『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[映画『はやぶさ 遥かなる帰還』を観た]

2012-02-29 21:13:35 | 物語の感想
☆う~む、「映画」ってのはつくづく面白いものだと感じた。

 <小惑星探査機「はやぶさ」>の軌跡であり奇跡を描いた作品は、短期間の間に3作品の競作を数え、数週間後にも松竹版が控えている。

 そもそもの旅路がドラマチックなのだが、しかし、こうも連続するとさすがに飽きがくると思っていた。

 先に見た『はやぶさ/HAYABUSA』の出来が良かったと言うこともある。

 だが、この、東映の渡辺謙主演版は更に面白かった。

 リアル(硬派)な画像の中、男臭さと言うか、大人の雰囲気が伝わってきた。

 ・・・映画リメイク作でもある『ドラゴンタトゥーの女』だが、D・フィンチャー監督は、オリジナルと違うものを出せると考え、リメイクに踏み切ったと言う。

 オリジナルを見ていない私には、フィンチャー版のリスベットがベーシックとなっている。

 また、今、マンガ『巨人の星』のリイマジネーション作品とも言うべき、『花形 新約「巨人の星」』を読んでいるのだが、

 同じであって同じでない、新しい面白さを存分に味わっている。

 ・・・「はやぶさ」の物語も作り手によって、全く味わいを違えている。

 それは、作り手の「計算」による、重視する箇所の変更ではあるまい。

 それだけ、人によって、ここでは、「はやぶさ」の<物語>に対しての視点の多様さを示すのだと思う。

 「はやぶさ」は、多くのトラブルに見舞われるが、同じトラブルを扱っていても、その重視する要素が、それぞれの競作作品では全く違う。

 そして、それぞれが面白い。

 おそらく、「はやぶさ」の行程には、それ(付加された創作部分も含め)を語ろうとする者(監督だったり、プロデューサー、脚本家、演出家など)の、それまでの経験や思想やこだわりが投影されるに値する「何か」があるのだろう。

 その、人それぞれの違いをこうまで表出させた映画と言うジャンルを、私はつくづく面白く感じ、

 水野晴郎のように、「いやぁ~、映画って本当にいいもんですねぇ」と呟いてしまう。

 今回の作品は、前段階は描かれず、ロケット打ち上げから始まり、

 記者が、それぞれの部署の人間を訪ね歩く中で、旅の困難さ複雑さが感じられていく。

 それらは、ナレーションを駆使し、「言葉」で語られる。

 だが、それは、作り手の怠惰ではなく、それによって、個々の役者の演技に、鑑賞者の注目がいくメリットを持ち、

 その演技から、見る者が読み取るのは、物語上の個々の人物の人間性である。

 そこに遜色がないので、この物語は重厚さを得、また、ある意味、「グランドホテル方式」として楽しめ、個々の登場人物の物語上の起伏で涙を流させられる。

 中でも、群像劇の定点観測の一人である、<はやぶさ計画>における探査機のパーツの試作品を請け負った零細町工場の、口数が少ないが醸す雰囲気で語る社長(山崎努)や、計画の広報担当をした藤竜也の、らしからぬ中庸な演技は良かったなぁ。

 念仏の鉄に<プロハンター>ですよ^^

 見る前の印象では、プロジェクトリーダー役の渡辺謙が、いかにも渡辺謙的な、メンバーをグイグイ引っ張っていく物語だと思っていたのだが、

 渡辺謙の演技が、これまで見たこともない「演技」だったので、非常に新鮮だった。

 なんか、佐野史郎がやりそうな個性的な役柄だったなぁ^^

 それでいて、内部でメラメラと闘志を秘めている男でもあった。

   PS.作中で山崎努が飲んでいるビールが、見たことないラベルだったので、とても気になった^^

                                                     (2012/02/29)
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[下九沢(心に残る被写体・30)]

2012-02-27 23:26:09 | 新・街を行く

☆最近、バイトで回される現場も再訪や再々訪が多くて、仕事ははかどるけど新鮮味に欠けていたのだが、今回は初めての相模原緑区下九沢でした。

 でも、特に写真に収めたくなるような被写体にも巡り合わなかったのだけど、突然に、素晴らしいものが目に飛び込んできた!


     <下九沢分水池>

 「ダム・ファッカー」として名を馳せている「馳夫(ストライダー)」ことミッドナイト・蘭の私だが、いまいち「分水地」と言うものの機能は分からない。

 まあ、字の通りの意味なのだろう^^

 円を基調とした用水地に、水がうねっている様には胸が躍った。

 私は、大きく円状の構造物が大好きで、最近では、横浜線で八王子駅構内に入るときに見られる、蒸気機関車の方向転換の「転車台(ターンテーブル)」を見るのがお気に入りです^^

 で、その分水池から、ちょいと離れたところに、取り壊し中の建物がありました。

 私の好む「滅美(ほろび:私の造語^^v)」を醸しているので、写真に収めた。

   

 この写真の瓦礫をどかすと、カンボジアではよく見られる風景です。

   ◇

 一昨日、彼女との待ち合わせ前に食べた「小川流」の<煮干にんにくラーメン・チャーシュー3枚乗せ>。

   
                       ・・・800円

 チャーシューや麺もさることながら、魚介系ながらも濃厚で濃くのあるスープが旨くて、飲み干した^^v

 彼女と落ち合い、開口一番、「ニンニク臭くてごめん」。

「えっ? 私、ニンニク好きだから平気だよ」

「いや、でも、匂いの由来が分からず、それが、自分じゃない者から発せられると嫌だべ?」

「ま、まあ、そうだけど^^;」

 ・・・下らないけど、なんか面白い会話だったので書いておきました^^

                                                     (2012/02/27)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[デリケートな状況にズカズカと土足で踏み入ってくる人]☆

2012-02-26 23:36:48 | 保守の一考

☆・・・昔の話だ。

 「ヴァージンキラー」として名高い私は、なんか妙に、成長過程にある娘に安心感を与えるときがあるようだ。

 で、数年に一度、まだまだ世間とうまくつきあっていけないような若い子と深く知り合うことが多い。

 そういう娘ってのは、とにかく、話したがる。

 話すことによって、「社会」の「ピース(一片)」である相手から、「社会との折り合い」を学んでいく。

 私は長男だったので、良くも悪くも学ぶべき兄貴みたいな存在がなく、親父が自立心を養う教育をひたすらに私に仕込んだこともあり、近所に兄貴分もおらず、自分で失敗を繰り返し、少しづつ学び、いまだに失敗を繰り返している^^;

 だから、性別は違えど、社会に出て、戸惑う娘っ子の気持ちがよく分かる。

 故に、私は、そういう娘の悩みには親身になる。

 そもそも、女の子が好きなので、時間に糸目をつけない。

 で、いつしか、そういった娘と交際する^^;

 娘の中には、かなりデリケートなメンタリティを持つ娘たちもいる。

 私は、先ずは、私に依存してもらい、私との関係において「社会(エロいこと含む)」を学び、

 続いて、「依存の解除」から「時と場合によっての自立」を促すようにする。

 「時と場合によっての自立」とは、まあ、「俺とつきあってんだから、俺といるときは、お互いに頼りにし合えばいいけど、俺がいないときでも、周囲の者とうまくやれよ」っちゅう意味だ。

 たまに、その条件下の「自立」が「巣立ち」となりて、私がボロ切れのように捨てられることもある^^;

   ◇

 『ブラック・ジャック』の1エピソードに「座頭医師」という話がある。

 ・・・ブラック・ジャック(B・J)と、盲目の鍼師が、町で出会い、お互いの器量を推し量る。

 自分の技術に圧倒的な自信を持つハリ師・琵琶丸は、外科医のB・Jが、メスで患者を切りまくっていることに嫌悪を向ける。

   

 その後、琵琶丸は、B・Jの患者にまでハリ治療を施すのだが、その治療は失敗する。

 琵琶丸の存在に「ほっとけ」と言っていたB・Jだが、自分の患者を悪化させられ怒りをあらわにするのだった・・・。

 患者は、「ハリ恐怖症」の子供だったのだ。

ブラック・ジャック The Complete seventeen Volume set 全17巻(漫画文庫・化粧箱セット)
手塚 治虫
秋田書店



   ◇

   >>娘の中には、かなりデリケートなメンタリティを持つ娘たちもいる。

 私は、そんな娘たちの恐怖を取り除くように、自分なりの細心の対応をゆっくりと行う。

 若い頃のショックは、忘却もあれば、尾を引くことも多いからだ。

 ・・・だが、「時と場合によっての自立」の際、私が遠くから見守っているときに、

 上記の『B・J』のエピソードの琵琶丸のように、

 娘の特殊事情を知らずに、そいつのいつものペースで、「ハリを打ち込んでくる」ようなやからが多い。

「なんてこった! 折角 徐々に積み上げていったものが崩された・・・」

 と、私は思い、怒りよりも悲しくなってしまうことがあった・・・。

                                                   (2012/02/26)

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[映画『ピラミッド 5000年の嘘』を観た(超短信)]

