Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

ガジュマルの盆栽

2017-07-31 22:00:30 | Weblog

 家を離れた娘が育てていたガジュマルの盆栽が大きくなり、手に負えないと我が家に持ってきたのは2年ほど前であった。育てやすいと云われるこの木も我が家に来てからは元気に育ち樹高も3倍以上になった。そこで鉢も昨年末に大きなものに変え、冬の間は日があまり当たらない玄関脇に置いた。しかし寒さにやられたのか葉が枯れて落ちるようになった。そこで玄関の中に入れ様子を見たが、それ以降は枯れることもなく新芽を出すまでに回復した。

 それからは、日が当たるところに移し毎朝の水やりなどしていたが、最近水やりしても鉢の面から水が浸透しないで残っている時間が長く感ずるようになった。しかし、半年ぐらい前に鉢を大きなものに変えたばかりであり目詰まりなどありえないと思っていたが、そのうちに新芽が黄色に変わり、葉の先端が黒くなりそれが広がっていった。鉢の周りには黒茶色になった葉が落ちていた。この状態が一週間ほど続き心配になった。そこでインターネットで調べると、植え替えのときの方法が間違っていたのでないかと思った。そのとき根も敷石用の発泡スチロールもそのまま移し替えてだけで空いたところに庭の土を詰めただけであった。

 そこで鉢の中の土の入れ替えをしようとホームセンターに行き、観賞用植物の土と敷石用小石を買った。植え替えは4月から7月の天気が安定した朝が良いと書いてあったことから、今朝7時ごろ鉢の土を入れ替えることにした。根は鉢の底から突き出し20cm近く伸びていたが、それをハサミで切り落とした。鉢から根を外すにも詰まっていてなかなか出なかった。何とか外すと根が張っていて、発泡スチロールや網ネットも巻き込み一塊になっていた。そこでホースで水をかけ少しずつほぐしていったが根が回っていてほぐすのに長い時間がかかった。土を取り除くと根は全体の半分ほどになっていた。この状態から鉢は替える必要はないと思い、以前の鉢を使い網ネットの上に敷石を並べ新しく買ってきた観賞用植物の土を割り箸を使い詰め、庭の日陰になっているところにガジュマルの鉢を置いた。

 娘が観賞用に購入したときは高さ30cmほどのガジュマルの木は現在高さ1mほどになっている。この木は高さ10m~20mにもなる大木である。しかし根が盛り上がってきて盆栽にすると根の膨らみと枝は伸ばさない葉のコントラストが良いことから人気があるようだ。しかしその技術は私にはないのでこれからどうしようか悩んでいる。極力樹高を低くしようと思うが、娘から預かっているものであり今はこの木が丈夫に育ってくれることだけを願っている。


貰った本から

2017-07-29 15:10:14 | Weblog

 第2、第4火曜日の午後1時30分からS学苑静岡校で音楽のカルチャー講座を受けている。女性群の中の男性2名であるが、その方と私は、ほぼ同じくらいの年配者である。いつも並んで受講していて話などするが、互いの年令など知らずに過ごしてきた。その彼から1冊の本を頂いた。100頁ほどの薄い本であったが、その著者の苗字が彼と似ていたので「貴方が書いたのですか」と尋ねると「いや友人が書いたものです」と云った。「いいじゃーん しぞーか」と云った方言をそのまま使った題名であった。

 家に帰って読むと著者はMAという女性であり10篇ほどのエッセイというか紀行文を纏めた内容であった。それに年齢も私と同じくらいで、その内容の幾つかは私も経験していて、同様の感情に浸ることが出来た。一時間ほどね読み終えた。この女性は静岡の学校の先生をしていて、想像するに高校か大学の講師をしているようであった。そのころから文筆活動はしていたが、定年退職してからは本格的に活動するようになったようだ。

 この方はエッセイグループ「草萌の会」会員でその編集に携わっているし、静岡県文学連盟会員でもあり、幾つかの賞を受賞していることからその分野では良く知られている人であると思った。そのような立派な人の文章を寸評することは失礼であり行わないが、この中で久能山東照宮の舞台で元旦踊りを披露されたことが綴られていた。その帰りの仲間との話の中で「東照宮の音頭を作り、皆で輪踊りしたら楽しいでしょうね」ということになり彼女が作詞することになった。出来たのは「行かざあ音頭」という5番まである歌詞であった。この詩に曲を付けたのがNA氏である。

