JR東海を退任してから、関連会社のN社に12年間お世話になった。JR時代は転勤の連続であり、家族を連れての転居は常であった。そんな生活にピリオッドを打ったのは、平成2年静岡に住む両親と同居してからである。それから現在まで
ここを終の棲家として地元に溶け込む生活を心掛けている。
N社は東京に本社があるが、それでも12年間静岡の支店に勤務させてもらった。ありがたいことである。
こうしたケースは稀であり例がない。静岡駐在が支店に昇格したばかりであり、最初は苦労もしたが、2~3年経ってからは多少余裕が出てきた。マンネリ化してはならないと自分自身にモチベーションを高めるため、目的を持って努力したことを思い出す。
東京に転勤の話もあったが、理由を付け丁重に断った。
しかし同じところに居たことから、静岡ならではの仕事も覚えたし、人間関係も上手く構築できたと思っている。辞めてからも懐かしく思い出されるし、いい経験をした。
そんな折、N社の社内誌が届いた。
この社内誌は四半期に一度発行されるもので、私が在任中に創刊号が発行されたもので、内容の変更は多少あったが、基調に流れるのは安全への啓発と取組みである。在任中頼まれて2度ほど寄稿したが、社員の心に訴えるものにしようと苦労して書いたものだ。届いた社内誌も、社長の寄稿文は、「気持も新たに次の10年へのスタートを切ろう」であり、会社幹部からは「作業責任者が真のグループリーダーになるために」「サテライト部故障時の暫定モード作業について」「1人ひとりカケガイのない人を肝に命じて」と言ったタイトルの文章が書かれている。
鉄道の安全を担う重機械群(保守用車)を扱う会社であり、軌道狂いを1mmの精度に守る仕事である。
一寸した油断が大きな事故に繋がる恐れがあり、日々緊張の連続であった。
夜中に携帯電話がなると、飛び起き対応したし、現地にも急行した。問題があれば徹夜もして原因を究明して対策を講じてきた。
この社内誌を読んで、そうした過去のことを思い出させる。今こうして自由に生きているが、後輩の皆さんが頑張っていることに感謝をしたい。
ここを終の棲家として地元に溶け込む生活を心掛けている。
N社は東京に本社があるが、それでも12年間静岡の支店に勤務させてもらった。ありがたいことである。
こうしたケースは稀であり例がない。静岡駐在が支店に昇格したばかりであり、最初は苦労もしたが、2~3年経ってからは多少余裕が出てきた。マンネリ化してはならないと自分自身にモチベーションを高めるため、目的を持って努力したことを思い出す。
東京に転勤の話もあったが、理由を付け丁重に断った。
しかし同じところに居たことから、静岡ならではの仕事も覚えたし、人間関係も上手く構築できたと思っている。辞めてからも懐かしく思い出されるし、いい経験をした。
そんな折、N社の社内誌が届いた。
この社内誌は四半期に一度発行されるもので、私が在任中に創刊号が発行されたもので、内容の変更は多少あったが、基調に流れるのは安全への啓発と取組みである。在任中頼まれて2度ほど寄稿したが、社員の心に訴えるものにしようと苦労して書いたものだ。届いた社内誌も、社長の寄稿文は、「気持も新たに次の10年へのスタートを切ろう」であり、会社幹部からは「作業責任者が真のグループリーダーになるために」「サテライト部故障時の暫定モード作業について」「1人ひとりカケガイのない人を肝に命じて」と言ったタイトルの文章が書かれている。
鉄道の安全を担う重機械群(保守用車)を扱う会社であり、軌道狂いを1mmの精度に守る仕事である。
一寸した油断が大きな事故に繋がる恐れがあり、日々緊張の連続であった。
夜中に携帯電話がなると、飛び起き対応したし、現地にも急行した。問題があれば徹夜もして原因を究明して対策を講じてきた。
この社内誌を読んで、そうした過去のことを思い出させる。今こうして自由に生きているが、後輩の皆さんが頑張っていることに感謝をしたい。