Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

S学苑祭の準備

2016-05-27 14:07:52 | Weblog

 S学苑では、市内市民文化センターで9月の中旬に学苑祭を開く、参加グループも多く午後1時から6時ごろまで続いていた。今年は、その学苑祭が開かれ、カルチャーの先生からは、今年はどうするか打診があり参加することで決めた。一昨年のことを思い出すと、確かプログラムの最初に出演し、トークをいれながら数曲を歌った。歌は「女心に歌」「スミレの花咲くころ」「ザ・ファントム」などであった。そこにはストーリーがあり、それに倣い舞台で演じた。その舞台は仮面舞踏会の席であり、男性がふんした男爵の会話から始まり、「女心の歌」を男性が合唱した。それに対して女性が「スミレな花の咲くころ」を歌い、その後、ミュージカル≪オペラ座の怪人≫の「ザ・ファントム」をみんなで合唱し、最後は「威風堂々」を歌った。これらは、組み立てたストーリーの中で、歌い踊ったとの印象であった。

 今年も参加することになるが、内容は、最近習った曲を組み合わせ7~8分のストーリーを作り歌い踊ることになると思う。先生は、以前ミュージカルの舞台に立っていて動きのある振り付けと歌い踊ることが好きであり、そのようなものになると思う。因みに最近習った曲は「コロラドの月」「闘牛士の歌」「Dona Dona」「You Raise Me Up」「お猿のかごや」である。それに次回習う「乾杯の歌」が入ると、大凡のストーリーは描けそうである。そこで私なりに予想した。

 ≪ある酒場に若者たちが集まっている。酒も入り盛り上がり、みんなで「乾杯の歌」を歌い出す。そこに町一番の人気者の闘牛士が入ってくる。彼は近くの闘牛場で戦うことになっているので皆は勝利を確信しまた歌う。その頃一匹の牛が荷馬車に乗せられ闘牛場に向かっている。その牛は子牛で、眼には涙をため、足も震えていた。自分の宿命を予感していたのだ。ここで「Dona Dona」を歌う。闘牛場では赤いマントを持った先ほどの闘牛士が中央にいて、闘牛が入ってくるのを待つ。ここで「闘牛士の歌」を合唱する。しかしいざ入ってきた子牛を見て、かわいそうに思い戦うことを止める。そこに「コロラドの月」「You Raise Me Up」の曲が流れ、みんなが若い日の思い出し優しい気持ちになる。そこまでがストーリーである。最後は、場面をガラッと変え「お猿のかごや」を歌い、舞台いっぱいに踊る≫

 以上が私が描いたストーリーである。しかしカルチャーの先生はもっと別のことを考えているのかもしれない。そこがプロとの違いであると思うが、今から上記の曲を暗譜しなければならない。それは私にとって大変なことであるがストーリーを考えるとそれだけで暗譜する速度が早まるように感じる。6月中旬には先生の決めたストーリーが分かるものと思うが楽しみである。

 


梅木の剪定

2016-05-25 21:18:53 | Weblog

 2月に花をつけた梅木は、今実が生って枝が垂れている。円形に刈り込んだ梅木は葉が茂り、外から実を確認できないが、内側から見ると新緑の中に梅の実が生っている。既にΦ4cmほどの大きさになっていて、そろそろ収穫の時期である。日中の暑さを避け午後3時ごろから実を取ることにした。円形の中は細い枝が密集していて脚立を使い、その枝を切りながら実を取った。樹形を円形にしたのは、庭木は円形に育てるのが良いと思いからで、梅木にとっては迷惑なことであったと思う。樹形の中は、蒸れて枝にはカタカイガラムシなど害虫がビッシリついていた。それは冬の間に硫黄材を散布して取ったが、この環境を変えなければまた同様の結果になるし、木が弱ってしまう。そこで今年は、収穫した後、梅木本来の樹形に直すことにした。

 この梅木は20年ほど前に実が生る木として、駿府城公園の植木市で購入したもので今は樹高3.5mほどになっている。毎年2~3Kgの梅の実を収穫し、梅干しとして我が家の食卓に上がっている。しかし同種の梅木を購入した人はもっと多くの実が収穫できていると聞いた。そのこともあったが、本来持っている幹の太い男性的な梅木にしたいと思った。そのため今回強い剪定を行った。こんもり丸い樹形の梅木は、半分ほどの枝葉を切り落とした。形はすっきりして風通りもよい木になったが、このことにより樹勢がなくなることか心配であった。