 NA氏は、8月6日にグランシップで行われる「音楽の広場」の合唱の指導者で私も指導を受けている。彼も静岡で住職をしていて趣味で音楽活動をしていると聞いた。彼の音楽に対する造詣の深さには感心させられている。またMA女史はエッセイの中で知ったが、私より2歳若いことが分かった。また一時期同じ学校に通っていたこともあったようだ。NA氏もMA女史も、年齢的には私より若いが立派な業績を積み上げ活躍している。こうした人達は静岡を代表する文化人といえる。彼らが作ったこの歌が流行ってくれることを願っている。

 

 

 


草刈り機を使う

2017-07-27 22:45:02 | Weblog

 昨夜から明け方まで雨が降っていた。この20日間ほど雨が降らなかったので恵みの雨といえる。我家の庭の家庭菜園の野菜や木々は葉を伸ばし安堵した様子である。同様に雑草も茂り緑に覆われた。今日の日中は温度も上がらず曇り空とあり、庭の雑草取りをすることにした。午前中は、S学苑のカルチャー講座があり出席したが、昼食を食べ午後2時過ぎから雑草狩りを始めた。とはいえ草刈り機が動くかは、いつも思い悩む問題である。一年に3~4回使っているが、エンジンがかからず往生したことがあった。そのとき修理に出したが、修理屋から「燃料はすべて使い果たしてください。そうしないと固渋して次の時動かなくなりますよ」と云われた。

 それ以降は、使うたび燃料を使い切ることにしているが、それでもエンジンがかかるか不安な気持ちでレバーを引く。今回は4~5回目に掛かかりほっとした。ヘルメット、防塵眼鏡、マスク、ゴム手袋、長靴姿で作業を始めた。草刈り機の音は大きく近所に迷惑であるので、短時間に終わらせよう心がけている。木々や塀などの障害物を避け草刈り機を扱うのは骨の折れる。カボチャの蔓やアジサイの幹なども刈り込んでしまったがこれもやむ負えない。そして20分ほどで作業は終わった。

 短時間だが疲労困憊した。シャワーを浴びてから30分ほど仮眠をとった。妻には「今日中に庭と焼津の駐車場も草刈を行う」ことを言ってあったが、疲れてすぐ焼津には行くことが出来なかった。午後4時ごろ自動車で焼津に向かった。駐車場には一台の車もなく作業はやりやすかったが、ここの地面は小石が敷きつけられていて、車止めや区切り線(黄、黒)のロープが敷いてある。ここを避けながら草刈り機を動かした。時々石に当たり火花が出たり小石が飛んできたりした。それでも30分ほどで草刈り機の作業は終わった。妻は車止め個所や土留めの脇などを手作業で取ってくれた。

 取った雑草を袋に詰め、車に収めるまで約1時間30分ほどであった。汗まみれになった体をすぐ脇にある公園の水道口で洗い流し着替えた。確か1か月半ほど前に来て雑草取りと、除草薬も撒いたが、それでも雑草は相当生えていた。大きいもので20cmほどはあった。しかし作業を終わり見わたすときれいな広場が広がっていた。ここは住宅地の一角にあり、雑草の苦情が来ないよう心掛けているが、よる年波には勝てずこの作業も大変になってきている。それでも体が動くまで行うつもりだ。


「T・B・G」に参加して

2017-07-25 22:02:56 | Weblog

 7月25日は地区の「駿府TBG」の交流会が有度山総合スポーツ広場で行われた。競技は午前中であったが気温は30度以上あり老人にとってはきつい競技会になった。今回の参加者は14名(会員16名)であったが、これは、熱中症などの心配で欠席したと聞いた。今日の競技の進め方は、前半9ホール、後半9ホールを行い、前半、後半各々に順位を決め、そこで表彰する変則的方法で行うことになった。これは多くの人に入賞のチャンスを与えたいとの意向から決めたものであった。

 4組に分かれて競技は始まった。私たち4人は6番コースからスタートした。このメンバーで私が一番の年少者であった。年齢は80代が2人、70代も2人であった。80代のFUさんはこの中では一番良いスコアーを出している人で、他の3人はほぼ同じくらいのスコアーで回っていた。私は練習などしていないが最近はコツがわかったのか時々良いスコアーが出ることがある。6番ホールはショートホールでホールインワンが狙えるところで、私もクラブを短めに持って打ったが残念ながらOBとなった。しかしその返しがよくボギーに抑えた。