2012-02-23 23:42:28 | 物語の感想
☆期待していたとおりの新興学説ドキュメントで、割り切って見ると、かなり面白かった。

 簡単に言うと「神々の指紋」のピラミッド版と言ったところ。

神々の指紋 (上) (小学館文庫)
グラハム・ハンコック
小学館


 胡散臭いが、すこぶる面白い^^

 確かに、既存の情報から受けるピラミッドの印象は、人の手になるものではなく、この作品では、従来の学説が、ちょいと想像力を巡らすと、いかにあやふやなものであるかを丹念に語り、また、そこだけは出来の悪い「洗脳ビデオ」のように何度か繰り返し語る。

 ただ、その理論こそも、結構いいかげんで、数値で示されるピラミッドにまつわる計測の、多くの変則の一致があるが、エジプトの遺跡の幾何学模様においては、すべからく多くの数値的な符合があることは当たり前であることへの言及などはする由もなく。

 また、なんかしんないけど、地球を一周する巨石文明帯について語られるのだが、含まれているアンコール・ワットは建立年代がはっきりしていて、ピラミッドと並び称される時代背景にはない。

 また、作中でも語られる巨石文明の幾つかが、その文明帯には当て嵌まらないのに、それが忘れさられて語られていることもあった。

 とはいえ、「その程度」とは言い捨てられない理由の数々でもあり、そのピラミッドから紐解かれる数値は、地球上はおろか、宇宙まで指し示し、怒涛のクライマックスへと至る。

 正直、私には、そのクライマックスの意味がよく分からなかったのだが、それまでの情報提示の数々が楽しかったので、良しとしよう^^

 誰々たちがピラミッドを造ったのだろう?

                                                     (2012/02/23)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[映画 『TSY タイムスリップヤンキー』を観た]

2012-02-21 06:17:01 | 物語の感想
☆タイトル写真は、『TIME/タイム』に出てきた超S級美少女の<Shyloh Oostwald>嬢です(KLYさんがお教え下さった^^)。

   ◇

   『TSY タイムスリップヤンキー』
     

 物語は、戦うとなると、すぐにバタフライナイフを取り出すような主人公・将太が、家に帰宅しても、ヤクザにヘコヘコしつつ自分には厳しい親父に腹を立て、上の写真の如くナイフを振りかざす。

 ナイフを取り上げようとする親父ともみ合いになる内に、母親を巻き込み、突き飛ばし、重い怪我を負わせ、救急車を呼ぶこととなる。

 危篤状態の母親を心配しつつ、病院の待合室で、母親と父親の馴れ初めの写真を眺めていると、別の革ジャンヤンキーに、その写真を覗かれ、ケンカに至る。

 そして、相手と「クロスカウンター」になった時、時空がスパークし、将太と革ジャンは、将太の両親が学生の時代にタイムスリップし、戸惑いまくる。

 でも、何故か、彼女からのメールは携帯に届き、母親の死を知る。

 ならば、この時代で、そもそも、将太の両親を結びつけなければ、現在で母親は死ななくて済むのじゃないか? と考えるも、そうすると自分の存在がなくなってしまう、と心配な将太。

 その時代の親父・三郎はと言うと、硬派なヤンキーで、ヤクザの誘いも拒絶している。

 後の母親となる可憐な女子高生・潤子と、微笑ましくもつかず離れずで交際している。

 くだんの革ジャンは、当初、将太の持っていた母親・潤子の写真を見て驚いていた。

 孤児院育ちの自分を温かく見舞ってくれていた先生だったからだ。

 革ジャンは、その、慕っていた先生の女子高校生時代(平田薫)を間のあたりにする。

 そんな時、自分になびかない三郎にごうを煮やしたヤクザは、潤子を連れ去り、三郎を呼び出し、自分の下につけと脅すのだった。

 そこに、将太と革ジャンも合流し、ヤクザを相手に決闘がはじまる・・・。

 上の写真を見てもらえば分かるように、将太は「昭和顔」である。

 冒頭、彼女(福田沙紀:昭和顔)と下校する将太のシーンからはじまるのだが、

 二人があまりにも昭和顔だったので、私は、物語の大筋は予告編などで知っていたので、この話は「昭和(過去)」のパートからはじまったのだと思っていた。

 そしたら、この二人が「現代」のキャラだと分かり、ちょいと苦笑い^^

 でも、画面も、「中学生日記」なみに暗いんだよなぁ。

 その最初の印象の躓きは、その後の鑑賞をかなり左右した・・・。

 また、脚本はかなり凝っていたが、それを効果的に見せる演出や編集が悪かった。

 「今の展開で(画面情報から)、一番 伝えるべきことはなんなのか?」と言うことが分からないで、ただ、脚本をなぞって撮りました、って感じの箇所が多かった。

 例えば、タイムスリップによって、母親を、幾ら死ななくさせる流れが出来たからと言って、母親の死の原因となった将太が、てんで悩まないで、彼女とイチャつきはじめる展開にはげんなりした、

 ・・・でも、過去の潤子(平田薫)があまりにも可愛かったので、私はそれを見るだけでも満足だった。

平田薫1st写真集「薫風~君といた季節~」
クリエーター情報なし
ワニブックス


 ヤンキー物が大好きな、私の姪っ子(12歳)は、この作品を楽しみつつも、

 私たち大人が「そんなもんでしょ^^」となあなあで認識する、そのタイムスリップに伴うパラドックスを100%理解できないと気が済まないらしく、私に何度も聞いてきたので、私はちょっと説明が面倒になった・・・^^;

 また、最後に、ピース又吉が1シーンだけ出演するのも、「なんで、ちょっとしか出てこないの? あの為だけに出てきたの? もったいないような気がする」としつこかった。

 そんな姪に「友情出演」とか「特別出演」の説明を必死でしても、12歳では、そのニュアンスを掴むことは出来ないようだった。

 おっと、それから、クライマックスでの「最後の過去への小規模タイムスリップ」は、作中での一風変わったタイムスリップ条件も充たしていたし、意外性においても、非常に面白かった^^

   ◇

                                                    (2012/02/21)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[近況報告 (143・祝! 死刑判決)]

2012-02-20 23:02:58 | 保守の一考
☆すまんね、プライベートで、幾つかの問題が生じて、数日間、早朝から夜遅くまで奔走していて、ブログ更新が出来なかった。

 プライベートと言っても、私個人の苦難ではなく、相談を受けていた。

 また、やはり、私の「スタンド」は文章能力なので、それを駆使していた。

 だから、いつかは関連文章をエントリーしてみたいが、今は、罪なき者が傷つくので載せられないな・・・。

 基本、私は自分から他人に干渉することはない。

 他人から頼りにされた場合は、全力を尽くすし、

 また、他人から攻撃をされたような場合は、徹底的に応戦する。

 悪には容赦ない。

 だから、本日、多くの罪なき人間を地獄の苦しみに叩き込んだ、光市母子殺害事件の糞ガキ犯人に「死刑」の最終判決が出たことは、うん、心から喜ばしい。

   《光市母子殺害事件、元少年の死刑確定へ(産経 2012/02/20 15:08)》

 死刑が執行されるまで、苦しんで苦しんで苦しんで苦しみ抜いて欲しい。

 反省しようが、更正しようが、そんなものは関係ない。

 自分が為した、凄まじいことへの反作用は当然に受けろ。

 反省し、更正したら、自分の為したことの途方もなさが理解できると思うから、その苦しみも充分に味わい、そして、死ね!

 ・・・また、この事件において、完全なるキチガイの如き弁護士が、キチガイのような理屈で、この糞ガキを弁護しようとしていたが、

 このキチガイ弁護士も、被害者遺族を「セカンドレイプ」でもしたかのような「同罪」にあると思うので、何らかのリスクは与えて然るべきだと思う。

 ああ、そう言えば、数年前に、この弁護士を糾弾していたのが、橋下弁護士だったなぁ。

 それまで、橋下弁護士のことをよく知らず、子沢山で偉いなぁ、などと思っていたのだが、この事件で、かなり頼りになる男であることが分かったんだよなぁ。

 私の橋下弁護士観は、今もって微妙なのだが、この事を持って支持してもいいくらいだ・・・。

                                                     (2012/02/20)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[映画『TIME/タイム』を観た]

2012-02-17 16:27:52 | 物語の感想
☆どんな科学的な仕組みかは分からないのだが、人間の生命活動の残された時間(つまり、余命)が通貨代わりになって、貧富の差が生まれている社会。

 そもそも、その設定だけで、完全なるC級映画なのだが、

予告編が妙に雰囲気良く(静かなテンポのムーディーなBGMに、セピアにスタイリッシュさを醸した画質)、

・・・それと、そんな世界においてのスラムの青年と富豪の娘の逃避行のラブロマンスなのだが、そのヒロインの容姿にひたすら惹かれて見に行った。

 アマンダ・セイフライド・・・。

   

 う~、「つけまつけ」て、バッチリお目目の上目遣いに、全編これ、クールだけど可愛い流し目連発で、上品さを確固たるものにしている赤みがかった茶髪のボブ。

 身体は小さいけど、胸は大きくて、全体的に可愛くむっちりしている。

 足は細くて、くびれた脚線は眩しく、ハイヒールで巧みに走り回る。

 すっげー、好みの外見です!

