『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[映画『20世紀少年<第2章> 最後の希望 』を観た]

2009-01-31 23:58:21 | 物語の感想
   (緊急追記 2009/02/06)

    実は、この作品を楽しめなかった理由に、「こもった音響」があった。
    セリフなどが異常に聞き取りづらかったのだ。
    それを、私は、作り手の狙いと思っていた。
    しかし、本日、MOVIX昭島に行ったら、
    それが「デジタル音響設備の不調」だとわかった。
    もし、音響が正常だったら、私の、この作品への評価は、
    もうちょい高かったと思う・・・。
    いや、これは、料金の払い戻しをしてもいいくらいの、映画館側の不手際である。

    (以下、2009/01/31の鑑賞後の感想)

☆すいません、これ、私には駄目でした。

 全然、何が何やら分かりませんでした。

 なかなかの長尺の上映時間を全く飽きることなく見て、

 主人公のカンナ(平愛梨)のグリグリに大きな瞳やシャープな輪郭の美しさ、

 それと正反対の小泉響子(木南晴夏)の面長でキョトンとした表情の可愛らしさなどには、とても魅きつけられた(でも、この子、物語的には何のバックボーンもなく、けれど、核心に触れる位置に立たされちゃっているよね^^;)。

 でも、見ていて、どうしても「解せない」感が渦巻いた。

 それは、物語の各所での、ドラマツルギーの方向性の「ズレ」に起因するのだと思う。

 例えるならば、家でお茶を飲むために、おもむろに外に飛び出し、鉄の薄い板を買ってくるみたいだ。

 つまり、その薄い鉄板で、ヤカンを作ろうとするような、頓珍漢な「ズレ」具合が全編を覆っていた。

 はじめは、原作の浦沢直樹作品に特有の「思わせぶり・寸止め」展開故の、私の「とまどい」かと思ったのだが、どうやら、そうではない。

 挙げると切りがないし、いくつか挙げても、それを処理されたら改善されるとも思わないので、面倒なので書かないが、あまりにも多くの物語因子が欠落していて、もう、自分が物語のどこに没入していけばいいのかもわからない・・・。

 監督の堤幸彦は『トリック』も撮っているが、あのドラマの遊びの部分だけを、お金をかけて拡大させたような<第2章>であった。

 <第1章>(クリック!)は、まあ、60年代末の雰囲気をよく表わしていて、また少年時のノスタルジックと、記憶のあいまいさからくるサスペンスで楽しめた。

 だが、今回は、非現実的な近未来が舞台で、かろうじて、前回にイメージとしてあった現在とのつながりが見えず、少なくとも、私が基準とする「物語認識の<足場>と出来るポイント」が皆無であった。

 私の母は、<第1章>を見ていて、<第2章>も楽しみにしていた。

 しかし、見終えて一言。

          「つまらん」

 私も、面白かったが、とてもつまらなくも感じた・・・。

 姪は、それなりにエンジョイして見ていた様だ。

 特に、少年時代の「サダキヨ」の顔には熱狂していた^^;

 私は、少年サダキヨの顔を見て、思わず声を上げて怖がってしまった^^;

 変な鑑賞後の気持ちだが、<第3章>も見に行くとは思う。

                    (2008/01/31)
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[映画『誰も守ってくれない』を観た]

2009-01-30 16:26:25 | 物語の感想
☆いやはや、評判が悪いので、奇を衒った<1アイディア映画>かなと思いきや、とてもよく出来た作品だった。

 一ヶ所、どうしても、「やりすぎだろ・・・^^;」と思えるシーンがあり、それで私の心中の評価はガタ落ちするのだが、それ以外は、私にとって、『おくりびと』と同レベルの佳作として観られた。

 物語は、凶悪殺人を起こした未成年犯罪容疑者の家族・・・、特に、その妹・・・、

その少女と、社会(マスコミ→ネット)の制裁から保護する刑事の話だ。

 <デラ・富樫>が刑事をやっていたのだが、まあ、この人が出てくると、とりあえず、押さえとして安心して見られる。

 でも、この人の魅力は、時おり見せる少年のような「ぶっきら棒さ」のような気がする。

   ◇

 今回は、何よりも、志田未来が可愛かった。

 ドラマ『女王の教室』や『14才の母』を斜め見し、谷村美月が気になり『わたしたちの教科書』(これだけは全て見た)、そして、映画『母べえ』と、志田未来を見てきたが、少女であること以外は、さして興味がなかった。

 児童劇団ノリの感情の込め方や、ネチョッとした声質が嫌でもあった。

 でも、素材は可愛いと思う。

 それが、癇に障る声が私を苛立たせる福田麻由子との違いか・・・。

 そして、今回の志田未来だが、可愛かった。

 ネチョッとした声もなくなり、声を荒げるシーンでも、福田麻由子のような超音波を発することはなかった。

 何よりも、顔の頬のラインがふくよかで良かった。

 その瞳の魅力は、まあ、万人が知るところだろう。

 そんな、制服姿も可愛く、学校の人気者であっただろう笑顔の彼女が、学校からも、自宅からも追われ、急転直下で追い詰められていく。

 物語の途中、何度か、服装を変えるのだが、いずれも可愛い^^

 私のお気に入りは、袖がちょうちんになっているブラウス。

 あのちょうちんの空間には、どんな美少女の匂いが詰まっているのだろうか?(←バカ)

   ◇

 映像の撮り方が、普通の作品と異なり、臨場感あるドキュメントタッチでもあり、物語を格調高く見せてくれている。

 その中で、許容範囲内でクセのあるキャラが配置され、リアルが保持されている。

 「おい、背筋が凍るねえ^^;」が、主人公の刑事の口癖らしいのだが、作中で先ず二回くり返され、三度目は無言で、見ている私たちの心に想起させるという脚本上の技巧が施されていたが、その後に四度目もあったので、ちょいとしつこかった^^;

 犯罪者を産み出した家庭が、マスコミの追及を逃れるため、今後の生活を考え、とりあえず、超法規的な措置で、離婚再婚の手続きをし、名字を母方の旧姓に変えるという方法が為されたが、その事務的に、タクティクスに黙々と行なわれる手続きには、ちょっと戦慄した。

 物語は、次第に、マスコミからの追求よりも、もっと執拗なネット上のものへと移行する。

 この辺、「2ちゃんねる」などをイメージしているのだろうが、正直、犯罪者の家族へのバッシングってのは、実際はあまりないような気がするのだが・・・。

 もちろん、<イラク3バカ>の両親のような、開き直りの勘違い家族は別だよ。

 ただ、犯罪者の妹が美少女だと知れたら、違った意味での「祭り」は開催されるだろうね。

 「沙織たん、ハァハァ(´▽`)」とか、「ちょうちん袖の中身の匂いは?」とか。

 でも、私はそんな野郎がいたら、軽蔑するね、うむ!(^^;)

