Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

雨ニモマケズ

2008-05-01 23:08:32 | Weblog

 4月5日から5月25日まで「宮沢賢治展」が静岡アートギャラリーで開かれている。3月ボランティアで老人介護施設「登呂に家」で宮沢賢治の「雨ニモマケズ」朗読した。その時彼の輪郭を知ろうと調べた。そして賢治の感性豊かな詩情に魅力を感じていた。 そんな折静岡で宮沢賢治展が開かれていることを知って、いつか行こうと思っていた。 今日鉄道OB会の打合せで静岡駅の近くの事務所に行った。終わったのは午後3時ごろでったので「宮沢賢治展」を見て行くことにした。                展示会は第1部は「宮沢賢治」という現象~宮沢賢治の生涯~                   この章では、宮沢賢治の人となりとその生涯         第2部はすきとほった本当の食べもの~賢治童話の挿絵の世界~   この章では、賢治童話を基にした絵本原画を紹介     に分かれていて賢治の世界を紹介していた。                     私は賢治の作品を知っていたのは「雨ニモマケズ」「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」ぐらいのもんである。それも題目だけで、内容はあまり知らなかった。 展示されている何度も書き直した跡が残る原稿を時間をかけて読んだ。 その純粋な心を読み取り、賢治が自分を犠牲にしても他に尽くしたいとの思いが伝わってくる。それは人間は然ることながら、動物、植物までにも及んでいる。この博愛精神は何処から来ているのか? そしてたどり着いたのは賢治の強い宗教感からではないかと思った。賢治の家は岩手県花巻で質屋を・古着商を営むどちらかと言うと裕福な家庭であった。祖父伝来の浄土真宗の門徒であり濃密な仏教信仰の中で育った。賢治は農民が冷害などにより凶作で生活が困窮するたびに家財道具などを売って当座の生活費に当てる姿を目撃している。自分の裕福な生活もそのような貧困の上にあることを耐えられなかったと思う。故に盛岡農林学校を卒業し、助教授の推薦も辞退したし、農学校の教師も辞めて農業指導の道を選んだ。精神的支柱である宗教で貧しい農民を救済できないかと考えた末に法華経にたどり着き信仰の高まりにより国粋主義の法華宗教団国柱会に入信するに至ったと考える。 弱者に対する献身的精神、強者への嫌悪などは、こうした要素から来ていると思う。 死を直前にして残した「雨ニモマケズ」は彼が目指した人間像ではないかと思った。読むだけで心が洗われる思いだ。このような場面に会えたことを感謝している。