Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

歴史演談を聞く

2015-07-29 22:18:40 | Weblog

 先日、市内のサルナート(小劇場)で「ふじのくに歴史演談」なるチラシを見た。それは、県内のお寺を回り、静岡にまつわる侍の物語を、お寺の雰囲気の中、動読と音楽で歴史ロマンの世界に誘うと云う内容であった。既にこのお寺ツアーが4回か行われていて、あと7月28日と8月9日の2回のみとなっていた。7月28日の題目は「前を歩く人~担庵公との一日」となっていた。担庵公と云えば韮山の江川太郎左衛門のことで、今年世界遺産に登録された韮山の反射炉を造ったことはよく知られている。しかし幕末の激動期から明治に生きた一地方の代官である担庵が幕府の中でどのように行動し生きたのか全く知らない。そこでこの演談を聞くことにした。

 演談は市内研屋町の「顕光院」で夕方7時から行なわれた。本堂には70人近い人が集まった。参加者は中年の女性が多い感じであったが、男性も若年から老人まで数10人はいた。周りの人の話から、演劇に係わる人や、その後援者、作者の関係者、それに近所の人達が連れ立ってきている感じであった。最初一人で来たことが場違いのところに来たと云う感覚になった。動読する小説は<第17回「伊豆文学賞」最優秀受賞>の作品であった。伊豆文学賞は「伊豆の踊子」や「しろばんば」に続く新しい文学作品や人材を発掘を目的に平成9年創設されたとあった。この会場には作者も来ていたが、静岡市在住の人であった。

 演談は、担庵の一日を、ジョン万次郎の目を通して進めていくもので、≪志しの近い同志が老中阿部正弘の江戸屋敷に集まっている。万次郎はそこで江川担庵公に初めて会い、その付け人(手付)となる。担庵公は、韮山代官であり、幕府の勘定奉行吟味役であったが、国防の必要を建白する等、先を見据え意見すると共に、反射炉の建設などを具申していた。この時期、横浜では日米和親条約が取り交わされ、下田を開港することになった。当時下田に建設した反射炉を、速やかに韮山に移すことになり、その過程で、担庵は渡辺崋山や、捉えられて江戸へ向かう吉田寅之助(松陰)と会い議論する≫と云った内容であった。

 1時間30分ほどの演談は、動読者が動きながら数人の役を演じ、見るものにとって分り易いものであった。それに合間に演奏される民族楽器も、効果的に場面を盛り上げた。後で分ったが、この動談者は静岡を拠点に作られたSPAS(静岡県舞台芸術センター)の俳優で舞台芸術の紹介や芸術家の育成など活動している。今では日本各地に出向き演じている。人となりも古風な侍を思わせるような風貌の人であった。終了後作者の本を買って帰った。


音楽祭の特別練習に参加して

2015-07-28 22:20:50 | Weblog

 8月2日の静岡の音楽祭「音楽の広場」まで5日を残すのみとなった。決まった練習日も前日のリハーサルのみであり、このまま本番を迎えるには、未だ覚束無い状態である。そんな折、合唱団指導者のNA氏が特別に指導してくれることになった。この音楽祭は楽しいものであるが、楽曲は難しいものが多く、マスターするに苦慮している。特に私のように個人参加のものにとって6回の練習日だけではきつい。今回の特別練習は、NA氏が纏めている混声合唱団のメンバーが主体的に参加し、私達のようなレベルの低い人を指導してくれる練習である。

 夕方7時からグランシップ地下の練習場には男性約50人女性約100人ほどが集まった。8月2日の本番では300近い合唱団員で構成されるので、約半分の人達が来たことになる。椅子は各パート毎に分かれてあり、テノールの席のところに友人のMAさんが座っていた。年齢はほゞ私と同じくらいで気の合う人である。すぐ脇の席に座った。前列に近い席であったが、後ろには混声合唱団員と思える人が4~5人いて大きな声でリードしてくれた。その人達は、音楽の知識は豊富な人ばかりのように思えた。後ろから、その声を聞きながら声を出した。特に「ナブッコ」や「Hey Jude」の発音に自信がないので参考になった。私にとって貴重な練習であった。

