昨年の9月に「突然の訪問客」と言う題目でブログに書いた、その彼Kさんが1月30日亡くなった。
このように早く亡くなるとは思わなかったが、9月に来たとき、少し痩せた感じを受けた。外見は気丈にしていたが、2年前ガンに侵され手術して普段の生活にも戻っていたが、最近腰が痛くなり、今までやっていた店も閉めて、少し休養することにしたと言っていた。そのとき20数年ぶりに見えたことから、何か悟っての訪問ではないかと思った。
だから今回受話器を取ったとき、いやな予感がよぎったのは事実である。しかし以前会ったときから4ヶ月もたっていないのに、人の命の儚さ感じざるを得ない。
Kさんは父の姉の子で、父親を早くなくしていたので、父は不憫に思い、よく可愛がった。それにKさんは私より1歳年下であり、同じ静岡に住んでいたので良く遊んだ。
「鯨が池」にヒシの実を取りに行ったり、メジロを取りに行ったりもした。活発で話の好きな人であり、いるだけで明るくなる人であった。
そんな彼に父は高校受験の前3ヶ月ほど家にきて勉強の補修をやっていたことを思い出す。
父はあまり高等教育を受けていないが、その程度のことは教えることが出来た。私もその1年前には同じように父から補修を受けたので知っている。
その彼も紺屋町で所帯を持って店を構えた。その商売も繁盛していたし、確か3人の子供も成長して独立したと聞いた。やっと肩の荷が降り、これからは夫婦でのんびり、旅行でもしながら、余生を楽しく過そうと思っていた矢先のことであったと思う。
あんないい人が働きづめで、一生が終わるとは、何とも不公平ではないかと考えてしまう。
今思うに昨年の9月突然家に見えたのは、自分の寿命が尽きるのが近いことを悟ってのことであり、別れの訪問であったのではないかと思った。
私も概ね同じ世代である。同期の人間の何人かは、この世を去った。私もいつどうなるか分らないが、いま生かされていることを感謝し大切に生きなければならないと思う。
彼の葬儀は1月4日行われる。そのときが最後のお別れとなってしまうのか、悲しいことである。
このように早く亡くなるとは思わなかったが、9月に来たとき、少し痩せた感じを受けた。外見は気丈にしていたが、2年前ガンに侵され手術して普段の生活にも戻っていたが、最近腰が痛くなり、今までやっていた店も閉めて、少し休養することにしたと言っていた。そのとき20数年ぶりに見えたことから、何か悟っての訪問ではないかと思った。
だから今回受話器を取ったとき、いやな予感がよぎったのは事実である。しかし以前会ったときから4ヶ月もたっていないのに、人の命の儚さ感じざるを得ない。
Kさんは父の姉の子で、父親を早くなくしていたので、父は不憫に思い、よく可愛がった。それにKさんは私より1歳年下であり、同じ静岡に住んでいたので良く遊んだ。
「鯨が池」にヒシの実を取りに行ったり、メジロを取りに行ったりもした。活発で話の好きな人であり、いるだけで明るくなる人であった。
そんな彼に父は高校受験の前3ヶ月ほど家にきて勉強の補修をやっていたことを思い出す。
父はあまり高等教育を受けていないが、その程度のことは教えることが出来た。私もその1年前には同じように父から補修を受けたので知っている。
その彼も紺屋町で所帯を持って店を構えた。その商売も繁盛していたし、確か3人の子供も成長して独立したと聞いた。やっと肩の荷が降り、これからは夫婦でのんびり、旅行でもしながら、余生を楽しく過そうと思っていた矢先のことであったと思う。
あんないい人が働きづめで、一生が終わるとは、何とも不公平ではないかと考えてしまう。
今思うに昨年の9月突然家に見えたのは、自分の寿命が尽きるのが近いことを悟ってのことであり、別れの訪問であったのではないかと思った。
私も概ね同じ世代である。同期の人間の何人かは、この世を去った。私もいつどうなるか分らないが、いま生かされていることを感謝し大切に生きなければならないと思う。
彼の葬儀は1月4日行われる。そのときが最後のお別れとなってしまうのか、悲しいことである。