   ◇

 奇想のアイディアを、序盤で見ている者に分からせるために、先ず、<スラムゾーン>で生活する主人公の青年ウィル(ジャスティン・ティンバーレイク)の困窮の生活を描写したのはうまかった。

 毎日、余命24時間未満と言うギリギリの中で、日給支払いで、当然に借りずにはいられないローンなども返しつつ生活をつなぐ毎日。

 なんか、かつての派遣社員の貧困生活を思い出させる・・・^^;

 ・・・個々人の残り「時間」は、腕にデジタル表示でカウントされ、買い物(コーヒー=5分とか、バス代=2時間とか)も、給料の支払いも、スキャナーに腕をかざすことによって為される。

 腕の表示が「0」になったら、瞬間に死んでしまうのが、この世界のルールだ。

 人と人の間での時間の受け渡しも、手をつなぐことによって可能らしい。

 故に、「余命」の少ない貧困な者の住む<スラムゾーン>では、「時間」の強盗など犯罪が横行している。

 また、時間を司る側の富豪たちは、(話の進行とともに分かるのだが)自分たちの特権維持のため、スラムの物価を上げ、貧困層を労働に縛りつけ、自分たちの余命を永遠にすべく搾取を続けていた。

 支配者階級の気まぐれな値上げで、母親を失ったウィルは、

 その前に知り合った余命100年時間超を超す、厭世的になって危険なスラムを訪れた富豪ハミルトンから、「余命」をそっくり貰っていた。

 母親を失い、また、スラムで莫大な「時間」を得、危険にさらされることになってしまったウィルは、<富裕ゾーン>に入っていく。

 幾つかの<富裕ゾーン>への関門を過ぎていくたびに、「二ヶ月」分や「一年」分の「時間」を払わなくてはいけなくて、見ていて、私は、その、「死」に直結した散財に、「おいおい、100年時間なんてあっという間になくなるぞ・・・」とヒヤヒヤしつつ見て、つまり、その時点で、私は、この世界の常識と、主人公に感情移入しまくってしまったのだ^^;

 その<富裕ゾーン>の各所で、ウィルは、シルビア(アマンダ)と何度か「すれ違い」、ウィルはシルビアの美しさに、そして、「籠の鳥」のような生活に倦んでいたシルビアは、近くにはいないタイプのウィルの魅力に惹かれ、お互いに意識を始めつつ、カジノで、シルビアの超富豪の父親とポーカー対決する中で、知り合うことになる。

 ここで面白いのが、っちゅうか、腑に落ちないのが、ウィルの、ギャンブラーのような勝負師振りである。

 ここで、ウィルは、余命1000年の時間を手に入れる。

 また、後半には、銃の扱いや、数々の格闘アクションを見せてくれて、それはそれで、物語が都合良く進んで心地良いのだが、なんか、ウィルが坊主頭であることも相まって、「お前は、ジェイソン・ステイサムJrかよっ!?」と思わせられた^^;

 で、シルビアの邸宅でのゴージャスなパーティー会場には、ハミルトンの死と、ウィルの余命増加に不審を抱いていた時間警察が突入し、

 その中で、ウィルはシルビアを人質に逃亡をはじめる。

 そして、目的不確かに、時間強盗や時間警察に追われる中で、いつしか、怯えていたシルビアと心を交わし、身体を交わし^^; シルビアとともに、時間銀行を襲い、それを貧困の者たちに分け与える「時間義賊/ボニー&クライド」と化すのだった(この作品の二人は死なないけど・・・)。

 いやはや、ここでの、急激な、シルビアの悪乗りへの変貌振りに、私は驚き、物語の破綻を感じたのだが、

 ・・・まあ、シルビア、可愛いからいいや・・・^^;

 惜しいのは、時間警察役のレオン(キリアン・マーフィー)が、クライマックスで「いい役」になると思いきや、違った意味で、世界観を裏打ちする「いい役」で終わってしまったのが残念だった。

 この人、なんか、いや、別にここで挙げるべき名作ではないのだが、『フリージャック』でのミック・ジャガーを彷彿とさせたんだよなぁ。

 また、この作品の冒頭、浮浪児の少女役で、これまた、私の好みに直球のチンクシャ美少女が出てきた。

 この最初のシーンだけで、もう見れないなぁと思ったのだが、この娘、この世界を代表する「複数定点観測人物」の一人として、その後も、数シーンに出てきて、私は嬉しかった。

 どなたか、この美少女の名前を教えてくれ!!!

 俺が「時間」をプレゼントするっ!!!

                                                         (2012/02/17)
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[映画『海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン』を観た]

2012-02-15 22:22:51 | 物語の感想
☆遅ればせながら、甥っ子を連れて見に行きました!

 私は、「スーパー戦隊」物は、『太陽戦隊サンバルカン(1981)』辺りで卒業していて、

 だが、四半世紀以上振りの、まさかの「ギャバン復活」を知り、いてもたってもいられなかったのだ。

 ちなみに、「サンバルカン」と、その前作の『電磁戦隊デンジマン(1980)』は、私が中学校の頃、夕方に再放送がされており、その主題歌の「♪どこかで誰かが叫んでる 助けを求めて叫んでる 急げ! デンジマン! デンジスパークだ!」を「♪どこかで女が犯されてる 助けを求めて叫んでる 急げ! デンジマン! 仲間に加われー!」と、中二病的な替え歌で喜んでいました・・・^^;

 それから、この二作には、悪役として、しかも、女の悪役として<へドリアン女王(曽我町子)>が連続して登板していて、その作品をまたいだ登場に、私は作品世界の広がりを感じたものだった。

 それが、今回の作品世界垣根越えの「ゴーカイジャーvsギャバン」と言うマッチングを生んだ原初とも思っている。

 で、その頃、『宇宙刑事ギャバン(1982)』が初放送されていた。

 正直、この作品は、私の五歳下の弟にとってのタイムリー・ヒーローであった。

 当時の私は、頭の中では「女体(にょたい)」のことばかり考えている、マスタベーション覚えたての中坊であったが、弟の夢中になる「ギャバン」を横目にしながら、敵の作る異世界「マクー空間」のビジュアルが「斬新だなぁ」などと思ったし、当時、公開された『レイダース/失われたアーク(1981)』での、インディ・ジョーンズが洞窟通路内で、大きな石の玉に追いかけられるシーンがそのままパクられていたので、「節操ないけど、面白いなぁ」などと感心していた。

 後で語るが、ギャバンにはアシスタント役の女がいて、それを、当時の自分の感性から見ても「いい女」系の叶和貴子が演じていて、ちょっと驚きだったが、当時の私には、叶和貴子は「いい女」過ぎて身近じゃなかった。

 だが、「宇宙刑事」シリーズの三作目の「シャイダー」が放映された頃になると、私もちょっぴし大人になり、女の好みに対し、無限の可能性を持てるようになり、ヒーローのアシスタントキャラにはそぐわない森永奈緒美が、ミスマッチでマッチしており、「♪銃をとったら、アニーにおまかせ!」と言うテーマソングとともにパンチラアクションをしてくれていたので、「俺もおまかせしてぇー!^^」と非常にエロく感じていた。

 今回の映画だが、数ヶ月前から、職場でも話題になっていた。

 それほど、「ギャバンの復活」は、アラフォーの男子にはトピックであった。

 また、「宇宙刑事」シリーズのギャバンが、「スーパー戦隊」シリーズの最新グループと交わると言うのも、なんちゅうか、横のつながりでも、縦のつながりでもなく、「斜め」っていて気になった。

 また、公開されていたギャバンの外観のメタル具合が「ツヤあり」過ぎるのも気になった。

 杞憂であった。

 物語すぐに、宇宙刑事ギャバンから逃げる海賊戦隊ゴーカイジャーのシーンから始まり、艦隊戦から肉弾戦へと移るのだが、スピーディーなアクションの中、ギャバンの「ツヤありメタル姿」が映える映える^^

 だが、「蒸着」を解いた後のギャバン(大葉健二)の「いぶし銀」の濃ゆい姿にはまいったまいった^^;

 30年前も、大概 ワイルドだったのだが、更に、「漆を何層にも重ね塗りしたかのようなワイルデスト(ワイルドの最上級^^;)振り」には圧倒された。

 アクションにも淀みなし。

 その姿に、私、いきなり、ジーンときた。

「お前、なにもんだ?!」とゴーカイジャーに問われ、普通の決めポーズの四倍くらいの身振り手振りアクションの果てに、「宇宙刑事ギャバン!!」と叫ぶに至り、「すげぇ」と呟くことしか私には出来なかった・・・^^

 さて、対するゴーカイジャーだが、『ワンピース』ブームに便乗した「海賊戦隊」であることは分かるが、空を飛ぶ帆船タイプのメカは、『アクマイザー3』『光子帆船スターライト』以来で見てて楽しい。

 また、メンバーの5人+αだが、二人の女の子も含めて、みんな今風のモテ顔だ。

 特に、レッド役の男は、けしてギャバンの個性に負けておらず、活きがいい^^

 生意気なのだが、過去、幼少時に、ギャバンと邂逅を果たしており、その時の恩を忘れられない純情さも持っている。

 

