Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

芦原温泉への旅(1)

2009-05-31 20:18:39 | Weblog
 末の弟の長男は学校を出て、現在k社の福井支店に勤めている。勤め初めて2年が経過したが、元気に生活していると言う。この間数度、函南町の実家に帰ってきているが、弟は子供のところに行って見たいといっていた。昨年の末頃、弟は鉄道を利用して行く計画をしていたが、行けなくなった。
 その頃から体調を崩し、そのようなチャンスがなく今に至っている。
 5月中旬静岡に来た折話をしたが、子供の所に行きたいとの気持が伝わってきた。そこで毎年2回ほど実施している「きょうだい会」を早め福井県芦原温泉に一泊二日の旅行をすることにした。母はまだ元気であり、今なら何とか行けそうである。母のことを思い交通手段を考えると、1台の自動車で行くことが一番良いと思い、計画をたてた。
 川崎の末妹は前日静岡瀬名に住む妹のところに泊まりに来てもらい、三島の弟が「7人の乗りのレンタルカー」を借り、末の弟を乗せ我家に着いたのは丁度午前9時頃であった。
 母と既に来ていた2人の妹と私が乗り、芦原温泉に向った。母も子供たちに囲まれ自動車の中でも楽しそうにしていた。
 身内だけの自動車旅行は、本当にリラックスできる。誰に遠慮することなくできる旅は、みんな子供のころに帰ったようであった。母は90歳、私達5人は70才から59歳までの老人であるが、話は弾んだ。
 芦原温泉は福井県の北東部で石川県との県境近くにあり、末の弟の子供が住んでいる福井市から30kmほどの距離である。ここを選んだのは、自動車で30分ほどで福井市から来れるし、仕事がない日曜日を選んだ。
 6人は今までこの温泉地に来たことがない。加賀温泉郷の一つで、湯量も温泉地の規模も大きいが今まで知らなかった。インターネットで調べ、評判の良いm旅館を予約した。非常に廉価で驚いたが、母と5人のきょうだいだけであり、ゆっくり温泉に浸りのんびりすることを目的である。それに会食は弟の子供も加わることになっている。
 最初に休憩を浜名湖のSAにした。年老いた母も一緒であり、途中何度も休憩しての旅行となった。養老SA、杉津PAでも休憩した。杉津では、敦賀湾を見ながら昼食を取ったが、みんな旅館での会食を意識して軽食で済ませた。夕日が綺麗な敦賀湾は、波静かで遠くまで紺碧の海が広がっていた。それを見ているとかって太平洋戦争のあと兵隊さんや家族が抑留されたシベリアや大陸からこの港に帰ってきた人達が居たことを思った。 
 

気になった天気予報

2009-05-30 11:07:51 | Weblog
 昨日から夜半にかけ紀伊半島沖に停滞していた低気圧は、ゆっくりと北上して来た。これは太平洋上にある高気圧が発達しているため行く手を遮られていた格好であったが、それが動き出した。
 深夜0時頃から風を伴う大雨が降りだした。その風雨は午前4時近くまで続いていた。
 今日は友人とゴルフの約束があり、天候が気になっていた。夜半の雨の音を聞きながら、浅い眠りについた。
 窓越しに外が明るくなり、今までの雨、風が嘘のような静かな朝を迎えた。ゴルフができることを確信して、朝5時には起きた。友人のIさんが6時30分に迎えにきてくれることになっている。
 仕度やら、犬の散歩を済ませ門のところで待っていると、向かいのAさんが車に落ちた枯れ枝取りをしていた。私を見て「今日はゴルフ日和になりましたね」と声をかけてくれた。Aさんは昨日ゴルフ場に行ったが風雨のため中止したと聞いていた。「やきもきしましたが、よかったです」と応えた。何かすまないような気がした。
 Iさんと自動車でFゴルフC.Cに向った。晴天とは言えないが、風もおさまり曇り空であるが丁度良い天気である。
 4人のメンバーはIさん以外にAさん、Sさんである。このメンバーを紹介すると
 Aさんはよく一緒に回ることがあるが、若い時プロを目指したと言うほどの腕前であり、パープレイで回れる力がある。一緒にいるといろいろアドバイスしてくれる。彼と来ると、一歩階段を上がるような上達した気がする。
 Sさんは同じ公社にいた信通の技術者である。私とは部署が違っていたが、よく知っていた。私より2歳ほど年上であるが、よく会議等で一緒になり、よく話した。退職後Tという関連会社の支社長をしていたが、今はそこも辞めて焼津で悠々自適の生活をしているという。ゴルフ歴は私より長く、今でのHカントリクラブの会員である。
 Iさんは同じ部署にいて若い時から、気のあった仲間である。
 4人は昔の話や近況、身体の衰え等話題にしながら回った。この4人は概ね同年輩であり、最近は腰や首が痛くなったりしているが、それでもこうしてゴルフが出来ることを喜んでいる。前半は4人とも、それなりのスコアーが出ていたが、後半は疲れたのか、スイングが安定せず、崩れるケースが多くなった。午後は少し晴れ間も広がる天候であったが、みんな足を引きずりながら午後2時30分にはクラブハウスに戻った。風呂に入ってから反省会を開いた。この頃になるとみんな又元気が出たのか、冗談に「もうハーフぐらいが大丈夫」という人まで出た。
 私はスコラーは丁度100であったが楽しい仲間といい一時を過した。
5月29日のことを記す。