 最初の失敗はあったが、その後は順調に行き5ホール目まではFUさんと同スコアーであった。6ホール目はミドルコースであるが、ここは2打目の打ったところにフェアーウエーを横断するようにバンカーがある。そこで2打目はバンカーの手前にボールを置き3打目に直接ホールを狙いバディーとした。ここから3ホールはすべてバディーで締めくくった。FUさんをここで引き離し、私は2アンダーのトータル25でホールアウトした。FUさんは1オーバーの28、YAさんは32、AMさんは33であった。久しぶりによいスコアーが出た。14人のスコアーが集計されたがその中でも私が一番であった。優勝の経験は2年ほど前に一度あったが、その時よりもよいスコアーであった。

 前半とは言え優勝は気持ちの良いものである。そのあと後半の9ホールが始まった。そのとき会長のISさんが熱中症の気配で欠場したことから私はISさんのメンバーに入った。私が入って3人でこの組にはENさん、TAさんがいたが、年齢的には3人とも同年代である組に入った。こうした環境の変化が響いたのか、1番ホール2打目に打った球がバンカーに捕まり、そこから出すのに、苦労してダブルボギーの6打となった。その後は何とかスコアーを纏めたかに見えたが最後のホールで大叩きしトータルスコアーは34と前半より9打も多いスコアーになった。気のゆるみはなかったとはいえ上手くなったと思った瞬間どん底に落とされたような結果であった。偶にはまぐれもあるが地道の努力がない限りコンスタンのスコアーは出ないことを悟った。


オーケストラ合わせ

2017-07-23 22:12:14 | Weblog

 グランシップで行われる真夏の音楽祭「音楽の広場」は本番まで2週間を残すのみとなった。この日(7月23日)は合唱とオーケストラとの合同練習が行われた。今日は直接、広上マエストロも来て指導していただく重要な日である。今回合唱で出ることを決めたとき、この日までに暗譜できる状態に仕上げたいと思っていた。しかし今の状態はとてもそこまではいかない状態であり少し焦ったが勇気をもって参加した。今日のスケジュールは、午後2時からオーケストラと合唱は別々の会場で練習を行い、午後3時30分から大ホールに集まり合同の練習に入ることになっていた。合唱会場は、グランシップ10Fの大広間であった。そこにはグランシップで練習していた仲間以外に、山梨からの約50名も加わっていて全部で450名の大合唱団となっていた。

 前半は、合唱団だけの発声練習から始まり、本番で歌う数曲を450人の合唱団で歌った。これは今まで練習とは違って重量感のある声であった。特に山梨から参加した人達の声は大きく完成度が高かった。各パートごとに並び歌ったが、私の周りの人は完成度が高く、自信がある声に圧倒された。私は、まだリズムに乗れず、歌詞もよくは理解していない状態であり、思い切った声を出せないでいた。ただ周りの声に引きずられて小さな声を出していた。 

 後半の合同練習は大ホールに移った。ここでは広上マエストロ指揮で各曲を演奏し指導を受けた。直接合唱の指導はなかったが、オーケストラの各楽器演奏者に細かな指導があった。オーケストラの演奏の中で一つの楽器の違いを見つけ適切な指摘を行っていた。これは当たり前のことなのかもしれないがその音楽的知識の豊富さに驚いた。合唱団も、マエストロのタクトさばきで抑揚のあるハーモニーを醸し出していた。私は、まだその中に融合できてはいないが声を出した。初めて分かったが、今回は10回目の節目となる音楽祭であり、演出にいろいろな工夫がなされていた。その演出の意図も少しわかったような気がした。

 この音楽祭も、内容が充実し魅力的演奏会になっている。聞くところによるとすべてのチケットが完売したと聞いた。これには指揮者をはじめ多くの関係者の努力があったものと思うが、ここでも、その熱意が感じた。それに引きかえ、私はまだ未完成な状態である。残された2週間、この音楽祭のため多くを費やし本番で最大限のパフーマンスができたなと思っている。