 我が家に3本の梅の木がある。一本は紅梅であり、2月中旬に一番最初に花をつける。その後2本の白梅が咲くが、3本ともきれいな花をつけ春の近いことを教えてくれる。花が萎むと、その後に小さな1~2㎜程の梅の実が付き、100日ほどかけて収穫できる大きさになる。しかし花が咲くのは同じでも小さな実が付くのはこの一本に梅木だけで花のすべてに実が付いていた。しかし他の2本には、数個の実しか付けない。それは何故なのかわからないでいる。また、たくさんの実を付けた梅木も自然摘果して大きくなるのはその半分ほどではないかと思う。今年は約3Kgの実が付いた。

 剪定し樹形が変わった梅木は、以前より見栄えはよくなった。窓越しに見ると風通しが良くなった梅木の間から、塀の外まで見渡せるまでになった。そして梅木の陰に生えていたさつきは陽光を受けて、清々しさの表情を見せている。この一本の剪定で、周りの景色が変わったように見えた。きっと梅木も、樹勢を取り戻し来年はたくさんの花をつけ、実もなることだろう。剪定作業は梅木だけであったが、これから当分の間は庭木の整理を行うことが日課になりそうだ。


TBG会でのアドバイス

2016-05-22 16:33:10 | Weblog

 「駿河TBG」は、第三土曜日午前9時から月例会が行われる。今回も参加したが、事前の練習もしないし最近はスコアーは段々落ちている。前回は18名中下から3番目ぐらいであったし、その前も中間より下であった。そんなことから今日も期待することなく、月例会が行われる有度山総合スポーツセンターに向かった。天気は、雲もない晴天であり、多少微風が吹いているものの良いコンディションであった。

 出席者は15名で、4組に分かれスタートした。私の組は、男性3、女性1の4人で回った。女性は最近この会に、ご夫妻で入ったYさんで2人ともアウトドアーが好きな明るい方である。年齢は70代前半と思えるが、成績は私とほぼ同じくらいである。男性のSさんも最近この会に入ったが、普通のゴルフは、ハンデ10ほどで入った時から上手く、TBGはアンダーで回るほどである。Mさんは、この会で一番若く、最近会社を退職された60代半ばの人である。前半のスコアーはSさんは1アンダーで回り、他の3人は2~4オーバーで回った。4人ともあまり差はなかった。因みに私は2オーバーであった。

 プレー中にSさんが私のスイングを見て「スイングが大きくて力強いが、クラブにその力が乗り移ってないですね。もし力が乗り移るスイングをするなら飛距離はもっと伸びるでしょう」と云った。どこに問題があるのかわからなかったので前半が終わったとき、改めて聞いた。するとSさんは「アドレスに入るとき身体からボールの位置が遠いため、スイングが大きくなり方向性も悪くなる。アドレスの時、もう少しボールの位置を身体に近付けて打つなら方向も飛距離も増すものと思うよ」と教えてくれた。後半はその所に注意して球を打った。しかし慣れないのか、打つとき違和感があった。このためOBも2個出したが、だんだん慣れていき後半のトータルは1オーバーの28で回った。しかし飛距離は思ったほど出なくいつもと同じであった。しかしパー54のところ3オーバーの57は最近のスコアーとしては良い方であった。

 全員の成績が出て、私は4位であった。練習もしないで、この成績は、まぐれのようなきがした。これはSさんのアドバイスが効いたものと思った。以前ゴルフの練習にプロに教えてもらったことがあったが、その時球の位置を何度も直され、アドレスの時クラブのグリップ端と身体にゴルフ球が一個離す位にして打つことを何度も教えてくれた。しかしその後はまた我流になり変則的スイングになっていった。このスイングはすぐ直せるものではないが、これからこのことを注意し直していこうと思った。  5月21日のことを記す。


人それぞれの生き方

2016-05-21 22:45:16 | Weblog

 朝7時ごろ散歩から帰ってくると、隣の家に植木職人が入って松の剪定作業をしていた。高さ4mほどの松木であるが、足場を敷いて一人の植木職人が剪定をしていた。2年ほど前には隣のご主人が植木の手入れをしていたが、最近は体が弱くなり剪定作業は植木職人が行うようになっていた。ご主人の年齢は80歳半ばであり足場での作業は無理になったようだ。我が家の庭木の手入れは私が行っているが、植木の知識はないので木が繁茂し見苦しくならない程度に剪定作業など行っている。そんなことから、隣の植木職人の手さばきを立ち止まって見ていた。 