共同施設の管理

2009-05-28 21:13:00 | Weblog
 私共が使用している公共施設は築後20年以上が経っており、傷みがひどくなっている。今回リニューアルすることになった。外壁の塗装、内装、建屋等の修繕である。
 外壁の塗替えは前回から10数年が経っており、耐久年度をはるか超えている。塗り替えや修繕をしないと、今後建物等の維持に大きな負担がかかることから、早期に行うべきと話し合っていた。そんなことから修繕についての基本資料と予算書を出しておいた。
 この経費を算出できたのは弟が関連した仕事をしているからである。
そして、この話が出る前にB地区の責任者に提出しておいた。
 この施設は共同で保有しているとは言え、場所はA地区にあり、A地区の責任者は、この地域では有力者である。話を聞くと人間的魅力もあるし、すぐれた統治能力もあるらしい。
 先日この地域全体の会合があり、その席で、その責任者から公共施設のリニューアル計画について、各項目ごとの工事費が書いたものを配られた。
 工事費は各地区が折半で負担することになっている。
 その内容は以前私が提出した予算書は無視された形であり、その経緯の説明もなかった。
 そして曰く「この修繕予算で行うので、了解していただきたい。今後これをもとに進めたい」
 そこには既に施工業者が書かれた内容である。そこに至る説明はない。
「業者の選定までの経緯、工事の実施に当たっての仕方の提示、その中から廉価なものを決めないとおかしいのでないか」と質問した。それに対して「そうした詳細は別に持っているが、細かいので付けなかった」といった回答であった。
 組織を纏める責任者として評価したいが、合同で管理している公共施設であり、互いに納得する丁寧な説明がほしかったことを伝える。
 後日B地区の責任者に呼ばれ、詳細な説明を聞いた。その内容は理解できるものであったが、共同施設等の管理にバランスの取れた気配りが必要であることを感じた。
 

 