カエデの葉が落つ

2017-07-22 21:29:22 | Weblog

 今年は庭木に剪定をこまめにやった。寄る年なみなのか、樹木への愛着が増し植木屋になったような気分になって樹を見る時間が多くなった。6月上旬から7月上旬のにかけ約一か月間、朝早く起きて庭作業を行ってきた。一日1時間から2時間程度であったが約20日間行った。剪定した枝葉はまだそのままになっているが整った木々が生き生きしている姿を見るのは楽しい。中でも門の脇にあるカエデの剪定は時間をかけた。このカエデは枝葉が横より上に向かって伸び密集するタイプで、その密集した葉にイガラの幼虫が発生し触ってしびれたような痛さを何度も経験した。イガラに食べられた葉は、枝のみが不自然に伸びていて格好が良いカエデとは言えなかった。

 そこで上に伸びる枝を切り、横に張った枝を伸ばす剪定を行った。これで秋の紅葉と落葉して赤黄色のじゅうたんのようになった周辺を思い描いた。丁度薄日が漏れる山カエデの様な枝ぶりになった。しかし7月中旬になって赤みがかった葉が落ちるようになった。なぜこの時期にこうしたことが起きるのかわからなかったが小砂利を敷いた路面に葉が落ちていた。考えるに暑い日が続き、カエデに水やりが少なかったことが原因かと思った。それ以降は毎朝多めに水やりをするようにしている。

 しかし、落葉するのはその後も続いていた。水でなければ、他に考えるのは、このカエデの周りには竹が生えていて根がこの樹の下に密集し養分を吸い取っているのではないかと思った。そこで7月20日、鍬でカエデの周りを掘り起こし竹の根を除去した。思ったより根は張っていて、これでは近くにある樹木は弱ってしまうように思った。根は四方に張りめぐらせていて、その内、約1㎡ほどの広さにあった竹の根は取り除いた。庭には生前父が塀沿いに目隠しのため竹を植えたものであったが、段々広がり庭のどこからでも竹が生えてくるようになった。この竹の除去は根を取るのが骨の折れる仕事であったが、しかし、竹は家庭菜園の棒にしたり、七夕用に近所の方が譲ってほしいと来ることもあり有用である。しかし増え過ぎると邪魔な植物といえる。

 今朝、カエデのしたの砂利道を掃除するといつも落葉していたカエデの葉が少なくなっていた。このことから落葉するのは竹の根が原因していたのかと思った。山などで手入れをしないと竹に侵入され、以前あった樹木が枯れてしまうことは良く聞いていたが、我が家にある小さな竹でも、増えると竹の力に負け他の樹木がやられてしまうようだ。昔は関心がなかった庭木もいろいろのことを教えてくれる。

 


T介護施設にて

2017-07-21 22:34:59 | Weblog

 毎月行っているT介護施設でのボランティアも概ね10年近くになる。いつも思うことは施設利用者の皆さんの役に立っているか自問する日々であった。実施する時間帯も以前と同じ午後2時から3時までの一時間である。一時期はマジックと歌をミックスして行ったり、他の人とのコラボレーションなどしたこともあったが現在は一人で歌と話などしている。考えることはマンネリ化していないかとか、皆さんが喜んでくれているか等である。それ故、工夫もし、その時に合った服装にしたり、歌も季節により変えたりしてきた。先月は民謡を多く歌ったので羽織 袴姿で皆さんの前に立ったが良い反応があったと思った。

 今回は、真夏の最中であり服装は、半袖の白シャツと白ズボンで行いジャケットは着なかった。歌は、模造紙に書いたものの中から夏らしいものを20曲ほど選んで持って行った。外の気温は33度と暑い日であったので皆さんが来てくれるか心配したが思いのほか多くの人が集まってくれた。40人~50人の方が集まってくれたが、こんなに多くの方は最近になかったことである。何故なのかはわからないが、2階から6階までの各部屋に居るよりは、冷房が効いた一階のここ(集会所)に集まり 皆さんと会話することが良いと思ったのかもしれない。

 いつも来てくれる人に交じって新しく人も10人以上来てくれた。皆さんの前に立ち、集まってくれたことに感謝し、歌は体に良いことなど話し一緒に歌いましょうと云って歌いだした。最初は定番となっている「故郷」を歌った。大部分の人は一緒に歌ってくれたが、怪訝な顔をして私を見ている人も何人かいた。しかしそうした人達も進むにつれ皆さんに合わせ歌いだした。歌は、歌詞を模造紙に張りだし「うみ」「われは海の子」「浜辺の歌」「砂山」「夏の思い出」「夏は来ぬ」「ゆりかご」「月の砂漠」や「椰子の実」などで歌った。これ以外にも幾つかの曲を歌い、これにまつわる話などした。