 腰までの丈のローブっぽいコートの着こなしが格好いい。

 ゴーカイジャーを、刑事として捕らえたギャバンだが、ゴーカイジャーに罪を着せたのは宇宙警察組織の腐敗だったと知り、ゴーカイジャーを解放しつつ、その出来事を宇宙警察の司令に追求すると捕らえられ、「マクー空間」にある<マクー監獄>に収監されてしまう。

 それを知ったレッドは、救出に向かいたいのだが、「マクー空間」への進入方法が分からない。

 そこにふらりと来たのが、同じく大葉健二が演じた戦隊物の『バトルフィーバーJ』の<バトルケニア>と、『電磁戦隊デンジマン』の<デンジブルー>で、こりゃ、もう「大葉健二・ザ・ワールド」で、そこまでやらなくちゃならない必然がないのだが、たまらなく面白い^^

 かくして、「Wケンジ」の助言で、ゴーカイジャーは「マクー空間」へ。

 マクー監獄への突入には、既存の建物をうまく使った「異界の監獄」の雰囲気を醸しつつ、突入。

 そして、館内の牢屋には、これまでの「戦隊」シリーズの悪役たち(色っぽい女敵方含む)がランダムに捕らえられていて、小芝居を見せてくれる^^;

 シリーズのファンには、たまらないだろうな^^

 甥っ子は、「あれ? この人たち、知ってるぞ!」と驚いていた。

 私も、知りゃしないのだが、元から知っているつもりで、その懐かし感覚を楽しむのだった。

 これは、完全に、『ワンピース』の<インペルダウン>編での、それまでの敵役の面々の復活と同じ展開である。

 こういうのは楽しい。

 また、ゴーカイジャーは、過去のヒーローに変化できるらしく、「戦隊物」過去作から、バンバン ヒーローが現われた。

 『ジャッカー電撃隊』の<ビッグ1>まで登場するんだから、楽しい。

 おっと、ゴーカイジャーの変化とは関係ないが、「スーパー戦隊」シリーズの、次の主役たちまで登場し、戦ってしまう大盤振る舞いには感動しきりだった・・・。

 また、監獄館内に進入したゴーカイジャーを戸惑わせるために、各階に「マクー都市」を出現させるのだが、その、各階のビジュアルが、石畳の町であったらい、海であったり、林であったり、採石場であったりと、センス・オブ・ワンダーに溢れていて、その中でのメンバーのアクションがかなり白熱していた。

 特に、レッドvs偽ギャバンのバトルは、長いのに飽きずに見てしまった。

 そして、その脱出シーンは、本格ミステリ的な意表を衝いた「突き抜け具合(底抜け具合か^^;)」で、非常に愉快痛快で感心させられた。

 そして、ギャバン救出後の、最終決戦でのバトルも、面白かった。

 最後の変身をするのだが、ギャバンのバトルスーツ蒸着後、すぐに、その「0.05秒の蒸着プロセスを見てみよう」と解説ナレーションが入る。

 ツボを心得ているぅ~。

 おまけに、本来のテレビ版では、そんな描写はないだろう、ゴーカイジャーの「0.18秒の変身シーン」のプロセスまでも見せてもらえ、実に痒いところに手が届く演出であった。

 惜しむらくは、クライマックス、ゴーカイジャーの空飛ぶ帆船が、いきなり、次のシーンで巨大ロボットに変化していた描写カット不足と、

 ギャバンの宇宙船のデッキに叶和貴子がいなかったことだ。

 多分、叶和貴子などは、いまだに美しいはずなのであるが・・・^^v

                                                   (2012/02/15)
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[手塚治虫の『七色いんこ』について]

2012-02-14 22:23:21 | 物語の感想
☆手塚治虫は優れた作品を幾つも生んだが、私が「私だけの好きな作品」を選ぶとしたら『七色いんこ』を挙げる。

七色いんこ (1) (少年チャンピオン・コミックス)
手塚 治虫
秋田書店


 ちなみに、タイトル写真は、「七色いんこ」みたいな「レディー・ガガ」^^

 代役専門で舞台役者を請け負いながら、幕間に金持ち客の金品を失敬する役者泥棒・七色いんこと彼を追う女刑事・千里万里子の物語(「ウィキペディア」より)。

 毎回毎回、古今の演劇がお題となり、話が進む。

 『ブラックジャック』と同じ読み切り連載だったのだが、私は、普段の七色いんこの軽快さと、描かれる各種名作演劇作品の深みに惹かれ、少年チャンピオンコミックス(秋田書店)の全7巻は繰り返し読んでいた。

 ・・・本日、ブックオフに行き、100円コーナーにめぼしいマンガはないかなぁ、と眺めていたら、手塚治虫漫画全集(講談社)の『七色いんこ』の4~7巻があった。

七色いんこ(6) (手塚治虫漫画全集 (346))
手塚 治虫
講談社


「おっ、状態がきれいだなぁ」とパラパラ捲る。

 すると、明らかに見たことのないエピソードが散見された。

 手塚治虫は、『ブラックジャック』や『三つ目がとおる』の中の、自分の気に入らない(その完成度に不満足な)作品などは、コミックスに収録していなかった。

 『プライム・ローズ』や『ゴブリン公爵』などは、作品ごとコミックス化されず、手塚治虫の死後、ようやく単体書籍化された。

 『ミッドナイト』の幻の最終話も、死後発売された文庫版にやっと載せられた。

 だが、手塚治虫が気に入らなかったからと言って、作品の魅力は読者が決める面もあり、『どろろ』などは大人気だ。

 そして、『七色いんこ』にも、そんな未収録作品があるとは知らんかった。

 でも、自分が知らない七色いんこに、手塚治虫の死後20年以上を経て会えるとは、非常に嬉しいことだった。

 調べると、本来、『七色いんこ』は全47話だそうだ。

 で、今、少年チャンピオンコミックス版全7巻のエピソードを数えると38話しかない。

 つまり、後9話あるわけだ。

 今回、私は、手塚治虫漫画全集版の『七色いんこ』の4~7巻を購入し、ちゃんとは見てないが、未見だったエピソードが4話ほどあった。

 て、ことは・・・、手塚治虫漫画全集版の1~3巻には、後5話、未見のエピソードがあるわけだ。

 よし!

 明日から、古本屋巡りを地道に進めよう!!!^^v

                                                      (2012/02/14)
コメント (7)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[文章指南(1・初歩から)]

2012-02-13 23:46:11 | 保守の一考
☆・・・やべぇ、また安請け合いしちまった^^;

   ◇

 とある娘っ子から話し掛けられ、陽気に話していたら、彼女は早稲田大学文学部に在籍しているが、今は休学していて、何よりもレポートの書き方が分からなくて困っているという。

 ちなみに、私がニュージーランドにワーキングホリデーに行くに際し休学したときは、30万ほどの金がかかった記憶があるのだが、現在の早稲田は、休学の在籍の費用に5万ほどしか掛からないようだ。

 もちろん、早稲田に合格しているのだから、彼女は、ある一定の優れた知能を持っているのだろうが、話しているうちに、「もしかして、根本的に、この子は、偶然にも、あまり文章を書く経験を経ていないで成長してきたのかもしれない」と思えた。

 それと言うのも、私は、六大学でも下層の法政だが、歴史・伝統ある大学というのは、わりと(特に文学系)、レポート提出に厳正な規定はなく、読む教授の心に、一箇所でも「おっ!」と思わせたら、「可」の成績を頂けると思うからだ。

 これが、三流大学ならば、却って厳正な採点がされるのだろうが、ある一定のレベルの難しい入試を経る大学の学生ならば、教授から学生への客観的な信頼もあり、自主性が重んじられ、余程に酷いレポート様式でなければ、採点も、教授の満足度で決まる。

 だから、その子が、そこまでレポート執筆を苦手とするのならば、初歩的なトコで躓いているのではないか、と思った。

 ・・・正直、私だって、理路整然とした文章は書けない。

 しかし、これは何度も言っているが(^^;)、私は大学で、「君には文章表現の天与の才がある!」と言われた男である。

 読む者が、「何を書いているのかサッパリ分からん」と思うような文章は書いていないつもりだ。

 その、早稲田休学の娘とは、映画の話もしたのだが、なんと! おそらく知り合いでは誰も見ていないと思われていた『マジック・ツリーハウス』を、彼女も見ていたのだ!