 この混声合唱団が、どのような合唱団であるかホームページを見た。それによると90人近い団員がいて、地域の音楽活動に積極的に行ない、家庭的な合唱団のようであった。静岡市は音楽活動は盛んなところであると云う。この地域の合唱団も40近くあるようで、そうした中で、これだけ多くの団員を抱え、それを纏めている指導者も大した人だと思った。この音楽祭も、段々地域に浸透してきていることを感ずるが、そこにはこうした指導者や推進する人達の調和がとれているからだと思った。

 今日の練習に参加できたことは非常に良かった。自信はまだないが、極力不安な気持ちを払拭して音楽祭を迎えたい。昨年は、家庭のこともあり参加できなかったが、それまで連続して参加してきた。その都度、暗譜で歌うことを目指してきたが、今年も暗譜までには至っていないし、不安もある。それでも本番までには、少しでも自信を持って迎えたいものだ。、


二日続きの猛暑日

2015-07-27 20:25:20 | Weblog

 全国的にも猛暑が続いている。静岡でも7月26日、27日と2日続いて猛暑日となった。冬の寒さより夏の暑の方が、どちらかと云えば好きで外に出て汗を流すことは苦にならなかった。しかし年を取ったのか今日の暑さは身に堪える。私の一日は朝のラジオ体操から始まる。会場の登呂遺跡の広場まで歩いて行くが既に陽が注いでいて、木陰となったところで体操をするようにしている。一週間ほど前までは、犬の散歩も兼ね行ってきたが我家の番犬も、暑さで、ばててしまったのか、私が散歩を促すが、庭の隅に穴を掘ったところに寝そべり、私の方を見るが付いてくることはない。その眼は「この暑さでは勘弁してくれ」と云った目である。

 そこでこの一週間は、ラジオ体操が終わったあと、一人で近所を3kmほど散歩するようにしている。これは運動不足を補うためであるが、毎日同じところを回っている。その道の途中で東名高速道路脇の緑地公園を通るようにしている。ここは緑が多く、日陰になっていて、歩いていて気持ちがいいところで何人かの人が歩いている。そこは細かな砂利が敷いてあり、踏むとザクザクといった心地よい感触が伝わってくる。今朝は、ミミズが何匹も地面に出てきていて、幾何学模様のような細い溝が重なるようにできている。それは100匹以上ミミズが、作った造形である。多分日中は暑さが厳しく、それが地中まで浸透していて、ミミズにとっても耐えられず、夜中に地面に出てきて、涼をとっていたものと思う。

 それは強くなった日差しの中で、元の巣穴に戻れなくなり、干からびたようになっていた。今までもたまには、このような光景を見たことがあったが、今日はその数が多い。これは地中の小動物にとっても異常事態であったものと思う。たかだかミミズのことで書くのもおかしいが、その光景が頭の中に残った。その後午前中は、居間のテーブルで新聞など見っていると、睡魔に襲われ、うたた寝状態で、机に頭を付けて一時間ほど寝た。窓を開け風通しを良くしていたが、じっとり汗をかいていた。

 起きると頭が重く、身体が重くし動くとふらふらした。直感で熱中症になったのかと思い、直ぐエアコンを掛け、水を飲んだ。室内の温度は、37、8℃となっていた。このようになったのは初めてであり、年齢から来る体力が衰えを感じた。まだ7月であり、最も暑いと云われる8月はこれからである。これから十分な水分と、睡眠を十分にとらないといけないと思った。健康には多少自身があったが、身体は年と共に弱くなっているのだ。

 


電位差治療のその後

2015-07-24 21:40:53 | Weblog

 血流が良くなり、悪いところが良くなると云われ、5月から6月にかけ静岡市小鹿で行われていた電位治療のデモンストレーションに通った。この治療は腰痛などにも良いと云われ、通算して40日ほど通った。しかし腰は目に見えての改善したとは言えなかった。営業員が云うに「3か月ぐらい通った人で良くなった方がいます」と云ったが、都合でその後は行っていない。しかし通っている間に目が良くなったように感じたり、低かった体温が平常値になったりした。しかし行かなくなってから約20日ほど経った今、良くなった目や、体温も段々元に戻っていくように感じる。もし腰痛が良くなることがハッキリ分れば、購入することも考えたが、今は、もう少し考えてから判断しようと思っている。