   ◇

 ・・・そこまでは、かろうじて、突飛ではなく思えた。

 しかし、沙織の彼氏が登場してから、なんか物語が1エピソードそのまま歪んでいく。

 この彼氏、女みたいな優男なのである。

 女みたいな声で、どうあっても沙織の性格との釣り合いが取れないタイプの少年だ。

 丸刈りの明るい少年が、<ぶっきら棒>ながらも、心配で駆けつけていたら、その後の破綻もなかったのに・・・。

 女みたいな声の彼氏だが、どこかで聞いた声だなあと記憶をまさぐったら、ドラマ『わたしたちの教科書』で、クラスではびこっていた陰湿なイジメを指示していた張本人の少年役であった。

 そのドラマで死んでしまった生徒を志田未来が演じていた。

 その少年の女みたいな声は役作りかと思っていたら、今回の作品でも同じ芸風だったので、この少年は、これからもその芸風で通すのだろう^^;

 長くなったが、問題は、作中で、その少年がしでかした事だ。

 私的には「こりゃ~、やり過ぎだ!!」と思い、内容は悲劇だが、それまでノリノリに鑑賞出来ていた自分の感情が急速に萎えるのを感じた。

 詳しくは書かないが、でも、ベッドの上でポテッ! と座り続けている志田未来の姿は可愛かった。

 その後、ネット住民による、あり得ない様な<公務執行妨害>なども描かれ、更にゲンナリするのだが、・・・まっ、まあ、私は許すことにした。

 そして、物語はエピローグに向う。

 しょーもないクライマックスを経ながらも、作品自体ではどうにかして持ち堪えたと思う。

                       (2009/01/30)
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[映画『青春群像』を観た]

2009-01-29 23:59:42 | 物語の感想
☆ニョホホホ^^; 新作かと思ったかな?

 今、吉祥寺のバウスシアターで<フェリーニ映画祭>をやっていて、

 『青春群像』は、フェデリコ・フェリーニ監督の初期の作品である。

 お昼にメールにてお誘いを受けて、仕事を早めに切り上げ、吉祥寺に赴いたのだ。

 1953年の作品で、モノクロである。

 しかし、その内容は、現代においても、全くもって色褪せることなく、紛うことなく今に通じる内容であった。

 「モノクロ」と言う<斬新な手法>で撮られた最近のロードショー作品として、テレビCMを打ったら、結構、ヒットしちゃうと思う。

   ◇

 舞台は北イタリアの港町リミニで、そこに住む若者たちの「青春の鬱屈」を描いている。

 若者といっても、みんな30歳に差し掛かっているようだが、それは国民性の違いで、イタリアでは、まだまだ若者カテゴリーなのだろう(実際には、日本でも三十路を迎えてもフラフラしている奴は多い。私もそうだったか^^;)。

 五人ほどの仲間がいるのだが、揃いも揃って無職なのである。

 この作品の原題は「乳離れできないでいる仔牛」の意であり、つまり、「ニート」や「パラサイト」「浪人」「フーテン」とでも意訳できようか?

 ・・・私は、そこに、現代日本の若者と重なる面があると感じた。

 作品内の字幕では、彼らは、「のらくら者」などと自称していた。

 だが、五人は、それぞれに個性・状況が異なる。

  節操のないプレイボーイ・・・ファウスト

  歌がうまい男・・・リカルド

  不倫関係にある姉を案じている・・・アルベルト

  戯曲家を目指している・・・レオポルド

  そんな皆を見つめている・・・モラルド

 それぞれ、タイプが全然違うのに、いつもつるんでいる。

   ◇

 昨今の携帯小説ほどではないが、片田舎を舞台に、なかなか刺激的な事件やイベントが起きる。

 特に恋愛沙汰で派手な展開が多い。

 それは、ラテン系気質なのだと思う。

 話の中心が、浮気者のファウストで、彼がモラルドの妹・サンドラにちょっかいを出して孕ませ、責任とって結婚してから、登場人物たち皆それぞれの青春が動き出していく。

 何よりも物語を牽引するのが、そのファウストである。

 とにかく節操がないので、サンドラを蔑ろにして、いつ、ファウストが、他の女にちょっかい出すのか、出すのか? と考えて見ていると、ヒヤヒヤしてきて、青春映画なのに物語に妙なサスペンスが生まれるのである。

 また、可憐なサンドラをはじめ、映画館で知り合う<なんか濃厚な奥さん>、修道女、アルベルトの姉さん・・・、出てくる女性がみんな美しいのである。

 ついでに、ファウストの妹である少女も可愛いし、サンドラが産む赤ちゃんも可愛い。

 モノクロと言うのは、美しいものを美しく見せる最良の手法かも知れない。

 町も非常に美しく撮られている。

 ・・・ただ、作中においても、トウがたち始めていた女性を、ファウストがくどいたのには驚いた^^;

 と、同時に、男としては、その「手当たり次第」を見習わなくてはとも思うのだ^^;

   ◇

 フェリーニの初期の作品は、撮るべき映像をキッチリと収め、撮るべき物語を段階を追って律儀に語る。

 散文的に思われようが、見ている私たちに「誤読」をさせないよう、公約数としてのテーマを大らかに示してくれるのは、やはり、名監督たる所以なのである。

 それを確固たるものにしてくれるのが、役者の演技である。

 若者たちは、皆、ジェームス・ディーンばりの「悲しい輝き」を、日々楽しく生きるその瞳に宿している。

 私は、アルベルトの、孤独である悲しみに、とても共感した。

 カーニバルが明けて、会場のホールで、人形の首と踊り続ける女装姿のアルベルトに、「青春の孤独」は集約されていた。

   ◇

 物語の最後、早朝、モラルドは、町を出る。

 見送ってくれるのは、モラルドが、「青春のやきもき」をもてあまして、深夜の散歩を繰り返していたときに知り合った駅員見習いの少年であった。

 電車に揺られ、モラルドは町を出る。

 モラルドの脳裏には、早朝でまだベッドの中の各仲間たちの姿がよぎる。

 驚くことに、フェリー二は、本当に、「ベッドの中の仲間達の姿が流れている」映像を画面に流す。

 電車の進行と違和感なく、流れるのだ。

 私は、その斬新かつ、製作から50年も経つのに、はじめて見せられた表現に唖然とした。

 これは、例えば、『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストの<キス・シーン集>みたいにあざとくなく、より洗練された形といえよう。

