蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

儚い、想い

2016-10-05 | 人生

わたしのプチ鬱は、20年周期でやってくる。

前に来たのは、40歳前後。
その前は、22歳ぐらいの時。
そのまた前は、たぶん、11歳ごろ?
そのまたまた前は、6歳ぐらい?
あれ?20年周期では、ないじゃない?

周期が5年、10年、20年、と、倍、倍に長くなっている。
では、わたしケースの法則によると、今のは鬱と認定されなく、次に来る鬱は、前回から40年後か。
つまり20年後。

80歳。
きっと、それなら本格的鬱だろう。
80歳には自分の道は自分で決めると豪語、宣言した、入所する老人ホームも決まらず、
家も汚く、ぐちゃぐちゃに乱れ放題で、家族にうんざりされている図が見える。

子供のころの鬱の原因は、自分にはなく、外因的要素から来るものだった。
わりとわたしは無神経なほうなので、あれ?ちょっと痛いと思ったら、擦り剝いてた、程度で、けろっと過ぎた。
20歳、40歳は、自分の行く道、人生の選択や、航路途中のエアスポット。
今回も、エアスポットと言える。

一般的にみて、鬱の原因は、巨大な喪失による、虚無感だと想像する。
外的圧力による、ストレスもあるだろう。

わたしに関して言えば、目標を見失っている、といったところか。
目標に達する過程で、息が切れ停滞している、踊り場現象とは少し違う。

子育てが終わって、更年期障害なども重なって、空の巣症候群や思秋期になる熟年女性も多いらしい。
わたしは、どうか?
まあ、その時期は、通常範囲内の通過。
結婚していない人や、子供がいない人には、空の巣症候群にはならないと思う。

わたしは、女性ならではの・・・という虚無感ではなく、人間なら誰でも当てはまる虚無感。
(リタイア直後の仕事人間も、こんなかんじかも知れない)


しかし、ね。
生物は、生まれてきたら必ず死ぬのであって、生まれてきて死ななかった過去の人は一人もいない。
無常、あはれ(あわれ)、世の常。

はやくあの世に行きたい、と、口癖のように呟いているご老人がいる。
毎日、歩行をこころがけ、必ず健康飲料や、サプリ、薬を飲んでいる。
健康には人一倍、気を使ってるんだそうな。
そんなことしてたら、ねえ、、、その人の口癖の目標が遠のくばかり。


ドライフラワーは、美しいか?
薔薇のドライフラワーは?
かすみ草は、生でもドライフラワーでもそう変わらない。
(プリザーブドフラワーという、花を長生きさせる技術を駆使した、長く枯れない花もあるけれど。
飽きても捨てられないのが、難点)
美しい薔薇を最も素晴らしい時期に大量に刈り取って、エッセンシャルオイルや香水が作られることもある。
一滴に込められた、多くの薔薇の命。
なにも考えなくても、わたしは、単純に、薔薇の香りは大好きだけれど。


なにか大きなこと、功績、人の役に立つことをしなくても、
人の足を引っ張らず、大きなマイナスを導かない生き方もある。
人に、「あいつは、ダメなやつだ。なにも、しない。なにも、できない」と揶揄されても、
なにかしたことが、すべて、どんぴしゃり素晴らしい称賛に価するかどうかなんて、後の時代にならないとわからない。
本人はフルモード、全開で精いっぱい頑張っても、良きにつけ悪しきにつけ、結果はすぐには出ない。

いろんな生き方があり、いろんな終わり方がある。
一滴の薔薇のエッセンスのために、どれだけの美しい薔薇が日の目を見ずに縁の下でうごめいているか。

人知れず、うごめいていても、いいんじゃない?
そんな気もする。

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