 するとその植木職人が「〇〇さんではないですかと私の名前を言い、以前同じ仕事をしていたAです」と云った。その職人は鍔のある深めの帽子をかぶり防護眼鏡をしていたので分からなかったが、帽子と防護眼鏡を取った顔は見覚えがあった。その顔は年を取ったが、Aさんであった。私より5~6歳若いが、30代のころ現業で4年ほど一緒に仕事をした仲間である。彼は仕事もでき、人付き合いもよい明るい人間であった。その彼が国鉄を退職し、関連会社の建設会社に入ったことは知っていたがその後のことは知らなかった。

 聞くと建設会社に入ってからは、工事責任者として現場の仕事を任され飛び回っていた。しかし昼夜にわたって危険な仕事の連続であり、60歳の時、会社から慰留されたが辞めたとのことであった。そして親戚がやっていた造園業の仕事を手伝うようになった。それは気持ちの上で気楽に仕事ができた。鉄道保守は危険と隣り合わせの仕事であり神経の休まるときはなかった。私はこの仕事以外携わる仕事がなかったので最後までやり遂げたが、彼は親戚の仕事を手伝うことで方向を転換し植木職人の仕事もマスターしていった。今は何軒かの人に頼まれ植木職人の仕事をしている。これは健康維持のため、今でも行っていると云ったが、今回は、シルバーセンターから派遣され来たものであった。

 久しぶりに会ったことから、帰りに我が家に寄るよう伝えると、仕事のきりが付いた午後5時過ぎ我が家に来た。昔のような仕事に打ち込む精悍な顔はないが温和な顔に変わっていた。雄弁であった彼も、今は落ち着いた口調になり一緒に勤めていた頃の同僚の話しや、近況など話した。今は奥さんと2人で生活していて、お孫さんの成長を楽しみに余生を送っているとのことであった。むかしは鉄道技術者として希望をもって取り組んだ人間が、仕事の困難さや人間関係の狭間で仕事を転換した人の生き方は、私が知りえない別の苦労があったことも聞いていて感じた。

 


「音楽の広場」の曲目が届く

2016-05-17 23:08:54 | Weblog

 真夏の音楽の祭典「音楽の広場」が8月7日(日)に、グランシップで行われる。私は合唱部員として参加を申し込んであったが、そのスケジュールと曲目の楽譜が届いた。合唱の練習は6月4日から始まり9回ほどの練習で本番を迎えるので心待ちにして届くのを待った。昨年もそうであったが合唱のパートを歌うには相当集中して取り組まなければならないと思う。譜面を見たが今年も大部分が知らない曲ばかりであり譜面をもとに今から準備しなければならないと思う。

 因みに合唱する曲は、①歌劇「椿姫」より”乾杯の歌” ②”死んだ男の残したものは” ③レクイエムより”怒りの日” ④”心の友” ⑤”不尽の山を望る歌” の5曲である。この内、知っているのはテーマ曲となっている”不尽の山を望る歌”だけで「乾杯の歌」は聴いたことがあるが原語では歌ったことはなかった。他の3曲は初めて聞く曲である。この3曲をネットで調べ聴くことにした。

 ”死んだ男の残したものは”反戦歌で武満徹が作曲していた。これは日本語であり何とかなりそうだ。”怒りの日”はヴェルディ作曲のもので重厚な曲であり難しそうな曲であるが、語彙が少ないのが救いである。それに”心の友”は五輪真弓が歌っていてるが、合唱部分は少ないので何とかなりそうだ。それに”乾杯の歌”の合唱部分は語彙も少ないようであり、先生からの指導により何とか合わせられそうに思った。

 しかし、これらの曲は合唱曲として新たに編曲されたものであり、思ったより困難なのかもしれないとも思った。そこで今回知りえたことを記すことにする。一つは武満徹という作曲家のことである。彼は戦後の一時代を築いた作曲家であるが、その人となりは、繊細な描写をする作曲家であると思っていた。今までは空に近い清楚な表現をする人と思った。しかし今回の作品を聴いてそうした枠を超えた人であることを感じた。それとヴェルディの”怒りの日”は、私が知っている温厚で情熱的な作品とは違った鬱積した憎悪に満ちた作品のように思えた。もとより音楽について浅学の私が言うのは奥がましいことであるがそのように感じた。