 そして、後年の、自由奔放なる映像世界を開陳したフェリーニの原初の姿でもあっただろう。

   ◇

 「洗練された形」と言えば、この作品は、若者たちを描いた群像劇であるが、昨今、『ハッピー・フライト』と言う、空港で働く人々を描いた群像劇がほめたたえられていた。

 私が、『ハッピー・フライト』の監督に言いたいのは、群像劇にしても、特殊世界を描いた作品であっても、「これみよがし」はダメですよ、と言うことだ。

 つまり、群像劇を群像劇としてみせてはいけないのだ。

 個々の人物の物語を、ただ並列しただけでは、作劇的に稚拙であると言いたいのだ。

 『青春群像』では、個々の登場人物の<青春>が有機的に、自然に、作劇的な洗練をもって、当然のごとく語られていた。

 それが映画であり、名作として残るものなのであろう。

                      (2009/01/29)
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[映画『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』を観た]

2009-01-24 23:59:05 | 物語の感想
☆・・・いや、映画としては非常に面白い。

 傑作と言えよう。

 しかし、『タイタニック』コンビ(レオナルド・ディカプリオ ケイト・ウィンスレット)による、「その後の『タイタニック』」を期待し、デートで出かけた日にゃあ、暗雲垂れ込める二人の未来となるやも知れぬ。

 私は、予告編を見た限りにおいて、どうしても物語の方向性が見えなくて、面白いとも思えず、誰も誘わないで一人で観たのだ。

 正解であった。

 原題にはない、「震えるぞハート! 燃え尽きるまでヒート!(byジョジョ)」みたいな副題をつけているが、こんなに作品の内容をミスリードする副題はない。

 そんな熱血ロマンスではないのである。

 配給会社のやっていることは、まさしく「詐欺」である^^;

 「タイタニック」のヒーロー、ヒロインのような美しい夫婦が、それ故に、庶民としての生活に疑問を持ち、夫婦の倦怠期の時期でもあり、試行錯誤するも崩壊する様が描かれる。

 なまじっか、美しい二人であるが故に、どうにかして飛躍しようとして、太陽を目指したイカロスの如く、墜落していく話だ。

 『タイタニック』的なものを期待したお客さんも太陽に焼かれ、『劇画・オバQ』を読んだ時のような後味の悪さを感じさせられる。

 私は、この作品を、アメリカ版『死の棘』として楽しんで観た。

 *『死の棘』…島尾敏雄の私小説
        夫婦間の極限の愛を描いた作品
        小栗康平監督で映画化/1990年 カンヌ国際映画祭 審査員特別賞
        私(ミッドナイト・蘭)の卒業論文のテーマとした作品

   ◇

 作品自体の完成度は高く、登場する人物全てが、個性豊かで、いい演技をし、私を惹きつけた。

 本日も仕事を終えた後でのレイトショーだったので、眠かったのだが、途中から目が離せなくなった。

 ディカプリオとケイト・ウィンスレットの、今や実力派としての演技力が、私を夢中にさせたのだ。

   ◇

 夫婦の異常性は、とある精神病院帰りの男によって裏打ちされる。

 この男、話の核心をズケズケと指摘し、周囲と軋轢を生んでいる。

 だから、夫婦が生活停滞の打開として、当時(1955年)では稀な、パリ移住を、周囲の疑問をよそに目論むに際しても、その男にだけは理解されるのである。

 夫婦の当然は、精神病院帰りの男の当然でもある。

 而して、それは、異常であることを意味する。

 ・・・だが、物語のエピローグでは、その男の精神異常の元凶と思われる母親の異常な言動で締めくくられる。

 つまり、その精神病みの男は、意外にもまともで、その母親こそが精神病なのか?

 となると、ディカプリオとケイト・ウィンスレットらが演じた夫婦の選択は、異常な行動ではないのだろうか・・・?

   ◇

 ケイト・ウィンスレットは、ディカプリオともう一人と、作中で計2回のセックスを行なう。

 相手の二人とも、妙に早漏なのである^^;

 一分ももたずに果てる・・・。

 ケイトが名器であることが分かりましたです、ハイ!!!

                        (2009/01/24)
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[映画『ミーアキャット』と『オペラ座の怪人』を観た]

2009-01-23 20:51:07 | 物語の感想
☆今、日の出のワーナーマイカルで、過去の名作を500円で観れる<アンコール・シネマ>というイベントをやっていて、ジョエル・シュマッカー監督版の『オペラ座の怪人』を観た。

   

 ゴージャスな素晴らしい作品であった。

 私は、シュマッカー監督は、『フラットライナー(1990)』を映画館で見て、その破綻しきった物語に「ああ、この監督ダメだ・・・」と、それ以後、ダメ監督のレッテルを貼ったものだが、この作品は見事だった(まあ、昨年、『ナンバー23』と言うトンデモ映画を作ってもいたね^^;)。

 有名なミュージカルを、映画へ移し変えたものなので、その音楽や元になる脚本にあまり不満はない。

 ただ、<怪人>に好まれてオペラのレッスンを受けたヒロインが、昔馴染みの恋人と結ばれるに至り、怪人のもとから去るのだが、そこにもっともっと逡巡が欲しい気がした。

 だから、見事な、オペラ座を中心とした迷宮的なセットの中で、スタンダードとなっている物語を見事に展開させていたにもかかわらず、そのクライマックスがあっさりしすぎていて腰砕けな感じがした。

 私自身も、もっと<怪人>に、感情移入したかった。

 ある意味、この<オペラ座の怪人>は、「振られ男」の雛形でもあるからなあ^^;

 ・・・傑作といえようが、私、仕事の後のレイトショータイムでの鑑賞だったので、眠くて辛かった^^;

   ◇

 『ミーアキャット(吹き替え版)』は面白かった。

 アフリカ南部のカラハリ砂漠と言う乾いた苛酷な地で生きているミーアキャットの生活を追ったドキュメントだ。

 小さく、ヒョロッとしたイタチのような動物で、とてもユーモラスだ。

   

 いつも群れて、何故だかいつも首を長くしてボーッと立っている。

 驚いたりして首を傾げる仕草や、怖くて年上にすがる姿が人間の子供みたいだ。

 そのままでも面白いのだが、私は、こいつらを「妖怪」と思って見た。

 よく妖怪の絵図で現われる「旧鼠(鉄鼠)」とクリソツだからである。

   

