの実は熟して落下するようになった。そこで3月11日午後2時ごろから収穫することにした。脚立に登り、棘のある枝から傷つけないように実を取っていった。今年もたくさんの実を付けたが、昨年に比べこぶりになった感じであった。3時間程かけ、全体の実の2/3ほど(約6kg)を収穫したが、あとの実は、小さいものばかりで、鳥たちが食べるよう残した。

 新鮮なうちに加工しようと11日夕方から12日に掛け、キンカンの甘露煮作りに入った。昨年もやっていて手順は分かっていたが、細かいところはネットを開き「甘露煮の作り方」を再読した。作り方は、先ず1時間ほど冷水に浸し水を切ってから、キンカン2kgほどを選び、その腹部4個所/個に7mmほどの彫刻刀で刺しキズを付けた。それを深鍋に移し、全体が浸るぐらいの水をいれ強火に掛け沸騰させた直後冷水をかけ冷ました。これからが、面倒な種だし作業である。爪楊枝で一個ずつキンカンの中の種を取り出していく。夕食後から始めて4時間こど掛けて種の取り出しは終わった。

 既に夜10時を回っていたが作業を進めた。それは、種を取った2kgほどのキンカンを深鍋に入れ、そこに水をキンカンが浸るように入れた。そしてハチミツ100g、グラニュー糖700gを入れ、中火で煮詰めた。ここではグラニュー糖を昨年より少なめに入れ約1時間ほどすると、とろみが出て飴色のキンカンとなるはずであった。しかし、とろみは出てこないのでその後20分ほど詰めたがとろみは、出てこなかった。どうも水量が多かったのか、もう少し煮詰めなければならないようであった。一つキンカンを取り出し食べたが少し甘みが薄く酸味も感じた。しかし、既に時間は零時近くなっていたのでこの続きは明日朝からやることにし、コンロの火を消した。

 12日朝から、またキンカンの甘露煮つくりに入った。とろ火で一時間ほど煮込むと水分も少なくなって艶のあるキンカンが鍋全体に広がっていた。火を消してからレモンを絞って鍋の中に入れた。その一つを食べると酸味も消え深みのある甘露煮が出来たようであった。キンカンの甘露煮づくりは今年で3年目となるが、今年のものは昨年のものより良く出来たとは思えないが、失敗ではないと感じた。時間をおいて冷ました甘露煮を400CC入れの容器に小分けすると7パックで来た。収穫から甘露煮づくりまで10時間ほど掛かったが達成感は大きい。この甘露煮は、昨年と同じように友人や近所の人に配ろうと思う。

 

井戸の修繕

2019-03-11 21:49:28 | Weblog
 3月1日にも記したが、我家の井戸のポンプから水が噴き出し辺りが水浸しになった。その時は驚いたが、確認するとポンプに穴が開き、そこから勢いよく水が出ていた。すぐ電源を切り収まったが、我家に水道もあり直接困ることはなかった。そこで、今後水道だけにするかポンプを直し復元するか考えた。いろいろ考えたが、ないことの不便さの方が勝りポンプを直すことにした。しかし、市内の井戸業者数軒に連絡したが、すぐに直すという業者はなかった。ただ、一軒の業者から「ポンプ販売業者を紹介します」と云われた。その販売業者は、2時間程して見え10分ほど眺めて帰って行った。井戸業者に施工を依頼、業者が見えたのは3月12日午後であった。

 年度末であり、公共事業などが集中し、どの業者も忙しいとのことであったが、私は勘違いしていた。配管等取り替えを行う水道業者は忙しいが井戸業者は、影響ないと思っていた。しかし、この2つの業種は分類されることもなく仕事を行っていて、その施工の中でポンプの取り替えがある場合、専門業者に委託していることであった。今日のポンプの施工業者は、先日見えた販売業者とも違った別の人であった。聞くと「販売業者から依頼された」と云い、その系列会社で施工を担当している人のようであった。

 独立して行っているようで、年齢は50代半ば方であったが、丁寧な受け応えで、安心できる人に思えた。取り替え前に、今まで使ったポンプの劣化の状態や、取り替える新しいポンプの性能など説明し「新しいポンプは、形は小型ですが、性能的に吸い上げ力は強く、貸与年数は5年となっていますが、部材も改善されていて、丁寧に使えば20年以上は持つこと」など話してくれた。作業に取り掛かったが、ポンプは、母屋の北側の幅50cmほどの狭い空間で、ほぼ屈んでの作業で大変なことと思ったが慣れた様子で旧ポンプを外した。そこにつながる配管も鉄部は腐食が進行していたが、その腐食部を取ってからコウティングした。その後私は、部屋に入ったが、その後部材の交換などして新しいポンプに取り替えたようだ。そして3時間程した後、私に出来上がったので確認するように促された。