マツヨイ草

2009-05-27 11:05:17 | Weblog
 我家の門を入った楓の木の下にマツヨイ草が群生している。この時期になると夕刻から5cm程の黄色い4枚の花びらをつけた花が開花して、翌日の朝方まで咲いている。
 昨年、植えたわけではないこの花はなんと言う花か調べた。そこでアカバナ科の「マツヨイ草」であることが分った。
 その「マツヨイ草」が可憐な花を付けている。この花は外来植物で生命力が強く、日本の各地に広まっているという。とは言え我家で咲いているもの以外この近くで見たことはない。本来雑草に区分けされ、庭などに生えていたら、雑草として処理されていたのかもしれない。しかし私はこの花が好きである。
 芽が出たときから観察していたが、4月中旬、土にへばり付いたように、四方に10数枚の10cmほどの細長い葉が出てくる。葉は真ん中に白っぽい葉管が見える。それが5月に入った頃から中央に幹が葉をつけて伸びてきて、50cm程の高さになると、花芽と思われる「がく」が膨らみ始める。それが夕方から咲き出す。
 一夜に20ぐらいの花が付けるが、翌日には橙色になり萎れ、翌々日には、もっと赤みをおびて、根元から落ちる。
 このように短い花の命であるが、幹は伸びてまた夕方20数個の花を付け、1ヶ月ほどこうしたことを繰り返す。
 以前ブログでこの花が咲いたことを書いたが、その時竹下夢二が書いた「宵待草」は夕刻に開花して、翌朝には萎んでしまうこの花のはかなさを、詠んだが、それは「マツヨイ草」をあえて「宵待草」に呼び替え、一夜の恋の儚さをなぞられたと書いた。この花を見ているとあの名曲「宵待草」を思い出す。
 これから当分の間、我家の「マツヨイ草」が街灯の下で咲きほこる様子を見られる。そして翌朝には萎れている花を摘んでやって、夕刻咲く黄色な花の可憐さが目立つようにしてやる。
 昨日も近くに住むHさんが夕刻見え、夕闇に咲き競っているこの花を見て「なんて綺麗な花だ。一株分けてほしい」と言った。「『この花は別名「宵待草」と言う花ですよ』と言うと、驚いて「これが宵待草ですか、種を取ったら分けてほしい」と言った。
 人間にも向日葵のように日に当たるところを歩み順風満帆な人生を送る人も居れば、人の目にも留まらないし、評価もされないが、それでも一心に生きている人がいることと重なり、この花を見るようになった。
 太宰治が好んで題材にした富嶽百景「富士には月見草がよく似合う」の月見草も「宵待草」のことだと、何かの本に書いてあった。
 
 


総会三昧

2009-05-25 15:17:37 | Weblog
 昨日は登呂会、今日は鉄道OB会と総会が続いた。S地区本部の総会であり、傘下の支部の役員が集まった。理屈っぽいが、本来はS地方本部傘下支部役員総会というのが合っている。
 私が所属するS支部は支部長、事務局長が出席することになっていたが、N支部長が体調を崩して緊急入院してしまい、急遽私が出席することになった。
 場所はS駅南のT会館が会場である。午前10時には6Fの会場に着いが、既に20人近くの人が席についていた。見渡したがあまり面識がある人はいない。それでもNさんが後ろの席にいたので、挨拶して、むかしのことなど雑談した。Nさんは私がJR東海の関連会社にいた時、別の関連会社にいて、協力し合った中である。
 他にも何人か顔を知っている人はいたが、親しく話す仲でもないので席に座って、始まるのを待った。総会は午前10時30分代議員46名が出席して始まった。
 来賓としてJR東海からS支社長ほか何人かが見えていたし、1人の衆議員議員も座っていた。
 後で分ったことであるが、この方はJR東海出身のIさんであり、新幹線の施設部門にもいた人であった。私も施設関係にいたが、30歳近い年齢差があり思い出せない。彼は在職中東京、名古屋にいたので当時直接話したことはない。しかし話してみると近親感がわく好青年である。この人にはJR東海のため頑張ってほしい。
 本部長の話は、OB会員の減少を何とか食い止め、魅力ある会にするといった話と、衆議院議員選挙と知事選挙のことであった。たたき上げでJR支社長まで上り詰めた才覚の持ち主であり、この地区では知らない人がいない剛腕な人である。
 JR東海支社長からの挨拶は「厳しい会社事情を聞いた。分っていることであるが、この不況下と高速道路の値下げ、新インフルエンザが直接鉄道輸送に影響して
民営化後経験していない輸送量が減となっていること。しかし安定した輸送を確保していくなら、近い内に回復できるはずである。これからも現職の社員とOBの皆さんが一体となってJR東海を支えていってほしい」といった話であった。
 あとは平成21年度の事業計画が示され、幾つかの質問があったが、原案通り承認された。
 この会を通じて鉄道の組織が先輩と後輩、現職とOBが連携して脈々としてつながっていることを新たにした会であった。
 