 人里離れた砂漠での、妖怪一族の暮らしが描かれていると思うと面白さ倍増^^v

 ・・・ミーアキャットが苛酷な環境で暮らしていくには、自然の状況が一番の問題だが、

 同じ生き物の天敵としては、空の敵・鍵爪鷹と、陸の敵・ケープコブラがいる。

 ライオンとかも大敵だが、上記の二者が特筆すべき天敵である。

 自然はうまく出来ているなと思うのが、

 鍵爪鷹に襲われた場合は、ミーアキャットがねぐらとしている巣穴に戻ればいいし、

 しかし、ケープコブラは、巣穴の中にも入ってくる・・・、

 だが、ミーアキャットは、マングースの種族で、強敵のコブラとも戦えるのである。

 自然は、どこかに「生きる道」を残してくれている^^

 主人公のコロだが、最初は赤ちゃんで可愛い。

 しかし、そのコロは、多くの試練を経て群れのベテランになる。

 可愛い弟も出来るのだが、不思議と、観ている私達にとっては、大きくなっても、コロが肉親的に可愛いのである。

 これも一つのドキュメントの、擬似肉親魔術であろう^^;

 クライマックスは、コロの鍵爪鷲との戦いなのだが、その猛追を逃れて、巣穴に戻ると、そこにはコブラが蛇舌をヒュルヒュルさせながら待ち構えていたのだ。

   前門の狼、後門の虎!

 しかし、その結果、私が鑑賞中の中盤に、「こうなればいいな」と思っていたと同じオチを迎える。

 まるで、O・ヘンリーの短篇のように無駄のない結末であった。

 しかし、これは、果たしてドキュメントなのか? と、ちょいと疑問に思った。

 ミーアキャットなどの、人間臭い仕草も、果たして、その通りの「状況」でのリアクションだったのか?

 くだんの結末・・・、「鷹に追われたミーアキャットが、巣穴に逃げ込むと、コブラが待ち構えていて、それから逃げて巣穴から出ると、鷹がコブラを捕まえる」・・・、この一連のうまい展開は、果たして、実際に撮影班の目の前で起こった流れなのか、非常に疑問である。

   ◇

 ともあれ、良作を二日続けて観て、世は満足じゃ^^v

                         (2009/01/23)
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[映画『感染列島』を観た]

2009-01-21 22:16:46 | 物語の感想
☆キャッチフレーズ!

   「日本全国、外場村!!(by『屍鬼』)ゾンビも出るでよ!」

 ・・・期待して観はじめ、物語に特段に破綻もなく、かなりの力作だと思った。

 私は、この作品を『日本沈没』に連なる作品と見ることにする。

   ◇

 私は、この作品を、『ハプニング』の後にきた本命『ブラインドネス』の如く、『252 生存者あり』の後にくる、パニック邦画の本命として捉えていたのだが、いささか趣きが違うようだった。

 『252』が、最終的にはエンターテイメントとして着地したのに対し、こちらは何を描きたかったのか・・・?

   ◇

 新型のインフルエンザと思われる奇病が日本に蔓延し始める。

 報告を受けた政府は、その発表を、「いたずらに人心を惑わせやしないか?」と遅らせようとしたりする。

 しかし、一番に人心を惑わせるのは、・・・この作品自体である^^;

 人がバンバン血を吐いて死ぬ。

 血の量がハンパない。

   ◇

 救命救急医役の主人公である妻夫木君とともに病気と戦うと思われた<デラ・富樫>は、『エグゼクティブ・デシジョン』のスティーブン・セガールよろしく、序盤であっさり退場してしまう。

   ◇

 第3のビール<金麦>のCMで可愛い檀れいは、あまり可愛くないキャリア・ドクターを演じている。

 この人、そもそもが、レズっぽいギスギス感があるので、クールな役はやらせないほうがいいと思う。

 物語の最後のほうで、妻夫木君が、大学の助手時代の檀れいを回想するシーンがあるのだが、それはとても可愛く、こと、私的には、檀れいは、主演女優としては救われたと思ったが、

 物語自体は、救われない方向に進んだ^^;

 それは、アンハッピーな悲恋で物語の幕が閉じたということではなく、なんちゅうか、広域的なスケールの物語が、「ああ、これは一つの恋愛物語だったのかよ!」という救いようのなさだ。

 なんか、キーワードとして、「明日滅びるかも知れない世界で、でも、私は林檎の苗を植える」云々とかいう言葉が繰り返されるが、取って付けたようなテーマである。

 物語の前半は、医療パニックムービーっぽかったのになあ。

 それが行き詰って、恋愛シークエンスを拡大したような雰囲気なのである。

 別に、妻夫木&檀は、日本を襲った未曾有の事態の解決者ではないのである。

 例えば、戦争と言う不測の事態の中で恋愛する男女、てなイメージなのである。

 唯一の「解決者」っぽい行動は、妻夫木君が感染元と思われる南方の島国を訪ねることなのだが、ここでは、シリアスな物語の中にあって明らかに浮いている<感染者のゾンビ的行動>がある^^;

 いや、確かに「バイオハザード」ではあるんだろうけど・・・^^;

   ◇

 主要な舞台となる地は、東京都いずみ野市だそうだ。

 私は、東京都あきる野市に住んでいる。

 病気発症の地の一つが、東京都武蔵秋山駅である。

 私は、都立武蔵村山高校に通っていた。

 感染する悲劇の美少女(夏緒)が向う遊園地は、あきる野市にあるサマーランドのようだ。

 町を閉鎖された住民が脱出しようと試みるシーンは、圏央道あきる野インターである。

     「こらーっ! あきる野をなめんな!!」

   ◇

 なお、登場人物の一人に、メチャ可愛い幼女マイちゃんが出てくるのだが、誰か、この子の芸名を教えてください^^

                      (2009/01/21)
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[映画『プライド』を観た^^;(必見!)]