 故に、こんな安請け合いをしてしまったのだ・・・。

「次はいつ会える? ん? 明後日か。よし、じゃあ、明後日までにレポートをどういう風に記せばいいか、書いてきてあげるよ。うん、そうだな、じゃあ、お題は『マジック・ツリーハウス』にしよう^^v」

 言ってすぐに、私は、後悔した。

     [また、ええかっこしいしてしまった…}orz

 ・・・でも、書かねばならぬ。

   ◇

 ここでは、文学系の提出レポートについて書きます。

 文学系のレポートの課題・・・、仮に、「映画『マジック・ツリーハウス』の、独創的な特徴を報告せよ」とします。

 以下は、高尚に言えば「映画評論」ですが、基本的には「映画感想文」です。

 でも、文学系のレポートに限っては、「感想文にちょいと手を加えた雰囲気」で、レポートとして成り立ちます。

 本来のレポート・論文は、個人的な体験などはご法度なのですが、文学系では許されます^^

 ただ、けして忘れてはならないのが、課題の「独創的な特徴」の提示です。

 それを具体例の羅列でもって証明しなくてはならない。

 だが、文学は科学ではないので、物理的な証明は必要なく、自分の文章で、理屈で、相手を納得させればいいだけです。

 では、私の書いた<「映画感想文」プラス>を読んでみましょう^^

 なお、以下の文中のナンバリングは、後からの解説の為のものです。

   ◇   ◇

   [映画『マジック・ツリーハウス』を観た]

 <☆甥っ子と姪っ子を連れて行った。
 レイトショーでなく、午後七時からの回だったのだが、お客さんが、私たち3人だけだった^^;(1)
 原作は、小学生低学年向きの世界的な人気ベストセラーで、シリーズは50作にも及ぶと言う。(2)
 主人公は、小学5年くらいの「本の虫」のジャックと、小1ぐらいの、好奇心旺盛でアクティブな妹アニーだ。
 その二人が、時空を飛ぶツリーハウスで、古今東西を巡り、魔法のメダルを探し集める物語。(3)
 今回は、二人と、ナビゲイターと言うかマスコットのネズミ・ピーナッツが、
 恐竜時代・中世・ポンペイ最後の日・海賊の島を冒険する。(4)
 冒険といっても、幼い二人なので、ほとんど、その世界を「眺める」レベルに毛が生えた程度なのだが、それぞれのパートのクライマックスでは活劇もある。(5)
 子供向けだと思うと、なかなかにせっぱ詰まった状況になり、見ている大人の私でも、「この危機、どうやってくぐり抜けるんだろう」と、俄然 興味を引くのだった。(6)
 ティラノサウルスは、思った以上に執拗に二人をつけ回すし、
 スパイと誤解されて中世の城の中を逃げる二人の背景は、なかなかリアルで興味深い、
 ベスビオ火山の噴火は、かなりの大スペクタクルだし、
 海賊船での活劇は、二人が「等身大の子供」であるが故に、ヒヤヒヤさせられた。(7)
 先ほど、二人の旅は「眺める」レベルと書いたが、子供が見たら「おおっ!^^」と思うような歴史や文化・科学や自然の断片が垣間見られる。(8)
 プテラノドンに触った二人が、「体毛がビロードのようだ」とか、
 中世の騎士の宴では、孔雀が食されていたとか、
 ローマ帝国での、石窯で焼いているパン屋の描写などには「へーッ!^^」の思いがつのる^^(9)
 どうしても最近のアニメの絵柄の大半は、総じてジブリ風なのだが、この作品は、かなり独特の描線で、
 ジャックの眼鏡の上側を略していたり、人物たちの閉じた口の中程も線が消えていたりしている。(10)
 アニーの幼い体型なども、小さくデフォルメされていて、わりと可愛くて独創的だ。
 そして、その声をあてた芦田愛菜、小学一年生だそうだが、非常にうまい。
 可愛い声質でありつつ、巧みな言い回しで、本職に負けていないのが衝撃的だった。
 対して、ジャックは北川景子があてたそうで、かなり上手いのだが、「ああ、北川景子だ^^」と言う個性が感じられず、誰でも良かったような気がした。(11)
 子供向けだったので、私には、もうちょい刺激が欲しかったが、甥っ子と姪っ子はかなり楽しんでいた^^(12)
 物語の途中、ポンペイの町を襲った悲劇に、ジャックがナーバスになったり、海賊に捕まったアニーがグーで殴られたり、処刑されそうになるのは、作品バランス的に、なかなかシビアな展開ではあった。(13)
                               (2012/01/11)>

   ◇   ◇

 短い文章であるが、この中には、私の求める、「読む者への報告と論理」、つまり「レポート」が組み込まれています。

 てゆーか、私はいつも、どんな文章でも「小説」として書いているんですけどね・・・。

 では、細かく分割して考えていきますが、ひとこと言っておくのが、「各項目を100行位づつ書いていけば、ちょっとした論文として完成します^^」ってこと。

 論文としての要素は全て入っておりますが、論文としての文章構築はされておりません。

 私の文章作法は、それを崩すところにあります^^

 何故って? それは、私が物語指向であるからです。

 レポートであろうとも、物語でなくちゃネ^^v

   ◇

   (1)・・・特別な体験。

   (2)・・・作品背景。

   (3)・・・作品の大枠。

   (4)・・・作品の大筋。

   (5)・・・作品傾向(批判)。

   (6)・・・作品傾向(感心)。

   (7)・・・課題への答案の序章。

   (8)・・・結論。

   (9)・・・結論を補強する具体例の数々。

   (10)・・・作品の演出テクニック(これも副次的な独創)。

   (11)・・・演じ手の印象。

   (12)・・・他者の感じ方。

   (13)・・・私の素朴な感想。

 こうして、解析すると、我ながら、なかなか良く書けていますね^^;

 究極的には、論文も小説も、上記の項目の「順番の違い」でしかありません。

 ・・・本当は、(8)の結論を、最初と最後にも、表現を変えて置いたほうがいいのかも知れませんが、私の流儀ではない。

 それから、いちお、言っておきますと、この文章は、(8)と(9)がなかったら、感想文でしかありません。

 (8)と(9)があるから、その文章上の「起伏」が、「映画評論もどき」足り得るのです^^v

   ◇

 これだけじゃ済まないが、今夜は眠いので、おやすみなさい・・・zzz

                                                     (2012/02/13)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[映画『ドラゴン・タトゥーの女』を観た]

2012-02-12 15:42:01 | 物語の感想
☆スウェーデン映画のリメイク作だそうだが、それらの作品は都内でしかやっていなかったので、多摩地区で保護観察下にあり、後見人に虐待されている私には観に行くことが出来なかった(←こういうこと書くと本気にするバカがいるんだよなぁ^^;)。

 ・・・のだが、この作品はハリウッド産の全国公開なので、近くのシネコンで午前中からビール片手に見てきましたよ。

 いやねぇ、オリジナルを知っている人には不評だけど、私には最高でしたよ^^

 私は、そもそも、リスベットみたいな女が大好きなんだよ。

 ちょっと『ベティブルー』のベティ(ベアトリス・ダル)みたいでしょ?

 私は、こんな女と絶望へひた走りたいと、いつも、思っているのですよ。

 でも、リスベットは、物語全編を見終えると、外見(パンキーで可愛い)や行動こそは奇矯だけど、その求めていることは普通の「女の子」なんだよね。

 少女のように小さくて、他者と長時間 目を合わす情緒を保てない。

 向こう見ずさと天才的なハッカー技術で標的に突っ込んでいくが、その腕力は小娘のものでしかない。

 人並みに幸せを求めているけど、それが打ち砕かれると、我慢する。

 いとおしいものだ。

 この子(ルーニー・マーラ)、『ソーシャルネットワーク』で、全く別タイプのヒロインを演じていて、今回の役で見違えたけど、その瞳と顔の輪郭で鮮明に分かりました^^

 『ソーシャルネットワーク』では、重要な役柄なれど、それ程に時間露出の長い役ではないのに、こんなに体当たりな演技を出来る女優と見抜いたフィンチャー監督の眼力は凄い。

   ・・・『ソーシャル・ネットワーク』のエリカ

   ・・・リスベット

   ◇

 ・・・権力に潰され、落ちぶれかけていた雑誌記者ミハエル(ダニエル・クレイグ。いい感じで落ち着いたね^^)は、北方の町の富豪から、40年前に一族を襲った少女失踪事件の謎の解決を、敗北を喫した政治家へのリベンジ情報と引き換えに引き受ける。

 正直、私、猟奇事件は嫌いなので、この作品のそういった側面は嫌いなのだが、

 40年前の、人々のかなたの記憶を掘り起こそうとするミハエルを取り囲む状況は、胸がワクワクするシチュエーションだ。

 密室島からの少女失踪のミステリーの雰囲気もいい。

 全くとりつくしまのないような固定化された記憶の中での謎も良くて、徐々に徐々に掘り下げていく過程も心地よい。

 三時間近い作品で、内容は、一族の人々を紐解くには短いが(なかなか名前と一族での位置が覚えられない^^)、ニ時間ほどでまとめられなくもない。

 が、残りの一時間ほどをリスベットの、ミハエルに招聘されるまでの生活にあてており、そこがリスベットの人となりを見ている者に強烈に印象づけるのにあてているので、後半の「天才ハッカー探偵」としてのリスベットの活躍が爽快だ。

 格好いいし、可愛い。

 この子を「知りたい知りたい」と思っていると、いつの間にやらエンディングを迎えていた。

 この後、オリジナル版もレンタルしてきて見たいと思うが、原作が三部作ということで、それを成し遂げて欲しい。

 リスベットに平安を・・・。

                                                   (2012/02/12)
コメント (11)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[歴史改ざん(五十六・草鹿龍之介・半藤・司馬・乃木・伊地知幸介・辻政信・西山太吉・ナベツネ]