登呂会の集い

2009-05-24 19:38:34 | Weblog
 登呂会は毎年秋に行っている登呂祭りの実行メンバーの集まりである。今日は今年度の総会であり、祭りを行うに当たっての計画が示され、10月の登呂祭りに向け準備することになる。
 午前10時30分から公民館で行われたが、このメンバーは登呂遺跡周辺の町内会で構成され、登呂祭りの運営を担うことになる。
 登呂遺跡は太平洋戦争中に発見された弥生時代の遺跡で、学校でも教えられた遺跡である。この静岡にあることを子供心に優越感を持ったものであった。
 最近は青森の三内丸山遺跡や九州の吉野ヶ里遺跡等が発掘され、影の薄い存在となっているが、その歴史的価値は大きいと思う。そこで平成18年から静岡市のバックアップで5年の歳月をかけ整備が進められている。現在は工事中であり多くの立木は伐採され、以前の面影はなくなっているが、弥生時代の風景と生活を再現するため、整備が進んでいる。
 昨年の登呂祭りも工事中の実施であり、祭り会場のレイアウトに苦労したが今年は登呂博物館の建設も進み更に会場の確保が困難になってきている。しかし46回も続いた登呂祭りを、ここで中断することも出来ず、縮小された形でも続けることになった。
 登呂会の運営メンバーは、65才以上の高齢者が大部分で、新しい登呂祭りを発案し実行するエネルギーはないように感じた。これも遺跡が整備中とのことから止む終えないのかも知れないが、発言も消極的意見しか出ない。
 古代米の赤米は登呂会が水田跡に赤米の苗を植え、それを収穫して、登呂祭りに炊き出しをして振舞っていたが、今年は量を半分ほどに縮小することになった。田植えも、人力での田植えを考えていたが、議論の末今年はやめることにした。
 この登呂会の会長は、地区の連合町内会長が行っている。立派な方であり、長くこの職に付いているが現状からの脱皮は考えにくい。
 会は1時間30分ほどで終わったが、執行部作った資料は昨年度とほぼ同じ内容であり承認された。
 今年の登呂祭りは10月10日(土)~11日(日)の2日間となった。地域の祭りとは言え、静岡を代表する祭りであり、行政の積極的バックアップが、必要ではないかと感じた。 

町内花壇づくり

2009-05-23 18:05:54 | Weblog
 町内美化のため、花壇の整備することになった。昨年に引続いてのことであるが、静岡市は花を提供して、街の美化を図っている。これが各町内に浸透して競ってきれいな花壇造りをするようになった。
 町内の花壇は、路面より少し高くして、花が目立つようにとブロックを約40cm(20cmを2段)程上げた。このブロックを積み上げ長方形の花壇にするには、少し造園のことが分っていないと上手くいかない。
 我が町内の役員にはそうしたことが分る人が私以外にもいる。そうしたことから
 本格的花壇作りとなったが、役員6~7人で一日程度掛かる仕事となる。
 その作業を今日行うのは、毎月第4土曜日が資源回収日であり、町内役員が出て来るからである。町内数箇所に集めた新聞紙等の資源を回収車に積み込む作業で午前8時から約30分ほどで終わる。相当な肉体労働であり、終わった後筋肉痛が出るのが常である。それでも4~5t/回の資源を回収し、それが町内に還元されることから、一石二鳥の事として取り組んでいる。
 資源回収作業が終わって、午前9時には花壇の場所に役員が揃った。
 この場所は町内のメイン道路に面した一角に市から借受けた土地がある。そこに花を植え花壇にしている。
 既に花壇の図面と必要な資材等も出してあったので、他の役員が資材等の購入は済んで、現地に置いてあった。
 丁度近くでMスーパーマーケットが秋の開店を目指して工事中であったので、工事現場から測量道具を借りてきて、遣り方を出した。
 傍から見ると専門的過ぎると思われるが、この方法で行うとたかが花壇といえども確りしたものが出来る。
 今日は真夏のような天気となり、この炎天下では作業は午前中までとして、ブロックの積み上げだけは終わらせようと始めた。
 昨年も同様なことをやっているので、皆さんは手馴れている。何とか3時間ほどで目地うちも含めて終わらせることが出来た。
 まだ完成ではないが、ここまでやれば8割方出来たと同じである。後は市から届く花の苗の前に、土砂の整理や培養土を入ればいいことになる。
 役員の皆さんも汗を掻いたし、慣れない作業で疲れもした。町内会長が労をねぎらい「今日はご苦労さんでした。ここまで済めばもう十分である。昼食をみんなで食べよう」と、近くの蕎麦屋に行った。
 その時呑んだビールは旨かった。
 
