先日、市内のサルナート(小劇場)で「ふじのくに歴史演談」なるチラシを見た。それは、県内のお寺を回り、静岡にまつわる侍の物語を、お寺の雰囲気の中、動読と音楽で歴史ロマンの世界に誘うと云う内容であった。既にこのお寺ツアーが4回か行われていて、あと7月28日と8月9日の2回のみとなっていた。7月28日の題目は「前を歩く人~担庵公との一日」となっていた。担庵公と云えば韮山の江川太郎左衛門のことで、今年世界遺産に登録された韮山の反射炉を造ったことはよく知られている。しかし幕末の激動期から明治に生きた一地方の代官である担庵が幕府の中でどのように行動し生きたのか全く知らない。そこでこの演談を聞くことにした。
演談は市内研屋町の「顕光院」で夕方7時から行なわれた。本堂には70人近い人が集まった。参加者は中年の女性が多い感じであったが、男性も若年から老人まで数10人はいた。周りの人の話から、演劇に係わる人や、その後援者、作者の関係者、それに近所の人達が連れ立ってきている感じであった。最初一人で来たことが場違いのところに来たと云う感覚になった。動読する小説は<第17回「伊豆文学賞」最優秀受賞>の作品であった。伊豆文学賞は「伊豆の踊子」や「しろばんば」に続く新しい文学作品や人材を発掘を目的に平成9年創設されたとあった。この会場には作者も来ていたが、静岡市在住の人であった。
演談は、担庵の一日を、ジョン万次郎の目を通して進めていくもので、≪志しの近い同志が老中阿部正弘の江戸屋敷に集まっている。万次郎はそこで江川担庵公に初めて会い、その付け人(手付)となる。担庵公は、韮山代官であり、幕府の勘定奉行吟味役であったが、国防の必要を建白する等、先を見据え意見すると共に、反射炉の建設などを具申していた。この時期、横浜では日米和親条約が取り交わされ、下田を開港することになった。当時下田に建設した反射炉を、速やかに韮山に移すことになり、その過程で、担庵は渡辺崋山や、捉えられて江戸へ向かう吉田寅之助(松陰)と会い議論する≫と云った内容であった。
1時間30分ほどの演談は、動読者が動きながら数人の役を演じ、見るものにとって分り易いものであった。それに合間に演奏される民族楽器も、効果的に場面を盛り上げた。後で分ったが、この動談者は静岡を拠点に作られたSPAS(静岡県舞台芸術センター)の俳優で舞台芸術の紹介や芸術家の育成など活動している。今では日本各地に出向き演じている。人となりも古風な侍を思わせるような風貌の人であった。終了後作者の本を買って帰った。