2012-02-12 08:50:30 | 保守の一考
☆私は、ある種の人から見ると、いい加減に文章を書きなぐっているようでいて、割りと慎重な物書きで、

 映画『山本五十六』(クリック!)の感想では、このような「前提条件」を付している。

 <・・・原作が半藤一利とのことで、海軍善玉史観に彩られていたが、まあ、「いかなる戦争も反対」と言った条件反射左翼に、戦争の異なる視点を提供する点でいいテキストになろう。・・・>

 <・・・ただ、この「作品」、山本五十六だけが神格化されているが・・・>

 一つ目の引用においては半藤一利が非常に問題点のある「歴史評論家」であることを提示し、二つ目の引用などでは、あくまでも、この「作品」内だけでの「常識」があることを括弧付けで強調している。

 他のエントリーでは、こうも書いている。

 <・・・映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』を見た人は思っただろう・・・、「作品」中、人格者であり非常に有能なる人物として描かれる山本五十六をして、その<コミュニケーションの不全>が、勝てたやも知れぬ決戦に敗北を喫する結果になったことを!・・・>

 山本五十六を下げるつもりはないが、山本五十六を美化するために、作中の他者をあまりにも貶めているとは感じていた。

 なんか、このことについて、ちゃんと書いておかなくてはなぁ、とは思っていたら、『正論(3月号)』で、その違和感の答えを得た。

   《潮匡人 『虚構と捏造の映画「山本五十六」》

 この文章 短いので要約するのが難しい、潮氏の主張の意を汲むと、全文転載が効果ありと考える。

 この方は、私と面識のある保守派中堅どころの先生方と親しいらしいのだが、私は知らなくて、おそらく、私のような軟派な男を嫌悪するタイプとお見受けし、全文掲載に怒りそうだが、それでも、僕、やっちゃいます。

 <昨年末、久しぶりに映画館で封切りを見た。この原稿を書くために。出来がよければ、批判を控えようと考えていたが、映画は、口述筆記の原作本より酷かった
 「聯合艦隊司令長官 山本五十六 ―― 太平洋戦争70年目の真実」。原作は半藤一利著『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(文藝春秋)。原作者は映画の監修も務める。彼の歴史認識については以前本誌で詳細した(拙著『司馬史観と太平洋戦争』『日本を惑わすリベラル教徒たち』参照)。ここでは映画化された論点に絞ろう。
 原作者同様、映画も歴史を善悪二分法で描く。山本五十六に加え、米内光政と井上成美が「良識派三羽ガラス」として描かれる。「聯合艦隊作戦参謀・三宅義男」も善玉として登場するが、かかる人物は存在しない。実在した三和義男参謀がモデルだろうが、なぜか名前を変えている。
 他方、悪玉は「東京日報」主幹である。
 当時かかる新聞社は存在しない。名前から類推するに、毎日新聞の前身「東京日日新聞」がモデルなのか。だが当時、戦意高揚を煽った新聞は東京日日だけではない。罪は「朝日新聞」のほうが重い。架空の新聞社を設定したのは、現存する毎日や朝日への配慮からなのか。
 映画は、虚実を織り交ぜながらも、「良識派」以外の軍令部や第一航空艦隊の上層部には遠慮しない。案の定、陸軍も悪玉史観で描かれた。左遷されていた山本を海軍次官に据えた永野修身も“悪玉"だ。山本同様、米国に駐在し、ハーバード大学に留学した人物とは思えない描き方である。彼が「A級戦犯」として訴追されたせいか。だとすれば、文字通り「東京裁判史観」であろう
 同様に、第一航空艦隊の南雲忠一も悪玉だ。なかでも最悪なのが「第一航空艦隊参謀長」である。山本長官の方針に逆らう、徹頭徹尾、無能な参謀として描かれた。
 あまりにも酷い描き方に、制作サイドも躊躇したのか、パンフレットも、公式サイトも「第一航空艦隊参謀長」と記すだけで、実名は挙げない。だが専門家ならずとも、ネットで検索すれば、それが草鹿龍之介であると誰にも分かる。
 以前からの本誌読者は御存知のとおり、草鹿は私の祖母の兄である。
映画を見て腸が煮えくりかえった。二度と見たくない。ここで厳重に抗議する。
 これまで原作者の草鹿評は史実に反すると繰り返し指弾してきたが、馬耳東風である。最近も「週刊文春」の座談会「帝国海軍は人事で崩壊した」で「参謀の草鹿龍之介も、飛行機は部下の源田任せ。(中略)適材適所とはほど遠い人事」と断罪する(昨年十二月二十二日号)。
 映画は(他の場面同様)架空の作戦会議まで設定し、草鹿を貶めた。原作本も昭和十六年九月、海軍大学校の図上演習で「長官の不動の決意を知って、反対論の筆頭、南雲忠一中将や参謀長草鹿龍之介少将以下全員が了解し、さすがにこれ以降反対論を口にするものは一人もいなくなりました」と書く(?)が、これも史実に反する。
 確かに当初、草鹿参謀長は「国家の興亡をこの一戦に賭けるのは、あまりにも投機的すぎる」と真珠湾攻撃に反対した。実際、大西瀧治朗少将と旗艦「長門」に山本長官を訪ね、大反対した。長官は「僕がブリッジや将棋が好きだからといって、そう投機的、投機的というなよ」と軽く応じ、最後に二人だけでこう会話した。
「草鹿君、君のいうことはよくわかった。しかし、真珠湾攻撃は今日、最高指揮官たる私の信念である。今後はどうか私の信念を実現することに全力を尽くしてくれ。そして、その計画は全部君に一任する。なお、南雲長官にも君からその旨伝えてくれ」
「今後、反対論は一切申しあげません。全力を尽くして長官のお考えの実現を努力いたします」
 だが、今後、捏造された「太平洋戦争70年目の真実」とやらが定着していくのであろう。映画の最後に小椋桂作詞の歌が流れ、歴史の中に真実を学べ」と説く。
 隗より始めよ。     >

   ◇

 私の司馬遼太郎「坂の上の雲」好きは有名だ。

 かの作品には、少年ジャンプのバトルマンガを読むかのような血の滾りを覚えた。

 そして、幾つかの司馬作品を読んでいく。

 やはり、燃える。

 しかし、その中の歴史上の人物についての、他の著者の論文などを読んでいくと、司馬が、かなり偏った歴史の見方をしていることが分かっていく。

 「坂の上の雲」からしてそうだ。

 以下を参照のこと^^

   《[司馬遼太郎の名誉毀損と歴史・軍事誤認識(積ん読本を読む)]》(クリック!)

 このエントリーで、半藤が、「南雲中将=第一航空艦隊参謀長」ラインを愚かな指令系統に貶めたのと同じように、

 司馬が、「坂の上の雲」・日露戦争においての「乃木希典大将=伊地知中将」ラインを愚かな指令系統に貶めたのは歴然である。

 架空の世界が舞台のジャンプマンガならば「絶対悪者」を設定するも良いだろう。

 いや、最近のジャンプマンガは、悪にも一理が描かれているが・・・。

 だが、司馬は実在の人物で、それをやっていた。

 司馬は特に、<ノモンハン事件>を、日本の<負の歴史>のターニングポイントとして嫌悪していた。

 私は、それがとても気になった。

 そして、こちらのブログ『わかりやすい「戦争」』(クリック!)で<ノモンハン事件>を考え始めた。

 時に、ソ連崩壊の後の極秘資料が流出し始め、<ノモンハン事件>での、多大なソ連の被害が判明してきた。

 日本の損害の比ではなかった・・・。

 ブログは、今は停滞しているが、これは私のライフワークの一つとなるので、気長に待ってて欲しい。

 昨日も、<ノモンハン事件>の最新論文の載っている『軍事史学(通巻180号)』などを取り寄せ、準備は怠りない。

 さて、司馬は、<ノモンハン事件>を書かずに、死去した。

 そして、その仕事は、司馬の盟友であった半藤一利に引き継がれ、『ノモンハンの夏』として結実する。

 読むと、「読み物」として非常に面白い。

 だが、「史実」ではない。

 辻政信大佐は、奇矯な面も多いが、軍人としての才能も、大きな魅力もあった。

 そもそも、この時代の男は、みんな、面白かった^^

 半藤は、その男の行動に代表される「史実」を、「この男ならばこうする」「こうあらねばならない」という色眼鏡で、過去からの、時代の移り変わりの中で変化した思想価値観の偏見で持って断罪していた。

 書いた当時の情報不足もあったのだろうが、それでも、微妙に主張をスライドして現在も間違いを改めない。

 そんな「ハゲ(半藤)」を私は信じない・・・。

 潮匡人の主張の中で、良識派として描かれている三和義男参謀の名前が改変されているのは、「ハゲ」に怒りをもっている「良識的な関係者」が許可しなかったのだろう。

 そして、「(半藤が)最近も「週刊文春」の座談会「帝国海軍は人事で崩壊した」で「参謀の草鹿龍之介も、飛行機は部下の源田任せ。(中略)適材適所とはほど遠い人事」と断罪する」の主張は、これが、いわゆる「ハゲの主張スライド」である。

 これは、「俺は間違ってないよ。潮の主張は聞いたよ。だから、こうして主張を修正しておいたよ」と言う意味なのである。

 潮氏も、私の鋭さを分かると思うが、このハゲ(半藤)の主張は、今までの主張と少し変化しているに違いないのだ^^;

 それで、潮氏の抗議をかわしたと思っているのだ・・・。

 まあ、そこを一つ譲歩したら、ハゲ(半藤)の全主張が崩れるだろうから、ハゲ(半藤)は改めることはないと思う。

 年齢的に、ハゲ(半藤)は退場することも遅くはなかろう。

 そしたら、そのデマの数々を、潮氏は「上書き」すれば良いと思いますよ^^

 酷いことを言っているように思えて、ハゲ(半藤)のやっていることこそが、死に匹敵する凄まじく酷いことであるのは被害者こそが分かろう・・・。

   ◇

 実は、私、数ヶ月前に、西山太吉氏の講演会を拝聴した。

 かなり勉強になったが、この左翼闘士の頂点をして、その、左翼の限界をまざまざと思い知らされた。

   《[左翼の講演会に行ったyo!(前編)]》(クリック!)