2009-01-18 18:31:29 | 物語の感想
☆実は、今週末の公開作品で最も待望していた作品です^^;

 期待は裏切られず、苦笑いしつつ十全に楽しんだ。

 例えるなら、『ガラスの仮面』的な、大時代的なライバル関係の物語である。

 オペラのトップを目指す、セレブな娘と貧しい娘の愛憎の大河ドラマである。

 原作は、私の世代で姉妹がいる者には馴染みの深い少女漫画家・一条ゆかりだ。

 最近、『有閑倶楽部』がドラマ化などされて若い人にも、いまだに人気のようだ。

 少女マンガ界の「本宮ひろ志」的に捉えればいいのかな。

 『プライド』は連載継続中の作品のようだが、いまだに、このような「若きいやらしさ」を描ける作家というのは非凡だとしか言えない。

 そして、得てしてかような擬似大河ドラマは、舞台や美術が追いつかなくて、チープになってしまうものだが、この作品では、その辺は見事にセッティングされていた。

 最近の邦画の隆盛は、チープ感の消失にあると思う。

   ◇

 面白いのが、主役・史緒を演じるステファニーで、いまいちアナクロチックなセレブお嬢様を、ギリギリのリアリティで演じていた。

 ハーフだからかガタイが良く、顔が鋭角的な美形なので、私には「ニュー・ハーフ」のように見えてしまうのが辛かった・・・^^;

 でも、そんな視聴者の感想に頓着なく物語が進んでいくところが、いかにも「お嬢様」っぽかった^^;

 もう少しステファニーについて語れば、巨乳であり、顔も含めて、体がボリューミーである。

 かような女性は、一時期のアートビデオ(SM)のAV女優によく見られたものだ^^;

 正直、私は、彼女の水着姿が見たかった。

 実は、私、このステファニーのもったり具合を予告編で見て、この作品を観たくなったのだ^^;

 目がいつも据わっていて、それが魅力的だった。

   ◇

 そのライバルの萌を演じる満島ひかりだが、この子の演技はうまかった。

 こじんまりとした仔猫のような娘だ。

 普段は可愛いのだが、心の中に、僻み妬み嫉みが生じると、瞬間に表情が変わる。

 小悪魔的な魅力に思いたいのだが、その言葉から、どうしようもない「育ちの悪さ」が見えてしまい、いっそ、憐れに感じてしまうのだ。

 金子修介監督の演出はきめ細かに、そんな満島ひかりの演技力を引き出している。

   ◇

 それに絡むのが、音楽業界の権力者・神野(及川光博)であり、音楽的才能に溢れた若者・蘭丸(渡辺大)だ。

 その二人は、財力と才能の準シンボルでもあり、主演の娘二人も、財力と才能への思いで揺れ動く。

 渡辺大が、クラブの彩りとして、女装でピアニストしてるのも面白かった。

 更に、女の良かれ悪しかれの準シンボルとして、銀座のクラブママ(高島礼子)と、神野秘書の有森(新山千春)がいて、物語のテーマに重層性をもたせてくれていた。

   ◇

 長いタームを描いた原作の、面白いところを抽出した作品でありながらも、2時間ちょいの上映時間に、足早なダイジェストを感じさせられることはなかった。

 史緒など、上映が開始されてからわずかな時間で、セレブから、あれよあれよと転落していくのだが、そこにあまり無理が感じられないのが作り手のうまさだった。

 うん、ささやかだが、山本教授(由紀さおり)と松島春子(五大路子)の、過去の、プリマドンナを争うライバル関係のサイドストーリーや、蘭丸の彼女役の黒川智花の屈託なさも良かったな~。

 面白かったのである^^

                           (2009/01/18)
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[映画『007/慰めの報酬』を観た^^v(今年最初の傑作!) ]

2009-01-17 23:59:16 | 物語の感想
☆今週末は面白そうな作品がたくさん公開されるので、昨日は、仕事の後に、零時近くまでのレイトショーで、先週公開の見逃し大作である『チェ 28歳の革命』を観て、今夜も仕事の後で、先行上映『007/慰めの報酬』を観ることと相成った。

 寝不足で、私の顔は、復讐に憑かれたジェームス・ボンドみたいな顔になりました^^;

 姪っ子と観た。

 実は、私の姪っ子、今回のボンドガール(オルガ・キュリレンコ)とそっくりの容姿なのである。

 チビの頃は、写真をブログにアップしたものだが、最近はお年頃なので、それは控えています^^;

   ◇

 さて、竹熊健太郎は、『ダークナイト』の感想で、「・・・シリーズ物の娯楽映画の中にあって、「特別な作品」として突出してしまう一本がおうおうにしてあります。たとえば「007シリーズ」の『ロシアより愛を込めて』であるとか・・・」と言ってましたが、

 私は、新生「007」…ダニエル・クレイグの第二作目は、これまでの最高傑作であるシリーズ2作目の『ロシアより…』に匹敵する完成度だと思った。

 いやぁ、メチャオモだった^^;

 私は、大の『007』ファンであるのだから、まあ、信じて見てみて下さい^^

 私は、傑作に対しては語るべき言葉をもたない。

 ともかく、ジェームス・ボンドが肉体を酷使してのアクションシーンには、鳥肌が立ちっ放しだった。

 陸・海・空・建造物と、矢継ぎ早に畳み掛けるハイ・スピード・アクションに目がついていかない自分がもどかしかった。

 オペラや、競馬シーンと、アクションシーンをモンタージュさせるのもよろしい^^

 アクションを除くと話はシンプルなのだが、『ダークナイト』よろしく、根源的なヒーローの苦悩(今回は、私怨か、使命か、の狭間で…)を、控えめに、されど重く深く描いていて、重厚な味わいがある。

 建造物のほとんどは近代的でスタイリッシュな清潔感ある空間なのだが、それも作品を格調高く見せてくれている。

 MI6の本部も、洗練され、超ハイテクになったものである。

 もはや、Qの開発する秘密兵器の出番はないのであろうか?

 上司Mとの、ちょいと母子関係のような複雑な関係も、物語のスパイスとして効いている。

 今回は、前作からの引継ぎ事項を、ちゃんと完結させており、それは、舞台となったボリビアから隔たったエピローグで、そのエピローグ単体での、短篇小説のような完成度にも感服した。

 思えば、「007」ではおなじみのプロローグのアクションシーンも、カーチェイス、銃撃戦と、スピーディーで洗練されたもので、私は、この後に続く物語のグレードの高さを予感させられた。

 最近の映画予告は、全てを見せてくれてしまって、本編が楽しめなくなってしまうものだが、この作品では、その「触り」しか紹介されていなかったことが、観終えて分かります。

 多分、この作品は、もう一度は観に行くと思う。

   ◇

 今回の作品では、『ゴールドフィンガー』での<金粉美女>ならぬ、<原油美女>が見られます。

 ・・・いい娘だったのだが・・・。

                         (2009/01/17)
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[映画『チェ 28歳の革命』を観た]

2009-01-16 23:56:12 | 物語の感想
☆今日はいつもの<MOVIX昭島>から浮気して、<ワーナーマイカル日の出>に行った。

 明日も仕事なのに、ついレイトショーに行ってしまった訳だが、感想を20分で書こうと思う^^;