 

旅行2日目

2009-05-22 13:11:10 | Weblog
 朝4時半に目が覚めた、酒を呑むと早く起きるのは常である。しかし2日酔のようなことではなく、気分はよい。先生も会長も眠っているのか寝息が聞える。
 そのまま布団の中にいて寝ようとしたがなかなか眠れない。
 5時前には外が明るくなってきたので、廊下に出て一階のロビーのソファーに座って新聞をみていた。
 部屋に帰ると会長が起きてきて「今からジョギングをしてくる」と云ってマラソンスタイルで出て行った。先生はまだ寝息が聞える。
 私は1人で2Fの温泉に行った。風呂場はまだ誰もいなく、広い浴槽から真っ赤な太陽が上がる様子が見えた。
 30分以上湯に浸かってから脱衣所にいると、先生が入ってきた。あいさつを交わしたが先生も良い顔色であった。
 朝食はバイキングであったが、焼津の名産である。黒はんぺんやしらすは美味しかった。ここでも食べた後コーヒーなど飲んでみんなで1時間ほど時間を費やした。午前10時のチェックアウトまでは直ぐ過ぎたような気がした。
 代金を払ったが、まだ半分近くが残っているようだ。焼津駅行きのシャトルバスに乗るのは午前11時15分に決め、全員が1Fロビーのソファーで雑談して過した。
 丁度ホテル内では火災訓練をやっていて、従業員及び消防団員が集まって臨場感ある訓練をしていた。お客さんがいない時を選んでの訓練である。
 雑談の中で昼食は静岡に行って「魚河岸鮨」を食べようということになった。
 東海道本線も連絡よく静岡駅に付いた。駅ビルの7階にある「魚河岸鮨」には11時50分には入った。正午以降はサラリーマン等で混むところであるが、10分程早いため畳の部屋に7人は座ることが出来た。
 朝食後3時間ほどしかたっていないが、みんな一人前の寿司を注文した。
会長と私はビールも呑んだが、ここでも会話がはずんだ。気がつくと込み合う正午からの1時は過ぎていた。そのようなことは気にしないで話し合った。
 午後1時過ぎそこを出て解散したが、のんびりした近場の温泉旅行を満喫していただいたものと思った。
 家に帰って、金額を精算したが、まだ8千円/人ほど残っている。メンバーの1人が言っていたが「余ったら、再度会食会を開いてくれ」と言った言葉が、実現できる金額である。
 それでも残額はみんなに返す心算である、その後考えたい。
                       5月21日のことを記す。
 

 