某合唱の定期演奏会を聴く

2016-05-16 18:35:45 | Weblog

 会社を退職したとき、中学時代の友人が地域の合唱団に入ることを勧めてくれた。調べてみるといろいろな合唱団があり各々特徴があり選ぶのに迷った。結果的にはD合唱団に入ったが、そのとき、今日演奏会を行ったS混声合唱団に出来たら入りたいとの願望があった。このS混声合唱団はコンクール等で入賞するなどレベルの高い合唱団であった。合唱の経験もなく声にも自信がなかったことから考えた末そこには入ることは諦めた。

 そして別のD合唱団に入って基礎から教えてもらい音楽の理解を深めていった。それは楽しいものであったが、その中に安易な気持ちで埋没していく自分に抵抗を感じ5年間ほどして辞めた。これは自分のわがままであり、今は反省しているが、合唱より独唱したいとの思いはその後も続いた。そんなことで合唱の演奏会などは、あまり見ることはなかったが、このS混声合唱団の歌は聴いてみたいとの思いは持っていた。それと私も出ているコンサートには、このS混声合唱団の数人の方が出ていることもあり聴きに行った。

 演奏会は静岡音楽館AOIで午後2時から始まっていたが私は30分ほど遅れて会場に入った。会場は満席の状態であり、案内されて前節から5列目の左隅に座った。合唱の構成は、4ステージに分かれていて1.ステージは聴けなかったので第2.ステージから聴いた。2.ステージは、ヨハネス・ブラームスの合唱曲であった。これは聖書の中のテーマに曲をつけたもので、タイトルが「苦悩するものへの慰め」と付けるように個人が苦悩から信仰に入っていく様を表現していた。聴きがいのある内容であった。3・ステージでは金子みすずの詩を歌ったもので、歌に詩心が伝わる洗練された合唱になっていた。4.ステージは昔懐かしいアニメソングを数曲歌った。団員の皆さんはすべて暗譜で歌いあげ、それは完成度の高い内容であった。やはりこの合唱団はレベルが高く、各パートは正確に唄い分け素晴らしいハーモニーを醸し出していた。

 私も合唱することはあるが、観客席で聴くのはあまりなかった。合唱がどのような声になって聴こえるかを確認しながら聴いた。私にはマイナス点を見つけることができないほど正確に歌っていた。ここまで持ってくるには相当の練習と一人一人の音楽的センスがないと出来ないと感じた。2人の指揮者がこの合唱団を纏めていたが、副指揮者は男声合唱団でも教えていたので、その良さは分かっていたが、正指揮者の指揮は初めてであったが、その力量は、外見ではわからない音楽への造詣の深さを感じられよかった。       5月15日のことを記す。

 


Hotひといきコンサート

2016-05-12 22:32:57 | Weblog

 静岡市とカンヌ市が姉妹都市となって今年は25年周年を迎える。その記念行事として5月7日から5月22日までの間、市内ではいろいろのイベントが行われている。先日5月7日には登呂遺跡で「田園のマルシュ・トロ野外上映」が行われたのもその一環であった。これは登呂遺跡の野外スクリーンにでフランスや日本の名画が上映された。これ以外でも静岡駅南口ロータリーにあるルノアール像周辺でオープンテラスが出来、そこでバイオリンや歌などの生演奏が行われる。この期間静岡市の繁華街を中心に、カンヌウイークとしてフランスが色濃く出ている。

 静岡とカンヌとの提携は、1989年カンヌ市は日本の自治体とし東京から近く海岸を持つ都市との姉妹都市提携の話があった、静岡市も前向きに検討を進め1991年に正式決定した。静岡市は文化芸術都市を目指していること、カンヌ市も文化都市として世界的映画祭が開かれていること等、互いに共通の方向性を待っていたからだ。またカンヌ映画祭は、毎年5月中旬から下旬に開かれ、この期間に20万人近い映画関係者や映画フアンが集まる。それを模して静岡市でもこの期間、同様の催しが行われているところである。

 この期間に合わせたのか、毎月行う「Hotひといきコンサート」はフランス映画音楽特集として演奏会の催しがあった。このコンサートは毎月市役所内のロビーで行うのが常であったが、今回は駿河区南部図書館のステージでOさんのギターの伴奏でソプラノのAさんが歌った。曲目は「禁じられた遊び」「鉄道員」「雨に唄えば」より「ムーンリバー」「パリの空の下」「シェルプールの雨傘」等でフランスの映画のテーマ曲で若いころに流行りよく知っている曲ばかりであった。歌ったのは静岡オペラ協会員の歌手であったが、彼女が映画音楽を歌うのを聴いたのも初めてであった。映画音楽は、ギターの伴奏が合っていて、Aさんも丁寧に歌ってくれた。心地よいひと時を過ごすことができた。