 一時間のボランティアは無事終わった。その反応は皆さんの顔で分かるが概ね良かったように思った。このような施設で生活をしている人達は、社会との接触も乏しく、毎日が単調な生活でストレスが溜まると思う。私の話や歌がこの解消になるとは思わないが、少しでも部外のものが訪れることによって良い結果をもたらしてくれれば良いと思っている。終わった後常設の喫茶コーナーでコーヒーを呑ませて頂くが、ここのボランティアの方からも「皆さんで歌っているのが聞こえましたが、こうしたことが利用者にとって良いことですよ」と云った。これだけのことであるが救われた思いがした。


親人との会食

2017-07-19 22:10:33 | Weblog

 年齢を重ねると、昔の親人が懐かしく感じられる。それは高校時代一番仲が良かった親友である。彼とはその後の進む方向も違ったことや、途中で苗字が変わったことなどから消息がつかめず50年近くが経っていた。その彼から手紙が来たのは今年の一月下旬であった。そして2月に会った。懐かしい再会であったが多用な彼は多くの時間が取れず2時間ほどで別れた。そのとき近日中にまた会おうと話したが、私は4月の入院が決まっていたのでその回復を見てから電話すると云って別れた。約5か月経ち前回と同じ駅前のアソシアホテルのロビーで夕方6時に会った。

 彼は最近持病が出てアルコールは飲めないことから、ホテル内にあるバイニングの店に入った。飲み物はビールを注文し彼はウーロン茶であった。5ヶ月ぶりに会った印象は変わりはなかったが、彼はどこか元気がなかった。聞くとこの間に救急車で病院に運ばれたとのことであった。心臓に弱点があるようで、再度同様なことがあったら命の保証はないと医師から言われたと云った。この年になるといろいろ言うところが出てくるもので彼も大変である。私も大病とは言えないが最近2回入院したことから不安はある。しかし外見上は普段と変わらない生活ができているので彼のことが心配になった。

 今日はゆっくりできることから、いろいろのことを話し合った。私のことも話したが、彼は一人娘さんを、嫁に出し近くに住んでいるようだ。お孫さんが中学2年生で、私が出た中学に通っていると云った。頭がよくトップクラスの成績のようだが、彼は静岡からは出したくないと云ったが、お孫さんのことでありお祖父さんが思ってもそのようにはいかないだろうとも話した。孫のいない私にはうらやましい話であった。私は、余り同期会などには出ていないので友人たちの消息を聞いた。彼は静岡の大学を卒業し教師となったことからよく知っていた。しかし大半は病気であるとか既に他界している人が多かった。そんな中でも交友を深めることが出来ることは喜びである。

 ビールで酔いが回ったのか饒舌になった。普段は余り政治の話などで気色鮮明にしたことはなかったが彼とは話しやすかった。彼は「安部首相は閣僚の失言や、森友や加計学園問題等の対処方や外交姿勢からやめるべきだ」と話した。私は安倍政権に気のゆるみはあると思うが、だからといって今安倍に代わる人材がいないこと。外交でも歴代の総理に比べよくやっていることなど話し互いの主張を述べ合った。周りに聞こえる様な大きな声となったが交わることはなかった。閉店の時間になるまで論議は平行線であったがこれにより親友が壊れることはないはずだ。またの再会を約し家路についた。


送り火を炊く

2017-07-16 23:43:07 | Weblog

 菩提寺の僧侶が見え棚経を上げてくれたのは7月14日の午前10時頃であった。事前の通知で午前中に行くと云われていたが、正確な時間が分からなかったので早めに朝食をとり8時には迎える準備は出来ていた。見えたのは住職ではなく若い僧侶であった。張りのある声で読経を上げてくれ荘厳な中にも凛とした時が流れた。心にしみる良い読経であった。終わった後、玄関の掛け軸の書を見て、筆者が先代洞慶院住職であったことからその話などして帰って行った。静かなお盆の中日であった。

 午後になって娘が見えた。多分妻が呼んだものと思うが、線香を上げ2時間ほどいて帰って行った。今年のお盆はこれで終わりかと思っていた7月16日午後3時ごろ瀬名の妹夫妻が大きなスイカをもって見えてくれた。妹夫妻は子供たちの分もと云って8本の線香を上げてくれた。雑談の中で両親のことの話などしたが、母は3年前であるが父は21年前に亡くなっているので、こんなことでもない限り父を思い出話をすることも無くなった。私たちも父の年齢に近づいていることを思った。身体のあちこちにいろいろ言うところが出てきたのでそうした話になった。私は、ここ2年連続して入院したが、義弟もこの10年ぐらいの間にいろいろ病気もした。そんなマイナスの話であったが、義弟の話は面白くみんなを笑わせてくれた。きっと聞いている御霊も苦笑いしたのでないか。しばらくいて妹夫妻も帰っていった。