   《[左翼の講演会に行ったyo!(後編)]》(クリック!)

 私が言いたいのは、要は、全くの代案なき破壊工作は、無責任の垂れ流しだよということだ・・・。

 そして、その西山太吉の「小便垂れ流し」行為を美化したドラマが、今、テレビで放送されていて、それにナベツネが噛みついたそうだ。

 「産経抄(2月11日)」より。

 <読売新聞の渡辺恒雄主筆がなにやらご立腹である。巨人のコーチ人事に容喙(ようかい)したとして彼を「コンプライアンス違反だ」となじったかつての部下、清武英利・前読売巨人軍代表との裁判が気になるのか、と思ったらさにあらず。
 ▼沖縄返還に伴う日米の密約文書をめぐって昭和47年、西山太吉・元毎日新聞記者が逮捕された事件を扱ったドラマ「運命の人」(TBS系)に腹を立てているのだ。怒りの心情をサンデー毎日に寄稿しているが、ドラマよりも面白い。
 ▼西山氏は、米国が払うべき補償金を日本が肩代わりするとの秘密文書を「情を通じて」外務省の女性事務官から入手。資料を現衆院議長の横路孝弘氏に渡し、国会の場で公にするが、不手際で情報源がばれてしまった。記者と事務官は国家公務員法違反で逮捕され、最終的に2人とも有罪になる。
 ▼ドラマは、山崎豊子の同名小説をなぞっており、渡辺氏をモデルにした山部一雄記者を演技派の大森南朋が演じている。山部は社の壁を越え、逮捕された記者を助けようとするおいしい役どころなのだが…。
 ▼ご本人にとっては、田中角栄元首相がモデルの田淵角造から接待され、現金をもらう「下等なたかり記者」扱いされたのに我慢ならぬらしい。確かに渡辺氏は、田中氏とさほど親しくなく、怒るのも無理はない。西山氏が彼より数段、格好良く描かれているのも気に入らぬのかもしれないが。
 ▼密約といえば、後年明らかになる有事の核持ち込みに関する密約がより重要だが、一連の密約なしに沖縄返還は実現しただろうか。一向に進まぬ普天間飛行場問題をみるにつけ、佐藤栄作元首相の決断の重さと西山氏ら反対者への激しい敵意を改めて思い知る。>

 いやはや、実在の人物を描くのって、どう描いても文句言う人はいるので、特に、山崎豊子の「勧善懲悪」の「フィクション」で描かれたら怒る人も多いよ。

 余談だが、ナベツネは色々言われるけど、その文章は、かなり読みやすいよ^^

 で、山崎豊子の作品だが、私は、映画『沈まぬ太陽』の感想でもこう書いている。

 ホント、私は慎重な文章書きだわ^^

 <だから、「物語のここが優れている」「ここの役者の演技が秀逸」などと、客観的に、[創作]として接せられなくて、論じにくいのである。>

   ◇

 世の中、「物語」と「史実」の区別をつけられぬ人は多い。

 ノンフィクションめかしたフィクションをノンフィクションと見てしまうわけだ。

 まあ、その区別をつけられないように読ますのも書き手の手腕だが・・・。

 ・・・このテーマで、まだまだ書けるのだが、ちょいと出掛けてきます^^

                                                     (2012/02/12)
コメント (14)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を観た]

2012-02-09 23:58:22 | 物語の感想
☆昨夜観た『永遠の僕たち』に続いて、今宵も傑作を楽しめました。

 試写状が届き、喜び勇んでの公開日前鑑賞です^^

 そして、二日連続の「近親者の悲しい死を、ちょっと変わった生き方の主人公が受け入れ、未来に向かって克服していく物語」だった。

 また、死にゆく者も、主人公ほどではないけれど、それぞれの主人公を真っ向から受けとめる余裕を持った人格の持ち主である点も似ていた。

 ・・・この作品では、ニューヨークに住む主人公・オスカーが、<911テロ>で父親を失い、

 その喪失感から立ち直れない中、父親の遺品の数々の中から、一つの<鍵>を見つけ、

 そこに、死んだ父親から自分へのメッセージの存在を想い、その鍵の嵌まるべき鍵穴を、町中 捜し求めるストーリー。

 先ず、冒頭、主人公の少年(トーマス・ホーン)の、あまりにもの美少年っぷりにノックアウトされつつ、

 こんな美しい子を主役にしたら、それが「諸刃の剣」となり、作品の完成度に傷がついてしまうんじゃないか、と危惧したのだが、

 細かな描写の数々もすこぶる面白く、すぐに展開に没頭させられた。

 「鍵」の入った小封筒には「ブラック」と書かれており、オスカーは、即座にニューヨークに住む全ブラックさんを訪問し始めることを決意する。

 最初に訪れたブラックさんからして、夫との別離の真っ最中で、そのいきなりのドラマチックな場を見せられたことで、私は心を揺り動かされ、「この先、オスカーは何百人のブラックさんを尋ねるのに、その初っ端から、こんなにも盛り上げちゃってイイのかよ」とワクワクさせられつつ、そのワクワク感は必ずしも思っていたものとしては満たされないのだが、それとは異なったポイントで、鑑賞中ずっと、私をワクワクさせるのであった。

 時間前後のモンタージュ作劇も見事で、父親を演じたトム・ハンクスの、アスペルガー症候群的に頭の回転の速い息子への、多くの可能性を見据えた情操教育も垣間見せられる。

 また、<911テロ>時の、父と子の「関係」も、小刻みな演出で、クライマックスに向けて盛り上げる。

 母親役はサンドラ・ブロックで、息子を心配しつつ、自分自身も立ち直れずにいる苦悩を見事に演じていた。

 おばあちゃん役の人もかなり良いのだが、謎の老人役としてマックス・フォン・シドーが、口のきけない筆談老人を演じていて、作品に重みとユーモアを加えてくれていた。

 一つだけネタバレだが、この老人こそが、オスカーの父親の父親で、つまりオスカーの実のおじいちゃんなのだが、父親役のトム・ハンクスと妙に顔が似ていて、作中の血縁のリアルさを感じさせてくれた^^

 さて、予告編でも展開はよめた。

 ちなみに、予告編では<U2>の曲が使われており、私は、それが「左翼マスコミの報道番組」のオープニングに使われていたのを思い出させられ、どうも気に入らなかった^^(ピーター・ウェアー監督の作品でも使われていたなぁ)。

 ・・・プロローグで、父親が息子に謎掛けした「NY市の第六行政区」の存在だが、それは、オスカーの「ブラックさん探訪」を通して、最後に判明する。

 つまり、こういうことだ。

 多くの人を訪ね歩き、知り合い、経験として得た人々との触れ合い・繋がりこそが・・・、

 オスカーの旅路の、広大な街を歩きとおした、信念の通った一本の筋道こそが・・・、

 そう! それこそが、俺たちの捜し求めていた「ひとつなぎの大秘宝・ワンピース」なのだ、と!!!(←話がいつの間にかズレてる^^;)

   PS.昨夜の『永遠の僕たち』鑑賞では彼女がハラハラと泣き、
      今夜の鑑賞では、高ニの姪っ子が、グズグズと鼻を鳴らし、後半の20分くらい泣いていました。

                                                     (2012/02/09)
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[映画『永遠の僕たち』を観た(スマン、短信だ)]

2012-02-08 23:59:27 | 物語の感想
☆これは、激烈な傑作であった。

 残業を午後八時までした後、家と逆方向の多摩センターまでレイトショーを観に行き、心に、淡々と、だが大きな感動を、この作品は与えてくれた。

   ◇

 見知らぬ者の葬式に参列し、雰囲気をそれとなく観察することを趣味としている、「死」に異常な興味を持つ少年イーノックと、

重度のガンに冒され、つまり、「死」を内包している少女アナベルの「失恋」の物語。

 イーノックの過去(両親を失った交通事故の際の臨死体験時)の経験から知り合うようになった、元神風特攻隊員の幽霊ヒロシを絡ませ、主人公二人の「家族」を眺めつつ、二人の恋愛が丁寧に描かれる。