 私と同じころ通った瀬名の妹夫妻は、その後購入し使っている。効果は良いようで、私にも治療器を使いに来るよう誘われてくれる。しかし往復で1時間ほどかかるため、未だに行っていない。そんな折、妹から電話があった「市内駿河区に住むM兄さん(義弟の兄)に購入を勧めている。今日午後3時ごろ電位治療の営業員を連れ、M兄さんのところに行くが、一緒に話しを聞いたらどうか」との話であった。Mさん夫婦は90歳近い年齢で、2人とも病院通いである。義弟はM兄さん夫妻に、この治療器を使えば良くなると思い営業員を連れ、M兄さんの家に来ることになった。

 午後3時ごろ行くと、丁度前後して、妹夫妻が営業員を連れMさんの家に来た。義弟とM兄さんとは10歳以上の年齢差があるが、兄思いの義弟は「同じDNAを持っている兄なら、自分と同じように、この電位治療器を使うならきっとよくなる」といい勧めているのだ。そこに私も呼んだのは、妹も使っていて良いので私にも勧めたいものと思いからだ。しかし高価なものであり、M兄さんは最初、躊躇していたが、一度デモンストレーショの会場に行くか、妹のところに行って、実際に電位差治療器に掛かってから判断することになった。M兄さんは、義弟の勧めもあり相当乗り気であるように見えた。

 営業員は、資料をもとに説明し30分ほどで帰って行った。私も話を聞いて、妹のところにある電位差治療器にかかり再確認しようかと思った。しかし買うとなると、まだ紆余曲折がありそうだ。仮に何とか工面できても、妻は反対しそうである。私と一緒に妻も5回ほどデモンストレーションに参加したが、効果が出ないのかその後は行かなくなった。もし妹のところに通ってよくなることが確認されても、我家で買うまでには越えなければならない山がたくさんありそうだ。

 

 


OBの納涼会で

2015-07-22 22:48:43 | Weblog

 鉄道OB会の納涼会が、7月22日PM6時から駅ビル内のU寿司店で行われた。その前にPM5時からOB会事務所で定例の月例部会が行なわれた。この部会はOB会の情報を共有すらため、一月に一回役員が集まって行っている。ここでは話しは、クラブ活動などの状況説明や現在の会員状況などが話された。特に目新しいことはなかったが、その中で会費未納者が多くなっていることの話があった。今後どのようにしていくか話したが良い結論は得られなかった。最後に私からJR東海の幹部であったIさんが、現在グランシップにいることから、OB会として協力していくことを確認した。

 月例部会は50分ほどで終わったあと、そのまま駅ビル内の納涼会会場に向かった。今回14名の参加者であったが、最近はこの程度の参加者になっている。以前には50名近い人が集まったが、高齢化が進み、今は、概ね役員などをしている人しか集まらない。酒や焼酎が出ても飲む人は少ない。ウーロン茶などの人が多くなった感じだ。飲めなくなったのか、医者に止められたのか分らないが、酒量は少なくなった。このメンバーは概ね年齢差5歳程度の人達ばかりであり、高齢になった者同士が如何にして生きていくかと云う意見が多かった。その中で印象に残った二話を話す。

 一人は私と同じ年のSさんの話だ。彼は温厚で人間性豊かで、皆からの信望も厚い人である。趣味は釣りと、書道を習っていて、内助の功篤い奥さんと理想的家族と思っていた。その彼の奥さんが、今年2月ごろ脳梗塞で倒れた。2か月ほど病院に入院しその後リハビリを行い丁度今日実家に戻ってきたと聞いた。地域でも活躍していた奥さんであったが、脳梗塞の後遺症から半身が麻痺し、リハビリをしたが、今は介護が必要な生活となった。彼は「これから妻のため介護に専念する」と云っていた。

 二人目は、年齢が私より四歳若いOさんのことだ。彼は施設系の人で、よく知っていた。長野県から出てきて、現職時代あまり目立たなかったが、努力の人であった。静岡で家庭を持ち、JRから関連会社を勤め上げ、昨年辞めたと聞いた。現在は、奥さんと毎朝5kmほどのウオーキングと、週三回ジムに通っている。たまに合ったが、健康的で明るくなった感じであった。子供さんが所帯を持ち、今は二人だけの生活であるが、互いに健康に気を付け生活している様であった。私共の年齢では、夫婦でいても突然片方が病気で倒れるか分らない。その時のため、夫婦が共に健康に気を付け、助けあっていくことの大切さを思った。今の生活を如何に長く維持していくことの重要さを感じた。