 蛇口をひねり放水すると、勢いよく水が出た。その突出量は、旧ポンプに時より2倍ぐらいの量に感じた。ホースから出る距離も以前とは比較にならないほど遠くにまで噴射した。その方も言うに、ろ過装置も砂が詰まりあまり機能していなかったので取り替えたと話したが、勢いよく水は出るようになった。そして、以前は散水するたび、モーターの音がしていたがその音もなくなっていた。一時は井戸を止めようと考えたこともあったが、今は、取り替えたことを良かったと思う。

春の音楽祭

2019-03-10 21:31:47 | Weblog
 3月10日(日)グランシップ劇場で「春の音楽祭」が行われた。今までに、この音楽祭のことを聞いたことがないので今回が初めてなのかと思った。現職時代の友人が、オーケストラのフルート奏者で、そこから情報をもらった。そのパンフレッドから、こ音楽祭はこのオーケストラと県内の中学生、高校生、大学生が参加しダンスとコーラスなどを行い、スペシャルゲストとして「May J.」が招かれていることを知った。若い世代の人達が、どのような音楽祭を創るのかを知りたく見に行った。

 このグランシップの大ホールは、静岡で一番大きな劇場である。ここに、スペシャルゲストの「May J.」は入るが、これ以外は、概ねアマチュアの皆さんであり、どのようなパフォーマンスを見せるか期待した。午後3時の開演であり20分ほど早く会場に着いた。既にS席は、満席になっていて、A席も8割方埋まった状態であった。会場のレイアウトは、舞台上にオーケストラと合唱団が入り、後方の正面観客席との間に1000㎡ほどの四角な空間が作られ、そこでダンスや体操と云ったパフォーマンスが行われることになっていて、それを囲むように観客席が設けられていた。この空間は、大海原を連想させるような空間で、ここでダンスや体操が繰り広げられるようになっていた。

 演奏曲は、全部で18曲を数え、休憩もなしに続いた。これは映画音楽であり、バレー曲や、交響曲などであったが、それに合わせて合唱、ダンス、体操等が繰り広げられた。指揮者は松沼俊彦氏であったが、身体全体を使ってのエネルギッシュな演奏は、質の高い音楽を提供してくれた。この演奏会の主要メンバーは、各地から集まった学生たちであり多くの時間を費やしての練習は無理で、短期間のうちに集中して行われたものと思ったが、よくここまで作り上げたものと感じた。その中でも、合唱団のハーモニーは整った奇麗な響きであった。そして、この音楽祭のイメージソングを創った澤崎成美さんは、応募した多くの曲の中から選ばれた「未来への軌跡」を歌ったが、これを聴いて、今後も続くであろうこの音楽祭の展望を開くことが出来る曲であることを確信した。「May j.」は”My heart will go on”や”Let it go~ありのままに~”など3曲を歌い、伸びのある歌声は観客の全ての人を魅了した。

 会場に来て知ったが、この催は、グランシップ20周年記念として行われたものであったが今後も続けることになり来年2月23日(日)が次回行われることになった。今後は更に磨きをかけ、今年以上の音楽祭が出来ることを楽しみに待ちたい。































































































































































































































































































































カラオケ店へ

2019-03-07 21:59:58 | Weblog
 午前中庭に手入れをしていると、TBGの仲間2人が見え「カラオケでも行こうか」と誘われた。今日は午前9時から「駿河TBG」の競技会が予定されたが、朝方7時頃幹事から電話があり「雨で明日に順延する」と云った。そこで、庭に出ているときの話がある。すぐ3人は纏まったが、他に2人を誘い5人で行くことにした。5人が決まり、出発は午後2時に私が車を出し、よく行くAカラオケ喫茶に行くつもりでいた。

 午後2時に車を出し近所の5人を乗せカラオケ店に向かった。東名高速静岡IC近くにその店があるが行くが臨時休業の看板が出ていた。普段日曜、祭日以外が済むことがなかったのにと思いながら、別のカラオケ店を探すことにした。5人の仲間の一人が、この店から500mほど離れたカラオケ店を知っていてそこを探しながら行くと一軒のカラオケ店に着いた。駐車場にはほぼ満杯の車が止まっていたが、何とか止めることが出来た。受付で聞くと、5人では少し小さい部屋と云ったが一部屋空いていたのでそこに決めた。しかし、この店に入るカード誰も持ってなかったため、誰か一人がカードを作ることを促され、私が作ることにした。免許証を見せ、住所、名前、年齢等聞かれ、カードを発行してくれた。何故このような気分証明が必要なのか分からなかったが、これがないと入れないことから代表して書いた。

