今日は2つのことについて記す。一つはOB会静岡地方本部の総会である。4月以降OB総会に3回出席している。何故そのように多いのかと言うと、国鉄が民営分割して数社に分かれたが、そのOB組織も各々分かれた。私が属するOB会は、東海地区のOB会で東海鉄道OB会と言いJR東海とJR貨物東海支社のOB組織である。その下部組織に東京、静岡、名古屋、大阪に地方本部があり、その下に支部がある。その各々に出席したことであり、今回は静岡地方本部OB会の総会である。
総会は静岡駅近くのT会館でAM10時30分から開かれた。26支部から支部長と事務局長の52名、それに来賓としてJR東海、JT貨物の支社長等を招いて60名近くが出席した。
内容は平成21年度の事業報告と決算報告、それに平成22年度の基本方針(案)と予算(案)の審議それに現状報告等があった。それらは静岡OB支部総会、東海鉄道OB会総会と同じような内容であり割愛する。しかし全てに言えることは、OB会組織が減少の傾向にあることを、今後どのようにしていくかの議論が多かったと思う。定年の延長や本体JRの退職者が少ないことにもよるが、OB会に魅力を感じず、入らない人も多いのが現状である。そして高齢者が多いことから、死亡等で減少する人員は加入者を上回っていることも事実である。
とは言えこの総会はS鉄道管理局在職当時の人達と会えたことは良かった。
PM3時ごろ、家に帰えると妻から留守中にM君が死んで、通夜と葬儀の連絡があったことを聞いた。M君は私がJR退職して関連会社のN社いたとき、同じようにN社に入って来た後輩である。そして私が辞めたとき、引き継いだのは彼であった。新幹線の大型機械保線の検修技術は彼をおいていないと言われた人間であった。その彼も3年ほど前にN社を辞め、湖西市で元気にいると聞いていた。年賀状からも変わった様子は伺えなかった。それが突然の訃報である。享年68歳はいかんせん若すぎる死であった。
通夜は今日PM6時から湖西市あらい斎場で、葬儀は明日AM10時から、同じ斎場で行われるとのメモがあった。明日、当時の仲間と葬儀に参加しようと考えたが、明日は、別の用事があることを思い出し、急遽通夜に行くことにした。直ぐ家を出て、新幹線で浜松まで行き、新居町駅に着いたのはPM6時少し前であった。タクシーで斎場まで行ったが、既に通夜は始まっていた。
ここへ来るまで、もしや間違いではないかとの思いもあったが、祭壇に飾られた彼の遺影を見て現実であることを知った。しめやかな通夜であった。奥さんや子供さん、お孫さんに囲まれた、落着いた余生が感じられた。
当時の何人かの友人が来ていたが、会釈のみで余り深い話はしないで帰ってきた。人間のはかなさを感じた。彼の冥福を祈る。
総会は静岡駅近くのT会館でAM10時30分から開かれた。26支部から支部長と事務局長の52名、それに来賓としてJR東海、JT貨物の支社長等を招いて60名近くが出席した。
内容は平成21年度の事業報告と決算報告、それに平成22年度の基本方針(案)と予算(案)の審議それに現状報告等があった。それらは静岡OB支部総会、東海鉄道OB会総会と同じような内容であり割愛する。しかし全てに言えることは、OB会組織が減少の傾向にあることを、今後どのようにしていくかの議論が多かったと思う。定年の延長や本体JRの退職者が少ないことにもよるが、OB会に魅力を感じず、入らない人も多いのが現状である。そして高齢者が多いことから、死亡等で減少する人員は加入者を上回っていることも事実である。
とは言えこの総会はS鉄道管理局在職当時の人達と会えたことは良かった。
PM3時ごろ、家に帰えると妻から留守中にM君が死んで、通夜と葬儀の連絡があったことを聞いた。M君は私がJR退職して関連会社のN社いたとき、同じようにN社に入って来た後輩である。そして私が辞めたとき、引き継いだのは彼であった。新幹線の大型機械保線の検修技術は彼をおいていないと言われた人間であった。その彼も3年ほど前にN社を辞め、湖西市で元気にいると聞いていた。年賀状からも変わった様子は伺えなかった。それが突然の訃報である。享年68歳はいかんせん若すぎる死であった。
通夜は今日PM6時から湖西市あらい斎場で、葬儀は明日AM10時から、同じ斎場で行われるとのメモがあった。明日、当時の仲間と葬儀に参加しようと考えたが、明日は、別の用事があることを思い出し、急遽通夜に行くことにした。直ぐ家を出て、新幹線で浜松まで行き、新居町駅に着いたのはPM6時少し前であった。タクシーで斎場まで行ったが、既に通夜は始まっていた。
ここへ来るまで、もしや間違いではないかとの思いもあったが、祭壇に飾られた彼の遺影を見て現実であることを知った。しめやかな通夜であった。奥さんや子供さん、お孫さんに囲まれた、落着いた余生が感じられた。
当時の何人かの友人が来ていたが、会釈のみで余り深い話はしないで帰ってきた。人間のはかなさを感じた。彼の冥福を祈る。