C定期演奏会を聴く

2015-07-20 22:30:09 | Weblog

 「海の日」の祭日である。梅雨も明け夏の強い日差しが降りそそぐ真夏日になった。今日は二つの演奏会が催された日である。一つは清水マリナートで行われる「モーツアルトのレクイエム」と静岡音楽館AOIで行う「ベートーヴェン交響曲第7番及びマーラー大地の歌」が概ね同時刻に上演されることになっていた。初めは、モーツアルトのレクイエムを聴きに行く予定でいたが、昨日娘から『「ベートヴェン交響曲第7番とマーラーの「大地の歌」の招待券があるので』と勧められた。特にマーラーの「大地の歌」は声楽曲であり、二人のソリストが歌うことも決め手となった。

 会場に行くと、概ね満席の状態になっていた。しかし運よく前列から5列目のほぼ真ん中に座ることができた。周りを見渡すと、合唱等で見かける人も来ていた。このコンサートは静岡を拠点とする管弦楽団コルギウム・ムジクムの定期演奏会で、アマチュアの管弦楽団であるが高く評価されている。最初の演奏はベートーヴェンの交響曲第7番であった。ベートーヴェンの交響曲は「英雄」とか「運命」と云った名前が付いたものは良く聞くが、交響曲第7番は初めて聴くものであった。演奏中幾つかのフレーズで、どこかで聴いたようなところがあったが難しい曲であった。ただスピード感のあるスケールの大きな曲との印象であった。

 休憩をはさんでマーラーの「大地の歌」が演奏された。この曲はマーラーが九番目に作曲した交響曲であったが、資料によると尊敬する作曲家、ベートーヴェン、ドボルザーク、ブルックナーなどが「交響曲第九」を書くと死ぬ、と云う迷信を気にして、この曲は交響曲第九番とはせず「大地の歌」とタイトルにしたと云われている。この曲は歌を取りえれた交響曲で、楽章は第一楽章から第六楽章までで構成され、2人のソリストが交互に歌い、ストーリーを組み立てていく斬新な曲である。マーラーの晩年の作品で、死期と向い合う中で厭世的東洋の詩に共鳴し人間のはかなさを表現しようとしたものと解説されていた。重層感ある流れの中で悲壮感が漂う曲であった。

 この大地の歌は、組曲で、6つの詩を歌うもので、歌声に情感を込め声量豊に歌い上げる姿に感動した。特にテノールの村上さんの声量は素晴らしいもので、今回は高音をエネルギッシュに歌い、これが詩文と合っていて心地よい気持ちにさせてくれた。またアルトの佐藤さんの表情豊かな歌や、この管弦楽団はプロの楽団ではないのかと思えるほど、洗練された演奏であった。難解な二つの交響曲を見事に演じきった演奏会であった。

 

 

 


オーケストラとの練習

2015-07-18 22:30:13 | Weblog

 8月2日(日)行われる真夏の祭典「音楽の広場」まで2週間ほどになった。練習はまだ4回しか参加していないが、全体の空気はすでに終盤と云った雰囲気であった。今日は指揮者、ソリスト、オーケストラなどが揃っての練習であり、本番前の確認的意味合いがある。「音楽の広場」として最初に練習を始めたのが6月14日であり40日ほど経った。この間私自身中だるみもあったが練習後の復習などもしてきた。しかし合唱曲6曲の内3曲は外国のもので原語で歌うので、自分としてはまだ50%以下の完成度と云ったところである。しかし合唱曲は、各パートのハーモニーが大切であり、分らない言葉があっても、完成度の高い人に合わせて歌うこともできるので、そんなに心配はしていない。

 練習は、最初の一時間は、グランシップの中ホールで合唱員だけで練習した。二人の指揮者の厳しい指摘もあったが完成度の低い私は、大きな声で歌うことはできず、後ろから聞こえる声に合わせて声を出す程度であった。それでも指揮者は、完成度の高い合唱を目指し指導してくれた。個人で復習するより、ここで声を出すことの方が完成度が高まる感じである。それにしても後ろから聞こえる声は、自信に満ちた声で堂々としていた。多分これらの人は、既存の合唱団に入っていて、そこで長い時間をかけ練習している人ではないかと思うほどであった。