 カラオケルームは、5人が入るといっぱいになるような部屋であった。そこにあるタブレットを操作し、リクエストする曲を選ぶと、始めて画面にカラオケのメロディーが流れるようになっていた。5人の内私が最年少であり、その担当をした。5人は、概ね演歌をリクエストしていた。以前私がシャンソンやカンツオーネも歌うことがあったが、何か場にそぐわない感じがしていたので今日は、他の4人に合わせ演歌のみ歌おうと決めていた。5人がリクエストした曲を、タブレットを操作して順番に歌うようにした。最初はこの操作がスムースに行かずやり直しすることも何度かあったが、慣れてくるとスムースに入力でき常に5曲以上内在できるようになった。その間に、別の人が自動販売機でアイスクリームやコーラなどの飲み物を持ってきてくれた。全員が6曲ほど歌うと、リクエストするスピードが鈍くなって満足した様子であった。時間も3時間以上歌い午後5時近くなったので終わることにした。

 会計は思ったより安く、一人600円ほどであった。外に出ると、日中は日差しもあり暖かかったが、この時間になると寒さを感じるようになった。5人は、車に乗り家路を急いだ。この5人は同じ町内で気心も知れた人ばかりである。車の中でも会話が弾んだ。その中に一人の女性でいたが「今日も楽しく歌うことが出来た。また誘ってくださいね」と云って最初に降りた。その後3人を、順次家に送ったが皆さん満足した様子であった。

静大OB混声合唱を聴く

2019-03-03 21:35:16 | Weblog
 先日行われたヴォーカルコンサートで一緒に出た人から静大混声OB合唱団コンサートのパンフレッドを頂いた。この人は、伸びのある声と豊富な声量を持っていて、ヴォーカルコンサートの中では、一番上手い方だと思った。年齢は40代ぐらいであったが、多分若い時から音楽の中で生活している人のようで、今は学校で音楽の先生でもしているのかと思った。私は、今まで上手い合唱は聴いたことがなかったし、静大の合唱は、評判が良かったので聴きに行った。

 3月3日(日)清水マリナートで14時30分から行われ、受付でチケットを購入し会場に入った。一階の中段のやや右側に座り周りを見ると、以前男声合唱団に在籍していたときの人やS学苑の同窓など何人かの人が聴きに来ていた。演奏が始まるまでの間パンフレッドのメッセージを読んでいた。そこには、この静大混声合唱祭が4年に一度行われ、OBと現職が合同で結成されていることを知った。演奏は合唱が主体であったが、清水フィルハーモニー管弦楽団が協賛していた。プログラムの内容もA・ブルックナーの≪宗教的合唱曲選集≫やW.Aモーツアルトの≪荘厳ミサ≫等レベルの高い曲が選ばれていた。

 混声合唱団員は全部で50名ほどで、概ね各パート同数で丁度良く組分けされていて調和のとれた響きとなっていた。それに声がみずみずしく張りのあることも感じた。その中にパンフレッドをくれた人もいて、その人の声を聴きとろうとすると合唱のなかでもよく分かった。演奏した合唱曲は、私にとって全体的に、レベルの高い曲ばかりで、分かりづらさはあったが、良く練習されていることを感じた。オーケストラをバックに合唱した、J・シベリウスの交響詩「フィンランディア」作品26は、私も知っている、よく知られた曲でオーケストラも合唱も力のこもっていて一番感銘を受けた演奏であった。休憩をはさんで、モーツアルトの晩年のミサ曲で『ミサ・ソレムニス』を合唱と4人のソリストも入って締めくくった。なかなか難しい曲で、ソリストと合唱がうまくかみ合っていないところもあったように感じたが、それでも互いにカバーでここまでまとめあげたと云った感じであった。そんな中でもメゾ・ソプラノのパートを歌ったソリストの声は素晴らしく後まで余韻が残る歌声であった。

 静大合唱団の演奏と云うことで、行く前は有名大学のグリークラブが行うような演奏をイメージしていたが、実際は違っていて難しいものを選び過ぎたのではないかと思った。しかし、この合唱団の中には、静岡のアマチュア合唱をリードしている人がたくさんいるようで、一人一人の能力は高い。しかし、卒業し互いに違った土地で生活している人を集めて短時間に仕上げることは大変なことであったと思う。そのことを考慮するならよくここまで纏めあげたと感心する内容であった。