蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ミニ鉢花と、みかん。

2010-12-27 | 無題

新聞代を集金に来られた方に、いただいた、このお花。
「植え替えてください」と言われたけれど、一度はスコップを持って庭の土を掘ったものの
取りあえずは室内で、と思い、花器に移した。

「ありがとう」って、すんなりいただいたのは、いいのだけれど、
いったい、どなたからのお花なんだろう?

集金人さんが、たくさんこういうお花を扱っておられるかなにかで、ご自分のお花を自腹でくださった?
あるいは、新聞販売センターが、年末のお礼、ごあいさつがてらに?

そのお礼にといっては、おこがましいが、みかんを差し上げればよかった。
(と、いつも後になって思う)

でも、スクーターで、他にも荷物を乗せられていたし、他の家にも一軒一軒回られるだろうから
邪魔になってはいけないと思い、とどまった。


みかんをあれから、また一箱いただいた。(今、うちにあるのは、合計二箱)

少し前に実家の母に、一箱送って、減ってやれやれ・・・と思っていたが、
実家では、義母からも、またみかんが一箱送られてきたらしい。

「別の、とある人にいただいた四国のみかんが、一番おいしい」
と実母は、われわれのみかんを差し置いて、しゃしゃーと言っていたが。

社交辞令というものを知らないひとだ。
(ああ、哀しきわたしのDNA製造元・・・・・正直だけでは、世の中、敵だらけ)


みかん、みかん、みかん・・・

お正月には、こたつを囲んで、こたつの上に、みかん。
冬の風物詩のひとつでもある。
谷内六郎 作品みたいなかんじで、国語の教科書に載っていそうだ。

むかし、幼い頃に、田舎の我が家で、炭火で熱くなっている火鉢の灰の中に、みかんを埋めて、
「埋め蒸し焼きみかん」にして食べていたことがある。
うちだけ?
ひょっとして、うちのなかでも、わたしだけ?

いま思っても、実に、けったいな食べ方だ。
この賞味感覚が、もしいまのわたしの基礎となっているのなら、わたしの味覚感度は、かなりあやしい。
ひとにグルメなものをおススメする自信が、まったくなくなる。


紀伊國屋文左衛門は、タイムリーなみかん供給で巨財をなしたが、
時代も変わり、ライフスタイルも変わり・・・
一般ピープル、しかも、あまりフルーツが大、大好きでもないわたしには、少しのみかんなら歓迎だが
今では二箱に増えたみかんと、どう向き合うかが、この冬の課題になっている。

 

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あのミニ鉢花をくれた、新聞集金のおばちゃんに、どさっと、あげればよかったと、とても後悔しています。
でも、迷惑かも・・・なんて、よけいなことを考えるのが、わたしの命取りになっているようですね。
 

 



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