 その後大ホールに移って、オーケストラとの練習を行った。ここでの練習は二年ぶりである。昨年は会場の都合で富士のロゼシアターで行い、私は都合で参加しなかった。この音楽祭の総指揮は、日本を代表するHマエストロで小さな体をいっぱいに使い、演奏者の心を一つに纏める。音楽的才能は底知れないものを感じた。それにエネルギッシュで約6時間近い練習の指揮をしていたが、そこに少しの無駄を感じさせなかった。すべてが頭に入っていて、イメージした曲感を分り易く、ユーモアを交え指導し浸透させていた。300人近いオーケストラ員とそれと同数以上の合唱団を一つにまとめ動かすこの指揮者に魅了した。

 合唱の練習が終わったのは午後5時近くであったが、オーケストラの練習はその後も続いているようだ。練習は明日もあるが、本番まであと3回ある。それまでには全ての曲を暗譜に近い状態にしたいと思う。そして本番では自分で出来る最高のパフォーマンスを示したい。それを受け止めてくれるだけの魅力ある音楽祭であると思う。なお私が勤めたJRの上司と会場で会った。彼はグランシップの責任者で、この音楽祭を成功させることを強く望んでいる一人である。私も「音楽の広場」が、静岡から発信する代表的音楽祭になることを望んでいる。

 


マンリョウの花と実

2015-07-16 21:33:32 | Weblog

 庭にマンリョウが数ヶ所に群生している。最初の一本は父が植えたものかと思うが、今は、その実を鳥たちが食べ、庭のあちこちで芽をだし、それに白い花を付けている。その花は、葉の下に幹を囲むように咲いている。今まで気が付かなかったが、今年は花の数が多いような気がする。その花は2~3mmと小さな花弁が輪状になって咲く地味な花である。樹高は50cmほどで、花は葉の下にあるため注意しないと見逃してしまうような花だ。その根元を見るとまだ芽を出したばかりの2枚の葉を付けたマンリョウの苗が幾つか生えていた。

 台風11号の影響で、強い雨が降っていて、小さな茎の細い草花は、倒れ地に頭を付けているものもあった。その中で樹木は新緑から濃い緑色に変わり鮮やかに、生き返っているように見えた。雑草も元気よく伸びているが、その雑草に隠れそうにしてマンリョウの白い花は申し訳なさそうに咲いている。その横にはセンリョウもあるが、高さ80cmほどになっていて先端に小さな米粒ほどの青い実をつけている。実をつける前に花が咲いたはずであるが、そのことも気が付かなかった。多分この花も地味なものであったろう。そのセンリョウの葉の陰になってマンリョウの花が咲いている。

 しかし、このマンリョウは、いつもの年と違ったものを感じた。花が咲いている下に、昨年つけた赤い実が輪状になってまだ生っていた。おかしいと思い、他のマンリョウを見ると、1/3ほどのマンリョウは、まだ真赤な実を付けていた。このようなことが今までにあったのかと考えたが思い浮かばなかった。確か実は、秋から冬にかけ鳥達が食べてしまい、春になって新芽が出た後に葉の下に花が咲くからだ。その赤い実も、毎年付ける実より一回り大きいものであった。何故そのようになったのか分らないが不思議である。その実は雨の中で熟して光っていた。 

 マンリョウは名前の通り縁起のよう植物である。そのマンリョウが例年よりたくさんの花を付けた。そして大粒の実も付けていることがら何か良いことがあるのかと思った。それは空想だけであるが、庭のマンリョウもセンリョウも縁起のよい植物で、それが自然に生えている。それも日向を避けるように大きな木の根元で増えている。雑草も多くなったが、その雑草に浸食されることなく群生して生えているマンリョウを見ていていろいろ思った。


老犬の散歩

2015-07-14 21:00:59 | Weblog

我家の犬の年齢は14歳2か月である。人間で言ったら80歳代であるといえるが、この老犬も、この冬ごろまでは散歩のときリードをグイグイ引っ張っていた。そして以前は朝の散歩で5kmほど歩いたことがあったが、その距離は段々落ちていった。冬の頃までは2~3kmほどは距離は大丈夫であった。そして4年ほど前から口の周りには白い毛が生えてきたが、散歩の途中で会う人と話すと「元気な犬ですね」と返ってくるほど元気であった。しかし四月頃から急に歩く速度が遅くなり、何処か悪いのかと動物病院に連れて行ったが、特に悪いところは無かった。獣医師は「もう老犬だから」と云い「後ろ足が弱くなっているが、背中の骨は正常ですし食欲もあるので大丈夫でしょう」と云った。