 そしてこうした映画音楽には多くのファンがいることも知った。200ほどの席はすべて満席で、通路にも立ち見している人もいて250名近い人が聴いていた。年齢的には年配者多かったが、男女の数もほぼ半数近かったし若い赤子と連れた女性も10人以上いた。こうした音楽を私も好んで聴いた時期があったが、改めて聴いてみると中々良いものであった。明日も男性歌手がきて、ギターを弾き語りで行うとのことであり、また来てみよう。


5月の長雨の中に

2016-05-11 20:00:20 | Weblog

 5月に入って雨の多い日が続いている。それも風も強く庭の隅で始めた菜園の野菜が雨風の影響を受け折れたり斜めになったりしている。いま、ジャガイモの葉が大きくなり、2列に植えた種芋は、緑の帯になって私を和ませてくれるが、今朝は、それが斜めになったり、茎が折れたりしている。丹精込めて育て花が咲くのを楽しみに待っていたが残念である。すぐ添え木をして何とか形を整えた。また、その横に植えたトウモロコシの苗も、いま高さ30~40cmほどになっているが、それも茎の中間で折れ曲がるなど被害を受けていた。これも添え木をしたがこのまま成長するかが心配である。

 それに比べ庭の樹木は雨風に耐え、枝も折れることなく新緑は広がり、強風に踊らされてながらもしなやかに舞っている。この時期は緑色で占められ花のようなものは少ないが、その中で香りを周りに漂わせるジャスミンの花が緑の樹木の中で紫や白の花をつけている。少し強い香りであるが、新緑に中でその存在感を示している。この花は、咲き始めはΦ5cmほどの紫色の花をつけるが日が経つと白色に変わっていく。花は同時に咲くのでなく逐次咲いていくし、花の寿命も長いので木全体が紫と白の花でおおわれ香りをただよわせている。

 これをジャスミンであると思っていたが、調べるとニオイバンマツリと云い一般的ジャスミンとは別の花であった。しかし我が家ではアジサイの花が咲く前の庭の主役となって、かぐわしいい香を漂わせている。朝散歩していると同様な香りがしている軒先が数軒あり、同じニオイバンマツリが咲いているようだ。きっと多くの人がこの花をジャスミンの花と思って育てている人が多いのでないか。このニオイバイマツリは漢字を当てると「匂蕃茉莉」と書き、匂は芳香、蕃は外国、茉莉はジャスミン類のことで、解説すると「香りのする外国のジャスミン類」となる。しかしジャスミンの仲間ではないとのことであった。

 この花は香りもよいが、アジサイと同じように雨が合う花のように思う。既に咲きだしてから半月ほど経っているが、今が一番多くの花をつけている。樹高1mほどの木は、すべて花で覆われているように見える。しかし今は紫色のものより白色のものが多い。そして白い花の幾つかは、花弁の周りが茶色に変色してきている。それでも花弁が地面に落ちることはなく香りを漂わせている。たぶんこの花にとって今が一番良い時期ではないか。


末弟の3回忌

2016-05-09 21:53:40 | Weblog

 末弟が亡くなってから約2年が過ぎる。晩年の苦しんでいた姿はかわいそうであったが、それより彼が生まれ育った頃のことが微笑みをもって回想できる。小さなころは、はち切れそうな丸い顔をしていて庭を遊びまわっていた姿は脳裏から離れない。その彼は平成26年5月16日亡くなっている。享年66歳でありまだ奥さんと2人の子を残して去るのは耐え難いものであったと思う。その3回忌の法要が5月8日午前11時から裾野市の東光寺で行われた。

 私は妻と瀬名の妹を乗せ自動車で向かった。このお寺は分かりにくいところにあり地図を頼りに進め午前10時30分には着いた。今日は10時からの別の法事があり駐車場は既に満杯の状態であった。車に乗って待っていると、しばらくして末弟の家族や、奥さんの妹夫妻なども見えた。きょうだいの川崎の妹や三島の弟夫妻も見えた。私のきょうだい6人と末弟の奥さんの親戚6人の計12名が揃った。3回忌の法要の出席者としては少ないように思えたが、これからの法要は段々このような形になっていくのかもしれない。今回も瀬名の妹の連れ合いや、川崎の妹の連れ合いも体調が芳しくなく出席できなかった。ただその中に末弟の長男の許嫁も来ていてくれたのはよかった。