   ◇

 これは、意表をついて地味で、でも味わい深い作品だった。

 ゲバラの革命道行きを、淡々と映していくのだ。

 チープ感はない。

 そのロケーションを見ていけば、金は掛かっていようことは分かる。

 しかし、例えば、戦いの最中に、敵のタンクが現われ、普通ならば、これでもかとその威容を見せてくれてもいいところなのだが、そのタンクの砲塔が火を吹き、味方が隠れて銃撃していた車が吹っ飛ぶ、そんな見せ場なのに、カメラは一瞬で切り替わる。

 で、味方のロケット砲が、タンクをぶち抜き炎上させるのだが、それも一瞬で映像が終わる。

 つまり、この作品は、そんなシーンを見せる作品ではありませんよ、と教えてくれている。

 だからと言って、ゲバラが、なんか大上段に語るわけでもなく、作品自体も骨太にテーマを振りかざしてもいない。

 ゲバラの活動範囲を忠実に活写するだけだ。

 私は、仕事の後だったので、眠りそうにもなった。

 しかし、面白いのである。

 ゲバラは、別に癖のある性格でもなく、真面目な革命家(^^;)なのだが、そんなゲバラの仲間とのささやかな会話などに、何とも作品の魅力がある。

 手触りとしては、『ジェシー・ジェ-ムスの暗殺』だろうか?

 思えば、やや退屈に感じた『ジェシー・・・』だが、この作品を観た後だと、その味わい深さが似ていて、案外傑作だったのかも知れない。

 チェ役のベニチオ・デル・トロは、ジェシー役だったブラッド・ピットに似ていて、ブラッド・ピットなどは、この役を逃したことを悔しがっていたりして、などと下らぬことも思う。

 それほどに、この作品は面白かった。

 スティーブン・ソダーバーグって、こんな作品を作れるのだね^^

   ◇

 戦いのシーンも、ジャングルから市街戦へと、革命の核心に近づいていくのだが、その戦いの描写が、実感が沸き起こるレベル・・・、何というか・・・、「飛んでいる銃の弾が見える」時代のリアルさが感じられて素晴らしかった。

 また、列車が脱線させられるシーンがあったのだが、

 私は、先日リバイバルで観直した『アラビアのロレンス』を思い出し、この作品全般を『アラビアのロレンス』と比較して語ってみても面白いかも、と思ったのだが、今夜は眠いので寝ます^^;v

                         (2008/01/16)
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[遅ればせながら、映画『252 生存者あり』を観た]

2009-01-13 18:38:41 | 物語の感想
☆これもまた、見事な邦画であった。

   ◇

 本日は仕事が休みだったので、今度こそ、『チェ 28歳の革命』を観ようと思ったのだが、またも、連れがあまり乗り気じゃなく、こちらを観た。

 結果として、数日前に観た『K-20 怪人二十面相・伝』に続いて、昨今の邦画隆盛の理由を思い知らされるのだった。

 パニック・ムービーである。

 けして、社会に警鐘を鳴らすようなテーマがあるわけではない。

 しいて言えば、観客への啓蒙は、災害に遭ったとき、「短2・短5・短2」のリズムで壁や床や柱を叩いて、生存者がいることを示し、レスキュー部隊の救援を待つ、と言うことぐらいか・・・^^;

 うん、パニック・サスペンスなのである。

 サスペンスをエンターテイメントとして楽しませてくれる訳で、従来の邦画では、そこにお説教臭さを持ち込み、かえってサスペンスを破壊してしまったものだが、それが特殊技術に劣った邦画の生き残る道でもあった。

 だが、この作品では、その映像技術が見事だった。

 だから、物語はこれでもかと、説得力ある映像で主人公達を追いつめる。

 こりゃ、『ポセイドン・アドベンチャー』並みに面白い(もっとも、30年前の作品の『ポセイドン・・・』と、現在の作品を比べるのは技術面で申し訳ないのだが)。

 パニックに陥る都心の町が見事に描かれていた。

 昨今のハリウッド特殊撮影にも全く遜色なかった。

 地震で陥没した地下街に、津波の鉄砲水が流れ込み、人々が「うわーッ!!」と流される。

 こりゃ、ムスカ大佐でなくても、「見ろ、人がゴミのようだ!」 と言いたくなる。

 アニメでなく、それを実写で納得させる映像技術は見事である。

   ◇

 首都圏全域がパニックに陥るのだが、舞台は、新橋駅地下だけである。

 地球全域のパニックであった『デイ・アフター・トゥモロー』も、舞台はニューヨークの市立図書館であった。

 広い地域の現象を、一つの舞台に集約させるのは、その一つの舞台に、どれほど「世界」を感じさせるかがポイントだと思うのだが、

 『紀元前1万年』で馬脚が知れたエメリッヒだが、『デイ・アフター・・・』での舞台抽出はうまかった。

 そして、この『252』も見事だった。

 全く違和感なく、首都圏災害と言うマクロから、新橋地下崩落現場と言うミクロへ移行がされていた。

   ◇

 また、助ける側のレスキュー隊長役の内野聖陽の演技が喜劇一歩手前の過剰演技であったが、男優たち(伊藤英明・キム兄・山田孝之・山本太郎・茜さんのお弁当)の熱血演技も光った。

 私は、「熱血」が大好きなのである。

 そして、作品中の女優選択の良さも光った。

 主人公の奥さん役の桜井幸子の優しい雰囲気。

 ・・・被害者の家族の、しょうがないヒステリックを好演。

 主人公と災害被害に遭う韓国美人のMINJI。

 ・・・線の細い美人ながらも、良心的な韓国人を好演。

 究極の美形、お前はエジプトのマスクか? 香椎由宇。

 ・・・頭は切れるが、わりと普通で、作中でおいしい役でした。

 耳の聞こえない主人公の娘役を演じた大森絢音ちゃん。

 ・・・ムク犬のように可愛いけれど、最後、救出されて母親の元に走り寄るとき、がに股だったので、私は「処女でも喪失したのか?」と思いました^^;

   ◇

 ・・・しかし、これだけの大災害なのに、自衛隊の協力を仰がないのは違和感が起こった。

 出さないのはいいのだが、ひとことの言及もないのはおかしい。

 <RESCUE WINGS>(クリック!)に頼めば、もうちょいスムーズな救出が出来たかも^^;

 不満はそれくらいかな。

 日本映画も、大エンターテイメントを語れる、新しい時代を迎えたのだな。

                         (2009/01/13)
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[映画『ディザスター・ムービー!おバカは地球を救う』を観た]

