Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

送り火を焚く

2019-07-16 20:09:32 | Weblog
 7月14日10時ごろ、棚経で我家にお坊さんが見えた。菩提寺の僧侶でなく、若い元気の良い僧侶であった。他の仏教も同じと思うが曹洞宗はお盆の時期になると各檀家を回って棚経を行うのが慣わしとなっている。菩提寺の僧が一人では回り切れないためなのか、同宗の修行僧などに頼み檀家回りをしているものと思う。この若い僧は、10分ほどの棚経を上げ、玄関脇に上げ飾ってある静岡の古刹、洞慶院鉄山の掛け軸を見ながら、個人となった鉄山和尚の話などして、足早に、タクシーに乗って出ていった。

 お盆は、先祖の霊が生前過ごしたところに帰る。それ故、この時期、仏壇の中の本尊や位牌などを出し、霊魂が過ごす精霊棚を作り、そこに移し、周りを竹で覆い、そこに、盆化、里芋の葉、茗荷の葉、柿の葉などを吊るし、霊が休まる所をつくると云われる。それ故、この時期、現世の子や孫たちが集まり、先祖の霊に元気な姿を見せ、安心してもらうのがお盆だと云う。我が家に集まったのは、妹と姪、それに私達夫婦であった。それでも、お盆で4人が集まったのは、多い方である。今までは概ね夫婦で迎えることが普通であった。私も、お盆のことが多少分るようになったのは、家に仏壇が出来てからで、それまでは、死後について考えたことがなかった。それ故子供達にも話したことはなかったので、仏教や死後のことも知らないと思う。近いうちに
話し、お盆や棚経を一緒に迎えたいものだと思った。

 静かなお盆の時期は過ぎ、今日の昼間精霊棚を片付け、位牌などを仏壇の中に移した。12日夕刻、門扉の所で、迎え火を焚いたと同じ場所で、午後6時ごろ、送り火を焚いた。雨上がりの蒸すような天気であったが、松木を焚いて見送った。丁度向かいのYさんも奥さんも送り火を焚いていた。しかし、他には送り火を焚く家はなかった。近所でも仏壇がある家は数軒知っていたが、そうした光景は見当たらなかった。多分別の火に行ったものと思ったが、私が子供の頃、お盆の時期は、父に連れられて家族で父の実家に帰った。その時は、たくさんの親戚が集まっていたことを思い出す。そこでの送り火を焚いたときの賑わいや、その光景はどの軒先でも行われていた。それと比較すると様子が変わってきていることを思った。

 昔は、忙しい時、 「盆と正月が一緒に来たようだ」と表現した。それだけ、お盆は、忙しかったしきょうだいや子供たちが集まる習慣があった。しかし、そうした風習が薄れてきたように感ずる。この考えは私だけで、地方によっては、お盆を盛大に行う所もあるのかもしれない。施餓鬼供養、七夕、お盆での棚経と仏教ではこの時期は大切な時期であり、先祖を送ると先ずは一段落する。それにしても、死後の霊を大切にする仏教で良かったと思うのは私だけなのか。
 

最新の画像もっと見る