 東光寺の和尚さんは、私達と同じぐらいの年齢で達磨さんを思わせるような感じの良い人であったが、今日の人は、その息子さんなのか40代の人であった。読経が30分ほど続いた後、そのお坊さんの話があった。それは仏教の基本とも云える内容で聞いていて為になったが、少し長く感じた。話の概要は「本堂の正面の掛軸に太い行書体で「眼横鼻縦」と書いてある。これは眼は横にあり鼻は縦にあるとの意味で当たり前のことである。それと同様、人間が生きることは、当たり前のことをしなさいと説いているのだと云った。それはすべてにおいて平常心で自然体で生きなさいとの教えである。そしてすべての生き物は輪廻転生していくもので、いつか生まれ変わる」と云った内容であった。

 法要の後、沼津の「花の墓苑」にある墓地で墓参りを済ませてから東名沼津インター近くの料理屋Iで直会を末弟の在りし日のことを偲んだ。質素でよかったが末弟の死によって、その家族は変わるものではないが何故か遠くなっていくことを感じた。その後三島の弟の家に行き、きょうだいとその連れ合いで一時間ほど雑談したが互いに老いていくことを憂いる話ばかりであった。その時出された”漉油(こしあぶら)を天ぷらにしたものは美味しかった。


演奏会を聴く

2016-05-08 21:17:45 | Weblog

 静岡音楽館AOIで「静岡の名手たち」の予選が行われた。この内容は邦楽、鍵盤楽器、管楽器、アンサンブルに分かれていて、今日(5月7日)は邦楽と鍵盤楽器になっていた。確か以前は声楽もあったが今年は参加者がないのか声楽部門はなかった。そこで鍵盤楽器ピアノの予選を聴きに行った。前半は箏の演奏で4人が演奏したようだ。それが終わる午後2時30分ごろ音楽館AOIに入った。丁度ピアノの演奏が行われていて3番目ぐらいの人が演奏していた。

 数年前に声楽部門の予選を聴いたときは、座席の30%ぐらいの人が見に来ていたが、今回案内されたのは二階席で、数人の人が聴いていた。それは関係者の皆さんのようであった。一階の座席を見たが閉鎖していて誰も見えなかった。この「静岡の名手たち」は若手演奏家の登竜門であり、静岡県やその近郊の演奏家を目指す卵がしのぎを削っている。それは過酷な競争なのかもしれないが、ここが扉を開く第一歩となるはずである。私も初歩であるがピアノを習っている。とても比較にはならないがこうした演奏を聴くのもよいことであると考えた。

 私には、演奏している人の技術の評価はできないが、一人一人の演奏に耳を澄ませて聴かせてもらった。とても優劣を判断するすべは持っていないが、素晴らしい演奏ばかりであったように思った。そこで私なりに奏者の演奏に至るまでの過程を見てよかったとか、もっとこうした方がよいなど手元の資料に書いていった。私のような素人には、演奏の中身は分からないが、そこに至る所作は分る。感情を注ぎ身体全体を使って演奏する人にはなぜか心地よい気持ちになった。また演奏する姿勢を直した方が良いと思える人も何人かいた。その中で若い奏者であったが、演奏する前椅子の高低や位置を直してから演奏した人がいた。その所作はきれいで静かに音も出さずに鍵盤に向かった。それを見てこの人は演奏するまでの心掛けが出来ている人だと思った。本来はそうした所作は演奏の対象にはならないで演奏曲を感情豊かに正確に演奏できたのかが優劣の対象になるのかと思う。しかし私の目には、その人の演奏が印象に残った。

 私は、午後5時以降の演奏は聴けなかったが15人ほどの演奏を聴かせていただいた。そこから思ったことは、この予選会はピアノをうまく弾き、審査員にアピールし合格することである。しかし私には舞台に立ってから演奏するまでの所作、そして演奏する態度の美しさが演奏を引き立って聞えるように思った。今回の演奏を聴いて、若い演奏家たちが育ってきていることを感じさせられよかった。しかし何故声楽の演奏がなかったことは、最後まで疑問符が残った。