2009-01-12 00:05:04 | 物語の感想
☆明日は祝日だけど、私ゃ仕事なので、レイトショーに行ったけど、お目当ての『チェ 28歳の革命』よりも上映時間が一時間ぐらい短い『ディザスター・ムービー!おバカは地球を救う』を観た。

 いや、下らなかった~^^;

 そして、本当に、こいつら、「バッカみたいッ!」と思った^^;

 ・・・筋なんてないに等しい。

 そのパロディ以下の映画の寄せ集め具合は、かつて、面白いCMが話題になった時分に、CMを寄せ集めて作ったようなくっだらないバカ漫画『レッツゴーしゅんちゃん(坂本しゅうじ著・ボンボン連載だったかな?)』を思い出した^^;

 おそらく、観終えて、三時間ほどで忘却の彼方に消えてしまう類の作品だろう。

 『ホット・ショット』や『最終絶叫計画』レベルの映画パロディが懐かしい。

 ・・・でも、なんか、楽しかったのである^^

 学芸会ノリと言うか、エンディングでの別テイクやNG紹介の風景を観ていると、けしてA級俳優になれないような役者達の和気あいあいとした雰囲気が伝わってきて、アメリカのハイスクール(じゃないが)っちゅうか、ティーンエイジャー(でもないが)たちの、面白おかしい生活の断片が見え隠れするのである。

 この作品には、いい男もいい女も出てこない。

 安っぽいイケメンや、ブスだけどそそるような女ばかりが出演している。

 でも、我々の生活って、実際はそんなもんじゃん。

 そんな奴らが、楽しく演じている姿を見るだけでも、この映画の価値はある。

   ◇

 写真は、私の個人的なツボ(つっても、いやらしい意味じゃないよ^^;)、『魔法にかけられて』のお姫様パロである。

 肩に『アルビン』も乗ってます。

 私は、このお姫様の「ポジティブなKY」具合が大好きである^^;

 このお姫様、年齢的に疲れた感があるが、私、やってやれないこともないです^^;(いや、「PG12」指定という事で、このようなオチ^^;)

最後の、「全員ヤリつながり」の歌も、底抜けで良かったっス!

                       (2009/01/12)
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[映画『K-20(TWENTY) 怪人二十面相・伝』を観た^^]

2009-01-11 09:52:41 | 物語の感想

☆・・・感服つかまつった^^

   ◇

あんまり乗り気じゃなかったのだが、姪が「これが観たい」と言うので、いつものMOVIX昭島に向かった。

 ハリウッドが、アメコミヒーローを昨今の特殊撮影の進歩によって重厚に再生させたように、邦画も「怪人二十面相」を復活させようとしたのが透けて見えた。

 これまでも、ティム・バートン版の『バットマン』がヒットした頃、邦画でも懐かしのヒーロー物が新たに撮られたが、『8マン・すべての寂しい夜のために』を筆頭に、質的にも興行的にも「すべての寂しい夜のために」てな結果となっていた^^;

 今回の『K-20』も、そういった類だと思えた。

 そもそも、現代の娯楽のレールに「怪人二十面相」がうまく乗れるとは思えなかった。

   ◇

 ・・・す、素晴らしい大娯楽作じゃあないですか^^

 序盤の、パラレルワールド「帝都」のビジュアルに先ず圧倒されつつ、感心した。

 そこには、ちゃちな一点豪華主義的な美術はなかった。

 「帝都」と言う大舞台を、原始的なものではあるが都市計画さえも感じさせられるほどに構築していた。

 あまり例えたくないが、ゴッサムシティ的に、架空の都市を作り上げていた。

 そして、プロローグに現われる怪人二十面相のユニフォームだが、これまた、あまり例えたくないが、最近のバットマン的な重厚さがある。

 それで圧倒させられていたら、プロローグが終わり、お洒落なタイトルバックが流れる。

 そこからは一気呵成、二時間超の作品だが、全く飽きることなく、エンディングタイトルに至る。

   ◇

 観終えて思ったのが、「ああ、この監督は、『ルパン三世・カリオストロの城』(だけじゃなく、宮崎駿アクション)のスピリッツを現在に甦らせようと思ったのだな」だ。

 摩天楼上下移動のワイヤー・・・、お姫様のあり方・・・、長屋の仲間・・・、空間の使い方・・・、etc…。

 これは、この作品を見た多くの方が思うことだと思うが、どうあっても、それを「パクり」等とは言えず、演出者が自分のものにしている点があり、それが優れている。

 井上ひさしは、『天空の城ラピュタ』の前半のクライマックスを「完璧」と言っていたが、その「完璧」を、この作品では、全編のクライマックスに持ってきている。

 ・・・そう、一人乗りヘリコプターでの急浮上シーンである。

 この一点だけ見ても、作り手が、宮崎駿作品の欠点を見つめ、自作の完成度を高め様としたことが分かる。

   ◇

 主人公の「泥棒修行」の<一直線疾走>のシーンには、これ、映画本来の面白さを堪能し、胸を躍らされた。

 物語最大のお宝としての、ニコラ・テスラの遺物に至る、推理とギミック(絵画→積み木細工→派手な出現シーン)も良かった。

 ニコラ・テスラを題材にしたのもいいね。・・・テルミン

 現われたマシーンを起動させるための鍵のデザインまでも行き届いている。

   ◇

 主演の金城武だが、セリフ回しに、たまに「大根」が感じられるけど、その演技と美男ぶりで、物語を押し切る。

 ・・・『レッド・クリフ』に続いての鳩フェチに笑った。

 ヒロインの松たか子だが、私はこの方、130Rの蔵野を思い出してあまり好きな女優ではないのだが、この作品では撮り方を工夫して充分に可愛い。

 一人乗りヘリコプターでの活躍もさることながら、お嬢様なりのド下手な<お色気男引き止め>シーンが良かった。

 明智小五郎役の仲村トオルだが、この人、歳とともに若返っていくなあ。

 小林少年以上に、線が細い・・・。

 國村隼も、主人公の相棒として物語に説得力を与えてくれるが、最近の娯楽作は、この方に頼りきりではないかい?