 夕方7時近くなり門の前で送り火を炊いた。まだ暗くなっていなかったので、妻は「御霊さんはまだ家に居たい時間ではないのか」と云った。松明が炭になるまで、二人でそこにいたが、近所で送り火を炊くような家はなかった。多分送り火を15日に行う家もあり前日に行ったのかもしれない。この後菩提寺の行った。既に暗くなり誰もいないお墓にも送り火を炊いたような跡などなかった。確か、家で迎え火を炊いてから、菩提寺に行ってお墓も前で送り火を炊くことが仏教の本に書いてあった。それを実行しようとしたのだが、実際にはそのようにする人はいなかった。生花の水を替え帰ってきた。

 14日に僧侶が話したのを聞いたが、最近精霊棚もつくる家族も少なくなっていると云った。ましてや送り火を家とお墓に炊く家などどこにもないのかもしれない。時代は変わり風習も変わってきているが、それでも先祖と交歓するお盆の行事は大切にしていきたい。家では夕食に茹でた枝豆が出ていた。お盆の行事が無事終わりご苦労さんと云った気持ちからだと思った。冷えた缶ビールを飲み、それに妻も付き合ってくれた。2本飲むと酔いが回ったのか眠くなった。精霊棚の片づけは明日にしよう。


茄子の花

2017-07-15 21:41:57 | Weblog

 茄子の苗を買ったのは20日ほど前であった。近所の畑には既に茄子の実がなっているところもあったが、苗を売る店先にはまだ苗が並べられていた。そこの主人に聞くと「茄子は春から秋にかけ収穫できるもので、まだ遅いことはないですよ」と云った。畑には以前ジャガイモが植えられ収穫した後は、少し畑を休ませようとそのままにしておいた。しかし雑草はすぐ生えてきてそのままにしておけなくなった。草取りをするくらいなら何か植えるものはないかと思い、たどり着いたのが茄子の苗を植えることであった。

 畑と云っても家庭菜園用にと敷地の一角を耕して作ったものである。店には幾つかの種類の苗があったが、素人が作るものは限られていた。同種のものを毎年植えると連作となり良いものができない。連作の弊害は、ものによっては4~5年の間隔を空けないとだめというものもある。例えて云うと、昨年はこの場所にキュウリを植えた。ここは一昨年に枝豆を植え、その前年はキュウリであった。一年間空けてキュウリを植えたものであるが収穫した実は、先が細くなったり、丸く曲がったもの等、奇形のキュウリしか出来なかった。そんなことを考えると、ちょうどよいものは少なかった。時期としてはやや遅い感がしたが5本の茄子の苗を買った。

 雑草を取ったあとで畑を耕し、害虫が発生しないよう、オルトラレンの粒剤を撒き土にすき込んだ。その上に消石灰を散布して一週間ほど置いた。苗を植える前に再度耕し、そこに牛糞を施しマルチシートを敷いた。そして50cmほどの間隔に茄子の苗を植えた。小さな苗は長さ1mほどの支柱を立て紐で括り付けた。それから二週間ほどは、あまり大きくならず成長が止まっているのかと思うほどであった。それでも毎日水かけなどして成長するのを見てきた。3~4日前梅雨の影響か大雨が降ったが、その後見ると急に大きくなったように葉を広げ枝の脇から茄子の花の蕾ができていた。そして今朝起きてみると一斉に5本の茄子の苗木に各々一つずつ花が咲いていた。

 紫色の花は、花びらを一杯に広げ、初々しく咲いていた。葉の色も光沢があり一つ一つが大きく栄養のバランスがいきわたっているように思った。ただそれだけのことであるが今朝は良い気分になった。取らぬ狸の皮算用というが、すぐYOU TYUBを開き「茄子とたくさん収穫する方法」の動画を見た。そこには、収穫するための基本が示されていて、追肥のこととか、無駄な芽を摘むこととか、3本仕立てにするなどのことであった。これから手間がかかるがたくさんの茄子を収穫したいものだ。