Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

帝釈寺大祭に出席

2019-08-25 16:05:45 | Weblog
 帝釈寺は我が家の菩提寺で曹洞宗の寺である。徒歩15分ほどの所にあり父が健在であった平成2~3年頃墓地は購入した。その後両親は他界し今そこに眠っていることから、お寺の行事には極力出席するようにしている。彼岸会、施餓鬼会、盆供養、8月24日の大祭などは出かけて説法を聴くようになったが、お経や説法は、最初の頃は、理解できず苦痛に感ずることもあった。しかし、今はおぼろげながら仏教のことが分かるようになったような気がする。だが、これらは檀家として最小限の知識であり、深くは分かっていない。それでも、毎朝の仏壇への拝礼や、週1回ほどの墓参りは欠かさないようにしている。

 8月24日、帝釈寺の大祭に出席することから、事前に、この寺のことを調べた。帝釈寺略縁起によると、開創は寛正2年(西暦1461年)で、京都六波羅密寺、空也上人の門徒 釈量法師が、諸国念仏、歓心のため当地に来儀し衆人の疾苦を憐み、帝釈尊天と護国四天王のご尊像を彫刻祈念した。当時疫病が蔓延し衆人が苦痛悩乱していたことから、立処に霊剣を供え平癒したとあった。因って報恩感謝のため、お堂を建立した。永禄3年(西暦1560年)、大正寺四代長江宗慶和尚を開山として迎え、以降、疾病、雷電の被災なく、特に夏病しない本尊様として信仰を集めた。このことから、真夏の8月24日を縁日として大祭を開くようになった。本尊は帝釈天は、須弥山三十三天部主神であり、仏法の守護、財宝の神として祭られ、家門隆昌・商売繁盛の武神である。それ故毎年8月24日は縁日として花火、演芸奉納し祭典法要が営まれている。また「三十三年に一度」のご開帳を厳修し現在に至っている。

 本堂で行われた法要は17時から始まったが、15名ほどの僧侶が読経するのは圧巻である。玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典は657部で膨大なものであった。その内、16部600巻(480万字)を翻訳し経典にしたのが「大般若経」であると聞いたが、それを15人の僧が空読する様は、聞き応えがあった。この「大般若経」を凝縮(262字)したものが「般若心経」であると云う。集まった檀家衆は200人程であったが、お子さんを連れた家族も何人かいたが概ね常連の檀家が占めていた。その後祈祷して頂いたお札をもらい外に出た。境内には仮設の舞台が整い、近隣から集まった人達が演芸の始まるのを待っていた。屋台も出て賑やかな空間があった。

 私は、その後墓参りを済ませ、境内に広がる芝生に座って演芸の始まるのを待った。案内のパンフレットに、県立大学の生徒が、ア・カペラを歌うようなっていたのでそれを見て帰ろうと思った。しかし、どうも、時間が経ってもア・カペラは始まらなかった。どうも変更になったようで、学生のチアーガールの踊りに変わっていたようであった。それを見てから家に帰った。
 

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