 その後も散歩は欠かさず、毎日朝夕は登呂遺跡の周遊道路を周ることを続けてきた。しかし一日二回の散歩は、往路は元気だが、復路は、私の後からついてくるようになった。その距離も日を追って短くなり1.5kmぐらいから1.0kmほどになり、今は600~800m程になっている。それでも私が散歩に行こうとすると、喜んでリードを付け200m程は私の前に出て引張る。

 朝の散歩は、登呂遺跡広場で行うラジオ体操の時間帯に合わせて出かけるが。最近は陽が高くなり朝6時30分には太陽の暑さも感ずる。こうした時は口を開き呼吸も早くなり、身体もぐったりする。そして復路の歩き方にてき面に出る。そんなことがあり、今日はラジオ体操の時間には連れて行かず、帰ってきてから改めて緑地公園へ散歩に出かけた。この公園は、我家から直線距離にして200m程の近くにあり、そこは東名高速道路建設のとき工事用道路として作られたところで、細長いところでに樹木が植えられ公園となっている。ここに連れて行った。

 ここは風通しもよく、樹木で日陰になっているので、散歩するには良いところである。しかし長さが300m程と距離は短い。もう少し早い時間なら近所の人達が散歩しる姿をよく見かけた。しかし今日は誰もいなかったので、リードを外し自由に散歩させた。しかし老犬は、私のそばをゆっくり歩くだけであった。それでも歩きながら、犬の匂いでもついているのか木の根元を嗅ぎながら少しずつ移動していた。これから陽が高くなり、暑くなるので登呂遺跡までの散歩は大変である。そこで、この公園で犬を散歩させしようと思う。この犬は甲斐犬であり、体幹がしっかりした犬である。年齢が14歳になるまでは老犬だとは思わなかった。しかし急に動きも遅くなったし、嗅覚も弱くなった。それでも我家の一員として面倒を見ていく。


落花生の花

2015-07-13 22:13:14 | Weblog

 我家の庭の片隅に落花生の苗が植えられている。落花生について特に知識はなかったが、昨年ここにキュウリ、ナス、トマトの苗を植えた。そこからは思った以上の収穫があった。それにコリたのか、今年も野菜作りを始めた。しかしキュウリ等は連作が効かないとのことから、何を植えるか迷った。そこでホームセンターに行ったとき、そこにあった苗を買った。それはキャベツ、ブロッコリー、コマツナ、落花生であった。しかし、この野菜は、素人では育てるのが難しい植物で、ブロッコリーは少し収穫できたが、落花生以外のものは青虫やナメクジにやられ無残な状態となった。それ故食卓に上がることはなく刈り取ってしまった。

 その中で落花生だけは、未だに畑の一角に植られていて、高さ30cmほどの葉が繁茂し、その中に黄色い花を咲かせるようになった。買った苗は5本であるが、花を数えてみると、一本に一つほどしか咲いていなかった、その花は一日ぐらいでなくなり、次の日には別のところで咲いている。そこで「落花生の育て方」を検索すると一株で幾つかの花が咲いている写真があった。その花は自家受粉すると花は落ちる。受粉した子房の元が伸び出し、地に向ってどんどん伸び土に入る。土の中3~5cmのところで子房柄は水平になってふくらんで、さやが出来るとのことであった。

 よく見ると子房柄なのか、細い糸のようなものが地面の中に入っているのが分った。この先の落花生のさやを見たかったが、まだとてもさやが出来ているような感じではなかった。そこで表面に柔らかい土をかぶせた。初めてのことでこれが正しいのか分らないが土が固まらない様、園芸用スコップで周りの表層土をそっと掘り起こした。水やりも表土が乾かない程度に行っている。今まで落花生は根に実が付くものと思っていたが、そうではなく、花から出た子房柄が伸びて地面の中で落花生が出来ることを知った。

 いま落花生の葉は色つやもよく、虫に食われたようなところはない。それに葉が繁茂しているので上手く育っているように感ずる。これでよいのかも知れないが、しかし欲を言えば、まだ花付が少ないように思う。まだ花が咲く時期が早いのか知れないので、様子を見ることにした。以前は落花生など、家庭菜園で作れるものとは思っていなかったが、品質改良など行ない、私のような素人でも育てることができるようになった。収穫の時期は9月頃とのことであるので、まだ分らないが、毎日朝起きて花が咲いているのを見るのが楽しみである。