近場の旅行

2009-05-21 20:55:21 | Weblog
 関西地区で新型インフルエンザの感染が広がり、「あすなろ会」の城崎温泉旅行はキャンセルした。予定していた20日、21日を穴埋めするため、急遽選んで焼津松風閣ホテルに行くことになった。
 近場で、ゆっくり温泉に浸かって懇親することにした。
 昨日ゴルフから帰ってくると、妻から「ツアー会社から電話があり城崎温泉の旅行は中止になったので、全額返済する旨の連絡があった」とのこと、このことは直ぐみんなに知らせた。
 今日の懇親旅行は、焼津からシャトルバスが運行しているためそれに合わせ静岡駅に午後2時50分集合することになった。
 私も2時30分には駅に着き、みんなを迎えることとした。
緑の窓口で回数券を買おうと入ると、いつも行列ができた窓口は誰も並んでいない。咄嗟に場所を間違えたのかと思うほど人が少ない。やはりインフルエンザの影響が出ているらしい。どうも長距離に移動は控えているのではないかと思ったが、JR東海にも、このように影響が出ていることは心配である。
 静岡から焼津へ、そこからシャトルバスで松風閣ホテルとスムースに来て
午後4時前に着いた。9Fの部屋の窓から見る静かな海原と遠くにかすむ富士山は
気持をゆったりさせてくれる。
 直ぐビールでの酒盛りが始まった。とは言えK先生は少し呑むだけであり、T会長と私だけで呑んだようなものである。少し時間を置いて、隣室の女性達も集まってきたが、呑むのは2人だけでビールを6本開けてしまった。その間先生が幾つかの手品を披露した。私も以前画用紙に作っておいた、謎かけクイズをやった。他の人も手品をやったがあまり覚えていない。 夕食前に温泉に入ろうと部屋を出たが、
 男性3人は温泉ににゆっくり入ってしまい夕食の午後6時30分に間に合わなかった。女性の皆さんは既にテーブルに付いていて、少しむくれたような視線で迎えてくれた。写真を何枚か撮ってもらい、会話もはずんだが、酒も入って、どのようなことを話したがあまり覚えていない。しかし気がつくとその宴会場には私達ばかりで他のお客さんたちはいなくなっていた。
 また温泉に入って部屋に戻ると一部屋に集まり、話の続きが始まっていた。みんなリラックスしてか、品格が疑われるような話もあったが、楽しい時間を持った。
 私が寝たのは11時を回ったころであった。
                       5月20日のことを記す。

旅行キャンセル

2009-05-19 22:02:45 | Weblog
 5月20日、21日「あすなろ会」として一泊二日の懇親バス旅行を行いその幹事となった。
 場所は兵庫県豊岡市の「城崎温泉と但馬の小京都鋳出石」である。8名が参加し、その準備をしている。明日は男声合唱団のゴルフコンペがあるので、今日中に終わらせたいと思う。
 そんな折新型インフレエンザが兵庫県神戸市、大阪府で急速に広がってきた。
 朝方会長のTさんから電話があり「旅行は大丈夫だろうか。孫を預かっているので、もしインフレエンザに掛かったら困る。夕方までに判断したい」こんな話であった。
 私は「神戸市や大阪府の茨木市に感染しているが、日本海側の豊岡市では大丈夫ではないか。様子を見て判断しましょう」と応じた。
 日中は、旅行準備に当っていて、ニュースは聞かなかった。午後6時ごろHさんから電話が入った。「体力的に弱い先生に感染でもしたら大変だ大丈夫だろうか」と心配の電話であった。
 ツアー会社はキャンセルするなら午後8時までに電話を下さい」と言われている。
 午後7時のニュースを聞いてインフルエンザが兵庫県全体に広まっていて、豊岡市も感染者が出たことを報じている。
 心配になって、先生を含めて何人かに意見を聞いたが、先生は「敢てインフレエンザが蔓延している行くのは躊躇する」と話した。他の人達も先生のことを心配している。
 時間がなく全員の意見は聞けなかったが、午後8時前にキャンセルの電話をツアー会社に入れた。すると「今日は旅行の前々日に当たりますので3割のキャンセル料を頂きます。今のところ旅行を中止することは考えていません」との話であった。
 キャンセルにしたものの、当日はみんな旅行のため日を空けている。幹事として何かを考えなければならない。会長に話すと「どこか近場で旅行をしたい、きっとみんなもそう思っている」という返事であった。
 日は迫っている、早急インターネットで調べた。旅行代金はキャンセル料を引いた7割程度で行けるところが前提に考えた。
そして清水区三保園ホテル、焼津松風閣ホテル、焼津グランドホテルを候補にして選んだ。甲乙つけがたいが、温泉であり、展望がよいところ、それに建物が魅力的なところとして、松風閣ホテルに決めた。
 そして海に面した部屋を2部屋確保できた。料金も思ったより廉価なところであった。
旅行のスケジュールを決め、会長に説明すると喜んでくれて、みんなに連絡すると言ってくれた。キャンセルして2時間ほどで松風閣ホテルへの一泊二日の温泉旅行に行くことにした。みんなに喜んでもらいたい。