 その奥さんの高島礼子だが、お美しい^^

 シスターコスプレまで見られて、嬉しかった。

 ・・・役者達が、しっかりとした人間ドラマを演じており、この作品の娯楽性を裏打ちさせている・・・。

   ◇

 私は予告編を見て、怪人二十面相の正体が、鹿賀丈史だと見え見えだと思った。

 だって、怪人二十面相のお面が、鹿賀丈史の顔なんだもん^^;

 それで見る前は満足していたら、ちゃんとどんでん返しがあるので私は嬉しかった。

 展開的にも、ちゃんと、こちらの感情に直結するような二転三転の起伏が用意されており、私は、

  「ああ、これは世界にも通じる娯楽作だ」

 と、<怪人二十面相>に対しての日本人の特別なノスタルジーを除いて、という限定付きで思うのだった。

 昨年の邦画で評判が良かった『おくりびと』『ハッピー・フライト』のような<カタログ映画>とは、根本的に「こころざし」が異なるのだった・・・。

                           (2009/01/11)

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[『サイボーグ009』の映画と萬画]

2009-01-09 21:20:40 | 物語の感想
☆ふと見たくなって、上記の、初期の『009』の映画DVDを借りた。

 古い作品なのに、画像がクリアーで楽しんだ。

 で、『サイボーグ009』は、時代を超えて、色んなヴァージョンの萬画があるわけだが、ふと読みたくなって、以下を、部屋の奥から探し出した。

  
     当然、全て初版…。

 このヴァージョンの『009(70年代末~80年代初頭)』は、『ゴルゴ13』並に、世界情勢に009たちの活躍が絡んでいて面白いのだ。

 でも、元々、旧作の009たちも、ベトナム戦争なんかに出張っていたなあ^^;

   ◇

 石ノ森章太郎のマンガは、「漫画」と書かずに「萬画」と記すのが礼儀です^^

                       (2009/01/09)
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[映画『ミラーズ』を観た]

2009-01-06 22:42:38 | 物語の感想
☆何と言おうか、取りとめのない作品であった。

 キーファー・サザーランドは、私は見た事ないのだが、ドラマ『24』シリーズで人気があるそうなのに、何故、この作品への出演を選んだのだろう。

 面白くもあり、雑な作りでもある、微妙な作品だと思うのだ。

 オーソドックスな恐怖物と思いきや、謎解きが行なわれ、話が核心へ近づいていく。

 私は、貞子と呪いのビデオで有名な『リング』を思い出した。

 しかし、『リング』が、超常現象の中にあっても、ある一定の決まりごとがあり、その謎解きサスペンスに納得いったのに対し、この作品では、どうにも、納得しがたい。

 すぐに感情を荒げる主人公に対し、別居中の妻が、「ある一定のルールが必要よ。あなたにはそれがない」と言うのだが、

 私も、この作品に対し、「ある一定のルールが必要よ。あなたにはそれがない」と言いたいのだ。

 あまりにも、超常現象のルールが一定していないのだ。

 殺され役は、鏡の中の生霊の思うがままに殺されるのに、主人公の家族は、回りくどく殺されそうになり、ちゃんと生き残る。

 鏡の中の悪霊なので、鏡を隠したりするのだが、部屋の中には、そもそも映るものがいっぱいだからなあ^^;

 主人公の息子は、それまで、そんな設定はなかったのに、鏡と化した水浸しの床に飲み込まれてしまったりする。

 故に、謎解きがサスペンスとして機能しないのである。

 で、こちらが楽しめるのは、結局、悪霊が突然に現われてのショックシーンだけなのである。

 ・・・いや、水準以上に面白い作品なのだが、舞台となる廃ホテルのセットをはじめとして格調高く撮られているので、雑な点があるのが、勿体無いのである。

 主人公の妻の、無意味な巨乳も勿体無い^^;

 クライマックスは、いきなり、主人公の、エイリアンとのような対決が始まり、続いて、ダイハード的な火力での廃屋からの脱出行が描かれる。

 こちらは、それはそれで面白いのだが、物語のバランスは著しく悪い。

 そして、やはりバランスの崩れた、「意外」なエピローグ・・・。

 ああ、鏡の手形はそういう意味だったのか!^^ ・・・と、喜びたいところだが、その伏線は、全く効果を発さない・・・。

   ◇

 ちょいと面白いのが、物語の鍵を握る女の名前が「アンナ」と言うことだ。

 つまり、タイトルと混ぜると、「アンナ・ミラーズ」となる。

       アンナ・ミラーズ風制服(クリック!)

 おあとがよろしいようで^^

                          (2009/01/06)
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[映画『アラビアのロレンス/完全版』を観た]

2009-01-04 22:38:00 | 物語の感想
☆私のフェイバリットの一つである。

 17年前、ニュージーランドへワーキングホリデーに行った時、映画館で観た。

 長い映画なので、途中で寝たし、何よりも、英語のヒヤリングの全くない私が、字幕なしで非常に感動した、個人的に不思議な名作である。

 いや、不思議ではないかも知れない。

 言葉は補足で、画像で理解させるのが「映画」の本義なのだろう。

 今回、その既製版よりも20分長い「完全版」のリバイバルを、新宿の高島屋タイムズスクエアで観た。

 非常に盛況であった。

   ◇

 17年ぶりの鑑賞で、わずかな、感動の「色褪せ」はあった。

 しかし、砂漠を大海原のように描いたデビッド・リーンの演出、それに被さるモーリス・ジャールの雄大な音楽、・・・素晴らしいの一言である。

 4時間近い長尺の作品であるが、それ程に長くは感じない(一緒に行った女は、途中、寝ていた^^; しかし、私の初見もそうなので、文句は言えない^^;)。

 例えば、ロレンスが、自分の行く末を一晩悩む。

 あるいは、アカバへの道のりにある難所の砂漠を数週間進む。

 それらの苦悩や、困難を描くには、どうしてもある程度の描写が必要である。

 その経過には、ある一定の時間が必要なのである。

 故に、4時間近い上映時間を確保しているのは重要なポイントである。

 そこに、説得力が宿るのである。

 最近の映画では持ち得ない制作費的な余裕であり、最近の映画が要求される上映時間短縮では、よほどの脳内補完がなくては十全に納得できないことである。

   ◇

 今回、見直して、かつての、英語のヒヤリング能力のない私でさえ、その状況を理解できていたことが分かった。

 私は、アカバの重要性も、全編に流れる同性愛的な暗喩も、ロレンスの全編を通してもの苦悩もちゃんと理解できていた。

 だが、23歳の私は、ただひたすらに、ロレンスの英雄性に憧れていた。

 しかし、40歳になった今の私は、ロレンスの如く「滑稽なピエロ」へと同化していることを感じるのだった・・・。

 名作とは、見る年代によって、感じ方が変わることを感じさせられた。

                        (2009/01/04)
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