 イーノックの不謹慎な趣味と、アナベルの、その悪趣味へのノリが、

 私に、「ああ、この作品は、『禁じられた遊び』思春期ヴァージョンだ」と思わせるのだった。

 最終的に、アナベルは死ぬ。

 それは、イーノックが好んでいた、「アスファルトの地面に横たわり、あたかも事故現場の被害者のシルエットの如く、チョークで、自分の身体を縁取る」行為を、二人でしてみたとき、

イーノックは、その線からいつしかはみ出してしまうのに、アナベルは、ずーっとチョーク線の枠に収まっていることから分かるし、

アナベルが、枠からはみ出るのは、イーノックにキスしようとした時にだけだ。

 恋愛こそが、唯一、アナベルを「死」から…、「死の恐怖」から遠ざけた。

 アナベル役のミア・ワシコウスカは、聡明なイメージで、全編、その笑顔が最高だった。

 未来のない二人だが、キスだけが、おそらく、やわらかくて、お互いが生きていることの証となるのだろう。

 ヒロシ役の加瀬亮は、若き日本軍人を好意的に描いてくれているガス・ヴァン・サント監督のもと、奥ゆかしくも青い青年を見事に演じていた。

 クライマックスで、それまでイーノックにしか見ることの出来なかったヒロシが、今際のアナベルにも見ることが出来た「奇跡」に、私は感無量の思いが起こった。

 ヒロシは、アナベルの死後の旅に同行してくれるのだと言う・・・。

 イーノックの奇行の原因には、両親の交通事故死があり、ともに事故に遭遇した自分が昏睡状態にあり、両親との最後の別れが出来なかったこともある。

 だが、アナベルの死で、初めて、自分自身の問題で、愛する者との形式を経た別れをする。

 別れの言葉を、皆の前で語ろうとするイーノック(ヘンリー・ホッパー)。

 だが、頭の中にアナベルとの思い出が溢れてきて、言葉が出ない。

 ただ、幸せだったので、思わず笑顔がこぼれてしまうのだった。

 照れくさそうにはにかんだ笑顔・・・。

 失恋に至ったけど、その思い出は「永遠」なのだな。

                                                     (2012/02/08)
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[「H5N1」と放射線の恐怖と石原慎太郎]

2012-02-07 23:39:59 | 保守の一考
☆私の家には地デジが通っていないので、テレビが見れないわけだが、

 ワイドショーネタになるような、幼児や赤ちゃんが犠牲になるような事件の報道を見ないで済むのは助かっている。

 あの、琴音ちゃんの事件などは、まあ、誰もがわかっていたことだが、最初から母親の言動が怪しかった。

 子供殺しは、極刑にすべきだと思うが、死刑にしても、死んでしまったものは戻らんのだよなぁ・・・。

 山口の母子殺害事件も、もうすぐ最終の判決が出るようだ。

 あの殺人者も死刑でいいだろう。

   ◇

 話は全く変わる。

 2月1日付の産経新聞の一面のコラム<【寒蛙と六鼠(かんがえるとむちゅう)】長辻象平 「致死ウイルスの足音」>が興味深かった。

 本文を読みたい方は、上のタイトルをクリックして下さい。

 さて、コラムは「H5N1」と言う、人間に感染する可能性もある強毒性の鳥インフルエンザのウィルスについて書いている。

 このウィルスが、人と人の間での伝染性を獲得すると、世界的なパンデミックとなる。

 だが、このウィルスは、研究者の間では人工合成もされていて、伝染性を獲得するメカニズムも解析されているのだそうだ。

 その論文は発表されかけたが、「テロに利用される」との懸念から、アメリカ当局によって待ったがかけられている。

 おって、1/20に、世界の科学者39人が、「H5N1」に関する研究を60日間停止すると言う声明を発表する。

 抗議の意味ではないようだ。

 このウィルスが、テロに利用されるのを恐れているからだ。

 そして、コラムは「テロへの警戒と、人での大流行を防ぐ研究のバランスをどうとるか」と話を進めていく。

 ここまで読んで、私は、「ああ、原子力研究のもつれと同じだ・・・」と思った。

 すると、文章の後半に、やはり、原子力研究のジレンマへの言及があった。

 ・・・私は、原子力研究を…、原子力の平和利用を…、つまり、原子力発電をけしてやめてはいけないと考えている。

 恐怖感に駆られつつも、したり顔で、「引き返さなくてはならないこともある」と脱原発を唱えるバカもいるが、そういうことをほざく者は、自分が…、と言うか、人類に限界があり、ひたすらに、諦めることを正しいと言ってるのと同じだ。

 「諦めざるを得ない」と「諦める」は、その意味が全く違う。

 そう、原子力発電は、今、まさに「風評被害」を受けている。

 あれだけの大事故があったとされても、ただの一人も死者が出ていない、にもかかわらず、「絶対恐怖」のレッテルを根拠なく貼られてしまった。

 かくして、原子力開発は、その研究をする事さえも「恐怖」の範疇に入れられ、

 今後、数十年の「停滞」を余儀なくされよう。

 しばらくは、「諦めざるを得ない」。

 だが、研究だけは続けなくてはならない。

 研究を続けなくては、今後、人類は永遠に原子力の恐怖を「克服」できなくなる。

 「H5N1」ウィルスが、テロ(恐怖)に利用されようとも、それを意味のないことにする「ワクチン」の開発をするための研究だけは続けなくてはいけないようにだ。

   ◇

 何やら、石原慎太郎が新党を作ろうと頑張っているが、私には、石原慎太郎にはバカなトコがあるし、第三局の中心にいる橋下弁護士も、私から見ると、非常に微妙だ。

 自民党の議員の石原慎太郎の息子・伸晃は、「オヤジは利用されているのかも知れない・・・」と言っているそうだが、

 石原慎太郎自身も、多分に、橋下・平沼赳夫らを利用していると思われるので、それはまあ、相互作用だ。

 その慎太郎が、やはり、産経の一面で、いいコトを書いていた。

 てゆーか、私が必死こいて主張し続けていることを、美しい流れで語ってくれている。

 やっぱ、文章 上手いね。

   《【日本よ】 石原慎太郎 「原発に関するセンチメントの愚」(2012.2.6)》

 <・・・(前半略)・・・福島の原発事故以来かまびすしい原発廃止論の論拠なるものの多くの部分が放射線への恐怖というセンチメント(情念)に発していることの危うさだ。恐怖は何よりも強いセンチメントだろうが、しかしそれに駆られて文明を支える要因の原発を否定してしまうのは軽率を超えて危険な話だ。軽量の放射能に長期に晒(さら)される経験は人類にとって未曽有のものだけに、かつての原爆被爆のトラウマを背負って倍加される恐怖は頷けるが、しかしこうした際にこそ人間として備えた理性でものごとを判断する必要があろうに。理性的判断とはものごとを複合的に捉えてということだ。

 ある期間を想定しその間我々がいかなる生活水準を求めるのか、それを保証するエネルギーを複合的にいかに担保するのかを斟酌計量もせずに、平和の内での豊穣な生活を求めながら、かつての原爆体験を背に原子力そのものを否定することがさながらある種の理念を実現するようなセンチメンタルな錯覚は結果として己の首を絞めることにもなりかねない。

 人間の進化進歩は他の動物は及ばない人間のみによるさまざまな技術の開発改良によってもたらされた。その過程で失敗もありその超克があった。それは文明の原理で原子力もそれを証すものだ。そもそも太陽系宇宙にあっては地球を含む生命体は太陽の与える放射線によっても育まれてきたのだ。それを人為的に活用する術を人間は編み出してきた。その成果を一度の事故で否定し放棄していいのか、そうした行為は「人間が進歩することによって文明を築いてきたという近代の考え方を否定するものだ。人間が猿に戻ると言うこと-」と吉本隆明氏も指摘している。

 人間だけが持つ英知の所産である原子力の活用を一度の事故で否定するのは、一見理念的なことに見えるが実はひ弱なセンチメントに駆られた野蛮な行為でしかありはしない。

 日本と並んで原子力の活用で他に抜きんじているフランスと比べれば、世界最大の火山脈の上にあるというどの国に比べてももろく危険な日本の国土の地勢学的条件を斟酌せずにことを進めてきた原発当事者たちの杜撰(ずさん)さこそが欠陥であって、それをもって原子力そのものを否定してしまうのは無知に近い野蛮なものでしかありはしない。

 豊かな生活を支えるエネルギー量に関する確たる計量も代案もなしに、人知の所産を頭から否定してかかる姿勢は社会全体にとって危険なものでしかない。>

   ◇

 う~む、隅から隅まで、私は首肯する^^

 また、上記の主張の前半には、「・・・この世で恋愛は茶飯のことだから周囲はそれを常識の枠で捉え眺めて過ごそうとするが、ある人間にとってはそのセンチメントは枠からはみだして当人自身にも抑制がきかなくなってくる。・・・」などと言う表現もあって、うわぁ、うまい! と感嘆してしまうのだ。

 人類は、「恐怖」と寄り添い、「克服」に至らなくてはならない。

                                                       (2012/02/07)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする